Saturday, October 24, 2009

イラクのマリキが彼の勢力を結集…/Iraq's Maliki gathers his forces- By Sami Moubayed


イラクのマリキが彼の勢力を結集する… By サミ・ムバイヤド (10/6, Asia Times)

 イラクの国防大臣はこの週末をはさんで、紛争の多発する北部イラクのNineveh県で、元バース党員やアル・カイダのメンバーをはじめ、150人以上を逮捕したと発表した。イラクのメディアはそのニュースを、政治的なプロセスへの敵に対する“大規模な弾圧”だと声高に報道した。しかし、ふつうのイラク人たちの見方は違った─人々は8月に起きた首都での大きな爆弾テロ事件のあと、Nuri al-Maliki首相がイラクの治安上の混乱に終止符を打てるものと信じるのを拒否した…。

 ともかく、政権就任後4年目を迎えようとする首相は、失業の削減や投資の呼び込み、公的機関での給与水準の引き上げにも失敗した。彼はまたスンニ派、シーア派、クルド人の間の真のパートナー関係づくりにも失敗し、その代わり、宗教的信条に導かれた少数のシーア派政治家たちからなる狭い連立政権によって政権を運営している。

 それでも彼はイラクの街角に、厳しい治安政策をつうじて比較的平和な状態を回復させ、2003年以来途絶えていた、ある程度正常な日常を何とかとり戻した。しかし、8月19日にバグダッドの政府の建物を粉々にした6つの自爆テロ以降、“security failure(治安上の失敗)”は、同首相の不足点の長大なリストに追加されてしまった。

 どんな現実的な目的のためにも、Malikiは100人以上のイラク人犠牲者を出したバグダッドの爆弾テロ──ブラック・ウェンズデーと呼ばれる── の後に政治的には終わってしまった…。それらの攻撃は、18ヶ月間の比較的平穏な時期の後に起こり、首都の人々の特に感じやすい(痛んだ)神経を逆なでし、そして人々はこう問い始めた、“もしもMalikiの治安計画がそんなに上手くいってるのなら、どうしてこれらの事件が起きたのか?”と─。

 これは治安向上のためのどんな試みも──たとえばこの週末に実施されていたものも── それが真面目な試みだろうと、普通のイラクの民衆からのあざけりしか生まないだろう理由だ。もしもイラクがノーマルな国で、宗派や部族、政治的立場ごとに分裂していないならば─どんな政治家でも…たとえスーパーマンだろうと8月19日の爆弾事件の余波の中では生き延びられないだろう。

 しかし不思議なことに、先週の木曜日にMalikiは破滅させられるどころか、新政党(法の連合による国家State of Law Coalition.)の結成の発表を行いながら、未だに闘争精神に溢れた様子をみせた。バグダッドの名声あるal-Rasheedホテルに集まった500人ほどの聴衆に対し、首相は彼の連合の55人のメンバー、著名なシーア派リーダーSaid Fawzi Abu Rishehやスンニ派の重鎮リーダーSaid Yawer al-Shummari.たちなどを紹介した。

 新たな党派連合は40の政党の連合で、そのなかには党の議長代理Sheikh Khaled al-Atiyya、Hussein al-Shahristani石油大臣、 そしてDulaim部族の長Sheikh Ali al-Hatem Suleimanもいる。この新連合のその他のMalikiの協力者としては、彼のアドバイザーのSadeq al-Rikabiや、彼のスポークスマン Ali al-Dabbagh、有名な女性活動家Safia al-Suheilがおり、そしてまた教育大臣・健康大臣・旅行産業大臣・労働大臣・移民問題大臣・若者問題大臣・スポーツ大臣、そして議会運営大臣がいる。

 すでに30の党派が新連合への参加を申請したと首相に近い情報筋はいい、彼らの申請は現在、メンバー委員会がレビューしているという。新連合はナショナリズムをかかげ、各派の信条主義を超えた世俗的なものとして、Malikiはそのどのリーダーもターバンを巻いた聖職者ではないこと(2005年に政権をめざした統一イラク連合はそれが存在したが)を指摘した。

 多くの敗北の後でMalikiが反撃力を示したことは、注目に価する。この男は2006年4月に政権の座について以降幾度も、その多くの失敗のために終わったと目されなかったか?それと同様に驚くべきことは、Malikiの連合が、イラク全土のライバル政治家たちの間に巻き起こしている否定しがたい怖れの感覚だ。同首相が、George W Bushがホワイトハウスを去った瞬間その恩恵から墜落する、弱くて顕著な色彩のない政治家だ、と皆が思っていたのは、さほど昔ではない。

  簡単にいえば、人々は彼を真面目に捉えたことがなかった。
今日、人々は彼を彼自身の力による政治的な重鎮だとみるだけでなく、彼の行うファウル・プレイ(反則行為)を糾弾し、彼がゆっくりと新たなSaddam Husseinのような存在に変貌しつつある、と非難する。Malikiのチームが生まれる1週間前に彼の前のボスだった前首相・Ibrahim al-Jaafariが、もうひとつの党派連合として、有力なシーア派党派(サドル派やHakimのSIICなど)の傘連合である、the Iraqi National Alliance(INA)を創設していた。

INAもまた宗派横断的・世俗的なポリシーをかかげて、イラク人に対し、2003年の占領によって行われた全ての悪しき行いと、Malikiの失策を正す、と約束した。彼らはMalikiに対してINAの議席を与えると提案したが、首相は丁重にこれを断った─彼は彼自身が2010年の選挙で再び首相になることを絶対的に保証するといった、不可能な4番目の条件を要求したのだ。

憮然としたINAのメンバーたちはMalikiの政治生命はあとわずかだと警告したが、議会のサドル派のメンバーのAhmad Masoudiは“早期の分裂”はthe State of Law Coalitionの連合の出現を促すだろうといった。

INAのメンバーの構成とは、それがイランとの強い関係のもとに投資を行い、テヘランを政治ゲームの中に引き入れてMalikiに対抗させるという色彩をもっていた。首相は、イラクに対するイランの影響力というものに反対したことはなかったが、彼自身としてイラン人とそれほど強い繋がりを持ったことは一度もなかった。

何ヶ月にもわたり彼は彼の宗派的(党派的)イメージを脱却する(振り落とす)よう試み、そしてシーア派・スンニ派・クルド人からみて、すべてのイラク人のスポークスマンとして映るよう試みている─そして単なるシーア派系の狭い政党として、長年Saddam政権の下で実験をふるってきたスンニ派コミュニティに復讐を試みるような党派ではないことを印象づけようとしている。

彼はINAとはとても異なる政策をとるだろう─イランとは距離を置き、そしてアラブ諸国、たとえばサウジ・アラビアやヨルダンや、さらにおそらくシリアとも寄り添った関係樹立を試みて─彼自身をスンニ派からも愛されるべく画策し、そして次の1月の大統領選で勝てるように努力するだろう。

もしもINAに参加していたた場合、有力な宗教政治家のMuqtada al-SadrやAbdul Aziz al-Hakim(彼は新連合結成直後に亡くなったが)に対抗してMalikiが成功を収めることはとても困難だったろう。おそらく彼は、バグダッドのスラム地域でのMuqtadaの人気や、シーア派の影響力のあるビジネスマンの大きな家族層コミュニティでのHakimの影響力に比べれば、政治的な小人のような存在にみられていた可能性が強い。

しかしながら、the State of Law連合で彼と協力する無力な政治家たちに比べたら、Malikiは政治的な巨人にみなされる。新連合の弱小メンバーのグループが失策つづきの実績しかない首相のリーダーシップのもとに、Sadr派やHakim派、その他の、来年1月の選挙にむけて活動する強力なシーア派の政治家たちと対抗できるのだろうか?(筆者:Sami Moubayed は、シリアのForward Magazineのチーフエディター)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KJ06Ak01.html

*10/20、al-Malikiは米国での会議出席の折ワシントンに立寄った。オバマは彼に、1月16日の議会選挙の実施にむけた、「選挙法」の早急な制定を要求した。

 その制定の遅れは米国にとっても、選挙のできる安定した治安状況を残して撤退する、という米軍の最後の大きなひと仕事─を果たすために問題となる。

 イラク軍の質は徐々に向上しているが、未だにスンニ派主流の地域、またシーア派地域でも治安の悪いMaysanなどの県をコントロールできていないのだ。

 特に問題なのは、石油資源の豊富なクルド地方の都市Kirkukの問題…アラブ人住民とクルド人住民の間のパワーシェアリングの問題に解決策がみえていない…

 また議会選挙では候補者の個人名で投票するか、党の名で投票するかにも妥協策がみえず…イラクの立法議員たちによる草案作成は「give up」状態にあるとか─

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