Tuesday, January 11, 2011
正しい一杯の紅茶の淹れ方とは?How To Make a Decent Cup of Tea - By Christopher Hitchens
ヒッチンズの肩の凝らない新年のコラムは…ヨーコ・オノの、John Lennon30周忌のトリビュートをからかっているのだが…
…ヨーコが書きたかったのは、彼らの叔母さんが齢をとって記憶違いをしていた、というだけだったのではなかったのか?How To Make a Decent Cup of Tea-
Ignore Yoko Ono and John Lennon, and heed George Orwell's tea-making advice.
正しい一杯の紅茶の淹れ方とは?
─ヨーコ・オノとジョン・レノンは無視して、ジョージ・オーウェルのティー・メイキングのアドバイスを心に留めよ (By クリストファー・ヒッチンズ (1/3、Slate.com)
“Magnum のPhotos gallery ”British teatime.”http://todayspictures.slate.com/20110104/ をご覧ください”
正しいカップ一杯の紅茶にはルールがある。今や年末から新年への、人々のラマダン同様の長さのニュースタイルの休暇に、Hanukkahの(ユダヤ教の)お祝いとホリデーセールの慌しい商戦を足したこの日々を、無事に終えた最初の瞬間に…私は心からの最初の一口を啜って向き合うことができる。それは12月8日のことだが、ヨーコ・オノが、彼女の夫の暗殺から30周年忌に寄せたトリビュートを書いていたのだ。その、New York TimesのOp-Edページのコラムで彼女は、彼女ら二人がどのようにして、時折り一緒に紅茶を作っていたのかを想い返していた。…彼は、彼女のそのやり方について、"ヨーコ、ヨーコ、君はティーバッグを先にカップに入れるべきなんだ、そして、次に熱湯を入れるものだ”("Yoko, Yoko, you're supposed to first put the tea bags in, and then the hot water." )といって、誤りを正していた。(彼女はこのことを語りながら、彼の英国人性というものを二つの意味において描写していたのだが─ 私が思うには、彼は実際には言葉の順番を入れ換えて、このようにいっていたのは確かだと思う…"put the tea bags in first"、と) …これだったらfine、もちろんexcellentなのだ、そして私は感謝しながら頷くのだが、しかし、するとまた別の一撃が落ちてくる。ある晩のこと、彼は彼女に、彼の叔母が彼にこういって誤りを直させたのだ、と報告する。お湯はもちろん、ティーバッグよりも先にいれるものなのだ、と。 "それなら私たちは、いつもこうした機会に、間違ったやり方をしていたの?" と、彼女は問いかける。 " そのようだ"、我々のヒーローが答えた…その瞬間に、一世紀以上ものリバプールの不屈の伝統に対する変節者となって。
私はただ、このことがもたらすかも知れない弊害について、考えたくないのだ。米国ではすでに…あなた自身がその仕事を引きうけない限りは…カップかポットに一杯…本来、それがそうあるべき風味にわずかでも似た味のする紅茶を得ることなど、実質的に不可能となっている。ここではカップかポットに入ったもう沸騰していないお湯が、その脇に出される冷たい皿に寝かされたティーバッグと共に供される…ということが、きわめて普通になっている。そして次の作業とは、なまぬるいお湯を注ぐというばかげた動作で、そして何らかの色の変化が起こるまでティーバッグを湯に沈め、最後にその結果生じた残滓と何か気落ちするタンポンの代用物のような物をどうにかして廃棄する。その飲み物自体は棄てたほうがましの代物となるが、もしも飲みこんでしまったならそれは、James Earl Carter大統領の回想録を読むと同じくらい、あなたの士気を低落させる効果をもっている。
今ここで、紅茶が丁度コーヒーのように、バッグと共に出されない場合を想像してほしい(もしもあなたが、かつてそれを適当なブリキ缶入りで買った際にはそうしていたか、今でもそうしているように)、あなたはそのどちらの場合にも、熱湯を注いで少しの瞬間おいてから、一掴みの茶葉をその上に注ぎいれよう、と思うだろうか?私は違うと思う。一度やってみれば二度とはやらないだろう、もしもあなたがいいストレーナー(茶漉し器)をもっていたとしても。コーヒーの場合には敏速にやれば上手くいくかも知れないが、そうすることのメリットはどこにある?轢いた豆は(茶葉よりも)重くて稠密なものだが…どんな場合にも良いコーヒーには、ほとんど沸騰したての熱湯が求められる。それに対して紅茶とは、ハーブ(草の葉)で、完全に乾燥しているものだ。その内なるクオリティをリリースさせるためには、それは蒸らさねばならない。そして蒸らす(淹れる)過程では定義上、お湯が葉に当たるときに、そのお湯は沸騰していなければならない。このことだけ把握すれば、あなたは事の根本が判るはずだ。
第二次大戦直後の英国で厳しい食糧配給がなされていたとき、ジョージ・オーウェルは、一杯の正しい紅茶の淹れ方に関する記事(*)を書いたが、それは11の異なる "ゴールデンルール"の考察だった。それらのなかの幾つか(常にインドかセイロン─つまりスリランカ─の紅茶を少しだけ、使うべきで、銀製のポットは避けよ、といった条項は)オプショナルな事項か、もう時代遅れとみなされるかもしれない。しかし本質的な事項は簡単に暗記できるし、そして簡単に実行できる。
(*http://www.booksatoz.com/witsend/tea/orwell.htm ) 苛(いやしく)もポットを使うのなら、前もって必ずそれは温めておくことだ。(私は、単にカップかマグカップだけを使う場合であってもそれを勧めたい。)茶葉は、湯に浸される前にかき混ぜること。しかし、何よりもまず…、"あなたはティーポットを薬缶のそばに持ってくるべきで、その逆をすべきではない。熱湯は茶葉に衝突する瞬間に鋭く沸騰しているべきであり、それゆえに熱湯は、注いでいる間にも炎の上に置かれていなければならない"。それは難しいことではない、もしあなたがガスではなくて電力を使っていたとしても…ひとたびあなたが材料道具をすべて薬缶のすぐ隣のひとつの場所に持ってきたなら。
まだ、完全に終わってはいない。もしミルクを使うのなら、最もクリーミーでないタイプを使わないと、紅茶は吐き気を催すような味になってしまう。そしてミルクを先にカップに入れてはならない─ このことで、家族間の対立は何世代にもわたって継続する… なぜならあなたは(ミルクを)多く入れすぎてしまうからだ。それは後から入れること、そして、注ぐ際にはとても注意が必要となる。最後に、見苦しからぬ円筒形のマグカップは浅くて飲み口の広いティーカップよりも、必要な温度や味(フレーバー)をより長く保つことができる─これらの要素が、同時に影響を与えることが何と多いのだろう。オーウェルは砂糖が紅茶の味を圧倒してしまうと考えたのだが、私が思うに、ブラウン・シュガーや蜂蜜なら許容されるし、時には必要だろう。
比較的最近…数年前まで、アメリカでは、熱くて黒っぽい(blackishな)もの、または不味い(brackishな)ものならば何でも、コーヒーの名のもとに売られていた。それは過激なほどに薄く(weak)、過激なほど苦く調整され、そしてしばしば、沸騰点にあった…何の必要性もないのに。(私は過去形を使ったが、今だにそれがそのままである場所は沢山ある、そしてそれは2杯目のおかわりのフリー・リフィルが、何の戸惑いもなしに行われている理由も説明する)最低でも、大きな都市では消費者は今や、彼ら自身(の好み)により一層こだわるという考えを持つようになってきた…しばしば、うんざりする位に…好みのLatte(あるいは、それが何と呼ばれようと)についてあまりにも細かい注文をする人々の列の後ろに立っていて、我々はよく知っていることだが。
もしも、あなたが次にスターバックスか、それと同じような店で紅茶を飲みたいとおもったなら、忙しなくカップに入れて出される熱湯と、それに付けて出されるようなティーバッグを拒否することを、怖れてはならない。それは、あなたが注文したものではない。茶葉をカップに先に入れて、お湯は沸騰しているべきだ、と主張すべきだ。もしも、後ろの客が何かを呟くのが聞こえたら、その言葉を広めるがいい。そしてそれを、家でも試みるべきだ。…もしも忍耐心があるなら、お湯に放つことのできる茶葉とストレーナー(茶漉し器)を使って。私には感謝をしなくていいから、ハッピーニューイヤー。
http://www.slate.com/id/2279601/
ザ・ティーメーカー (The Tea Maker)By ヨーコ・オノ(12/7、The New York Times) JOHNと私は深夜、ダコタハウスのキッチンにいる。3匹の猫 ─サーシャ、ミーシャ、そしてチャロ─ が、私たち2人のために紅茶をつくるJohnを見上げている。
サーシャは白、ミーシャは体じゅうが黒い。この2匹は、ゴージャスでクラシックなペルシャ猫だ。その一方、チャロは雑種だ。Johnはチャロに特別な愛情をもっていた。"お前は可笑しな顔をしているな、チャロ!"彼はそう言っては、彼女を撫でる。
"ヨーコ、ヨーコ、君は最初にティーバッグをカップに入れるべきだ、そしてその次に熱湯を入れるものだ" Johnは紅茶を作る役を請け負った…英国人として。そこで私は、その役を降りた。
家の中に何の音もない真夜中になってから、Johnの作るお茶を啜るのは素敵なことだった。しかしある夜、Johnはいった、"今日の午後、僕はMimi叔母さんと話をしていた。彼女は、お湯を先に入れるものだというんだ。そしてそのあとに、ティーバッグを入れるのだと。僕は誓って彼女は、ティーバッグを先に入れよと教えてくれた、と思ったんだが…"
"それなら、私たちは、いつもこうした機会に、間違ったことをしていたの?"
"そのようだ…"
我々2人は笑い出した。それは1980年のことだ。私たちの何れも、それが2人が共に生活する最後の年だとは知らなかった。もしもJohnがここに居たなら、今日が彼の70歳の誕生日だったはずだ。しかし、人々は彼がここに居るか、居ないかを尋ねたりはしない。彼らはただ彼を愛し、彼への愛と共に彼を生かし続けている。私は世界中の人々から、彼らが今年、Johnがその短い地球上の40年の生涯の中で私たちにくれたものに対して感謝をし祝福している、と知らせるノートを受け取っている。
私たちが彼から受け取った最も大事な贈り物は言葉ではなく、行動だった。彼は真実を信じて、そして声を上げた。我々は、彼が権力を持つ一部の人々を怒らせたことを知っている。でもそれがJohnだった。彼はそれ以外のやり方はできなかった。もしも今彼がここに居るなら、私は彼が未だに真実を叫んでいたと思う。真実なしには、世界に平和をもたらす途はない。
今日、この彼が暗殺された日に、私は、彼と紅茶を飲みながら笑い出した夜を思い出す。
ティーンエージャーは帽子が落ちただけでも笑い出すものだ、と人々はいった。今、私は多くのティーンエージャーたちが悲しみ、お互いに怒りを抱いているのを見る。Johnと私は、とてもティーンエージャではない。でも、私たちの思い出とは、2人が笑い合うカップルだったことだ。
(ヨーコ・オノはアーティスト)
http://www.nytimes.com/2010/12/08/opinion/08ono.html
〔*ヒッチンズのコラムの最初の1行は当初あったものが現在のWebsiteでは削除されているようだ〕
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