Sunday, June 12, 2011

米国-パキスタンの十年来のパートナーシップに入る罅(ひび) Cracks in decade-old US-Pakistan partnership-BY TARIQ A. AL-MAEENA

イスラム過激派に手を貸した米国諜報部員?ビン・ラディン逮捕より前の今年1月の怪しい事件の回顧

Cracks in decade-old US-Pakistan partnership
米国-パキスタンの十年来のパートナーシップに入る罅(ひび)  By タリク・A.アル・マエーナ (2/26 Arab News)

 去る2001年、パキスタンのペルベズ・ムシャラフ大統領が、米国の「テロとの戦い」におけるパートナーシップ推進のためにジョージ・ブッシュ大統領と握手を交わしたその時、ほとんどのパキスタン人は、そのパートナーの手でテロが彼らの国に輸入されるなどとは、思いもよらなかった─

 多くのパキスタン人たちが米国―パキスタン関係を眺めるとき、心の底に横たわる怒りは否定できない─彼らの国とは、米国に苛められてばかり居ながら、その施しに頼る不承不承の同盟国なのだと。この十年間に両国政府がたどった変遷の許でもこうした感情は改善しなかった。今日、この二国間の悪名高き同盟のなかの亀裂は深まりつつある。

 パキスタンにおける疑念を高めた最近の出来事とは、Lahoreの路上で2人のパキスタン人を冷血にも射殺した米国政府関係者、Raymond Davisの逮捕だった。憤怒に駆られたパキスタンの大衆の抗議は、危機をはらんだ両国のきわどい縁を更に緊張させた。群衆の怒りは…Davisが二人のオートバイの男たち(治安勢力の銃器を所持して彼に窃盗を働こうとした、と彼が主張する)を殺害したLahoreの現場の付近を、彼が一人で車で走行していたときに逮捕された事実によっても鎮まらなかった。

 36歳のDavisは元米軍特殊部隊の隊員で、民間警備会社XE Service(旧名Blackwater)に雇われていた。Davisは4年近く前からCIAのために働き始め、そして2009年末にパキスタンに来た。彼は射撃事件の前までは、警備会社の他のメンバーらと共にラホールの安全な家に住んでいた。米国人らはすぐさま、Davisがその外交上のステイタスにより、パキスタンでの起訴を免れるべきだと要求した。毎日が過ぎ行くなかで、Barack Obama大統領の主張のレトリックのレベルは高まり、Davisは外交特権により免罪されるというオフィシャルな主張へと飛躍し、そして彼はそのメッセージを伝えるべくイスラマバードにJohn Kerry 上院議員を派遣した。

 そんな中、パキスタンの匿名の外務省員が、同国政府がすでにDavisには全面的な免罪権はないと決断したと述べた。

 米国上院の外交委員会議長であるKerryは同国の訪問中に、彼の目的が「…レトリックをトーンダウンさせ、米国のパキスタンとのパートナーシップを再度、確認すること」であると、Davisに対する抑留騒ぎの余波のなかで表明した。しかしDavisとCIAとの関係について暴露された新たな事実が、何か一層邪悪なものを示唆していた。
 いくつかの新聞報道が、Davisと「テロリスト活動」及び、パキスタンのタリバンとを結びつける匿名の情報を掲載した。それらによれば、Davisはテロリストの活動を活発に助けて、そそのかしていたという。

 The Express Tribune 紙は、ヘッドラインでこのように喧伝した、「CIAエージェントのDavisは、ローカルな民兵組織との繋がりがあった」。同紙は匿名の「警察幹部」からの情報として、Davisにはテロ活動を首謀した容疑がかけられていたと書いた。

 「捜査によって、彼とTTP (パキスタンのTaleban)とは密接な繋がりがあり、そして、彼は反政府活動を鼓舞するためにパンジャブから若者たちをタリバンに勧誘するための道具だったことが暴露された」。その警察幹部は、Davisがパキスタンの不穏な状況を掻き立てるべく、パキスタンのタリバンと手を取り合っており、同国の核兵器は安全な者たちの手にはない、との論議を主張した。警察のソースによれば、Davisの携帯電話の会話記録はすでに…彼と27人のパキスタンの武装分子たちや、Lashkar-e-Jhangviとして知られるセクト組織との繋がりを証明していたとされる。

 南アジアのニュース・エージェンシー、ANI はこう報じた─ロシアの外国諜報部によれば、Davisは核兵器と生物兵器の材料をアル・カイダに渡していた、と。またDavisはCIAの最高機密文書を所持しているところを発見され、またその地域で活動し、怖れられる米軍のAmerican Task Force 373 (TF373) との繋がりも見出された。

 ANIはSVRが、36歳のDavisの逮捕がこの危機を煽ったと伝えた。彼の逮捕の後に押収された証拠書類は、彼が現在、アフガンの戦争地域とパキスタンの部族地域で非合法な活動をするTF373 のユニットのメンバーであることを示している。

 同紙によれば、その(殺された)二人組とは─Davisの携帯電話がアフガニスタンと国境を接するワジリスタンの部族地域に入ったことが追跡され、そして彼が(その地で)アル・カイダと継続的にコンタクトを取っている状況が見出された後に、彼を追跡すべく送られたISIのエージェントだったと─パキスタン当局が述べたという。

 このSVRのレポート中の最も不吉な点とは、「パキスタンのISIが─Davisの所持していたCIAの最高機密文書が…彼、またはTF373(あるいはこの両者)が、アル・カイダのテロリストに”核分裂性の物質”と”生物剤(生物化学兵器)”を供給していると指し示している点」であり…(ISIによれば)それらは、崩壊寸前の世界経済における覇権をふたたび確立すべく、全面戦争をひき起こそうとする米国自身に対抗するために使われる─と、同紙は付け加えているのだ。

 Lahoreの地方裁判所は、それ以来パキスタン政府に対し、二人のパキスタン人殺害の容疑で抑留中の米国政府関係者が、彼らの主張する外交特権を有するかどうかの審理に3週間の猶予を与えているが…その遅れは米国を失望させ、両国の間にわずかに残る信頼関係の痕跡さえも蝕む可能性がある。

 多くのパキスタン人は、彼らの国内第二の都市で武装した米国人が暴れ回っていることに対して激怒し、もしもDavisが解放された場合には大規模な抗議行動を起こす、と警告した。その最終結果がどうあれ、これが十年来のパートナーシップにとってよい前兆であることはありえない。
http://arabnews.com/opinion/columns/article285164.ece

参考記事

Tuesday, June 7, 2011

悪い駆け引き Bad Bargains - By THOMAS L. FRIEDMAN

911の本当の黒幕、としてのサウジのワッハーブ派批判を、トム・フリードマンはしばしば訴える…

悪い駆け引き Bad Bargains - By トーマス・L.フリードマン(5/10, NYタイムス)

 というわけで、オサマ・ビン・ラディンはパキスタンの特別に建てられた別荘に住んでいた。私は、彼がどのようにしてその家を買う金を得たのかに興味がある。彼はサウジ・アラビアからの年金401(k)を、キャッシュにでも換金したのだろうか?たぶん、パキスタンのサブプライム・ローンの担保金なのか?否、私はそのすべてが、アル・カイダのほとんどの資金と同じ出所からきたことを…我々は発見するだろうと思う─パキスタン軍の用心深い目の許で、サウジの複数の個人からの献金を結合した資金が用いられたのだろうと。

 なぜ、我々はそれを気にする必要があるのか?それは、これが問題の中心だからなのだ。つまり、我々による、9月11日のテロを惹起したビン・ラディンの殺害は正当であり、戦略上でもきわめて重大だった。私は… その資金をまかない、主な計画立案者たちや末端の歩兵らを送りこみその攻撃を真に可能にした…二つの悪しき駆け引きの排除が、簡単なものであれば良いのにと望んでいる。我々は今、サウジ・アラビアとパキスタンの支配者らの駆け引き(彼らは今もつつがなく生き延びているが)のことを話しているのだ。

 サウジ・アラビアの支配者が行った駆け引きとは、アル・サウド一族とワッハーブ主義の宗教的セクトとが交わした古いパートナーシップのことだ。アル・サウド一族は、どんなにその宮殿の壁の背後に隠れている必要があろうとも権力の座に留まり続け、その見返りとしてワッハーブ派のセクトの追随者たちが、その国の宗教的慣習やモスク、教育システムを支配している。

 ワッハーブ派はサウジの政権をひとつの選挙も行わずに祝福し、そしてその政権が、彼らに金と宗教的なフリーハンド(やりたい放題)を与えて祝福している。唯一のマイナス点とは、そのシステムが、「座っているだけの男たち(“sitting around guys” )」─宗教教育を受けただけで、何の職業的スキルももたない若いサウジ男性たちを、安定的に、確実に供給し続けている点だ…そしてこうした男たちは9/11スタイルのハイジャッカーたちや、イラクの自爆テロリスト要員としてリクルートされるに至った。

 そのことを、『イスラムの揺り籠(“Cradle of Islam” )』を書いた文筆家で、サウジ・アラビアの前石油大臣の娘でもあるMai Yamani以上に巧みに説明した者はないだろう。「西欧の10年にわたるテロとの戦いにも関わらず、そしてサウジ・アラビアの米国との長期的な同盟にも関わらず、王国のワッハーブ主義の宗教エスタブリッシュメントは引き続き、世界中でイスラム過激派の思想を援助し続けた」、とYamaniは今週、レバノン紙のデイリー・スターに書いた。

 「サウジで生まれ教育を受けたビン・ラディンは、その倒錯的な思想の申し子だ」、とYamaniは付け加える。「彼は、宗教的な改革者などではない。彼はワッハーブ主義の申し子として、後にワッハーブの体制側からジハード戦士として輸出されたのだ。1980年代には、サウジ・アラビアはワッハーブの教義の宣伝活動に750億ドル以上を費やし…パキスタンからアフガニスタン、イエメン、アルジェリア、そしてそれ以遠のイスラム世界全体において学校やモスク、慈善事業の設立を援助した…驚くなかれ、何千ものアンダーグラウンドのジハード戦士のウェブサイトに扇動された国際的なイスラム主義の政治運動は、サウジ王国に起源を持っている。同じくサウジからのワッハーブ主義の輸出品である9/11のハイジャッカーたちの如く、サウジ・アラビアには未だに潜在的なテロリストの予備役らが残っている─なぜならワッハーブの狂信的な思想工場が無傷で残存しているからだ。故に、本当の戦いはビン・ラディンとの戦いだったわけではなく、それはサウジの国家が援助する思想工場との戦いだった」

 これはパキスタンも同様だ。パキスタンの支配層の行う駆け引きとはパキスタン軍が仕組んでお膳立てしたもので、それはこのように言う:「我々はこの国を君ら文民が支配しているように見せかけ、そして実際には国家予算の25%近くを費やして全ての重要事の支配権を握り…そのすべてをパキスタンにとっての真の安全保障上の挑戦─インドとそのカシミール占領に対して必要な経費だ…として正当化する」。ビン・ラディンが、米国のパキスタン軍への援助を発生させるためのサイド・ビジネスと化すのを見ながら。

 アル・カイダに関するエキスパートLawrence Wrightが今週号のThe New Yorker誌で彼の見解を論じている─パキスタン軍の諜報部門は、「これまで“ビン・ラディン探し”のビジネスに従事していたが、もしも彼らを見つけたなら、それ以降は仕事がなくなることになった」。9月11日以来─と、Wrightはつけ加える、「米国はパキスタンに110億ドルを与えたが、そのうち膨大な額を軍事的援助が占め、多くは同国のインドに対する防衛のための武器購入に不適切に費やされた」

 (アフガニスタンのHamid Karzai大統領もまた、同様なゲームを行った。彼は“アフガニスタンの“安定を模索するビジネス”のなかに居る。しかし彼は、我々が資金援助をし続ける限りは、その探索というものを続けていくだろう)

 この両国に必要なのもは、ショック療法だ。パキスタンにとっては、その不当に大きな部分を軍事援助にあてていた米国からの援助を、K-12(*)の教育プログラムへと振り向け、同時に米国のアフガニスタンへの介入を減らしていく、という意味だ。そして同時に我々が送るべきメッセージとは…我々がパキスタンのその真の敵(我々の真の敵でもある)─との戦いを助ける準備がある、ということ…つまり、無知と文盲、腐敗したエリート層、そして宗教的な反啓蒙主義(蒙昧主義)との戦いだ…しかし我々は、パキスタンがインドに脅かされているがためにアフガニスタンでの「戦略的縦深性(ストラテジック・デプス)」やタリバンとの連携を必要とする、というようなナンセンスな主張に騙されることには興味がない。

 それはサウジ・アラビアも同様だ。我々はアル・サウード家とワッハーブ主義者たちのménage à trois(夫婦と三角関係のもう一人が同居する世帯)に住んでいるのだ。我々がアル・サウード家にセキュリティを提供する代わりに、彼らが我々に石油を提供する。ワッハーブ主義者たちはアル・サウード家に法的正当性を提供し、アル・サウード家は彼らに、金(我々から得た)を提供する。それは、アル・サウード家にとっては実に上手く機能する、しかし我々にとっては上手く働きすぎるということはない。そこから脱出するための唯一の策とは、どちらのグループからも提案されていないこと…つまり、米国の新たなるエネルギー政策だけなのだ。

 それゆえ、私の結論はこうだ:我々は確かにビン・ラディンが死んでより安全になった、しかし、誰も安全になる者はないだろう…もちろん、まともな未来を獲得するに値するサウジ・アラビアやパキスタンの多くの穏健派ムスリムたちにとっても、安全は得られない─イスラマバードとリヤドの支配者たちが、異なる駆け引きを行わない限りは。
http://www.nytimes.com/2011/05/11/opinion/11friedman.html?ref=thomaslfriedman

*K-12:幼稚園(KindergartenのK)から始まり高等学校を卒業するまで無料教育の受けられる13年間の教育期間」のこと[米国・カナダ]

(写真は2009年6月、オバマ大統領のサウジ訪問)


 

 

Wednesday, June 1, 2011

アル・カイダのパキスタン海軍への浸透…を報じたジャーナリスト、Syed Saleem Shahzadが殺害される- Pakistani Journalist Syed Saleem Shahzad is slain


パキスタンのジャーナリスト、サイード・サレーム・シャハザッドSyed Saleem Shahzadが殺害される
─パキスタン海軍上層部のアル・カイダとの関与を暴露後─

 パキスタンのカラチの海軍基地への武装勢力による襲撃と、治安勢力による掃討戦の詳細なレポートを報じた直後に、Asia Timesの記者Syed Saleem Shahzadは誘拐され、拷問により殺害された。911以来パキスタンの諜報部や、タリバン、アル・カイダについて驚くべきインサイド情報を暴露してきたオンラインジャーナルで、パキスタン支局長として常にトップ記事を執筆していた人だ。

 この記事の掲載の後Saleem Shahzadはパキスタンの諜報部から脅迫を受けていると人権団体Human Rrights Watchに訴えていたという(同諜報部は、関与を強く否定している)。6月1日に、彼の行方不明が報じられた後、殺害はあっという間のことだった。カラチでは水曜日に彼の埋葬が行われたと報じられた。


  特にここ数年、Asia Timesを強く特徴づけていたパキスタンの過激派に関する彼の頻繁なレポートは余りにも詳細で、ここまで書いてよいのだろうか?としばしば危惧も感じざるを得なかった(当blogでも何度か翻訳を掲載…)気概と勇気で常に真実を伝えてくれていた、ジャーナリストが殺害されてしまった

(以下は彼の最後の記事の翻訳です)
 

Al-Qaeda had warned of Pakistan strike
アル・カイダ、パキスタンに対する攻撃を警告 By Syed Saleem Shahzad (5/27, Asia Times Online)


イスラマバードにて─
 5月22日に、アル・カイダとの関係性の容疑で逮捕された海軍軍人らの釈放をめぐり、アル・カイダとパキスタン海軍との間で行われていた交渉が失敗した後、アル・カイダが厚かましくもカラチのPNS Mehran naval air stationを攻撃したことを、AsiaTimesは暴露した。

Sayd Salem Shahzad

 パキスタンの治安勢力は、海軍基地がひと握りの重武装した武装勢力による急襲を受けた後に、15時間にわたって同基地での掃討作戦を行った。
 幾人かの攻撃者たちは、何千人もの軍兵士による警戒線を抜けて逃亡する前に、少なくとも(基地の内部で)10人を殺害し、2機の米国製P3-C Orion哨戒機(一機あたり3千6百万米ドルに値する)を破壊した。

 公式発表では武装兵士の数は6名で、うち4人は殺害され2人は逃亡した。しかし非公式情報では、10人の武装兵士がおり、6人が逃亡したとも言う。Asia Times Onlineによる確認では、攻撃者らはアル・カイダの作戦部隊であるIlyas Kashmiriの313 Brigade(第313部隊)から来たのだという。

 先月、海軍のバスへの3回の攻撃で乗っていた9人が殺害されたが、これは拘束されている(海軍の)容疑者らに関するアル・カイダの要求を受け容れるように、との海軍関係者らへの警告の銃撃だった。

 5月2日の、パキスタンでのオサマ・ビン・ラディンの殺害が、アル・カイダの複数のグループのあいだで、カラチ攻撃を行う、というコンセンサスに弾みをつけた─それは彼らのリーダーの死への報復であり、また同時にパキスタンのインド海軍に対する哨戒のキャパシティ(偵察の能力)に打撃を与える、という目的のためだった。

 しかしその深層に横たわる動機とは、海軍組織の内部におけるアル・カイダの同盟者らへの大規模な弾圧に対するリアクションだった。

好戦性の噴火山 Volcano of militancy 数週間前に海軍諜報部は、この国の最大の都市であり、重要な港であるカラチの数箇所の海軍基地の内部で活動する、あるひとつのアル・カイダのセルの動きを追跡していた。「イスラム的な感情は軍の中でも共通して(普通に)みられるものだ」と、ある匿名の海軍上級幹部(メディアに対して話すことを許可されてはいない)は、Asia Timesに語った。

 「我々は、そのことに決して脅かされたりすることはない。世界中の全ての武装勢力は、米国人だろうと、英国人やインド人だろうと、宗教から─ 彼らが敵と戦う上での動機となる何らかのインスピレーションを得ているものだ。そして。、パキスタンは二国主義の概念のなかで建国された─すなわち、ヒンズー教徒とイスラム教徒は二つの別の国民だという考えであり…それゆえ、誰もイスラムやイスラム的感情をパキスタンの軍から切り離すことはできないのだ」、と彼はいう。

 「そうはいっても、我々はカラチの異なる複数の海軍基地が、不穏な仕方でグループ分け(grouping)されるのをみていた。誰も軍の兵士らを、彼らが宗教的儀式を行ったりイスラム教を学んだりしたからとの理由で妨害することはできないため、そのようなグループ分けは軍の規律に反するものだ。それは怪しい活動をチェックするための、海軍における諜報作戦の始まりだった」。

 その軍人は、そのグループ化が軍のリーダーたちの意に反しており、またイスラム武装勢力に対峙する上での米国との繋がりにも逆らうものだと説明した。米国から訪問している米国政府関係者らへの攻撃を示唆するいくつかのメッセージが傍受されたとき、諜報部は行動にでるためのよい理由付けを得て、そして最低10人の人々(主として下級軍人であるが)に関する慎重な評価が行われた後に、彼らは数々の活動の容疑で逮捕された。

 「それが大きなトラブルの発端だった」と彼はいう。
 逮捕された者たちは、カラチの首相公邸の裏にある海軍諜報部のオフィスに抑留されていたが、適切な尋問が始まるよりも前に捜査の担当者は、それらの男たちがどこに拘束されているかを知っている武装勢力からの、直接的な脅迫を受けた。

 抑留者たちはすぐにより安全な場所に移されたが、脅迫はなおも続いた。この件に関与した軍幹部たちは武装勢力が彼らの行う尋問を恐れていたことを信じている─武装勢力はそれによって、海軍の内部の内通者ら…彼らに忠実なより多くの者たちの逮捕に繋がるかもしれないことを、怖れていたのだろうと。武装勢力はこのため、もしも拘束者らが解放されないのなら海軍施設が攻撃されることを、明白に宣言していた。

 武装勢力が常に、容疑者らがどこに拘束されているかを知っていたことから、彼らが確たる内部情報を得ていたことは明白であり、それは海軍上層部への大規模なアル・カイダの浸透を示唆していた。ある海軍の上級幹部会議が召集された際に諜報官僚らは、その件はとても慎重に(機密的に)扱われるべきで、さもなくば結果は破滅的になる、と主張した。その会議の出席者らはすべてそれに同意し、そしてアル・カイダとのコミュニケーションのライン(チャネル)を開くことが決議された。

 Abdul Samad Mansooriは元学生組合の活動家だったが、今は313 brigadeの一員で、元々カラチの出身だが今や北ワジリスタンの部族地域に住んでいる─彼は当局からのアプローチを受け、そして、当局とアルカイダとの間の対話が始まった。アル・カイダは軍人らに対しての尋問を行わずに即時解放することを要求した。しかしこれは拒絶された。

 抑留者らは家族と話すことを許され、よい取り扱いをも受けたが、諜報関係者らは彼らを十分に尋問して、アル・カイダの浸透の度合いについての情報を得たい、という必死の願いを持った。武装兵士らには、もしも尋問が終わったなら抑留された軍人らは兵役を解かれて解放されると伝えられた。

 こうした出来事は、ひとつ以上のアル・カイダのセルが海軍でトラッキング(追跡)されていたことを物語る。こうした問題が公けに訴えられないなら、NATOの物資供給ラインは新たな脅威に直面するだろう、と危惧された。NATOのコンボイは、ひとたびカラチからアフガニスタンに抜けようとすれば日常的な攻撃を受けた─今や、彼らはカラチ港でも危険に晒される。同市の海軍施設をしばしば訪れる米国人らも、また危険に晒されることとなる。

 これにより、更なる弾圧作戦が実施されて、より多くの人々が逮捕された。拘束された人々は多様な民族的バックグラウンドから出ていた。ある海軍司令官は南ワジリスタンのMehsud部族出身であり、Tehrik-e-Taliban Pakistan (Pakistan Taliban) のリーダー、Hakeemullah Mehsudから直接の指示を受けていた、と思われた。他の者たちはPunjab 県と Sindh 県の首都Karachiから来ていた。

 ビン・ラディンがイスラマバードの北60キロのAbbottabadで米国のNavy Seals によって殺害された後、武装兵士たちは大きな行動を起こすための時期が熟した、と決断した。

 1週間のうちにPNSのMehranは、地図や、別の脱出口・接近のためのルートを昼間や夜間に撮影した写真を供給した─それは軍機格納庫(hanger)のあり場所や、表にいる治安勢力からの予測される反撃の詳細を示していた。

 結果として、武装勢力は重度に警戒された施設に入り込むことができ、そこで最初のグループが軍の偵察機をターゲットに破壊し、2番目のグループが最初の攻撃を仕掛け、3番目のグループは他の者たちが援護射撃をするなかで最後に逃亡した。そこで逃げ切れなかった者たちは殺害された。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/ME27Df06.html
Syed Saleem Shahzad is(was) Asia Times Online's Pakistan Bureau Chief and author of Inside al-Qaeda and the Taliban: Beyond Bin Laden and 9/11


http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df04.html
EDITORIAL-Justice, not words

http://www.huffingtonpost.com/2011/06/01/syed-shahzad-murdered-pak_n_869555.html
Syed Shahzad, Murdered Pakistani Journalist, Buried

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF01Df03.html
Asia Times Online journalist feared dead (6/1)

http://www.atimes.com/atimes/south_asia/mf01df02.html
Asia Times Online journalist missing

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df03.html
Target: Saleem By Pepe Escobar

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df07.html
Tributes to Saleem

http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MF02Df08.html
Pakistan - silencing the truth-seekers
"Saleem, 40, disappeared on his way to a television interview in Islamabad on Sunday evening. On Tuesday, police said they had found his body in Mandi Bahauddin, about 150 kilometers southeast of the capital. There were indications that he had been tortured. He is survived by his wife, Anita, and two sons aged 14 and seven, and a daughter aged 12.”

http://www.washingtonpost.com/world/asia-pacific/pakistans-spy-agencies-are-suspected-of-ties-to-reporters-death/2011/05/31/AGhrMhFH_story.html
Pakistan’s spy agencies are suspected of ties to reporter’s death

 彼の近著 Inside al-Qaeda and the Taliban: Beyond Bin Laden and 9/11 http://www.plutobooks.com/display.asp?K=9780745331010


R.I.P Mr. Shahzad








*過去のSyed Saleem Shahzadの翻訳記事(当blog)
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/08/baitullah-dead-or-alive-his-battle.html
ベイトゥラ・メスード死す?/Baitullah: Dead or alive, his battle rages
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/11/pakistans-military-stays-march-ahead-by.html
パキスタン軍拡大と、反大統領デモの可能性/ Pakistan's military stays a march ahead

Tuesday, May 31, 2011

核兵器の拡散を抑制したい?それなら、民主主義をおし進めよ。Want To Stop Nuclear Proliferation? Encourage Democracy.By Christopher Hitchens

Want To Stop Nuclear Proliferation? Encourage Democracy.
Ignore the shady people promoting sinister theories to the contrary.
核兵器の拡散を抑制したい?それなら、民主主義をおし進めよ。
…悪意のある逆の理論を主張する怪しげな奴らを気にするな。
By クリストファー・ヒッチンズ(5/23、Slate.com)
 (写真:Dr.A.Q.Khan)

 核拡散によって不当に利益を得る者たちの側から、よい行為についてのレクチャーを受けることはとても不愉快だが─しかし、もしもあなたがそこでじっとして、自分の嘔吐した物を飲み込めるなら、そこで学べるレッスンというものもある。

 4月27日にNew York Timesは、「王の中の王 "King of Kings"」、狂気の扇動者の娘、Aisha el-Qaddafiの長いインタビュー(*)を掲載していた。Saddam Husseinの法的弁護団のメンバーとしても働いた彼女は─その経験からは彼女はほとんど何も学ばなかったようだが─まさに国際刑事裁判所にも名前を言及された経験をもっているわけだ。反乱的な裏切り者たるリビア人たちの特性をあれこれと語りながら、彼女はどうにか過去についての興味深い回想を織り交ぜていた:

 彼女は、彼らの運動を彼女の父親が支持していたアラブ人たちの「裏切り」について、また彼が大量破壊兵器を明け渡した西欧の同盟国らについて不満を述べていた。「これが我々の得た報酬なのか?」と彼女は問うた。「このことによって、大量破壊兵器を持つすべての国が今後それを保持し続けるかもしれないし、あるいはそれをより沢山作ることによって、リビアのような運命を辿らないようにするかも知れない」(註:リビアのQaddafi大佐は、ブッシュ政権によるサダム・フセイン政権の転覆をまのあたりにし、核開発プログラムを断念、2003年に核備蓄を全て米国に明け渡し、外交路線を急に親欧米に転じた…)

 先週の末にNewsweekに寄稿された記事 http://www.newsweek.com/2011/05/15/pakistan-s-a-q-khan-my-nuclear-manifesto.html で、パキスタンの有名なA.Q. Khan(博士)が同じような論点を主張していた─核兵器を第3国に売る上での彼の役割には少しも触れもせずに…。その論点とはこうだ:

 核保有国として、軍事攻撃や占領にさらされた国、あるいは国境線を引きなおされたような国がひとつも存在しない、という事実を看過するな。もしもイラクとリビアが核保有国であったなら、それらの国が我々が最近目にしたような仕方で破壊されることはなかったろう。もしも我々(パキスタン)が1971年以前に核の保有能力をもっていたら、我々は我々の国土の半分─ 現在のバングラデシュを、不名誉な敗北の後に失うことはなかったろう。

 私が今、彼らの言葉を引用した二人のいかがわしいキャラクターはもちろん、手前勝手な理論を展開しているのだ。(肩をすくめさせるKhanの主張は、我々に─パキスタンがいかにバングラデシュの民族虐殺でその通常兵器を改良することができたか、そしてさらに、インドの街々を破壊するとの脅迫にさえも用いることができたかを、静かに思い出させる)しかし、この論議は色々な形で、より尊敬できるフォーラム(公開討論の場)でも繰り返し言及された。広く過大評価がされているMohamed ElBaradeiは、その最新著『The Age of Deception』において、大方の”ならず者国家”の核兵器に関する非行行為はアメリカ合衆国のせいだとしている。たとえば、リビアの保有した核兵器… 彼がIAEA(国際原子力委員会)での任期中になんとか無視し続けたすべての存在は…1986年の米国によるトリポリ空爆への返答、として「本当に」獲得されたものだといっている。彼はQaddafiとの会合で、Qaddafiが「彼がリビアを発展させたい、との願いを誠実に語った」とも言及している。

 カーネギー国際平和基金のGeorge Perkovichもまた、そのElBaradeiの著書についての優れた書評 http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/mohamed-elbaradeis-the-age-of-deception-on-nuclear-diplomacy/2011/04/21/AF6rlmAG_story.htmlの中で、彼のイランと北朝鮮に対するこの上なくお目出たいナイーブぶりを引用している。イラン上層部のMullah(宗教指導者)らが…もしもMahmoud Ahmadinejad大統領がワシントンとの何らかの合意を達成したならば、彼の後につこうと計画している、と知って彼はこうコメントする─「私は溜息をついた。テヘランはワシントンの政治に追従するべく、余りにも時間を費やしすぎたと私は思った」。そんななか、一方でKim Jong-ilの政権は「孤立し、窮乏し、米国によって深く脅かされていると感じているが、それでもなお反逆し続ける」。確かに、反逆ぶりは十分だ─ そのミサイルを発射テストのために核非保有国である日本の本土の上に警告なく発射し、太平洋の水面に「着水させ」ようとするとは。

 これらの、緩く連携した繋ぎ目が─もしも米国がより寛大な戦略を選び、独裁者たちに核保有に走らせるようなニーズや怖れへの、より一層の認識を示したような場合に─それ自身、より理性的な振る舞いをするかどうかは、シリアスな論議となる。我々はひとつ、確かなことを知っている。これまでに、政権転覆へのざらついた問いに直面することなく、核開発プログラムを放棄した国はないということだ─そうした国々はこのことを自発的に行えるか、或いは強迫的な衝動のもとで手をつけるか、のどちらかだ。それを行った二つの偉大な国々の例といえば、ブラジルと南アフリカ─冷戦の最後の時期に核開発の長い道のりを辿り始めた二つのとても影響力のある国々だったが、核兵器がより温かくより緊密なグローバル・ファミリー(国際社会)への合流への障害となる、と決断した国々だ(廃棄された核兵器のパーツから作られた「swords into ploughshares」の彫刻http://www.unis.unvienna.org/unis/en/visitors_service/art_tour_swords2ploughshares.htmlは、1994年にIAEAのオフィスに贈られた)

 これまでに、ブラジルか南アフリカを外部勢力によって脅かした者は存在しない。むしろ核の放棄は、これらの二つの旧独裁国が民主的な変貌に同意したことの一部分だった。飴から鞭へとポリシーを転換しながら、Saddam Husseinが狂気のもとで国連決議遵守を拒否したことは、彼の国が強制的かつ包括的に「(国連の)査察を受けた」ことを意味していた。これはリビアの(Qaddafiの)場合には、トニー・ブレア英国首相とジョージ・ブッシュ大統領に接近して、兵器(膨大な貯蔵原料と、余り多くない最終製品または使用可能な兵器類…)の「明け渡しを」行った。これらの発見品に対する査察は、これらの物の非常に多くが我々の「同盟国」パキスタンのみから来ていたという事実を認識させた。結果として、A.Q. Khanのネットワーク… それは北朝鮮と、おそらくシリアとも取引しており…またElBaradeiと IAEAの注視の目をも逃れていた─ が確認され、そして部分的にシャットダウン(閉鎖)された。核拡散防止のタームにおいては、このことの過程は何らかの成功事例として捉えられるべきだ。同じことが最近のイスラエルによるシリアの秘密施設の破壊にもいえる─それはIAEAによって、遅ればせながら核施設であったと認められている…それに続く、困惑したシリアのBashir Assad大統領による抗議をなんら引き起こしもせず。

 残るケースを吟味してみると、核兵器開発プログラムと政権のキャラクターとの継続的な関連性に気づかずにいることは不可能だ。北朝鮮の核兵器とはその国の、いじけた発育不良の、飢餓に瀕した、孤立したキャラクターと、同国が引き続き半島における黙示録的な結果に至る危険性を冒し続けるという意欲の完璧なシンボルである。イランの開発プログラムとは、明かにMullahたちが地域的な軍事的脅迫を行う政策を推し進めるよう設計された(そしておそらく、彼らのより一層、非理性的なメシア[救世主]思想と、反ユダヤ主義の衝動を楽しませる)ものである。しかし北朝鮮は、すでに通常兵器だけでも韓国の大半を破壊できるポジションにあり、そしてテヘランも、現存の軍備でより小さな湾岸諸国を容易に脅迫することができるし、それを行っている。パキスタンも引き続きインドをそれ自身の兵器庫で脅し続けることが可能だが、しかしニュー・デリーからの反撃によるセカンド・ストライクがその国を完全に破壊できる可能性への弱みをもつ。かくして未来における対立と、潜在的な脅迫の方向性は、すでに独裁政権自身の手によらずに決定されている。Aisha Qaddafi とA.Q. Khanがもっと別の方向性からの脅威をほのめかしたり、核の兵器庫がそれらの独裁政権の安全性を無期限に保障することができて、そうするだろう等というのは間違っている(そうしたロジックは結局のところ、テヘランの核施設への先制攻撃へのライセンスを与えることになるだろう)。違法に獲得された核兵器は、近隣の国々と国際法に対する大きな脅威かつ、重荷であり続けるが、歴史はそれが攻撃的な国(犯罪国家)にとっては殆ど支持し続けられず、長期的にみても、その国の専制君主のライフスパンを短くする傾向があることを示している。これまでのところ、武装解除と民主主義化が、彼ら自身を自然な同盟者に見せてきた、ということはよいことだ。
http://www.slate.com/id/2295332/
(*Aisha el-QaddafiのNYTのインタビュー
http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/africa/27aisha.html

Wednesday, May 4, 2011

マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める Death of a Madman- By Christopher Hitchens


マッドマンの死- オバマが次に何をするのかが、オサマ・ビン・ラディンの遺産(レガシー)を決める - By クリストファー・ヒッチンズ
Death of a Madman- 
What Obama does next will help define the legacy of Osama Bin Laden (5/2、Slate.com)


 パキスタンには、快適で小さなアボタバード(Abbottabad)のような街というものが、数ヶ所ほど存在する。Rawalpindi(パキスタン軍の高級将校たちの要塞都市で、2003年まではKhalid Sheik Muhammedの安全な棲み家でもあった…)から続く山々に向かう道沿いに数珠のように連なる、Muzaffarabad(*ムザファラバード:パキスタン領カシミールの州都)や Abbottabad(アボタバード)には…夏も冬も涼しく、素晴らしい眺望と、慎重なるアメニティがある。彼自身の名をAbbottabadの街に与えた、Major James Abbott(アボット少佐)のような英国人植民者らは、それらを「ヒル・ステイションhill stations*」と呼んだが、それは将校らの休息とレクリエーションのためにデザインされていた。そのアイディアの持つ魅力(そのロケーション自体といった)は、パキスタンの将校たちの間でも生きながらえて来た。
(*カリド・シーク・ムハマッド:911テロの主な計画立案者。
*ヒル・ステイション:アジア南部地域の植民地にイギリスが設けていた避暑地で、役人やその家族が利用した)
 もしもあなたが今、Abbottabadの、壁に取り囲まれた結構快適な屋敷に滞在していると私に言うならば、私はあなたが、毎年数十億ドルの資金援助を米国から得ている軍の組織から、尊敬すべきゲストとして迎えられていると告げられるだろう。その純粋なあからさまぶりというものが、一息つかせてくれる。

 そこにはおそらくパキスタンの、アル・カイダとのオフィシャルな共犯性の決定的な証拠が得られたという些細な満足感があるが、しかし全般的には、拍子抜けしたという感覚を強めるだけだ。結局のところ、アメリカがビン・ラディンに餌を与えている同じ手に、惜しげもなく餌を与えていたことを知らなかったのは誰なのだろうか?そこには、小さな勝利もある、我々の古い敵(オサマ)は英雄的なゲリラ戦士などではなく、失敗したならず者国家を支配する、腐敗した、悪質な寡頭政治のクライアント(得意客)だったということだ。

 しかし再び言うが、我々はこのことを既に知っていた。少なくとも我々は、彼の最もよく知られた残虐行為の10周年を記念するにやにや笑いのビデオがもたらされるのを、我慢する必要はない。しかし考えてみるがいい、彼は最近、いかなるテーマに関するコミュニケも発表していなかった(このことは、少し前には私に…彼が本当に死んではいないか、あるいは偶然、以前に殺害されているのではないのか、という疑問を持たせた…)、そして彼のグループと彼の思想による最も憎むべき仕事は彼の後継者の世代によって、たとえばイラクにおける彼の比類なく無慈悲なクローン、Abu Musab al-Zarqawiらによって実行された。私は私が、ビン・ラディンがZarqawiの場合と同様に、最後のわずかな瞬間に、彼を発見したのが誰なのか、裏切り者は誰だったのかを知る、少しの間合いを持っていてほしかったと願っているのに気づく。それは、何かを意味するだろう。そんなに大したことではないが、何かを。

 人々が「iconic 聖像のような」ということばで苛立たしげに彼を呼ぶとき、ビン・ラディンに確かに並びうるライバルは居ない。彼の容貌の、不思議で、退廃的な、うわべの高貴さと偽の精神性は驚くほどテレビ写りがよい─そして彼のカリスマ性が、最近、ムスリム世界を変貌させている革命の新たな定義というものにおいても、果たして生きながらえ得るのか、は非常に興味深い。しかし、すべての印象のなかで最も執拗に持続するものは、彼の純粋な非理性(irrationality)だ。この男は、自分が何をしていたと思っていたのだろう?10年前に彼は、小さなAbbottabadの街の要塞の壁の中に彼がいることを予測しただろうか、あるいは少なくとも、それを望んでいたのだろうか?

 10年前には ─思い出して欲しいのだが─ 彼は巨人的な影響力を、ならず者の失敗国家・アフガニスタンで行使しており、そして隣国パキスタンにも影響力を拡大しつつあった。タリバンとアル・カイダのシンパサイザーたちはパキスタン軍の上級幹部ポジションにあり、核開発プログラムはまだ余り察知されていなかった。巨額の財政的補助金が彼にもたらされた─しばしば、サウジアラビアや他の湾岸諸国などのオフィシャルなチャンネルを通じて。国際的なニヒリストのネットワークと共に彼は、銀行業とマネーロンダリングの巨大で利潤性の高いネットワークをも運営していた。彼は白昼の下で、アフガニスタンの仏教の宝を破壊しに向かうための重火器をオーダーできた。インドネシアからロンドンにいたる、連携したマドラサ(*イスラム神学校)では言葉を広めていた…まるで未来の殺人者を育てる訓練キャンプの連携であるかのように。

 彼は、すべてのこうした戦略的に熟したアドバンテージを、たった1日でギャンブルに賭けた。そして、彼はアフガニスタンから逃れたのみならず、彼の幻惑された追随者たちが、非常に数多く殺される状況を残した、しかし彼は人目を忍ぶ影のごとき存在であり続けることを選び、成功裏の秘密の「暗殺」に出逢う、または金で買ったり買われたりの裏切りに逢う確率が、日々をより長くしていった。

 彼は、彼自身の気ちがいじみたプロパガンダを本当に信じていたものとみえる ─しばしば、テープやビデオにおいて概略が示されているものを…特にアメリカがソマリアから撤退した後には。西欧は…と彼は言い続けた…腐敗に冒され、ユダヤ人の陰謀団とホモセクシュアルによって動かされている。それは抵抗する意思もない。それは女性化し、臆病になっている。大きな破壊的な一撃の後で、他の大建築物は徐々に、塵埃のシャワーにまみれたツイン・タワーに追随するだろう。いいだろう、彼と彼の仲間の精神病者たちは北米と西ヨーロッパで何千人も殺害することに成功した、しかし過去数年間における彼らの主要な軍事的勝利は、アフガニスタンの女子学生や、シーア派のムスリム市民、そしてチュニジアやトルコの無防備なシナゴーグなどに対するものだった。その背後には、偶々近くに居合わせた人々に対するより無差別な死刑宣告を許す、もっと軽侮すべきリーダーか、司令官がいたのだろうか?

 神政主義的な非理性とは、あまり珍しくはないし、このような敗北を遂げることは、それを魅力のないものにする。大言壮語を吐く者は引き続き、この地域でインスタントな世論調査を行い、人々が彼を聖なるシーク(首長)に看做しているなどといった、たわ言を唱えるだろう。(こうした世論調査が、立憲民主主義を求める地元民の欲求を掬い上げないのは、不思議なことだ。)運がよければ、ビン・ラディンは「本当に」死んではいない、というような発狂したような噂も発生することだろう。よかろう、彼は既に彼の与えるはずだった最悪のダメージを与えた。現実世界で描写できる全てにおいて、彼の戦略はすでに、抗体と敵対者たちを創造してきたか、あるいはこれ以上観察可能な、これに匹敵する状況は存在しないだろう、あるいは最低でも収益最大化のポイントを超えたことだろう。

 Abbottabadの殉教者はもはや感じ得ないだろうが… 彼の、生きながらえ競争しあう下位の人間たちが抱く総統(指導者)コンプレックスは、恐らく今エキサイティングな自由を満喫しているだろう。しかし、あのAbbottabadのシェルター施設の、ユニフォーム(軍服)をきた、匿名のパトロンたちは今だに大いに我々と共にあり、そしてオバマのスピーチは…もしも彼がこの追跡劇を不必要なほど長きにわたる、骨の折れる、費用のかさむものにしたその同じ人々を我々がさらに武装させ、資金援助しつづけるように期待するなら、まったく無意味なものだ。
http://www.slate.com/id/2292687/






Pakistani seminary students in Quetta rallied against the killing of Bin Laden.

(bottom): A Pakistani family looked at the compound in Abbottabad

ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク New spy links to Mumbai carnage - By Gautaman Bhaskaran


ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク By ガウタマン・バスカラン (4/22、Asia Times

 1947年にインド亜大陸がパキスタンとインドに分割されて以来、一度も平和的な関係になかったこの両国は数回にわたる戦争をし、何年か前には致死的な核戦争と破滅の一歩手前にも至った。今再び、その緊張が高まる可能性がある。裁判関係の書類が来月シカゴで行われる裁判を前に浮上しているのだが、そこでは2人の男がムンバイでの殺戮事件の頭脳として告発されており、彼らはパキスタンのスパイとして働いていた、と認める可能性がある。

 2008年11月26日、イスラム武装兵士らがインドの金融の首都に海から上陸して、5ツ星ホテルと繁忙な鉄道駅、人々に人気のあるカフェと、ユダヤ人のコミュニティ施設をターゲットとして虐殺を実行した。

 その攻撃によって200人近くの人が死亡、その2倍の人が負傷して心理的な傷を負った。Ajmal Kasabは暗殺者のなかで唯一人生きて捉えられたが、彼は彼と他の者たちがパキスタンを拠点とするテロ組織Lashkar-e-Taibaに属していることを認めた。
 Kasabは法廷で裁かれ、そして今はインドの刑務所で絞首刑を待っている。

  (←*Ajmal Kasab)
 5月16日に、シカゴで開かれる法廷裁判に出頭するはずのパキスタン系カナダ人Tahawwur Hussain Ranaは、ムンバイのテロ…11月の黒い夜に頂点を迎えたその作戦を目的に、武装兵士をスカウトをするための書類を偽造した、との罪を問われている。Ranaと彼の古い友人David Coleman Headleyは、彼らがムンバイでテロの恰好のターゲット探しをしていた際にテロリスト仲間を幇助したとの容疑で、イリノイ州で米国FBIに捉えられた。

 Kasabは法廷で彼がLashkarのために働いていたことを認めたが、インドの捜査当局はそのことには懐疑的だ。彼らはパキスタンの諜報機関ISIもまた、ムンバイの大虐殺に手を染めていたことを確信していた。ニューデリーの政府は、何年にもわたって有名な男たちがISIの為に、あるいはISIの中で働いていた事を知っており─それはパキスタンの、例えばLashkarのような反政府グループとも強い繋がりを持っていた。端的に言って、ISIは死のダブル・ゲームに従事するダブルエージェントを持つ、スパイ組織だった。ISIはまたパキスタン軍とも関係しているが、イスラマバードの政府はこのコネクションを一度も断ち切ることはできなかった。

 今やRanaの裁判は、こうした事の全てを立証するのかもしれない。オブザーバーたちがこの裁判で最も顕著な成果として出るかも知れないと信じるのは、ISIの共謀の事実に関する反論の余地なのない証拠だ。法廷の書類によれば判事たちは、RanaとHeadleyがLashkar と ISI双方のために働いていた事を告白させたと言う。 (*David Coleman Headley→)

 Hadleyは既に彼がISIのために働いていたと認めたが、しかしそれは、大陪審に対する秘密証言として行われた。「私もまた彼(Rana)に告げた…私がISIのためにスパイ活動をして欲しい、と頼まれていたことを」。Hadleyは何もかも白状したと伝えられる。何年か前に、彼は第一に電気椅子を逃れるためにFBIの情報屋となったのだが、シカゴでのヒヤリングにおいて彼は彼のムンバイの流血への関与をすべて白状することが期待される。彼のムンバイ攻撃への視察プランに関して予測される供述は、Ranaの容疑を裏付ける決定的な証拠となるかもしれない。Headleyの証言は恐らく彼がいかにして彼のパキスタン名を変え、Lashkarとの繋がりを培ったのか、ムンバイの予定地をどうやってビデオ撮影したのか、巨大な人口を抱えるメガシティへの出発前にどのように暗殺実行者たちに計画を説明したのか、などを含むだろう。

 Ranaは長年のカナダ市民であり、北米への移民を望む南アジア系男女にコンサルティングを提供していた。彼の会社First World Immigration Servicesはシカゴを拠点としている。Ranaはなぜ、Headleyが移民コンサルタントとしてインドに入国するための書類を得られるべく助けたのかを、最善を尽くして説明しようとした。しかし最近では、Ranaは愛国的なパキスタン人で、ISIには彼の援助が必要だという考えを、強制的に抱かされたのだと述べた。彼はそのため、外交特権による免責を得られるだろうと感じている。

 しかし全く運の悪いことに、RanaとHeadleyがムンバイの殺戮事件の直後、預言者ムハマッドを風刺したデンマークの漫画家を殺害するための計画を話し合っているテープがアメリカの検察官らの手に渡ってしまった。

 RanaおよびHeadleyの告白は、インドとパキスタンの既にぐらついている関係をさらに緊張させる可能性がある。両国は最近、Mohaliで開かれたワールドカップのセミ・ファイナルにおける両国間のクリケット試合によって新鮮な空気を注入されたところなのだが。その際はホームチームが勝利し、そして最後にムンバイにおいて、スリランカチームを相手に優勝カップを奪うこととなった。Mohaliでは両国の首相、Manmohan SinghとYusuf Raza Gilaniが両チームの戦いの観戦に耽った─それが「クリケット外交」と呼び慣わされるに至ったにも関わらず。二人のリーダーは夕食を共にして、平和のために努力を続けることを誓った。

 だが試合から間もなくその努力は、パキスタンのクリケットチームのキャプテン、Shahid Afridiが行った攻撃的な発言のために無駄にされたようにも見える。彼は帰宅した瞬間にインド人が浅はかで心根が狭いと言い、そしてインドのメディアは無意味なことを誇張してドラマ仕立てに扱った、と厳しく非難した。

 興味深いことに、クリケット外交によるその前回の密会すらも失望を招いた。前のパキスタンのリーダーたちもインドに行き、彼らのチームがインドのチームと対戦するのを見た。1987年にはZia-ul-Haqが、2005年にはPervez Musharraf が。こうしたバットとボールのサミットからは、何も生み出されなかった。

 そうだ、勿論AfridiはニューデリーとイスラマバードがMohaliで培ったかもしれない小さな希望を無駄にした。しかし、RanaとHeadleyの裁判において吐き出されようとしている新たな証拠は、平和を見出そうと試みる二つの核保有国をさらに難しい状態に置くことになるかもしれない。

Gautaman Bhaskaran is an author, writer, columnist and film critic based in Chennai.
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MD22Df01.html

「パキスタン・ISI」関連記事…

パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?──それは我々が頼りだからだ By Christopher Hitchens
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/01/why-does-pakistan-hate-united.html

タリバン指導者の逮捕と、パキスタンが求める「ストラテジック・デプス」By Shibil Siddiqi
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/strategic-depth-at-heart-of-taliban.html

この2月、パキスタンでは〔タリバン指導者たちの逮捕〕/ In Pakistan, last February..
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/in-pakistan-last-february.html

Tuesday, May 3, 2011

オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語 Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By Tim Lister

オサマ・ビン・ラディン殺害の約1週間前…WikileaksによるGuantanamo Bay尋問ファイルの公表で
急に不思議な詳細が明らかにされた

Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By ティム・リスター (4/28, CNN)
オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語

 ─オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に、彼のアフガニスタンの隠れ処の周辺に迫った底引き網をいかに逃れたのか?

 それは諜報関係者の間でも、また、私自身も含めTora Boraでの米軍の2週間近い集中的砲撃を目撃した者の間でも、長らく論争の的となってきた。多くのアナリストたちはビン・ラディンが山岳の合間の峠道を通って、ほんの数マイル先のパキスタンに抜けたと指摘してきた。しかしグアンタナモ・ベイ収容所抑留者の供述によるassessmentでは彼が別の方角に向かい、北部同盟のムジャヒディーンたちや、12月8日前後に我々がそのエリアで最初に目にした米軍特殊部隊の少数の派遣部隊の手から逃れたと示唆されている。

 抑留者らにおける評価推定は今週ウィキリークスによって公表され、Washington Post紙やthe Guardian紙その他のメディアにも掲載された。

 それらの内のひとつ、2007年に収集された情報はHarun Shirzad al-Afghaniという抑留者にまつわるものだ。Al-Afghaniは当時、アル・カイダと近い関係を持つHezb-e-Islami Gulbuddinなる武装グループの司令官だった。Al-Afghaniによればアル・カイダのリーダーは、パキスタンの武装兵士で宗教家のMaulawi Nur Muhammadという人物の助けで、そのエリアを逃れたという。そして彼が言うには、ビン・ラディンはJalalabadを目指して、後には遠く離れた北東部アフガニスタンのKunar県を目指して北に向かったという。

ウィキリークス:ビン・ラディンは、現金にがんじ絡めだった

 彼のプロフィールの末尾にある短い幾つかのパラグラフには、al-Afghaniがアフガニスタンの戦争領主Gulbuddin Hekmatyarから「Tora Boraのアル・カイダの勢力と手を結び、オサマ・ビン・ラディンをその地域から隠密に脱出させよ」との命を受けたとの彼の言が引用されている。そのグループは、「Tora Boraにいるアラブ人たちとの無線によるコンタクトを失った」のだという(Hekmatyarは偶然にもいまだにこの地域の重要なプレーヤーの一人だが、タリバンと緩い連携関係を持ち、多くのアナリストが彼をアフガニスタンでのいかなる平和交渉でも重要なパートを担う者とみている)。

 そしてここに、Plan B が浮上する。Al-Afghaniによれば、Maulawi Nur Muhammadが40人から50人の武装兵士たちを、ビン・ラディンと彼の代理人のAyman al-Zawahiriを遠くTora Boraからエスコートするべく送ったという。彼の助力の後には、Abu Turab al-Urdaniと呼ばれるアル・カイダの司令官(偶々、Zawahiriの義理の息子でもある)との会見がこれに続いた。al-Afghaniの供述のアセスメントでは、「Maulawi Nur Muhammadが彼に、彼らのTora Boraから以降の約10ヶ月にわたる逃亡について語った」という。抑留者たちの協力者だったHaji Abdul Abadは─2005年の8月から9月の間にJalalabadで米国の関係者を狙い自爆テロを指揮した者だが─そのUBLの逃亡の詳細が真実である旨を証明したという(UBLは、収監者に関する書類の中でのアルカイダのリーダー名の統一的略称)。

 CNNが確認したその他のグアンタナモ抑留者のアセスメントでは、ビン・ラディンが12月11日に突然Tora Boraを発ったとされている。「UBLは、彼の選んだ少人数の者らと共に、突如Tora Boraを出発した」と、あるパートには書かれている。彼のボディガードらはその1、2日後に出発し、ホワイト山脈の地域の峠道を登ったが、そこで彼らは12月15日にパキスタンの民兵部隊によって拘束された。他の抑留者たちは(ビン・ラディンの護衛の)武装兵士らが、地元のアフガン人司令官らとの交渉に失敗した後の、12月16日前後のエクソダスについて語る。その当時にTora Bora近くに居たCNNのチームは、それら両グループの間の無線でのコンタクトに気づき、それについての報道をしているが─アル・カイダの武装兵士らを追い出すべく派遣されていた貧弱な装備の地元民兵は、明らかにその仕事には余り熱意がなかった。かくしてアル・カイダの上層幹部たちの逃亡は、そのエリアの多くの峡谷や、渓谷を通ってなされた。

 おそらくビン・ラディンは、パキスタンとの国境地帯を渡ることは危険過ぎると考えたのだろう。いずれにせよ、al Afghaniは彼が、馬の背に揺られたKunar 県への旅路を前に、Jalalabad市の近くの安全な家まで旅し、そこで休息を取ったという─Kunarは岩だらけで険しい、暴力的な場所であり、多くの観察者は治めがたい土地であるという─そこでは今でもタリバンとアル・カイダが実質的に存在し、同盟国軍は恒常的に攻撃を受けている。Al-Afghaniは、ビン・ラディンがパキスタンとの国境を渡る前に、Kunarの地に2002年遅くまで滞在したという。

 Al-Afghaniの供述の信憑性を確認することはできないが、彼は2007年2月にJalalabad近郊で拘束されるまで、アル・カイダのcourier(案内人)として、また援助者として真摯な信頼を得ていた。その書類では「この抑留者がアル・カイダの組織構造や作戦について、ユニークな情報をもたらした」とする。そしてそれは、CNNが他のソースから得た情報とも一致する。

 その頃、アル・カイダのリーダーたちと繋がりの深かった男の一人にNoman Benotmanがいる─ 当時、アル・カイダと関係をもつリビアのイスラム武装グループの幹部だった男だ。彼は911の後、ビン・ラディンに近しい別のリビア人Abu Leith al Libbiと電話連絡をとっていた。Benotman はCNN のテロリズム・アナリストの Paul Cruickshankに対し、LibbiがKabul周辺での戦闘への援助を要請した際に、ビン・ラディンの返答は「アメリカ人と戦うものは誰でも、Tora Boraにおいて我々の後に続かねばならない」と語ったのだという(Benotmanは現在、英国の反テロリズム・シンクタンク、Quilliam Foundationのシニア・アナリスト)

 彼がCNNに語った内容では、ビン・ラディンは彼自身の脱出について考えていた時、パキスタン国境の地元の人々を信用してはならないことを知っていたという─その無法地帯では犯罪者や麻薬運搬者が、アル・カイダのリーダーを米国が提示していた2千500万ドルの報奨金のために引き渡そうと考えることを躊躇するわけがなかったと。

 Benotmanは、al-Afghani の示唆したのと同様に─Jalalabad付近の部族がビン・ラディンの逃亡後の隠れ処を提供し、恐らく彼はパキスタンの部族地帯を渡る前に1年近くの間アフガニスタンに留まっていたのではないか、と語る。

 ビン・ラディンのTora Boraからの逃亡は、9月11日の攻撃と、Tora Boraの空爆の間の3ヶ月間のオデッセイ(放浪の旅)における最終ステージだった。抑留者たちのプロフィールから示唆されるのは、9月11日の直後に彼が彼の支持者らと活発に会い、Kandahar とKabulの間を旅し、そして彼の妻たちや家族のメンバーらをKandaharでの米軍の空爆から逃れるよう図っていた事だ。そして彼は莫大な現金を持っていた。ある書類が示唆するのは、彼はTora Bora の要塞地帯に向かう前に10万ドルをJalalabad周辺の地元の部族リーダーに寄贈したという。しかし彼は、熱心な支持者たちが散り散りに逃げ、あるいは拘束された中で─彼をTora Bora から逃亡させた男、Maulawi Mur Mohammedから7000ドルを借りる必要が生じた、とal Afghaniはいう。Mohammedに何が起こったのかは明らかでない。

 個人的なことだが、私が2001年のクリスマスの直前にその地域を最後に発った時、私はCNNの為に働いていたパキスタン人の「フィクサー」と共に旅をした─その地域や、地域の多くの勢力間の同盟関係、競合関係に関して百科事典のような知識を持つ男だった。我々がJalalabadからパキスタン国境へと車で旅したとき、山々が両側から茫っと立ち現れた─Tora Boraを南に、また遠いKunarの原野を北にして。我々のフィクサーは北の方角を指し示して、「そこには、人間が誰一人として足を踏み込んだことのない地域がある」といった。「私は、ビン・ラディンはそこに行ったのだと信じている」。彼が正しかった可能性は大いにある。
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/27/osama.escape/index.html

参考記事
http://www.washingtonpost.com/opinions/the-biggest-terrorist-catch-of-the-obama-era/2011/04/04/AFBkVPcC_story.html
The biggest terrorist catch of the Obama era

"Guantanamo Files"
http://www.nytimes.com/2011/04/25/world/guantanamo-files-lives-in-an-american-limbo.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=3&pagewanted=all

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/secret-case-against-detainee-crumbles.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=1&pagewanted=all