Friday, December 10, 2010

ジュリアン・アサンジは、自首すべきだ Turn Yourself In, Julian Assange-The WikiLeaks founder is an unscrupulous megalomaniac with a political agenda


自首せよ、ジュリアン・アサンジ
ウィキリークスの創立者は政治的なアジェンダをもつ,
節操のない誇大妄想狂だ
By クリストファー・ヒッチンズ(12/6、Slate.com)
 

私は、私の最新刊の自伝のなかで、1976年にバグダッドの英国大使館から英国外務省に送られたケーブルのなかの言葉を幾つかとりあげている。それはイラクの新しいリーダー(*サダム・フセイン)に関するものだった。そこには、彼の行った静かなるクーデターを再確認するように「1958年以来、初めてのスムーズな権力の移行がなされた」、と描写されていた。公的文書のオフィシャルな文面らしく、スタイリッシュな控えめな表現が求められたとはいえ、そこには「軍事的な強化策というものが、船をより堅固にするために必要になるかもしれない、サダムがひるんだりすることはなかろうから」、とも付け加えられていた。…もちろん、こうした公電の言葉では、「スムーズな移行」なる言葉が、(当時)バース党メンバーの半数を処刑させていたようなサダムのパーソナリティーをも視野にいれて拡大されるよりも以前に、用いられていたに過ぎない。しかしサダムはその時にはすでに、暴力の行使や抑圧にふけっていたのだ。

  私は数年前にこのケーブルが公開された後にこれに出会い、それを再度公表した… なぜならそれが、私がその当時イラクを訪れた際に英国の外交官たちから聞いていた事実を非常に精確に反映していたからだ。…私は自分自身に問いかけてみた:もし、それらが最初に書かれたその時点で、それを手にする事ができていたなら、自分は一体どうしていたか?と。私自身の名前で特ダネにしたかも知れないだけでなく、私は英国外務省が…専制君主を陳腐な決まり文句や婉曲表現で覆って描写する、その政治的なメンタリティは歴史上初めてではない事を露呈している、などと論じたかもしれないのだ。

 しかし、そのような高潔なる野心(あるいは、野心的な高潔さ)はさておいて、私はそんな事をもくろむべきだったのだろうか?民主的に選出された英国議会は、Official Secrets Act(公的機密条例…私はそれを破ったとみなされたかも知れない)というものを制定していた。私は、私の信条のために、告訴を受けるべく、勇敢にも出頭すべきだったのだろうか?(私はその後、この抑圧的な条例に別件で抵触したために、収監される恐れにさらされたことがあった…それは私がファースト・アメンドメント[合衆国憲法修正第1条・言論の自由、信教の自由…] を有している国に移住しようと決意した理由の一つでもあった)「市民としての秩序の遵守」civil disobedienceというものの道徳的な「もう片方の半分」とは、そうした事柄での歴史的な英雄たちが示すとおり、その行動の結果として起こる事をストイックに受けいれる、ということでもある。すると、そこに外交政策というものが存在しうる。市民文明というものの最古で最良の考えの一つとは、全ての国々がお互いの首都のなかに主権をもつ小さな飛び領を設立して、平和的な決議に基づいた、それらの特別な外交特権を有する領土に投資をする、という事だ。そうしたものの必要性には、高度なプライバシーが含まれるべきなのは言うまでもない。こうした古典的な伝統へのたった一度の侵害すら、好ましからぬ、意図せぬ結果を生む可能性があるものだし、そして我々はその深刻な侵害というものを、適切な怖れを持って眺めているわけだ。我々は、アヤトラ・ホメイニと彼のイデオロギーについて我々が知るべき事柄を、彼が外交官達を人質にとったその時には、すべて発見していたわけだ。

 ジュリアン・アサンジの狡猾な戦略とは、彼が全ての者を米国の外交政策の破壊工作を試みるという彼自身の個人的な決断の共犯者に仕立てていることだ。あなたがあなた自身を─ 連邦政府で働く全ての者にウィキリークスの文書のダウンロードまたは閲覧を禁じた─ オバマ政権のヒステリックで愚かな決断に捉われていると思わない限り、あなたはごく最低でも、ある程度は罪悪感のある楽しみに耽ることができるだろう。二つほどの大きな暴露に関しては、この情報公開は我々のなかの筋金入りの「政権交代マニア」にとって、偉大な価値があるだろう。より多くのアラブ諸国政権が、ワシントンがイランのアフマディネジャド大統領を受けて立つことを、誰もが想像する以上に、緊急に望むだろう。私は20年後よりもむしろ、今、このことを知りたい。イランは北朝鮮から幾らかのミサイル軍備能力を獲得するということが可能だったし、それは我々がサダムをその地位(彼が「Boxの中に」と呼んでいた地位)に残した場合には、サダムにとっても同様だった。我々はすでに今や、サダムの代理人たちが…北朝鮮のミサイル商人とダマスカスで会っていた、という事も知っている。同盟国による(イラクへの)介入がそうした武器商人たちを、慌ててピョンヤンに帰国させる前のことだ─最近のリークの内容は、そうしたある重要なケースの重要なパートを完璧化した。

 一般大衆が知る権利と、我々の秘密諜報機関の信頼性に関していうなら、全米のリベラル派がこぞって、不細工で実りのない例の告発(アサンジも恥じ入るほどのモンスター並みの自惚れ性の人物と結婚した、比較的マイナーなCIA職員に関する、救いようのないほど大袈裟なドラマ仕立ての暴露事件…)をコンセンサスをもって賞賛してから、まだ間もないという状況だ。ロバート・ノバク及びリチャード・アーミテージによって、バレリー・プライム(CIA職員)の職務の内容が明らかにされたとき、彼らはまたアサンジと同様に米政権のイラク戦略に対して反対を唱えていた。それ以来、すべてが暴露されてきたのに伴い、左派と右派の分子がまるでその立場を入れ替えているかのようだ。

 アサンジへの訴追の試みは、私の予想では、軽すぎるかまたは遅すぎるか、その両方か、あるいはそれよりも悪くなるに違いなかろう。1917年のスパイ法がこれほど錆び付いて、使われていない響きがある事には十分な理由がある。それはウィルソン主義者が戦争に対してヒステリーになっていた時期のパニック対策として成立した法律だったし、その条文には、サイバーワールドで効力を発するものは一つもない。それにしても、法曹界ではインターポールという言葉は何十年にも亘って笑いの種だったし、そして私にはアサンジは信奉者たちに囲まれたカルト的リーダーである事もよくみてとれ、彼への性犯罪容疑も彼らにとってはレイプに該当せず、でっち上げと捉えられているように見える。彼らはアサンジが人々の共感を求めたり、自首するよりは姿を晦ますように勧めているのだ。

 そしてもちろん、訴追の有無が、彼のなすべき最も重要なところだ。もしも私が1976年に英国当局の恥をさらそうと決意していたら、私は裁判所で彼らに対面するという挑戦か、さもなくばその事がもたらす結果に直面する事を受け入れていたろう。私は私自身が秘密書類を幇助したり、外交政策の私的な調停役になったり、その進行の最中に姿を消したり、リタイアしていたとは想像しがたい。アサンジについて知るべき事は全て、John F. Burnsによる彼のプロフィールのなかに、そしてそれに対する彼のショッキングなほど悪漢めいた返答のなかにあるのだ。この男が、少しばかりの几帳面さ(があるとすれば)と隠しきれないアジェンダ(政治的信条)を抱いた小っぽけな誇大妄想狂であることは、一目瞭然だ。私は以前にも書いたが、彼が、彼の目的を、「二つの戦争を終わらせること」だというとき、彼の言う「終わらせる」とはどういう意味なのかを、一時に知る事になる。彼は彼のファンタジーのなかではある種のゲリラ戦士なのだろうが、現実の世界では彼は、彼を育てた市民社会を怒らせるミドルマン(仲買人、仲介業者)、行商人に過ぎない。この月曜日に、New York Timesは2つの別々のニュース記事のなかで、彼の小さな陰謀を、「反秘密(anti-secrecy)」 「内部告発whistle-blowing」の装いがあると呼んだ。そうした間抜けな是認をするのは…最低でも─たとえ我々が皆、彼が不正手段で得た品物の市場を我々自身で助けてしまうにせよ─ 愉快犯のジュリアンには控えられるべきだ…。

http://www.slate.com/id/2276857/

Thursday, October 21, 2010

「神の党」はどのようにして、レバノン最強の勢力になったのか?/ How the Party of God became Lebanon's most powerful faction- By Christopher Hitchens

「神の党」はどのようにして、レバノンで最強の勢力になったのか<ヒズボラの進化> By クリストファー・ヒッチンズ (10/18, Slate.com)

 1970年代のなかばから末にかけ、レバノンでイスラエルとPLOが消耗戦を続けるなかで、長らく脇に追いやられていたレバノンのシーア派がみずからを再組織化していたとき、私は南レバノンから記事を書きながら、その地にイランの軍事勢力が目立たず存在していることを知った。
 
 それらの軍は、つねに神の代理人・シーア派の聖なる保護者を自認していたイランのシャー(彼のことを、我々は忘れがちだが)によって派遣されていた。

 そのころ私の気づいていた以上の先見の明をもってコメントするなら、彼らは彼らの故郷に早く戻って、ピーコックの如き王位を護るべきだったのだ。

 その当時はイランのどんな国家元首も、イスラエルとの国境が叫べば届くような距離にある多文化的なレバノンを全権大使として訪れ、その行路中ずっと歓迎の宴で迎えられることは、まったく不可能だった。しかし先週、マフムード・アフマディネジャド大統領はそれを、ほとんど努力することなしに行なったのだ。

 その核軍備への違法な探求がもたらす深刻な不都合をなんとか逃れつつ、国民を無慈悲に抑圧し騙してきた彼は、「神の党(ヒズボラ)」のパトロン(後援者)として、中立的なその領土にあらわれることができた、なぜなら、彼のイランの政権とヒズボラがイスラエル国家に対する態度を共有しているからだ…イスラエルによるすべてのアラブ人に対する辛辣な軽蔑や、“穏健派”のモスリム(イスラエルと妥協さえも考える)に対するイスラエルの辛辣な軽蔑に対抗する、その慈悲のない態度を分かち合っているからだ。

 ある意味で、ヒズボラとその後援者たちのよりドラマチックな進化の度合いは、わずか数年前との状況変化のなかにみられる。2005年の2月、レバノンの前首相ラフィク・ハリリが白昼に粉々に吹き飛ばされ、彼の暗殺にひき続いて、同国でのシリアの存在に批判的な態度をとりつづけた政治家・ジャーナリストたちが幾人も暗殺された。この犯罪性に対する民主的な国民の反発は大きく、ダマスカスの政権はその占領軍の撤退を余儀なくされ、そしてハリリの暗殺へのシリアのバース党の関与や、彼らの聖なるヒズボラの代理人、及びそのテヘランの代理人などの関与も指摘されていた事について捜査を行う(国連の)国際法廷が開かれた。私が思うには─(この時期には)サダム・フセインの凋落にはずみを得て、またこの法廷関連の国連決議へのフランスの支持にも助けられ、この地域での米国の名声がとても高まっていた。

 そして今、話の続きをみてみよう。レバノンのその他のすべての政党や、キリスト教徒からドゥルーズ教徒に至るすべて勢力のリーダーたちは、ヒズボラのリーダー・ハッサン・ナスララの名を聞いて震え上がった。一度は誇示されながら、長い休止状態に陥った国際法廷は、彼らの発見した事実がシリア、またはヒズボラにとって厄介なものだと判明したなら暴力で対処されるという、かなり確実性の高い脅しの先制攻撃を受けた。暗殺されたハリリの息子は、前に暗殺されたドゥルーズ党のリーダーKamal Jumblattの息子と同様に、雄鶏野郎のバシャール・アサド(シリア大統領:その家族がほぼ間違いなく彼らの首長を殺したはずの)に対して、最も品位を落とすようなやり方で「いい顔をする」、ことを強要された。そして、神の党は2つの拒否権を獲得した─ひとつは彼らが勝利していないいかなるレバノンの選挙をも拒否する権利、そしてレバノン領からのイスラエルとの次なる戦争を始めるタイミングについての拒否権を。

 何が、このきわ立った逆転をもたらしたのか?最初の原因は、イスラエルが賢いヒズボラの挑発行為(そうした反応を引き起こす狙いで、イスラエル兵たちを急襲して誘拐した事がほぼ確実な)に呼応して行った、2006年の愚かな介入行為だ。2つ目の原因は、米国の側がレバノンで明白な権益を失ったことだ。3月14日連合─ハリリ暗殺後に彼らが相互に連絡しあって蜂起した対シリアの勝利の日にちなみ名づけられた─は分裂し、セクト主義と無力さに後退した。そしてレバノンの慎重なる(賢明な)市民たちが、…シリアにこれほど近いイランに前核保有状態の地域的大国のように振るまわせ、屈辱をうけたワシントンにイスラエル・パレスチナの「和平プロセス」での予測された惨めな失敗ですべての努力を無駄にさせつつ、この新たな荒涼とした現実に適応を始めようとしない、などということがあるだろうか?

 この新たなリアリティの輪郭をThanassis Cambanisの本は気のめいるほどみごとに描いている。 その本、「A Privilege To Die」は、ヒズボラが何とかして、虐げられた党であると同時にこの地域の最も退化した2人の専制君主たちの傀儡にもなっていると、目覚しい筆致で描いている。ヒズボラのシリアとの共犯性、また彼らが罪のない者へのイスラエルの絶望的な反撃を促したことが(国際法廷で)さらけ出されて間もなく、私はベイルートを訪れ、自分らしからずも、この町の南方で行われたナスララの政治集会のひとつの規律ある熱気に印象を受けた。Cambanisはこのトリックがどのようになされたかを示した。貴方はそれを彼らの「ソフト」パワーと呼ぶかもだが、神の党は破壊されたスラムを再建し、社会福祉と教育をもたらし、そして子供たちを彼らのバージョンのボーイ・スカウト運動(今回は、殉教と復讐に捧げられた)にリクルートしていた。その「ハード」パワーにおいては彼らの達成を疑うような者には誰にも起こりうる状況というものを、コンスタントに肝に銘じさせていた。彼らは、その精通しているメディアを利用して、ユダヤ人へのスリリングな人種的・宗教的憎悪のメニューを提供させていた。そしてイスラエル北境の前線に位置するステータスで、すべての他の「穏健な」政権を、アラブとモスリムの名誉回復のために犠牲を払う気のない、卑怯な骨抜きの政権のようにみせかけ、それらの政権の怒りをかっていた。多くのスンニ派のアラブはヒズボラを憎み、嫌悪しているが、誰もがそれを怖れないわけには行かず、それゆえ尊重しており、そのことをナスララも最も重要なことだと捉えている。

 ギリシャ伝説ではAntaeusという名前の戦士が、地面に投げ飛ばされたときにさえ地球から強い力を得ていた。それを知ったヘラキュレスはこれを、レスラーとしての弱点を克服するために利用した。ヒズボラは死を愛し、敗北と災厄のなかから再び繁栄し、そして国家の中の国家という地位から急速に、かつて一度は中東で最もコスモポリタンで民主的だった国家の支配者になろうとしている。そんななかで、前のスーパーパワー(超大国)─ヘラキュレスではなく─はそれ自身がイスラエルの右派のなかの、一部の狂信者グループがちっぽけな土地強奪をしている卑しい一派の人質、笑いの種にされるのを許している。わずか数年前までは、このこともまたとても信じがたく、恥辱的で、許しがたくおもわれたにも関わらず。
http://www.slate.com/id/2271511/pagenum/all/

Monday, September 6, 2010

モスクを脅すマウマウ団?/Mau-Mauing the Mosque- The dispute over the "Ground Zero mosque" is an object lesson in how not to resist intolerance.- By C.Hitchens


モスクを脅す、マウマウ団?
「グラウンド・ゼロ」のモスク論議…それは非寛容に対しては抵抗しない、という実例だ
By クリストファー・ヒッチンズ (8/9, Slate.com)


 

 ローワー・マンハッタンの「グラウンド・ゼロ」の地へのイスラム・センター建設に関する論議はいま、2001年9月のあの酷い日の記憶と、その犠牲者たちにとっては本当に恥さらしともいえるほどの、ばかばかしいレベルへと沈み込んでいる。そのモスク、あるいはマドラサとは、崩れたタワー群のあったその場所かあるいは、かつて一度は巨大な墓場であった場所の物質が粉砕されたその真上に提案されている、と誰もが気づくだろう。(実際、我々がこの十年来、その場所でできたことというのは、殆ど何の建築的な進展もない、巨大な、騒音に満ちた汚い穴を創ってきたというだけなのだ。たぶん、このコルドバ・ハウスの提案というものの相対的なスピードの素早さに対する反感は、このローカルかつ、全米的な不面目さに対する戸惑いというものが無意識にもたらしている副産物なのだろう)

  私には、コルドバ・イニシアチブやその運営者たちに、特に好感をもっている点などない。そこの噂のイマームであるFeisal Abdul Raufは、過去に、あの新奇な残虐事件について多くのいかがわしい、ぞっとする発言をしてきたそうなのだ。9月11日の少し後に、彼は"60Minutes" (CBSのinterview番組)に対して「私は、米国がこのような事件が起こることに相応しかったとは言わないが、しかし米国の政策はこのような犯罪のアクセサリーとなるものだった」、と語り、またこうも付け加えた、「もっとも直接的な意味で、オサマ・ビン・ラディンとはメイド・イン・USAなのだ」、などと。そしてもっと最近では、彼は人種差別主義と全体主義を奉ずるハマス党に対し、それよりも厳格ではないテロリストという罪名をきせることをも断った。我々には、そのような捻じ曲げや婉曲表現、言い抜けをする者たちというのはお馴染みだ…彼らの主張の多くが、生焼けの世俗的なキリスト教徒のスポークスマンによって繰り返されていることで。広く拡大している文化的な萎縮の感覚というものは、人々に、何が本当の事なのかへの挑戦を水で薄めるためには、Raufのような「穏健派」と付き合うのがよいだろうと、半信半疑で信ぜよと、駆り立てている…だが、平和と静けさを得たいのならば、コメディ・セントラルに自らの放送番組への検閲をさせるとか、米国中のプレス・メディアにデンマーク製のマンガを掲載しないように拒絶させたらどうなのだろうか? (*関連記事:サウスパークでも駄目? -
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010_04_01_archive.html


 このようなことには、降伏をせず継続して戦い続けるべきなのだ。しかしここには、それに対してまさに、いかに抵抗しないか、という課題ばかりがある。例えば、広くメディアに流れた、名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League)の全米ディレクターAbraham Foxmanの見解をみるがいい。コルドバ・ハウスに反対するこうした9月11日の犠牲者の遺族たちを支持して、彼は「ファイナル・ソリューション(ナチのユダヤ人虐殺政策)」との愚かしい喩え話までして、こう言った、ホロコーストを生き延びた人々と同じように、「彼らの苦悩というものが彼ら自身に、他の人々からみたら非理性的だとか、頑迷だとかいうような立場に立つ資格も与えるのだ」と─ (*関連記事: http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/08/debate-heats-up-about-mosque-near.html
グラウンド・ゼロ・モスクへの議論がヒートアップ)
 この割れたしわがれ声は、Newt GingrichとSarah Palinによっても引き継がれて…彼らはこれに加えて911の遺族でもない何百万もの米国人の抱く感情を彼らが腹話術によって代弁している、と主張した。このことは、通常は感傷に陥らないWeekly Standard紙の社説にさえ影響を与え、同紙は米国人の大多数が3対1の割合でコルドバ・ハウスを”侮辱的”だ、と考えているということを根拠に、オバマ大統領がそれを非難するべきだ、と求めた。

 このような半分感傷的で、半分悪意ある扇動のためのアピールに関しては、どう言ったらよいのだろう。それはモスリムが文化的な脅迫行為をしている、という芝居の脚本のストレートな引用なのだ: あるものが「侮辱的」だと呼び、そしてそのような仮定自体が、自動的に論議になったかのように見せかける。あなたはFoxmanの唱えたように、(単純に)怒りを発する事は「非理性的で頑迷」な立場だ、とも認める。しかし─ほら、彼らがそんなことを感じるというときにどうして物を考えられる?その、911の遺族たちが抱いているという「感情」というものを理由に、すでに我々の全てからテロ攻撃の際にリアルタイムで撮られた映像を見られる機会も、奪い去られた─それは、純粋な怒りの記憶の維持には、どんな落ち着き(覚醒的な態度)が必要かに対して大衆的な感覚が鈍くなることへの巨大な譲歩だ。そして今や、インスタント式世論調査の示した多数派に、余計な特権が付与されねばならなくなりそうだ。それだけでなく、大統領までそのオフィスを宗教的建築の建設の可否を決めるのに使わされそうになっている。

 First Amendment(憲法の修正第1条項:信教の自由と言論の自由)の精神や文面、または「Wall of separation(W.ジェファーソンの言葉、政治と教会を分離する壁)」の原則から、これほどかけ離れたものはない。Foxmanはその一貫性のない声明のなかで、もしもコルドバ・ハウスが「一マイル先」に建設される予定ならば問題はなかったなどと指摘した。彼はその敷地の古いビルには、すでに近隣のMasjid al-Farahモスクから溢れた人たちが住み着いていることを知らなかったようだ。

 私は、コルドバという名前を選んだことすら、このもくろみに反対するキリスト教徒たちの幾人かを立腹させたと知った。イスラム教徒が南スペインを征服して以降、このアンダルシアの素晴らしい都市はいうまでもなく、失われたイスラム宗主国カリファテの首都として、今日のジハード主義者たちが再興をその血に誓っている地だ。そしてカトリック教徒によるのレコンキスタの後、そこでは宗教裁判の創始者たちよってアラブ人とユダヤ人による全ての影響は拭い去られてきた。しかしこうした二つの帝国主義の合い間に、その都市はまた、Averroes ibn-Rushd とMoses Maimonidesの名前を最も想いださせる驚くべき文化的な統合都市になった(そのテーマで書かれた最良の本は、María Rosa Menocal'の“The Ornament of the World”だ) ここでは哲学と医学、そして建築が開花し、何よりもアリストテレスの仕事を復興した。我々は、この高貴な名をローワー・マンハッタンのプロジェクトのために借用する者たちには良き信念があると自動的に仮定することはできない。そこには、資金の調達元やその教育プログラムの内容の透明性に関する保証が求められる。しかし、そうした申し入れに応えるには、批判的な眼による精密な検査と関与が必要で、安っぽい郷党心(地方根性parochialism)や被害者学(vincimology)、不合理さ(無秩序さ、unreason)などに訴えるべきではない。
http://www.slate.com/id/2263334/pagenum/all/

*Mau-mauは英語で「脅す」の意味に使う…1960年までに鎮圧されたケニアのMau-Mau団が語源?その昔日本の子供向けTVアニメにもよく登場していたのでは…?
“Mau Mau Uprisingは、英国の植民地だったケニア(英国領東アフリカ)で1952年から1960年に起こった民族主義的独立運動。ケニア最大民族であるキクユ族を中心とする人々がケニア土地自由軍(KLFA)を結成し、1952年から各地の白人農場、警察署、政府軍用地、親植民地派のケニア人を襲撃した。軍事的にはこの襲撃は失敗に終わったが、結果としてケニア独立を早めることとなった。「マウマウ団」はこの結社に対する英国側の呼称<Wikipedia>


 

Wednesday, August 11, 2010

How the ground zero mosque site neighborhood looks like..









「グラウンド・ゼロ・モスク」への論議がヒートアップ…Debate Heats Up About Mosque Near Ground Zero


 グラウンド・ゼロ・モスクのデベロッパーとは:そのムスリム同朋団のルーツと、急進的な夢─ 


by Alyssa A. Lappen (5/14, PajamasMedia)

 グラウンド・ゼロから600フィートの地点での、1億ドルをかけた13階建てモスクの未来のデベロッパーは、彼自身を穏健派のムスリムだと称する。…しかし、クウェート生まれのFaisal Abdul Raufは、彼が「エジプトで宗教的な学問研究に没頭していた家族」の出身だ、といって誇らしげだ。確かに、Faisal Raufの出所であるムスリム同朋団とは、”急進的”と定義されているとおりの、正統的なものだ。(*写真:モスクの計画立案者、Faisal Abdul Rauf)

 Raufの父・Dr. Muhammad Abdul Rauf (1917-2004)は、ムスリム同朋団の設立者Hassan al-Bannaのエジプトでの現代版、といえる人物だった─ 彼はFeisalに対して、イスラムにおけるバチカンでもあるAl-Azhar Universityで彼が獲得した、一族の長いラディカリズムの伝統を伝えた。父Dr.Raufは、1948年にエジプトから逃れるまでそこで学び、教えていた。その年に、Feisal Abdul Raufはクウェートで生まれた。

 Feisal Raufは彼の父の唱えたイスラムの米国への拡張主義を、いつの日か実践しようと考えていた。1990年にRaufはローワー・マンハッタンの245 West Broadwayで、小さな al-Farah モスクを開業した。 (*註:グラウンド・ゼロから12ブロックの地点)地域の住民たちは、2006年にNY州の酒類局が同じブロックでの新しいバーの開業ライセンス認可を拒否し、他の店の認可も取り下げようとしたときまで、そのモスクに気づきもしなかった。

 Raufの経歴では英国とマレーシアでグラマー・スクールと高校に通った、とある。彼はおそらく1965年、17歳の時に、彼の父がマレーシアから米国に…NYでのイスラム文化センターの建設を考えて移住した際、初めて米国に住んだにすぎない(その建設は1980年代半ばまでは実現しなかった)。Raufはその後、コロンビア大学において科学の学士号を取得、1971年に家族はワシントンDCに移り、その地でRaufの父はMassachusetts Aveにイスラム・センターを設立した。彼の父はメリーランド州のSuitlandのfor-profit Washington 国立墓地に埋葬されたが…彼はマレーシアでも、3つのイスラム研究プログラム(マレーシア国際イスラム大学を含む)を設立している。

 Raufの英国で受けた初等教育と、米国のポップカルチャーへの親しみによるその価値観は、彼をイスラムのtaqiyya(イスラムへの興味とその優位性を進めるための、欺瞞的スピーチや行為…)に、強烈に熟練した伝道師となした─そうしたイスラム的な一層の邁進のためにRaufは1997年にAmerican Society for Muslim Advancement (ASMA)を設立したが、カシミール生まれの彼の妻でインテリアデザイナーを職業とするDaisy Kahnが、その組織を2005年以来経営している。

 Raufはその後、新たな影響力拡大を試み始めた。2002年の夏前後に、Raufはニューヨーク南西部のシャータクワ郡の、創立136年になる非営利の夏期講習会の宗教学ディレクター、Joan Brown Campbell女史の傘下へと入り、750エーカーのそのNYキャンパスでイスラムを講義し始めた。「アブラハムの」信仰に関する、という朱色のただし書きはRaufのイスラムの布教活動を都合よく隠蔽したが、Campbellはその後彼を未来のムスリム・ハウスのリーダーに任命した…その計画は今やそのキャンパスで、Raufのもうひとつの創作物である501(3)c organization Muslim Friends of Chautauquaによって進められている。Raufは元英国出身の尼僧で、熱心なイスラム教徒に改宗したKaren Armstrongとも親交を持った。

 2002年に「大学のレジデント神学研究員」としてArmstrongは(次のように)ムスリム同朋団を擁護した─まるで、すべてのイスラム教徒テロリストの父である組織が、進歩的なチャリティ組織か何かであるように…。

 [The MB](ムスリム同朋団)は弾圧を受ける以前は、素晴らしい福祉プログラムを実施していた…ムスリムが働ける工場では、祈りの時間やバカンスの時間がもうけられ、保険や労働法の知識を学び、診療所を設け、彼らは人々にどうやって汚水や排水を処理するかについて教えた…また、庶民たちがイスラム教社会のなかで近代化の恩恵を受けるべく、試みるのも常に宗教の役目であることが人々にとっても理に叶い、物事をよりバランスのとれたものにしていた。

 2003年にRaufはデンバーのAspen Instituteのリーダーたちと知り合った…その中には前エグゼクティブ・ディレクターと、アスペン市長を4期務めたJohn S. Bennetがいた。2004年にASMAのサポートのもとで、Raufは125人の若いムスリムからなる会議を開催しMuslim Leaders of Tomorrowを結成した。Bennetの助力のもとに、彼はアスペンで…ムスリムと西欧の関係の“改善“を意図したCordoba Initiativeをも設立した。Raufは多くの他のリベラル組織から資金援助を得たが、その中には例えばGloria Steinem(*米国の女性解放運動家)のMs. Foundationもあった。

 しかし、RaufはSydney Morning Heraldインタービューで、彼の和解的な態度に全く反した発言をしている。テロリズムとは、と彼は言った…西欧がムスリム世界に与えてきた害を認識しない限り終わらない、と。 (http://www.smh.com.au/articles/2004/03/21/1079789939987.html

 第2次大戦での西欧の役割は、厳密にみて自衛的なもので、まったく宗教的なものではなかった(はずだ)。しかしさらに、Raufの議論は─これは2009年12月〈Raufの妻の〉Daisy KahnがFoxNewsのLaura Ingrahamとのインタビューで一層うまく言い逃れ(潤色、美化)していたことだが、7世紀から16世紀まで中東やヨーロッパ、中央アジアやインドで続いた、イスラムによる非イスラム教徒への攻撃を無視していた。Raufは2006年にコペンハーゲンで彼が開いたMuslim Leaders of Tomorrowの会合で、さらに彼の敵対的な感情を表明した。彼の穏健な口実を強化すべく、Irshad ManjiやMona Eltahawyのようなリベラル派のムスリムを招いたりした。しかしMuslim Leaders of TomorrowはまたYasir Qadhiのようなムスリム同胞団の北米イスラム協会(Islamic Society of North America)のお気に入りの論者、またハマスの米国支部で、それ自体が未起訴のテロリスト資金援助団体 the Council on American-Islamic Relations (CAIR)と強い関係をもつDhaba “Debbie” Almontasserなども招いた…
 (以下続く…)
http://pajamasmedia.com/blog/the-ground-zero-mosque-developer-muslim-brotherhood-roots-radical-dreams/


↑*これはモスク反対派の人々が槍玉に挙げている、計画の資金源への疑惑や首謀者ラウフのルーツに関して詳しく暴露する記事だ…


*「ムスリム同胞団」: 1928年イスマイリアで「イスラームのために奉仕するムスリムの同胞たち」として、ハサン・アル=バンナーが結成。イスラーム主義組織としては20世紀最古、最大の影響力を有する。1940年代に隆盛したが、ナーセル政権の下で弾圧された(…現在のエジプトの事実上の最大野党。中東全域に広がるスンナ派の社会運動・宗教運動ともなっている)
ハマースはアフマド・ヤースィーンが同胞団パレスチナ支部の武装闘争部門として結成した…。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A0%E5%90%8C%E8%83%9E%E5%9B%A3
*ハマスのルーツはイスラエルが建国当初パレスチナ人のために作った互助会組織ともいわれるが…

グラウンド・ゼロ近くのモスクについての議論がヒートアップしている -
By マイケル・バルバロ (7/31、NYタイムス)
 
 

 影響力のあるユダヤ人団体がこの金曜日(7月29日)に、ローワー・マンハッタンのグラウンド・ゼロの北2ブロックの地にイスラム・センターとモスクを建設するという提案への反感を表明した。この提案は、信教の自由と9月11日のテロリスト攻撃の意味をめぐる全国的な激しい議論を惹きおこしている。

 その団体、名誉毀損防止同盟(ADL)の主張は─ イスラム過激派が約2,750人を殺害した場所近くでのセンター建設を歓迎し、この国の寛容性と価値観を表わすべきだ、と論じている幅広い宗教的グループ層からの、怒りのReactionを触発した。

 しかし主流派グループのADLが(反論と同時に)、モスリム・センターの計画を攻撃する行為に対しては頑迷さをみとめ、それを非難した、という予期せぬ動きは、このプロジェクトに関する論争における十分な転換点にもなりうる。

 グラウンド・ゼロがゆっくりと、その街を織り成す繊維のなかに戻りつつあるニューヨークでは、政府関係者たちが、礼拝のスペースやパーフォーミング・アーツ・センター、プールやレストランをも含む15階建てコンプレックス(複合施設)のスプロール化(街の不規則な増殖、拡大…)のプランに対して認可を下す準備があるように見える。

 しかし共和党リーダーたちや’08年の選挙戦の副大統領候補・Sarah Palinなど保守派評論家によって喚起された反対の声は、全米で高まっている─ 彼らは「平和を求めるイスラム教徒」たちが、このセンターの建設を「必要のない挑発」として拒絶してほしい、と求めている。政治的行動を促すある共和党の委員会は、この計画を非難するTVCMを流している。前・上院議長、Newt Gingrichも、スピーチのなかでそれを非難し続けている。

 この複合施設の計画が、ローカルなゾーニング・プランの議論から全国的な住民投票の域に急速に進化したことは、WTCの敷地が事件後9年たった今でも、未だに未解決の集中的な感情に取り巻かれていることを示している。

 多くのニューヨーカーにとって、特にマンハッタンでは、ここは毎日の通勤の際に通り過ぎ、オフィスの窓からちらりと眺める建設用のサイトだ。シティの外の人々にとってはそれはシールドされ、記憶されるべき神聖な戦場のようなものだ。

 このプロジェクトに反論する者たちは、グラウンド・ゼロのこれほど近くでのムスリムの礼拝施設の建設が、少なくともここで死んだ人たちの遺族を傷つけ(侮辱し)、悪くすれば、イスラム過激派が米国に打撃を与えたとの達成を記念する、攻撃的な行為となると論じている。

 「WTCでは南北戦争以来、最大数の米国人の生命が失われた」とGingrich氏は唱える。「そして我々が未だにそれを再建していないことが人々を怒らせる。そんな中で我々はこう聞かされる、ここに13階建てのモスクとコミュニティ・センターを立てませんか?などと…。」

 彼は言う:「平均的なアメリカ人は、この計画は即ち政治的声明だと考えている。これは宗教に関するものではなく、それは明白に、攻撃的で気分を害する計画なのだ」

 WTCの犠牲者の数人の遺族たちは計画への反対表明に力を入れ、これが埋葬地でもあるこの地の神聖を汚すものになる、という。「もし私がこの地を眺めてそこにモスクをみたら、私の心は傷つくだろう」と、911で息子Peterを失ったC. Lee Hansonが最近の公聴会で述べた、「それは、どこか別の場所に建ててほしい」、と。

 この計画を擁護する者たちは、過熱する反対論に戸惑い、狼狽している。彼らは、推定1億ドルのコストを要すると思われるそのプロジェクトがムスリムと非ムスリムの間の亀裂の橋渡しを意図によるもので、亀裂を広げるものではないと論じる。

 センターのプログラミング・ディレクター、Oz Sultanは、この複合施設がマンハッタンに点在するユダヤ人コミュニティセンターやY.M.C.Aを真似たものだという。それはムスリムと、キリスト教徒、そしてユダヤ教リーダーたちからなる評議員会を持ち、そして穏健派イスラムの国民的モデルを意図するものだという。

 NY市の幹部、特にマイケル・ブルームバーグ市長はこの計画を、信教の自由の面から強く擁護し、政府は祈祷のための場所をどこに置くかを規制してはいけないと述べる。地域のコミュニティ評議会は、この計画に圧倒的な支持を与え、そして市の景観委員会(landmarks commission)は火曜日に同様な決定を下すと思われる。 (*実際に委員会は8月3日に建設の公式な許可を決定した)

 「米国の偉大なところとは…特にニューヨークに関しては、すべての人を歓迎することだ─そして我々がもしもこのような事に対して恐れたなら、それは我々について何を語ることになるのだろう?」と最近、市長は問いかけた。「民主主義はこれよりも強い」と彼は付け加えた。「そしてこのことに対してもしもノーと言うなら、それは…私が思うに、不適切な発言だというのが最適な言い方だろう」

 …それでもムスリム・センターに対する議論は反響し続けている。世論調査は過半数の米国人がこの計画に反対だと示している。

 ニューヨーク市の2人の有力な共和党知事候補、Rick A. LazioとCarl Paladinoは、これを彼らの選挙キャンペーンの主要イッシューと捉え、州の司法長官Andrew M. Cuomo(彼もまた民主党の知事候補者と目される)がこのプロジェクトの資金源を余り積極的に捜査していないことを非難している。

 ノースカロライナではやはり、元・海兵隊員の共和党議員候補Ilario Pantanoがこの件を選挙キャンペーンで取り上げ、この件がグラウンド・ゼロから600マイル離れた彼の選挙区の選挙民たちを触発している、と語る。 (*写真はPantano氏とモスク計画への反対者たち)

 数日前にSalemburgという小さな町のピザ・ショップで、彼はこの提案に対し養豚農業者たちと退役軍人たちを前に熱烈な攻撃を行った。「この提案に対しては一様に、部屋中に嫌悪感と軽蔑が漂っていた」とPantano氏は述べる。

 この件はかつて反イスラムの(差別的)感情に対して反対の声を上げていたADL〈名誉毀損防止同盟〉にとっては苦痛を伴うイッシューだった。しかしその全米ディレクターのAbraham H. Foxmanは金曜日のインタビューで、彼らの組織はそのモスク計画の場所が9月11日のテロの犠牲者の家族の感情を逆なでするとの結論に達したと述べて、そしてその計画の支持者たちは「1マイル先」に場所を探すべきだ、と指摘した。

 「それは間違った場所だ」Foxman氏は言う、「別の場所を探すべきだ」

 何故そのように犠牲者の家族たちによる反対がその決定にとって重要なのか、と聞かれて、ホロコーストを生き延びたサバイバーのFoxman氏は、彼らには彼らの感情を抱く権利がある、と述べた。

 「ホロコーストの生存者たちはそれが非理性的だと言われるような感覚も、持つ権利がある」と彼は言った。911のテロに命を奪われた愛する人々について彼は、「彼らの苦悩は彼らに、他の人たちから見れば非理性的だとか、頑迷だなどと呼ばれる立場に立つ権利を与える」

 ADLの声明はほとんど、即座に批判を呼んだ。

 「ADLは自らを恥ずべきだ」、と異なる民族間・異なる宗教間の対話を進めているNational Jewish Center for Learning and LeadershipのリーダーのRabbi Irwin Kulaは言った。イスラムセンターの計画を提案するFeisal Abdul Raufについて彼は、「(Raufなどの)ムスリム・コミュニティーの穏健派リーダーたちに対して、ここで我々が、一歩前に進むことを勧めていたのだ、しかし彼らのうちの一人がそれを行ったとき、彼は疑惑の眼で迎えられた…」

 金曜日には提案中のムスリム・センターのプログラム・ディレクターのSultan氏が、そのニュースに驚きと悲しみを表明した。911のテロの犠牲者家族に関するFoxman氏の言葉を聞かされて彼は「そのような反応は我々も予想していた」、と言う。彼は、9月11日にはツイン・タワーで働いていたり、またその事件に対処したりしていたムスリムたちもまた犠牲になったのだ、と語った。 http://www.nytimes.com/2010/07/31/nyregion/31mosque.html

*Cordoba House予定地はグラウンド・ゼロから徒歩3分~5分







http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-16640420100804
9・11跡地近くでのモスク建設、NY市が認可の判断
Mosque Plan Clears Hurdle in New York
http://www.nytimes.com/2010/08/04/nyregion/04mosque.html?ref=us


全米各地で、地元の新らしいモスク建設に対する反対運動が過熱?
http://www.nytimes.com/2010/08/08/us/08mosque.html?scp=1&sq=Across%20Nation,%20Mosque%20Projects%20Meet%20Opposition&st=cse
Across Nation, Mosque Projects Meet Opposition

グラウンド・ゼロ近くの建設予定地、モスクではなくコミュニティセンターと主張
http://ameblo.jp/scalar/entry-10611593635.html

8月10日「NY州のパターソン知事がモスク計画用地として、グラウンド・ゼロからより遠い場所の、州所有地をオファーする可能性を表明」
…翌11日にはブルームバーグ市長が、そのパターソン知事の代替地提案の件を払いのけた?
http://cityroom.blogs.nytimes.com/2010/08/11/bloomberg-brushes-aside-paterson-proposal-for-mosque/?scp=6&sq=What%20a%20Mosque%20Says%20About%20New%20York%20&st=cse







Sunday, August 8, 2010

「グラウンド・ゼロ・モスク」のイマーム、ユダヤ系米国人からの支持に感謝/ 'Ground Zero mosque' Imam thanks U.S. Jews for support- By Natasha Mozgovaya


「グラウンド・ゼロ・モスク」のイマーム、ファイサル・アブドル・ラウフ、ユダヤ系米国人からの支持に感謝を表明─

─ADL(名誉毀損防止同盟)は、グラウンド・ゼロ近くのモスクの建設は「逆効果」と非難。
一方"J Street"は1万名以上のモスク支持者から署名を集めた─

(By Natasha Mozgovaya 、8/4,  Ha'aretz)
(*写真は45 Park Placeでモスク計画の支持を訴えるユダヤ教ラビ、Arthur Waskow氏)

 グラウンド・ゼロから2ブロックの地点におけるモスク建設計画の主導者、イマームFeisal Abdul Raufは、この火曜日、広範にひろがる反対の声の中でイスラムセンターの計画を支持してくれたユダヤ系米国人たちへの感謝を表明した。

 「私は、ユダヤ人の友人、同僚たちによる、この厚意に満ちたジェスチャー(身ぶり)と支援に心からの感謝を表明する」、と彼は述べた。「貴方がたによる支持はユダヤとムスリムの文明が過去に分かち合ってきた相互協力の偉大な歴史と、相互理解を反映し、全ての米国人の間で今後も継続する我々相互の対話の永続的な成功と、宗教の自由や寛容性・協力関係への献身のあかしでありつづける…」 

 ニューヨーク市のエリアでは、米国ムスリム前進協会(American Society for Muslim Advancement)と、コルドバ・イニシアティブ(Cordoba Initiative)と呼ばれるイスラム系グループがグラウンド・ゼロから2ブロック地点に計画中の、この13階建てイスラム・センターとモスクの1億ドルをかけた建設プランへの感情がヒートアップしている。

 このほかの挑発的な面としては、911のテロ攻撃の10周年を期した新たなイスラムセンター開設の計画であること、またその資金の大半がサウジアラビアとフォード財団に負っていることがある。

 土曜日に、(ユダヤ人団体)「ADL(名誉毀損防止同盟)」はこの計画は「逆効果だ…」としつつも、大目にみる声明を発した。

 「グラウンド・ゼロ・モスク」計画として知られるようになった…このコルドバ・イニシアティブのNYCプロジェクトは、国中での論議を過熱させてきたが…先週の水曜日以来、議論はユダヤ人団体を中心としたものにシフトしてきている。

 ADLは…我々は宗教の自由を支持し、頑迷さを拒絶する、と強調した─(しかし、ADLは)新たなイスラム教センターに選ばれたこの場所が、センシティブなサイトであることを鑑みて、コルドバ・イニシアティブがモスクを含む13階建てのイスラム・コミュニティー・センターを911現場から2ブロック先に建てたいとの主張は「逆効果、counterproductiveだ」、と評した…それでも、その声明文のなかでは「イスラム・センターの提案者はここにそれを建設するあらゆる法的権利を有するかも知れず、彼らはイスラム教についてのポジティブなメッセージすらも発するためにこの場所を選んだかも知れない」、とつけ加えた。

 それでもリベラルなユダヤ人たちは即座にADLの声明を「偽善的」と非難し、それは彼らによる最近の決断と、彼らの宣言するミッションを害するものだとした。親イスラエルのロビー・グループ、JStreetは、1万人以上のモスク支持者の署名を集め、コルドバ・ハウス建設に関する議決がなされるよりも前に、それをNY市の歴史的建造物保存委員会に提出したのだ(同委員会は、全会一致でこの地の〔*911の遺構として建物に手をつけないとの〕景観保存規制には反対票を投じた)

 「米国のムスリムたちが、米国中のユダヤ人コミュニティ・センターをモデルに、ローワー・マンハッタンにコミュニティ・センターを建設しようとの計画に対する反対意見に驚愕し、J Streetは信教の自由への支持と、反ムスリムの頑迷な考えに反対する署名を集めている」とJ Streetはそのウェブサイト上で表明した。

 リベラル誌「Tikkun」〈イスラエルの著名な宗教系雑誌〉の編集者、ラビMichael Lernerは、ADLの決定は「恥ずべき」ものだとし、「ADLのリーダーAbe Foxmanは、彼らの組織が差別と戦う立場をとると表明しつつも、その公式声明は相手を攻撃しつつ嘆いてみせているという、完璧な例にすぎない」と言って批判した。

 Shalom Center の設立者のラビ、Arthur Waskowは、他の30人ほどのラビやユダヤ人リーダーたちと共にセンターの建設を支持し、支持者たちにFoxmanのオフィスにコンタクトをとって彼の組織が立場を変えるように働きかけて欲しい、と頼んだ。

 AJCもまた火曜日にコルドバ・イスラミック・センターは「建設される権利を有する」、と述べた─しかしその創立者たちに対しては、「彼らの資金源や、テロリストへの支援への懸念を表明してほしい」、と要請した。

 コネチカット州上院議員のジョー・リーバーマンは、センター建設にいくつかの条件をつけてほしいと要望し─基本的に、このセンターの建設が911の犠牲者の遺族や友人らにどのようなインパクトを与えるかの評価、またセンターのスポンサーたちの意図や、その資金源に関する更なる評価がなされるまでは、「このプロジェクトをストップして欲しい」と求めた。

 Park51プロジェクトのリーディング・デベロッパーであり、アッパー・マンハッタンのユダヤ人コミュニティ・センターのメンバーでもあるSharif el-Gamalはハーレツ紙に対して、彼が5年間にわたり、センターの建設を意図してそのビルを購入しようと試みてきたことが、このような注目を浴びるとは予想もしなかった、と語った。「私は10年近くにわたり、この近辺で物件を探していた。ニューヨークで不動産を見つけるのは容易ではないからだ」、と彼はいう。

 ユダヤ系の義理の姉妹をもつEl-Gamalはこう付け加えた─「このモスクは、より大きな施設の構成要素の一部となるが、他の施設とは切り離して非営利で運営される。そこにはジムやプール、レストランも作られる。スパや多目的施設、そしてまた911の犠牲者への顕彰するメモリアル・スペースも設けられる」と。 (*写真はEl-Gamal氏)

 モスクの計画を批判する者たちは、イマームのFeisel Abdul Rauf(モスクの計画提案者)が911のテロ発生の直後にCNNに対し「米国のポリシーとは、ここで起きた犯罪のアクセサリーのような物だった。我々(米国)は、世界で死んでいく多くの罪のない人々の命にとってのアクセサリーだった。オサマ・ビン・ラディンは米国によって作られた」などと語った、という事実を挙げている。

 こうした批判者たちの声に呼応してAbraham Foxmanはハーレツ紙に対し、彼の声明が「政治的な意図(アジェンダ)を持つ、全てのグループや人々によってねじ曲げられた」、と語った。
 「ADLの立場は非常に明白で、単純だ─ それはこの建設計画のロケーションと、感情的な過敏さ(センシティビティ)の問題であり、宗教の自由や、偏見に関する問題ではないのだ。カソリック協会がアウシュヴィッツの近くに祈祷のためのセンターを建設したいと言った時にも、我々はノーと言い、世界に呼びかけてこれに反対するように求めたのだ」、とFoxmanは言った。

 「(前法王の)ヨハネ・パウロ2世が彼らのセンターを(アウシュヴィッツから)1マイル離れた地に建設すことが可能だ、と言明したときまで、我々はアンチ・キリスト教だというレッテルを貼られていたが…実際、過去15年間、それはいかなる争い事もなくその場所に在ったのだ」、と彼はつけ加えた。
http://www.haaretz.com/jewish-world/ground-zero-mosque-imam-thanks-u-s-jews-for-support-1.305883
*NY市では許可が出されつつも、全米で反対の声があがるモスク計画に、↑イスラエルの中道リベラル紙ハーレツではこのような冷静な記事を掲載?

*世論調査(6/21-28)では過半数のNY市民がモスク計画に反対(クウイニピアク大学研究所調査、NY市の有権者 1,183 人回答)
http://www.nbcnewyork.com/news/local-beat/New-Yorkers-Oppose-Ground-Zero-Mosque-Poll-97602569.html
(*52%が反対、31%が賛成、17%が未決定。地域的にはリベラルなマンハッタン区では賛成者が多く反対者は僅か36%のみ、逆にスタッテン島では76%が反対)

*ADL(名誉毀損防止同盟)のモスク計画に対する声明文(7/28)
http://www.adl.org/PresRele/CvlRt_32/5820_32.htm
(計画に反対したとの解釈と、大目にみたとの両方の解釈がある…この地での建設案を非難しつつ、計画者にはすべての法的権利がありうると微妙に譲歩する?)

*多民族都市擁護派・ブルームバーグNY市長の「激烈な」モスク計画支持声明も話題に
http://www.youtube.com/watch?v=tQsHc1EHgQY

*6月6日のNY市でのモスク反対集会
http://www.youtube.com/watch#!v=VK1W4HDGa08&feature=related

*NYの辺鄙な島、スタッテン島コミュニティセンターでの反対者集会
http://www.youtube.com/watch#!v=j1ux4G7wMNc&feature=related

*グラウンド・ゼロ・モスクの設立者、RaufのFOXでのインタビュー
http://www.youtube.com/watch#!v=YTX_licVz88&feature=related
…Cordoba Instituteのチェアマン、Faisal Abdul Raufと911に現場で活躍したNYCの消防士Tim Brownが討論
Raufは以前からトライベッカにもモスクを持ち、911の後にはFBI当局の捜査にも協力、ムスリム社会と周囲の社会の関係改善に努力してきたと語る。最後にモスク計画の資金源を問われるが、NYの金融街で成功したムスリムなど彼らの組織の「多くの支持者」からのものだと語る?(討論が丁度時間切れとなる)

*昨年12月、Abdol Raufの妻Daisy KahnへのFOXのインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=q7WbTv_gsx4&feature=related

*コルドバ・イニシアティブのsite:Park51プロジェクト声明
http://www.cordobainitiative.org/

Saturday, July 31, 2010

今、話せる?…[CNN、オクタビア・ナスールを解雇] Can We Talk? - By THOMAS L. FRIEDMAN


今、話せる? By トーマス・L.フリードマン(7/16, NYタイムス)

 7月7日にCNNは、その中東問題関連のシニア・エディターOctavia Nasrを… 彼女が「自分はSayyed Mohammed Hussein Fadlallahの逝去をきいて悲しく思う」とTwitterのメッセージに書き込んで公表した後に、解雇した。
─Fadlallahとは、ヒズボラ武装組織の創立にも関与したレバノンで最も著名なシーア派の精神的リーダーの一人だが、Nasrは彼を「私が尊敬してやまない、ヒズボラの巨人の一人」と描写していた。

 私は、彼女の解雇には問題があると思う。…そう、彼女は過ちを犯した。スクープ記事のレポーターたちは、記事で扱ういかなる登場人物についても、個人的感情もまじえてはならない。それはメディアの信用性を損ねる。でも我々は、アラビア語を話すレバノン人キリスト教徒の女性ジャーナリストがCNNのために中東情勢をレポートしてくれることによって多大な恩恵を受けていたし、そして彼女が20年間に犯した唯一の罪がFadlallah のような複雑な人物に関して書いた140字のメッセージであるなら、彼女への制裁はより緩やかであるべきだ。彼女は1ヶ月ほどは謹慎すべきだったかも知れないが、でも解雇されるべきではなかった。そこにはいくつかの理由がある。

 まず始めに、それが我々にどう影響したのか?たった一言の動詞の誤用で、1時間以内にデジタル世界のリンチ・モブ(リンチ集団)があなたを追いかける─そしてあなたの上司たちが、状況を取り繕うべくスクランブル発進する。でもジャーナリストというものは、レポート上のミスや間違った言説の引用、記事の捏造や盗用、システム的な偏見などで、彼・彼女の職を失うべきもので─ このようなメッセージのために失うべきものではない。

 我々は、若い世代にどんなシグナルを送っているのだろうか?風向きに向かって帆を調整せよ、政治的公正さを持て、どこか特定の政治的支持層に非難を浴びるようなことを決して言うな。そしてあなたがもしも、政府関連の仕事や、全国的なジャーナリズムの仕事、あるいはハーバード大の学長の様な仕事をしたい望みがあるなら、安全に振る舞い、誰かを立腹させる可能性のある知的な挑戦などを決して行うな。あなたが言ったすべての言葉が永遠に検索可能になるグーグル時代には、未来とは、何も足跡を残さぬ者だけの手にあるのだ。

 また、そこには中東問題から見たアングルが存在する。もしも我々米国がレバノンやアフガニスタン、イラクにおいて行った介入から学ぶべきことがあるとすれば─それはこうした地域を知る米国人というものがいかに少ないか、ということだ。我々には彼らのニュアンスで情勢を生き生きと通訳してくれる通訳が必要なのだ。

 私は米国の侵攻後にバグダッドに居た、そしてブッシュが任命したこうした若い人間たちに会った─彼らは(Rajiv Chandrasekaranが“Imperial Life in the Emerald City”でも書いたように)しばしばブッシュに対して、100%忠実だったがゆえに選ばれた─たとえ、イラクについては100%無知だったとしても。彼らの無知さは、その地での我々の失敗というものを助けた。「米国の占領当局の仕事を探していた2人の人物がいうことには、彼らは彼ら自身のRoe v. Wadeに関する意見さえも問われていた」、とChandrasekaranは書いている。 (*'73年のRoe対Wadeの米最高裁判決以来、今に続くabortion right 堕胎の自由論争の代名詞¨ブッシュ政権は強いanti-abortionだった)

 私はOctavia Nasrにも、Fadlallaにも会ったことはない。Fadlallahは明らかにイスラエルを憎んでいて、イスラエル人に対する攻撃を支持し、米軍のレバノン及びイラクへの侵攻に対して反対していた。しかし彼はまた、ヒズボラの窒息的なドグマチズム(教条主義、独断主義)や、イランに対する従順さにも反対していた;彼はレバノンのシーア派が独立的でモダンであるよう望み、そして彼は彼の書く社会的な論評(commentary)を通じて、この地域で影響力を打ちたてていた。

 “Democracy: A Journal of Ideas”のエディター、Michael Tomaskyが指摘するのは、リベラルな世俗的シーア派のレバノン人(女性)ジャーナリストのHanin Ghaddarの(Now Lebanonのサイト上での)回想だ…それは、彼女がベイルートで一人暮らしをすることについて、Fadlallahがいかに彼女の保守的な父親に介入をしてくれたか、だった━Fadlallahは父親に「彼女が独立した、精神的に健全な大人の女性である以上、父親は彼女のやりたいことに口を出す権利はない」という内容の手紙を書いて、それを許可させたのだという。

 Ghaddar は「Fadlallahのような人物だけが、status quo(現状、体制)を変える事ができる」と理解するに至った、と語っている。アンチ・ヒズボラ派を自認するような人は、批評家であれ反対勢力であれ、あるいは無神論者であれ、シーア派のコミュニティーにはまれにしか存在しない─何故なら、人々が彼らのような者の言うことに耳を貸さないからだ。…一方Fadlallahは、人々の心に達する事ができた─なぜなら、彼は人々のうちの一人だったからだ。…彼のような人々こそ、強力になれば真の変革をもたらすことができるのだ。彼はヒズボラやイランの指導者たちが恐れを抱く、まれな人々の一人なのだ…なぜなら人々が彼を好み、彼への尊敬を抱いているからだ。

 もちろん、Fadlallahはソーシャル・ワーカーなどではない。彼にはダークな面がある。CNNの人々は私に、Nasrが彼の両方の面について知っていたと語った。しかし、私が知っていることはこれだ:中東は、繁栄のためには変わらねばならない、そしてその変革とは、内側からもたらされる変革である必要がある。その変革推進者(change agents)とは彼らの目から見て正当性を有する、彼ら自身の文化に根ざした誰かである必要がある。彼らとは、米国製のカップ一杯の紅茶ではないだろう、しかし我々は彼らについて知る必要がある、そして我々の興味関心が収束する点を知る必要がある─彼らの、その全てを悪者扱いするのではなく。

それゆえ私は、自分の情報源として…何千人もの男性や女性がなぜ、一人の年老いたシーア派の聖職者<我々がそれを、テロリストとしてしか捉えない人物>の死を悼んでいたのかを実際に説明できる様なCNNレポーターによるニュース報道の方を好みたい━そのことを何も知らないか、もっと悪ければ…敢えて言おうとしないレポーターによるニュース報道よりも。
http://www.nytimes.com/2010/07/18/opinion/18friedman.html?ref=thomaslfriedman

 











Sayyed Mohammed Hussein Fadlallahのウェブサイト(英語ページ)
http://english.bayynat.org.lb/
同師の語る、Woman、Familyについてのページ…
http://english.bayynat.org.lb/WomenFamily/index.htm

Sayyed Mohammed Hussein Fadlallahの葬儀
http://english.bayynat.org.lb/news/Tashi3.htm

CNN's firing of Octavia Nasr protested
http://www.arabamericannews.com/news/index.php?mod=article&cat=USA&article=3180
(*註:Octavia Nasrは解雇の後も、Hussein Fadlallahについて全面的に支持するとはいっていない¨)
イラク戦争の経験後は米国メディアの異文化への態度も、少しは軟化したようにもみえるのだが?