Monday, July 5, 2010

“アル・クッズ・インデックス”と、真のパレスチナの革命/The Real Palestinian Revolution - By Thomas L. Friedman

 パレスチナ自治政府寄りで、ハマスの嫌いなフリードマンが…
イスラエルと共存するパレスチナの自立を訴える…

真のパレスチナの革命- By トーマス・L・フリードマン(6/29、NYタイムス)  

 ちょっと君、ここに株式投資のための耳寄り情報がある。用意はいいかな?─ それはAl-Qudsインデックス(アル・クッズ株式指標)だ。

 Al-Qudsインデックスとは何なのか?つまりそれはP.S.E.、またの名をPalestine Securities Exchange(パレスチナ証券取引所)の株価による指標のことだ。西岸のナブルスを本拠地にして、この1年間の間は堅実な状況を維持している。ここに、そのストーリーがある。

 「それは、ほとんどのアラブ諸国の市場の指数をも上回っているのだ」と、その取引所のオーナー・Palestine Development and InvestmentのCEO、Samir Hulilehはいう。P.S.E.は1996年に19社の企業と共に開設され、今や41社の企業が上場している。今年はさらに、8社が上場する予定だ─ ここに上場する企業は、パレスチナの商業銀行や、ナブスルの外科医療センター、パレスチナの電力会社、そして、アラブ・パレスチナ人のショッピングセンターといった企業だ。「これらの企業の株の多くは、政治的不安要因から割安な状況にある」とHulileh氏はいう。それゆえ、あなたがさほど株価の不安定さを気にさえしなければ、ここには多くの上向きのチャンスがあるのだ… もちろん、ここでは間もなく、E.F.F.(an exchange-traded fund:P.S.E.売り出しの投資ファンド)も導入されるので、Al-Qudsインデックスを追跡すれば、あなたは米国に居ながらにして、パレスチナの長期物や短期物の債券を買うことだって可能になる。

 Al-Qudsインデックスの普及とは、西岸地域で過去数年の間に…元・世界銀行のエコノミストであり真のパレスチナの"革命"をリリースしてきたSalam Fayyad首相のリーダーシップのもとに始められた、一連の広汎な改革の一部分なのだ。それは、パレスチナの地位(法的有効性、capacity)や、社会的制度(institutions)を打ち建てる革命だ… それも、単にイスラエルの占領への反抗として打ち建てるようなものではなく─ もしもパレスチナ人が、真の経済やプロフェッショナルな治安部隊、効果的で透明性のある官僚組織を設立できるなら、西岸および東エルサレム近隣でのパレスチナ国家の樹立というものが、イスラエルにとって否定し難いものになるだろう、とのセオリーのもとに打ち建てる革命だ。

 Hulileh氏は言う、「私は、民間企業部門(private sector)が変わったと認めざるを得ない」、「以前まではつねに、我々には出来ることは何一つないと、文句ばかりを言っている雰囲気があった。そして政治家たちは、そのようなレジスタンスの雰囲気を創りだそうとしていた…レジスタンスというのは、占領下では何ら発展をしない、という意味だった」

 Fayyad首相と、彼のボスであるMahmoud Abbas大統領が、今やこの雰囲気を変えたのだ。Hulileh氏はこう言う─ 今や雰囲気は改善されて、パレスチナ経済が「我々に抵抗力と、しっかり振るまう力とを与えた。Fayyad首相は我々にこういったのだ…“君らビジネス・コミュニティには、占領を終わらせることに責任があるわけではない。君らは人々の雇用をはかり、国家の設立に向けて準備を整えておくことに責任があるのだ。それは、君らがグローバルな世界の一部となり、輸出や輸入を行う、ということだ、つまり国家ができた暁に、君らがゴミ捨て場を持つような必要がないように、ということだ。君らは準備しておくことが必要なのだ”…と」

 私は、Fayyad首相が彼のRamallahのオフィスで、上々の機嫌でいるのを見た。エコノミストから政治家に転身した彼は、彼の西岸の選挙区民たちと交ざりあって、より居心地がいいようだった… そこで彼は給水用の井戸や学校などを新設し(…それゆえ、もうそこには二交代制の工場や、使用済汚水の再処理施設はないのだ)静かにその人気を確立していた。イスラエル軍の最長老の人々は私に言った、Fayyadがこの真の取引契約によって新たに設立した治安維持勢力は、イスラエルが西岸の殆どのチェックポイント(検問所)を閉鎖したとしても、治安を維持するに充分なのだ。それゆえ、地域内部の商業活動や投資活動が動き始めたし、そしてガザの中にすら、こちらに移住し始めている人々がいる。「我々は変化のポイント(変曲点)というものから、さほど遠くはないのかもしれない。」とFayyadは私に言った。

 AbbasとFayyadによる国家建設の努力とは、未だにか弱いものだ…それはテクノクラート(技術官僚)の小規模なグループ・チームと、パレスチナのビジネス・エリート、そして新設された職業的治安部隊が担当しているものだ。このチームがより一層強くなれば、彼らはより一層の挑戦をおこない、また西岸にいるFatahの古参の幹部たちからの挑戦も受けるだろう…ガザにいるハマス勢力からの挑戦も勿論のこととして。しかしこれは、二国家併立主義における解決策として唯一残る希望であり、それゆえこれは、静かに支持を受ける必要がある。

 Obama大統領が7月6日にイスラエルのBibi Netanyahu首相に会見する際にできる最も重要なことは、彼を小突いて…西岸地域の主要なパレスチナの都市において徐々にパレスチナ自治政府へと権力の移譲を行わせること─そして、それによりFayyadが彼の人々に対しても…その言葉どおりに彼が独立国家を作りつつあり、それは"占領の永久性を受け容れるためにやっているわけではない" のだと示せるようにすること…、それによってイスラエルも、パレスチナの新治安維持勢力というものが本当に、イスラエル軍による夜間の家宅捜索(急襲)などに頼らずに平和を維持できるかどうかも検証できるようにすることだ。Fayyadism(ファイヤドの思想)を強化するために、これ以上の方策はない。

 しかし私は、Fayyadism がアラブ人とイスラエル人にとってどの程度、居心地の悪いものかをみても驚愕を覚える。パレスチナ人は永遠の犠牲者だ、という考えに魅せられている(その思想に恋愛感情を持つ)、こうしたアラブ人たち…パレスチナとアラブの尊厳を回復する為の英雄的な「武装闘争」に永久に関与する彼らにとって…Fayyadの方法論的な国家設立というのは、オーセンティック(正統的)な考えではない。アラブ人たちのなかには…恥さらしなことに、この考えを中傷する者たちもいる、そして唯一、アラブ首長国連邦(UAE)だけがこれに財政的な援助を申し出ているのだ。

 そして右派のイスラエル人たち…特に、現状を変えるために話をするに足る相手としての責任あるパレスチナ人の組織は存在しない、というような考えを愛している、西岸の入植者たち…にとっては、Fayyadの思想というものは真の脅威なのだ。イスラエルの日刊紙、Haaretz のコラムニストAkiva Eldarは先日、こうしたグループを完璧に描写していた─ 彼らがいかに、アラブ人たちに"No” を言わせることを断念しないか、あるいは、詩人のConstantine Cavafyが書いた‘Waiting for the Barbarians’のなかから引用した、「そしていま野蛮人たちの存在なしに、何が我々に起きようとしているというのか?/彼ら…彼らという人々の存在、それ自体が解決の一つなのに」…などという言葉のように。
http://www.nytimes.com/2010/06/30/opinion/30friedman.html
*写真上:Salem Fayyad首相 写真右:P.S.E.(パレスチナ証券取引所)の狭い一室に集うトレーダーたち
*Al Quds:エルサレムのアラビア語名
 al-Quds Sharif : "The Holy Sanctuary"、Yiddish語でYərusholáyəm:イスラエルの首都。東エルサレム地域とその住民を含む

Sunday, July 4, 2010

アフガニスタンに、"掘削の同盟国”を呼べ /Bring on the Coalition of the Digging-Why are we so focused on the problems Afghanistan's vast mineral deposits could bring?


"掘削の同盟国”を呼ぶがいい!

アフガニスタンの巨大な埋蔵資源のもたらす問題に、なぜそんなにこだわるのか?
By クリストファー・ヒッチンズ (6/21, Slate.com)


 アフガニスタンのもつ潜在的な鉱物資源についてのあっと息を呑むようなニュースは、これまで2006年と07年のシステマチックな航空調査によって把握され、そして確認された─しかしそれは、同国の悲惨さをより増幅させる力にもなりうるため、いまや、控えめに語られ始めている。鉄・銅・コバルト・金・リチウム(ラップトップPC電池の主要材料)の鉱石の膨大な埋蔵量は、タリバンとその同盟者たちにこの国を再び掌握させ、そればかりか、彼らをさらにリッチにしてしまう可能性も強めるのだ。またそれは、同国のそれ以外の敵、つまり戦争領主たちや、寄生的なオリガルキー独裁者など…周辺諸国に散らばり、その国がどんな政府を持とうが比較的関心の薄い者たち…にも、勢力拡大へのインセンティブをも与えかねない。もちろん、アフガニスタンの鉱業大臣がすでに3千万ドルの賄賂を受け取って、莫大な銅鉱石の採取権を中国(その資源帝国主義的傾向は、北朝鮮からダルフールに至る恥辱だ)に渡そうとしていたとして、米国の圧力により解任されたのはつい最近のことだ。

 資源が豊富であるがゆえに、国が貧しくなった、というのは、古いストーリーだ。コンゴという国は、19世紀にベルギーの王族の個人資産として掌握されて以来の、そのスキャンダラスな実例だ。そして、資源の搾取による略奪行為に晒された国のリストに加えられるべき国々とは、ハイチ、アンゴラ、インド、そして(公平にいって)中国がある。アフガニスタンには、社会資本(インフラ)やプロフェッショナルな市民サービスがなく、採取産業の伝統もなく、そしてその広く分散した行政県や地方の間で、資源を分かち合うというメカニズムもない。カイバル峠の向こうのKlondike(*)こそが、この国が必要としているものだ。 (*Klondike Gold Rush: 19世紀カナダのKlondike川沿岸のゴールド・ラッシュと、それによりもたらされた移民のラッシュ)

 それでもなお、最低でも兆ドル単位の規模の国の天然資源の宝が、ほとんどGDPの脈動すらもないようなこの国に存在している。NATOの各国政府…ドイツからカナダ、英国から米国に至るまで、鉱物資源の掘削に豊富な経験をもつ国々…はこの国の経済に資金援助をする以外には、殆どやるべき仕事すらもたないが─ それらの各国はしばしば怒り(反発)を招く行為、つまりアフガニスタンのその他の唯一の既存の資源であるアヘンという資源の開発を「禁止する」ために、時間を浪費することもある。─そのような、地球をも動かす掘削の大国たちの同盟ですら、最終的には…その再建事業が既に国連の管轄化にあるこの国では…真に建設的な意義ある事業を見つけることもできないのだろうか?アフガンの議会や政府には資源管理の経験がないことは事実だが、しかしその議会と報道メディア、そして同盟諸国のNGOたちをプッシュして、それが中国がよく好んでやるような暴利行為ではないこと、そしてアフガンの人々がその主な利益の享受者であるということを、保証させることが可能なはずだ。これは余りにも、見逃すべからざる機会だ。それはまた、タリバンが入札する手に収めさせるには、余りにも重要すぎる機会のようにもみえる。

 イラクの膨大な石油資源の新たな発見とも同様、こうした埋蔵資源が、その地域とその民族にどのように分配されるのか、について知ることは重要なことだ。この地域には多くの、成功した、そしてよく組織化されたアフガニスタン人のグループ…たとえばタジク人や、ハザラ人などがいるのだが、彼らはタリバンを真に憎んでおり、そして彼らは彼らの発展する機会、彼らの地域を豊かにしその人々の力を強化する機会にはすぐに飛びつく姿勢にある。そこにはまた、多くのパシュトゥン人がいるが、彼らはタリバンをパキスタンによる植民地化の影のエージェントだとみなしており、それは実際に、真実だ。威厳のある、そして経済的に強固なアフガニスタンというものはまた、優れた能力を持ちながらも失業しているアフガニスタンの膨大な数のプロフェッショナルな人材たちに対しても、巨大なアピール要素を持っている─彼らの多くは、何十年にもわたった戦争と野蛮な時代の後に、故郷に帰国してきたのだ。

 また、この新たな調査結果が発表された数日後に、アフガニスタンの新しい鉱業大臣、Wahidullah Shahraniが、彼の対抗相手であるインドのB.K. Handiqueに招待状を出した、ということは勇気づけられる事実だ。インドはすでに、Hyderabadでアフガンの地理学者たちを訓練し、アフガンの広範なインフラ建設のプロジェクトに対して、資金を援助している; この両国の地理的調査における密接な連携は、よい結果のみをもたらすだろう。私がこれまで常に指摘してきたように、インドは我々の到着する以前からタリバンやアル・カイダと戦ってきたし、我々がアフガンから撤退するというような臆病な決定をした場合にも、その後も戦い続けることだろう。インドはまた、巨大で、繁栄した、世俗的で、多民族的な、そして近代的軍備を持つ民主主義国家であり…この地域における米国の天然の同盟国(natural ally)─つねに変幻自在な存在であるパキスタン人たちに対抗する勢力としての─であり、そして中国の野望に対抗するための天然の重し(natural counterweight)でもある。同国はさらに、名声ある鉱山業セクターをもっている。アフガニスタンの鉱山資源の計画的な開発は、こうした同盟関係を深化させ、発展させるための殆ど理想的な機会を与えることだろう。

 もちろん、この発見がもたらすいかなる利益も、明白にそれが経験されるまでには時間を要するだろう。しかしそれは、そうした間にもめったにない希望の種を与え続け、またしばしば失敗に終わっているように見える事業への取り組みにむかう方向性の感覚も与えるだろう。西欧に対して疑念を抱いているような、シリアスなアフガニスタン人たちは…一人でも、彼の国の先祖の遺産(歴史的遺産)が、中世的な<腕を切断したり女性を盲目にしたりする>ギャングたちのもとに預けられることを望んでいるだろうか?また、シリアスな非・アフガン人というものはひとりでも…この国が、単にローカルな神権主義者や外国からきたジハード主義者たちからだけでなく、その国を苦しめ悩ませ、発展を阻害してきた何世紀もの貧困や停滞から解放されないことを望むだろうか?オバマ大統領はこれに関して米国議会と国連とにアピールする、素晴らしい、道理に適った地政学的なスピーチを行えるに違いない。私には、彼がこれを決意するかどうかは分からない。しかし平和主義者たちも、彼らの新たなスローガンを掲げることができる、"No Blood for Lithium."(リチウムのために血を流すなかれ”、といったスローガンを。
http://www.slate.com/id/2257659/
*写真:アフガニスタンのPanjshir Valleyのエメラルド鉱山に立つ鉱夫

*6月に来日したカルザイ大統領は、米国に次ぐアフガンへの第2の援助国、日本の企業に鉱物資源開発を任せたいと表明。
 日本問題研究所のフォーラムに出席し、三菱グループなどと会談して帰国したという。商談は成立しなかったとも言われる?…
…3兆ドルと見積もられる資源開発のうち既に多額の契約を、鉄道建設を条件に中国政府系企業が獲得しているとも。

http://www.english.rfi.fr/asia-pacific/20100618-afghan-president-offers-mineral-resources-japan
Afghan President offers mineral resources to Japan


*欧米きっての人気コラムニスト、クリストファー・ヒッチンズは6月末、食道ガンの治療を宣言、新刊の自伝"Hitch-22"の全米販促ツアーを中止する旨を発表し、ファンにショックを与えました。ヒッチンズの病状の回復が待たれます。




let us pray for Mr. Hitchens' healing, overcoming his serious illness and regaining the health

Thursday, June 17, 2010

イスタンブールからの手紙 / Letter From Istanbul- By THOMAS L. FRIEDMAN


ガザの支援船への襲撃事件で、トルコの対イスラエル感情が最悪に?! NYTの、ユダヤ系リベラルのご意見番がイスタンブールに出張…状況を憂慮している(※写真はエルドガン大統領)
 
イスタンブールからの手紙 By トーマス・L・フリードマン(6/15, NYタイムス)

イスタンブールにて:
トルコという国は「ハロー!」という挨拶を交わすや否や私の心を奪ってしまった国だ。私はトルコの人々や文化、食べ物、何よりもモダンなトルコ、という考え方が好きだ─ヨーロッパと中東の繫ぎ目にあって、モダンで世俗的な国、イスラム教の国、民主主義の国であり、かつて一度はアラブ/イスラエル/西欧の三者とも良好な関係を維持していた国だ。9/11の後に私は、〔トルコ・モデルTurkish model〕というものが〔ビン・ラティン主義Bin Ladenism〕への解毒剤になる…と考えて賞賛したうちの一人だった。もちろん、私が前回トルコを訪れた2005年に同国の官僚たちと論議したのは、主にトルコのEU加盟への努力に関する話題だった。だからこそ今日トルコに戻り、この国でイスラム原理主義の現政権が… 一見すると、EUへの加盟に照準を定めるのをやめ、アラブ連盟への加盟の方にフォーカスしはじめた ─いや、訂正しよう─ 対イスラエルのハマス-ヒズボラ-イラン抵抗勢力の前線への加盟にフォーカスしはじめた、ということを見るのは実にショッキングなことなのだ。

そしていまや、それはどのように起こったのか?

ちょっと待て、フリードマン!それはずい分とひどい誇張だ…、とトルコの高官たちは言う。

 そのとおりだ。私は誇張している、でもそれほど酷い誇張でもない。過去2,3年の間にトルコの国内外に生じたバキューム(真空状態)は、トルコにRecep Tayyip Erdogan首相の「正義と発展党」(Justiceand Development Party)が率いる、イスラム原理主義系の政府をもたらした─ 同国が、東洋と西洋の中間のバランス地点にあるという、その立場を忘れて。このことは、何か大きなもの示唆している。トルコのバランス地点としての役割は、国際政治にとっての最も重要な、静かなるスタビライザーのひとつだった。それが失われたときにだけ、あなたはそのことに気づく。イスタンブールにいることで、私はこれらの真空状態が間違ったものでふさがれた時に、我々はそのようなトルコを失う道の途上にあると気づかされるのだ。

 最初の真空状態というものは、EU(欧州連合)のお陰によって生じた。10年間にわたってトルコ人たちに、君らがもしもEUに入りたいのなら法律を改正し、経済や、少数民族の権利、市民と軍の関係などにも改革が必要だ、などといい続けた─それはErdogan政権が実際にシステマチックに行ってきたのだが─ しかし、今やEUのリーダーたちはトルコに対して告げた、「あれ、誰も君たちに言わなかったろうか?我々はクリスチャンのクラブだよ。イスラム教徒は加盟できないのだよ」、と。EUのトルコに対する拒絶、それは大きな悪い動きだが…それはトルコが、イランやアラブ諸国に接近するように促しているキー・ファクターなのだ。

 しかしトルコは、より南の方角を志向し始めたときに、そこには別の真空があることにも気づいた─アラブ-イスラム世界には、誰も指導者が存在しない、ということに…エジプトは漂流していて、サウジ・アラビアは眠っている。
 シリアは余りにも小さく、そしてイラクは、余りにもか弱い。Erdoganは、イスラエルによるガザ〔ハマス主導の〕地域の封鎖に対して超強硬派の政策をとること、またガザの閉鎖を破ろうとするトルコ人の率いる支援船flotilla号を静かに支援すること(そこでは8名のトルコ人が殺されたが)などによって…アラブの民衆やアラブの市場でのトルコの影響力を大いに拡大させられるかも知れないことを発見した。 もちろん、今日のアラブ世界ではErdoganは最も人気の高いリーダーだ。不運にもそれは、彼が民主主義や近代性とイスラムの統合を推進しているからではなく、彼がイスラエルによる占領を声高に非難して、西岸に責任をもつパレスチナ自治政府<彼らの方が現実にパレスチナ国家の基礎を形づくっているのにも拘わらず>よりも、ハマスを賞賛しているがためだ。

 こうした領土内において、イスラエルによる人権侵害への批判をするということは、何ら誤りではない。イスラエルがパレスチナ人の問題の解決のためにその創造力を揮うことに失敗したのは、もうひとつの危険な真空状態だ。しかしErdoganがイスラエルを殺人者として非難しながら、同時にアンカラ(首都)でスーダンの大統領Omar Hassan al-Bashir(ダルフールの流血における戦争犯罪と人道に対する罪でICCから訴追中の)を温かく迎えたり、またイランで投票の公正なカウントを要求した何千人もの人々を殺害したアフマディネジャド大統領を丁重に迎えたりしていることには、問題がある。Erdoganは彼がBashir大統領の訪問を受け入れたことについて、こういっている:「イスラム教徒がジェノサイド(民族虐殺)を行うことはありえない」、と。

 あるトルコの外交政策アナリストは私にこういった、「我々は東洋と西洋の間をこれ以上、仲介することはできない。我々は、東洋の最も後退した要素のスポークスマンとなったのだ」─

 最後に…トルコのなかにも、真空状態がある。世俗的な野党勢力はこれまで何十年も、ほとんど足並みが揃わなかったし、軍部は盗聴活動による脅しに屈し、報道メディアは政府の圧力でますます自己検閲へと追い込まれつつある。9月には、Erdogan政府は同国最大の、高い影響力をもち批判的な(評論を書く)メディア・コングロマリット(複合企業)であるDogan Holdingsに25億ドルの追徴課税をして、政府の意に従わせようとしている。同時に、Erdoganは昨今、国内での支持を高めるべく、そのパブリック・スピーチのなかでイスラエルをますます辛らつに批判している─イスラエル人たちを殺人者と呼んで。彼はいつも、彼の批判者たちを「イスラエルの契約業者」「テル・アビブの弁護士たち」と呼ぶ。

 これは、悲しいことだ。Erdoganは賢明でカリスマ的で、とてもプラグマチックにもなれる。彼は独裁者ではない。私は彼がアラブの民衆の間で最も人気のあるリーダーになってほしいが、ハマスに迎合して、アラブの原理主義者たちよりもラディカルになってほしくはない。そして彼には、アラブの非民主主義的なリーダーたちよりも民主主義をいっそう弁護し、パレスチナとイスラエルの間のバランスある途をとりもってほしい。それはしかし、Erdoganの今いる場所ではないし、そのことが問題なのだ。おそらくオバマ大統領は、彼を週末にキャンプ・デービッドに招き、米国-トルコの関係の前の空気をクリアにして…その向かう先が絶壁であることをみせてほしい。
http://www.nytimes.com/2010/06/16/opinion/16friedman.html?hp=&pagewanted=print

*下左はパレスチナのアーチストNour al-MasriがFlotillaの事件直後に描いたガザでのErdogan大統領の絵だとか。
 

          











*今回のガザ援助船Flotillaのイスラエル軍による襲撃事件ではトルコ人8名が殺害されトルコとイスラエルとの関係は過去最悪に… Erdoganは国連のイラン制裁継続にも不支持を表明、対米関係も悪化している…
*写真はガザのハーンユニスの難民キャンプで、Flotillaの事件の1週間後に生まれたRajab Erdogan…。母親のDalia(22歳)は赤ん坊をトルコの首相にちなんで名づけ、メディア向けにトルコの国旗に包んでみせた… 

Tuesday, June 15, 2010

ヘレン・トーマスはなぜ、辞めねばならなかったのか?/Helen Thomas, veteran reporter: why she had to resign - By Chris McGreal


彼女の引退に、米国メディアでは彼女の長年の業績をたたえつつも譴責口調の記事や、少し冷淡な記事が多い …そんな中で英国のガーディアンのWH特派員の書いたコラムはやや客観的?

ベテラン記者・ヘレン・トーマスが引退:彼女はなぜ、辞めねばならなかったのか?
By クリス・マクグリール (6/9、The Guardian)


 彼女の熾烈な質問はホワイトハウスのスタッフにショックを与えた; カストロは、彼女の質問への答えを拒否した。そして今、ベテラン・レポーターは引退を余儀なくされた…

 フィデル・カストロはかつて、キューバの民主主義と米国の民主主義の違いは何かと問われた…そのとき、老いた革命家は「自分はHelen Thomasからの質問には、答える必要はない」、と答えたという。

 ホワイト・ハウス詰めの記者団のグランド・デイム(女性第一人者)として、9代にわたる大統領の任期を取材し─ カストロ政権をも取材した彼女は、遂に今週その決然とした、頑固な質問を終わらせ、引退することを強いられた─ 彼女のハートに最も近い、中東地域に関するそのコメントをめぐって。
 女性ジャーナリストの草分けとして想起されながら、気難しい、老いた反骨家でもある89歳の彼女の引退には、好意的なお名残りの儀式さえもなかった。ホワイトハウスの記者会見室の最前列にある彼女の定席(昨今、そこには彼女の名だけが記され、所属する組織の名は書かれていない)は〔今日現在〕空席として残されている。
 トーマスのことを偏屈(怒りっぽい)とか、頑固で強情、人の意見に聞く耳をもたない…などと様々に評する記者たちには、彼女が最後に一人のラビに対して、「ユダヤ人はパレスチナから追い出されるべきだ」、「ポーランドやドイツの故郷に帰るべきだ」などと発言して、一線を越えたことも不思議なことではない。
 しかし怒涛のような怒りや批判はトーマスの、その高尚なステータスによって和らげられていたのだ。
 
 彼女は引退にいたるまでの間、多くの拳を世に示してきた:ナショナル・プレス・クラブの最初の女性幹部として、そしてホワイトハウス特派員協会の初代女性総裁として。彼女はホワイトハウス詰め記者として、他の誰よりも長く勤務してきた─半世紀にわたって。彼女はまた、おそらくカップケーキをひっさげて到着したバラク・オバマ大統領に、誕生日のケーキを配達してもらった最初の特派員(彼ら二人の誕生日は、同じ日なのだ)でもあった。

 トーマスは1943年に、UPI(United Press International)が未だに米国のジャーナリズムにおける有力な勢力だった頃に、同社に入社した。彼女は23歳で、レバノン系移民の両親に育てられたデトロイトを出てから、まだ間もなかった。彼女のUPIでの最初の仕事とは、女性問題の取材だった。彼女は司法省やFBI、その他の連邦政府機関の担当に変わった後には、セレブリティに関するコラムを書いた。彼女は1960年代末に、次期大統領に選出されたJ.F.ケネディの取材に回されて以降、米国のリーダーたちを憤慨させる容赦ない質問の連発によって、名声を打ち立てた。ケネディは彼女についてこう言った、「ヘレンはきっと良い娘だろう、もしも彼女からあのメモ帳とエンピツを奪えたなら。」

 それは何十年もの間、こだまの如く響き続けた人々の彼女への感情だった。「我々は、どこかに彼女を送り込める戦場はないだろうか?」と、前国務長官のコリン・パウエルは問うたことがあった。
 トーマスの決然とした質問と、率直な記事は、長い間白人男性の専用クラブ同然だった報道記者たちが、その取材対象の政府高官たちにとって余りにも居心地が良すぎるとみなされ、今もなお変わらないその状況を、少しずつ切り崩してきた。長年にわたり彼女はしばしば、プレスルームで唯一の女性だった。
 ホワイトハウスの特派員たちがリンドン・ジョンソン大統領に質問を行っている古い写真でも、トーマスはただ一人の女性だ。彼女はまたリチャード・ニクソン大統領が1972年に中国に歴史的訪問をした際にも、同行した唯一の女性新聞記者だった。バーバラ・ウォルターズはNBCのTVニュースチームの一員として加わってはいたが。

 彼女は、大統領の記者会見のTV中継では、すぐに見分けられる顔のひとりとなった。彼女はまた、Dave と The American Presidentという2本の映画でも、彼女自身を演じた事で有名だった。トーマスは2000年に、統一教会のリーダー文鮮明師がUPIを買収した後に、UPIを辞めた。彼女はその買収を“遠すぎた橋(a bridge too far)”のようだ、と述べた。彼女は同社に57年間勤めたが、その半分近くの期間はUPIのホワイトハウス支局のチーフとして勤めた。そしてそれが、彼女の最後のキャリアとなるはずだった。彼女はその時、「自分が流していた毎日のニュース報道への拍車に終止符を打つ」…つもりだったという。しかし彼女はHearst紙から、コラムニストにならないか、という誘いを受けた。

 「私は喜んでこう答えた、勿論やりますとも…と。この様に人に話して何年も経った今では、自分がどんなにその仕事をやりたかったかも話せるのよ。別のポイントを言うなら、私は毎日朝起きると、“今日こんなに自分が怒っている相手とは、一体誰なのか?”と自問していたところだったのよ…」、と彼女はその自伝、“Thanks For The Memories, Mr President”で述べている。多くの自分の同僚たちは彼女がそれまで、彼女が世間にその仕事に就かせてもらえなかった、と考えていたことを知って驚いた。

 しかしまず第一に、ホワイトハウスの会見室の最前列の彼女の席に関する問題がある。規則の上では、その席は大手のメディアのいずれかに所属する誰かに譲られるべきだった。しかしABCニュースのお喋りな前特派員、Sam Donaldsonによれば、誰にも彼女に後列の席に移ってほしいなどということは想像できなかったので、彼女はその席を維持し続けていた、という。
 そのことはトーマスに… ホワイトハウスの会見室の最前列に座ったオピニオン・コラムニストとしての第一人者、という名をも与える。そして彼女の同僚たちは、彼女がよりいっそう大胆で、自説を曲げない質問を放っていた事を思い起こす。
 ジョージ・ブッシュ大統領は、論議をかもした選挙の末に大統領になった。その後、トーマスはイラク戦争に反対する彼女自身の意見を隠さず、他の同僚たちが9月11日以降の米国の雰囲気のなかでは言うのを避けていたような質問も、決然と発していた。

 2002年に彼女は、ホワイトハウスではほとんど誰もあえて質問しなかった質問をした:「大統領は、パレスチナ人たちには35年間にわたる暴力的な軍事的占領と抑圧に対して、反抗する権利があると思うか?」と。
 彼女の質問は時々、あまりにも敵対心に満ちていたために、ブッシュ大統領の報道補佐官の一人Ari Fleischerはこう言ったこともある、「皆さんに何分間かの弁護(見解の擁護)の時間を与えるために、我々は今日の質疑応答の時間を一時、中断します」─、と。しかし彼女はリベラルな大統領たちに対しても、困難な時を与える事を厭わなかった。ワシントン・ポストのホワイトハウス記者であるScott Wilsonは、トーマスはオバマ大統領に対しても容赦をしなかった、という。「彼女には、現政権を信頼できるものだと捉えようとする、こつ(要領のよさ)がある、特にその中東政策に関して。彼女は中東のどの国が核兵器を所有しているのか、についても質問をした。」と彼はいう。「彼らは彼女が、真面目に言っているとは信じられなかった。(しかし)彼女の質問は答えを要求した。」

 それらの質問に対する答えを、彼らはほとんど得られなかったが、そのことは質問された側にも、それに劣らないフラストレーションを与えたのだ。「あなたの外交政策と、ブッシュの外交政策の違いは?」と彼女は大統領補佐官のRobert Gibbsに尋ねた。

 彼女は最近のガザへの援助船flotilla号の事件についても、その率直な意見を放ち、その事件を“計画された(意図的な)国際的犯罪”だ、と呼んだ。ニューヨークタイムズは、彼女の引退に関する記事で、大統領について取材する記者たちには、2つの異なるルールが適用されていた、と書いた。「ホワイトハウスに詰める常勤の記者たちへのルールと、そしてヘレン・トーマスへのルールだった」、と。しかし、それに代わる見解とはまた、トーマスがホワイトハウスのしばしば臆病な報道陣のなかの、勇気ある声だった、というものに違いないだろう。

 ホワイトハウスの記者たちでさえ時に彼女にいらいらさせられたが、彼女の血統を尊敬し、その欠点とは彼女の年齢によるものだ、と思って妥協していた。彼女は身体的な衰えが進み、デスクから会見室の彼女の席まで歩くにも他の記者の助けを借りる必要があり、また会見中には時々居眠りもした。彼女が毎日の定例記者会見に現れる回数は、徐々に減っていった。おそらくトーマスが現実と遊離してしまったことの最大の証拠は、ホワイトハウスのJewish heritage month(ユダヤ人の遺産月間)のイベントの場で、ビデオカメラの前でラビに対して言った言葉─イスラエルのユダヤ人たちはポーランドとドイツに帰るべきだ─という発言のもたらす結果を、考えられなかったことだ。彼女のレバノン系としてのバックグラウンドを考えれば、それは彼女がずっと考えてきたことであるに違いない。しかし彼女は、そのことに対する抗議に驚くべきではない。
 
 トーマスのことを友人であると称するDonaldsonは、彼は彼女のコメントへの擁護はしないものの、それはおそらく多くのアラブ系の人々の抱く見解を反映するものだろう、という。そして彼は、彼女が女性にとっての“パイオニア”だ、とも呼ぶ。「誰もヘレンから、それを奪うことはできない」、と彼は言う。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jun/08/helen-thomas-reporter-why-resign

Helen Thomas Dropped by Her Speakers’ Agency (6/7、NY Times)

 長年にわたるホワイトハウス担当の記者で、コラムニストのヘレン・トーマスは、イスラエルが「パレスチナから退散すべきだ」とビデオのなかで発言した後、日曜日に彼女のエージェンシーから解雇された。トーマス女史のこのコメントはすばやく、ホワイトハウスの元高官のグループと、「名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League、反ユダヤ言論の監視団体)」によって非難された。ホワイトハウスの記者団たちは、彼女の会見室での最前列の席は月曜日には空席のままであると述べた。

 月曜日朝、ホワイトハウスの報道官ロバート・ギブスは、トーマスの発言が「攻撃的(侮辱的)で、非難に値する」と述べた。そのビデオでは、5月27日のホワイトハウスでのJewish Heritage Celebrationの場で、彼女にRabbiLive.comというウェブサイトのRabbi David F. Nesenoffが「イスラエルに対する何かコメントは?」と尋ねており、(この日彼はすべての人に、同じ質問をしていた)これに対して、彼女はすぐさま、「彼らには、パレスチナから退散せよと命ずるべきだ」(“Tell them to get the hell out of Palestine.”)と答えていた…(以下略)
http://mediadecoder.blogs.nytimes.com/2010/06/07/helen-thomas-dropped-by-her-speakers-agency/


*NYTimesのReaders' Comments
1.Steve Bolger New York City ドイツと、ポーランドに住んでいたほとんどのユダヤ人はいまだにここ(米国、あるいはNY)に住んでいる、彼らの骨と灰は、ここの土と混ざり合っている。

2.Tony New York
ヘレン・トーマス…メインストリーム・メディアの長老は、彼女の本性を示した。誰が、こんな頑固者に尊敬を示すものか。彼女は、荷物をまとめて去るときだ。たぶん彼女はその出身地の頑迷な岩の下にまた、はい戻るべきだろう。

3.seattlesh Seattle
ヘレン、恥を知れ。アメリカは毎日、その醜さを増しているようだ。

4.john john PA
自分は未だに、ヘレン・トーマスがブッシュ(Dubya)になぜイラク戦争を仕掛けたかの理由を問うた質問に、ブッシュが答えるのを待っている。

5.Planet Earth
みんな、彼女の謝罪の言葉を本当に信じるのだろうか?ユダヤ人の遺産月間の祝賀イベントの最中に、彼女があんな言葉をラビに発したというのに─ いかに、彼女の憎しみが深いかを示しているのに。もしもリベラルな大統領がいるときは、権力のある地位の人々は、彼らのようなフリークの旗をはためかせるのか?こういうコメントが「ホワイトハウス記者団のトップ」から発せられたときにどうして、誰ひとりとして、他の情報ソースから自分の為の情報を集めもせず…、テロリストとは何なのかに誰も気がつかないのか?明らかに、彼女は引退すべきだ、…直ちに。

6.Ed Hoboken
トーマス女史の発言は軽率かもしれないが、ホワイトハウスは今や記者の発言を矯正する仕事を始めたというのか?

7.Steve Ridgewood, NJ
たぶんいまや、ヘレン・トーマスにとっては、彼女自身が言ったように、ホワイトハウスを、"退散get the hell out"すべきときだ。

8.<このコメントはモデレーターにより削除された>

9.Dan G NH
NYタイムスの、この事件への注目が余りに少ないことに驚いた。ヘレン・トーマス(レバノン系の)の声明では、まるで何かのグループ、または宗教団体が彼女を追い出したように書いていた、そしてその代わりにNYタイムスは、この出来事をさらけ出すのではなく、この事件に共謀した形で取材していた。これはフロントページに書かれるべきストーリーだ。恥を知れNYタイムス。この報道メディアのメンバーによる酷い態度についての社説は、一体どこに書かれているのか?

10.David NYC (*最も推薦されるコメント)
ヘレン・トーマスにとって、引退すべきときだ。ホワイトハウスの会見席の最前列に「コラムニスト」が座る理由はない。こうした席は、現職のジャーナリストのためにあるべきで(私はこの語を、現在プレスルームにいる人間たちの面子を見て、とてもあいまいに、使っているが)、そしてヘレンのような党派心に固まった記者のものであるべきでない。彼女は彼女のポジションを何十年も濫用し、そしてこの最新の彼女の口から出た猥褻な言葉は、破滅への最後の決定的な一撃になった。我々は、彼女が米国にいるアフリカ系アメリカ人がアフリカに帰るべきだ、などといったとしても、そんなことを論議すべきでない、と思うのではないか?彼女は先週あんな発言をしたとき、すぐに追い出されるべきだった。なぜユダヤ人に対する頑迷なコメントが異なる扱いを受けねばならないのだろう?

11.AIT Miami, FL
ヘレン・トーマスの発言は、彼女がずっとそうであったように非常に党派的で、多くの人の怒りを喚起するが、しかし彼女を反ユダヤ的と糾弾することには、何の目的があるのだろうか?彼女は年をとり、そしておそらく引退も寸前だった。人々が、彼女が非難されるべきだというのは正しいが、しかし彼女の首を取る形でいうのは、正しくないのではないか?彼女の成し遂げたすべての業績の記録を見てみよ、そしてわれわれが皆で、老いて衰えつつある89歳の女性にタックルをして地に倒したりして喜ぶのを止めるべきだ。

12.Mary Los Angeles
これは、political correctness(政治的公正さ、差別語禁止)がワイルドにはしりすぎてしまった例だ。トーマスは、ジャーナリズムの偶像だった…彼女には、そうするすべての権利があった。ユダヤ人がパレスチナから出て行くべき、と示唆するのはよいことだ。ユダヤ人にヨーロッパに帰れ、というのは少しばかり、度が過ぎて(上限を超ええて)いるだろう、でも、それのどこがレイシストなのだろうか?私の義理の姉妹はユダヤ人で…ルーマニアから来た人たちだ。私の兄弟はイタリアと、そして英国で育ったローマンカトリックだ。彼はバプチスト系の聖職者と結婚した。彼らは彼らの娘を、ユダヤ修正主義に沿って育て、そして彼らの息子をローマンカトリックに沿って育てた。この私の家族の全てが、パレスチナ人が受けているユダヤ人による処遇に反対している。それは私達がレイシストだということを意味するのか?私はそうは思わない。STOP THIS OVER THE TOP POLITICAL CORRECTNESS!(このゆき過ぎた政治的公正主義をやめて欲しい!)私はリベラルだし、そして私はこういうナンセンスにはもううんざりした。

13.Pharrell Brooklyn, NY
いつも投稿セクションに、こっけいな五行詩を書き込む男はどこにいるのかな?私は彼に“Fomemt(煽る、先導する)”という言葉と“Senior moment(老齢のとき)”という言葉とで韻を踏んだ五行詩を書くよう勧めたい…

14.CjmEsq Bronx, NY
彼女の発言は彼女の老齢のなせる業だ、と結論づける人たちがいるが、私は彼女の検閲されない(non-filtered)発言は、彼女の本当の信念だと思う─ なぜなら、彼女はこの仕事を1950年代に始めているからだ。そしてトルコ、イラン、ハマス、ヒズボラ、サウジアラビアなどなどの国々…は、この発言でこれ以上幸福に感ずることはないだろう。

15.tc nyc
ワオ、自分が推測するに、アメリカの言論の自由は死んだ。

16.Larry Eisenberg NYC
私はかつて一度、ヘレンTの言っていることは真実だと思った、健全な(有益な)、前衛的なものの見方、反ユダヤの世界観だ。ショッキングなニュースで、私を驚かせてほしい。私のリアクションは、「ヘレン、お前もか?」だ。

17.Ed Virginia
「イスラエル」は1947-48年に、歴史上最も迫害を受けた民族に、彼ら自身の国を与えるもの、として建国された。それ以来、同国はアグレッシブに自身を防衛した─ときに、攻撃的軍事キャンペーンによって、そしてその他の決断に満ちた攻撃によって。このことで、彼らは多くの平和主義者からの、非難を受けた。しかしこの国が「なぜ」存在し、何に直面しているか、のより大きな構図(─彼らの敵からのある種の絶滅作戦だ─)を描くことなしに、またはそれを受け容れることなしには、我々は同じ過ちをトーマス女史のように、犯してしまう可能性があり、前の世紀に虐殺された何百万ものユダヤ人たちの記憶をも、侮辱してしまう可能性がある。

私はこれらの投稿のなかの誇大的なことばが、ここに軽々しく掲載されていることを、特に嫌悪している…しかしこの件では、そのような狭量な(我慢できない)反イスラエル的な感情には、完全に弁解の余地がない─ユダヤ人たちの歴史上の苦難について鈍感すぎる、そして私はヒトラーが始めたことを、国際的な方法で終わらせるために、向こう見ずな誓いをのべる者たちの方に味方したい。

我々の国は自由の国だし、トーマス女史の権利は尊重されるべきだろうが、しかしモダンな社会において彼女の態度が許される場所はない。もしもトーマス女史がこのように感じているなら、Hearst誌(彼女の所属メディア)はITSの利益を追求すべきだし、そして彼女の信頼性を取り下げる(ビジネス的に)ことを義務と考えるに違いない。彼らはこれ以上彼女に、彼女のこんな攻撃的(侮辱的)な発言を許す場を、与えられないかもしれない。彼女がこのように舞台を去るのをみるのは悲しい。彼女はホワイトハウスの記者団の何世代にもわたる偶像だったのだ。

18.Henry Porter Seattle(*最も推薦されるコメント)
私はパレスチナ人たちに懸念を抱くイスラエル政府の人たちから、はるかに酷いことを聞いたものだ…それは通常、ハマスがロケット攻撃を行ったすぐ後のことだった。なぜなら、考えてみてくれ、人々は騒ぎのさなかになると物を言いたがるものだからだ…それは彼らの魂の中を覗く窓ではない代わりに、それは怒りやフラストレーション、動転し、戸惑う心の言葉の噴出に過ぎないのだ。一番ショッキングなのは、誰もが─ロバート・ギブスや、WHCA、Hearsts誌などが皆…─彼ら自身、89歳の老女から自分自身の距離を置こうとして、互いに倒れあっって、折り重なりあっていることだ─ 彼女はその人生を通じて数多の賞賛すべき行いをした挙句に、一つの間違いを冒し、それについて謝罪しただけなのに。ワオ、彼女は悪魔の生まれ変わりだろう、確かに!

19.Larry Buchas New Britain, CT
これらのコメントにはびっくりする…お呼びでない(おこがましい)ものばかりだ。

21.Bob of Newton MA
ワオ、イスラエル・ロビーのことは好きではないが、レッスンはさせて貰ったよ。

22.YRL NY, NY
言論の自由が報道メディアからすらなくなってしまった!内容の正しい、正しくないは忘れるべきだ。

23.Glen New York City 
彼女は大声で、他の多くの人々も考えていることを、言っただけだ。

24.Patrick NYC 
こんな長いキャリアを終わらせるには、これは悲しすぎるやり方だ。

25.(*最も推薦されるコメント)
トーマスの発言を決して擁護はしたくないが… 頑迷でニュースを伝えるジャーナリストにはふさわしくないから─ しかしこれは老齢と、脳機能の退化によって噴出した可能性があると思わないのか? 多くの老人たちは歳をとるにしたがってより狭量になるし、より意地悪になる。(私の、頑健なリベラル派の祖母は、歳をとってとんでもないことを言い出したので、我々は「なぜおばあちゃんは、ナチなのか」という記事を配信したものだ…)
ヘレン・トーマスは卓越したジャーナリストだったし、現実の世界に影響を及ぼすとんでもない政策を左右する多くの政治家の足を、火の上にくべた…たとえばティーンエージャーたちをイラクに死にに行かせたり、または企業の利潤追求に汲々として社会のシステムを犠牲にしたり、環境を汚染したり、そして普通の人々にそうした混乱の代償を…何十億ドルもの代償を…払わせる、彼らの楽しみのために(─彼女はそうした政治家たちを追及した)。そうだ、いまやトーマスは去るべきときだ…しかしその世界が終わりつつあるこの年老いた女性には、もっと全体的展望と共感をも、抱くべきだろう…
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2010/06/07/white-house-blasts-reporters-remarks/

フォトギャラリー:Helen Thomas’s Career
http://www.nytimes.com/slideshow/2010/06/07/us/20100608-THOMAS.html

*6月8日付NYタイムスでは国内ニュース別刷りセクションのトップで、大きくこのジャーナリストの引退を報じていた(http://opinion.infoseek.co.jp/article/895 金平氏のBlogに写真がある)
*同紙では一応敬意を表した扱いであったというが、これらのThe caucusなどのNytの Blog の記事を見ると雰囲気は微妙。ややその冷淡さに驚く(特に上のThe Caucus blogの写真はかなり酷い)

Saturday, May 29, 2010

金銭的悩み、長い沈黙、そしてイスラムへの熱意/ Money Woes, Long Silences and a Zeal for Islam


5/1 のタイムズ・スクエアの車爆弾による爆破未遂事件から、わずか4日…
NYTが総力で集めた…容疑者ファイサル・シャハザドについての噂話…

金銭的悩み、長い沈黙、そしてイスラムへの熱意  
By JAMES BARRON and SABRINA TAVERNISE (5/5, The New York Times)
 


彼らの結婚は、見合い結婚だった:パキスタンの著名な家族の高学歴の子女同士が、共通の友人を通じてお膳立てしたものだ。彼は物静かな性格…;一方、彼女はパーティーで笑い声をあげるタイプだった。

6年前の、ペシャワールでの結婚式では、男たちと女たちは別々にダンスをし、また一緒にもダンスをした、”あの頃にしては珍しかった"、とゲストの一人は語る。"それはとても大きなパーティーで、カタールに住む彼らの家族の友人たちまで来ていた。”

彼らが米国に帰ると、彼の勤務していた化粧品会社エリザベス・アーデンで、同僚たちが小さなオフィス・パーティーを開いた。

その夫、Faisal Shahzadは、彼の妻Huma Mianの写真をコネチカット州スタンフォードの勤務先のオフィスに飾った。彼らは35マイル先、SheltonのLong Hill Avenue に27万3千ドルを支払って新居を購入した。
彼らが新居に移ってくる前から、彼女は妊娠していたのだ、と近隣の住民は回想する。

Shahazad氏が新たな1日の間に、車爆弾について捜査官に語った事によれば、彼は土曜日にタイムズ・スクエアを車で訪れたことを認め…また水曜日までの尋問では、カップルの共同の暮らしの詳細や、彼が過激な思想にはまっていった経緯への推測が浮かび上がってきた。コネチカットとパキスタンの両方で彼らを知る人々は、彼は過去2年ほどの間に変わったという─彼らの家族を知る者のいうところでは、彼は「金銭的なトラブル」に直面して以来、より控えめで物静かになり、宗教的になったという。

彼のあるパキスタンの友人はこういう──昨年、彼は彼の父親…退職したパキスタン空軍の上級パイロットのBahar ul-Haq… に対してさえ、アフガニスタンで戦うことを許してくれるように頼んだのだという。

Haq氏はいま70代だが、その時の会話をよく知る者によれば、彼は(息子の頼みを)頑固として拒み、そのミッションに許可を与えず…イスラムは男が妻子を放棄することを認めない、といって念を押したのだという。

彼の結婚式に参加したあるゲストは、ShahzadについてパキスタンからのE-mailで、こう答えた: "新婚の人間として…彼には過激派になったような兆しは全然なかったし、その手のことにおいては、彼は宗教的なタイプではなかった" ─だが過去2年の間に、彼は仕事を変えたり、2人の子供の父親として務めたりしていた挙句に、"より一層イスラムについて語るようになっていった" ─そのゲストは、車爆弾の未遂事件の後での身の安全を考慮して、匿名を条件に話した。

"不況が彼らに犠牲をしいたのだろうと思う"、と彼はE-mailのなかで書く。2008年か09年頃に、彼らの金の心配が明白になっていき、"Shahzadは経済的問題のなかで彼の道を見失っていった”。JPモルガン・チェイス銀行がSheltonの彼の家をフォアクロージャーを理由に差し押さえ、カップルはその家に衣類やおもちゃを残して、せわしなく出て行った。

2月には、Shahzad氏はコネチカット州のBridgeportに2ベッドルームのアパートを借りた。彼の大家は、彼の妻を一度も見たことはなかったという。Shahzad氏の家族の先祖の村であるMohib Bandaの出身の友人、Faiz Ahmadがいうには─彼が最後にShahzadを見たのは結婚式から1年半後だったが、何かがうまくいっていないと確信したという。Shahzad氏の感じは変わっていた ─独りで座り、余り喋ろうとしなかった。

彼は、"ソファーに腰掛けて完全に黙っていた、まるで心配事があるかのように、そして何か内面的な変化を経験しているかのように”、とAhmed氏はいう。"そして彼は、沈黙、さらに沈黙をし続けながら座っていた。その沈黙それ自体が謎だった。"

あるパキスタン人の男性に対し、Shahzad氏の家族の友人であるその知り合いの人物が語ったことでは─ 昨年Shahzad氏はその友人に会ったときに、友人の手に持ったウィスキーのグラスを…厳格なジハード主義者には典型的な、罪を裁くときのような目つきでじっと見つめていたという。

Shahzad氏は今30歳だが、よくあるフラストレーションの孤をたどり、加速的に宗教的になって行った果てに、暴力に行き着いたようにも見える。彼はパキスタンで生まれ育った…少なくとも3箇所の土地、カラチ、ラワルピンディ、そしてMohib Bandaに住む、特権的な家族により育てられたのだ─ 彼の父Haq氏とは…Ahmed氏によれば、"近代的な考え方をする、近代的な世代の人物のひとりなのだ″、という。

水曜日にインタビューを受けた家族の友人たちによれば、彼らはHaq氏が、パキスタン西部のDera Ghazi Khanの町(そこに彼の家族は小麦の農耕地を持っているが)に隠れているのだろう、という。 Shahzad氏の妻もまたパキスタンに居ると思われるものの、彼女の居場所はわかっていない。パキスタンの日刊紙Dawnは、彼女の父親がカラチで逮捕されたが、パキスタン当局には未だそれを確認できていないとしている。

Shahzad氏は4人兄弟の末っ子だが、軍事独裁者のZia ul-Haq(前大統領)がパキスタンの教育システムに厳格なイスラム思想を持ち込んだ時期より後に生まれた、新たな世代だという。同政権の頃には、同時に強硬派のモスクが資金や土地を与えられ、狭溢でしばしば宗派的な世界観を謳い上げて、若いパキスタン人たちに暗い覆いを投げかけていた。

(Shahzad氏の妻の)Ms.Mianは4人兄妹の長女としてコロラド州に生まれたが、夏休み時にはパキスタンに帰って過ごし、子供時代には、彼女のカタール在住の家族と一緒に住んでいた事もある、と結婚式に出席したゲストは語る。彼女の父親Mohammad Asif Mian氏は、コロラド州のColorado School of Mines in Goldenで1980年代に2つの修士号を取得し、4冊の本を書いているという。

ベストセラーとなった2002年発刊の彼の著書、“Project Economics and Decision Analysis”のなかでMian氏は、家族の忍耐とサポートへの謝辞に加え、こう記している─“コロラド大学のわが娘が、その名前を学長のリストに連ねたことに特別な感謝を捧げたい、このことは私の情熱に大きく貢献した”、と。

Ms.Mianとその姉妹たち、SabaとHinaは共にデンバー地域のカレッジで学び、2003,4年にはBoulderにあるコロラド大学のキャンパスのすぐ外側の家をシェアしていた。

Human Mianは2004年に会計学の学位を取った後に、すぐShahzad氏と結婚し、コネチカットに引越したが ─その地において彼は、Bridgeport大学のMBAコースで学んでいた。また、高度のスキルをもつ労働者に与えられるH-1Bビザの下でElizabeth Ardenの営業アナリストとして働き、売掛債権の管理と分析を担当していたと…MSNBCが入手した履歴書が物語っている。

″…彼女は赤ん坊のミルクや他の全ての物を買う必要があるのに、一人の収入のみでどうやってやりくりしているのだろうか、と自分はいつも驚かされた”と、Sheltonの近隣住人のBrenda J. Thurmanはいう。

Ms.Mianが2008年の末、あるいは2009年の初めに2ヶ月ほど家を留守にしていた際…Ms.ThurmanにShahzad氏は、妻は2人目の子供の出産のためパキスタンに行く、と語っていたという。数ヶ月のうちに彼女は戻ってきたが、彼らは荷物をまとめ、昨年の夏、再び家を出た。2006年にElizabeth Arden を退職したShahzad氏は、コネチカット州ノーウォークの財務マネジメント・サービス会社、Affinion社の顧客レポート・アナリストになった。

今週、ゴミの山が残された彼らのSheltonの家の外には、彼らの生活を物語る手掛かりが溢れていた。そこには裏面にアラビア語の文字が書かれたNairなるブランドの保湿剤の包みや、メイクアップブラシ、Japanese cherry blossomの香りのボディ用芳香剤、赤ん坊へのギフトと見受けられる包装紙やギフトバッグが残されていた…。

“Faisal, Huma and Alishaba”との宛名が書かれた封筒…その中にあるカードには、“あなた方の、新たな小さな女の子のお誕生おめでとう”、とも書かれていた。

どうやって、なぜ、どこでShahzad氏が過激な思想に染まったのかは定かでない。コネチカット州のパキスタン系米国人団体の設立者、Dr. Saud Anwarは、Shahzad氏の名前が車爆弾の関与者として浮かび上がるとすぐに、コネチカットのモスリムやパキスタン人たちのグループを戸別に訪ねてみたが、彼はそのいずれにも所属していなかったという。

しかしDr.Anwarは、Shahzad氏の大学時代のクラスメートとは連絡をとり続けていたのだという…パキスタン生まれのこのクラスメートは、メディアの記者に取材されたくないとDr. Anwarに語ったという…彼はこのカップルとずっと友人だったが、1年ほど前、Shahzad氏が変わっていたことに気づいた。

″彼は人柄が変わっていた…彼は以前より内向的になった”、とそのクラスメートは語った。″彼はより強い宗教的なアイデンティティに目覚めて、物事全てに対するより強い感受性や、より強い意見を抱いていた″─Dr.Anwarはそのクラスメートに、彼の変化は何らかの組織に関わったが故なのかと問うたが、彼が観るには、Shahzad氏は“自分で全てを勉強したようだった”という。

Mmohib Bandaの友人であったAhmad氏は、彼のこうした変化はカラチにルーツがあるだろう、と推測した─Shahzad氏の仲間の一人がそこで、火曜日の朝に、カラチの武装グループと関連があると思われるモスクで逮捕されたとパキスタン当局は発表した。

“疑問なのは、誰がFaisalをその道に誘い込んだのかだ”とAhmed氏は問いかける。“貴方の見た髭面のFaisalは、もう昔のFaisalではない。彼は貴方や、私と同じような人間であり、ハンサムでリベラルで、活動的な人間だったが”、と彼はいう。

パキスタンの情報相によるとShahzad氏は、過去7年間にパキスタンへ13回旅行している。彼の家族を知るあるパキスタンの役人によると、Shahzad氏のパキスタンへの旅行が短期的なものばかりだったなら、彼が原理主義化したはずはない─そうした旅は、結婚式などの家族的な用事に忙殺されがちだからだ。火曜日に提出された彼に対する犯罪容疑の申立書では、彼はこの2月に5ヶ月の旅行から帰国したという。申立て書ではまた、ワジリスタンで爆弾の製造方法について訓練を受けたという。

彼の家族のいま一人のパキスタンの友人、Kifayat Ali氏は、Shahzad氏を“エモーショナル”だったと評し、彼は子供時代にナイフを携帯していたという。彼はShahzad氏が、パキスタンのメディアの見出しを飾る陰謀説や反米的な毒舌記事に触発されて、米国の軍事行動に対する怒りを抱いたのではないかと推測する。

“一人の人間がアフガニスタンやイラクでの残虐行為を目にしたとする”とAli氏は語る、“こうした光景は、人々に影響を及ぼすものだ…”

MSNBC.comに水曜日に掲載されたレジュメでは、Shahzad氏は2001年半ば以降の5年間に、Elizabeth Arden社の3つの異なるポジションで働き、その後、Affinion社で3年間働いた。─Arden社において彼は、“貸倒損失金を47%削減”し、また、“損失分を250万ドル回復した”、と自ら記載している。Affinion社で彼は、“同社の上級顧客であるCitibankやBank of America、 Scotland王立銀行、Peoples Bank、US Bank、Wells Fargoその他、2つばかりの小さな顧客に対して、月々の契約で市場予測を提供していた”、としている。

Affinion社のスポークスマンJames Hart氏はいう、“そこには大分、レジュメのふくらましが見てとれる”、そしてShahzad氏は退社したときにも、“エントリー・レベルから少し、毛の生えた程度”の社員だった、という。

Elizabeth Arden社における前の上司のマネジャーによると、彼はその当時、同社で働く唯一のパキスタン人だったが、宗教的礼拝のための特別な取り計らいを頼んだことはなかったという。彼女が思い出すのは、9月11日にShahzad氏は他の社員たちと一緒に、オフィス内のラジオの周囲に寄り固まって、ワールド・トレードセンター・ビルへの攻撃に関する速報に耳をすませていた様子だという。

"彼はごくノーマルな人間だったと思う”、と彼女は回想する。"物事とは、いつでもそうなのではないかしら?こんな事をする人間とは常に、こんなことをするとは貴方が決して思わないような、ごくノーマルな人間なのでは?”
http://www.nytimes.com/2010/05/06/nyregion/06profile.html

Times Sq.の爆破未遂の事件発生直後にNYタイムスが集めたゴシップ記事のラストには、19人もの取材協力記者名のクレジットが…

*Shahzadの背景動機については、その後もいろいろ報道がだされたが、彼の動機は金銭問題や結婚のトラブル?

 (パキスタンでも以前から彼の何らかの関連のあったらしい者たちが逮捕されたが、Shahzadは訴追され罪が確定すれば終身刑の可能性もあるとか)

Sunday, May 2, 2010

「サウスパーク」の脅迫者は、ブルックリン育ちの元ハシディム?/Yousef Al-Khattab, Man Behind Virulent Islamic Website, Grew Up Jewish


「サウスパーク」の作者たちを脅迫した男のプロフィールを、地元ブログメディアが伝えている…
彼らの頭の中は、危ない内容が満載? 


悪意あるモスリムのウェブサイトの制作者、Yousef Al-Khattabはユダヤ人として育った─ By ビラル・ハイエ(4/23、ザ・ブルックリン・インク)

“editor 注 :当サイトはモハメッドを描いたサウスパークのアニメーターたちを「Revolution Muslim」が脅迫した際に、そのグループについて最初に報じ、彼らの創立者のAl-KhattabことJoseph Cohenのプロフィールを伝えた”

 「これが自分にとってのジハードなのか、どうかは分からない」、とYousef Al-Khattabはいう。「善を信奉し、悪を阻止するのが自分の義務なのだ」──ユダヤ教徒の間に生まれ、ユダヤ系の学校で教育を受け、ブルックリンのWilliamsburgにあるHassidic派のコミュニティや、ガザの入植地にも住んでいたことのある彼が達成したこの異様な状況… それは、彼が米国で制作しているウェブサイト“Revolution Muslim”に対し、全米のユダヤ人ブロガーやサイバー監視人たちからの激しい非難が集中するというものだった…。

 元の名をJoseph Cohenとして生まれたKhattabは、1998年にイスラエルのNetivotに滞在していた際に、ユダヤ人のチャット・ルームでUAEからきたというモスリムと出会い、その後にイスラム教に改宗したのだ、と述べている。宗教をめぐる彼らの交流は2年間続いたが、Khattabにとってその交流は彼がそれまで抱いていたユダヤ教への疑念を確信させることに繋がった…その後、彼は英訳版のコーランを読み、結果的にイスラム教徒として改宗した。その交流は彼の信じていた、ユダヤ教のラビたちはユダヤ人を従属的な立場に保ち続けるために、同胞たちを詐欺によって騙している、という考えを再確認させた…という。

 彼の妻と4人の子供たち(長子はその当時8歳)も、その後まもなく彼の後に続いて改宗した。

 Khattabはいま40歳でクイーンズに住んでおり、タクシー運転手をしているが、彼は毎日彼のウェブサイトと同名の組織の活動のなかで、資本主義やユダヤ教、イスラエルによるパレスチナ占領について非難している。頭を剃りあげ、口髭を短く刈り込み、ふさふさと顎鬚を生やしたKhattabは彼のウェブサイトで、流暢な英語とアラビア語で視聴者に語りかけては、不定期に更新されるビデオのなかで皮肉なウィットをきかせている。

 そのサイトには、酷たらしい血、爆弾やパレスチナの子供たちの遺体を映した数枚のスライドショーやビデオ画像が掲載されている。あるビデオに付けられたキャプションでは、彼は視聴者に対して統一ユダヤ人協会(United Jewish Federationや、ルバビッチ派本部(Chabad Lubavitchのような組織の指導者たちとは何者なのか…を見出すように呼びかけ、「彼らの本拠地において対決せよ」と述べている─ただし社会的礼節を保った、平和的な態度で、とも付け加えている。(*ルバビッチ派:Brooklynを本拠とする、超正統派ユダヤ教Hasidismの世界最大の宗派)

 別の投稿では、Khattabは人々に…イスラエル軍との関係が取り沙汰されるスターバックスをボイコットするように述べ、そして人々に、大きなユダヤ系組織の指導者たちにはパレスチナ人のジェノサイド(と彼が呼ぶもの)の支持者としての責任を問うべきだ、と呼びかけている。

 Khattabは、米国政府にとって、単に言論の自由を駆使しているだけの彼のウェブサイトに問題があるわけはない、と言う。しかし、彼が「責任がある」と名指ししている人物たちにとっては問題があるだろう、とも言う。こうした人たちにはLubavitch派や、Yeshiva 大学が含まれる─彼はそれらの機関が、イスラエルにパレスチナ人と戦う為の兵士たちや、イスラエルを支持する人間たちを送り出していると言う。

 「我々の憲法には、ユダヤ人やユダヤ教を愛さねばならないなどとは書いていない」、と彼は言う。彼は大体、ユダヤ人とは近づかないようにしているが─しかし彼は、ユダヤ人が嫌いなのではなく、ユダヤ教、あるいはラビ的ユダヤ教と宗教的ユダヤ人が嫌いなのだ─と言う。Khattabは(彼の定義するところの)、正統派ユダヤ教徒(Orthodox Jew)と、フラム・ユダヤ(frum Jew*)が嫌いな理由を述べる:その理由のなかには、ユダヤ人がアンダーグラウンド経済をコントロールしている、との訴えも含まれ、また米国において合衆国憲法のなかで宗教と政治の分離が規定された理由も、それらのユダヤ人なのだと言う。*ラビ的ユダヤ教:Rabbanical Judaism(正統派、超正統派などの別称。ラビのユダヤ教)/*フラム・ユダヤ:フラムの子ともいう(英国金融界、ロックフェラー等との繋がりが深いとか)

 彼はレバノン生まれのRashid Bazというある移民が、Brooklyn Bridgeの近くでルバビッチ派のHasidimたちをを満載したバスの中で銃を発射し、16歳の少年を殺した1994年の事件を想起している。「Bazはそれを次なるレベルにもっていったのだ」、と彼は言う─「彼はたぶんルバビッチ派のことをわれわれよりも一層、よく理解していたのだ」 (*Rashid Bazの事件の動機は、レバノン内戦でのイスラエル人によるアラブ人虐殺への報復だったとか)

 彼のユダヤ教に対する憎しみにも関わらず、彼にとっては、その見解を尊敬しているユダヤ人たちも幾人か存在する…例えばNoam Chomsky や Norman Finkelstein…つまりイスラエルの外交政策や人権侵害への歯に衣着せぬ批判者、そして多くのユダヤ人はホロコーストの事実に乗じてこれを利用している、といった見解を提起している人物たちだ。

 彼の意見は、Chomskyのアナキスト的な議論とは異なるが、彼はChomskyが米国の“neo-feudalist” culture(新封建主義的な文化)を批判して、米国の真の姿を暴露していることには尊敬の念を抱いているという。彼が話をするユダヤ人たちとは、“Noam Chomsky的な信念”のなかにいる世俗的ユダヤ人に限られ…そうした人々は彼と同じ位、宗教的ユダヤ人を憎んでいるという。しかしもしも正統派のユダヤ教徒が彼のタクシーを呼んだなら、彼は公平さへの義務として、その人物をタクシーに乗せてやる、と言う。

 私立探偵で、サイバー監視員でもあるBill Warnerは、米国内のジハード主義者による数個のウェブサイトの情報をインターネット・プロバイダーや当局に流すことで、それらの閉鎖を助けたという─彼はKhattabのような人々は、自分たち自身は行動しないで、他の人間たちを暴力的行動に駆り立てるという。「中東にどのような問題があろうとも、彼はそれをNYのクイーンズに持ち込む」、「彼は人々に、何かをさせようとする。」

 私立探偵Bill Warnerは、Revolution Muslimのサイトにあるこの画像は、Chabad Lubavitchへの脅迫を表していると言うが…、Yousef Al-Khattabはそうした主張は馬鹿げている、という─それは、あなたが判断して欲しい─
 …Khattabは最近、Revolution Muslimのサイトにブルックリンのクラウン・ハイツのChabad Lubavitch(ルバビッチ派本部)の画像をのせ…そのキャプションのコメントで、これらの本部のmain temple(主要な祭殿)はどこなのか?と書いた…そして礼拝の時間にはそこが満員になると指摘した; またユダヤ教のお守り袋(talis bag)の画像を示して、イスラムの情報を蓄える素晴らしい場所だ、などと指摘した…Warnerはこの投稿は脅迫として信憑性があったので、NY警察が全力でシナゴーグを護るために動いたと言っている。

 自分の投稿コメントの中にルバビッチ派への脅迫があったなど、馬鹿げている、とKhattabは言う。「私は、彼らが一体どこからそんな考えを得たのかも分からない」、「ユダヤ人に対する脅迫などはない─彼らは、私をいくらでも攻撃できるのだ」

 ルバビッチ派の本部は、Khattabの投稿に対してとった彼らのリアクションや、警備対策のプロセスについて語ることを拒否した。しかし当サイトへの文書による回答で、Chabad.org のRabbi Motti Seligsonはこう言う:「全ての脅迫はシリアスなものではなかったが、安全が最優先の事項なので、我々は法の執行機関と緊密な連携をとり、全ての脅迫に適切に対処するよう、安全対策を講じた」

 Khattabは彼の憲法上の言論の自由の権利を認識していて、合法的範囲で彼のメッセージが行ける限りの所を熟知しているように見受けられる。彼は言う、合衆国憲法の修正第一項が彼に言論と表現と宗教の自由を与えているのだ、と。「我々には、それを望むなら、武装して私兵団を組んでもよいという、絶対的な権利すらあるのだ」

 Bill Warnerは違う解釈をする。「その男は狂人(lunatic)なのだ。それは言論の自由ではない。テロリズムを煽るとき、それは言論の自由ではない」、と彼は言う。彼はFBIとNY警察はKhattabの家を既に2,3回訪れており、彼のウェブサイトが閉鎖され、彼が逮捕されるのは時間の問題だった、と言う。

 Khattabは彼が監視下にあるのを知っていたし、警察も彼を2,3度訪れていた。しかし彼は逮捕されることを恐れていた。彼は祈り、エクササイズをすることを愛している〔これらは共に、刑務所でも継続できる〕、そして彼の脳が働く限り、彼は彼の意識について語りたいと言う。「私をつまみ出したいのなら、奴等は私の前頭葉にロボトミー手術でもするがいいだろう」、と彼は言う。

 NY警察とFBIは度重なる問い合わせにも関わらずKhattabが監視下にあるかどうかに回答をしていない。

 Warnerのような人々は日夜、彼のウェブサイトを閉鎖させるよう働いているのだ、とKhattabは言う─だが、彼らは成功しない─たとえ成功しようと、彼はすぐさまどこか別の場所にウェブサイトを再び設置するだろう…と。彼には良いウェブ・ホスティング業者がいて、Revolution Muslimは人種差別主義者グループではなく、ヘイト・オーガニゼーションでもないと理解してくれているという──誰がそのウェブサイトをホストしているのかをwhoishostingthis.comでさっと検索すると、それは米国で人気のある、Go Daddyによるものだ。Warnerによると、米国のウェブ・ホスティング業者はRevolution Muslimのようなグループに人気が高い…豊富なマルチメディアコンテンツを載せるのに便利なより高い解像度や、バンド周波数を提供しているからだという。

「これまでにも、共感してくれる人々を手紙を通じてターゲットにしてきたヘイト・グループが常に存在した…しかし今や、彼らのメッセージがより多くの人々から容易にアクセスできるようになった」とAnti-Defamation Leagueのニューヨーク地区ディレクター、Joel Levyは言う。Anti-Defamation LeagueはRevolution Muslimとそのサイトの存在を認識しており、そのサイトのメッセージには懸念を抱いてきたと彼は言う。*名誉毀損防止同盟( 略称ADL)とは米国最大のユダヤ人団体。反ユダヤ的な言論を監視する

 Levyは同サイトは、特に誰かに対する明瞭な脅迫(それが警察の捜査の根拠になるような)をすることはなかったという。「彼らはときどき脅かすような、脅迫を与えるような言葉を使う、そのことには疑いはない」と彼は言うが、しかし「彼らはとても、とても用心深く、そして言論の自由の限界とは何かについてよく理解しているように見うけられる。そして、そのスレスレの事を試みるが決して限界を超えたりはしない」

 Revolution Muslim には548人の登録メンバーがおり─ そしてAlexa.comによると、世界中からアクセスがある。アクセスの多い国の上位3位は米国、シンガポールとイスラエルで、そのうち58パーセントは米国からのものだ。

 そのサイトのミッション・ステートメントによると、彼らのミッションとはイスラムの言葉を広め、Sheikh Abdullah Al-Faisal <BBCによれば、彼はその説教の中でユダヤ人とヒンズー教徒の殺害を訴えたので、2003年に英国で刑務所に収監され、2007年にはジャマイカに国外追放された> を支持することだという。

 Khattabはイスラム法、あるいはシャリア法が全世界に確立されればよいと願っている。彼は、彼の生きている間にそれが起きるとは思っていない、あるいは米国で始まるとは思っていない(ソマリアとスーダンは、より現実的なオプションの国だという)。しかしそれは、「いつか最後の日に、預言者 Isa (イエスキリスト)が現れ、十字架をぱちんと言わせて豚のごとき異教徒たちを殺し、そして唯一の選択肢とはシャリア法であるとされたときに」、それは実現するだろう、という。
http://thebrooklynink.com/2010/04/23/11041-yousef-al-khattab-man-behind-virulent-islamic-website-grew-up-jewish/

*上記の記事の後にAl-Khatab自身が投稿し反論しているようだ。
*中東学者のJuan Coleなど反ユダヤ的な人たちは、極右派のイスラエル入植者でもあったYousef Al-Khattabはユダヤ諜報機関員ではないか、などといっているが? 

*Yousef Al-Khattabと家族   
(右の写真は彼が2009年に出した子供向けの本"The Story of The Boy & the King"の表紙)  


*"Revolution Muslim"のサイトhttp://www.revolutionmuslim.com/

Thursday, April 29, 2010

サウスパークでも駄目?Not Even in South Park? - By ROSS DOUTHAT

サウスパークでも駄目? - By ロス・ドウザット (4/25, The New York Times)

 9月11日のテロの2ヶ月前、コメディ・セントラルはアニメ「サウスパーク」のなかで、“Super Best Friends” と題したエピソードを放送した─そのマンガの中では、口利きの悪いわんぱく小僧たちが、この世ならぬスーパーヒーローたちから構成されるチームに助力を求めていた。そのスーパーフレンドたちとは、すべて宗教的人物…:イエス・キリスト、クリシュナ、仏陀、モルモン教のジョセフ・スミス、タオイズムの老子…そして預言者モハメッドもまたターバンを被った「5時の影」として描かれており…「炎の力を持つイスラムの預言者(the Muslim prophet with the powers of flame)」と紹介されていた。

 そのころは、未だに寛大で受容的な時期だった。2006年になって、サウスパークのクリエーターTrey Parkerと Matt Stoneが、デンマークの新聞の掲載した(モハメッドを媚びへつらいなく描いた)漫画が世界中に暴動をひき起こした件をパロディーにし、さらにアニメ化しようと試みた際に、モハメッドの姿は米国のTVではもはや放映できないと気づいた。そのエピソードは放送されたものの、“スターの登場する見せ場”自体はブラックアウトされ、「コメディ・セントラルは預言者の姿を見せることを拒否します」、という告知のメッセージに置き換えられていた。

 ParkerとStoneにとって次のステップとは明らかに、我々がモハメッドの肖像を放送できない、ということ自体を茶化すことだった。2週間前、“サウスパーク”では“super best friends”のキャラクターたちを再度登場させた…だが今回は、モハメッドは決して顔を出さなかった。彼はU-Haulトレーラーの中に“現われて”、そして次には、マスコットのコスチューム(クマの着ぐるみ)の中に現われた。こうしたギミックに対し、ニューヨークを本拠にするウェブサイト、revolutionmuslim.comは「Parker とStoneは、2004年にイスラム教を痛烈に非難した故に殺されたオランダの映画監督、テオ・ヴァン・ゴッホと同じ運命を辿るだろう」、と予測した。これを書いたのは、アメリカ生まれでイスラム教に改宗したAbu Talhah Al-Amrikeeだが、彼は彼自身が彼らをテクニカルに殺害するという脅迫は述べなかった。彼の投書とそこに付されたテオ・ヴァン・ゴッホの遺体の写真は「…起こりそうな事の警告」だけだったという。 *U-Haul:トレーラー、トラックのリース業者 

 この受動攻撃的(passive-aggressive)な死の脅迫は、コメディ・セントラルからすばやい反応を引き起こした。先週、放映された続編エピソードでは、預言者の「出現しないことによる出現(non-appearance appearances、見えない出現)」は検閲され、モハメッドに関する全ての言及がビープ音でかき消された。過去の放映についての記録もまた、迅速に洗い落とされた─オリジナルの“Super Best Friends”エピソードはもはや、インターネット上でも見ることはできなくなった。

 ある意味で、「サウスパーク」を黙らせたことは、西欧の社会的機関がイスラム過激派の暴力の前に萎縮している、ということの、これ以上ない不穏な証拠だ。それはドイツのオペラハウスが、モーツアルトのオペラ“Idomeneo”の上演を、モハメッドの斬り落とされた首が出てくる、という理由で、一時的に休演させたことにも劣らず、不味い事態だ。またはランダム・ハウスが預言者の第3夫人を描いた小説の出版をキャンセルしたこととも同様だ。…またはイェール大学出版が、論議の的となったデンマークの新聞漫画を、それらデンマークの漫画の危機に関する本のなかに掲載することを拒否したこととも同じだ。…あるいはそれは、多様な西欧のジャーナリストたちや知識人、政治家たち─イタリアのOriana Fallaci やフランスのMichel Houellebecq、カナダの Mark Steyn、オランダのGeert Wildersも含めて─を法廷の前に…この、多分リベラルな社会だと思われる社会の「人権に関する裁判」の場に、引きずり出させるのと同じだ─イスラムに対する攻撃をあえて行ったとの咎で。

 それでも「サウスパーク」のケースにはなお、特に啓蒙的なものがある。それは単に、ライターや娯楽の演出家たちが突然、新たな超えられない一線を定められた、といったことではない。しかしそれは、イスラムとは我々が線を引ける唯一の場所だということを再度、想起させるのだ。14年にわたる放送のなかで「サウスパーク」が踏みつけにしなかった偶像は存在しなかったし、(セクシュアルな、ス*トロな、冒涜的な)ショックコメディーのノリで描かなかった物もなかった。さほど疲れ果ててはいなかった時期に、そのクリエーターたちはOscar WildeやLenny Bruceの正当な後継者のごとく、しばしば危険を冒しながら文化的な聖なる牛を切り身にさばいていた。

 それでもパーカーとストーンの最も激しい怒りはこのシーンの影にぼやけていってしまう。最新のヒット映画“Kick-Ass”で、11歳の少女が卑猥な言葉を吐きながら、ペドファイル(小児性愛者)の気を引くオトリのいでたちで、悪い男たちをばらしているこの国では、本当に宗教的に一線を越えるような逸脱(違反、transgression)など考えられない。我々の文化には、殆ど侵害できないタブーなどなく、我々の社会秩序ははじめに規範を設定することなど、広範に放棄している─イスラムが関わるところ以外では。そこでは、暴力の脅迫のもとで規範(standard)が設定され、自己保存本能と自己嫌悪がない交ぜになるなかで、受け容れられている。それは、デカダンス(堕落、退廃)というものの現れた姿だ:狂気じみた粗野さ(下品さ)が、「勇猛果敢にも」それ自体の価値や伝統を踏みにじり…それらを素早く、全体主義と暴力のもとにはじき飛ばすのだ。

 幸運にも今日、全体主義を志向する者たちはたぶん、全てのアドバンテージを得るには余りに周縁の存在だ。今はワイマール帝国時代のドイツではないし…イスラムの過激な周縁的(フリンジ)勢力は、実体的な敵というよりも、未だにフリンジに過ぎない。そのことからも、我々は感謝すべきだ。なぜならもしも暴力的な周縁勢力がそれほど多くの萎縮や自己検閲を喚起できるならば、それは我々自身の制度のなかに充分な堕落があって、より強い敵がそれを破滅させられるかもしれない─ということを示しているのだろうから。
http://www.nytimes.com/2010/04/26/opinion/26douthat.html
CNNのビデオ
http://cnn.com/video/?/video/showbiz/2010/04/21/ac.griffin.south.park.threat.cnn

  





*Harlem Line(NYの郊外電車)からみたU-HaulのParking lot