Monday, September 21, 2009

ワシントンの反オバマ・デモ(1)/No, It’s Not About Race- By David Brooks


ワシントンD.Cに住むBrooksは、土曜日に反政府抗議“Tea party Patriots” のデモにであって驚いたとか… 彼はオバマ擁護を続ける──

いや、それは人種の問題ではない─ By デビッド・ブルックス  (9/18, NY times)

 私を見てもあなたは気づかないかもだが、私は週に数回はジョギングをする。私のお気に入りのルートは、リンカーン記念堂からキャピトル・ヒルに行き、また戻ってくるコースだ…とてもフラットなコースだからだが。
 それは先週の土曜日のこと、私はそこで何千人もの“tea party” の抗議デモに出くわし、私は人々の中を歩いていった。彼らは“Don’t Tread on Me(私を踏みつけにするな”)” と書いた旗や、“End the Fed(連邦政府の拡大を止めろ)などというプラカードやサインを掲げ、「大きな政府」のポリシーやバラク・オバマや、社会主義的なヘルスケア法案、いろいろなエリート機関、などのポリシーに対する非難を叫んでいた。

 そして次に、スミソニアン博物館の敷地の端にいたると、別の集団…“the Black Family Reunion Celebration”の人々に遭遇した。数千の人たちがアフリカン・アメリカンの文化を祝うために集っていた。私は、殆どが白人の“tea party” の人々がこの黒人たちの再結集のなかに混じりこんでいるのをみた。“tea party” の人々はFamily Reunionのフード・スタンドで昼食を買っており、ラップのコンサートの聴衆たちに合流していた。

 ──社会学のほうがフィットネスよりも大事だと思ったので、私は立ち止まってその交流を眺めていた。これらの2つのグループはそれぞれ政治的、文化的なスペクトラムの正反対の端に属する。彼らにはどちらも雄弁なスピーカーがおり、グループに活気をもたらしていた。しかし私には、これらの両グループの間に何の緊張も感じられなかった。それはまるで公園やスポーツアリーナでうろうろしている、異なるグループの人々のようだった。

 でも、いまだに我々はすべての争いごとを、人種のプリズムを通してみるような人々が居る国に住んでいる。それだから、過去数日間の間に多くの人々、ジミー・カーターに至るまで、オバマ大統領に対する人々の敵愾心は人種差別に起因する、と語っていた。ある人々は、“tea party” が掲げる“I Want My Country Back(私の国を返して欲しい)” のようなスローガンは、白人至上主義者(White Supremacist)のcode words (符丁・合言葉)なのだとも論じていた。また別の人々はキャピトル・ヒルでの無作法な行動は、オバマのダークな肌の色によって増幅されているのだと言っていた。

 …いや、私はオバマを批判する人の魂の中を覗き込む装置をもっていないので、そこにどれほどの人種差別があるのかの推測はできない。でも私の印象では、Race(人種)というのは殆ど主要なポイントからはずれている。そこにはもっと別の、アメリカの歴史上にある同じ様に重要な緊張した関係──現在の衝突状態(争いごと)により密接な関係のある緊張関係が存在するのだ。

 たとえば、何世代にもわたって我々は、学校の生徒としてハミルトン主義者(*註)とジェファーソン主義者(*註)の間の論争について学んできた。ハミルトン主義者は、urbanism(都会化主義)やindustrialism(産業主義)、federal power(連邦政府の強化)の立場にたち、いっぽうジェファーソン主義者たちは都市エリートや富の一極集中には懐疑を唱え、「小さな町の価値観」を信奉し、限界のある政府を主張していた。ジェファーソンは「賢く、かつ倹約的な政府」(人々が互いに傷つけあう機会のより少ない状態を導くものとして)を擁護し─それができない場合、政府は無作為の放任状態にすべきで、「労働や、それによって得る生活の糧から(税金を)奪いとって設立すべきでない」、と考えた。

 ジェファーソンの哲学はアンドリュー・ジャクソン(第7代大統領)にもひらめきを与え、彼はコスモポリタンなエリート層(cosmopolitan elites)に対する普通の人々(plain people )の運動を推進した。ジャクソンは、合衆国第2銀行(Second Bank of the United States )を解体した。彼が連邦政府と金融のパワーのミックスを恐れたからだった。

 このポピュリスト的な運動は、何世紀ものあいだ続いた。それは、時として右翼的な形で、時として左翼の形で現れた。時にそれは農地改革論者として、時には組合運動の方にむかった。それはしばしば過激で、陰謀的で無作法だった。
 ポピュリスト的な運動はつねに同じようなレトリックを使った:普通の人々と、それに対抗する太った輩(fat cats )や教育を受けた階層(educated class)、また小さな町(small towns)とそれが対抗する金融の中心地(financial centers)、などだ。

 そして、それはいつも同じようなモラル観──歴史家のMichael Kazinが生産者主義と呼んだモラルを掲げた。その考えとは自由な労働(free labor)はアメリカ人主義(Americanism)の真髄だというものだ。重労働によって、物質的な形の富を得る普通の人々が、国のモラル的な屋台骨をなすという考えだ。 この自由な資本主義の国では、人々は彼ら自身の生産品(Output)にも責任を持たねばならない。金銭は働かざるものに再配布されるべきものではない、そしてそれは、優越感にみちて恩着せがましい、操作巧みなエリート層によって吸い上げられるべきではないというのだ。

 バラック・オバマは、高度な教育を受けた人々の政府を組織している。彼の運動は都市の政治家や学者層、ハリウッドの献金家や、情報化時代のプロフェッショナルたちも巻き込んでいる。彼の政権のはじめの数ヶ月のあいだ、彼は連邦の力をウォールストリートや自動車産業、ヘルスケア産業や、エネルギー業界へと溶け込ませてきた。
 それらのすべてを受けて、彼の肌の色に関係なく、ポピュリストたちからの彼への反撃が爆発することは保証されたことなのだ。そうした反撃は無作法で、陰謀的で、限界を超えているだろう──なぜならそれが、こうした運動(その運動がHuey LongやFather Coughlin、あるいは誰に率いられようが)の常だからだ。

 たった今我々がみているものは、こうしたポピュリスト運動の繰り返しと、それに対する、闘争的でプログレッシブなリアクションだ。我々はいま、ポピュリストのニューメディアが、Van Jones(*註)やAcorn(*註)などのストーリーの重要度を(こうしたエリートたちとは退廃した反アメリカ的な人々だと証明するために)誇張して伝えて、そして我々もまたプログレッシブなニューメディアを持ち、 Joe Wilson議員がオバマの教育現場へのスピーチに反対するヤジを叫んで「小さな町(small towns)」の人々というのがのろまな変人なのだ、と晒したことを伝えているのだ。

 「この国は、法的正当性の危機の縁にあるといえる」と経済ブロガーのArnold Kling は書いた。「プログレッシブなエリートは、“田舎の白人たちのアメリカ”を 法的に違法だと切り捨て始めていて、またその逆も行われ始めた」
…それは人種の問題ではない。それは別のタイプの争いごとで、(人種の件と)同じように深くて古いものなのだ。http://www.nytimes.com/2009/09/18/opinion/18brooks.html

*註・アレキサンダー・ハミルトン:米国の建国の父の一人で$10札の顔。初代財務長官。ジョージ・ワシントン大統領時代に「ハミルトン経済プログラム」を唱えた。
*註・トーマス・ジェファーソン:米国独立宣言の作者でワシントン政権の国務長官。のち副大統領。ジェファソニアン・リパブリカン党 (現在の民主党)の創立者。
*註・Van Jones:オバマ大統領が環境問題顧問に任命した左翼的な黒人運動家。911Truth.orgの「911は政府の陰謀とする反政府的な運動と政府への調査要求」に2,3年前に署名していたとわかり、先日解雇された。
*註・ACORN=Association of Community Organizations for Reform Now、ワーキングクラス、低・中所得層のコミュニティ運動の全米団体。オバマ政権から多額の補助金を不正に得ていると共和党が追及?

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