Saturday, October 22, 2016

ミシェル・オバマ、ドナルド・トランプに説教す Michelle Schools Donald Trump-By Maureen Dowd

ミシェル、ドナルド・トランプに説教す
By モーリーン・ダウド (2016/10/15、NYタイムズ)

木曜日に、ミシェル・オバマは、ヒラリー・クリントンのための
選挙戦で、報復の天使を演じた
アニタ・ヒル(*1)は、彼女の戦いに敗北した。

そして、彼女に対して変態じみた振舞いを働いた気持ちの悪い男が、戦いに勝利したのだ。

セクシャル・ハラスメントの問題が爆発して全米的な注目を浴びたのは、25年前のことだ─それは、ワシントンのマッチョ主義のシンボルである…ベトナム戦没者モニュメントの影のもとで、男性が優越支配している下院議会において爆発した。

政治の表舞台で、そこまで下品さの極まる、性的に露骨な言葉づかいというものは、いまだかつて聴かれたことがなかった…それは、まるでアメリカ人の深層心理の最もセンシティブな部分へと削岩機が掘り進んで、到達したかのようだった。

1991年の、その精神的なトラウマの元となった一週間は…セクシャル・ハラスメントについて教える際の重要なチュートリアル(教材)ともみなされている。だが。そうした事実を除くなら─最後には、“領主の権利”(droit du seigneur)というものが容認された。クラレンス・トーマス(*2)は脅しに屈した上院司法委員会によって報奨をうけ、最高裁の終身判事の職を得たのだ。

トーマスへの反対票を投じる女性はいなかった─なぜなら、委員会には女性が皆無だったからだ。委員会のメンバーとは、白人の中年男性ばかりだった…彼らの多くが、ヒルとトーマスの間には何らかの合意に基づく関係があったのに違いない…などと信じながら議場を後にした。

─そのこと以外に、彼女が自分のストーリーを語るべく、何十年ものあいだ待ち続けた理由など、あっただろうか?

─そのこと以外に、トーマスが病的な好色さを見せたそのときに…あるいは少なくとも…さらなる新政権において彼が、再び司法長官の座に就任しよう…とした時にすら、彼女が彼に付き従うのをやめて辞任しなかったことの、理由があるだろうか?

男性の性的な優越性 [male entitlement]とは、男性の性的な優越性[male entitlement]に関して推し測る能力はあるが…しかし、それは女性たちが、様々な仕方で所有財産のような扱いをうけ続けて、彼女たちがそれらの恥ずべき扱いに対抗し…食い止め…克服するために、様々な方法でリアクションを起こしている…ということを推し測る能力を持たないものだ。

いまや、我々は政治の表舞台で展開される、未だかつてない俗悪さと、性的に露骨な言葉遣いのスライム粘液の、更なる一週間に浸されている。女性たちが大挙してマイクロフォンの元に名乗り出て、その気味の悪い男が彼女らに働いた変態的な行為について語っている。

だが今回、女性たちには投票権がある。トーマスはより大きな仕事を得るために戦いに勝ったかもしれないが、ドナルド・トランプは負ける。彼に関して申し立てられている逸脱行為は、女性たちをヒラリー支持へと奮い立たせた…自らの選挙キャンペーンで、ヒラリー自身にはなしえなかったような方法で。

ヒラリーには、男性が働いた性的に淫らな行為に対しては不器用な弱みがある。しかし、ミシェル・オバマは…アニタ・ヒルも決してやらなかったような方法で、報復の天使としてそこに踏み込んだ。木曜日の、ヒラリー支持者たちのキャンペーン集会で、彼女の声は嫌悪感に震えていた…ファースト・レディーは、トランプの(彼女はそこで…親切にも彼を名指しせずに済ませてやったが…)その「残酷」、かつ、「ぞっとするような」行為が、「ロッカールームの会話」だとか、「バッド・ドリーム(悪しき夢)」などといった言葉ではなぜ、済まされないのかを説明した。

「それは、恐怖(terror)の感覚、余りにも多くの女性たちが、誰かに体を摑まれたときに感じた暴行の感覚、あるいはその男が、彼自身を彼女の上に覆いかぶせて、そして…彼女らがノーといったにも関わらず、彼がそれをきかなかったときの感覚なのだ」、と彼女は言った、「それは我々が、母親や祖母らから聞かされていた話を思い出させる…彼女たちの時代には、オフィスではボスたちが何でも言える権利を持ち、オフィスの女性たちは彼の喜ぶことならば何でもさせられた…といった話を」。

この話は、私に私の母のことを思い起こさせた─母は20代の頃にはワシントンの証券会社で働いていたが…クリスマス・パーティーの席では、重役たちが恒例のように若い女性を呼び寄せては膝の上に乗せていた…といった話を。

もちろん、ミシェルによるこの奮起させるようなメッセージは─彼女の夫が、好色なビル・クリントンをホワイトハウスに呼び戻すことを先導している、という事実によって、何となくその価値を削り落とされてしまう。

トランプ・ファミリーが、セクシャル・ハラスメントに関する理解を欠くという事実は…ドナルド・ジュニア(Don Jr)が2013年に、このトピックについて尋ねられたラジオ・インタビューにおいて、こう答えたことでも明らかだ─「もしもあなたが、今日の企業労働者たちにとって、問題を生じかねないような基本的事柄を自らの手中でコントロールできないのなら、あなたは彼らの一員にはなれない」。彼は、そのとき、こうもツイートしていた、「もしも、あなたがその夜の状況においては@mark_mcgrath(*イケメン俳優の名前)のようにみえたならば…あなたもまた、誰よりも酷いやり方で他人にセクシャル・ハラスメントを働いている、というわけだ。人事課の規則など適用されはしない。ハハハ…」。

その、威張りちらす70歳の共和党指名候補者というのは、常に1959年の時代にタイムワープすることに捉われているようだ─まるで、ラス・ベガスのサウナ・ルームで、フランク・シナトラに向かって、「broads(“若い娘”)」だとか、「”スカート”」とかについての自慢話を吐きまくるみたいに。…だが、性的暴行に関する大量の告発や、逸脱行為のキス、ビューティー・コンテストの更衣室で脱衣中の女性やティーンエージャーたちを驚かせたという行為、ハワード・スターン(TV司会者)に対して…23歳のイヴァンカが「ただの糞(a piece of ass)」だった、などと認めたこと…は、洞窟に棲む男というもののイメージに、さらに胸の悪くなるような一面をつけ加えた。

トランプは、大統領候補者間の2度目のディベートの場に、ビル・クリントンの告発者らを連れていくような矛盾を冒すことはなかった… だが…ヒラリーが悪辣な態度で彼らの信用性を損ねたことは、批判されるべきだと述べた─彼もまた、自分の側のクリントン告発者たちからの信頼性を、酷く損なう行為を行いながら。

5thアヴェニューの城に閉じ込もった、気の触れた王が、企業やメディアのエリートが彼に対してもくろんでいる…というグローバルな陰謀に憤りをぶつけている…そうだ、ウエスト・パームビーチの支持集会では、ナチスのカギ十字のサインだって飛び出した…彼の反論がいかに不快なものかを、彼自身は気づいてもいない─彼を(性的暴行で)告発している女性たちは、襲うに足るほど魅力的でなかった─などと、彼が言うような時に。

トランプの第一子の誕生と、妊娠中のメラニア(夫人)に関するエピソードをMar-a-Lagoで執筆していた際に、トランプに襲われそうになったという、People誌のライター、ナターシャ・ストイノフに関して─その権力者は、ウエスト・パームビーチの聴衆に、こう言ったのだ、「見てみろよ…おい、君ら、見てみるがいい。彼女を見てみろ…彼女の言葉と比べてみろよ。君らがどう思うのかを、俺に聞かせろよ…俺は、そうは思わないぞ。」

ノースカロライナ州のグリーンズボロで、彼は… 30年前に、航空機内でトランプが性的に淫らな「蛸」のように振る舞った…とNYタイムズに話した、ジェシカ・リーズについて語った。「俺を信じろ。彼女はおれの一番の好みなんかじゃない…。それが、俺がお前に言えることだぞ」─聴衆は笑った。

その集会で、彼はヒラリーをも下品な笑いものにした─「俺が自分の演説台に立っているときに、彼女が俺の前を通る…そうだ、彼女が俺の前を横切るんだ。そして、彼女が俺の前を横切るときには…俺を信じろ、俺はまったく 何もインプレッションを受けちゃいないぞ。」

トランプは気づいていないかのようだが─彼が彼の弁護士を使って…二人の女性が彼を暴行した、というエピソードを掲載したNYタイムズを告訴する、と脅したとき─彼はすでに、それ以前にその件は自分で告白していたのだ─タイムズの尊敬すべき弁護士・デヴィッド・マクロウはこう反論した、「我々の記事とは、トランプ氏がすでに…彼みずからの言葉と行動を通じて彼自身のためにうちたてた名声に対しては、微塵の影響力も持っていない。」 http://www.nytimes.com/2016/10/16/opinion/sunday/michelle-schools-donald-trump.html?_r=0&mtrref=query.nytimes.com&gwh=DFC3A82357B2538173E1571D2950C5C8&gwt=pay&assetType=opinion

(*1) アニタ・ヒル:黒人女性弁護士、法学教授。1991年に教育省に在職中に上司のクラレンス・トーマスを職場でのセクシャル・ハラスメントで告訴し全米の注目を集めた。
(*2)  クラレンス・トーマス:父ジョージ・ブッシュ大統領に指名され、’91年に合衆国最高裁首席判事に就任、現職。
★動画:キャンペーン集会でのミシェルのスピーチ

Michelle Obama's EPIC Speech On Trump's Sexual Behavior (FULL | HD)
https://www.youtube.com/watch?v=r7e3QKKOp50

★参考記事
連邦最高裁裁判官、クラレンス・トーマス
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/12589174.html
アニタ・ヒル事件、19年目の後日談とは?
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=zOt-A2VYf6wJ&p=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%AC%E3%82%93%E3%81%99%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9&u=www.newsweekjapan.jp%2Freizei%2F2010%2F10%2Fpost-213.php

ミシェル・オバマの正統的パワー (Byフランク・ブルーニ)

The Authentic Power of Michelle Obama By Frank Bruni (2016/10/15, NYタイムズ)

レイシズムを不当な取引の材料につかい、女性差別主義を推し進め…バラク・オバマの出生の地についての嘘も、政治的な気運を得る梃子にもちいる…といった手段をあれこれ駆使した後に、ドナルド・トランプが止めの一発のデス・ブロウというものを…黒人女性、つまり大統領の妻から食らうとしたら、美味しすぎるのではないか?
そしてまた、何年ものあいだ政治の舞台の醜悪さからは慎重に距離を置いてきた、その後に、ファースト・レディがこのグロテスクな選挙戦にみずから乗り出してきた…なんて、面白くないだろうか?

それは、トランプが体現している唯一無二の脅威に対して、彼女が最も獰猛極まる対抗者として現れた…というこの状況のすべてに言えることだ─つまり、それはオクトパス・キラーのミシェル・オバマだ─彼女には威力がある、その理由とはすなわち─彼女が今まで、一度も戦いに挑んだことがなかったからなのだろうか?我々は、それが彼女であることを知っている。彼女は何か擁護すべきものがある場合にだけ、行動に出る。そして先週の末に彼女が、感動的で焼け焦げるようなスピーチを通して擁護したものとは─トランプの勝利によってそれが台無しにされかねない、彼女の夫のレガシーより以上のもの…つまり、それは彼女の女性としての尊厳であり、すべての女性の尊厳というものなのだ。

私は、彼女のインパクトを買いかぶるつもりなどない─トランプは、彼女が非難の嵐に加わる以前から、その勢いを喪失しつつあった。しかし彼女の雄弁さは、その取引を確実なものとして固めたのだ。最初に彼女は、7月中の木曜日にニューハンプシャーの民主党大会で…彼女が全米の良心を体現していると自ら称して、我々の最も重要な価値観のもっとも誠実な擁護者だ、とも自ら宣言していることの裏付けを得る賭けに出た。

ヒラリー・クリントンには、その役は勤まらない。彼女は余りにも多くの混乱した妥協を行い、そして余りにもしばしば、ロココ調の計算も行ってきた。ハッカーによって暴露されたジョン・ポデスタ(*)の電子メールの示唆するものとは、クリントンに関する噂を広範囲に囁く者たちの委員会が、その賢明な刀を一振りしない限り…彼女は瞬きすらもしない、という事なのだ。

(*)ヒラリー・クリントンの現・選挙参謀長、ビル・クリントン政権では大統領首席補佐官を務めた。

バラク・オバマにも、その役は勤まらない─現今の状況のもとで、ちょうど今の彼の気分からいって、そうなのだ。先週、オハイオ州での演説のなかで、彼は有権者たちに対して、主にこう訴えた─単にトランプを拒絶するよりも、共和党全体に罰を与えよ、と…そして、党の骨折りが報われるという歓喜を保証した─だから俺が言っただろう、といった調子で。

彼は共和党というものを「幾度も、幾度も、幾度も…栄養補給が施され続けてきた、気のふれた人間のたまり場」であると、激しく非難した。彼は彼らに対して─トランプというのは、あなたのアジェンダが「嘘に立脚しており、はったりの上に成り立っているとき」に、指名を受ける人物だとも言った。彼は、単に米国の未来の安全というものを守っているだけではなく…彼が行ったレベンジをも暴露していた。

ミシェル・オバマもまた、おそらく、彼女の夫(と彼女)がくぐり抜けてきた最悪の事柄へのレベンジを行いたいのだろうが…しかし、彼女の言葉の中にそれはなかった。

その主な理由とは、つまり、彼女は政治家ではない、ということの贅沢を享受していたのだ。彼女は、何に対しても立候補するつもりなどない。彼女は多くの事柄に影響力を揮おうとはしてこなかったし、意見の異なる有権者たちには潜在的に距離を置くか、あるいは、そうした者たちの前面にだけ放った矢で、武器を使い尽くして済ませてきた─あなたには、支持率というもののアップへの関心があるのだろうか?それならば大統領のオフィスを出るか、あるいは、最初からそこには踏み込まないほうがいい。

だが、そんな状況にあっても彼女は、さらに才能に磨きをかけてきたというわけだろうか?ワシントンでは、ちょっと珍しいことなのだが。さもしい根性の蔓延している状況の向こうを張って、彼女と、彼女のスピーチライターたちは、よくある非難の言葉や様々な恨みつらみの羅列に代わる…含蓄に富んだ、魂のこもった演説を楽々と行ってみせた。私は、彼女の党大会演説のなかのゴージャスな一節というものを思い起こす─ワシントンに移住して以来、黒人の奴隷たちの手によって築かれたホワイトハウスで、彼女の娘が目を覚ますのを、毎朝、その目でみてきた、という一節を。その描写は、アメリカが犯した罪への戒めでもあると同時に、この国が遂げてきた進歩というものへの感謝と称賛と、祝福の念にも溢れていた。それは、政治や政治家たちには滅多にできないことなのだ─すなわち、複雑で議論の余地のない真実というものの描写だ。
http://www.nytimes.com/2016/10/16/opinion/sunday/the-authentic-power-of-michelle-obama.html

Tuesday, April 12, 2016

When Castro Met Nixon... カストロがニクソンに出会った時 By Fred Kaplan

カストロがニクソンに出会った時─
1959年に米国を訪れたフィデル・カストロはアメリカ人たちを魅了したが…
米国・キューバの関係とは、つね
に暗雲に覆われていた
When Castro Met Nixon
Fidel charmed Americans in a 1959 visit, but U.S.- Cuba relations were always doomed. By Fred Kaplan (2016/3/21, Slate.com)


オバマ大統領が、キューバと米国の間に新たに再開された貿易と外交の拡大や、その自由の増大の途を求めてキューバを旅行している今─こうした途が半世紀ほど前にいかに閉ざされたのかを想い起すことは意義深い。

それは、1959年1月1日のことだった─フィデル・カストロと彼のゲリラ勢力は、独裁者フルヘンシオ・バチスタが包囲を破って逃亡したその数時間後には、キューバの首都を行進していた─当初は、彼らとワシントンとの関係は良好だった。バチスタを毛嫌いしていた在キューバの米国大使やCIAの部門チーフの要求に応じて、ドワイト・アイゼンハウアー大統領は、カストロの革命政府を公式承認した─それを実行した国家とは、米国がベネズエラに次いで二か国目だった。

3か月後の4月には、エネルギッシュな31歳のカストロが…ふさふさとした顎髭にグリーンの兵服姿で米国へと飛んで、好い印象を与えて回った。ワシントンでは彼はナショナル・モールを散策し、コーン入りのアイスクリームを食べ、赤ん坊にキスをし、人々のサインの求めに応じたり、バスの上の学生たちに手を振って…近づいてくる誰とでも訛りは強いが流暢な英語で会話を交わした。
ニューヨークでは彼はウォールストリートの銀行家たちとランチを共にし、ブロンクス動物園でベンガル・タイガーに餌を投げ、セントラル・パークの夜の集会では3万人の聴衆を前にスピーチを行った。ヒューストンでは、彼は純血種のクオーターホース(競走馬)を寄贈されて、石油業界マンのフランク・ウォーターに革命に関する映画の製作権を与えた(ウォーターはカストロの役をマーロン・ブランドに、彼の弟ラウルの役をフランク・シナトラに演じさせたかったが、映画は製作されなかった。)

ワシントンの議会堂での上院外交委員会との会合で、カストロはこう言った─「我々は、米国の資産を侵害することには何の関心もない」。彼は彼の政府内部の共産主義者たちの存在をめぐる質問をかわして言った、「彼らの影響力は全くない」と。また、521名の人間たちを処刑した政府の銃殺部隊について詰問されたカストロは、銃殺された者たちは「戦犯」だったと主張し、キューバではまもなく報道の自由を認めて、4年以内には自由選挙も実施すると約束した。

ニューヨーク・タイムズのある社説は、「この若い男には、堂々たる貫禄がある」と訴えた─彼の訪米を取材したタイムズの記者は、彼を懐疑的な目でみていた人間さえもが「眩惑された」といって熱狂的に書きたてた…記者はカストロがその国に「別世界から…獰猛なラテンの熱情の世界から来たというのみならず…彼は別の世紀からやって来たようだ」などと書いた…おそらく彼は、サム・アダムスや、パトリック・ヘンリー、トム・ペインやトーマス・ジェファーソンなどが生きた世紀から来たのだ、と。「なぜなら、彼は長らく茫漠とした記憶にすぎなかった過去の革命の記憶を掻き立てただけでなく、ひとたびそれが深く感じられるや、新たな秩序を想い起こさせた─(「その夜明けに生きていること自体陶酔だったが…若いということは真の天国の祝福だった)‘Bliss was it in that dawn to be alive, but to be young was very heaven’」)フィデル・カストロは、彼に対する不信の念をも脇に置かせることに成功していた─少なくとも…部分的かつ一時的には。

そうした留保の状態とは、長くは続かなかった。カストロが米国で膨大な数の群衆を引きつけていたその間にも、タイムズのハバナ特派員は、キューバのあらゆる町や労働組合で共産主義者たちが組織されていると報じた。そうした報道は、カストロの訪米の前日に米国大使館が発した公電を反映するものだった。それでもなお、米国大使のフィリップ・ボンサルは公電において結論した─「まだ多くのチャンスが残っている─慎重な方法によってカストロに影響を与えるための方策が。…「我々が武器を手にするよりも前に、彼にキューバが抱えている問題を手直しさせるために、いま少しの時間を与えよう」と彼は指摘した。

アイゼンハウワー大統領は、その時、意図的に遠方にいて不在だった─彼は、カストロがワシントンに滞在していた5日間はずっと、ジョージア州のオーガスタでゴルフをしていた。しかし副大統領のリチャード・ニクソンは、キューバのリーダーと議事堂内の彼のオフィスで、日曜の午後に2時間半にわたって面会した。その会話の要約によれば─ニクソンはカストロには印象的な魅力がある、と語りつつ、彼は「共産主義というものに対しては信じられないほどナイーヴなのか、あるいは(すでに)共産主義者の規律(教義)の下にあるかのいずれかだ…私の推測ではそれは前者だろう」、と言った。そして「彼の政府や経済に関する認識とは、「私がこれまで50か国で出会った人間の誰よりも遅れている」、ともいった。それでも、ニクソンは「彼には指導者となる力がある。…我々には、彼を正しい方向に向かわせる以外に選択肢はない」、と書いた。

ニクソンの考える「正しい方向」とは─他のすべての米国政府の官僚たちの認識とも一致していた─それは、共産主義に対する冷戦状態にある西欧世界と連携し、外国投資家に対して広く門戸を広げ続け、自由貿易経済と、厳格な財政規律を維持することと引換えに、IMFからの貸付けを受けることだった。
これは、カストロがまったく意図していない方向性だった。バチスタとはアメリカの権益におもねる傀儡だったが、カストロの革命の主な信条とは、それらを断ち切ることだった。カストロが喚起した真の希望というもの(西欧の多くの人間のあいだでさえ抱かれていたようなもの…)すなわち、カリブ海の国家はいずれの超大国とも同盟を結ばないないだろう、との予測は、米国の政府官僚らにとっての深い憂慮の種だった。大使のボンサルは、カストロが共産主義に対して「慈悲深い寛容さ(”benevolent tolerance”)」を維持していることに、手をこまねいていた。国務省の地域担当専門家たちの上官も─「ナショナリズム的な中立主義」へのカストロの傾向に関して…それを共産主義者が最大限に利用する可能性もある、と警告した。

米国を訪問する前月の3月、カストロは米国人が所有していたキューバ電話会社を奪還した。彼は帰国から2週間後の5月には、農地改革法に署名した─それは外国人が所有する資産をむしばんで、外国企業はキューバ人に分け前を返さない限り、排除されることとなった。
この意味において、フィデルが常に共産主義者だったのか、あるいは彼はいつそうなったのか、物事が異なる進展をした可能性はあるのか─といったことを考えることにはあまり意味がない。
こうした懸念がもたれるさなかで、議会では砂糖条例の改正が議題となった。バチスタ政権時代に立法化されたその条例は、アメリカの砂糖輸入の70%がキューバからもたらされることを保証していた。6月には、ある省庁間のグループがその件を討議すべく会合を開いた。そこでは、米国企業はラテン・アメリカに90億ドルを投資していると指摘する者もあった。その地域圏に属する国々はいずれも、ワシントンがキューバの搾取に対していかなるリアクションをとるかを注視していた─寛容さとは、こうした他の国々でも同様に企業の資産を危険にさらす可能性があった。政府の官僚たちはアイゼンハワーに、その法律の改正を望まないようアドバイスした。

カストロが首縄を絞められたように感じるまでに長くはかからなかった。キューバは資源に乏しく、その国には砂糖と、その他の物を購入する少量の硬貨があるだけだった。彼はチェ・ゲバラをアジアとアフリカに派遣して、「非同盟」諸国からの経済的援助を得るための方策を探らせたものの、成果は得られなかった。

フィデルがワシントンに飛んだその同じ月に、キューバ軍の中にマルクス・レーニン主義者の一団を創設する援助を依頼すべく、ラウルは側近をモスクワに送った。そして、クレムリンはスペイン内戦で戦った元・将官らを派遣してきた。1959年10月には、KGBの上級エージェントが、キューバ島への資金と武器の供給について話し合うために島を来訪した。まもなくフィデルはラウルを新たな革命軍省の担当大臣に任命したが、そのことはキューバの将官たちの一団の離反(亡命)を招いた─彼らは米国に到着するや否や、(米政府に)ハバナのソ連との新たな関係に関する諜報報告を行なった。

結局、11月にはアイゼンハワー政権がキューバ政府転覆のための秘密計画を策定したが、その動きにはカストロの暗殺が伴う可能性があった。CIAの局長アレン・デュレスは、こう論じた─「カストロのいかなる後継者も、彼ほどの催眠的魅力は持たないだろう」から、フィデルの死はその体制の崩壊を「大いに促進するに違いない」と。(1970年代にチャーチ委員会が暴露したように、CIAはしばしばマフィアを仲介に用いて、数回にわたりカストロの暗殺を試みた)。

1960年8月、カストロは米国が所有していた7億4千万ドルの資産を1日にして掌握し、その行為を米国の「経済的攻撃」への報復だと正当化した─そして彼は、「ソ連やその他の共産主義諸国からの助力」を「喜んで享受している」とも宣言した。その翌月、カストロは国連総会に参加すべくニューヨークを再訪した。今回の訪米では彼は何ら気ままな散策も行わず、新聞による熱狂的な社説も書かれなかった。彼と側近たちは、ミッドタウンの高級ホテルの代わりにハーレムのテレサ・ホテルに宿泊した─そこで彼は、国務省の官僚たちや主流派メディアの記者たちと一対一の会談を行う代わりに、マルコムXと彼の住む近隣の黒人居住地域のローカル紙の記者らと会談した。国連では、カストロはソ連のニキータ・フルシチョフ首相が議会場に入ってきた瞬間に立ち上がり、大いに称賛した─フルシチョフはその返礼に、カストロを熊の如く抱擁した。
かくして、その後の数年間にはそのサイクルは頂点に達し─米国によるピッグス湾への侵攻や、第三次世界大戦の引金を引きかねない、核ミサイルをめぐるソ連と米国の睨み合い─という1960年代最大の危機を生じた。

そうした事件の多くは、おそらく避けがたいものだった─その意味で、フィデルが常に共産主義者だったのか、あるいは彼がいつそうなったのか、もしもアイゼンハワー1959年の春に彼に会っていたならば事態は異なっていたのか─といった問いにはさしたる重要性はない。彼の革命の特質を鑑みれば、カストロは米国企業の権益には屈服できず、IMFのルールブックに追従するわけにもいかなかった。そして、米国の世紀半ばの外交政策の性格を顧みても、いかなる米国大統領も、本土からこれほど近い地域でのこのような革命を看過することはできなかった。キューバの乏しい資源と経済的な自給自足の不能さゆえに、カストロはより力の強い国と何らかの連携を組まねばならなかった。そして、世界の二つの敵対的なブロックへの分離がより硬直化するにつれて、ソ連がその力とならざるを得なくなった。カストロの最初の動機がいかなるものであれ、彼は弱小国がコントロールできないグローバル・ゲームのなかに嵌め込まれた。

こうしたダイナミズムは、すでに1989年の冷戦の終焉により段階的に縮小をはじめて、2年後にはソ連が内側から崩壊した。米国は、大統領選においてしばしばフロリダが有する29人の選挙人区の決定的影響力(それは広汎な政治的影響力をもつ州の亡命キューバ人コミュニティの意向に左右された)ゆえに、その後も四半世紀にわたって国交の断絶を継続した。

オバマは、多くの第一世代の亡命キューバ人たちがすでに世を去った…という事実を認識して…その認識に従って行動した最初の大統領だった─オバマは彼ら亡命キューバ人の子供や孫たちの世代が、親たちの世代と比べればキューバとの外交関係復活への敵対心が低い、という事実や、(とりわけ多くの面で、1950年代末のタイムカプセルのなかで硬直化していたキューバ経済ゆえに)米国による投資が有効となる可能性、また、その門戸をふたたび世界に開けばキューバが西欧文化や価値観を取り入れるかも知れない可能性(カストロ兄弟がそれを望もうと望むまいと)といった認識のうえに、そうした行動にでた。

そこには、いまだに障害も存在する─それは、たとえ米国政府や亡命キューバ人たち、多くのキキューバの自国民が何らの固執を抱いていなくても…みずからの古い行動様式や認識に固執しがちなカストロ兄弟自身の問題だけではない。そこにはいまだに解決すべき、様々な問題がある─それは没収された資産の弁償の問題や、外国投資家の権利の問題、グアンタナモ基地の処遇の問題だけではない。

それらの整理には、何年もの年月を要する─真剣な論議をはじめるには、カストロ兄弟の死を待たねばならないかもしれない。しかしオバマとその側近たちは懸命にこう計算する─たとえ(もしも)彼らの希望のシナリオが楽観的すぎようと…米国にとってキューバが何ら脅威でなくなった今日、そして他の国々も出入りを開始した現状においては、その島のドアを閉ざしたままでいることは無意味なのだ。
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/supreme_court_dispatches/2016/03/conservative_justices_attack_the_aca_s_contraception_mandate.html

Sunday, January 24, 2016

サウジ・アラビアからの手紙- Letter From Saudi Arabia By トーマス・フリードマン


Mohammed bin Salman (credit AFP)
サウジ・アラビアからの手紙 Letter From Saudi Arabia By トーマス・フリードマン2015/11/25, NYtimes
サウジ・アラビアという国は、遠くから描いて表わすのは簡単でも…ひとたびそこに足を踏み入れたならば、最も禁欲的で、多様性に対しては非寛容なイスラム教の湧き出る源泉によって苛々させられるような場所だ─その手のイスラム教の最も極端なバージョンは、イスラム国(ISIS)が実践するものだ。私が最も困惑するのは…その地を訪問して人々に出会えば、彼らが本当に好きになってしまうことだ…そこには、とても興味深い、拮抗する正反対のトレンドがある。

先週、私はこの地をISISのルーツを解く手がかりを求めて訪問した─ISISはそのグループの兵卒に1,000名のサウジの若者を引き込んでいる。私はISISがリクルートの対象とするような─サラフィー(*サラフィー主義=厳格派))やワッハーブ主義のイスラム教の教えにのめり込んだ、英語も話さぬ髭面の若者たちの集まるモスクに侵入してきたように装うつもりはない。だが、私が知っていることは、この地では依然として保守派の宗教家たちが駆け引きの支配権を握っている、ということだ。この地で最も人気のあるTwitterの投稿者とは、宗教的な扇動者たちだ─そしてこうした宗教指導者たちが、依然としてここでは司法制度をつかさどり、リベラルなブロガーたちに鞭打ちの刑を宣告したりしている。そして、彼らは未だに─彼らが世界にばら撒いてきたイデオロギーがいかに世の平和を妨害したのか─ということには、否定的な認識しか持っていない。
 しかし、私は私の知らなかったものにも出くわした─この社会では何かが沸騰中なのだ、という事実に。これは、あなたの祖父がお馴染みだったようなサウジ・アラビアではない。「実のところそれは、もはや私の世代にとってのサウジ・アラビアですらない」─と、この国の52歳になる外務大臣のAdel-Jubeirは私に言う。
たとえば、私は私のホストであるKing Salman Youth Centerの招待を受けた─それは印象的な教育基金だ─何よりも、それはカーン・アカデミーKhan Academy(*註)のビデオをアラビア語に翻訳し続けている。彼らは私に対して、テクノロジーの力が職場にいかに大きな影響を与えているのかをレクチャーしてほしい、との依頼で招聘した。私はどのように期待すべきかわからなかったが、そこには500人以上の観客が訪れてホールを満杯にしており…そのおよそ半分は、男性とは別に隔離された場所に座る、伝統的な黒いベールを纏った女性たちだった。サウジがサラフィー主義のイデオロギーを輸出することに批判的だったコラムニストが、なぜその意見を述べる場を与えられるのか…という反発の念による反動がTwitter上に溢れていた。しかし、私の講演に対する受け止め方は温かかった(私は無報酬だったが)─そして、聴衆からの質問とは、彼らの子供たちを21世紀のためにいかに準備させるべきなのかという…探求的で思慮に溢れるものだった(*カーン・アカデミーKhan Academy: 2006年にサルマン・カーン (教育者)によって設立された非営利の教育ウェブサイトであり、運営NPO:ネットを通して高水高水準の教育を、誰にでも無償で、どこでも受けられるようにするというサルマンの理念を現在、Googleビルゲイツ財団も支援する。 現在、3000本以上の教育ビデオが登録され、初等教育から大学レベルの講義まで、物理、数学、生化学から美術史、経済学、ファイナンスまで、内容は多岐に渡る~Wiki)
この国では保守主義者たちが、彼らの未来のアイデンティティにおいては、一層多くの競合に晒されそうにもみえる─いくつかの流れ(傾向)が統合しつつある、という現状のせいで。第一に、サウジ・アラビアの人口の大半とは30歳未満なのだ。第二に、アブドラ国王は、海外で学びたいと思う者には誰にでもその費用を支払うと宣言した。その結果、現在では20万人のサウジ人が海外で学んでいる(10万人のアメリカ留学者を含めて)─そしていまや、年間で3万人の者たちが欧米の学位を手に帰国して、就労人口に加わっている。いまや、どこのオフィスにでも女性の姿がみられる─幾人かの上級官僚たちが私に囁いたことによれば、かつては女性の職場参加を拒否していた…その同じ保守主義者が、自分の娘をよい学校・よい職場に入れるために、静かにロビーイング活動をするといった例があまりにも頻繁にみられる、という。

最後にこうした人口の突出した若者層の爆発と同時に、TwitterやYouTubeも爆発している、ということだ─閉じられた社会にもたらされた、神からの使者として。若いサウジ人たちはTwitterを使って政府に反発を訴えている…そして、お互いに日々の出来事を語りあっている…ひと月に5千万本ものツイートを発しながら。ここで足りないものとは、こうしたエネルギーを改革のために注ぎ込むことのできるリーダーシップなのだ。新たな国王、Salmanの息子Mohammed bin Salmanとは、30歳の副皇太子だが─彼はもう一人の穏健派の皇太子であるMohammed bin Nayefとともに…サウジ・アラビアをいかに変革すべきか…のミッションへと乗り出した。

私は、とある夕べにMohammed bin Salmanを彼のオフィスに尋ねたが…彼は私をすっかり疲れ果てさせた。跳躍するようなエネルギーを爆発させながら、彼はその計画の詳細を語ってみせた。彼のメイン・プロジェクトとは…オンライン上の政府のダッシュボードなのだという…そこには各省庁の月間目標が、K.P.I.[(Key performance indicators主要パフォーマンス指数)─に基づいて、透明度を伴って表示される。各省の大臣はその目標の達成への責任を負う。彼のアイディアとは、国全体を政府のパフォーマンス目標の達成に関与させることなのだ…大臣たちはこういう、「彼─モハメッドが就任する前には、大きな決断とは2年をかけて行われてきたが…今やそれが2週間でなされている」。

主なチャレンジ課題とは、石油に対する我々の過剰な依存と、我々が予算を準備しそれを費やす…そのやり方、そのものなのだ」、とモハメッドは説明した。彼のプランとは、サウジの富裕層に対する補助金を減らし、彼らが安いガスや電力や水道水を得られる特権を廃止すること…そしておそらくは付加価値税と、煙草や甘い飲み物に対する罪悪税をも創設し、鉱山と未開発地を民営化してそれに課税し、何十億もの利益の創出を解禁するという方向に導くことなのだ─たとえ、石油価格が1バレル30ドルに下落しようと、リヤドの政府が国を建設するために、貯蓄を削ることなく十分な収入を得られるようにと。彼はまたサウジの国民に対して、官公庁の仕事を辞めて私企業へと転職させるインセンティブの奨励金を作りつつある。 サウジ人の70%とは30歳未満なのだ、そして彼らの物の見方(パースペクティブ)とは残りの30%とは異なる」、とモハメッドはいう。「私は彼らのために、彼らが未来にそこに住みたいと望むような国を作るべく働いている。」
 これは、果たして砂漠のオアシスの蜃気楼なのだろうか?私にはわからない。それは、より開かれたサウジ・アラビアを生み出すのか…あるいは、より効率的な保守派のサウジ・アラビアを作り出すのか?私にはわからない。だがそれは絶対に…見まもるに値するものだ。「私はこんな楽観主義をこれまでに見たことがない…」と、サウジの資本市場局(Saudi Capital Market Authority)の長官、Mohammed Abdullah Aljadaanは私に言った。「我々は今まで見たことのない脈動を目にしている、そして我々は政府のなかに、過去には予想もしなかったようなロールモデル(役割モデル)の存在をみている」。
そして、肝心要めなことは─この国にはいまだに思想的な不寛容を輸出しているダーク・コーナーが存在している、ということだ。しかし、それらは真の競合にも晒されている…草の根から湧き出る競合と、そして実績に基づく正当性(信仰心の深さや一族の名による権威などではなく)を打ち立てようとするリーダーたちによる競合に…。あるサウジの教育者が私にこう告げたように─「そこにはいまだに、変化に対するレジスタンス(抵抗)が存在する」、しかしそこにはいまや、より多くの、「レジスタンスに対するレジスタンス(抵抗することに対する抵抗…)」がある。
モハメッドには、彼の父親であるサルマン王による重要な後ろ盾があった…彼は、政府を専門職化(プロフェッショナライズ)し、民間部門を活性化して、国家経済のうちで政府が占める役割を拡大する幅広いシフトの一環として…健康大臣や住宅大臣などの重要ポストを王族以外のビジネス・エグゼクティブたちによって挿げ替えた。新たな健康大臣とは、かつては国のもっとも重要なCEOだった国営石油会社アラムコ(Aramco)の前CEO、Khalil al-Falihなのだ。
モハメッドは、政府の効率化とは「我々が腐敗と戦うことを助けるために」肝要なことだという…それは「我々の最も重要な挑戦の一つ」なのだと。さらに、補助金を削減したり国内でのエネルギー価格を上げることによってのみ、サウジ・アラビアはいつの日か、「原子力発電か太陽光発電」を打ちたてることができ、地域市場での競合力を得られるのだと。それは激しく求められており、そのためにはより多くのサウジの石油が、国内消費されるよりも輸出されねばならないと彼は言う。
しかし、そうした展望はすべて、トリッキーだ。サウジの労働者たちは所得税を払っていない。「我々の社会は、税金というものを受け入れない。(市民たちは)それに慣れていない」、とモハメッドは言う。それゆえに、政府が何らかの手段で増税するか、それを形づくろうとすれば、政治的な影響を生じる可能性がある─リーダーたちは、「議会制度なき租税制度というものはありえない」、といった宣言に対して耳を貸すのだろうか? (*註:サウジにはもちろん、議会が存在しない)
「社会の一部として、それを代表しないような政府は政府として継続できない」。とモハメッドはいう。「我々はアラブの春を目にした。生き延びた政府というものは人々との繋がりを持っていた政府だけだ。人々は我々の王制を誤解している。それは、ヨーロッパの国々のような王制ではない。それは部族的な形態の王制なのだ、多くの部族と、副部族と、地域というものがトップとの繋がりを持っている」。彼らの願望や関心は考慮される。「王というものは単に、朝起きれば、何をなすべきかを決意できる…といったようなものではありえない。」
今回の訪問で私の目を引いたものには、これ以外にも、小さな事柄がいくつか存在する─例えば、ある日の午後、欧米の交響楽団がサウジの国営のテレビ放送で演奏していたことや…あるいは(通信省に展示されていた…あるサウジ女性の描いた、サウジ女性の像を含む…)サウジのアーチストによる現代絵画のコレクション、といったものだ。(*サウジでは長年、宗教的な理由から女性の顔の写真や絵画を、公共メディアに晒すことが禁じられていた)
ISISに関してはモハメッドは、それがサウジの宗教的思考の産物だとの説に反論して、こう語った、つまりそれは実際のところ、(イランに操作された)バグダッドのヌリ・アル・マリキの率いるシーア派政権の行ったイラクのスンニ派への残虐行為への反動であり…(イランに支援された)ダマスカスのシリア政府によるシリアのスンニ派弾圧への反動なのだ、と。「アメリカがイラクから去る前には、ISISは存在しなかった。その後に、アメリカが去ってイランが入り込み、そしてISISが現れた…」、と彼はいった。
彼は─ISISがサウジ・アラビアの政権を不安定にすべくモスクを爆破していたときに、国際社会はサウジがISISを触発したといって非難した─と述べた。「ISISのテロリストたちは私に、私がイスラム教徒ではないという…そして世界は私に、私がテロリストであるという。」
しかし、このことは、一方にはサラフィ-主義のイスラムというものを擁しつつ…一方には、ジハード戦士を抑え込もうとして西欧と協力しようとする別の部分を持つ、サウジの政府やその社会が生みだした数十年来のレガシーでもある。
モハメッドが論ずるには、ISISのナレティブ(言説)というものは、サウジの若者層に直接、ツイッターを通じて照射される。そして、そのメッセージとは、「西欧はそのアジェンダを君に押し付けようとする。そして、サウジ政府は彼らを助けており…イランは、アラブ世界を植民地化しようと試みている─それゆえに、我々ISISはイスラムを防御する…」、というものだ。
彼は、こう付け加えた─「我々は、西欧が我々を読み違えているというような苦言はいわない。それは、部分的には我々の失策でもある。我々は我々の状況についての説明はしない。世界は急激に変化しており、我々はその世界と共にあるためには、優先事項を再検討(re-priotize)せねばならない。今日の世界とは異なっている。あなたは、世界から孤立することはできない。世界は、あなたがたの近隣で何が起こりつつあるかを知らねばならないのだ─それはグローバル・ビレッジなのだから」。
イエメンでは、サウジが率いる湾岸諸国の同盟が、フーシの武装勢力や(イランの支援を受けた)前大統領、アリ・アブドラ・サレハに忠誠を誓う反乱勢力と戦っている。反乱勢力は、3月にイエメンのオフィシャルな政府を首都サナアから追い出し、サウジの同盟が、それを力づくで復活させようとした。これまでに米国が報じたことによれば…5,700人の人々が殺害されたが、その多くは一般市民だった。サウジの政府の官僚たちは、私に─彼らには解決策をさぐる交渉に望む準備があるといい、そこにある泥沼には嵌りたくない─ともいう。しかし、フーシの勢力は…もしも(以前彼らがあった状態と同様に)領地を失うなら、それだけでシリアスになるに違いない。
「相手方は、政治的なコンセンサスを打ち立てることに問題を生じている」と国防大臣でもあるモハメッドは言う。「しかし、地上における損害と、国際的な圧力の継続に出逢ったなら、彼らは常に交渉にシリアスになるものだ。我々はこれを終わりにしようと試みている。」
UAE、クェート、サウジを訪れたこの旅のあいだに、私が会話をしたすべての官僚たちと同じく、モハメッドは、アメリカに対してこの地域を放棄しないでほしい、との希望を述べた。「そこには、リーダーのいる時もあり…いない時もある。そして、リーダーがいない時には、カオスが引き続くものなのだ…。」
http://www.nytimes.com/2015/11/25/opinion/letter-from-saudi-arabia.html?rref=collection%2Fcolumn%2FThomas%20L.%20Friedman&_r=0
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モハメッド副皇太子の関連記事1
若き剛腕、サウジけん引 30歳副皇太子、軍事・経済動かす(朝日新聞、2016/2/5)
中東の大国サウジアラビアのサルマン国王が即位して1年がたった。イエメンへの軍事介入やイランとの断交など強硬な姿勢が目立つ新体制で、政府の「顔」として頭角を現したのが国王の七男ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子(30)だ。国防相として軍を動かす一方、経済政策にも影響力を持つ。謎めいた若き指導者の実像を追った。

 ■異例の任命、「独断」の批判
 「この記念日に改めて忠誠を誓う」。1月23日、サルマン国王の即位から1年を迎えたサウジの首都リヤドには、こんな一節を添えた国王の巨大な肖像写真が並んだ。銀行や料理店、ショッピングモール。張り出したのは、政府ではなく有力王族などが経営する企業だ。多くの場合、欧米の研究者が「MBS(ムハンマド・ビン・サルマンの頭文字)」と呼ぶムハンマド副皇太子の肖像写真も一緒だ。
 重々しい「忠誠」の言葉が掲げられたのは、新国王による人事に対して一部から生じていた「疑義」の裏返しにもみえる。
 昨年1月に即位した国王は4月、前国王が「決して覆してはならない」と勅令で指名していたムクリン皇太子(70)を突然解任した。おいのムハンマド・ナエフ王子(56)を皇太子に据え、息子のムハンマド氏を副皇太子にした。年齢の近い異母兄弟への王位継承が続いていたサウジで、この人事は国王が属する有力王族「スデイリ家」の権力固めと受け止められた。
 特に、目立った実績がなかったムハンマド副皇太子の任命は波紋を広げた。ムハンマド副皇太子は国王の息子たちのなかでは珍しく欧米への留学経験がない。人物像は謎に満ち、SNSで「粗野な問題児」と指摘する投稿も相次いだ。昨年3月に始めたイエメンへの軍事介入が長引くと、批判は強まった。国防相を兼ねる同副皇太子の「実績づくり」との指摘が当初から出ていたためだ。
 副皇太子は今年1月、イランとの外交関係断絶に踏み切ったサウジの決定にも関わったとみられ、その姿勢を「独断専行」「冒険主義的」と報じた欧米メディアは少なくない。

 ■聖域にメス、評価も
 だがサウジ国内では、ムハンマド副皇太子を「若き改革者」と評する声もある。
 昨年末、政府はガソリンや電気、水道料金の大幅値上げを発表。年約1千億ドル(約11兆7千億円)を超えるとされるバラマキによる料金抑制を縮小し、痛みを伴う改革に踏み込んだ。
 改革のとりまとめ役を担ったとされるのがムハンマド副皇太子だ。22閣僚を束ねる「経済・開発評議会」の委員長を務め、民間企業の意見にも耳を傾けながら案を練ったという。
 サウジの大手投資銀行ジャドワ・インベストメントのチーフエコノミスト、ファハド・トゥルキ氏は「家計や企業に短期的打撃はあるが、長期的には欠かせない政策だ」と評価する。
 ムハンマド副皇太子は1月発行の英誌エコノミストのインタビューで、国営石油会社サウジアラムコの一部株式を公開する考えも明かし、その理由を「腐敗をなくすため」と述べた。同社は王族の利権が絡むサウジの「聖域」。そこに切り込む姿勢は、改革への本気度を印象づけた。
 日本貿易振興機構(ジェトロ)の三束尚志リヤド所長は「副皇太子は王族や官僚に加え、米英のコンサルタントと議論して決断を下していると聞く。決して独断専行型ではない」と評する。
 一方、国防相として安全保障も担う副皇太子は、国交断絶で緊張が高まったイランとの関係について「サウジはイランと戦争しない」と述べ、欧米メディアの懸念を否定した。

 ■財政・外交、難しいかじ取り
 新婚旅行で日本を訪れたことがあり、日本のアニメにも詳しい親日家としての顔も持つムハンマド副皇太子。その手腕は、原油輸入の3割をサウジに頼る日本のエネルギー政策にも影響を与えかねない。
 サウジは歳入の8割以上を石油の輸出に頼る。だが、この30年で人口が4倍に急増したのに伴って石油の国内消費が増え、あと20年前後で「石油輸入国になる」との試算もある。サウジが発表した2016年予算は、10兆円以上の財政赤字を見込む。原油安が続けば、赤字幅はさらに拡大する。
 一方、米国が中東への関与を減らすなか、サウジは14年に65億ドルを武器購入に投じ、世界最大の武器輸入国となった。イエメンへの軍事介入の戦費は毎月数億ドル単位とされ、財政をさらに圧迫する。
 改革に取り組むムハンマド副皇太子の姿勢があだになるとの見方も出始めている。中東の地政学に詳しいアナリスト、セオドア・カラシク氏は「急激な改革を進め、結果的に国家の崩壊を招いたソ連を思い起こさせる。性急な改革が国民の反発を招く恐れもある」と警告する。
 (リヤド=渡辺淳基)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12194637.html?_requesturl=articles%2FDA3S12194637.html&rm=150
 
モハメッド副皇太子の関連記事2
サウジ副皇太子が存在感 シリアや原油、主要政策動かす(2016/2/22 日経新聞)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM08H9P_R20C16A2FF8000/

モハメッド副皇太子の関連記事3(転載)
石油王のサウジアラビア、一気に石油に依存した経済からの脱却を目指す(2016・1/23 International Business Times)


サウジアラビアの国営石油企業、サウジアラムコの
取締役会を統括するハリード・アル・ファリ(Khalid al-Falih)氏
サウジアラビアの国営石油企業、サウジアラムコの取締役会を統括するハリード・アル・ファリ(Khalid al-Falih)氏 GETTY IMAGES
サウジアラビアは、今週開催されている世界経済フォーラムにおいて、外国からの直接投資を誘致しようとアピールしている。新工場の 建設、銀行業や健康産業の促進等、外国資本が流入し、失業者のために何百万もの仕事を創出してくれることを歓迎している。同国は、石油に依存した経済から 抜け出したいと考えている。

サウジアラビアの国営石油企業、サウジアラムコの取締役会を統括するハリード・アル・ファリ(Khalid al-Falih)氏は21日、スイスのダボスで開催されたパネルディスカッションの中で、「私たちは、外国からの直接投資を大きく受け入れようとしてい る。(投資家の条件としては、)サウジアラビアにおけるこれからの発展を利用する意志があることが重要である」と述べた。同氏は、サウジアラビアの健康相 でもある。

サウジアラビア政府は、石油に依存した経済を多角化させるべきだという圧力に直面している。原油価格はここ18か月で70%下落し、今週は1バレル 27米ドル近くまで下がった。石油輸出から得る同国の収益は、急降下している。政府は、今年における財政赤字として870億米ドルを見込むと述べた。同国 における国内総生産(GDP)の13.3%に相当する金額である。昨年の財政赤字は980億米ドルであった。
サウジアラビアの指導者たちは、経済を石油以外へシフトさせようと、数十年間にわたって試みてきた。しかし、そのほとんどは成功していない。採掘、 観光、石油化学、および金融サービスといった石油以外のセクターを発展させようとした試みは、堅実で大きな石油収益という壁に直面することが少なくなかっ た。サウジアラビアの収益の80%は石油が占めている。
経済開発評議会議長を務めるムハンマド・ビン・サルマーン(Mohammed bin Salman)副皇太子は今年、いくつかの国営セクターの民営化、医療・教育・軍事部門における公共支出の大幅削減など、全面的な改革を導入することを誓約した。

世界最大のエネルギー企業であるサウジアラムコは、株の一部を資本市場で販売することや、収益を上げるために複数の子会社を上場することを検討しているという。今月初め、同社は正式にそのことを認めた。
2015年4月までサウジアラムコの社長兼CEOを務めていたアル・ファリ氏は21日、ダボスの委員会で副皇太子の戦略を賞賛し、「私たちは改革を加速させている。副皇太子には、サウジアラビアをいち早くあるべき姿にしようとする野心がある」と述べた。
同氏によると、政府の計画には、外国人労働者によって担われている役割をサウジアラビア国民自身が引き継げるように、国民を訓練することも含む可能 性がある。現在、同国における労働力の半分以上は、数千万人もの非サウジアラビア労働者が占める。その多くは最低賃金で一時契約として雇用されている。同 氏は、サウジアラビアは調薬、医療機器、医療サービスといった領域における輸入を減らし、国内生産を拡張することもできると述べた。

12月にマッキンゼー・グローバル・インスティテュートが公開したレポートによると、サウジアラビアへの外国からの直接投資は、2003年から2013年の10年間で、約3,000億米ドルだった。
しかし、近年については、外国からの直接投資のフローが減少している。地域の社会的および政治的緊張が高まっていることや、サウジアラビアの法規や 保守的な文化の影響である。同国では、男性従業員と女性従業員を職場で別々にすることが求められている。世界銀行は昨年、「ビジネスのやりやすさ」につい て、サウジアラビアを189か国中89位であると位置づけた。
国連の「2015年 世界投資報告(2015 World Investment Report)」によると、2014年、サウジアラビアへの外国からの直接投資は、総額で約80億米ドルであった。2012年における直接投資は122億 米ドルであり、34.4%減少したことになる。

ロシア直接投資ファンド(the Russian Direct Investment Fund)のCEOを務めるロシア人事業家、キリル・ドミトリエフKirill Dmitriev氏は、「ロシアはサウジアラビアの多角化戦略を利用したがっている」と指摘した。同氏はダボスの委員会で、「私たちロシアは、いくつかの プロジェクトに投資したがるでしょう」と述べた。同氏はサウジアラビアの観光部門に注目し、イスラム教の聖地・メッカ周辺のインフラ拡大を潜在的な投資分 野として挙げた。
ドミトリエフ氏は「私たちが目撃しているのは、石油から脱却して、多角化していくという本当に興味深い試みである。それは、とても急速に動いている」と述べた。
たとえそうでも、アル・ファリ氏は、サウジアラビアが世界最大の石油輸出国としての地位を明け渡すつもりはまったくないことを明確にした。同国は、世界の石油市場の10分の1以上をコントロールし、世界の石油埋蔵量の約20%を保持する。
サウジアラビアは、仲間のOPECメンバーや他の石油産出国から、1日当たりの石油生産量を減らすようにと圧力をかけられている。石油供給のだぶつきを緩和することにより、石油価格を押し上げるためである。

ベネズエラとエクアドルは、6月に予定されているカルテル内の石油生産見直し会議に先駆けて、緊急集会を要求してきた。これらの国々は、サウジアラ ビア同様、石油価格の急落の影響を受けて、石油輸出による収益が蒸発している。結果として、政府は公共支出を減らし、インフラプロジェクトを延期せざる得 なくなった。
しかし、サウジアラビアだけは、石油市場の低迷を切り抜けるための外貨準備高として、6,000億米ドルを保持している。
アル・ファリ氏は、「私たちは、他の人たちのために余地を作るためだからという理由では、(石油)生産を減らすことを受け入れないでしょう」と述べた。
*この記事は、米国版International Business Timesの記事を日本向けに抄訳したものです。(原文記事: MARIA GALLUCCI記者:「World Economic Forum: Saudi Arabia Is ‘Opening The Door’ To Foreign Investment As Kingdom Aims To Break Oil Addiction」)
 
http://jp.ibtimes.com/articles/1637048

Saturday, January 16, 2016

ロシアは、シリアでのトルコのゲームをいかに壊すのか? How Russia is shattering the Turkish game in Syria


ロシアは、シリアでのトルコのゲームをいかに壊すのか?
 How Russia is shattering the Turkish game in Syria By ペペ・エスコバル、2015,12,3, Counter Punch

それにしてもワシントンのアメリカ政府はなぜISIS/ISIL/Daesh(イスラム国)がシリアから盗んだ石油(トルコに積出しのルートを見出した)を売っていることを…事実上、永遠に認めようとなかったのだろうか?
それはなぜならすべてに先んじる彼らの優先事項とは騒がしいが眼に見えない「穏健な叛乱勢力」に対して武器を供給する「鼠小路(Rat line)」作戦というものを、CIA影ながら遂行させることだったからだ。

Daesh(イスラム国)による行為と同様に─少なくとも今までは、イラクのクルド自治政府のバルザーニ大統領の配下のよた者たちが、アメリカ政府の監視の眼の許にはいったことなど一度もなかった。クルド自治政府(KRG)による、トルコ向けの石油輸送事業とは、バグダッドの立場にたって見る限り、政府が所有する石油を盗んだものであり実質的に非合法なのだ。

Daesh〔イスラム国〕の盗んだ石油を、シリア政府の支配する地域を経由しては不可能だ。それはイラクのシーア派支配地域も通れず、東方のイランと輸送することもできない。それはトルコをとるか、あるいはゼロか…二者択一なのだ。トルコとは、NATOの東の端の腕でもある…そして、アメリカとNATOはトルコを「サポート」している。それ故に…この場合アメリカとNATOは、結局、Daeshをサポートしていたと訴えることも可能だ。
そして、確かなことは─Daesh.の非合法な石油とKRGの非合法な石油とが、長年にわたってゲームをプレイしてきた常習犯たちにとってのエネルギー権益に、同一のパターンでフィット〔適合〕していた、ということだ。

…そして、そこにはトルクメンの火薬もある。

トルコ政府がトルクメンの叛乱分子のジハーディストらをつうじて行ってきた、シリアとの一連の影の取引に対しては…アメリカ政府は常に、厳かに無視をきめてきたのだが─その最大の理由とは、CIAの「鼠小路(ラットライン)」というものがまさに、トルクメン山地と呼ばれる地方を横切っていたからだ。
トルコ政府の「人道援助の」輸送コンボイから(援助)物資の供給を受けてきたこうしたトルクメン人の勢力は、アメリカ製のTOW-2Aをも手に入れて、彼らの役目である武装密輸の主要ルートの維持という務めを全うしてきた。そうした彼らのアドバイザー達というものは、予測に違わず…Xeアカデミー(元・傭兵会社ブラックウォター)タイプの人間たちである…偶然にも、そうしたすべての詐欺的行為を見つけ出したロシアは、トルクメンへの空爆をはじめた。かくして、スホーイ24は撃墜されたのだ。

トルクメンの第五列(裏切り者分子) 

  いまや、CIAは神のミッションを遂行中だ─シリア・アラブ軍(SAA)の地上勢力と、ロシアの空軍勢力から、躍起になってその鼠小路(ラット・ライン)を防衛しようとして。 それ同様の絶望的な戦いが、Aleppo-Azez-Killis(アレッポ~アゼズ~キリス)に至るルートでも展開されている─それもまた、トルコにとってはあらゆる密輸のメインルートなのだ。

 ”4+1同盟”(ロシア、シリア、イラン、イラク+ヒズボラ)の進撃勢力にとっては…これら、二つの回廊地帯を再び制圧するための障害となりうるような、捕虜住民は誰もいない。

そしてそれは、トルコ政府の焦燥についても説明する─ご主人様の声による助け(His Masters' Voice)もほとんど得られぬままに─シリア政府軍とロシア空軍がこに到達する前に…もっか、シリアのクルド人の支配下にあるAfrinを通って設置されようとしている、まったく新たな鼠小路/回廊地帯というものに対抗すべく…。

 そしていま、再び思い出すべき重要事項というのは─トルクメンの姿をした勢力が、トルコ政府のシリア北部でのフィフス・コラム(密かに外部に忠誠を誓う兵隊の列)である─ということだ。

 トルクメンとは、その多くがクルド族地域に住んでいる…そしてここに、究極の複雑化の要因がある─大多数が、現状IS支配下にあるジャラブルス地方に居住しているのだ。そのエリアとはまさに、クルドの二つのカントン(canton, 隔離された居住地、州)、つまり、Kobaniと、Afrinの地理的な連繋を断つエリアでもある。

 それゆえに、シリアのクルド人がトルコとシリアの国境のすべての地域において…支配と、自治と回廊としての活動を維持するさまを想像してほしい。トルコ政府にとっては、これは最低の悪夢だ。

トルコ政府の戦略とは、そのトルクメンの駒に、ジャラブルス地方全域の「穏健派反乱分子」を加えて動かす(操作する)、ということだ。そうした口実とはイスラム国を地図から抹消させるものだ。その本当の理由とは…クルド族の二つのカントンAfrinとKobaniの合併を阻むことなのだ。

 そして、いま再びトルコ政府は、ロシアとの直接対決を強いられる。 

ロシアの戦略とは、シリアのクルド人とのと間のとてもよい関係に基づいている。ロシア政府は、シリアのクルド人のカントンの統合を支持するだけでなく、それを新たなシリアでのTakfriの排除の重要なステップとしても評価している。

ロシアは、PYD(クルド;統一人民党)すらも公認して、彼らの代表部を国内においているのだ。 トルコ政府はPYDと、その私兵勢力であるYPGをPKKの分派とみている。ロシア政府と米国政府が、ともにYPGをISIS/ISIL/Daeshへの対抗勢力と捉えている状況をみるにつれて、それはますます奇妙で(興味深い)ものにもみえる…。

 予測通りに、アンカラの完全なフリークアウト(きちがい)がスルタン・エルドアンの形をとって現れるとき…、彼は、「ユーフラテスをYPGへの防衛線の”レッドライン“とする」、と宣言する。もしも、彼らがIS<と戦うべくジャラブルスから進撃しようとして西に進むなら、トルコ軍は攻撃に出るだろう。トルコにとって、JarablusAfrinの間の支配とは絶対要件なのだ─なぜなら、そこには「安全地帯」となるべき場所(実質的な飛行禁止区域として)が含まれるからだ─トルコ政府は、難民を住まわせるためにEUからもぎ取ったばかりの30億ユーロを投じ、そこで(飛行禁止区域を)実現すると同時に、北部シリアをも支配したい…と夢見ている。

The case for UEBA UEBAのケース

それ故にトルコ政府とは、少なくとも、トルクメンが大いに関与する二つの非常に不愉快なシナリオを目にしている。
トルコ政府の道具にされてきたトルクメンは、クルドの力を監視するゲートキーパーになるよう、望まれてきた─それは、トルコ政府がもくろんだ悪しき宗派分裂のシナリオであり、そこでの最大の敗者とは、国の統一を失うシリア国家にほかならない。 


一方で、SAAとロシアの空軍勢力は、トルクメン山脈の全面的支配権を握る間際にある。このことは、"4+1"が「征服軍(*有志連合のこと)と呼ばれる物と、その双頭のトカゲとしてのアル・ヌスラ(即ち、シリアのアルカイダ)とアフラール・アル・シャム(彼らは、トルコとサウジ、カタールにすっかり武器援助されている…)との、より深刻な戦いに突入することを許すのだ。

 4+1の断固とした進撃は、余剰的ベネフィットも生み出す─つまり、その地域の「鼠小路(ラットライン)」の終焉と…そして、フメイミムHmeimim*)のロシア空軍基地にとっての脅威がもう存在しなくなる、ということだ。 ロシア政府がスルタン・エルドアンに最大の痛みを与えることを、確実にせねばならない。 
(*Hmeimim Airbase: シリアのLatakiaにあるロシアの空軍基地。現在ロシア軍がIS空爆の拠点とす
https://en.wikipedia.org/wiki/Khmeimim_airbase  

 Bogazici 大学の Abbas Vali教授は、「PYDはロシアのシリア介入を喜んでいる。PYDとロシアの連携は避けがたい。ロシアによるイスラム過激派地上勢力への空爆は、PYDの作戦に大きなインパクトを与えるものだ…」とトルコ紙「Radikal」で述べている

 我々がどちらの道を支援しようと、トルコとロシアはシリアでの深刻な衝突に向かっている。ロシアはシリアのクルド人たちを支援し、彼らが北シリアで統一Rojavaを打ち樹てるための3つのクルド地域の統一を支援しようとしている

ワシントンの「戦略」に関していえば─それは今や、CIAが新たな「鼠小路」を必要とするという状況へと煮詰められてしまった。それは、トルクメンとクルドが戦い抜く様子を武装して「傍観する」という状況だ…それによって、トルコ軍による介入の開始をもたらし…そして、ロシア空軍が防衛にはいる…という、違いなく(手の付けられない戦争が勃発)する状況を傍観する…ということだ。 

 スルタン・エルドアンが、CIAに安全に守られた鼠小路を必死に求めているという事実は変わらない─彼の第五列(フィフス・コラム)トルクメンを武装するためのみならず、チェチェンやウズベキスタンの勢力、そしてウイグルの勢力をも武装するために。そして、ビラル・エルドアン(すなわち、エルドアンの自我のジュニア)は、新たな石油の密輸ルートと、2隻ほどの新たな石油タンカーを渇望している…。

そしてまた、ロシアは彼らのすべての動きを監視している。 ロシア防衛省からの最新のニュースにはまるで、火山の噴火のような趣きがある─つまり、エルドアン・ファミリーのならず者が、「犯罪者」との烙印を押されている)。ロシア政府は、彼らの蓄えたすべての証拠のわずかな一部分を「アピタイザー(アペリティフ)」のごとく開陳しているだけなのだ。) ─かくして、我々はアフガンのヘロインの鼠小路をもっていた、そしてリビアの石油の秘密取引(いまや終わりを迎えた)ももっていた。ウクライナのファシストの鼠小路、…リビアとシリアの武器の鼠小路、…シリアの盗まれた石油の取引と北部シリアの鼠小路…これらのことをUEBAと呼ぼうではないか─「規制をうけない例外主義者によるビジネス活動(Unregulated Exceptionalist Business Activities)」だと─そうだ、とはいえない理由が、どこにある?…戦争ほど、いいビジネスは存在ないのだ。