Wednesday, August 11, 2010

How the ground zero mosque site neighborhood looks like..









「グラウンド・ゼロ・モスク」への論議がヒートアップ…Debate Heats Up About Mosque Near Ground Zero


 グラウンド・ゼロ・モスクのデベロッパーとは:そのムスリム同朋団のルーツと、急進的な夢─ 


by Alyssa A. Lappen (5/14, PajamasMedia)

 グラウンド・ゼロから600フィートの地点での、1億ドルをかけた13階建てモスクの未来のデベロッパーは、彼自身を穏健派のムスリムだと称する。…しかし、クウェート生まれのFaisal Abdul Raufは、彼が「エジプトで宗教的な学問研究に没頭していた家族」の出身だ、といって誇らしげだ。確かに、Faisal Raufの出所であるムスリム同朋団とは、”急進的”と定義されているとおりの、正統的なものだ。(*写真:モスクの計画立案者、Faisal Abdul Rauf)

 Raufの父・Dr. Muhammad Abdul Rauf (1917-2004)は、ムスリム同朋団の設立者Hassan al-Bannaのエジプトでの現代版、といえる人物だった─ 彼はFeisalに対して、イスラムにおけるバチカンでもあるAl-Azhar Universityで彼が獲得した、一族の長いラディカリズムの伝統を伝えた。父Dr.Raufは、1948年にエジプトから逃れるまでそこで学び、教えていた。その年に、Feisal Abdul Raufはクウェートで生まれた。

 Feisal Raufは彼の父の唱えたイスラムの米国への拡張主義を、いつの日か実践しようと考えていた。1990年にRaufはローワー・マンハッタンの245 West Broadwayで、小さな al-Farah モスクを開業した。 (*註:グラウンド・ゼロから12ブロックの地点)地域の住民たちは、2006年にNY州の酒類局が同じブロックでの新しいバーの開業ライセンス認可を拒否し、他の店の認可も取り下げようとしたときまで、そのモスクに気づきもしなかった。

 Raufの経歴では英国とマレーシアでグラマー・スクールと高校に通った、とある。彼はおそらく1965年、17歳の時に、彼の父がマレーシアから米国に…NYでのイスラム文化センターの建設を考えて移住した際、初めて米国に住んだにすぎない(その建設は1980年代半ばまでは実現しなかった)。Raufはその後、コロンビア大学において科学の学士号を取得、1971年に家族はワシントンDCに移り、その地でRaufの父はMassachusetts Aveにイスラム・センターを設立した。彼の父はメリーランド州のSuitlandのfor-profit Washington 国立墓地に埋葬されたが…彼はマレーシアでも、3つのイスラム研究プログラム(マレーシア国際イスラム大学を含む)を設立している。

 Raufの英国で受けた初等教育と、米国のポップカルチャーへの親しみによるその価値観は、彼をイスラムのtaqiyya(イスラムへの興味とその優位性を進めるための、欺瞞的スピーチや行為…)に、強烈に熟練した伝道師となした─そうしたイスラム的な一層の邁進のためにRaufは1997年にAmerican Society for Muslim Advancement (ASMA)を設立したが、カシミール生まれの彼の妻でインテリアデザイナーを職業とするDaisy Kahnが、その組織を2005年以来経営している。

 Raufはその後、新たな影響力拡大を試み始めた。2002年の夏前後に、Raufはニューヨーク南西部のシャータクワ郡の、創立136年になる非営利の夏期講習会の宗教学ディレクター、Joan Brown Campbell女史の傘下へと入り、750エーカーのそのNYキャンパスでイスラムを講義し始めた。「アブラハムの」信仰に関する、という朱色のただし書きはRaufのイスラムの布教活動を都合よく隠蔽したが、Campbellはその後彼を未来のムスリム・ハウスのリーダーに任命した…その計画は今やそのキャンパスで、Raufのもうひとつの創作物である501(3)c organization Muslim Friends of Chautauquaによって進められている。Raufは元英国出身の尼僧で、熱心なイスラム教徒に改宗したKaren Armstrongとも親交を持った。

 2002年に「大学のレジデント神学研究員」としてArmstrongは(次のように)ムスリム同朋団を擁護した─まるで、すべてのイスラム教徒テロリストの父である組織が、進歩的なチャリティ組織か何かであるように…。

 [The MB](ムスリム同朋団)は弾圧を受ける以前は、素晴らしい福祉プログラムを実施していた…ムスリムが働ける工場では、祈りの時間やバカンスの時間がもうけられ、保険や労働法の知識を学び、診療所を設け、彼らは人々にどうやって汚水や排水を処理するかについて教えた…また、庶民たちがイスラム教社会のなかで近代化の恩恵を受けるべく、試みるのも常に宗教の役目であることが人々にとっても理に叶い、物事をよりバランスのとれたものにしていた。

 2003年にRaufはデンバーのAspen Instituteのリーダーたちと知り合った…その中には前エグゼクティブ・ディレクターと、アスペン市長を4期務めたJohn S. Bennetがいた。2004年にASMAのサポートのもとで、Raufは125人の若いムスリムからなる会議を開催しMuslim Leaders of Tomorrowを結成した。Bennetの助力のもとに、彼はアスペンで…ムスリムと西欧の関係の“改善“を意図したCordoba Initiativeをも設立した。Raufは多くの他のリベラル組織から資金援助を得たが、その中には例えばGloria Steinem(*米国の女性解放運動家)のMs. Foundationもあった。

 しかし、RaufはSydney Morning Heraldインタービューで、彼の和解的な態度に全く反した発言をしている。テロリズムとは、と彼は言った…西欧がムスリム世界に与えてきた害を認識しない限り終わらない、と。 (http://www.smh.com.au/articles/2004/03/21/1079789939987.html

 第2次大戦での西欧の役割は、厳密にみて自衛的なもので、まったく宗教的なものではなかった(はずだ)。しかしさらに、Raufの議論は─これは2009年12月〈Raufの妻の〉Daisy KahnがFoxNewsのLaura Ingrahamとのインタビューで一層うまく言い逃れ(潤色、美化)していたことだが、7世紀から16世紀まで中東やヨーロッパ、中央アジアやインドで続いた、イスラムによる非イスラム教徒への攻撃を無視していた。Raufは2006年にコペンハーゲンで彼が開いたMuslim Leaders of Tomorrowの会合で、さらに彼の敵対的な感情を表明した。彼の穏健な口実を強化すべく、Irshad ManjiやMona Eltahawyのようなリベラル派のムスリムを招いたりした。しかしMuslim Leaders of TomorrowはまたYasir Qadhiのようなムスリム同胞団の北米イスラム協会(Islamic Society of North America)のお気に入りの論者、またハマスの米国支部で、それ自体が未起訴のテロリスト資金援助団体 the Council on American-Islamic Relations (CAIR)と強い関係をもつDhaba “Debbie” Almontasserなども招いた…
 (以下続く…)
http://pajamasmedia.com/blog/the-ground-zero-mosque-developer-muslim-brotherhood-roots-radical-dreams/


↑*これはモスク反対派の人々が槍玉に挙げている、計画の資金源への疑惑や首謀者ラウフのルーツに関して詳しく暴露する記事だ…


*「ムスリム同胞団」: 1928年イスマイリアで「イスラームのために奉仕するムスリムの同胞たち」として、ハサン・アル=バンナーが結成。イスラーム主義組織としては20世紀最古、最大の影響力を有する。1940年代に隆盛したが、ナーセル政権の下で弾圧された(…現在のエジプトの事実上の最大野党。中東全域に広がるスンナ派の社会運動・宗教運動ともなっている)
ハマースはアフマド・ヤースィーンが同胞団パレスチナ支部の武装闘争部門として結成した…。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A0%E5%90%8C%E8%83%9E%E5%9B%A3
*ハマスのルーツはイスラエルが建国当初パレスチナ人のために作った互助会組織ともいわれるが…

グラウンド・ゼロ近くのモスクについての議論がヒートアップしている -
By マイケル・バルバロ (7/31、NYタイムス)
 
 

 影響力のあるユダヤ人団体がこの金曜日(7月29日)に、ローワー・マンハッタンのグラウンド・ゼロの北2ブロックの地にイスラム・センターとモスクを建設するという提案への反感を表明した。この提案は、信教の自由と9月11日のテロリスト攻撃の意味をめぐる全国的な激しい議論を惹きおこしている。

 その団体、名誉毀損防止同盟(ADL)の主張は─ イスラム過激派が約2,750人を殺害した場所近くでのセンター建設を歓迎し、この国の寛容性と価値観を表わすべきだ、と論じている幅広い宗教的グループ層からの、怒りのReactionを触発した。

 しかし主流派グループのADLが(反論と同時に)、モスリム・センターの計画を攻撃する行為に対しては頑迷さをみとめ、それを非難した、という予期せぬ動きは、このプロジェクトに関する論争における十分な転換点にもなりうる。

 グラウンド・ゼロがゆっくりと、その街を織り成す繊維のなかに戻りつつあるニューヨークでは、政府関係者たちが、礼拝のスペースやパーフォーミング・アーツ・センター、プールやレストランをも含む15階建てコンプレックス(複合施設)のスプロール化(街の不規則な増殖、拡大…)のプランに対して認可を下す準備があるように見える。

 しかし共和党リーダーたちや’08年の選挙戦の副大統領候補・Sarah Palinなど保守派評論家によって喚起された反対の声は、全米で高まっている─ 彼らは「平和を求めるイスラム教徒」たちが、このセンターの建設を「必要のない挑発」として拒絶してほしい、と求めている。政治的行動を促すある共和党の委員会は、この計画を非難するTVCMを流している。前・上院議長、Newt Gingrichも、スピーチのなかでそれを非難し続けている。

 この複合施設の計画が、ローカルなゾーニング・プランの議論から全国的な住民投票の域に急速に進化したことは、WTCの敷地が事件後9年たった今でも、未だに未解決の集中的な感情に取り巻かれていることを示している。

 多くのニューヨーカーにとって、特にマンハッタンでは、ここは毎日の通勤の際に通り過ぎ、オフィスの窓からちらりと眺める建設用のサイトだ。シティの外の人々にとってはそれはシールドされ、記憶されるべき神聖な戦場のようなものだ。

 このプロジェクトに反論する者たちは、グラウンド・ゼロのこれほど近くでのムスリムの礼拝施設の建設が、少なくともここで死んだ人たちの遺族を傷つけ(侮辱し)、悪くすれば、イスラム過激派が米国に打撃を与えたとの達成を記念する、攻撃的な行為となると論じている。

 「WTCでは南北戦争以来、最大数の米国人の生命が失われた」とGingrich氏は唱える。「そして我々が未だにそれを再建していないことが人々を怒らせる。そんな中で我々はこう聞かされる、ここに13階建てのモスクとコミュニティ・センターを立てませんか?などと…。」

 彼は言う:「平均的なアメリカ人は、この計画は即ち政治的声明だと考えている。これは宗教に関するものではなく、それは明白に、攻撃的で気分を害する計画なのだ」

 WTCの犠牲者の数人の遺族たちは計画への反対表明に力を入れ、これが埋葬地でもあるこの地の神聖を汚すものになる、という。「もし私がこの地を眺めてそこにモスクをみたら、私の心は傷つくだろう」と、911で息子Peterを失ったC. Lee Hansonが最近の公聴会で述べた、「それは、どこか別の場所に建ててほしい」、と。

 この計画を擁護する者たちは、過熱する反対論に戸惑い、狼狽している。彼らは、推定1億ドルのコストを要すると思われるそのプロジェクトがムスリムと非ムスリムの間の亀裂の橋渡しを意図によるもので、亀裂を広げるものではないと論じる。

 センターのプログラミング・ディレクター、Oz Sultanは、この複合施設がマンハッタンに点在するユダヤ人コミュニティセンターやY.M.C.Aを真似たものだという。それはムスリムと、キリスト教徒、そしてユダヤ教リーダーたちからなる評議員会を持ち、そして穏健派イスラムの国民的モデルを意図するものだという。

 NY市の幹部、特にマイケル・ブルームバーグ市長はこの計画を、信教の自由の面から強く擁護し、政府は祈祷のための場所をどこに置くかを規制してはいけないと述べる。地域のコミュニティ評議会は、この計画に圧倒的な支持を与え、そして市の景観委員会(landmarks commission)は火曜日に同様な決定を下すと思われる。 (*実際に委員会は8月3日に建設の公式な許可を決定した)

 「米国の偉大なところとは…特にニューヨークに関しては、すべての人を歓迎することだ─そして我々がもしもこのような事に対して恐れたなら、それは我々について何を語ることになるのだろう?」と最近、市長は問いかけた。「民主主義はこれよりも強い」と彼は付け加えた。「そしてこのことに対してもしもノーと言うなら、それは…私が思うに、不適切な発言だというのが最適な言い方だろう」

 …それでもムスリム・センターに対する議論は反響し続けている。世論調査は過半数の米国人がこの計画に反対だと示している。

 ニューヨーク市の2人の有力な共和党知事候補、Rick A. LazioとCarl Paladinoは、これを彼らの選挙キャンペーンの主要イッシューと捉え、州の司法長官Andrew M. Cuomo(彼もまた民主党の知事候補者と目される)がこのプロジェクトの資金源を余り積極的に捜査していないことを非難している。

 ノースカロライナではやはり、元・海兵隊員の共和党議員候補Ilario Pantanoがこの件を選挙キャンペーンで取り上げ、この件がグラウンド・ゼロから600マイル離れた彼の選挙区の選挙民たちを触発している、と語る。 (*写真はPantano氏とモスク計画への反対者たち)

 数日前にSalemburgという小さな町のピザ・ショップで、彼はこの提案に対し養豚農業者たちと退役軍人たちを前に熱烈な攻撃を行った。「この提案に対しては一様に、部屋中に嫌悪感と軽蔑が漂っていた」とPantano氏は述べる。

 この件はかつて反イスラムの(差別的)感情に対して反対の声を上げていたADL〈名誉毀損防止同盟〉にとっては苦痛を伴うイッシューだった。しかしその全米ディレクターのAbraham H. Foxmanは金曜日のインタビューで、彼らの組織はそのモスク計画の場所が9月11日のテロの犠牲者の家族の感情を逆なでするとの結論に達したと述べて、そしてその計画の支持者たちは「1マイル先」に場所を探すべきだ、と指摘した。

 「それは間違った場所だ」Foxman氏は言う、「別の場所を探すべきだ」

 何故そのように犠牲者の家族たちによる反対がその決定にとって重要なのか、と聞かれて、ホロコーストを生き延びたサバイバーのFoxman氏は、彼らには彼らの感情を抱く権利がある、と述べた。

 「ホロコーストの生存者たちはそれが非理性的だと言われるような感覚も、持つ権利がある」と彼は言った。911のテロに命を奪われた愛する人々について彼は、「彼らの苦悩は彼らに、他の人たちから見れば非理性的だとか、頑迷だなどと呼ばれる立場に立つ権利を与える」

 ADLの声明はほとんど、即座に批判を呼んだ。

 「ADLは自らを恥ずべきだ」、と異なる民族間・異なる宗教間の対話を進めているNational Jewish Center for Learning and LeadershipのリーダーのRabbi Irwin Kulaは言った。イスラムセンターの計画を提案するFeisal Abdul Raufについて彼は、「(Raufなどの)ムスリム・コミュニティーの穏健派リーダーたちに対して、ここで我々が、一歩前に進むことを勧めていたのだ、しかし彼らのうちの一人がそれを行ったとき、彼は疑惑の眼で迎えられた…」

 金曜日には提案中のムスリム・センターのプログラム・ディレクターのSultan氏が、そのニュースに驚きと悲しみを表明した。911のテロの犠牲者家族に関するFoxman氏の言葉を聞かされて彼は「そのような反応は我々も予想していた」、と言う。彼は、9月11日にはツイン・タワーで働いていたり、またその事件に対処したりしていたムスリムたちもまた犠牲になったのだ、と語った。 http://www.nytimes.com/2010/07/31/nyregion/31mosque.html

*Cordoba House予定地はグラウンド・ゼロから徒歩3分~5分







http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-16640420100804
9・11跡地近くでのモスク建設、NY市が認可の判断
Mosque Plan Clears Hurdle in New York
http://www.nytimes.com/2010/08/04/nyregion/04mosque.html?ref=us


全米各地で、地元の新らしいモスク建設に対する反対運動が過熱?
http://www.nytimes.com/2010/08/08/us/08mosque.html?scp=1&sq=Across%20Nation,%20Mosque%20Projects%20Meet%20Opposition&st=cse
Across Nation, Mosque Projects Meet Opposition

グラウンド・ゼロ近くの建設予定地、モスクではなくコミュニティセンターと主張
http://ameblo.jp/scalar/entry-10611593635.html

8月10日「NY州のパターソン知事がモスク計画用地として、グラウンド・ゼロからより遠い場所の、州所有地をオファーする可能性を表明」
…翌11日にはブルームバーグ市長が、そのパターソン知事の代替地提案の件を払いのけた?
http://cityroom.blogs.nytimes.com/2010/08/11/bloomberg-brushes-aside-paterson-proposal-for-mosque/?scp=6&sq=What%20a%20Mosque%20Says%20About%20New%20York%20&st=cse







Sunday, August 8, 2010

「グラウンド・ゼロ・モスク」のイマーム、ユダヤ系米国人からの支持に感謝/ 'Ground Zero mosque' Imam thanks U.S. Jews for support- By Natasha Mozgovaya


「グラウンド・ゼロ・モスク」のイマーム、ファイサル・アブドル・ラウフ、ユダヤ系米国人からの支持に感謝を表明─

─ADL(名誉毀損防止同盟)は、グラウンド・ゼロ近くのモスクの建設は「逆効果」と非難。
一方"J Street"は1万名以上のモスク支持者から署名を集めた─

(By Natasha Mozgovaya 、8/4,  Ha'aretz)
(*写真は45 Park Placeでモスク計画の支持を訴えるユダヤ教ラビ、Arthur Waskow氏)

 グラウンド・ゼロから2ブロックの地点におけるモスク建設計画の主導者、イマームFeisal Abdul Raufは、この火曜日、広範にひろがる反対の声の中でイスラムセンターの計画を支持してくれたユダヤ系米国人たちへの感謝を表明した。

 「私は、ユダヤ人の友人、同僚たちによる、この厚意に満ちたジェスチャー(身ぶり)と支援に心からの感謝を表明する」、と彼は述べた。「貴方がたによる支持はユダヤとムスリムの文明が過去に分かち合ってきた相互協力の偉大な歴史と、相互理解を反映し、全ての米国人の間で今後も継続する我々相互の対話の永続的な成功と、宗教の自由や寛容性・協力関係への献身のあかしでありつづける…」 

 ニューヨーク市のエリアでは、米国ムスリム前進協会(American Society for Muslim Advancement)と、コルドバ・イニシアティブ(Cordoba Initiative)と呼ばれるイスラム系グループがグラウンド・ゼロから2ブロック地点に計画中の、この13階建てイスラム・センターとモスクの1億ドルをかけた建設プランへの感情がヒートアップしている。

 このほかの挑発的な面としては、911のテロ攻撃の10周年を期した新たなイスラムセンター開設の計画であること、またその資金の大半がサウジアラビアとフォード財団に負っていることがある。

 土曜日に、(ユダヤ人団体)「ADL(名誉毀損防止同盟)」はこの計画は「逆効果だ…」としつつも、大目にみる声明を発した。

 「グラウンド・ゼロ・モスク」計画として知られるようになった…このコルドバ・イニシアティブのNYCプロジェクトは、国中での論議を過熱させてきたが…先週の水曜日以来、議論はユダヤ人団体を中心としたものにシフトしてきている。

 ADLは…我々は宗教の自由を支持し、頑迷さを拒絶する、と強調した─(しかし、ADLは)新たなイスラム教センターに選ばれたこの場所が、センシティブなサイトであることを鑑みて、コルドバ・イニシアティブがモスクを含む13階建てのイスラム・コミュニティー・センターを911現場から2ブロック先に建てたいとの主張は「逆効果、counterproductiveだ」、と評した…それでも、その声明文のなかでは「イスラム・センターの提案者はここにそれを建設するあらゆる法的権利を有するかも知れず、彼らはイスラム教についてのポジティブなメッセージすらも発するためにこの場所を選んだかも知れない」、とつけ加えた。

 それでもリベラルなユダヤ人たちは即座にADLの声明を「偽善的」と非難し、それは彼らによる最近の決断と、彼らの宣言するミッションを害するものだとした。親イスラエルのロビー・グループ、JStreetは、1万人以上のモスク支持者の署名を集め、コルドバ・ハウス建設に関する議決がなされるよりも前に、それをNY市の歴史的建造物保存委員会に提出したのだ(同委員会は、全会一致でこの地の〔*911の遺構として建物に手をつけないとの〕景観保存規制には反対票を投じた)

 「米国のムスリムたちが、米国中のユダヤ人コミュニティ・センターをモデルに、ローワー・マンハッタンにコミュニティ・センターを建設しようとの計画に対する反対意見に驚愕し、J Streetは信教の自由への支持と、反ムスリムの頑迷な考えに反対する署名を集めている」とJ Streetはそのウェブサイト上で表明した。

 リベラル誌「Tikkun」〈イスラエルの著名な宗教系雑誌〉の編集者、ラビMichael Lernerは、ADLの決定は「恥ずべき」ものだとし、「ADLのリーダーAbe Foxmanは、彼らの組織が差別と戦う立場をとると表明しつつも、その公式声明は相手を攻撃しつつ嘆いてみせているという、完璧な例にすぎない」と言って批判した。

 Shalom Center の設立者のラビ、Arthur Waskowは、他の30人ほどのラビやユダヤ人リーダーたちと共にセンターの建設を支持し、支持者たちにFoxmanのオフィスにコンタクトをとって彼の組織が立場を変えるように働きかけて欲しい、と頼んだ。

 AJCもまた火曜日にコルドバ・イスラミック・センターは「建設される権利を有する」、と述べた─しかしその創立者たちに対しては、「彼らの資金源や、テロリストへの支援への懸念を表明してほしい」、と要請した。

 コネチカット州上院議員のジョー・リーバーマンは、センター建設にいくつかの条件をつけてほしいと要望し─基本的に、このセンターの建設が911の犠牲者の遺族や友人らにどのようなインパクトを与えるかの評価、またセンターのスポンサーたちの意図や、その資金源に関する更なる評価がなされるまでは、「このプロジェクトをストップして欲しい」と求めた。

 Park51プロジェクトのリーディング・デベロッパーであり、アッパー・マンハッタンのユダヤ人コミュニティ・センターのメンバーでもあるSharif el-Gamalはハーレツ紙に対して、彼が5年間にわたり、センターの建設を意図してそのビルを購入しようと試みてきたことが、このような注目を浴びるとは予想もしなかった、と語った。「私は10年近くにわたり、この近辺で物件を探していた。ニューヨークで不動産を見つけるのは容易ではないからだ」、と彼はいう。

 ユダヤ系の義理の姉妹をもつEl-Gamalはこう付け加えた─「このモスクは、より大きな施設の構成要素の一部となるが、他の施設とは切り離して非営利で運営される。そこにはジムやプール、レストランも作られる。スパや多目的施設、そしてまた911の犠牲者への顕彰するメモリアル・スペースも設けられる」と。 (*写真はEl-Gamal氏)

 モスクの計画を批判する者たちは、イマームのFeisel Abdul Rauf(モスクの計画提案者)が911のテロ発生の直後にCNNに対し「米国のポリシーとは、ここで起きた犯罪のアクセサリーのような物だった。我々(米国)は、世界で死んでいく多くの罪のない人々の命にとってのアクセサリーだった。オサマ・ビン・ラディンは米国によって作られた」などと語った、という事実を挙げている。

 こうした批判者たちの声に呼応してAbraham Foxmanはハーレツ紙に対し、彼の声明が「政治的な意図(アジェンダ)を持つ、全てのグループや人々によってねじ曲げられた」、と語った。
 「ADLの立場は非常に明白で、単純だ─ それはこの建設計画のロケーションと、感情的な過敏さ(センシティビティ)の問題であり、宗教の自由や、偏見に関する問題ではないのだ。カソリック協会がアウシュヴィッツの近くに祈祷のためのセンターを建設したいと言った時にも、我々はノーと言い、世界に呼びかけてこれに反対するように求めたのだ」、とFoxmanは言った。

 「(前法王の)ヨハネ・パウロ2世が彼らのセンターを(アウシュヴィッツから)1マイル離れた地に建設すことが可能だ、と言明したときまで、我々はアンチ・キリスト教だというレッテルを貼られていたが…実際、過去15年間、それはいかなる争い事もなくその場所に在ったのだ」、と彼はつけ加えた。
http://www.haaretz.com/jewish-world/ground-zero-mosque-imam-thanks-u-s-jews-for-support-1.305883
*NY市では許可が出されつつも、全米で反対の声があがるモスク計画に、↑イスラエルの中道リベラル紙ハーレツではこのような冷静な記事を掲載?

*世論調査(6/21-28)では過半数のNY市民がモスク計画に反対(クウイニピアク大学研究所調査、NY市の有権者 1,183 人回答)
http://www.nbcnewyork.com/news/local-beat/New-Yorkers-Oppose-Ground-Zero-Mosque-Poll-97602569.html
(*52%が反対、31%が賛成、17%が未決定。地域的にはリベラルなマンハッタン区では賛成者が多く反対者は僅か36%のみ、逆にスタッテン島では76%が反対)

*ADL(名誉毀損防止同盟)のモスク計画に対する声明文(7/28)
http://www.adl.org/PresRele/CvlRt_32/5820_32.htm
(計画に反対したとの解釈と、大目にみたとの両方の解釈がある…この地での建設案を非難しつつ、計画者にはすべての法的権利がありうると微妙に譲歩する?)

*多民族都市擁護派・ブルームバーグNY市長の「激烈な」モスク計画支持声明も話題に
http://www.youtube.com/watch?v=tQsHc1EHgQY

*6月6日のNY市でのモスク反対集会
http://www.youtube.com/watch#!v=VK1W4HDGa08&feature=related

*NYの辺鄙な島、スタッテン島コミュニティセンターでの反対者集会
http://www.youtube.com/watch#!v=j1ux4G7wMNc&feature=related

*グラウンド・ゼロ・モスクの設立者、RaufのFOXでのインタビュー
http://www.youtube.com/watch#!v=YTX_licVz88&feature=related
…Cordoba Instituteのチェアマン、Faisal Abdul Raufと911に現場で活躍したNYCの消防士Tim Brownが討論
Raufは以前からトライベッカにもモスクを持ち、911の後にはFBI当局の捜査にも協力、ムスリム社会と周囲の社会の関係改善に努力してきたと語る。最後にモスク計画の資金源を問われるが、NYの金融街で成功したムスリムなど彼らの組織の「多くの支持者」からのものだと語る?(討論が丁度時間切れとなる)

*昨年12月、Abdol Raufの妻Daisy KahnへのFOXのインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=q7WbTv_gsx4&feature=related

*コルドバ・イニシアティブのsite:Park51プロジェクト声明
http://www.cordobainitiative.org/

Saturday, July 31, 2010

今、話せる?…[CNN、オクタビア・ナスールを解雇] Can We Talk? - By THOMAS L. FRIEDMAN


今、話せる? By トーマス・L.フリードマン(7/16, NYタイムス)

 7月7日にCNNは、その中東問題関連のシニア・エディターOctavia Nasrを… 彼女が「自分はSayyed Mohammed Hussein Fadlallahの逝去をきいて悲しく思う」とTwitterのメッセージに書き込んで公表した後に、解雇した。
─Fadlallahとは、ヒズボラ武装組織の創立にも関与したレバノンで最も著名なシーア派の精神的リーダーの一人だが、Nasrは彼を「私が尊敬してやまない、ヒズボラの巨人の一人」と描写していた。

 私は、彼女の解雇には問題があると思う。…そう、彼女は過ちを犯した。スクープ記事のレポーターたちは、記事で扱ういかなる登場人物についても、個人的感情もまじえてはならない。それはメディアの信用性を損ねる。でも我々は、アラビア語を話すレバノン人キリスト教徒の女性ジャーナリストがCNNのために中東情勢をレポートしてくれることによって多大な恩恵を受けていたし、そして彼女が20年間に犯した唯一の罪がFadlallah のような複雑な人物に関して書いた140字のメッセージであるなら、彼女への制裁はより緩やかであるべきだ。彼女は1ヶ月ほどは謹慎すべきだったかも知れないが、でも解雇されるべきではなかった。そこにはいくつかの理由がある。

 まず始めに、それが我々にどう影響したのか?たった一言の動詞の誤用で、1時間以内にデジタル世界のリンチ・モブ(リンチ集団)があなたを追いかける─そしてあなたの上司たちが、状況を取り繕うべくスクランブル発進する。でもジャーナリストというものは、レポート上のミスや間違った言説の引用、記事の捏造や盗用、システム的な偏見などで、彼・彼女の職を失うべきもので─ このようなメッセージのために失うべきものではない。

 我々は、若い世代にどんなシグナルを送っているのだろうか?風向きに向かって帆を調整せよ、政治的公正さを持て、どこか特定の政治的支持層に非難を浴びるようなことを決して言うな。そしてあなたがもしも、政府関連の仕事や、全国的なジャーナリズムの仕事、あるいはハーバード大の学長の様な仕事をしたい望みがあるなら、安全に振る舞い、誰かを立腹させる可能性のある知的な挑戦などを決して行うな。あなたが言ったすべての言葉が永遠に検索可能になるグーグル時代には、未来とは、何も足跡を残さぬ者だけの手にあるのだ。

 また、そこには中東問題から見たアングルが存在する。もしも我々米国がレバノンやアフガニスタン、イラクにおいて行った介入から学ぶべきことがあるとすれば─それはこうした地域を知る米国人というものがいかに少ないか、ということだ。我々には彼らのニュアンスで情勢を生き生きと通訳してくれる通訳が必要なのだ。

 私は米国の侵攻後にバグダッドに居た、そしてブッシュが任命したこうした若い人間たちに会った─彼らは(Rajiv Chandrasekaranが“Imperial Life in the Emerald City”でも書いたように)しばしばブッシュに対して、100%忠実だったがゆえに選ばれた─たとえ、イラクについては100%無知だったとしても。彼らの無知さは、その地での我々の失敗というものを助けた。「米国の占領当局の仕事を探していた2人の人物がいうことには、彼らは彼ら自身のRoe v. Wadeに関する意見さえも問われていた」、とChandrasekaranは書いている。 (*'73年のRoe対Wadeの米最高裁判決以来、今に続くabortion right 堕胎の自由論争の代名詞¨ブッシュ政権は強いanti-abortionだった)

 私はOctavia Nasrにも、Fadlallaにも会ったことはない。Fadlallahは明らかにイスラエルを憎んでいて、イスラエル人に対する攻撃を支持し、米軍のレバノン及びイラクへの侵攻に対して反対していた。しかし彼はまた、ヒズボラの窒息的なドグマチズム(教条主義、独断主義)や、イランに対する従順さにも反対していた;彼はレバノンのシーア派が独立的でモダンであるよう望み、そして彼は彼の書く社会的な論評(commentary)を通じて、この地域で影響力を打ちたてていた。

 “Democracy: A Journal of Ideas”のエディター、Michael Tomaskyが指摘するのは、リベラルな世俗的シーア派のレバノン人(女性)ジャーナリストのHanin Ghaddarの(Now Lebanonのサイト上での)回想だ…それは、彼女がベイルートで一人暮らしをすることについて、Fadlallahがいかに彼女の保守的な父親に介入をしてくれたか、だった━Fadlallahは父親に「彼女が独立した、精神的に健全な大人の女性である以上、父親は彼女のやりたいことに口を出す権利はない」という内容の手紙を書いて、それを許可させたのだという。

 Ghaddar は「Fadlallahのような人物だけが、status quo(現状、体制)を変える事ができる」と理解するに至った、と語っている。アンチ・ヒズボラ派を自認するような人は、批評家であれ反対勢力であれ、あるいは無神論者であれ、シーア派のコミュニティーにはまれにしか存在しない─何故なら、人々が彼らのような者の言うことに耳を貸さないからだ。…一方Fadlallahは、人々の心に達する事ができた─なぜなら、彼は人々のうちの一人だったからだ。…彼のような人々こそ、強力になれば真の変革をもたらすことができるのだ。彼はヒズボラやイランの指導者たちが恐れを抱く、まれな人々の一人なのだ…なぜなら人々が彼を好み、彼への尊敬を抱いているからだ。

 もちろん、Fadlallahはソーシャル・ワーカーなどではない。彼にはダークな面がある。CNNの人々は私に、Nasrが彼の両方の面について知っていたと語った。しかし、私が知っていることはこれだ:中東は、繁栄のためには変わらねばならない、そしてその変革とは、内側からもたらされる変革である必要がある。その変革推進者(change agents)とは彼らの目から見て正当性を有する、彼ら自身の文化に根ざした誰かである必要がある。彼らとは、米国製のカップ一杯の紅茶ではないだろう、しかし我々は彼らについて知る必要がある、そして我々の興味関心が収束する点を知る必要がある─彼らの、その全てを悪者扱いするのではなく。

それゆえ私は、自分の情報源として…何千人もの男性や女性がなぜ、一人の年老いたシーア派の聖職者<我々がそれを、テロリストとしてしか捉えない人物>の死を悼んでいたのかを実際に説明できる様なCNNレポーターによるニュース報道の方を好みたい━そのことを何も知らないか、もっと悪ければ…敢えて言おうとしないレポーターによるニュース報道よりも。
http://www.nytimes.com/2010/07/18/opinion/18friedman.html?ref=thomaslfriedman

 











Sayyed Mohammed Hussein Fadlallahのウェブサイト(英語ページ)
http://english.bayynat.org.lb/
同師の語る、Woman、Familyについてのページ…
http://english.bayynat.org.lb/WomenFamily/index.htm

Sayyed Mohammed Hussein Fadlallahの葬儀
http://english.bayynat.org.lb/news/Tashi3.htm

CNN's firing of Octavia Nasr protested
http://www.arabamericannews.com/news/index.php?mod=article&cat=USA&article=3180
(*註:Octavia Nasrは解雇の後も、Hussein Fadlallahについて全面的に支持するとはいっていない¨)
イラク戦争の経験後は米国メディアの異文化への態度も、少しは軟化したようにもみえるのだが?

Friday, July 16, 2010

ペトラエウス司令官の初仕事とは?/U.S. May Label Pakistan Militants as Terrorists By MARK LANDLER and THOM SHANKER


ハカニ族ネットワークをブラックリストに、資産も凍結?
パキスタンの反対を押し切リ、支配的な強硬策を実施するつもりなのか

 U.S. May Label Pakistan Militants as Terrorists By MARK LANDLER and THOM SHANKER 米国、タリバン武装勢力リーダーをテロリストに認定する可能性(7/14、NYタイムス) 

 アフガンの新司令官となったペトラエスは、反乱勢力でも特に恐れられているリーダーたちをテロリストとして認定すべきだと推している。これはアフガニスタンとタリバンとの間の最終的な政治的解決を複雑化させ、この地域の政治的緊張を高める可能性もある。

 ペトラエウスはオバマのアフガン・パキスタン戦略アドバイザーたちとの議論で、Haqqani networkをブラックリストに載せることを提案。この動きはHaqqani族と親密な関わりをもつパキスタンとの関係を悪化させる危険がある。そして反乱勢力全体との和解を推進する、カルザイ大統領の独自の戦略を挫折させることもあり得る。

 戦争領主が率いるHaqqaniネットワークのケースは、─タリバンと組する何れの反乱グループが何らかの恩赦を受け、未来のアフガニスタンの政治で役割を果たすべきかどうかも考慮した上で決めるべき─こうした困難な決断を浮き彫りにする。カルザイはすでに国連に対しタリバンの数十名のメンバーに対する制裁措置の解除を申し立ているが─アル・カイダと袂を分かち、暴力の放棄とアフガニスタン憲法の受け容れを誓った人々の開放に関しては─オバマ政権からも条件つきながら支持を約束されている。

「彼らが(軍事的解決の)一線を越えて冷たい荒野から歩み寄ってきたなら、彼らを受け容れる余地がある」とオバマ政権のAf-Pakの特別代表のRichard C. Holbrookeはいう。

 パキスタンとアフガンの国境地帯をベースに、Sirajuddin Haqqaniのネットワークは首都カブール近辺やアフガン東部全域での多くの反乱攻撃…爆破攻撃や誘拐、米軍基地への大規模な攻撃を指揮していると疑われる。彼らはアル・カイダとも連携し、パキスタンQuetta近郊を本拠にしたオマール師率いるタリバンの一派のリーダーたちとも連携している。

しかし彼らの真のパワーとは、彼らをアフガンへのそれ自身の影響力維持のための支え(レバレッジ、てこ)とみるパキスタンの諜報機関ISIのなかにあるといわれる。パキスタンのリーダーたちは最近、カルザイと彼らの間の対話を仲介したという。

 米国の高官たちは、Haqqani networkの上層部がアフガン政府と和解する可能性に、極めて強い疑念を抱く─彼らの中間層の司令官や下層レベルの兵士たちは別として。こうした上層部に対して制裁を加えることが、すでに武装の解除を受け容れた兵士らによる、再度の造反を誘うのではとの危惧もある。

 Haqqani 族をブラックリストに載せるとの案は当初、火曜日の会議で、パキスタンとアフガニスタンの視察から帰ったばかりの民主党ミシガン州上院議員Carl Levin(議会の軍事委員会の議長で強い発言力を持つ)が提案したものだ…(中略)

 …この政治的解決案は、来週カブールでカルザイ大統領とクリントン国務長官出席の下で開かれる会議の場で、強く焦点が当てられるだろう。カルザイ氏は最近、タリバン下層兵士たちを(政府側に)再統合するプログラムの法令に署名したが、ペンタゴンによる1億ドルの出資に加えて日本・英国その他が1億8000万ドルを出資するこのプログラムは、同会議の場を通じ実施に移されるとみられる。

 カルザイ氏は上層部にもオリーブの枝を差し延べる意志を持ち、同政権は国連安全保障委員会のブラックリストにある137名のタリバンの名前のうち50名の削除を求めている。Holbrooke氏は米国はその努力を支持はするが、あくまでリストの選択はケース・バイ・ケースで、オマール師などはもちろん範囲外だとしている。

 この件で米政権は下層レベルの兵士たちへの働きかけを強調するが、これは上層部リーダーたちを和解になびかせるかも知れないと専門家は語る。Holbrooke氏はカルザイ氏とパキスタンのリーダーとの最近のミーティングが、疑念を抱くこうした近隣諸国の人々とのあいだにゆっくりと信頼関係を築いている様であり励まされる、と述べた…
http://www.nytimes.com/2010/07/14/world/asia/14diplo.html?scp=1&sq=U.S.%20May%20Label%20Pakistan%20Militants%20as%20Terrorists&st=cse

*上写真はJalaluddin Haqqani(1998)

http://www.youtube.com/watch?v=v1W6zQi2cV8&feature=related
Afghanistan - Pashtoon Taliban leader Mullah Haqqani

http://www.longwarjournal.org/archives/2010/02/the_talibans_top_lea.php

The Afghan Taliban's top leaders

http://www.outlookafghanistan.net/news_Pages/main_news.html#01
Karzai, Petraeus in Talks on Afghan Militias: Spokesman

カルザイは、西欧によるタリバン打倒を疑問視?/ Karzai Is Said to Doubt West Can Defeat Taliban- By DEXTER FILKINS


マクリスタル前司令官の解任の少し前、
カルザイ政権の長年の諜報長官サレハ氏と、内務大臣アトマール氏が突如辞任…その理由とは?


カルザイは、西欧によるタリバンの打倒を疑問視する By デクスター・フィルキンズ (6/11, NYタイムズ) 

 その二人のアフガン政府高官がハミド・カルザイ氏大統領に、今月(6月)の初めにアフガン全土で開催された平和会議に対して起きた大規模なロケット弾攻撃に関する証拠を見せた際、カルザイ氏は、それはタリバンの仕業ではないと信じている、と語ったという。

 「大統領は、その証拠に何の興味も示さなかった…何にもだ…彼はそれを価値の無い塵や埃のように扱ったのだ」と、当時アフガン諜報長官だったAmrullah Saleh(サレハ)氏は言う。Saleh氏は、カルザイ氏がその様な態度をとった詳しい理由について語ることを拒否した。しかし、その会合を知るある匿名のアフガン高官によれば、カルザイはそのときそれは米国の仕業かもしれないと指摘していたという。

 このSaleh氏とのやり取りの何分か後、Saleh氏と内務大臣Hanif Atmar氏は職を辞任した─それはカルザイ政府が9年前に権力を掌握して以来の、最も劇的な背信ともいえた。Saleh氏とAtma氏は、カルザイ氏が彼らをもはや忠実とはみていないと明らかにしたことが、彼らが職を辞した理由だと述べた。

 しかしSaleh氏と、アフガンおよび欧米政府の関係者たちによれば、現状の底に横たわる緊張状態はより一層根源的なものになっているという: つまりカルザイ氏は、米国人とNATOがアフガニスタン情勢で優勢を握り続けられる、ということを信じられなくなっているのだと。

 そのような理由によりカルザイ氏はタリバンと、そして同国の宿敵で長年のタリバン支援者のパキスタンとの交渉を、彼独自に進めようと試みてきた…と、Saleh氏と他の官僚たちは言う。あるアフガンの元上級官僚によればカルザイ氏のやり方とは、米国とNATOの視界の外で、タリバンとの秘密交渉を行うことを含んでいた。

 「大統領は、同盟国やまた彼自身の政府それ自体にこの国を守りうる能力がある、との信頼感を失っていた」とSaleh氏は自宅でのインタビューで語った。「カルザイ大統領は、NATO軍は敗ける、と宣言したことはないが、彼がこの作戦にプライドを抱いて対処していないことでも、彼がその実効性を信じていないことは明らかだ」

 大統領に近い人々は、昨年夏の国政選挙において、独立した選挙監視機関のモニターたちが…カルザイ氏の名の下で100万票近くの票が不正に盗まれた、との結論を出して以降、彼が米国人への信頼を失い始めたのだという。12月にオバマ大統領が、2011年までに米軍兵力を削減するという意志の宣言を発して以来、その亀裂はより深まった。

 「カルザイ氏は私に、この国の状況の解決のためには米国人はもはや信頼できないと言った」と、カブールのある欧米の外交官は匿名を条件に語った。

 「彼は、昨年の選挙の期間中に、欧米人が彼の法的な正当性を奪った、と信じている。そしてその後彼らは、この国を去ることをも公式に宣言した、と。」

 ─金曜日に、カルザイ氏にこの件でコメントを取るためのコンタクトはとれなかった。

 もしもカルザイ氏が、米国との密接な協働関係と、彼自身の軍とによってタリバンと戦うという決意が弱まっているのなら、それはオバマ大統領にとって問題となる。米国の戦争の戦略とは、タリバンの掌握した地域を奪回し、その地でカルザイ氏の軍と政府が取って代わり、このますます米国民にとって不人気な、費用の嵩む戦争への米国の関与のスケールを縮小していく… ということに大きく依存しているからだ。

 これまで、カルザイ氏との関係は時に不安定で、国際社会の関係者たちは過去にも彼が誤った判断を下す可能性がある、との懸念を表明していた。

 昨冬、カルザイ氏は、NATO軍が北部アフガニスタン全域でタリバン兵士たちをヘリコプター輸送していた折に、その作戦を批判した。今年の初めには、オバマ政権から批判を受けた後に、カルザイはその支持者グループに対し、彼自身がいっそタリバンに合流する可能性さえある、などと語った。

 米国政府関係者たちは先月、カルザイがホワイトハウスを訪問した折に、カルザイとの関係修復を試みた。無論多くの課題においては─例えばタリバンの指導者たちの一部と接触し、彼らの武装戦士たちの立場を翻させて(政府の側につくように)説得するというようなことで、カルザイ氏と米国の関係者たちは同じ立場の側にあるのだ。
 
 しかし、彼らの間で動機が異なることははっきり見て取れた。米国人とNATOのパートナーたちは、何千何万もの追加勢力を同国に追加派遣し筋金入りのタリバンを弱体化して、彼らグループを交渉のテーブルに着かせよう、としている。しかしカルザイ氏は、米国主導の攻撃的戦略には実効性はない、と信じているように見える。

 大統領宮殿における記者会見で今週、カルザイ氏は、6月2日のロヤ・ジルガ(国民平和会議)への攻撃におけるタリバンの役割についての見解と、NATO軍への信頼感についての質問を受けた。彼はどちらの質問への答えも拒絶した。

 「誰がやったのか?」と彼は攻撃についてたずねた。「その問いへの答えは、我々の治安組織が用意すべきことだ」と彼は言った。

 「我々はすべての状況の改善のため、引き続き努力している」とカルザイは(英国のデビッド・キャメロン首相に続いて現れて)英語で言った。あるNATOの上級官僚は、NATO同盟国の強力な支持を得ていたAtmar氏と Saleh氏の辞任とは「極度に破滅的な」ことだ、と述べた。


 その官僚はカルザイ氏について─「私が懸念するのは、彼に戦時のリーダーとしての能力があるか、ということだ」と言った。

 そのNATOの官僚は、米軍司令官たちがカルザイ氏に、平和会議への攻撃が、タリバン傘下で戦う有力指導者の一人Jalalhuddin Haqqanに忠実な武装兵士たちによる行為だとする、圧倒的な証拠を提示した調査書類を渡したと述べた。

 「これには疑いがない」とその官僚は言った。

 Saleh氏とAtmar氏の辞任は、アフガン指導部の中でタリバンと彼らのパキスタンのパトロンたちとの交渉の最適の手段であった部分の深い亀裂を暴露した。

 Saleh氏はタリバンと、またソ連軍と戦った伝説的司令官・故Ahmed Shah Massoudの元側近だった。Massoudの元副官たちは主にタジク人であり、彼らは現在、北部アフガニスタンで重要なリーダーを務めていて、国民平和会議ロヤ・ジルガには参加していない。Saleh氏のごとく、彼らはタリバンやパキスタンに対する強硬派(ハードライン)的なアプローチによる交渉を望んでいる。

 カルザイ氏は圧倒的多数のタリバンと同様に、パシュトゥーン人である。彼は今や、より和解的なアプローチを望んでいるようだ。

 ロヤ・ジルガの最後にカルザイ氏は、拘束中のすべてのタリバン兵士の逮捕のケースを再調査して、極端に危険度の高いと思われる人物以外を釈放するための委員会発足を宣言した。同委員会は、カルザイ政府の数名の上級メンバーが率いているものの、Saleh氏の束ねる諜報機関National Directorate of Securityは除外されている。

 Saleh氏はインタビューで、この委員会からの排除は彼の感情を害したと語った。彼にとって主要な職務とは、タリバンを理解することなのだと彼は言う…そして彼の諜報機関をこの委員会から排除することで、カルザイ氏が札付きのタリバン兵士たちを解放してしまう可能性があることを、彼は懸念している、という。

 「彼の結論というのは…多くのタリバン兵士が誤って拘束されており、彼らを釈放すべきだということだ」、「タリバン(政権)の崩壊以来、すでに10年が経過している─それは我々が敵とは誰なのかを知らない、ということだ。我々は人々を誤って拘束している」 と、(カルザイは考えている)。


 Saleh氏はさらにロヤ・ジルガを批判して言う、「ここにジルガの意味がある─」、「"私はあなたと戦いたくはない。私はドアを開けてあなたを待っている。私があなたを山岳地帯に追いやったのは間違いだった。” ジルガはアフガニスタンにとっての勝利ではない、それはタリバンにとっての勝利、というわけだ」─

 カルザイ氏はここ何ヶ月か、タリバンとの間の橋渡しを試みてきた。今年の初め、彼の弟Ahmed Wali Karzaiはタリバンの副司令官Mullah Abdul Ghani Baradarと秘密会合をもっていた、とアフガンの元上級官僚は言う。

  カルザイ政府の初期の内務副大臣だったHilaluddin Hilal氏によれば、Ahmed Wali KarzaiとBaradarは1月に2度ほどパキスタン国境近くのSpin Boldakで会合した。その会合は、カンダハル県の影の知事(shahow governor)であるMullah Essa Khakrezwaと、タリバンの諜報官僚Hafez Majidの仲介によるものだった、という。

 カブールのある欧米のアナリストはHilal氏の情報は正しい、と保証した。前述のNATOの上級官僚は、彼もSaleh氏もその会合のことを知らなかったという。Ahmed Wali Karzai氏はその件に関するメールでの質問状に回答していない。

 その会合における決議の内容は判らない、とHilal氏はいう。Baradarは1月に、パキスタンと米国のカラチでの合同襲撃作戦において逮捕された。しかしカルザイ氏による、タリバンとの交渉の試みは継続された。

 「彼は、米国は留まり続けるための余力を持たない、と考えている」とHilal氏はいう。Saleh氏は、カルザイの戦略はパキスタンへの、より和解的なラインも含んでいるという。それが本当なら、それは就任以来9年間、パキスタンによるタリバン反乱勢力への支援を常に非難してきたカルザイ氏にとって状況の大転換に達する可能性がある。

 Saleh氏はアフガニスタンが、パキスタンとの間で、国の弱体化に繋がる(彼の呼ぶところの…)「不名誉な取引」の受け容れを強いられることを恐れているという。

 彼はカルザイ氏は愛国者だ、とみているという。しかし大統領は、もしもパキスタンによる支援に依存するならば、それは過ちを犯していたのだという(パキスタンの指導者たちは長年カルザイ氏に、彼らが強硬派とみるSaleh氏の罷免を求めていた。)

 「彼らは彼を尊敬しているように装いつつ、彼の弱体化を図っている。彼らは弱いアフガンの指導者は支持するが、彼のことを決して尊敬はしない」、…とSaleh氏は言った。
http://www.nytimes.com/2010/06/12/world/asia/12karzai.html?pagewanted=all


*上写真:1月のカブールでの勲章授与式で、当時アフガン内務大臣のHanif Atmar氏、。

*下写真:前アフガン諜報部長官のAmrullah Saleh氏、水曜日にカブールで。

* [ 田中宇:アフガン撤退に向かうNATO ]

http://tanakanews.com/100712afghan.htm
↑田中宇氏の解説では、アフガン政権はすっかりタリバンとの和平に傾いているとする…が、ペトラエウス着任後は180度情勢が急転。新司令官は反乱勢力タリバンのリーダーらのテロリスト指定を要求した…

*ペトラエウスはまた、着任早々カルザイ大統領との最初の会談で、彼の強固な反対を押し切って、アフガンの内務省が直接統括するとの条件で、反タリバンの全国的民兵組織の設立にも同意させた(イラクのスンニ派覚醒部隊をコピーした戦略)



Wednesday, July 14, 2010

ペトラエウスと「増派」の神話/ Petraeus and the 'Surge' Myth- By Robert Parry


マクリスタル氏の突然の解任。
後任司令官となったペトラエウス氏の過去の業績を取りざたする記事も氾濫!…

ペトラエウスと「増派」の神話 By ロバート・パリー (6/30、Middle East Online)

 もしも今、ワシントンのオピニオン・リーダーたちの間で、何事にも優先するコンセンサスがあるならば、それはイラクで同様な功績を挙げたデビッド・ペトラエウス大将が、アフガニスタンでの失敗続きの戦争を建て直すための完璧なチョイスだ、という見方だろう。しかしそのような世間の一般通念が、もしも誤っていたなら?

 もしも2007年にペトラエウスがイラクを継承したことと、ブッシュ大統領が大いに称えた米軍の“surge” (増派作戦)が、イラクでの最終的な暴力の減少とはあまり関係なく、これらの原因がもたらした結果というよりも、単なる偶然だったとしたら?

 それならば…バラク・オバマ大統領が昨秋、イラクと同様な兵力“増派"を承認したアフガニスタンでの戦争…では、より一層の人命と金銭的な犠牲をもたらすことすら予想される。ペトラエウスは来年、個人的な失敗を認めるよりも、むしろさらなる兵力増派を求めるだろう、との予測もある。

 我々はConsortiumnews.comにおいて、事実や客観的な分析が違った見方の方向性に向かうことを示して、ワシントンの“group think 集団的発想” への挑戦を行った。なぜなら、いい加減な世間一般の通念というものがワシントンの権力の中枢を支配するとき、多くの人命が失われるかもしれないからだ。

 イラク戦争は、誤った仮説がいかに破滅的な政策に繋がるかの古典的な例だった。それは確かに、侵攻以前にほとんど全ての重要な人物たちが、大量破壊兵器や、サダム・フセインとアル・カイダのテロリストとの関係についての偽の諜報情報を信じて、それに加担したケースだった。

 その後には未成熟な勝利宣言と祝賀が続いていた…MSNBC のアンカーマンChris Matthewsによる、「我々はいまや皆ネオコンだ」という宣言から、ブッシュ大統領による"Mission Accomplished” のスピーチまで。

 こうした全ての仮定が間違っていると判ったとき─そしてイラク戦争がとても醜悪なものになっていったとき─イラク侵攻の扇動に便乗していたジャーナリストや政治家たちに対する信頼は殆ど失われてしまっていた。
 そして2006年には、シーア派とスンニ派の宗派戦争が残忍さを増してイラクを引き裂き、米国人の犠牲者数は増加し続け、留まるところが見えなかった。

 しかし、他でもなく幾人かの要職の人物たちが彼らの落ちた名声を回復したいとの欲求を抱いても、ワシントンは依然としてイラクの雷雲のなかに希望の兆しの光を見ることはできなかった。…そうした機会は2006年の大虐殺のさなかに、自ら出現した。

 暴力の悪化にも関わらず、George CaseyやJohn Abizaidといった司令官たちは、米国の「足跡」をできる限り小さくして、イラクのナショナリズムを鎮圧しようという主張に固執した。彼等はそれ以外にも幾つかの仕事のイニシアチブをとった。

 そのひとつは、Casey とAbizaidがアル・カイダの主要なリーダーたちを討伐する秘密作戦を行ったこと─ …最も成功したものとしては2006年にAbu Musab al-Zarqawiを殺害したことだ。彼等はさらに、スンニ派の間で高まるアル・カイダの過激派に対する敵対意識を利用して彼らを買収し、Anbar 県での“Awakening”(覚醒部隊)とよばれる運動に参加させた。

The ‘Surge’ Cometh 「増派」の開始

 それはブッシュ大統領が、Casey とAbizaidの解任と、ペトラエウスの後任司令官への指名とに相伴って、 2007年1月に約3000名の米軍兵力の‘Surge’増派宣言を発するより前に起きていた。そして“small footprint”(小さな足跡)戦略は、廃案になった。

 疑いもなくペトラエウスは、シーア派の原理主義的リーダー、Moktada al-Sadr が全面的停戦宣言を発したこともあって、ラッキーだった(伝えられるところでは、al-Sadr は彼のイランのパトロンからの、地域的な緊張をクールダウンするようにとの要請に応じたのだともいう)

 米軍の追加勢力の到着により、‘Surge’(増派)は米軍とイラク人の戦死者数の史上空前レベルへの激増ももたらしていた。

 ペトラエウスはまた、イラク人の“military-aged males(軍事的適齢期の男子)”またはMAMSの無差別な殺害や一斉検挙も容認していた。そうした残虐行為がよく記録された例は、2007年12月に米軍がヘリコプターから、ロイター通信のジャーナリストたちを含むイラク人の男たちを爆撃し殺害した様子の、リークされたビデオがある。

 2台ほどのカメラを武器と誤認して、米軍の減りは司令部から承認を受けて、バグダッドの通りを何ら、攻撃的様子もなく歩いていた彼らを無差別に殺害した。その殺戮のシーンにはヘリのクルーによるマッチョなジョークとくすくす笑いも伴っていた。

 米軍の攻撃者はそこにバンで到着して負傷した通信社の人間たちを救助し病院に連れて行こうとした数人のイラク人をも爆撃した。バンに乗っていた2人の子供は重い怪我を負った。

 Wikileaksに “Collateral Murder” として投稿されたこのビデオに、ある米国人は「戦闘に子供を連れてきたことは彼らの手落ちだ」、とコメントした。

 イラクのMAMSに対する他の攻撃として、ペトラエウスの司令の下で米軍は同様な無実の一般市民を誤って殺害していたと思われるが、こうした行為はまた実際に、街の武装勢力も確実に一掃していた。

 4年間にわたる米軍のハイテク戦争の後、イラク人たちは確実にトラウマと疲弊に襲われていた。何万人もの人々が殺され、不具にされた後、イラクの人々が彼ら自身のサバイバルに目を向けはじめたことは理解に難くない。

 ブッシュの“surge” はまた、さらに1000名に上る米兵の命を奪い、戦争全体を通じた米軍の犠牲の4分の1を占めている。

‘Successful Surge’ 「成功した増派作戦」

 2008年に暴力のレベルが徐々に減少してきたとき、ワシントンの影響力あるネオコンたちはすかさず、増派の成功、という名の功績を訴えた。ワシントンの報道機関では、CNNの有名キャスターのWolf Blitzerなどが、このテーマを繰り返し唱えていた。

 しかし、この新たな世間の一般通念が固定化したとき、実際に戦闘に参加した者たちをあえてインタビューした数人のアナリストたちは、異なる現実を発見していた。ブッシュの戦争初期の判断を誉めそやしたベストセラーを書いた作家のBob Woodwardですら、“surge” は唯の要素にすぎなかったこと…それはおそらく暴力の減少の大きな要因のひとつですらなかったとの結論を導いた。

 彼の著書”The War Within”でWoodwardは書いた、「ワシントンでは、世間一般の通念というものがこうした事件を、増派が功を奏したという単純化された見方に翻訳してしまう─しかし、全体のストーリーはもっと複雑だった。最低でもその他の3つのファクターが、増派と同様に重要か、あるいは増派よりも重要だった」

 Woodwardの本の内容はペンタゴンのインサイダーから多くの情報を得ているが、アンバール県においてスンニ派がアル・カイダの過激派を拒絶したこと、そしてal-Sadrによる驚くべき停戦の決断、という二つの重要なファクターをリストに挙げている。

 そして、Woodwardが最も重要かもしれないと論じている三つ目のファクターとは、米国が新たに採用し始めた高度に機密的な諜報戦略が、反乱勢力のリーダーの迅速な標的化と殺害を可能にしたことではないか、という。Woodwardはその機密戦略の今後の成功を妨害しないため、著書ではその詳細を明らかにしないことに同意している。

 しかしこの、より複雑なリアリティ… そして「成功した増派」作戦の暗い面(ダークサイド)というものは…米国での政治的な/メディアでの論議からは、大幅に排除された。侵攻開始以前にはワシントンの報道関係者たちは、疑念を抱くジャーナリストというよりも、はるかにブッシュのプロパガンダ扇動者として振るまっていたのだ。
 
 「成功した増派作戦」の神話に関する、その他の二つの危険な事項は、ペトラエウスがその華々しいリーダーシップのお陰で聖人のように祀り上げられたり、また若さをとり戻したネオコンたちも、再びアフガニスタンでの「増派作戦」を実施すべきだ、と主張するかもしれないことだ。どちらの危険性もオバマが大統領に選ばれてから発生したものだ。

 ペトラエウスと、オバマにより国防長官として留任したもう一人の「増派のヒーロー」Robert Gatesは、新大統領に対して特殊作戦の司令官Stanley McChrystalを推し、中央司令部からペトラエウスが肩越しに監督する下で、McChrystalがアフガンでの米軍の指揮を執るようにプッシュした。

 出番を迎えたMcChrystalはアフガンへの兵力増派を要求し、そして(Joe Biden副大統領が主唱した)代替戦略には反対を唱えた─その戦略とは、米軍の攻撃的な反テロ戦略による「足跡“footprint”」をより小さくするもので、イラクで「増派作戦」より以前にCaseyと Abizaidが行っていたものに類似していた。

 しかし、「増派の成功」に関するメディアの通念や、オバマお抱えのタカ派のアドバイザーGatesやHillary Clinton国務長官などのお陰で、PetraeusとMcChrystalは… 大統領をたやすく後に引けない状況に追い込んだ。彼はさらなる3万の兵力をアフガンに増派し、総兵力を10万に拡大することを容認した。

 新たなる派遣兵力にも関わらず、アフガンの「増派」は─ Marja地区の田舎での戦略の行き詰まりやKandahar侵攻作戦の延期により、たいした牽引力を発揮できなかった。それはRolling Stone誌のフリーランス・ライターが、McChrystal や彼の内輪の者たちが、大統領とホワイトハウスのアドバイザーたちに対しいかに軽蔑的かを暴露する以前の話だった。

 Rolling Stoneの記事以降、大手メディアの記者たちは当初、オバマがどうすべきかについてはアンビバレントな(相反する)思いを抱いていた。それでもとにかく、辛らつなMcChrystalは、ペトラエウスと同じ位に彼のお気に入りだった。(多くのジャーナリストは彼の反抗的な(非服従の)態度を知っていたが、McChrystalチームに対して取材する継続的な「アクセス」を維持するため、そうした情報を出すことを抑えていた。

 しかし、オバマがMcChrystalを解任させぺトラエウスを後任にすえたとき、ワシントンのニュースメディアは賞賛で応えた。それはアフガニスタンの戦場で、ペトラエウスのような魔法を使える人間は他に誰もいないとの考えであり、その証拠とはイラクでの作戦を再現することのなかにあった。

 一流のコメンテーターたちが再度考察することを厭うのは、「成功した増派」というような通念や、ペトラエウスがそれを成し得たのは天才だからだといった考えが… 以前にイラクの大量破壊兵器について皆が誤認していたのと同様の"group think" なのではないか、ということだ。

 そこにはワシントンの誰もが受け容れたがらない、もうひとつのイラクからの教訓があるようだ: 米軍兵力とイラクの一般市民の犠牲が最も劇的な減少を示したのは、米国が2008年の暮れに米軍のイラクからの撤退を求める'status-of-forces agreement'(軍のステータス合意)を受け容れた後のことだ、という事実だ。

 イラクの民衆もアフガニスタンの民衆も、世界中からきた外国人が彼らの国を占領しているということを余り好んでいないようだ。しかしそれはデビッド・ペトラエウスも、そしてワシントンのメディア関係者も…心に留めようとするような現実ではないようだ。

注:Robert Parry は1980年代にAP通信とNewsweek.に対しIran-Contra事件の多くのストーリーを暴露した。彼の最新の著書には、"Neck Deep: The Disastrous Presidency of George W. Bush ”、その他の著書では、”Secrecy & Privilege: The Rise of the Bush Dynasty from Watergate to Iraq"、そして ”Lost History: Contras, Cocaine, the Press & 'Project Truth' がある。

http://www.middle-east-online.com/english/?id=39842

*…筆者のロバート・パリーはイラン・コントラ事件を暴くなど、共和党政権を批判してきた人物…レバノン系のメディアが、中東寄りでやや反米的な英米の論者の記事を載せている