Wednesday, June 13, 2012

ザ・フェイスブック・イリュージョン The Facebook Illusion - By ROSS DOUTHAT


ザ・フェイスブック・イリュージョン The Facebook Illusion


By ロス・ドウザット (5/26. NYタイムス)

21世紀のはじめの10年間、アメリカ経済に関しては2つの巨大な錯覚が存在した。その1つ目とは、住宅の価格とはもはやノーマルな経済トレンドとは繋がっておらず、それはどんどん上昇し続けるものだ、との信条だった。2つ目の考えとは、WEB2.0 の時代において我々は、インターネットで果てしなく金を稼げる方法を見出している途上にある、といった考えだった。その最初の考えは、2007年と2008年における住宅価格と株式市場の崩壊と共に崩れ去った。しかし、WEB2.0に対する錯覚の方ははるかに長く生き延び、先週のFacebookの初めての株式公開に伴う災難では、騙されやすい投資家らに、少しばかりその財産を投じさせてしまった。

  私はブルームバーグ・ビジネスウィークが新たな株式公開後の5日間の取引の後にそれを「10年に1度の大失敗だ」、と宣言したFacebookの困難な着陸には、気難し屋のそこはかの楽しみを感じてしまったことを告白する。私は、インターネット時代の興奮の集中する主要なハブとしてのMark Zuckerbergのソーシャル・ネットワーキング・サイトには、常にオンライン・ライフのよりダークな一面に成功を依存する、最も不健全(有害)なものとして強く印象づけられていたのだ─その、絶え間なく続くセルフ・ファッション(自分を装う)行為や、セルフ・プロモーション(自己宣伝行為)、真正な本物にはほんの上っ面だけしか似ていない、ヴァーチャルな形の「コミュニティ」や「フレンドシップ」の探求、プライベートな事柄の範囲を広告料利益の追及のために容赦なく減退させる、といったことに。

 しかしFacebookを愛する読者や、それなしの生活が想像できないという人々でさえも、その株式市場での失敗については、インターネットのコマーシャルな限界の兆候としてみるべきなのだ。New Yorker誌上でJohn Cassidy が、同社の株式公開前の最も洞察に満ちた記事のなかで指摘していたように、問題なのはFacebookが金にならない、ということではない。それは─それが、余り金にならないこと─、そしてそれがより多くの利益を得るための明快な方法を、何ら持っていないということなのだ。なぜなら、(オンラインについての色々な懸念と同じ様に)それは、どうやってその何百万…何百万、と増えつつあるユーザーたちを効果的に金銭化して行くかという方法を、いまだに発見していないのだ。その結果とは確かに同社は、企業としては成功したのだろうがその財務表(バランスシート)というものは、facebookがオンライン上のどこにでもある偏在性が示唆するものに比べると、余りにも印象の薄いものでしかない。

 この「巨大なリーチ性と、限界ある収益性」という問題は、デジタル・エコノミーの全体を特徴づけるものなのだ。George Mason大学の経済学者Tyler Cowen2001年に書いた彼のe-Book、『大いなる沈滞(The Great Stagnation)』のなかで、 インターネットはそれが登場して「チープな楽しさ」を発生させた際には驚きだったと述べた。しかし「その製品の余りに多くのものが無料であったために」そしてまた、典型的なウェブ企業の仕事のかなり多くの部分が「ソフトウェアやサーバーによって多かれ少なかれオートマチックに遂行されてしまう」ために、オンラインの世界は、それが雇用を増加させ始めた頃とに比較すると却って印象の薄い世界となってしまった。

 こうした意味ではデジタル時代に成功した企業としてしばしば話題に上るアップル社やアマゾンなどが、どちらもノン・ヴァーチャルな商品の製造とその配送にしっかりと根付いたビジネス・モデルを持っていることは示唆に富んでいる。アップル社の競争力のコアとは、より良い、より美しい電気製品を製造することだ; またアマゾンのそれは、電気製品からDVD、おむつに至るまでの商品の何もかもをより素早く、より安くあなたのドア口まで配達することだ。

 これとは対照的に、企業の製品というものがより純粋にデジタルになればなるほど、そこに生じる雇用は減少し、1ユーザーごとに発生する利益は減少する傾向にあるそれは、ジャーナリストたちにとっては過去10年間に余りにもおなじみだったリアリティで、facebookへの投資家たちも先週ぶつかってしまった問題だ。このルールには例外もあるが、それらの数はあまり多くはない長らくインターネットで最大の金になる分野の1つだったポルノグラフィでさえ、アマチュアのサイトやビデオの蔓延によって、「プロフェッショナルたち」がわいせつ物のモノポリーを失っていくなかで不断に利益率を下げつつある。

 ドイツの哲学者のジョセフ・パイパーJosef Pieperは、1952年に「レジャー─文化の基礎(Leisure: The Basis of Culture)」 というタイトルの本を書いた。パイパーは、オンライン上に繁栄している文化には疑いなく失望しただろうが、レジャーとは明らかにインターネットの基礎でもある。ロウ・ブロウな文化からハイ・ブロウな文化まで、LOL cats からWikipediaに至るまで、インターネットにある広大なコンテンツというものは報酬を全く期待しない人々によって作られている。「ニュー・エコノミー」とはこうした意味で、常にそれがコマーシャル(商業的)なエコノミーであるわけでは決してない。その代わりに、それはslate.comのマシュー・イグレシアスMatthew Yglesiasが指摘したように、一種の「趣味に熱中する人の楽園(hobbyist’s paradise)」のようなものつまりそれが徐々に取って代わると思っていたオールド・エコノミーからの余剰利益(surplus)からの補助金によって成り立っているようなものだ。

 労働省の統計による最新の失業率をひと目見れば、そこにはこの件のリアリティが現れている。ここ20年近く続いていたドット・コム産業への熱狂にもかかわらず、情報産業部門(information sector)の経済規模というものは、他の産業分野に比べてかなり小さい。それは現在わが国で最高の失業率を示す分野でもあり、そしてそれは昨年1年間に失業率が実際に増加した数少ない産業分野の一つでもある。

 このことは、インターネットの革命性を減じたりすることは何一つない。しかし、インターネットとは、経済的革命というよりも文化的な革命をもたらしたのだ。TwitterFord Motor Companyではない; GoogleGeneral Electricではない。そして彼が、我々の目玉を二束三文で広告主たちに売り渡したりすることのない限り、我々全てがMark Zuckerberg のために働く、などということは起こらないだろう。







Monday, June 11, 2012

信じがたいほど縮んでいる国- Incredible Shrinking Country - By Ross Douthat


Douthatの軽いコラムでは
日本のことをめちゃめちゃにけなしている

信じがたいほど縮んでいる国
Incredible Shrinking Country- By ロス・ドウザッド (4/28, NYタイムス)

P.D.ジェームズが1992年の小説、「ザ・チルドレン・オブ・メン (The Children of Men)」で描いていた世界とは、世界中の男性が不妊症になり、人口の老齢化した英国が徐々に人類が絶滅していくことを受け入れていく、という未来だった。女性たちは、赤ん坊の代わりに人形を乗せた乳母車を押している。家族は、子猫たちに洗礼を施す。衰えつつある男性の性的欲望を刺激するために、政府は「国営ナショナル・ポルノ・ショップ」を運営する。自殺は蔓延している。移民たちはゲストワーカーとして歓迎されるが、一たび働けないほど齢を取りはじめた途端に、国から追放される。地球上に最後に生まれた子供たち─「オメガたち」と呼ばれる─ は成長すると、退屈した、傲慢な、反社会的で、破壊的な人間となっていく。

ジェームズの小説は、多くの効果的なディストピア(暗黒郷)小説のごとく、現在起きているトレンドを誇張して書かれていた─先進国世界での出生率の急落や、オランダやスイスのような国々で蔓延する自発的な安楽死、移民たちを同化させるために苦闘するヨーロッパの国々、といったことを。

しかし、ある先進国が小説「Children of Men」を、特に予言的なものに見せる。日本では今や出生率は非常に低く、平均寿命の高さは偉大なもので、国の人口統計のプロフィールはもうすぐパーム・スプリングスの、アメリカ人のリタイヤ層コミュニティーのそれと同じになる。「徐々に…しかし、容赦なく…日本は、SFの世界でのみ想像されていたような輪郭と機能を持つタイプの社会に進化しつつある」と、人口統計学者のNick Eberstadtは「The Wilson Quarterly」の最新号に書いている。

Eberstadt は何年にもわたり、地球上のあらゆる場所で減退する生殖率が引きおこす挑戦について書いてきた。しかし、日本はユニークなケースだと彼は言う。「日本人の出生率は女性1人当たり、ちょうど1.3人あたりをさまよい、安定的な人口を維持できるレベルよりもはるかに低い。平均寿命の上昇のおかげで、2040年までには100歳以上の人が、赤ん坊が一人生まれるごとにその場で彼らを歓迎できるような状況にも近づく」。その同じ時期までには、日本の総人口は20%減少すると考えられるが、そこにはすでに停滞した経済と、すでに張りつめたセイフティーネット、という陰鬱な成り行きが伴うのだ。

日本は、かくも急速にデモグラフィックな崩壊に面しているのだ、とEberstadtのエッセイは指摘する、なぜならその文化は、特に破滅的なやり方でリベラリズムと伝統主義を結合してきた。一方では、お見合い結婚と家族の責務を重視させるような古めかしい性的文化は、かなり崩壊している。日本は世界の最も宗教的ではない国のひとつであり、結婚率は低落し、離婚率は北ヨーロッパ諸国よりも高い。

それでも、婚外子である子供を育てることに対する伝統的な不名誉(スティグマ)が継続し…それは結婚していない日本人が結婚せずに子供を育てるよりも、「自発的に子供を持たないこと」を選ぶということを意味する(婚外子を育てることは、アメリカではノーム[社会的規範]となっているが)。そして日本人の移民に対する伝統的な疑念もまた、21世紀において持続している(それは、人口のバイタリティが低下する原因のひとつかもしれない)。Eberstadtは、「2009年において日本に帰化した移民の数は、スイス(その人口は日本の人口のわずか6%で、その冷淡なよそよそしさでも有名な国だ…)における、新たな市民の数のようやく3分の1ほどだった。

こうしたトレンドが、Jamesのディストピア小説における不妊の英国、というものを想起させる社会を形成している。日本は先進国社会のなかで最も自殺率の高い国のひとつで、過去10年の間には、インターネットに導かれた集団自殺も発生した。出席者の乏しい結婚式には「レンタルの親戚」が存在し、孤独な老人層のために「ベビーロイド」と呼ばれる…赤ちゃんを模したふわふわした人形が開発され、日本人リサーチャーたちは人間の赤ん坊に似せたロボットを製造する努力の最前線にいる。若い世代には、「パラサイト・シングル」と呼ばれる、いまだに(間断的に)両親と住む何百万人もの単身者たちがおり、そしておそらくは、何千万人もの「ひきこもり」がいる─Eberstadtは書く、「ヤングアダルトたちは、両親の家でビデオゲームやインターネットやマンガなどだけで、友達のいない世界に引きこもっている」。

もしもこのような未来図のなかに、なにか本当に楽観的になれる理由があるなら、それは日本人にとってではなくアメリカ人にとってであろう。20年前に悲観論者たちが、アメリカは間もなくグローバルなリーダーシップを日本に明け渡すだろうと予言したとき、彼らもまた今日の悲観論者たち(…このコラムも含めて)がよく引用するのと同様な国内のトレンドを引用していたのだ。我々の持続不可能なほどの負債額と、ほころびかけた社会のfabric(社会を織りなす繊維)、そして退廃的な文化と、競争性を欠いた経済…といったものを。

こうした問題はいまだに存続し、そのいくつかはこれまでになく悪化している。しかし、それらは我々を、今日本人が直面しているような事柄には未だに直面させなかった。我々の家族関係は弱体化しているが、婚外子の高い出生率があることは子供が生まれないことよりも余程ましだろう。我々は移民たちを、望ましいやり方よりは遅々として同化させるが、少なくとも我々は同化(assimilation)というものを容認する。アメリカの宗教は浅薄でナルシスティックで分裂的かもしれないが、われわれの宗教的制度はいまだに団結と、向上心をも持っている。我々の経済は弱弱しく、負債額は巨額だが、しかし少なくとも我々は次の世代に向かって、今日の30歳以下の日本人がいつか背負わねばならぬような重荷を背負ってほしいと頼んではいない。

近代的な世界はひとつだが、すべての文明はそれぞれ異なるルートをたどっている。我々の持つすべての問題を考えても、我々が、日本と同じ様な日没には向かってはいないことを、21世紀のアメリカ人は感謝しなくてはならない。
*I think douthat's analysis is partly true, but partly an exaggeration..





Friday, June 8, 2012

エジプトの大統領選は、法と秩序 v.s. フーリガンの争い?Law & Order v.s. Hooliganism in Egypt?

 
ムバラク政権の前首相シャフィーク氏がエジプト大統領選で
上位の得票を得た理由は「法と秩序」?

エジプトの2010年代は、アメリカの1960年代の再演なのか(5/26, By Juan Cole)(抜粋)

エジプト大統領選の決選投票は今や自由公正党・ムスリム同胞団のMuhammad Morsiと、先の政権の航空相で、独裁者ムバラクの最後の首相でもあったAhmed Shafikの間に争われることが明白となった。この結末は二極化しているといえるが、エジプトの民主制への移行の試みが岩だらけの道だ、と約束しているようでもある。Shafikは金曜日の開票結果では3位だったが、同日のその後カイロとその他の地方票が開票され、さらに上位の得票数を得た…

この結果とは、エジプトの選挙民の間に強い「Law and order 法と秩序」への願望があることの表れだ。先日、私が論じた世論調査の回答者たちは、治安の問題を経済の問題よりもはるかに優先事項に挙げていた… Shafiqとは、まさに「法と秩序」的な候補者なのだ…そして、同胞団のMuhammad Mursiは彼よりもずっと、イスラム法の施行を約束する人間である。そのことをエジプト人たちはHooliganism…フーリガン主義で国を支配しようということだ、と解釈しているのだ…

2011年の革命の崩壊と、それに引き続いて警察が露呈した低いモラル、銃火器を使う機会の増加、そして、ムバラク政権が最後の日々に何千人もの犯罪者たちを刑務所から釈放したこと…これらはエジプトで犯罪が緩やかに増加している事に貢献している。エジプトは未だに、多くの西欧諸国の首都よりは安全なのだが、人々は長年、警察国家の下に住んでいたのだ…そこでは犯罪は少なく、公的な秩序が紊乱されることも少なかった、それなのに今、犯罪の波がおきているように見える。Detroit地域に住んでいたことのある私には、彼らのいう「犯罪の波」は笑いごとのようだが、しかし彼らにとってそれは問題なのだ。

皮肉にもエジプトにおける…社会的な混乱の後の「法と秩序型」の候補者への嗜好とは、1960年代にアメリカに起きたことの鏡像のようだ。カウンター・カルチャーの反戦運動の群衆と、公民権運動が南部の民主党員に与えたダメージが、Lyndon Johnson大統領の退陣の決意にも寄与した(ちょうどMubarakと同様に─)しかしこの主に若者による蜂起の後には、Richard Nixon と Ronald Reaganの勝利が引き続いて、そしてそれ以降の、国内政治における宗教右派の台頭をもたらしたのだ。David Horowitzのようなアメリカのラディカルな左翼が徐々に共和党の右翼や福音主義の宗教保守派と連携して行ったように、2011年の革命を支持した小説家のAlaa al-Aswanyのような人物も、この決選投票のために現れてムスリム同胞団への支持を表明している。多くの革命左派たちは疎外されているが、そのなかにはムバラクのクローンのような後継者でなければ誰でもいい、と投票する人々が居るかもしれない。

選挙の票の約5分の1は労働者寄りの左翼候補のHamdeen Sabahiに投じられた。彼の選挙田の一部はリベラルなムスリム候補者のAbdel Moneim Abou’l-Futouhにも投票し、アメリカ流の二大政党制による予備選では不可能なことだが、Sabahiは決選に臨む2人のフロントランナーの一人となった可能性もある。しかしエジプトのシステムはよりフランスのものに近く、複数の候補者が政治的なスペクトラムをめぐって争うのだ。エジプトでは、フランスの大統領選で起こったこととは丁度逆のことが起きた。フランスでは、最初に極右勢力が右翼のNicholas Sarkozyから票を奪い、そのため彼の決選投票における支持の大幅な低下を招いた。エジプトでは、中道派のAbou’l-Futouhがおそらく左派のSabahiの票を奪って、世俗派右翼の候補者と宗教保守派候補者を決選投票へと送り出すに至った…
(後略)
http://www.juancole.com/2012/05/is-the-egyptian-2010s-a-replay-of-the-american-1960s.html

*このコラムでふれている、エジプトのフーリガン主義とは?
これはこの2月にエジプト警察との大きな衝突事件のあったフーリガン(ウルトラ)について検証している記事─

エジプトの怒れるサッカーファンたちが深く政治に入り込む ‐ By ハムザ・ヘンダウィ (2/10, AP)

エジプトを支配する軍司令官たちは、新たな敵を獲得した─最近、軍部に政権からのステップダウンを要求する民衆運動に熱気を注ぎ、カイロの街で何日もの間警察と戦った怒れるサッカー・ファンたちの部隊だ。 Ultraとして知られ、長らくフーリガンだとみなされてきた彼らが、ますます政治的になってきている─昨年の革命の蜂起に始まり、先週のサッカーの試合において彼らは死者のでる暴動という一線を越えた。

それは軍部による権力の移行への道のりの険しさが、いかにますます多くのエジプト人たちをアクティビズム(政治運動)へと駆り立てているかのサインだ…多くの人々が1年前にムバラクを引き継いだ軍人たちと、経済や治安の不安にフラストレーションを覚えている時期に。

Ultraのメンバーたちは、長年の独裁者ムバラクの政権を転覆させた18日間の民衆蜂起にも、また最近の警察との街頭での衝突にも大きな役割を果たしたことで信頼を得ている。彼らは最悪の衝突の起きた2011年2月2日、ムバラク支持者たちがラクダや馬の背に乗って現れ反対派を挑発した折にも民衆の蜂起の震源地タハリール広場の主な擁護者だった。

先週のサッカー暴動で74人が死亡した際には…その多くはカイロを拠点とするサッカーチームAl-Ahly clubを応援するUltraのメンバーだったのだが…この運動の一団の間にも大きな怒りを喚起し、そして多くの人々はUltraが今後街頭の反対運動により多くの人数をもって現れるだろうと感じた─軍部の支配に対して反対するにせよ、あるいはより革新的な政策の要求をするにせよ。

「彼らの反対デモへの参加は目だって増えることだろう」と、Ultraに関してアラビア語の本を書いたMohammed Gamal Bashirはいう。 「当局は彼らを敵視しているが、それは大きな間違いだ。彼らは情熱的だが、何も期待してはいない。彼らに政治的にレッテルを貼るべきでない。端的にいえば、彼らは抗争には参加しているが、彼ら自身が何らかの地位を得ようなどとは思っていない」
ムバラク失墜の4年前にUltraはほとんど毎週のようにエジプトのスタジアムで治安勢力と衝突し、しばしばむやみに逮捕、拘留され脅迫を受けていた。彼らの組織は何千人もの…失望した、失業中の、教育のない若者たちで膨れ上がって、彼らは彼らに未来の希望をもたらさない警察と政権を軽蔑していた…

死者を出した暴動以来Ultraは、独立系メディアや人権運動家たちからもムバラク追放の背後の革命家たちと理想を分けあう、真に勇敢な愛国者たちとして英雄視された。 「我々は正しいものを擁護する、我々は威張らない。我々は我々の行動によって名誉を得ようと思わない」とUltraのリーダーの一人はいう…彼は彼のファーストネームのSalahという名だけを出して欲しいという。

しかし彼らへの溢れる賞賛は、その運動の源が元々ライバルチームのサポーターたちや治安部隊ともすすんで衝突する獰猛なサッカーファンたちだったことを隠蔽する。2月1日のエジプトの歴史上最悪のサッカーに関わる暴動はエジプトで最も人気のあるサッカー・チームAl-Ahlyのホームの地中海岸の町ポート・サイードで発生した。その際はAl-Masryが3対1で勝利していた。

余りにも多くのAl-Ahlyのサポーターの死…死者は主に10代から20代の若い男性たちだが…そのことは先週ずっとエジプトの政治的アジェンダを支配し、新聞の一面ヘッドラインを飾り、数知れない陰謀説が渦巻いた。 人々の中には、治安勢力がAl-Ahly Ultraに彼らが昨年タハリール広場での反対運動と、それに続く反政府デモで目だった存在感があったが故に懲罰を加えようとしたという者もいる。

多くの運動家やコメンテーターらは、長い間の敵対関係とファンの暴力の歴史をもつ2つのサイドを対戦させるこの試合には試合前から多くのトラブルの兆候があったにもかかわらず、警察の怠慢や軍部の無策ゆえにこの事件が生じたのだと非難する。それは、何日もにわたり警察とカイロや国内各地の抵抗運動者たちの間で衝突の火花を散らせた。そして主にカイロで合計15名の死者が出た。

Ultraの憤激を煽ったのは、軍部のリーダーHussein Tantawiがこの悲劇についてメディアに語ったコメントで、「このような事件は世界のどこにでも起こる」といって軽視したことだ。多くの国民がさらに怒ったのは、彼が、人々がこのような事件を制止できなかったことについて苛立っている、と語った時だった─そのコメントは、エジプト人が法秩序を自分たちの手で守れといっていると解釈された。

Ultraは、エジプトの国民の中でも最も新しく、支配者の軍司令官たちに反対する最大の人口のセグメントだ。昨年10月には、ナイル河岸の国営テレビ本部の外で抵抗運動を行った27名の主にキリスト教徒たちが軍によって殺害された。ソーシャル・ネットワークに投稿されたビデオ・クリップでは、軍の車両が人々を轢いていた。12月にはカメラにとらえられた軍の部隊が抵抗運動の群集のなかの女性を殴り蹴りする映像が報道され、女性の内の一人は半裸にされていた。これらの2つの事件は大騒動を招き、軍人たちはムバラクと何ら変わらないとの批判を呼んだ。そうした怒りはムバラクの追放以降に、拘束した市民を拷問したり、軍事裁判にかけようと最低でも1万2千人の反対派等の市民を連行した軍司令官たちに対しても高まった…
http://newsinfo.inquirer.net/143309/egypts-angry-soccer-fans-are-deep-into-politics

Thursday, June 7, 2012

エジプト大統領選はシャフィーク氏とムルシー氏の決選投票へ Egyptian Election, final run-off

  
エジプトで、反対派の民衆が政治的要求を拡大

─何千人もの人々がカイロの広場で、4晩続けてAhmed Shafikの大統領選からの排除を要求 (6/6, Al-Jazeera)

  何千人もの反対者がカイロのタハリール広場に集結、失権したムバラクの前政権の代表と目される大統領候補Ahmad Shafikへの反対を叫んだ…彼らは軍人でムバラクの最後の首相のShafikが、6月16日に投票開始が予定される決選投票から身を引くよう求めている。多くの人々は、もうひとりの候補、ムスリム同胞団のMuhammadMorsiにも怒りをぶつけている。

 「ShafikもMosriもどちらもよくない」、と21歳のArafa Mohamadは記者に述べた。「彼らは大統領選を抜けるべきだ。一人は前政権から来たし、もう一人は何ら政治経験もなく、イスラム原理主義グループのアジェンダを抱いている」

 火曜日のデモ行進はリベラル派のHamdeen Sabbahiと、ムスリム同胞団の前メンバーで穏健派のAbdel Moneim Aboul Fotouhが率いている。彼らは先月の選挙で、3位と4位の得票数を得た立候補者である。何千人もの人々が北部の都市アレクサンドリアでもデモを行い、国中のより小さな都市でも小さなデモがあったと報告された。

大統領管轄評議会?

 この最新の反対運動は、先週土曜日にカイロの裁判所が、ムバラクの昨年の革命での反政府勢力殺害への共謀罪に関し終身刑を宣告してから始まった。この判決は、汚職の容疑をかけられていたムバラクの2人の息子Gamal とAlaaが無罪判決を言い渡され、他の数人の治安当局の役人もまた殺人罪を免れてから以降、人々の広い怒りを招いた。多くの反対派の人々は4月6日運動などの若者の革命運動グループから来ている━彼らはムスリム同胞団が大統領選の立候補者を出さない、との当初の公約を破ったことで同胞団に対し不信感を抱いている。

 同胞団はこの反対運動はあと押ししている━彼らはムバラクへの判決を「ショッキングだ」としてはいるが、しかし大統領選挙のいかなる遅延も拒絶している。
 Mosriは月曜日にSabbahiとAboul Fotouh、そして Khaled Aliなどの他の敗退したリベラル候補らと会談した。3人の敗戦候補は「presidential council 大統領管轄評議会」…すなわちエジプトを支配する文民組織(civilian body)の設立を求めているが、Morsiはこの考えを支持していない…  いくつかのメディアによると彼はそれを徹底的に拒絶したという━そして同胞団はそれが違憲であるともいっている。

Shafikは立候補を却下されるべきだ

 「大統領管轄評議会」という案は、エジプトのリベラル派の間ですら論議を呼んでいる━カイロのHeliopolis地区出身のリベラル派議員AmrHamzawyは、それは「民主主義とは相容れなくなるだろう」と述べる。 
 Shafikはまた、決選投票を前にMorsiに対する攻撃をエスカレートさせている。月曜夜のTVのインタビューで、彼は同胞団が昨年の革命のさなかにタハリール広場で反対派勢力を殺害したとして非難したが詳細は述べなかった。

 決選投票はエジプトの文民支配への移行の最後のステップとなる筈だ。エジプト軍部の支配者らである最高評議会は、文民大統領に6月30日に権力を委譲すると約束している。
しかし、それが予定通りに進むかどうか疑問も残される。大統領管轄評議会へのプッシュにくわえ、今年初めに議会を通過した前政権官僚による選挙への立候補を禁じる「政治的排除」法を理由にShafikが資格剥奪される可能性もある。─エジプトの最高裁は今月末に、その法律が合憲であるかどうかの判決を出さねばならない。

 月曜日の選挙結果により、エジプトの大統領選はAhmed ShafiqとMohamed Morsiの決選投票になるという━選挙委員会の長であるFarouq Sultanがその結果を記者会見で発表し、投票率はおよそ43%で、2千3百万人の人が投票した。

フロントランナーたちの得票数 
Mohammed Morsi: 5,764,952b Ahmed Shafiq: 5,505,327
Hamdeen Sabahi: 4,820,273
Abdel Moneim Aboul Fotouh: 4,065,239
Amr Moussa:2,588,850


…Aboul FotouhとSabahiを含む幾人かの候補が、何千人もの軍の招集兵たちが投票を禁じられているにもかかわらず投票した、と訴えたが、選挙委員会は証拠がないとして訴えは却下した。

古い体制への逆戻り

 …昨年の革命を強く支持したリベラル派にとり、この選挙は最悪のシナリオとなっている…なぜなら彼らにイスラム原理主義者とムバラクの政権の申し子のどちらかを選ぶように強いるからだ。彼らの中には決選投票全体をボイコットすると言っている者もいる。

…アル・ジャジーラのMatthew Cassel によればタハリール広場には2千人ほどの反対派が集まっているという。「それは主に若者たちで、巨大なエネルギーだ」。彼の報告ではShafiqの本部は襲われ窓が壊されたという。ロイター通信はShafiqの本部に火をつけたと報じた

 しかし、広場に戻ってくる意味はないと行っている人たちもいる。Sabahi候補の選挙ボランティアのMostafa Mortadaは、宿命論的なことを言う。「Shafiqが次の大統領だ。タハリール広場で何をすることがある?ゲームはアンフェアだ」

 MostafaがいうにはShafiqの決選投票は革命の終わりを象徴するという、しかし彼はMosriにも投票せず、同胞団に全権を託したりはしないという。「それが今か、1年後かはわからないが、Shafiqが大統領になればもう一度革命があるだろう」と彼は言う。

 両候補は、選挙戦の第1ラウンドでFotouhを支持した勢力や、宗教的穏健派の多岐にわたる支持者のミックス勢力、保守的サラフィ主義勢力、そしてムスリム同胞団を追放された元メンバー等からの支持獲得に熱心だ。最大のSalafi政党であるNour党のリーダーたちは、Morsiに投票すると決めていると言う(それは「宗教的義務」だとして)。
http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2012/06/201265161255460815.html

*大統領選では旧政権に関わった世俗派の実務経験に期待も高まっている
タハリール広場には、原理主義(アルカイダ系)の黒旗軍団も出現…(12/05/25)  (FNN MEWS)
http://www.youtube.com/watch?v=dU5mDOUdIOM