Douthatの軽いコラムでは
日本のことをめちゃめちゃにけなしている
信じがたいほど縮んでいる国
Incredible Shrinking Country- By ロス・ドウザッド (4/28, NYタイムス)
P.D.ジェームズが1992年の小説、「ザ・チルドレン・オブ・メン (The Children of Men)」で描いていた世界とは、世界中の男性が不妊症になり、人口の老齢化した英国が徐々に人類が絶滅していくことを受け入れていく、という未来だった。女性たちは、赤ん坊の代わりに人形を乗せた乳母車を押している。家族は、子猫たちに洗礼を施す。衰えつつある男性の性的欲望を刺激するために、政府は「国営ナショナル・ポルノ・ショップ」を運営する。自殺は蔓延している。移民たちはゲストワーカーとして歓迎されるが、一たび働けないほど齢を取りはじめた途端に、国から追放される。地球上に最後に生まれた子供たち─「オメガたち」と呼ばれる─ は成長すると、退屈した、傲慢な、反社会的で、破壊的な人間となっていく。
しかし、ある先進国が小説「Children of Men」を、特に予言的なものに見せる。日本では今や出生率は非常に低く、平均寿命の高さは偉大なもので、国の人口統計のプロフィールはもうすぐパーム・スプリングスの、アメリカ人のリタイヤ層コミュニティーのそれと同じになる。「徐々に…しかし、容赦なく…日本は、SFの世界でのみ想像されていたような輪郭と機能を持つタイプの社会に進化しつつある」と、人口統計学者のNick Eberstadtは「The Wilson Quarterly」の最新号に書いている。
Eberstadt は何年にもわたり、地球上のあらゆる場所で減退する生殖率が引きおこす挑戦について書いてきた。しかし、日本はユニークなケースだと彼は言う。「日本人の出生率は女性1人当たり、ちょうど1.3人あたりをさまよい、安定的な人口を維持できるレベルよりもはるかに低い。平均寿命の上昇のおかげで、2040年までには100歳以上の人が、赤ん坊が一人生まれるごとにその場で彼らを歓迎できるような状況にも近づく」。その同じ時期までには、日本の総人口は20%減少すると考えられるが、そこにはすでに停滞した経済と、すでに張りつめたセイフティーネット、という陰鬱な成り行きが伴うのだ。
日本は、かくも急速にデモグラフィックな崩壊に面しているのだ、とEberstadtのエッセイは指摘する、なぜならその文化は、特に破滅的なやり方でリベラリズムと伝統主義を結合してきた。一方では、お見合い結婚と家族の責務を重視させるような古めかしい性的文化は、かなり崩壊している。日本は世界の最も宗教的ではない国のひとつであり、結婚率は低落し、離婚率は北ヨーロッパ諸国よりも高い。
日本は、かくも急速にデモグラフィックな崩壊に面しているのだ、とEberstadtのエッセイは指摘する、なぜならその文化は、特に破滅的なやり方でリベラリズムと伝統主義を結合してきた。一方では、お見合い結婚と家族の責務を重視させるような古めかしい性的文化は、かなり崩壊している。日本は世界の最も宗教的ではない国のひとつであり、結婚率は低落し、離婚率は北ヨーロッパ諸国よりも高い。
それでも、婚外子である子供を育てることに対する伝統的な不名誉(スティグマ)が継続し…それは結婚していない日本人が結婚せずに子供を育てるよりも、「自発的に子供を持たないこと」を選ぶということを意味する(婚外子を育てることは、アメリカではノーム[社会的規範]となっているが)。そして日本人の移民に対する伝統的な疑念もまた、21世紀において持続している(それは、人口のバイタリティが低下する原因のひとつかもしれない)。Eberstadtは、「2009年において日本に帰化した移民の数は、スイス(その人口は日本の人口のわずか6%で、その冷淡なよそよそしさでも有名な国だ…)における、新たな市民の数のようやく3分の1ほどだった。
こうしたトレンドが、Jamesのディストピア小説における不妊の英国、というものを想起させる社会を形成している。日本は先進国社会のなかで最も自殺率の高い国のひとつで、過去10年の間には、インターネットに導かれた集団自殺も発生した。出席者の乏しい結婚式には「レンタルの親戚」が存在し、孤独な老人層のために「ベビーロイド」と呼ばれる…赤ちゃんを模したふわふわした人形が開発され、日本人リサーチャーたちは人間の赤ん坊に似せたロボットを製造する努力の最前線にいる。若い世代には、「パラサイト・シングル」と呼ばれる、いまだに(間断的に)両親と住む何百万人もの単身者たちがおり、そしておそらくは、何千万人もの「ひきこもり」がいる─Eberstadtは書く、「ヤングアダルトたちは、両親の家でビデオゲームやインターネットやマンガなどだけで、友達のいない世界に引きこもっている」。
もしもこのような未来図のなかに、なにか本当に楽観的になれる理由があるなら、それは日本人にとってではなくアメリカ人にとってであろう。20年前に悲観論者たちが、アメリカは間もなくグローバルなリーダーシップを日本に明け渡すだろうと予言したとき、彼らもまた今日の悲観論者たち(…このコラムも含めて)がよく引用するのと同様な国内のトレンドを引用していたのだ。我々の持続不可能なほどの負債額と、ほころびかけた社会のfabric(社会を織りなす繊維)、そして退廃的な文化と、競争性を欠いた経済…といったものを。
こうした問題はいまだに存続し、そのいくつかはこれまでになく悪化している。しかし、それらは我々を、今日本人が直面しているような事柄には未だに直面させなかった。我々の家族関係は弱体化しているが、婚外子の高い出生率があることは子供が生まれないことよりも余程ましだろう。我々は移民たちを、望ましいやり方よりは遅々として同化させるが、少なくとも我々は同化(assimilation)というものを容認する。アメリカの宗教は浅薄でナルシスティックで分裂的かもしれないが、われわれの宗教的制度はいまだに団結と、向上心をも持っている。我々の経済は弱弱しく、負債額は巨額だが、しかし少なくとも我々は次の世代に向かって、今日の30歳以下の日本人がいつか背負わねばならぬような重荷を背負ってほしいと頼んではいない。
近代的な世界はひとつだが、すべての文明はそれぞれ異なるルートをたどっている。我々の持つすべての問題を考えても、我々が、日本と同じ様な日没には向かってはいないことを、21世紀のアメリカ人は感謝しなくてはならない。
近代的な世界はひとつだが、すべての文明はそれぞれ異なるルートをたどっている。我々の持つすべての問題を考えても、我々が、日本と同じ様な日没には向かってはいないことを、21世紀のアメリカ人は感謝しなくてはならない。
*I think douthat's analysis is partly true, but partly an exaggeration..
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