Saturday, September 19, 2009

パンナム機爆破事件(2)/Lockerbie: More evidence of cynical machinations behind Megrahi’s release By Julie Hyland


21年前のパンナム機爆破犯メグラヒの、突然の釈放─
彼のリビアへの帰還が、大西洋をまたいで大騒ぎになったその背景は?

*温情により釈放されたメグラヒが、故郷で英雄並みの歓迎を受けたシーンに、米英の国民が激怒した。しかし米英が彼を犯人に仕立てたという説も未だに根強い。真実への証拠は早い段階で消され、隠蔽がなされたともいう…彼を訴えた当時の証人はCIAから金銭をもらったと暴露していた…(右写真:LybiaへのMeghrahiの帰国を歓迎したQaddafiの息子Saiif Al-Islam)
                                       ロッカービー事件:メグラヒの釈放に隠された、さらなるシニカルな策謀の証拠 (9/2、By ジュリー・ハイランド、World Socialist Web Site)

 この週末をはさんで、1988年のパンナム航空機103便爆破の犯人として「唯一」告訴されていた人物、Abdul Baset Ali al-Megrahiの釈放に際して英国およびリビアの政府が行った取引について、ま新しい非難が集中している。(末期ガンを病みつつ終身刑にあった)Megrahiがスコットランドの刑務所から8月20日に釈放されたのは、表向きは「人道的」な処置とされるが…航空機爆破による犠牲者やその遺族たちへの配慮はまったくない、と非難されている。そればかりか、英国の資本主義者が地政学的、経済的な利益を確保しようとする努力の汚れたエピソードには、シニカルな批判が強まっている。

Sunday Timesは、政府が2007年にリビアと締結した、受刑者たち全般の引渡し条約への合意(PTA)の対象から、Megrahiは除外されていたとの証拠も得たという。(*それにも関わらず今回、急にMeghrahiは釈放された)同紙は、法相Jack Strawがスコットランドの司法長官Kenny MacAskillに宛てた手紙で、Megrahiをその引渡しの対象から除外することについて、リビアを黙らせるよう説得はできなかったと書き送ったが、「英国の圧倒的な国家利益の見地にたった場合」にリビアとのより広範な取引が困難となる局面へと至り、同国へのその要求を取りやめた、と報じている。

 その6週間後、さらにTheTimesは、英国のBP(旧BritishPetroleum)社が石油とガスの掘削に関して、15百万ポンドに上るリビアとの契約締結を確実なものとしたと報じた。Strawは、PTAに関する討議では、Megrahiが受刑者引渡し合意の名目では本国に送還できなくても、末期ガンを病むという彼への「温情」のベースでは釈放送還できるという、「学術的な」ディベートに終始したのだと語った─ これはMacAskillが「一人で」おこなった決断の根拠だといい、スコットランドの人道に関する法律にもかなっているのだという。

 たとえロンドンとエジンバラの政府の両者がこのMegrahiの運命をめぐる売り言葉に買い言葉な論戦を続けたとしたとしても、彼らはなおも上記のような言いわけを維持するだろう。この彼らの言い分はほとんど信用に値しない。 もともと、Megrahiの罪状については大きな疑念が存在するが、英国とスコットランド政府が、彼を有罪だと主張し、また彼が8年間服役した時点で釈放しようとしていることが、いっそうの疑念を呼ぶ。

 Timesは、リビア政府のアドバイザーを務める国際弁護士で、収監中のMegrahiを訪問したSaad Djebbarのコメントを引用している:「もしも、Megrahiがスコットランドで刑死した場合、それは何年にもわたる大きな影響を巻き起こし、英国の産業に不利をもたらすものとなるだろう」

 MacAskillとスコットランド国民党は、スコットランドと英国の政府が、異なる権益と倫理観に導かれた二つの顕著に独立した存在で──そのために(両国のリビアとの)貿易に関するベーシックな配慮などがMegrahiをめぐる考察のなかに持ち込まれることはありえない、としている。

 そして、Megrahiが、彼の近々の釈放が報道でリークされた当日に、それまで続けていた無実の異議申立てを取り下げたことには「何か、胡散くさいもの」があった、とMilesはTimesに語っている。「自分は、何があったのかはっきりとは判らないが、しかし英国とスコットランドの政府はその異議申立ての取り下げを望んでおり、そのためにそれが取り下げられたことは、確かだろうと思う」と。 

 これとは別に、TheDaily Mail紙は、「スコットランド法務省の不正告発者(whistleblower)」と名乗る人物からの「リークのeメール」を掲載したが、そこではMegrahiが申立てを取り下げることが、故郷リビアへの帰還を打ち固める必須の条件だったと訴えている。 「このアピールの成功は、米国、英国そしてスコットランド政府にとっての屈辱だ──つまり、誰もが英国史上最悪のテロリストの非道行為に、責任の所在を見出せなかった、ということだ」と同紙は訴える。

 どのような特殊な推測がなされようと、そこにはMegrahiの故郷への帰還をサポートすることで権益の一致があったように見える。さらに、その決定はLockerbieでの爆破事件の周囲の、それに先立つ20年間にわたる超大国の二枚舌、そして特にそのリビアとの関係という状況と、隔絶した(無関係の)ものとして考慮するのは不可能である。

 そして特に、パンナム航空103便がNYシティに向かう途中のスコットランド上空で爆破されたとき、真実と、生命を奪われた人々の正義への探求は、常に大国の政治的、商業的な利益に従属するものとして扱われてきたのだ。

 爆破を行った責任は当初、その6ヶ月前に米軍によって旅客機を撃墜され、290人の乗客の命が奪われたイランに対して課せられた。しかし当時ワシントンは、第1次湾岸戦争の開戦を計画しており、イラク攻撃に対するイランの黙認を得る必要があった。そのイラク攻撃に反対していたリビアは、米国によって特に選び出され、米国はリビアがパンナム機爆破の責任を認めて(その容疑者であった)二人の男、MegrahiとLamin Khalifah Fhimahの引き渡しにも同意することを要求して──米国は1992年、リビアに経済制裁を加えた。

 それに続く時期、このいかにも不可能な要求が可能になる幾つかの事件が起こった。ソビエト連邦の崩壊は、Muammar Gaddafi大佐に彼の反帝国主義的な物言いを放棄させ、西欧との妥協を促した。そしてヨーロッパの石油企業──特にフランスとイタリアは──彼ら自身の、世界6位の石油埋蔵量を有するリビアでの権益確保に熱心だった。

 1997年に英国の労働党が政権を握り、行き詰まりが打開された。懸念を高める英国の石油業界はヨーロッパの競合会社との戦いに負けるわけにはいかず、ブレア政権は2人のリビア人容疑者引渡しの交渉を仲介し、そして1000年に米国、英国そしてリビアがネーデルランドでの彼らの裁判実施に合意した。

 その法廷ヒヤリングは、米英のリビアの資源へのアクセス確保のための努力の背景(バックドロップ)となった。数々の未解決の質問にもかかわらず、多くの人はリビア人や、Fhimahの無罪放免については懐疑的と考え、Megrahiは2000年に無陪審の法廷において有罪の判決を受けた。リビアはそのエージェントに対する「責任を認め」、そして経済制裁の解除と引き換えに(パンナム機爆破事件の)賠償金支払いに合意した。

 それに引き続いて、リビアは中東での戦争をしたがっている米国と英国に、911のテロ攻撃の余波の中で諜報的な情報を提供した。2003年、国際的に大きな反対の高まる中での米国のイラクへの先制攻撃にひき続き、リビアはその初期的な核開発プログラムの放棄を宣言し──ワシントンとロンドンが彼らの「テロとの戦い」が成果を挙げている、とする主張を支持する裏づけを与えた。

 リビアへの国際社会の制裁は解除され、イラク侵攻開始のわずか1年後の2004年3月に、トリポリにハイレベルな外交上の訪問を行ったブレア首相は、競合他社のなかでAnglo-Dutch Shell 石油会社との5億5千万ポンド相当のガス掘削権の契約を得たリビアのカダフィ大佐からの、温かい歓迎をうけた。

 先週までのMegrahiの釈放に対する米国の政治家たちの弾劾にもかかわらず、ブッシュ前政権はこうした策略に深くかかわっていたのだ。 ブレア首相に続いて、トリポリを米国の国務長官補で中東特使のWilliam Burnsが訪問したが、彼は1969年のクーデター以来、はじめてリビアを訪問した米国高官だった。彼がブッシュから手渡した手紙には、「二国間の相互関係 bilateral relations」という言葉が含まれたが、米国企業からの石油資源と、天然ガスなどのその他の戦略資源へのアクセスへの要求を暗に示唆した暗号的な言葉だったのは確かだった。 2007年のブレアによる訪問は数多くのエネルギーと防衛上の合意を達成したが、そこにはBPとの2百万ドルの天然ガス掘削計画の合意も含まれていた。2008年には米国政府は国務省でリビアの外相、Abdelrahman Shalgamを招聘した。その年の9月、Condoleezza Riceは55年間でリビアを訪問した最初の国務長官となった。11月には英国とリビアがPTAを締結した。

 レポートによれば、2009年の最初の5ヶ月間、英国のリビアへの輸出は前年比48%増の165.4百万ポンドに達し、そしてリビアからの輸入─特に石油─は同48.5%増の966百万ポンドに達したという。
英国だけではなかった。リビアで確認済みの埋蔵石油資源は世界の埋蔵量の3%と見積られるが、その多くが手をつけられていない。これは大国間での─少なくとも、ロシアへのエネルギー依存からの脱却を図りたいヨーロッパ諸国の間だけでも、熾烈な競合の対象となっている。
 過去数年間にイタリアはトリポリへの50億ドルの賠償支払いに合意した。おそらくその長年の植民地支配への賠償だろうが、それは「インフラ整備プロジェクト」にターゲットをすえており、イタリア企業に顕著な権益をもたらすものとなっている。2007年12月にはフランス大統領ニコラス・サルコジがカダフィに会い、1470億ドルの武器輸出と原子炉開発の契約に合意したという。

 ロシアは過激にアクティブである。昨年、ウラジミール・プーチン大統領がリビアへの460億ドルの借款について、Gazprom社のガス掘削事業などを含む大きな二国間取引と引き換えに、債務免除するとした。先月、トリポリとモスクワは原子力の平和利用の条約を締結、ロシアの石油会社Tatneft は「リビアのトリポリの南345キロメートルのGhadames盆地の石油資源ブロックを成功裏に掘削した」、と発表した。
 Guardian紙の9月2日の記事で、前リビア大使のMilesは、「英国政府が、英国の交易への支持をやめるべきだと(…イワン雷帝に大使を送ったヘンリー8世以来初めての交易であるかの如く)考えているような誰かにだけ意味をなすような、英国とリビア間のこれ以上の情報公開への要求というものを非難したい。そしてイタリア人や、フランス人、米国人、ロシア人などにもその場を譲りたい」、としている。「誰がいったい、それをよいアイディアだと思うだろうか?」と。
http://www.wsws.org/articles/2009/sep2009/lock-s02.shtml


*米国人Jim Swire氏(右)は娘 Floraを Lockerbieでの航空機爆破で亡くしたが、Al-Megrahiは無実であると主張、疑惑の追及を訴えていた…これら米国の遺族たちの反発も英国政府によって無視されたのか?

*スコットランド司法長官のMacAskillは、当初、Megrahiの人道的釈放を独断で行ったとされ非難の嵐に遭った。 しかし英国のブラウン首相は9月5日、リビアとBP社の間の9億ドルの石油取引契約が、受刑者引渡し合意とMegrahi釈放に大きなウェイトを占めていたことを認めた。MacAskillは「米国からの非難を避けるために」、Megrahiを受刑者引渡しとしてではなく、温情に基づく釈放としたという。

オバマ大統領はこの釈放を強く非難、米議会も調査を求めた。カダフィ大佐の息子はこれらの批判を痛烈に一蹴したとか。英国は開き直ってもう動きそうにない。時を経た疑惑を曖昧に葬り去ろうとしているのか?
→註:この後暫くしてQaddafiはMeghrahiを通じたリビアのこの事件への関与を公式に認めて、CIAの陰謀説の方は否定された。つまりBP社との石油取引と引き換えにMeghrahiを露骨に釈放したことは公認の事実となった。
→Meghrahiの末期癌を疑う報道もあったが、2011年8月末Meghrahiがリビアで「本当に」死に瀕していると報じられた。
Lockerbie bomber found dying in Libya
http://www.guardian.co.uk/world/2011/aug/29/lockerbie-bomber-found-dying-libya

パンナム機爆破事件(1)/Colonel Gaddafi: with friends like these...  By Damien McElroy


世界の退け者から、新たな存在感を回復したリビア?
カダフィ大佐は、クーデター40周年の祝賀行事を派手に打ち上げた

カダフィ大佐…こんな奴らが友達?
西欧とのデタント新時代のリビア、その40年来の専制的リーダーは変わらない  (8/31、The Telegraph, UK)


 1969年9月1日の明け方、Muammar Gaddafi大佐はリビアの君主政に対し、クーデターを起こした。そのカーリー・ヘアと男性的風貌で、27歳のGaddafiは自分自身をアフリカのチェ・ゲバラになぞらえていたが、ゲバラと異なり、彼は自分が失敗する可能性にも備えていた。彼はラジオでその最初の声明を読み上げたとき、彼のターコイズ・ブルーの…ナンバープレート23398 LBのフォルクスワーゲン・ビートル…を素早く逃走できるよう、傍に準備していた。

 しかし、予測されたクーデターへの反撃はなかった。ボスポラスで遅い夏を楽しんでいたIdris王はイスタンブールに留まり、彼の王室のCyrenaicanの護衛たちは、兵舎の内部にひき籠り続けた。ボリビア軍により拘束されて処刑されたアルゼンチン・ゲリラたちと同じ運命を辿るかわりに、Gaddafiは国際的にも有名になった─あるいは、より正確にいえば、ロナルド・レーガンを挑発した砂漠の狂犬 "Mad Dog" として悪名高い存在となった。
 
 その若き革命家は、過去40年の間も数多くの象徴的な化身を演じてきたが、彼はその熱意や、華麗なけばけばしさを少しも失っていない。彼が今日もその典型的な過剰なスタイルでイスラム社会主義共和国の建国を記念するとき、Gaddafi はまるで、その多額の財産のお陰でエキセントリックな奇行が容赦されている叔父さんのようでもあるし、または批評家たちが言うように、北アフリカの最富裕国でその国民を未だに絶望的な貧困にさらし続けている、気のふれた専制君主のようでもある。
 
 Gaddafiの同僚であるアフリカ諸国のリーダーたちとは異なり、世界の、他の国々のリーダーたちは首都トリポリでの気前のよい祝賀行事に出席しなかった。先週、エリゼー宮を訪れていたクレムリンのスポークスマンも、彼らの主人らは行事に出席する予定を立ててはいないと丁重に断っていた。しかし、リビア人たちが、世界が彼らのリーダーの虜だ、と信じているのを阻むことは難しそうだ。建国記念行事の直前になされた、Lockerbie事件の爆破犯Abdelbaset Ali Mohmed al Megrahiの、スコットランドの刑務所からの釈放というのは、Gaddafi大佐の重要性と彼のマニピュレーターとしての衰えなき能力の証明を、この上なく吹聴した。彼らが国際社会の圧力のもとで彼の裁判権を譲渡したとき、人々の"brother leader"であるGaddafiは人々に対して、Megrahi とその仲間の容疑者al Amin Khalifa Fhimah(*有罪宣告された人物) が国へ帰ることを保証した。いまや、その悔いなき大量殺人者は死を迎えるために故郷に帰り、リビアの政権は勝利に沸いている。

 しかし病気で衰弱した男の釈放は、世界的なリーダーとして認知されることを望む専制君主にとって奇妙な栄冠ともいえる。彼の最初の冒険(賭け)とは、毛主席をまねて、彼のグリーン・ブック(「毛沢東語録」風の小さな手帳)を発行し、議会への国民の参政権なしに打ちたてた民主主義(人々が組織する議会内の委員会が国政を管理する)という、複雑な政治理念の概要を記載したことだった。サダム・フセイン同様 Gaddafi もまたフィクションに手を染め、15編の小説を書いた──そのうちのいくつかは、ピエール・サリンジャー(元ケネディ大統領のスピーチライター)も巻き込んだ。しかし、彼とイラクの専制君主との主な類似点とは、Gaddafi が常に、彼の国が備蓄する石油が生み出す富を投入して虚栄心にあふれた政治的手腕を揮い、無感覚で残虐な行動によって自身の策謀に資金を提供したことだ。そのために提供された現金は1兆ポンドを超えると推定され─未着手の資金もあるが─パレスチナからフィリピンのならず者分子の革命運動に対する資金を提供してきた。そして、トロール漁船にアーマライト式ライフルとセムテックス爆弾をのせてIRAにも送り届けた。リビアの高官たちは国内でも海外でも、凶悪な(殺人者の)免責権をもちいて行動した:1984年のリビア大使館員によるロンドンの女性巡査 Yvonne Fletcher に対する狙撃事件で、だけでなく。

 テロ国家としてのその名がもっとも高まっていたとき、リビアはシリアやイランとともに"Axis of Evil" (悪の枢軸)の原型の一部でもあった。西欧の諜報機関によれば、「イランがその攻撃を考案し、シリアがそれを計画し、そしてリビアが実行に移した」、ということだった。そうしたミッションのうちのひとつは1986年の、米兵たちがよく通っていたベルリンのナイトクラブの爆破事件だ。レーガン大統領はそれに対し、英国にいる米国の工作員たちにトリポリをターゲットに爆破を行うようにと指令を発した。Gaddafi大佐の基地に対する攻撃で、彼の養子縁組による養女だったHannaがなくなった。専制君主はこれに激怒し、1988年の12月のじめじめした寒い朝にLockerbie上空を飛行していたパンナム航空の103便を破壊し──これにより270人の人々が死んだ──これは彼の復讐的行為だという人々がいた。また、ベルリンでの事件と同じくこれはイランとシリアが行った可能性がより強い、という人々もいた…なぜなら米国がその数ヶ月前に湾岸地域でイランの旅客機を撃墜していたからだ。

 Lockerbie事件は、大佐の指紋のついた最後の恐ろしい事件ではなかったが、彼はサダム・フセインが権力の座から放逐されたのをみて酔いを覚ました。この2人の男のあいだに絶対的な相似性はないものの、Gaddafiにとっては米国の十字砲火がじきに彼の北アフリカの本拠に向けられる事を心配するには十分だった。2003年にあるM16の幹部は、リビアのデタント(軍備削減)への興味が増していること、そしてWhitehallがリビアとの間の冷え切った関係を打破する交渉仲介のため、秘密の訪問を続けていることを報告している。Gaddafiは、英軍の最高幹部がトリポリを訪れることを命じ、そして彼は12月までにリビアの核兵器開発の秘密プログラムの詳細を手渡した。

 それはすべての人々に、何かを与える取引だった。リビアはCondoleezza Rice が、米国がリビアの政権交代を画策するなかでの6つの前哨点だとして唱えていたリストにはなかったことを実践した。トニー・ブレアが2007年に2度目にリビアを訪問した際の、"Deal in the Desert"(砂漠で取引をしろ)といった言葉は、英国に金の儲かる契約をもたらし、そしてリビアのリハビリテーションを確実にした。

 しかし、彼のテロリズムへのサポートが減退して政府の改革が議題にあがったとき、Gaddafiは彼のドンキホーテ的な炎を失ってはいなかった。今年はじめのローマへの訪問の折、彼は護衛たちにコミック・オペラの扮装をさせ、アマゾニアン(美女ボディガード)たちで脇を固めさせた。ローマのコメンテーターたちはその取り合わせを、ムッソリーニとマイケル・ジャクソンの完璧なミックスだと嘲笑した。

 そしてリビアが西欧世界とのちがいの問題を解決し、外国の投資家を惹きつけるマグネットとなったことで、その国がそれ以上一人の誇大妄想狂の掌中に留まり続ける、と信じた人々は少なかった。しかし今日の建国記念の祝賀行事への準備はリビアが普通の国になりつつあるというような指摘を拒む。何百何千万もの人々が騒ぎ、長らく忘れられていたトリポリの景色を再びかたちづくった。何千本もの椰子の木が海岸沿いに植えられ、道路は再舗装され、乾いた砂の路縁は芝生で埋めなおされ、目障りな建物は隠された。トリポリの古代の壁の脇の貴重な湖は世界中から来たパフォーマーがステージとするために水を抜かれた。

 巨大なバナーが物惜しみないリーダーの放埓を賞賛した。「あなたがいなければ不可能なことは起こらない」というのはやや理解しがたいメッセージだ。しかしその政権の従者たちも、事がどのように進むかについてはかなり不安を抱いているようだ。「私はそこに姿を現す必要があるが、そこはカオス(混乱した場)だろう」とある政権の支持者はいった。「役人たちは物事を組織的に管理できない。そうだ、そこにはヨットや車があるだろうが、すべての代表団たちに無礼講のように提供されるだろう。

 10年前、クーデター30周年記念の際は、トリポリにはカラフルな照明やバナー、大佐の肖像写真が並べられ、人々は彼の「意味深長な放射光(pregnant radiation)」だと評した。しかしほんの数時間の告知をしたのみで、その祝賀は9月9日の新しい日付に移行し、Gaddafi大佐による郷里の街Sirteでの一方的な「United States of Africa(アフリカ合州国)」の建国宣言の周年行事にすり変わっていた。それ以来、Gaddafi一族のAfriqiyah航空は9.9.99というロゴを、その機体に表示している。

 そしてGaddafiは健康状態はよいと推測されてはいるが、齢をとるにつれて慎重な権力争いが起こるだろう。政権に忠実な者たちは、彼の四男でリビアの諜報機関の長を務めるMoatessem-Billahの周囲に集まっている。古参の護衛たちは彼が、異議を唱える者たちに対し強硬手段をとることを快しとしているという。

 彼の2番目の息子で、国際的な「うるさい虻gadfly」から交渉者へと化したSaif al-Islamは、ワイルドカードだ。GaddafiにLockerbieの容疑者引渡しの途をひらき、Megrahiの帰国に関して英国政府を説得したのは彼である。「家族のメンバーは互いを、離れたところから尊敬しあっている」と彼らの協力者はいう。「もしも彼らが共にロンドンにいた場合、彼らは互いに訪問しあったりはしない、(彼らの兄弟がアルコールを飲んだり女の子と楽しんだりしているところを互いに見たくないからだ)」、という。

 Saif──彼の名前は「イスラムの剣Sword of Islam」を意味する──は、リビアが民主主義へと移行するmと宣言した。昨年、彼の改革主義的な声明に父親が憤激した後、彼は公的生活から退いた。しかしMegrahi を故郷に連れ帰りながら、彼はカムバックしたというシグナルを送った。それはSaifのおこなった何ヶ月もの仕事の報酬であり、彼がLord Mandelsonに近づき、何百万ドルもの金をロシアのタイクーンでBusiness Secretaryの友人でもあるOleg Deripaskaに投資する計画が噂されていることへの報酬でもある。」
 彼の友人たちは、もしもSaif が彼の弟との権力争いに勝ったなら民主主義を奉じるだろう、と思っている。「彼がそれを意図していることは確実だ」、とその一人はいう。「Saif は英国を尊敬し、Westminster式の議会政治を好んでいる。私は彼が…十年くらい後に彼が資金をすっかり確保した暁に…自分の国を民主主義に移行するだろうことは確実に思われる

 しかしどちらの息子が勝とうと、「王の中の王、イマームの中のイマーム(King of Kings, Imam of Imams)」と自称していた彼の父親の経歴に互するのは難しいだろう──あるいは、よりGaddafiを適切にあらわす言葉、「サバイバーのなかのサバイバー(Survivor of Survivors)」である父親に対しては。
(右写真:Saif Gaddafi)http://www.telegraph.co.uk/comment/6118691/Colonel-Gaddafi-with-friends-like-these....html

関連記事:
「パンナム機爆破事件(2):
ロッカービー事件:メグラヒの釈放に隠された、さらなるシニカルな策謀の証拠

http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/09/lockerbie-more-evidence-of-cynical.html

「地中海クラブ」の戦い/The Club Med War
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/03/club-med-war-by-pepe-escobar.html

影の取引が、カダフィの富と体制の維持を助けた Shady Dealings Helped Qaddafi Build Fortune and Regime
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2012/01/shady-dealings-helped-qaddafi-build.html

Thursday, September 3, 2009

イランのお尋ね者/Iran's Most Wanted-Ahmadinejad's choice for defense minister is sought by Interpol for planning the bombing of synagogue. By C.Hitchens


このほど、 再選後にアフマディネジャド大統領の指名した
21人の閣僚が承認されたが

イラン最大のお尋ね者─
アフマディネジャドの選んだ国防大臣とは、インターポールの指名手配犯、アルゼンチンのシナゴーグ爆破の容疑者だ (8/24、By クリストファー・ヒッチンズ)


 オバマ大統領は、イラン・イスラム共和国が「(世界の)国々のコミュニティ」へと戻ることを願っている、と述べた。残念ながら、同国をそのような配慮から排除しているのは、詳細に言うとイスラム共和国自身であることは事実だ。最近の軍事クーデターで生々しい血を浴びたばかりの専制君主マフムード・アフマディネジャドが先週、彼の防衛大臣を指名したときにもその状況は繰り返された。その人物とはAhmad Vahidi…各国の防衛ファイルに名前が載り、またインターポール(国際刑事警察機構)によっても指名手配されている人物だ。

 Ahmad Vahidiはかつて「クッズ・フォース(Quds Force)」という「革命防衛隊」の影の武装機関を率いていたが、その機関は海外で秘密作戦を遂行していた。アルゼンチンのインターポールの「レッドリスト」(「最重要指名手配犯」リスト)によれば、1994年に彼はブエノスアイレスの「ユダヤ人コミュニティ文化センター」の破壊を「発案し、計画し、資金を集め、実行した」人物の1人だった。その事件では85人が死亡し、何百人もが負傷した。この残虐事件を遂行した5人の共犯者のなかには、モーセン・レザイー(Mohsen Rezaee)──元・革命防衛隊のヘッドで、最近の大統領候補者の1人──また、故・イマド・ムグニヤ(Imad Mugniyeh)、つまり、ダマスカスを根拠地にしたヒズボラの軍事部門(それ自身がイスラム共和国の代理人を宣言する)の元リーダーも含まれていた。

 当時、インターポールの事務総長であったRonald K. Nobleは、「レッド・リストの通知により、その人物の旅行の自由が制限されるが(chills travel—limits travel)、その土地の行政当局が、なぜレッド・リストを発された人物が自由に旅行できるかを説明した場合にその政府にはリスクが課せられる」としている…同様の特別な圧力のかかったケースが、2006年当時のカナダ外相の関係者の身に起きた。外相のオフィスではSaeed Mortazaviなる人物が、イランからフランクフルト、ジュネーブ経由でカナダに旅行してくるとの通知を受け取ったが、Mortazaviとはテヘランで、その当時から(そして今でも)最も嫌われ恐れられている検察庁長官で、彼の権限で2003年には、カナダ市民の女性フォト・ジャーナリストZahra Kazemiに対するレイプと殺人容疑への告訴が却下されていた。彼は二つの独立委員会が有罪だと認めたこのカナダ女性のレイプ犯と殺害犯を釈放していた。(…Mortazaviはこのとき、人権評議会”Human Rights Council”へのイランの公的な代表団の一員としてジュネーブを訪れた途上であったことを、私はここに付け加えるべきだろうか?) カナダの外相のPeter MacKay は彼の相手国に電話しMortazaviを逮捕してカナダに送還するように、との要請を試みたが、彼の行動は少し迅速さにかけていた。

 もうひとつの考慮に値する印象的なbacklog (情報記録)によれば、1997年にドイツの裁判所は、1992年に起きたベルリンのMykonosレストランでのイラン系クルド人たちの射殺事件が、イラン政府「最高指導者」のアリ・ハメネイとラフサンジャニ首相を含む委員会の命令によって行われたことを見出した。これは犯罪事件の捜査が、イランの国家元首とその周囲の人物たちに及んだ事件として最初のものではなかった。Mark Bowdenは、マフムード・アフマディネジャドがかつてテヘランのアメリカ大使館での外交特権を侵害した人質誘拐者たちの1人だったという、説得力ある(結論を断定するほどではないが)証言も行った。またオーストリア議会の立法議員たちは──アフマディネジャドが革命防衛隊のリーダーとして、イランの暗殺部隊が'89年に実行したイランのクルド人リーダーAbdul-Rahman Ghassemlouのウィーンでの暗殺において、武器・資金の調達に果たした役割に関する尋問を要求している。

 革命防衛隊という名称は当初は、最近言われているような通り言葉ではなかった。しかし今年、テヘランで起きた、同防衛隊がメイン・エンジンとなった軍事的クーデターは、それを我々が注目する最前線へと押し出した。若いイラン人たちへのレイプや拷問といったサディスティックな公的な虐待、ときには女性たちの殺害、新聞の発行停止、反対派・知識人たちを裁くショー仕立ての裁判…──これらは「革命防衛隊」の活動と野望の成果だ。自ら自身のボーダーの中に閉じ込められたイラン人たちを助け、援護するために我々がなし得ることは限られているかもしれない。しかし、今や国際社会はこの犯罪的ギャングたち自身が、自らの境界の内側に留まるように、と声を上げて言うべきだ。おそらく、アフマディネジャドの選んだ国防大臣には、「大統領」アフマディネジャドがコロンビア大学でのスピーチに招聘されたよりも僅かな招待しかなく、歓迎の赤い絨毯を敷き延べる国々も少ないだろう。殺人や拷問を監督していた周知の責任者をジュネーヴの世界人権サミットに出席させることについても…おそらく、それもまた不適切な禁忌事項とすべきだろう。こうした人間たちは海外に銀行口座をも所有しているが(救いがたいほど不活発なイラン経済から彼らが何年も逃れてきた結果):そうした口座もまた凍結するか、または民主主義の実現される日まで、条件付捺印証書をつけて資産を没収した方がいい。

 レバノンやイラクで宗派間闘争の殺人を行った人間たちや、サルマン・ラシュディ(当時ロンドン在住の小説家)の編集者や出版者に対する暗殺を試み、組織的にそれを遂行した人間たちは、イラン政府による報酬を受けつつイランのどこかに隠れている。誰もが今や、イラン政府は自国内でどんな法的正当性への訴えも剥奪しているのだ、と知っている。そしてその重要性において殆ど遜色のない事実とは、その政府はいまや外部世界に対しても犯罪的事業としての貌を現してきたということだ。国々の間には、ファミリーというものはない──口語的な言い方での、「犯罪一家(crime family)」の様なものへの所属を促される以外は。我々は各国のリーダーたちをスタート地点に据え、彼らに対してその多くの「お尋ね者の共犯者たち」の本国送還を求め、彼らの海外の代理機関に対しては、重いペナルティを課すべきだ。リビアのカダフィ大佐の手によって英国が屈辱を受けたこと(*スコットランド・ロッカービーでのパンナム航空機撃墜犯を先日釈放したこと)に対し、オバマ政権が無力であったその週は、こうしたことへの我々の責任…我々のカナダに住む隣人たちへの義務を含めて…を思い出すのに最高の瞬間だった。しかし、思い出してほしい:バグダッド陥落の後、カダフィ大佐は少なくともその核燃料物質の放棄を決意した。イランの場合は、神権政体の暴漢、詐欺師、暗殺者たちが彼ら独自に、核分裂性の物質やミサイルを整えるまでに長くはかからないだろうということだ。彼らが明らかにそれをやっていることを心に留め、忘れないでほしい。

http://www.slate.com/id/2226110/http://aa.yhs.search.yahoo.com/avg/search?fr=yhs-avgb&type=yahoo_avg_hs2-tb-web_aa&p=v

Wednesday, September 2, 2009

ソトマイヨール最高裁判事の指名/Sotomayor Confirmed by Senate, 68-31 By CHARLIE SAVAGE


初のヒスパニック系最高裁判事として、来週には初仕事のソトマイヨール!!
…彼女の指名公聴会に保守派共和党が必死に反対した理由とは、いったい何だったのか?


上院、ソトマイヨールの最高裁判事指名を68:31で可決 (8/7、NYタイムス)

 合衆国上院はこの木曜日に──10週間にわたる指名承認公聴会での苦闘の末に──ソニア・ソトマイヨールを我が国初のヒスパニック系・最高裁判事として承認し、そしてこれは彼女を指名したホワイト・ハウスにとってのめざましい勝利となった。

 党派によって大きく票の分かれた上院での68対31の投票結果は、ソトマイヨール判事(55歳)を米国で最も名声ある機関のひとつの敷居へと誘った──これは、Bronxの公共住宅施設(housing project )において、離婚した母親の手で育てられたこのプエルトリコ系の少女の驚くべき物語風の半生の結末を、完璧に飾るものとなった。
 ホワイトハウスでの短いコメントで、オバマ大統領は彼女の承認を、「さらなる社会のバリアを打ち破り、我々を完璧なユニオン(統合)へとむかう次なる一歩へと進ませてくれた」、「この歴史的な承認投票において、上院はソトマイヨール判事がその知性と、ふさわしい気質と、歴史と、一貫性、そして独立したマインドをもって我国の最高裁判所に仕えることができる、と確言した」としてたたえた。

 上院議会における3日間のディベートのなかで共和党議員らはソトマイヨール判事が“judicial activist(司法アクティビスト)”だ、というレッテルを貼り、彼女の外国の法律に対する態度や、その種々雑多な司法判断について批判を展開した──そのなかでは、今や有名となった彼女の「賢いラテン系女性判事(“wise Latina” judge )…」を賞賛した言葉の件や、Second Amendment rights(個人の武器所有の権利)に対する彼女の判断、財産法への判断、また、ニューヘイブン市の白人消防士たちの訴えた人種差別事件への判断などの件が取りざたされた。
 「ソトマイヨール判事は確かに印象的なストーリー、そして優れたバックグラウンドをもつ素晴らしい人物だ」、と今週上院の共和党リーダーであるケンタッキー州のMitch McConnell議員は言った。「しかし、判事というものは法廷のドアを入る際に、その裁判官としての誓いが求めるものとして、個人的、政治的なアジェンダを自らチェックし、正義を平等につらぬかねばならない。これは最も根本的なテストなのだ。これはソトマイヨール判事がパスしていない面だ。」

 民主党の議員たちは、ソトマイヨール判事を資質に満ちた判事だと認めた──彼女の、裕福でない生い立ちから始まり、二つのアイビーリーグ大学で優秀な成績を修め、検察官と企業弁護士の仕事に服し、17年間にわたり地方判事と控訴院の判事を務めたその半世紀は、古典的なアメリカン・サクセス・ストーリーであり──彼らは彼女の裁判での実績は穏健でそして主流派のものである、と。

 「ソトマイヨール判事のキャリアそして司法上の実績は、彼女が常に法の定めるところに従っていたことを示すものだ」と、木曜日にバーモント州の上院議員で上院司法委員会の議長、Patrick J. Leahyは述べた。「彼女の民族的出自などを指摘することでその実績を捻じ曲げようという企みは、最高裁における彼女の判断が、女性やすべての有色人種コミュニティの品位を落としめるためになされるものだと訴えるのと同じだ」
 多くの政治戦略の専門家たちは、共和党員らが最高裁判事に指名された最初のヒスパニックに反対していることは同党の将来の選挙での状況を危機にさらすかも知れないと警告し、幾人かの民主党員は共和党の反対がヒスパニックに対する侮辱だと描写した。

 7月には、歴史的にも裁判所判事の指名に口を挟むことのなかった全米ライフル協会が、ソトマイヨール判事への反対を表明し─彼らは上院での彼女の指名承認(への逆風の)件を…保守党寄りの州から民主党勢力に対して発する政治的対策として…2010年の議会選挙の際の銃器規正法案対策へのスコアカードのひとつに用いるだろう、と言明していた。そしてこの指名承認投票は「いくつかのインタレスト・グループ(特殊権益グループ、企業)による政治がこの件には大きな影響を及ぼす、と予測されていたことへの、党の結束の勝利だ」、と保守系団体Committee for Justiceのエグゼクティブ・ディレクターCurt Leveyは述べた。これら多くの共和党員たちは、彼らによるソトマイヨール判事への反対投票がアンチ・ヒスパニックであると強調された結果、(今や)骨折り損をしたといえる。

http://www.nytimes.com/2009/08/07/us/politics/07confirm.html?hp

Sotomayor’s Notable Court Opinions and Articles
ソトマイヨール判事の法廷裁判での主な見解 <*承認公聴会の開始に先立ち、新聞紙上で紹介された彼女の過去の裁判事例> (7/10、NYタイムス)


Racial Discrimination 
人種差別


ソトマイヨール判事がもっとも明確な態度を示した訴訟(high-profile case)は、リッチ対デ・ステファーノのケースだ。 これは、昇進試験で合格点を得たニューヘイブン市の白人の消防士たちが、昇進を許可されなかったことを告訴した事件だった(*同僚の黒人消防士らが一人も昇進対象となる得点を獲得しなかったにも関わらず、人種ごとに一定枠の昇進を義務的とみなしがちな、米国企業の慣行が適用されたという。)控訴審において、ソトマイヨール判事は3人の裁判官による無署名の合同意見書に賛同し、白人消防士たちによる異議申立ての却下を支持した(白人消防士たちの1人、ヒスパニック系のRicciが人種差別を訴えたが、控訴審でソトマイヤー判事は彼への再度のヒヤリングを拒絶した──最高裁の判事たちはこの下級審での判決を、5対4で覆した)
ソトマイヨール判事は、それ以前のGant 対Wallingford Board of Educationの訴訟でも、小学1年生の黒人児童が幼稚園にさし戻された事件で、人種差別があったと認め、多数派の判事の意見への異議を表明した。

Lawsuits Against Federal Contractors 
連邦機関の契約請負業者への訴訟
 


ソトマイヨール判事への反論メモによれば、同判事は州の契約する請負業者に対して、「憲法上の権利を記載以上に拡大解釈しようとした」、という。これは、セキュリティー上の詐欺の行為で州刑務所の5階に収監されていた男性による訴訟だった。彼には心臓の充血性疾患があり、上の階に登る際にエレベーターの使用を許されていたが、警備員に階段を使って5階まで登るようにと命じられたために心臓発作を起こし、階段から落ちて怪我を負った。彼は州刑務所内の社会復帰訓練所の運営会社を相手に、訴えをおこした。この申立てによる控訴審のなかで、ソトマイヨール判事は、州政府の機能を代行する契約業者への申立て内容を受け容れた、過去の判例について強調した──最高裁はソトマイヤー判事の判決を5対4の賛成票で覆し、そのような規則違反でも個人のみしか告訴できず、法人に対しては告訴できないとの判決を下した。しかしこの最高裁の判決には、Stevens判事とSouter、Ginsburg、そしてBreyerの3判事が反対票を投じた。

Environment 
環境問題


環境保護団体の最高裁での敗訴例として、Environmental Protection Agency が営利目的の(計算による)もくろみで、水棲有機生物保護のため発電所の設備の改造を要求できるかどうかが、焦点となっていた。この件は主にClean Water Act(水質浄化に関する条例)の条文に、発電所の冷却設備について「環境への負荷を最小限に低減するために、活用し得る最善の技術を反映すべきである」─と書かれている点の解釈が問題となった。ソトマイヤー判事は、有機生物の価値に反する目的で設備の改造のコストを推しはかることは違法だ、と判断したが──とはいえEPAは、単に、発電所で「どのようなコストが道理上、発生するか」のみしか考察することはできない、とした。この判決が最高裁で覆されたとき、John Paul Stevens判事にはRuth Bader Ginsburg判事、David H. Souter判事が賛成し、コスト・ベネフィット分析は(非営利団体では)法的に禁じられており、致命的な誤りだとした。

Workplace Discrimination: Disabilities 
職場の差別:身体障害者


差別問題におけるソトマイヨール判事のより顕著な見解とは、身障者についての判断だ。ある訴訟事件でソトマイヨール判事は、読み書きをする上で身体的な障害のある法学部の卒業生は、司法試験の場で他の受験生より余分な回答時間を与えられる資格がある、との判断を下した。その後、最高裁が「米国人が、眼鏡をかけたり、薬剤を処方したり、あるいはその他の補完手段で通常的な身体機能を維持できる場合、米国の身体障害者条例では保護されない」との判断を決した後に、この訴訟は第2審にまわされた。ソトマイヤー判事は原告の女性に身体的障害があり、記述式テストの点数だけでは障害のある事実を認知するには不十分であり、特別な配慮が必要とされていた、と認めた。その他のこれに関連した訴訟では、トラック会社(Hunt社)が、幾つかの薬を処方しながら求人応募していた人物の応募受付を拒否したケースがある。ソトマイヨール判事は法廷判事の過半数が、「Hunt社がその応募者が主な生活上の活動や労働で、身体機能を実質的に制限されていることを知っていて」、「同社の40トン積トラックの長距離の運転や、不規則でストレスフルな労働には適さないとした」、という見解を支持した事に対し異議を唱えた。

International Law 
国際法


ソトマイヨール判事の最も特筆すべき判断は、子供の養育権にまつわる複雑な取引に関するものだ。ある訴訟事件では、香港に住む離婚した両親とその子供の件で、その子供にはその母親だけが養育権をもち、父親は「道理に適ったアクセス権(reasonable access)」を有していた。母親が子供をニューヨークに連れてきた際に、父親が、その子供を香港に返すように、との訴えを起こした。養育権に関する規定では、その子供は香港に住む父親、または香港の裁判所の同意なしに別の土地に連れ出してはならなかった。そしてこの件は、それが「子供の誘拐に関するハーグの国際条例」の「rights of custody 養育権」の規定に反するかどうかで、争われた。もしそうならば、この件では子供は香港に戻さねばならない。この訴訟申立ての場合、法廷は父親が養育権を持たない以上、子供の連れ去りは罪ではないと判断された。しかし、ソトマイヨール判事はこれに反論し、「養育権」のより広義の解釈は、ハーグ条例の「目標と目的」により一層沿うべきものであり、そして外国の司法機関もこの件をそのように考えなければならない、とした。今現在最高裁で争われている同様なケースAbbott v. Abbott.の訴訟は、前記のCroll v. Crollのケースを継いで、係争中だ。またこれ以外の訴訟にも、外国人への司法権の問題が関連している。連邦法廷では「米国の市民 VS  外国に帰属する市民または臣民(subjects)」の訴訟を審議できるものと規定している。"英国の法律では、バーミューダの「市民(citizens)」とはバーミューダの「国民(nationals)」だが「国民(臣民)subjects」ではない─ 法廷の判事たちは、それゆえ米国の連邦裁判所の司法権はこの件には適用されない、" と判断を下した。ソトマイヤー判事は。これに異議を唱え、合衆国憲法においては「市民citizens」の語と「国民(臣民)subjects」の語の両方が、ある一定のレンジ(幅)をもつ関係性を意味するものとして用いられているとした。

Second Amendment 
憲法上の個人の武器所有の自由


ソトマイヨール判事は、ニューヨーク州が武術用の武器(ヌンチャクnunchuka)の所有を規制したことはSecond Amendment rights(個人の武器所有の自由を認める合衆国憲法の条項)に反する、という訴えを却下し、その条項は連邦政府にのみ適用される、とした。このMaloney 対 Cuomoのケースでは、最高裁の判決は、ワシントンDC対Hellerの判決事例(*ワシントンDCの銃規制法が、憲法上の個人の権利を侵害するとして一部くつがえされた'08年の例)がこの件の原則を無効にすることはない、というものだった。最高裁は、「Hellerの判例の有効性に問いが発し続けられるかぎりの範囲で」その過去の判例は想起されるものにすぎないとした。

Abortion 
避妊の権利

巡回裁判所においてソトマイヨール判事は、避妊に関する訴訟を一つ二つ扱った。ある訴訟案件で同判事は、避妊の権利を主張するグループが、ブッシュ政権の「避妊を支持する目的で外国からの資金提供を受ける外国企業団体を禁ずる」ポリシーに対決姿勢を示したことに対して、彼らの主張を却下した。
…また別件では、「難民refugee」の語の定義について、それが「強要された家族計画の犠牲者」も含むか否かが争われ、(第2巡回法廷では)その定義は避妊を強要された未婚女性とそのパートナーには適用できないと判断された。ソトマイヨール判事は、法廷判事の一致した意見、すなわち難民の定義が法的な配偶者にまで適用されるかどうかを考える必要はない、という見解に同意した──なぜならその案件は、中国人男性と彼の複数のガールフレンドに関するもので、彼の妻との間に関するものではなかったためだという。

Rules of Evidence 
証拠についての判断

1999年にソトマイヨール判事は、17ヶ月前に失効した逮捕状(それ以後1度も執行されなかったが、警察のデータベースからは削除されなかった物)を所持した警官たちが発見したクラック・コカインの規制の要求を却下した。同判事は、そのようなエラーはその麻薬の規制の理由にならないとした。10年が経過した今年1月にも最高裁が同じ判断をした。

Strip Searches 
公権力等による脱衣捜査
 


2004年にソトマイヨール判事は、Ruth Bader Ginsburg裁判官がUSAトゥデイ紙に述べたことに同意し、女性裁判官は若い女性に対するstrip searches(公権力等による脱衣捜査)が甚だしく(人権)侵害的であることに、センシティブになるべきだとした。2004年のケースでは、2人の男性判事がコネチカット州の年少者矯正施設での少女達への脱衣捜査が合法だと支持していた。ソトマイヨール判事はそれに対し異議を述べ、多数派の判事が「エモーショナルなトラブル状態に陥っている子供たち(虐待又は無視の犠牲者として、他の同年齢の若者よりもより心理的・感情的に傷つきやすい可能性のある)のプライバシー上の権益」に、充分な配慮を怠っているとした。
それはまた、Ginsburg裁判官が発した(Safford Unified School District対Reddingのケースでの)疑問意見、すなわち13歳のミドルスクールの女子生徒に対しアリゾナの学校当局がおこなった「屈辱的な」脱衣捜査への疑問、と同調していた。その異議においてソトマイヨール判事はさらに、コネチカットの矯正施設での少女たちへの捜査が、「混乱させ屈辱を与える」ものだったと強調した。「その施設の担当官たちは、女の子たちを裸にして体を前と後ろから検査し、そして彼女らの胸を持ち上げ、脂肪の襞を拡げてみたりした」と彼女は記した。

http://www.nytimes.com/interactive/2009/05/26/us/0526-scotus.html?scp=1&sq=Sotomayor%E2%80%99s%20Notable%20Court%20Opinions%20and%20Articles%20&st=cse
Milestones: Sonia Sotomayor http://tinyurl.com/npab87
*ソトマイヨール判事は公聴会の結果、共和党議員の執拗でヒステリックな追及をかわし、判事としての公明正大な資質や実績のみを印象づけて終わったようだ。
*子供の養育権に関する訴訟では、彼女はハーグ条例の本来の理念を強調、このことでハーグ国際司法裁判所の判事たちからの喝采をうけたという──彼女がより広範な父親の権利を認めようとしたのは、9歳で父親を亡くし母親に育てられたという彼女自身の生い立ちが影響していたのだろうか?

Sunday, August 30, 2009

“オバマケア”法案の危機と米国/Liberal Suicide March - By DAVID BROOKS

 
…「米国人に国民皆保険を!」…
オバマのヘルスケア法案の実現性に
保守派が日ごとに非難の声を高めているとか?

リベラルの自殺への行進 By デビッド・ブルックス(7/21、NYタイムス)

 共和党が、アメリカという国へのタッチ(実感)を失っていくのを見るのは興味深い。その党というのは、穏健派についても、スウィング・ディストリクト(支持党派未定、動きやすい選挙区)の代理人たちについても理解したり、共感したりすることのない、南部の保守派層によって率いられている。

 彼らは世論調査の調査員たちを彼らの党の集会に招いては、この国が彼らの後ろに熱狂的に付き従っているのだ、と納得させようとする。彼らは、彼らのインタレスト・グループ(利権受益団体や企業)によって支持され、そうしたグループの運動家たちや、党派主義のメディアからの喝采をうけている。彼らは国の資金を支持層の拡大のために費やし、その代わりにこの国を胸のむかつくような気分におちいらせる。

 民主党が、アメリカという国へのタッチ(実感)を失っていくのを見るのは、面白くない。なぜなら、そのプロットライン(あら筋)は全く同じだからだ。その党というのは、穏健派たちについて理解したり共感することのない、大都市や海岸地域の孤立した(狭量な)リベラル層に支えられている。彼らはお気に入りのcherry-picking な(何事にもいいとこ取りを好む)世論調査員たちを抱え、彼らの親しいメディアと運動家たちの繭に包まれ、支持票獲得のため借金を湯水のように使う計画に包まれている。

 このイデオロギー的な無謀なやり過ぎは、もはや、前回それが起きたときほどには成功していない。月曜日にWashington PostとABCニュースが発表した世論調査は、他の調査の結果と同じ結論をみいだしている──殆どのアメリカ人は、個人的にはバラク・オバマを愛しているが、民主党の政策への支持率はすでに急速にすべり落ちつつあるという。

 たとえば、オバマのヘルスケア(医療制度改革)政策の取り組みへの支持率は、4月の57%から49%へと急下降した。不支持率は、29%から44%へと上昇した。ごく最近の6月には、年収5万ドル以上の投票者たちがオバマの提案する医療制度改革案を、共和党のそれより21ポイントの差で支持していたが、いまや、それらの投票者たちは半々に分裂している。

 多くの無党派層は、今やオバマのヘルスケア戦略を認めていない。3月にはわずか32%の米国人が、オバマはオールドスタイルなtax-and-spend liberal(無闇な増税で財源を確保しようとするリベラル)だと思っていた。そして今や、43%の人がそう思っている。

 我々は、もはや、リベラルが自殺への行進(liberal suicide march)へと突き進む、初期段階にいる。しかし、そこには既に3つのフェーズがある──第1段階として、そこにはStimulus package(公的資金注入による経済刺激策のパッケージ)があった。あなたは、それは失業対策や不況下の経済への刺激のために構想されている、と思ったかもしれない。でも、民主党議員たちはそれを、7,870億ドルの借入金で彼らの愛玩するプログラムを行うための口実に利用した。その資金のわずか11%しか、本会計年度中には使われないだろう──プラグマティズム(実証主義)に対するイデオロギーの勝利、というわけだ。

 次に、そこには予算がある。財政赤字への穏健派の懸念を和らげる代わりに、その予算は、2009年から2019年にかけての政府による借金を11兆ドルに増大させると見積もられている。

 最後に、そこにはヘルスケア政策がある。Ann Coulter (極右派の有名女性コラムニスト)が民主党に投げつける陳腐な決まり文句はすべて、民主党のヘルスケア法案の件で壮麗に埋めつくされている。その法案は、ヘルスケア・インフレのコントロールには、ほとんど何の効果もない。彼らはマサチューセッツ州の医療制度改革法をモデルにしているが、同州のシステムは、詳しくいえば今やコストをコントロールできず縫い目からほころびつつある。彼らは(医療保険の)効果的な供給者には報酬を与えず、非効果的な供給者に対しての改革を行おうとしている。

 下院における法案では、連邦の財政赤字を最初の10年間に2,390億ドル増加させる、と連邦議会の予算事務所はいう。それはスモール・ビジネスに8%のペイロール・ペナルティを課すことによって墜落させる。それはアメリカの最高所得税率を、イタリアやフランス以上の高率へとつり上げる。ニューヨーク州とカリフォルニア州のトップ所得層は、所得の55%以上を政府の一つ二つの機関に支払わなければならなくなる。

 ナンシー・ペロシ(民主党・下院議長)への支持率はディック・チェイニーよりも低かったが、今やサラ・ペイリンよりもはるかに彼女への支持率は低い。それにも関わらず、民主党は彼女の政策の価値で日々を営もうとする──これは選挙民の景色が独立個人に支配される時代というべきだろう。

 この左がかった勢力の台頭を誰が止めるのだろう。1ヶ月前に、オバマは中道左派の連立を先導していくようにみえた。しかしその代わり、彼は首都キャピトル・ヒルの年老いた雄牛たちに対して、課題から課題へと譲歩を続けている。

 マキアベリは、リーダーは愛されると同時に畏れられるべきものだといっていた。オバマは民主党議長には気に入られているが、畏れられてはいない。ヘルスケア法案ではオバマはコスト・コントロールを主張した。しかし議長は彼の考えを無視した──彼らは、彼を畏れていないからだ。キャップ・アンド・トレード(Co2排出権の国際取引)では、オバマは大気汚染の排出権取引による相殺に反対した。議会は彼を畏れていないので、彼らによる法案をオバマに書きおくった。税制改革では、オバマはクリントン時代における最高税率よりも引き上げたりしない、と約束した。議長は彼を無視した──彼を畏れていないからである。

 そのことは先週、青色州の民主党議員たちへの課題を残した。彼ら、勇敢な穏健主義者たちは連邦財政の爆発をおし止めようとしている。しかし穏健派にはもともと、古参としての地位がない(彼らはSwingDistrictsからきたから)。彼らはつねに大抵、最後には古参リーダーの力に買収されてしまう。
 そして再び、我々はここにいる。新たなマジョリティ(多数派)はいつも、自分たちのもつ権限を過大視しがちだ…我々は前にもここに来た、そして我々はまたここにいる。 

http://www.nytimes.com/2009/07/21/opinion/21brooks.html?pagewanted=print

Thursday, August 20, 2009

パレスチナの謎の武装カルトグループ?/Jund Ansar Allah group was armed by Fatah operatives, Hamas claims


8月14日にガザで勃発した、
カルト系イスラム武装グループとハマスの戦闘… 
このグループとは何者だ
ったのか?

 この週末の流血で、ハマス民兵と治安部隊とそれに対するJund Ansar Allah(’神の従者の戦士達’)とが戦い、28名のパレスチナ人が死亡、120名以上が負傷した。グループのメンバー90名以上も逮捕拘束された。 グループのリーダーは金曜日の礼拝で突然、ガザ全域でのイスラム・カリフ公国の設立を宣言し、ハマスに対して、仮借のない口調で非難を行い、100名ほどの礼拝者たちを驚かせた。その後ハマスの民兵と警察官が周囲を包囲、彼らは自動小銃と迫撃砲によって応戦した。  
  この戦いは土曜日の朝に、リーダーのAbu Noor al-Maqdisi(Sheik Abdul Latif Moussa)と、シリア人側近(Abu Abdullah al-Muhajir)を含む数名の部下たちが逮捕されようとした際、爆弾のついたベルトで自爆したことで終了した…。 ハマス側の武装部門Izzadin Kassamのトップ・コマンダー、Muhammad al-Shamaliもこの戦闘で死亡、警官6名も死亡したという。

Jund Ansar Allahには、ファタハの工作員が武器を渡していた?(8/16、The Jerusalem Post)
 Jund Ansar Allahとは、ここ2、3年ガザに台頭してきた原理主義グループの一つだ。彼らはハマスによるガザの政府が、スーダンやその他のイスラム諸国のような厳格なシャリア法(盗っ人は両手を切断され、姦淫者は石打ちの刑などと定めるイスラム法)を実行していない、として非難した。彼らはアル・カイダを信奉すると称したが、アル・カイダとの実際の繋がりはないとみられた… 近年、ハマスが弾圧したパレスチナの原理主義グループには、他にAnsar Bet al-Maqdes, Tawheed and Jihad, Army of Islam、Jund Muhammadなどがある。 ハマスの高官はJ-Postに対し、Jund Ansar Allahはガザのファタハの元警官および治安担当者によって武器を供給されていた、と語った。西岸のファタハのリーダーたちが、ハマス政府に損害を与えるために彼らを利用していた可能性も排除できないという。

 ハマスによると、同グループは最近ハマスの名声を損なうべく、ガザ領内でカフェやヘア・サロン、Music Shopなどの幾つかの爆破を行い、また2週間ほど前にDahlan家の結婚式会場の爆破も実行した。〔*Dahlan家はファタハと関係の深いクランで、西岸のファタハのリーダーMohammed Dahlanは最近その中央委員会に選出された …同グループは、ガザ市内のインターネット・カフェのさらなる破壊を予告、海辺の人々がより質素な服装をすべきだと警告していた〕…ハマスによれば、同グループのメンバーは、殆どがモスクで勧誘されたティーンエージャーで、彼らは2002年のイスラエル軍の西岸でのOperation Defensive Shield による侵攻の後、「絶望感を爆発させて」、その行動を激化させた。

 死亡した彼らのリーダー Sheikh Abdel Latif Mousaは、ガザでも最も影響力のあったモスクの説教師の1人で、その金曜礼拝は何千人もの若者をひきつけていた。彼の人気の高さから、その信奉者たちは彼が自らを、ガザのイスラム・カリフ公国の支配者を名乗ることを願っていた。彼の主な主張とは、ハマスは余りに寛大で穏健になりすぎた、というものだ。彼は2年前に自分のRafahの私設診療所を放棄、反ハマスの運動に全生活を投じて信奉者の確保を試みた。彼らはハマスの度重なる警告にも関わらず、Rafah郊外のBrazil 地区のモスクを本拠地と定めた。
 このグループの解体と彼の死は、ハマスにとって顕著な勝利であり、何れにせよハマスのガザでの勢力が維持されることを意味する。
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1249418612530&pagename=JPost%2FJPArticle%2FPrinter

ハマスとアル・カイダ系グループとがガザで激戦(8/16、The Observer)
  …サラフィストのグループ、Jund Ansar Allahはオサマ・ビン・ラディンの思想を奉じ、彼の言葉やテロリスト訓練ビデオをそのウェブサイトに掲載、ガザは厳格なシャリア(イスラム法)で支配すべきだ、と求めていた。同グループは6月初めに、Nahal Oz の国境地域でイスラエルへの攻撃を行い、トラックと馬に乗る10名ほどの武装兵士を動員し、その何人かが自爆用ベストを身につけていた。

 …先にハマスのリーダーが発表した、反乱グループはみな「外国籍」だった、という情報と異なり、ハマスは今日の戦闘の死者にパレスチナ系シリア人がいた事を認めた(…ハマスの内務省スポークスマンは、パレスチナ系のシリア人 Khaled Banat 〔Abu-Abdullah al-Suri〕が戦闘における死者に含まれていたとする。) ハマスによれば、グループのリーダーSheikh Moussaは「精神的に不安定」だったが、Sheikh Moussaはどうにか何百名もの若者を勧誘した…彼らの幾人かはアフガニスタンやイラクのジハード戦士達のスタイルを模倣して髪や髭を長く伸ばし、同じような衣装まで身に着けていた。彼らのウェブサイトにはイスラエルへの攻撃準備の様子を撮影したビデオがあるが、多くは馬の背に跨る男たちによって運ばれ、弾薬は馬の背に積まれている─ それは彼らがグローバル・ジハードを唱え、パレスチナのナショナリズム闘争に焦点を当てたハマスには反対していたことを示す。馬の背に跨った作戦とは、イスラム帝国が世界を征服した時代を模倣したいという願いを象徴している…

 Jund Ansar Allahは、ガザから出現した最初の強硬派ジハーディストのグループではなく、またアル・カイダ系のグループがここで鎮圧されたのもこれが初めではない。昨年の、ロンドンのal-Hayat紙のインタビューによると、ファタハのMahmoud Abbas首相はハマスが、アル・カイダがガザに入ることを許している、と非難していた。不明なのは、ハマスがNahal Ozでの攻撃を仕掛けたグループの鎮圧に、なぜこんなに長く時間を要したかだ。ハマスは他のジハード組織が出現する度に、すぐに鎮圧してきた──例えばBBC のジャーナリスト Alan Johnstonを07年に誘拐したArmy of God(巨大なDogmoush 部族クランに属する組織)などだ。最近のJund Ansar Allah に対する動きは、大局的にはハマスの支配への努力の一環、少なくとも同グループによるハマスへの批判や、彼らによる武器隠匿とそのことの誇示などを排除することが狙いのようだ。

 ハマスと同グループとの紛争の根底にはより複雑な思想的、宗教的なものがある。…ハマスは、少なくとも思想的には、シャリア法の実施を人々に強要するよりも、自分たちがその模範例となることを信条にしているといい、ジハード主義者たちの、モラルは強制されるべきだとの考えとは異なる。しかし、より重要なのはおそらく政治的な外観の違いだろう。ジハード主義者のグループはグローバルなカリフ公国を暴力を通じてでも実現したいとしているが、ハマスはそれ自身の立場をパレスチナの紛争のみに限定した「レジスタンス」組織だとし、その為にイスラエルとの停戦の維持も受け入れる。ハマスはまた、アル・カイダの他の国での爆破事件も非難する──ハマスのスポークスマンSami Abu-Zuhari は、同グループは「思想的に後退」し、単独で行動していたのだと主張する。彼は「このグループは外部のいかなる組織とも関係がない」。「このグループの誰にも、法律を支配する権利はなく、そして法を尊重しないグループは治安当局によって対処される。」という。http://www.guardian.co.uk/world/2009/aug/15/hamas-battle-gaza-islamists-al-qaida
Who is Al-Maqdisi? (Asharq Al-Awsat)
http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=1&id=17785
Profile: Jund Ansar Allah (BBC)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8203239.stm
Video:Islamists killed after challenging Hamas - 15 Aug 09 (Al-Jazeera English)http://www.youtube.com/watch?v=rCaC7bHxj5o
 ハマスがこのグループの弾圧で示そうとしたのは、パレスチナの叛乱勢力に対する断固たる支配の姿勢、またアルカイダなどの反米過激派グループに反対する姿勢を米国や国際社会に示そうとした…(アルジャジーラ)

Wednesday, August 19, 2009

タリバンの支配するアフガン南部/Despite US troops, Taliban roam freely in south - By KATHY GANNON


タリバンが治外法権をしくアフガン南部地域は、
欧米が石油パイプラインを通せない、
最後の砦だとも いわれるが…?


米軍の駐留にも関わらず、アフガン南部をタリバンは自由に往来する - By キャシー・ギャノン (8/18、AP通信)

 タリバンにとっては、南部アフガニスタンの一地域だけの地方判事の任命権だけではもの足りない。地域住民が腐敗した政権への懸念に神経過敏になっていることを受けて、Helmand 県のMusa Qala 地方 の武装勢力は、地域の判事たちがわいろを受け取っていない、と証明するための委員会を設立した。そして、現政府の組織の多くの役人たちの場合と異なり…この仕組みは機能した。「ある判事がわいろを受け取ったことがわかったとき、タリバンは彼の顔全面を黒く塗って、樹にくくりつけたのだ」、とビジネスマンのEitadullah KhanはAP通信に語る。「そして彼は解放されるとすぐに、解雇された。」

 南部アフガニスタンは今年、米軍が2万1千名の追加兵力を派遣しようとする地域だが、その地は木曜日の大統領選および州議会選挙の合法性が、有権者の投票への参加率によって検証されるべき地でもある。
そこではまた、タリバンがその最強のインフラを整備している─武装兵士たちが存在するうえに、裁判官システムと、武装勢力の任命した地方首長たちが存在し、影の政府があるのだ。

 このタリバンの行政制度は、アフガン政府よりも腐敗が少なくより効率的なものとみられており、地方の住民は彼らの方をより好ましいとみる…または彼ら以外を認めることを怖がっている── それが、米国とNATOが求めている地域住民の対・反乱勢力の作戦への支持の獲得を困難にし、また選挙の投票率を上げるたいと望むアフガン人にもその実現を困難にしている。

 公けには、米高官たちはタリバンが影の政府を運営するほどの能力は持たない、という…彼らの脅迫の能力は認めていながらも。
「タリバンには、影の政府を運営する能力などない──彼らはそうした方法による作戦はとらない。彼らの行動とはこの国を、恐怖とテロで引き裂くことなのだ」、と米軍の下位士官チーフで米軍スポークスマンであるBrian Naranjoはいう。「我々は、彼らをアフガニスタンの民衆に対する脅威として深刻に捉えているが、しかしタリバンよりも人々の方が彼らに勝っていると我々は知っている。」

 米高官たちのなかには、タリバンが効果的にコントロールし、アフガニスタン軍の入れない"no-go" area(侵入不可地域)が存在する、と認識する人たちがいる。先月LAタイムスのインタビューで米軍の最高司令官、Stanley McChrystal大佐が語ったのも、「現実的にいって、タリバンに支配されている地域が存在する」ということだ。

 6年近く前、Mullah Mudaser師は、欧米軍兵士の死者の増加の陰にあった路肩爆弾(roadside bomb)の作り方を学んだタリバンの最初のグループの1人だった。
その当時、彼にはパキスタン国境を越え密かに潜入し、訓練のために隣国を行き来する必要があった。今日、彼は武装兵士たちをアフガニスタンで訓練しつつ、AP通信の記者とKandahar 市のど真ん中で羊のカバブの食事を取りながら会見することにも何の障害もない。

 Mudaser師は、タリバンが武器と弾薬、自爆用ベストをKandahar市近郊の幾つかの場所に密かに備蓄しているという──それは2001年の米国主導の侵攻以前に、タリバンの精神的・戦略的な本拠の地だったのだという。 アフガンでの10万人以上の米軍・NATO軍の駐留にもかかわらず、Kandahar市の住民は、タリバンの武装兵士たちが同市の北部と南部の近郊地域を何の咎めもなく通行し、(選挙へ行く者への)脅迫を記した「shabnamas…(または、夜の手紙)」を配布したり、女性の運動家や女子生徒たちを襲ったりしていると話す。

 武装勢力のインフラは田舎の方で最も強く拡がっている。タリバンは彼らがパシュトゥン族地域の田舎の65%を支配していると主張する(──この数字は確認のしようがないが)。Kandahar 県、Zabul 県、Helmand 県、Uruzgan 県及びNimroz 県では、武装勢力が数箇所の郡地域を支配する、と国連は述べている。
「田舎の辺境地域は政府の支配が難しい」、と国連高官Samad Khaydarov は爆弾防護壁と分厚いスチール製の障壁、そして数名の制服警官が警護するKandaharの彼のオフィスでのインタビューで、語った。「タリバンは特に数箇所の郡とその他の地域で、イスラム聖職者たちや部族の長老達の間に影響力がある。」
タリバンの厳格なイスラム教の裁判システムは、武装勢力の影響力の最もぎらぎらした証拠だ。

 Kandaharの隣のHelmand県では何千名もの英軍が駐留しているが、Musa Qala地区のタリバンは定期的な裁判の日程を組んでいる、とビジネスマンのKhanはいう。毎週木曜日に、村民は、もめごとの仲裁をおこなうタリバンの判事の前にたつ。
30歳のKhanはかつてはHamid Karzai大統領の支持者だったが、Karzaiの政府の腐敗に幻滅を感じたといい、タリバンの仕事を賞賛の言葉をちりばめて語る。
「タリバンはよくないグループだった、しかし政府の人間たち…こうした人間たちは今や泥棒で、殺人者だ」
Kandahar のZherai 地区のある大地主は、タリバンが彼の地域内を自由に往来し、そこにも裁判所を建てたのだと、彼は身の安全のために匿名を条件に語った。ある元政府の役人は 「いくつかの地域では、夜はタリバン、昼間は政府の役人が支配している。」と、これも匿名を条件に語る。「誰もタリバンから身を守ってくれはしないからだ」。
 米国とアフガンの政府関係者は、選挙を前に南部の治安確保にむけ奔走している。既に同地域の武装勢力が、投票するものは暴力にあう、との警告を発している。
米軍はHelmand 県のNow Zad地区で大規模な攻撃をおこない、タリバンを Dahaneh の街から一掃し、投票所の設置を可能にしようと試みた。

 アフガン政府と米国諜報部は、アフガニスタンのタリバンが隣国パキスタンにいくつかの拠点基地もつことを特定した。そこにはQuetta shura と呼ばれる10名の委員会(committee)があるという。Mudaser は、アフガニスタンでのタリバンのインフラは過去2年間の間に癒合・合体しつつある、と述べる。

 彼の出身地のZabul県では、反政府勢力の地域支配者は Mullah Ismailであり、Mudaserのボスの軍事的司令官はMullah Basharで─彼はタリバンの全国的な防衛大臣のMullah Abdul Ghani Baraderに報告の義務がある。2006年のタリバンの軍事司令官Mullah Akhtar Mohammed Usmaniの死後、Barader はタリバンの戦場での司令を発している。

 南部のパシュトゥン族支配地域の何十もの郡部では、タリバンが警察のチーフも任命しているとMudaserはいう。彼は彼の指揮下に120名のタリバンの部下がおり、何百人もの兵士に路肩爆弾の製造法を教授した。南部アフガニスタンでそうした多くの兵士の指揮権をもつ今、彼は彼のスキルを、パキスタンまで隠密に旅して教える必要はもうない。
 「今ではその製造法を知る者が何百人もいる。」 彼は、どのようにしてマーケットから材料を入手し、220パウンド以内のその材料を使って爆弾を作るかについて付け加えた。
http://hosted.ap.org/dynamic/stories/A/AS_AFGHAN_TALIBAN_PRESENCE?SITE=AP&SECTION=HOME&TEMPLATE=DEFAULT