Tuesday, February 8, 2011

過激派勢力、女性たち、そしてタハリール広場 Militants, Women and Tahrir Sq.By Nicholas D. Kristof

ムスリム同胞団についての、エジプト人たちの意見が面白い…


過激派勢力、女性たち、そしてタハリール広場 By ニコラス・クリストフ (2/5、NYタイムス)

カイロにて─

 西欧人たちは、エジプトの大統領ホスニ・ムバラクに対して蜂起した民衆の姿をテレビで眼にするとき、政府が群衆に対して暴行する光景をみてたじろぐ。しかし、イスラム原理主義勢力の発言権をより大きく拡大するかもしれない大衆的な民主主義、という考えに対してひるむ人たちもいる。

 1979年にイランで勃発した草の根的な民衆蜂起は、非民主主義的で、女性やマイノリティを抑圧し地域を不安定化する政権の支配をもたらした。しかし、1989年には東欧での民衆による反乱が、安定した民主主義的な国々を誕生させた。もしもエジプトの反体制運動の群衆が政府に打ち勝ったなら、これは1979年になるのか、それとも1989年になるのか?

 誰も確かな予測はできない。だが私に少し元気づけの一服を試させて欲しい。

 私は抗議の群衆たちと話をしながら、先週をこのタハリール広場で過ごした─ムバラク大統領の暴漢たちが我々の居た半径の周囲にまでも、煉瓦や、モロトフのカクテルや、山刀や、時折の銃撃で襲撃をしかけてきたのだが…私は、多くの人々が示した落ちつきと、忍耐とに感銘を受けていた。

 おそらく私の判断は、ムバラク支持派の暴漢たちがジャーナリスト狩りをし、我々のうちの何人かを刺したり、殴ったり、逮捕・拘束したこと─そして私も、ホテルの部屋を放棄させられ、心臓をどきどきさせながら、釘を打ち付けた棍棒を持った暴徒たちの周りを走った…ということのために─ 歪んでしまっていることだろう。私が見つけた最も安全な場所は、タハリール広場だった─「Free Egypt」という抗議の群衆の合言葉… 私はそこで、カメラとノートを出してどんな人にもいかなる質問をもしてみた。

 私は女性とコプト・キリスト教徒に対して、コンスタントに質問を投げかけた─民主的なエジプトは、より抑圧的な国に成り果てると思うか?と。彼らは一様に、ノーといった─彼らはそして私を譴責するような眼で見ては、民主主義というものへの疑いを語った…(私はしばしばこれに出会うと、当惑感に引きこもってしまうのだが)

 「もしも民主主義があるなら、我々は、我々の権利を奪わせたりはしない」、と大学教授のシェリーンは私にいった。彼女は他の多くの人と同様、アメリカ人は原理主義者のムスリム同胞団が選挙で権力を握る可能性という件に捉われすぎている、と語った─。

 「我々は、ムスリム同胞団について心配はしていない」、シェリーンはいった。「彼らは25%の票を得るかもしれない、でももしも彼らが上手く政界で活動しなかったなら、次回の選挙では票を失うことになる…」

 シェリーンはいいことを言っている。西欧人が彼らを懸念する一部の理由は、原理主義のムスリムたちがほとんどどんな物もうまく運営したことがないからでもある─そのために彼らは、代わりに腐敗を弾劾し、ムバラクのような親西欧の専制君主の無能さや残忍性を非難する。結論とはつまり、彼らは普通の市民からの尊敬を受けているが、私の勘では、彼らは実際に何か行政を運営しようとするがいなや支持を失うだろう、ということだ。

 たとえば1990年にイエメンで、Islahという名のイスラム政党が選挙で好成績をおさめた後に、連合政権の一翼を担った。結果として、Islahは教育省の担当となった。世俗的イエメン人とアウトサイダーたちは、原理主義者たちが子供たちを洗脳するのではないかと考え、愕然とした─しかしイスラム原理主義者は、ほとんど行政能力がないことを露呈し、そして次の選挙で彼らへの支持は急落してしまった。

 抗議運動の人々が共通して掲げるスローガンの一つは、ムバラクがアメリカというツッコミ役に対するボケ役だ、というもので、多くのエジプト人は彼らが、無気力な外交政策だとみなすものに対して、いらだっている。私はある風刺画で、ムバラク氏が額に「ダビデの星」をつけており、その傍にこのようなサインがあるのをみた「彼にヘブライ語で話しかけろ、そうすれば彼はメッセージを理解するかも!」
 しかし多くの人たちは現実的なことをいっている─イスラエルとの平和の維持を好みつつも、パレスチナへの支持…特に苦しんでいるガザ地域への支持についてはより一層、声を大にしたいのだという考えを述べる。

 私はカイロのある古い女性の友人…西洋的な雰囲気があり、ときにはウィスキーを楽しむ女性…に、ムスリム同胞団は平和のために良くないと思うか、と尋ねてみた。彼女は一瞬考えてこういった、「ええ、多分。でも私の見るところでは、アメリカでも共和党はやはり平和のために良くないと思うわよ」

 もしも、民主主義が中東で支持を得るならば、そこにはデマゴーグや、ナショナリストやジンゴイスト(感情的愛国主義者、強硬的主戦論者)が現れるだろう、ちょうどアメリカやイスラエルにもそれがあるように。そして彼らは外交を余計に、複雑化してしまうだろう。しかし思い出してほしい、アル・カイダのアイマン・アル・ザワヒリ …オサマ・ビン・ラディンの右腕… のような怒れる過激主義者は、ムバラク氏による抑圧と投獄と拷問が育んだのだ、ということを。もし我々の抱いている懸念が、世界最大の人口を擁するこのアラブの国家における自由と民主主義に対する我々の信念を妨げるというのなら、それは悲劇だ。

 私は、エジプト人たちが彼らの政権に対する闘争で示した不屈の勇気には、深く感じ入った─大きな個人的な危険を冒しつつ、アメリカの同盟者から送り込まれた暴漢たちから私を守るために助けの手を差し伸べてくれたことにも。こうして、民主的考え方のために命を危険にさらすエジプト人たちに、この民主主義への我々の信頼の念を示そう。

 私が、エジプトの民主主義は抑圧をもたらすか、あるいはイスラエルとの戦いを触発するか、または石油価格の高騰を招くと思うか?とHamdiというビジネスマンに尋ねたときに、彼は苦悩の表情を表していたと感じた。「中東は石油だけのためのものではない」、彼は私に思い出させた、「我々は人間だ、あなたがたと全く同じ様に」。

 「我々はアメリカ人を憎みはしない」、彼は付け加えた、「彼らはパイオニアだ。我々は彼らのようになりたい。それは罪だと思うかい?」
http://www.nytimes.com/2011/02/06/opinion/06kristof.html

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