Monday, February 14, 2011

チュニジアとエジプトのリンクが、アラブ諸国の歴史を揺り動かす A Tunisian-Egyptian Link That Shook Arab History-By D.KIRKPATRICK and D.SANGER


ネットのSNSがもたらした、 エジプト革命の裏側
には驚かされる


チュニジアとエジプトのリンクが、アラブ諸国の歴史を揺り動かす (前半)
By デビッド・カートパトリック&デビッド・サンガー(2/13, NYタイムス)
カイロにて─


 タハリール広場の抗議デモの民衆は大統領支持派の勢力と対決したとき、彼らの先輩たちがチュニジアで得ていた教訓を引き合いにだした:「エジプトの若者たちに、こうアドバイスせよ:催涙ガスが放たれたら、ビネガーか、タマネギをスカーフの下に入れておけ」

 Facebookでのやり取りは、アラブ世界の新しい力のなかに生み出された注目すべき2年ごしのコラボレーションの一部だった… 民主主義を欠いた地域に民主主義を広めるための、パン・アラブ(汎アラブ)的な若者たちの運動だ。エジプトとチュニジアの若い運動家たちは、政府の監視を逃れるためにテクノロジーを使う方法についてのブレーンストーミングを重ね…拷問された人々を哀れみ、ゴム弾の射撃にはどう対抗するか、いかにバリケードを組織するか等についての実際的な忠告を交換し合った。

 彼らは、そのソーシャル・ネットワークでの世俗的な専門技術を、宗教運動のなかで育んだ技術と融合し、そしてサッカー・ファンのエネルギーと外科医のような精緻な技能とを結合した。アラブ世界における、より古い世代の政治的反乱勢力からは自由になり、彼らはアメリカの学識者からセルビアの若者運動に至る先例からチャネリングした非暴力レジスタンスの戦術に基づいて行動し─そしてさらに、マーケティング戦略の手も借りた。

 その抗議運動が膨張しエジプトを揺り動かすなかで、彼らは全く異なるヴィジョンを持つリーダーとの、ヴァーチャルな戦争での覇権争いでにらみ合っていた─ガマル・ムバラク、彼は大統領ホスニ・ムバラクの息子で富裕な銀行投資家、そして支配政党のパワー・ブローカーだ。若者たちによる反乱が彼の世襲による権力継承の可能性を悉く排除するまでは、父親の明らかなる継承者と目されつつ─ 若い息子ムバラクは、父親に軍の幹部たちや首相らが権力の座を去ることを勧めた後ですら、父親に権力に踏みとどまるように働きかけていた─ と、ホスニ・ムバラクの最後の日々を追っていた米国政府の担当者たちは言う。

 木曜日の大統領のスピーチの開き直った(挑戦的な)トーンは、米政府担当者たちが言うには、主に彼の息子のなせる業だったという。
 ある米政府担当者は、「彼はおそらく、父親よりもさらに執拗な(どぎつい)人間だった」─ガマルの役割とは「ムバラクにとっての破滅的な状況を、うまく取り繕って彼に口当たりよく伝える役割」だった、という。しかしそのスピーチは逆効果の反発を招き、エジプト軍が大統領を強制的に辞任させ、彼らが市民による政府の樹立を約束しながら支配権を握る、という事態を導いた。

 今や若いリーダーたちは、エジプトよりも先の世界を思い描いている。「チュニスの出来事はエジプトを後押しする力となった、しかしエジプトの行ったことは、世界を後押しすることになる」、と1月25日の抗議デモを組織して民衆蜂起をうながした若者たちの「April 6(4月6日)運動」メンバーの一人、Walid Rachidは言う─彼は日曜日の夜に、リビアやアルジェリア、モロッコ、イランの同じような若者たちとその運動の経験を分かちあうディスカッションのミーティングの場で語った。

 「もしもすべてのアラブ諸国で人々の小さなグループが現れて、我々と同じように抵抗したなら、すべての政権を終らせられるだろう」、と彼はいい、次のアラブ・サミット会議はすべての若者の地下運動のリーダーたちの、「カミングアウト・パーティー」になるだろう、とジョークをいう。

ブロガーたちが道を先導した

 エジプトの反乱には、先立つ何年かの準備期間があった。30歳のシビル・エンジニア(土木技師)で「4月6日運動」のオーガナイザーであるAhmed Maherは、当初「Kefaya」として知られる政治運動に参加し、また2005年頃には「Enough」という運動にも参加していた。Maher氏と仲間たちは、自分たちの部隊Youth for Changeを組織した。しかし彼らは十分な参加者を集められず、当局による逮捕が彼らのリーダーたちを滅ぼして、そして彼らのうちの多くは、臆病な野党勢力とみなされている政党にはまりこんだ。「その運動を滅ぼしたものは、古い政党勢力だ」と、これまでに4回の逮捕歴のあるMaher氏はいう。

 2008年までに多くの若いオーガナイザーたちはパソコンのキーボードへと避難して、ブロガーに転じ、政府による民営化や悪性インフレに喚起されて、別々に起きていた労働者ストライキの波への支援を試みた。エジプトのMalhalla市での3月のストライキのあと、Maher氏と友人たちは4月6日の、全国的な一斉ストライキを呼びかけた。その運動の推進のために彼らはFacebookのグループを設立したが、それは、彼らがいかなる既存の政治グループからも独立を保とうとした運動のnexus(結び目)となった。悪天候によってストライキがほとんどの地域では行われなかったなかで、Malhalla市では労働者たちの家族によるデモが警察による暴力的な弾圧を招き、これが長年来、初めての大規模な労働者による政府との対立となった。

 ちょうど数ヶ月ほど後、チュニジアのHawd el-Mongamy市でストライキがあったあと、若いオンライン・オーガナイザーたちがエジプトでの運動のモデルにならい、「Progressive Youth of Tunisia」として知られることになる運動を起こした。二つの国の運動のオーガナイザーたちは、彼らの経験をFacebookを通じて交換しあった。チュニジア人たちは、エジプトに比べてブログを書くことや報道の自由がより制限されるという警察国家体制の蔓延に直面していたが、彼らの間の交流による結びつきはより強く、より独立的だった。「我々は我々の経験をストライキとブロギングで分かち合った」とMaher氏は回想する。

 Maher氏や彼の同僚たちの側は、非暴力による闘争について本を読み始めた。彼らは特に、セルビアの若者の「Optor」と呼ばれる運動に興味を引かれた─それは、アメリカの政治思想家Gene Sharpの理論によって運動を展開し、独裁者のスロボダン・ミロシェビッチの転覆に貢献した。Sharp氏の研究の品質は、ムバラクのエジプトにおいて、非常によく実証された …彼は非暴力だけが…安定化を口実とした抑圧を正当化すべく、暴力的なレジスタンスを喚起する警察国家を脅かすためには有効な手段である、と論じている。

 4月6日の若者運動はそのロゴの図柄を─ 漠然とソビエトの方向を意識したような、赤と白の握りこぶしの「Otpor」のロゴをモデルとして… これを模倣した。そして、そのメンバーの幾人かはセルビアに旅行し、Otporの運動家たちとも会った。

 「The Academy of Changeはどことなくカール・マルクスの運動のようなものだし、我々はレーニンのようなものだ」と、同じく4月6日運動にも時おり参加する「Egyptian Democratic Academy」のプロジェクト・ディレクター、Basem Fathyはいう─ Egyptian Democratic Academyは、アメリカからの資金援助を得て人権と選挙監視モニターの活動も行っている─

 タハリール広場を抗議の民衆が占拠するあいだに、彼は彼のコネクションを通じて、毛布とテントを購入する5,100ドルの資金をエジプト人ビジネスマンたちから集めたという。

「これは、あなたの国だ」

 そしてその後、1年ほど前には、この成長するエジプトの若者運動が戦略的な同盟者を得た… 31歳のGoogleのマーケティング・エグゼクティブ、Wael Ghonimは他の多くの者たちと同様に… 1年前に、瀕死の反体制運動を鼓舞しようとエジプトに戻った、ノーベル平和賞受賞者の外交官Mohamed ElBaradeiの周りに集まった若い運動オーガナイザーたちのインフォーマルなネットワークのなかに紹介された。

 彼はそのウェブサイトを、警察の暴力行為に関するビデオクリップや新聞記事で埋めつくした。彼は繰り返し、シンプルなメッセージを記した:「これはあなたの国だ;政府の役人たちはあなたの税金からサラリーを得ているあなたの使用人だ、そしてあなたにはあなたの権利がある」。彼はオフィシャルなメディアによる歪曲に焦点を当てた、なぜなら人々が「メディアを信用しないとき、あなたはそれらを失う心配はないからだ」、と彼は言う。

 彼は最終的に何百何千ものユーザーをひきつけ、彼らのオンライン上での民主的運動への参加を通じた忠誠関係を打ち樹てた。たとえば、オーガナイザーたちがカイロの街路で「沈黙の日」を計画した際には、彼はユーザーたちが皆で何色のシャツを着ていくのがよいかを投票で募った─黒か、白か。(反乱が爆発したとき、ムバラクの政府は彼の仕事を遅まきながら阻止すべく、彼を12日間にわたり目隠しをしたまま独房に拘留した)

 1月14日のチュニジアでの革命の後、4月6日運動はその「警察記念日(英国の抑圧に対抗して警察が蜂起したことを祝う1月25日の祝日)」の余り知られていない例年の抗議運動を、より一層大きなイベントにする機会であるとみた。Ghonim氏はFacebookのサイトを通じて、支持者の動員をはかった。ウェブサイト上において、その日にもし少なくとも5万人の人々が現れれば、抗議デモを開催する、と彼は告げた。すると、10万人以上がサインアップした。

 「私は、事前にアナウンスがなされた革命が行われたのは、見たことがない」とGhonim氏は語った。

 そのときまでに4月6日運動は、ElBaradei氏の支持者たちや、リベラル派や左派のグループとも合流し、そしてムスリム同胞団の若者の支部とも合流して、チュニジアの出来事にインスパイアされた警察記念日の抗議運動のモダニズム風ポスターをカイロ市街に貼りめぐらした。しかし彼らの年配の先輩たちは… ムバラクや西欧諸国によって長年、過激派と目されてきたムスリム同胞団のメンバーたちでさえも…その抗議デモに参加することを避けた。(*左写真=Wael Ghonim) 警察記念日が英国の植民地主義に対する戦いを顕彰する記念日であることを説明しながら、ムスリム同胞団のリーダーのEssem Erianはこういう、「その日は、我々はみな一緒に祝福しなければならないのだ」
「…こうした人々はすべてFacebook上にいるが、しかし、我々は彼らが誰なのかを知っているだろうか?」と彼は尋ねる。「我々は我々の党や、我々の組織の実体というものを、バーチャル・ワールドと連帯させることはできない」

 「これが、その答えだった」

 25日が訪れたとき、若い活動家たちの同盟(その殆どは裕福な者たちだったが)は、その国の専制体制に対して広汎に蔓延していたフラストレーションや、エジプトの生活を磨り潰している貧困に入り込み、これを活用したいと思った。彼らはその日の始め、多くの貧しい人々を集会に呼び集めて、彼らの口で家計の問題への不満を語ってもらうよう試みた。(人々は言った)、「…彼らは鳩や鶏肉を食べているが、我々は毎日、豆ばかりを食べている」。

 タハリール広場に向かって何万もの群衆が行進した日の終りまでに、彼らのシュプレヒコールの声はさらに圧倒的なものとなった。「我々民衆は、体制を終わらせたい」、と彼らは叫んだ…オーガナイザーたちの言うには、それは彼らがチュニジアのデモのサインボードやFacebookのページで目にしていたスローガンだった。4月6日若者運動(April 6 Youth Movement)のMaher氏がいうには、オーガナイザーらは議会や国営TVの建物への乱入も話し合っていた、という─クラシックな革命の行動だ。

 「私は自分の周囲を眺め渡して、こうした抗議行動へと出たすべての見知らぬ人々の顔を見たが、彼らは我々よりも、もっと勇敢だった─我々はこれが、その(体制への)答えだったのだと感じた」…とMaher氏は言った。
 それは彼らが、チュニジアやセルビア、そしてAcademy of Change(抗議運動のオーガナイザーらをトレーニングするため、一週間前にカイロにスタッフを送っていた)のアドバイスを訊き始めたときだった。火曜日に、警察が抗議の群衆を蹴散らすために催涙ガスを用いて以来、オーガナイザーたちは、次なる抗議デモを予定している2月28日、「怒りの日」のためのより入念な準備作業へと戻った。

 今回、彼らは催涙ガスの影響を軽減するためにその臭いを嗅ぐレモンや玉ねぎやビネガー、また、眼に流し込むための炭酸飲料やミルクをも持参した。機動警察の撃つ銃弾から身を守るために、衣類の下にボール紙や、ペットボトルで作った即席の鎧を身につける人々もいた。彼らは警察の車両のフロントガラスに吹き付けるためのスプレー・ペイントを持参し、また排気管に物を詰め込んだり、タイヤを妨害して車を使えなくする準備をしていた。午後の早い時刻に、4車線のKasr al-Nile橋の上で数千人の抗議の群衆が千人をゆうに超える重装備の機動隊警官らと睨み合ったのが、おそらくこの革命の転換点となった最も重要な闘いだったろう。

 「我々はこのゲームのトリックを、すべてとり出した…ペプシコーラと、玉ねぎと、ビネガーを…」と、Maher氏はいう─彼は、セーターの下にボール紙とペットボトルを身につけ、バイク・ヘルメットを被り、手には樽のふたで作った盾を持っていた。「その戦略とは、怪我をした人々は後ろに下がり、それ以外の人々が彼らの場所に取って代わる、というものだった」、と彼は言う。「我々は、ローテーションを続けた」。5時間以上が経過した後に、彼らは遂に勝利した…そして、タハリール広場へと至る道すがら、彼らは空になった支配政党の本部群を焼き討ちして陥落させた。

ムバラクに圧力を加える

 その日、ワシントンでは午後3時半に予測もなくオバマ大統領が現れた。危機管理室(Situation Room)における彼の重要人物たち(his 'principals'…国家安全対策チームのキー・メンバーたち)のミーティングで、彼はテーブルの上座に座るnational security adviser、Thomas E. Donilonを解任した。
 ホワイトハウスでは、若者が先導する蜂起がチュニジアのZine el-Abidine Ben Ali大統領の政権を覆して以降の、ドミノ効果の可能性に関して討議を重ねていた。米国やイスラエルの諜報部門がMubarak大統領の失脚するリスクは低い、と見積もっていたのに(その可能性は20%以下だ、という人々もいた)も拘わらず。

 オバマ氏による政策討議に参加していた上級官僚によると、大統領は異なる見解を抱いていた。上級官僚によると、彼は早い時期から、それがこの地域の他の専制国家の政府─イランを含めた─にも広がる可能性のある、「トレンド(流れ)だった」と指摘していた。18日間にわたる蜂起が終わるまでに、ホワイトハウスでは、エジプトに関しての大統領を伴う38回のミーティングが開かれたとしている。オバマ氏は、これは欧米の干渉に関する(従来の)「アル・カイダによる語り口"the Al Qaeda narrative"」にとって代わるような語り口を創り出すチャンスなのだ、と言った。

 米国の政府官僚たちは、明瞭な反米性とか、反欧米の感情というものの証拠を見出してはいなかった。「我々は、人々がタハリール広場に彼らの子供らを、歴史の作られる瞬間を見せたくて連れてきているのを見たときに、これは何かが違う、と気づいていた」と某官僚はいう。

 1月28日には、その討議の内容はMubarak氏に対して、個人的にも、公式にもいかに圧力をかけるのか…─そして、オバマ氏がTVに現れて政権交代を求めるべきなのか、否か、に関するものへと、急速に転じた。オバマ氏はMubarakに電話をすることを決意し、そして数人の側近がその電話を傍聴した。オバマ氏は82歳のリーダーに対し、辞任や権力移譲を示唆したりはしなかった。その時点での「その論議の内容とは、彼が改革を行う必要が本当にあるということ、そして早急にそれをせねばならないこと」だったと、上級官僚はいう。Mubarak氏は抵抗を示し、抗議運動とは外部からの干渉によるものだと述べた。

 同官僚によるとオバマ氏は彼に、「あなたの民衆の大半は満足していない、そして彼らは、あなたが具体的な政治的・社会的・経済的改革を行わない限り、満足することはない」と告げた。
 翌日、カイロにいる前大使のFrank G. Wisnerが、使節として派遣されることが決定された。オバマ氏はイスラエルのBenjamin Netanyahu首相、トルコのRecep Tayyip Erdogan首相やその他の、地域のリーダーたちに電話をし始めた。

 最も困難だった電話の相手とは─と、官僚らは言う─地域情勢の不安定化を恐れて、米国にMubarakとの連帯を守り続けるよう要求する、サウジ・アラビアのKing Abdullahと、Netanyahu氏とのものだった。米国政府の官僚によると、サウジ・アラビア政府の上級官僚らは、もしもMubarakが抗議の群衆に対し武力を用いても、米国はMubarakを支援すべきだと論議していたという。Mubarakが放送によるスピーチを行って、9月には大統領選を実施し、彼は再出馬をしないと誓った2月1日までに、オバマ氏はエジプト大統領は未だにメッセージを理解していないと結論していた…
(後略…)
http://www.nytimes.com/2011/02/14/world/middleeast/14egypt-tunisia-protests.html?_r=1&hp=&pagewanted=all


*記事上写真は1月14日、チュニジアで Zine el-Abidine Ben Ali大統領の辞任を要求し内務省ビルの壁によじ登る人々。抗議運動はFacebookによってはじまった


(*記事タイトルは当初Dual Uprisings Show Potent New Threats to Arab States →"A Tunisian-Egyptian Link That Shook Arab History”に差しかわっていた…)

関連記事

*Wael Ghonimの開放と仲間たち:Emotions of a Reluctant Hero Galvanize Protesters
http://www.nytimes.com/2011/02/09/world/middleeast/09ghonim.html?scp=6&sq=Ghonim&st=cse

Tuesday, February 8, 2011

過激派勢力、女性たち、そしてタハリール広場 Militants, Women and Tahrir Sq.By Nicholas D. Kristof

ムスリム同胞団についての、エジプト人たちの意見が面白い…


過激派勢力、女性たち、そしてタハリール広場 By ニコラス・クリストフ (2/5、NYタイムス)

カイロにて─

 西欧人たちは、エジプトの大統領ホスニ・ムバラクに対して蜂起した民衆の姿をテレビで眼にするとき、政府が群衆に対して暴行する光景をみてたじろぐ。しかし、イスラム原理主義勢力の発言権をより大きく拡大するかもしれない大衆的な民主主義、という考えに対してひるむ人たちもいる。

 1979年にイランで勃発した草の根的な民衆蜂起は、非民主主義的で、女性やマイノリティを抑圧し地域を不安定化する政権の支配をもたらした。しかし、1989年には東欧での民衆による反乱が、安定した民主主義的な国々を誕生させた。もしもエジプトの反体制運動の群衆が政府に打ち勝ったなら、これは1979年になるのか、それとも1989年になるのか?

 誰も確かな予測はできない。だが私に少し元気づけの一服を試させて欲しい。

 私は抗議の群衆たちと話をしながら、先週をこのタハリール広場で過ごした─ムバラク大統領の暴漢たちが我々の居た半径の周囲にまでも、煉瓦や、モロトフのカクテルや、山刀や、時折の銃撃で襲撃をしかけてきたのだが…私は、多くの人々が示した落ちつきと、忍耐とに感銘を受けていた。

 おそらく私の判断は、ムバラク支持派の暴漢たちがジャーナリスト狩りをし、我々のうちの何人かを刺したり、殴ったり、逮捕・拘束したこと─そして私も、ホテルの部屋を放棄させられ、心臓をどきどきさせながら、釘を打ち付けた棍棒を持った暴徒たちの周りを走った…ということのために─ 歪んでしまっていることだろう。私が見つけた最も安全な場所は、タハリール広場だった─「Free Egypt」という抗議の群衆の合言葉… 私はそこで、カメラとノートを出してどんな人にもいかなる質問をもしてみた。

 私は女性とコプト・キリスト教徒に対して、コンスタントに質問を投げかけた─民主的なエジプトは、より抑圧的な国に成り果てると思うか?と。彼らは一様に、ノーといった─彼らはそして私を譴責するような眼で見ては、民主主義というものへの疑いを語った…(私はしばしばこれに出会うと、当惑感に引きこもってしまうのだが)

 「もしも民主主義があるなら、我々は、我々の権利を奪わせたりはしない」、と大学教授のシェリーンは私にいった。彼女は他の多くの人と同様、アメリカ人は原理主義者のムスリム同胞団が選挙で権力を握る可能性という件に捉われすぎている、と語った─。

 「我々は、ムスリム同胞団について心配はしていない」、シェリーンはいった。「彼らは25%の票を得るかもしれない、でももしも彼らが上手く政界で活動しなかったなら、次回の選挙では票を失うことになる…」

 シェリーンはいいことを言っている。西欧人が彼らを懸念する一部の理由は、原理主義のムスリムたちがほとんどどんな物もうまく運営したことがないからでもある─そのために彼らは、代わりに腐敗を弾劾し、ムバラクのような親西欧の専制君主の無能さや残忍性を非難する。結論とはつまり、彼らは普通の市民からの尊敬を受けているが、私の勘では、彼らは実際に何か行政を運営しようとするがいなや支持を失うだろう、ということだ。

 たとえば1990年にイエメンで、Islahという名のイスラム政党が選挙で好成績をおさめた後に、連合政権の一翼を担った。結果として、Islahは教育省の担当となった。世俗的イエメン人とアウトサイダーたちは、原理主義者たちが子供たちを洗脳するのではないかと考え、愕然とした─しかしイスラム原理主義者は、ほとんど行政能力がないことを露呈し、そして次の選挙で彼らへの支持は急落してしまった。

 抗議運動の人々が共通して掲げるスローガンの一つは、ムバラクがアメリカというツッコミ役に対するボケ役だ、というもので、多くのエジプト人は彼らが、無気力な外交政策だとみなすものに対して、いらだっている。私はある風刺画で、ムバラク氏が額に「ダビデの星」をつけており、その傍にこのようなサインがあるのをみた「彼にヘブライ語で話しかけろ、そうすれば彼はメッセージを理解するかも!」
 しかし多くの人たちは現実的なことをいっている─イスラエルとの平和の維持を好みつつも、パレスチナへの支持…特に苦しんでいるガザ地域への支持についてはより一層、声を大にしたいのだという考えを述べる。

 私はカイロのある古い女性の友人…西洋的な雰囲気があり、ときにはウィスキーを楽しむ女性…に、ムスリム同胞団は平和のために良くないと思うか、と尋ねてみた。彼女は一瞬考えてこういった、「ええ、多分。でも私の見るところでは、アメリカでも共和党はやはり平和のために良くないと思うわよ」

 もしも、民主主義が中東で支持を得るならば、そこにはデマゴーグや、ナショナリストやジンゴイスト(感情的愛国主義者、強硬的主戦論者)が現れるだろう、ちょうどアメリカやイスラエルにもそれがあるように。そして彼らは外交を余計に、複雑化してしまうだろう。しかし思い出してほしい、アル・カイダのアイマン・アル・ザワヒリ …オサマ・ビン・ラディンの右腕… のような怒れる過激主義者は、ムバラク氏による抑圧と投獄と拷問が育んだのだ、ということを。もし我々の抱いている懸念が、世界最大の人口を擁するこのアラブの国家における自由と民主主義に対する我々の信念を妨げるというのなら、それは悲劇だ。

 私は、エジプト人たちが彼らの政権に対する闘争で示した不屈の勇気には、深く感じ入った─大きな個人的な危険を冒しつつ、アメリカの同盟者から送り込まれた暴漢たちから私を守るために助けの手を差し伸べてくれたことにも。こうして、民主的考え方のために命を危険にさらすエジプト人たちに、この民主主義への我々の信頼の念を示そう。

 私が、エジプトの民主主義は抑圧をもたらすか、あるいはイスラエルとの戦いを触発するか、または石油価格の高騰を招くと思うか?とHamdiというビジネスマンに尋ねたときに、彼は苦悩の表情を表していたと感じた。「中東は石油だけのためのものではない」、彼は私に思い出させた、「我々は人間だ、あなたがたと全く同じ様に」。

 「我々はアメリカ人を憎みはしない」、彼は付け加えた、「彼らはパイオニアだ。我々は彼らのようになりたい。それは罪だと思うかい?」
http://www.nytimes.com/2011/02/06/opinion/06kristof.html

「拷問のシーク」と、秩序ある権力の移譲? 'Sheik al-Torture' is now a democrat- By Pepe Escobar

「オマール・スレイマンの暫定政権とは、CIAが望むもの以外の物ではない…」


「拷問のシーク」(Sheik al-Torture)はいまや民主主義者だ
By ペペ・エスコバル (2/9、Asia Times)

 エジプトの革命は視覚的な幻影(目の錯覚)だったかのように、世界の目の前で解体しつつある。

 2週間にわたって道路を占拠していた反体制の群集たちは、いまだにムバラク大統領の退去を求めている。今や、米国大統領のバラク・オバマは、「余り、コトを急ぐな…」モードに執着しているが、うれしいかな、「エジプトは進歩している」。オバマは一度たりとも、「自由選挙制」という素晴らしい言葉を口にしていない。

 ワシントンの「秩序ある権力移譲」のロードマップは、イスラエルの政権とヨーロッパ諸国からの完璧な支持を得ており、それは政権の化粧直しにはなるだろう。
 ムバラクがステップダウンすることは、あと知恵のように行われるだろう: すでに任命された後継者、「Sheik al-Torture 拷問のシーク」 (*オマール・スレイマンをさす。ムバラク政権の諜報局や秘密警察ムハバラートの長官として反体制派の逮捕・拷問を行ってきた) は、まるでもう大統領であるかのように振舞っている─本当の現大統領が未だに、宮殿内に幽霊のように棲んでいるというのに …この残忍な軍事独裁主義のAからZにいたるまでが…その行政府から立法機関までが違法だと、反体制の群集に糾弾されている、その間にも。キーポイントとは、これは臨時(代理)大統領のスレイマンの政権だ、ということなのだ。もしもフランスの哲学者、ジャン・ボードリャールが生きていたら彼は、この革命はどこでも起きなかった─世界のテレビ・スクリーンの上以外では、と言っただろう。

 分裂して、細分化したいくつかの反体制勢力のなかには、憲法の認める立法府の長官を暫定的な大統領として指名し、彼が選挙民集会の行う選挙を統率するように、と求めている人たちがいる。また、その他の人々…若者の運動勢力を含めて…は、ワシントンの支持した「秩序ある権力移譲」を監督する、国民的な委員会を任命することを求めている。

 ロンドン大学の東洋アフリカ研究学院の国際関係論教授、Gilbert Achcarは直裁に…このように指摘する、「こうした全面的変革を実施するには、大衆的な運動勢力は体制のバックボーン(背骨)を破壊するか、ぐらつかせねばならない、それとはつまり、エジプト軍だ」

新たなボスに会え

 エジプトは筋金入りの、軍事独裁主義国なのだ。その軍隊は、実質的に米国の納税者による金によってまかなわれており、「誠実なブローカー」などではない。ムバラク政権の反対勢力への抑圧において、軍はそれ以上の凶悪さはみせなかった、なぜならこの、徴兵制による軍隊は自国民に銃を向けることを確かに拒んだからだ:かくしてプランBが講じられた…先週、この政権のならず者たちと、嫌われ者のbaltagia(国家が雇った私服の暴力団*秘密警察のこと)たちが放たれた。

 未だに、政権はその核心までは揺るがされてはいない─なぜなら、軍がその任務についているから。それを示すグラフィックな例はこれだ:国営新聞のal-Gomhuriaが、この月曜日にスレイマンがムバラクの写真の下で、反対勢力の人々と会っている写真の上に、モンスターのような「New Era(新時代)」という見出しを掲げていた。

 反体制勢力は、過去25年にわたって強化されていたこの国の非常事態を終わらせよ、と主張する。政権側はそれは「セキュリティ上の条件次第だ」と答える。彼らはこれを、過去何ヶ月間も、嫌になるほど繰り返してきた。政権側は、議会の解散を受けいれない。彼らは真の自由で公平な選挙というものが、現今のカンガルー政権である、親ムバラクの議会に取って代わることを拒否している。

 「分裂させて支配せよ」(devide and conquer)は、この政権の手口なのだ─そしてそれは、実際に稼動することのできる、不可思議なのだ。その戦術とは、予測可能なものだ:譲歩は最小限にとどめて、抗議勢力を「外国勢力」のツールとして非難し、そして、彼らをエジプトの「安定性」への脅威として糾弾する。

 決定的なのは:「外国勢力」という非難が、先週木曜日に国営テレビとの長いインタビューのなかでライオン(スレイマン)の口から発されたことだ─ それは、カイロ全域で外国のジャーナリスト狩りが行われて、殴られ、逮捕され、あるいは侮辱されたのとは丁度、同じ日だった。スレイマンは露骨にこう言った、「いくつかの友好的な国々で、テレビ・チャンネルを有している国々は、友好的でも何でもない国々だ。彼らは若者たちを国民や国に反対するよう焚きつけた」。…このような事をいう人間が、民主主義者として信頼に足るのだろうか?

 このことをすでに正しく見通している者たちもいる。左派のナセル主義者たち(彼らは2000年の選挙で3議席を獲得した)は、革命がすべてのエジプト人を代弁していると主張するが、ムバラクが退くまでは、スレイマンとは話をしないといっている。だがスレイマンは露骨にこう言った、ムバラク─幽霊…幻影、またはその両方…は、居座り続けるのだ、と。

 アル・アフラム紙のオンライン版のコラムニスト、Nabil Shawkatはムバラクについて、「彼の支配のスピリット、彼の政権の真髄、彼の時代の方法(メソッド)はまだまだ、終わるにはほど遠い」と書いた。彼はまた、「その最初のテレビ・インタビューで、彼(スレイマン)は国を治めているような印象を与えたが、しかし彼は…もしも彼がそう望むなら─ムバラクに彼の部屋にきて、そこに居て欲しい─とも言えるのだ」

 たとえ彼が、彼の部屋のクローゼットのなかのモンスターの幽霊と一緒に居ることになったとしても、彼の政権のターゲットは明確だ。インディペンデントの映画監督Samir Eshraと、ブロガーのAbdel-Karim Nabil Suleimanのような運動家たちは、未だに逮捕拘束されたままでいる。Human Rights WatchのDaniel Williamsは36時間以上、軍に拘束されている。よく油を差して、手入れの行き届いたな抑圧マシーンが、政治的なアフィリエートを何も持たない街頭の圧倒的多数派勢力を脅すのは、簡単なのだ。

 ここには、独立的な労働者ユニオンは何も存在しない。「April 6(4月6日)」の若者の運動や、「Kefaya (Enough!)」はキャンペーン活動家のグループではあるが、政党ではない。パリ大学とカイロ大学の教授でエジプトの伝説的なエコノミスト、Samir Aminは、労働者階級と農民たちが、現状の強いアクターたち(都会の、教育を受けた失業中の若者層、及びミドルクラス)と同じ様に政治運動を開始すれば事態は変わるだろう、と主張する。彼らがやらねばならぬことは、互いに協調しあって現政権の矛盾に穴を貫くことなのだ、という。

…古いボスと同じ

 ワシントンはエジプトを新たなパキスタンとして、共に生きなければならないかも知れない:不安定な買弁資本家エリートと、政治化したイスラム勢力(ムスリム同胞団の)と、軍の諜報部門、そしてもう一人の軍事独裁者を、せっかちに向こう見ずにミックスしたような国家なのだ。それは本当の「民主主義国家」などではない。

 しかし、すべての社会的階層(学生から弁護士にいたるまで…エジプトの人権グループは言うに及ばず…)からなる反体制の群集は、喜んで化粧直しをしたシーク・ザ・拷問を、討論に誘導された民主主義者として受けいれて─ 彼が…ワシントンがどんなにナショナリストや、大衆的な運動を本当は軽蔑しているのか…をルクソールの寺々で語るのを受けいれる。

 ファラオが先週、彼を副大統領として聖別する前まで、1936年7月2日南エジプトQena生まれのオマール・スレイマン、またの名を「シーク・ザ・トーチャー(拷問)」(エジプトでは誰もが彼が米国のCIAによるテロリスト容疑者の秘密収容所移送や、アル・カイダ容疑者の拷問を監督していたと知っているのだ)は、大臣職のない閣僚であり、Egyptian General Intelligence Directorate(エジプトの国家諜報局)の長官を1993年から2011年まで務めていた。

 1980年代には彼は、ノースカロライナのJohn F Kennedy Special Warfare School とCenter at Fort Bragで訓練を受けた。Foreign Policy誌は彼を、2009年に当時のイスラエルのモサド長官Meir Daganさえ制して、中東の最も有力な諜報長官だとしてランキングした。

 エジプトの民衆が彼を毛嫌いすることなどは、問題ではない:軍のトップ・エシュロンにとって、彼は新たなrais(車輪のスポーク)なのだ─。アル・ジャジーラは彼を、エジプトのイスラエルとの機密的関係における「ポイント・マン」だと描写する。イスラエルの首相ベンジャミン・ネタニヤフBenjamin Netanyahuは、彼を愛しているのだ。元・用心棒にしてイスラエルの首相代理アビグドル・リーバーマンAvigdor Liebermanは、スレイマンへの賞賛を彼の称号にしてこう綴った、:"his respect and appreciation for Egypt's leading role in the region and his personal respect for Egyptian President Hosni Mubarak and Minister Suleiman".(この地域におけるエジプトの指導的役割への敬意と尊重、そして彼のエジプト大統領ホスニ・ムバラクと、大臣のスレイマンに対する個人的な尊敬)

 ウィキリークスの公表した2006年の外交公電によれば、CIAも(いったい、それ以外の誰が?)また、彼を愛していると表明する─そこには、 「我々のOman Soliman(*原文のママ)との協働関係とは、おそらく(エジプトとの)最も成功裡の関係であろう」と書かれている。
 スレイマンは常にCIAトップの幹部たちと、直接に交渉してきた。

 このスペクトラムの他の領域においては、ヒューマン・ライツ・ウォッチHuman Rights Watchはこのように強調する、「エジプト人たちは…スレイマンをムバラクの2世とみる。特に彼が2月3日に国営テレビで長々しいインタビューを行い、そのなかでタヒール広場の抗議の群集を外国勢力のアジェンダの道具だと非難して以来。彼は抗議勢力への報復をおこなう、という脅迫さえも隠さなかった。」、Human Rights Watchは抗議運動が開始されて以来、少なくとも75人のエジプト人運動家とデモへの参加者、そして30人の外国人ジャーナリストが逮捕され、少なくとも297人の人間が殺された、と記している。

 街頭にいる人々は、幻想のもとにはない。彼らは─エジプトの政治的均衡における、最強のプレーヤーである軍部が、もしその存在を脅かされると感じたなら、大がかりな武力制圧に乗り出すかも知れない、とも知っている。その衝突を触発するものとは、「外国勢力」の想像上の脅威から、1956年以来初の市民への権力移譲などに対する備えを、彼らは決して持たない、との思いに至るまでの…どんなものでもあり得る。

 例えば、国防大臣で陸軍元帥のMarshal Mohammed Hussein Tantawiは、無感覚(鈍感)なことに「経済的で政治的な改革とは、中央政府の力を弱めるという見解を抱いている」と述べたのだと、ウィキリークスの公表した外交公電にはある。しかし、軍が力を掌握している状態とは、Sheik al-Tortureにとってショーを上演するには快適に過ぎる状態にちがいない。そしてワシントンの民主党員たちにとっても…。
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MB09Ak01.html


From left, Hosni Mubarak, Omar Suleiman and Sami Enan at Egypt's military HQ

Friday, February 4, 2011

革命か、クーデターか…ネオコン学者の予測 Revolutions or coup d'etats? - By Daniel Pipes

ダニエル・パイプスは、ブッシュがイラク戦争の最中に政府要職にとり立てた中東専門家だ。嫌アラブ、親ユダヤ、ネオコンとしての悪名?を馳せつつ…メディアにもよく書いて論議の的だった─。今日でも彼はエルサレム・ポストにコラムを掲載しているが、その真実味はどうなのか?

革命か、クーデター(武力政変)か?By DANIEL PIPES (2/2, The Jerusalem Post)

─エジプトその他の中東地域における、軍による高圧的な支配はやや、弱められるものの、軍は最高位のパワー・ブローカーとして留まるだろう─

エジプトでとても心配された危機の瞬間が到来し大衆の反乱が中東諸国の政府を揺るがすなかで、イランの影響力がこれまでになくこの地域の中心へと躍り出ており…そのイスラム原理主義の支配者たちが優勢となった姿が地域の視界のなかにみえている。しかし、革命というものが、この地域でなし遂げられることは難しいだろう…そして私は、イスラム原理主義者たちには、中東全域でのブレーク・スルーは達成できないと予測する。テヘランはキー・パワーブローカーとして出現してはいない。

この結論が導かれる、幾つかの理由とはこうだ:

イラン革命の記憶がこだまする:1979年に権力を握ったアヤトラ・ホメイニは、イスラム原理主義の反乱を他の国々にも伝播させたいと考えていたものの、ほとんど何処においても失敗した。チュニジアの目立たない町で起こった物売りの焼身自殺により…ホメイニが熱望した、またイランの権力者たちが未だに模索しているこの大災害に光が当たるまでには、30年を要したようにみえる。

中東での冷戦:中東は長年にわたり、冷戦の影響力を蒙る2つの大きなブロックに分かたれていた。イランが主導するレジスタンスのブロック(Resistance Bloc)はトルコ、シリア、ガザ、そしてカタールを含んでいた。サウジが主導する現状維持のブロック(Status Quo Bloc)は、モロッコ、アルジェリア、エジプト、ヨルダン川西岸地域、イエメン、ペルシャ湾岸の首長国を含んでいた。レバノンは最近、Status QuoのブロックからResistanceのブロックに移りつつあるが、そのように不安定な状態はStatus Quoの場所だけで起きていることだ。

イスラエルの奇妙な状況:イスラエルの指導者たちは沈黙し続けているが、エジプトの今の状況とほとんど無関係に留まるその姿(*)は、イランの中心性(centrality)をより強く際立たせる。イスラエルがイランの獲得する物に怖れを抱く中で、最近の出来事というものはユダヤ人の国家が安定性をもつ孤島で、西欧にとっては唯一の信頼できる同盟国であることをより際立たせる。(*イスラエル政府はエジプトの抗議運動に何ら干渉できずに沈黙しがちの状態にある)

イデオロギーの欠如:停滞と専制、腐敗、圧政、拷問を終わらせるように要求していながらも─エジプトの政府施設の外に集まった群集は、中東地域すべてについての認識を総括するようなスローガンや陰謀説を叫ぶということを、ほとんど欠いている。

軍部 対 モスク:最近の出来事というものは、ある同じ2つのパワー<軍の武装勢力とイスラム原理主義勢力>というものが中東の20カ国前後の国々を支配していることを、確認させた。軍部とは生の(むき出しの)力を行使し、イスラム原理主義者とはヴィジョンを提供するものだ。その例外としては─トルコの活力に満ちた左翼勢力、レバノンとイラクの民族主義勢力、イスラエルの民主主義、イランの神権制支配なども存在してはいるものの─「軍部対モスク」のパターンは広汎に適用されるものだ。

イラク:中東地域において最も不安定な国、イラクではデモが起こっていないことが目立つ─なぜならその国民は何十年にもわたる専制独裁政治には(もうすでに)直面してはいないからだ。

軍部の反乱: イスラム原理主義者たちは、そのイランにおける成功を大衆的な動乱を利用して繰り返したい、と願っている。チュニジアの経験は、他のどこでも繰り返され得るようなパターンとは何かを詳細に検討するに足るものだ。チュニジアの軍のリーダーたちは明かに、権力者 Zine El Abidine Ben Aliが権力を維持するには我が儘になりすぎた─(特に、彼の妻の一族による権力維持のためのけばけばしい腐敗において)という結論を出し、彼を放逐し…彼らの意思の尺度としてBen Aliとその家族に対し国際的な逮捕状を発行した。

それは実行され、そして、明かにBen Aliに代わって同国のパワー・ブローカーの地位を引き継いだトップの軍人、Rachid Ammar参謀長のもとで…古い護衛隊組織がほぼ丸のまま権力の座に居残った。古い護衛隊は、より市民の権利・政治的権利を認めるようにシステムに少し修正を入れることによって、権力の座に留まり続けられるよう望んでいる。この先手策が成功すれば、1月半ばに起きた外観上の革命は、単なるクー・デター(武力政変)だった、ということになる。

このようなシナリオはどこでも繰り返され得る…特に1952年以来兵士たちが政府を支配し、彼らが1954年以来抑圧してきたムスリム同胞団に対する権力を維持したい、と考えているここエジプトでは。独裁者のホスニ・ムバラクがオマール・スレイマンを副大統領に指名したことは、ムバラク・ファミリーによる王朝の自惚れを終わらせ、軍部による直接支配を望んで彼が辞任する、という見込みをもたらす。

より大まかにいえば、私はチュニジアに出現した「変革よりもより一層の継続性」を志向するモデル、というものに賭けたい。高圧的な支配は、エジプトその他の地域においては何となく和らげられるが、しかし軍部は、最高位のパワー・ブローカーとして留まり続けるだろう。 

アメリカの外交政策:アメリカ政府は、中東諸国が独裁政治から参加型の政治へと(イスラム原理主義勢力によってそのプロセスがハイジャックされることなしに)移行することを助ける、重要な役割を持っている。ジョージ・W・ブッシュは2003年に民主主義を呼びかけるという正しいアイディアを持っていたが、即時的な結果を得ようと急ぎ過ぎたため、その努力を無にしてしまった。バラク・オバマは当初、独裁者にいい顔をするという失策に転じたが、今や彼は、ムバラクに対抗するイスラム原理主義者たちの側に立つという近視眼的状態にある。彼はブッシュに倣って、しかもそれをより上手くやるべきであり、民主化とは何十年もかかるプロセスであって、選挙や言論の自由、法の支配などに関しては(そうした国の人々の)経験にそぐわない考え方を説く必要性もあることを、理解すべきだ。(筆者はMiddle East Forumのdirectorで、Hoover Institutionの傑出したTaube客員研究員。エジプトに3年間居住経験がある)
http://www.jpost.com/Opinion/Columnists/Article.aspx?id=206287

*その名が何となくPipe Dream(白昼夢、妄想)という言葉を連想させたPipes?は反イスラム、反イスラミスト(原理主義者)で、元々エジプトのアラビア語の専門家。保守派シンクタンクMiddle East Forumの設立者兼ディレクターで、中東研究のためのスカラシップの貧弱さを批判する親ユダヤ組織Campus Watchの設立者だとも。

 2003年にブッシュ大統領が露骨なネオコンのPipesを米国国立平和研究所(U.S. Institute of Peace)の幹部に指名すると民主党リーダーたちやアラブ系アメリカ人団体、人権運動家たちが猛反対したが、ブッシュは批判をかわすため、彼を議会休会中の任免特権─recess appointment─を駆使して任命した(ブッシュがボルトンを国連大使に任じたときと同様だ)…「力が紛争の解決に最も効果的」と主張する典型的強硬派で、近年は「オバマ大統領は元イスラム教徒だ」などと主唱している一人だとか…。*写真:Daniel Pipes

Wednesday, February 2, 2011

イスラエルの怖れとは? Bad news for Israel 


 エジプトの騒乱に対するイスラエル国内の空気をレポートするNYTの先月末の記事では、「ムバラク氏のイスラエルへの支持的な関係にも関わらず、右派や左派の多くのイスラエル人たちは、エジプト人たちがムバラク氏による専制政治を排除し、民主主義を打ち立てたい、との願いに共感を持っている。しかし彼らは、事態が速く動きすぎることへの怖れを抱いている…」と書いている。

 (同じことは、水曜日にイスラエルのネタニヤフ首相もそのスピーチでいっていた)

 イスラエルの某トップ官僚も「我々はそれが自由と繁栄と、機会への願いに関わるものだと知っている、そして我々は専制政治の元で生きたくない人々を支持する、しかしそれが起きた後に誰がアドバンテージを得るのか?」、…と問いかけていたという。
http://www.nytimes.com/2011/01/31/world/middleeast/31israel.html?ref=benjaminnetanyahu

(リベラル紙ハーレツにはこのような記事も見られる「As an Israeli, I want the Egyptians to win(イスラエル人として、私はエジプト人たちに勝ってもらいたい)」http://www.haaretz.com/blogs/a-special-place-in-hell/as-an-israeli-i-want-the-egyptians-to-win-1.340886  )

─以下はイスラエル在住の人たちがイスラエルが陥っている危惧を伝えている記事だ─

ムスリム同胞団への懸念:
イスラエルはエジプトの政権交代を怖れるBy Gil Yaron in Jerusalem (1/28, Spiegel Online)
<冒頭省略>

…イスラエル政府は沈黙し続けている*註 これが掲載された1/28にはネタニヤフ首相はまだ懸念表明をしていなかった

「我々は事態をつぶさにモニターし続けているが、隣国の内政に対し干渉する気はない」と、イスラエル外相は本紙 シュピーゲルに対してコメントした。

そのため、コメントを求めるジャーナリストにとってイスラエルの前産業通商大臣ビンヤミン・ベンエリエゼル(Binyamin Ben-Eliezer)が先週閣僚を辞任して、今週はフリーで野党労働党員としての見解を述べられる立場にいるのは、幸運な偶然だ。「私はその可能性(エジプトに革命が起こる可能性)はないと思う」とベンエリエゼルはIsraeli Army Radioで語った。「私は事態がもうじき鎮まることと思う」とイスラエル・アラブ関係論の専門家でエジプト諜報機関のチーフ、オマール・スレイマンの友人でもあるイラク生まれの前大臣はいう。

ベンエリゼルの言葉は、イスラエルの諜報部および中東専門家らによる現状へのアセスメント…彼らはエジプトの軍の力が強大であることを指摘する…とも一致する。彼はArmy Radioでのコメントで、エジプトの抗議運動に対するイスラエルの立場を説明した。「イスラエルはそこで起きていることに対して何もできない」、「我々ができるのはムバラク大統領への支持を表明し、暴動が静かに過ぎ去るのを待つことだけだ」。彼はエジプトがこの地域で最大のイスラエルの同盟国であることを付け加えた。

不安定な平和 Uneasy Peace

エジプトは1979年に、最初にイスラエルとの平和条約を結んだアラブ国家だったが、その近隣諸国との関係はデリケートであり続けた。よい関係性というものは政府関係者同士のサークルに限られていた。カイロの政権は、両国の市民社会がより密接な関係性を設立しようとすることを阻もうとした。例えば、両国の医師たちやエンジニアたち、法律家たちの間でプロフェッショナルな交流が行われる場合は、政府が彼らに「イスラエルとの国交関係を正常化することには寄与しない」、との宣誓をするよう求めた。

和平合意の締結から30年たった今でさえ、(エジプトの)近隣諸国との年間貿易額は1億5千万ドル(1億1千万ポンド)に過ぎない(参考までに、イスラエルのEUとの2009年の年間貿易額は200億ポンドにのぼる)。

シナイ半島の副知事を巻き込んだ最近の事件は、エジプト人たちがイスラエルのことをどう思っているのかを暴露した。沖合いの海で鮫による攻撃が起きた後、同知事はそれについて、イスラエルの諜報部がエジプトの旅行産業に被害を与えるために仕組んだ殺人魚である可能性は排除できないと述べた。アレクサンドリアで1月1日に教会が攻撃され流血の惨事の起きた後、エジプトのムスリム同胞団のスポークスマンは、キリスト教徒とイスラム教徒の不和を醸成するためにイスラエルがこれを企んだ可能性がある、との憶測を述べた。

もちろんムスリム同胞団の存在は、イスラエルが公式にムバラク政権を強く支持する、主要な理由のひとつだ。同胞団はエジプトで最もポピュラーな運動と考えられるが、イスラエルとの和平合意に関するその立場は明らかだ:彼らはそれを直ちに撤回したいと考える。「民主主義とは、何か美しいものだ」、と2003年から 2005年にかけイスラエルの駐エジプト大使であったEli Shakedはシュピーゲル・オンラインとのインタビューに答えて言った。「しかしながら、ムバラクが権力を維持することが、イスラエル、米国、及びヨーロッパにとって大きな利益がある」

イスラエルにとってそれは、現今のエジプトとの間の「冷たい」平和("cold" peace)と呼ばれるものや、同国との数千万ドルの年間貿易額よりもずっと大きなものに影響を及ぼす。「イスラエルがスンニ派アラブの国々と、今日のように密接に、戦略的な利益を一致させたことはなかった」、とShakedは主にスンニ派イスラム教徒が人口の大半を占めるアラブの国々、すなわちエジプト、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)等に言及して語る。最近のWikiLeaksによる外交公電の公表は、彼がこのようなことを意味していたことを示唆する: アラブ諸国の大半、そして特にムバラクも、イスラエルと同様に…シーア派イランとその同盟国(即ちガザ地区のハマス、レバノンのヒズボラ等)というものを、彼らに対する脅威(existential threat)である…と考えている ということを。

深刻な潜在的危険性 Potential Serious Danger

「もしもエジプトの政権に変革が起きたならムスリム同胞団が舵を取るかもしれず、それはこの地域にはかり知れない影響をもたらす」とShakedは言う。イスラエル政府は、30年間の平和の後にもエジプト軍が、未だにイスラエルとの戦争というものを想定して軍の装備を準備し、訓練を行っているという事実を、懸念とともに指摘する。

エジプトとの平和条約の破棄は、米国製のモダンな兵器を装備した世界で11番目に大きなエジプト軍との新たな対峙(New front)を開くことになるのだ。しかしイスラエルが─何となく余り、ありそうにない─エジプトとの武力衝突よりも怖れていることとは、カイロのイスラム原理主義政権とハマス(彼ら自身をムスリム同胞団の支流とみなす組織)が同盟関係を結ぶことなのだ。

今日エジプト軍は、シナイ半島からガザ地区への(ハマスの主要な供給ルートである)武器密輸を─しぶしぶながらも─阻止しようとしている。ガザとの間の武器供給の国境線を開くようなエジプトの政権があった場合、それはイスラエルに深刻な危険をもたらす。

Shakedは西側諸国がエジプトに、より一層の開放性と民主主義を要求することを、致命的なミスだと考えている。「ムバラク政権が、民主主義に取って代わられると信じるのは妄想だ」と彼は言う。「エジプトは未だに民主主義を受け容れられるレベルにはない」と彼は─文盲率が20%を超えることなどを一例に挙げつつ付け加える。ムスリム同胞団は唯一の真の代替的選択肢(オルタナティブ)だが、それは西欧に破滅的な影響を招きかねない、と彼は嘆く。「彼らはもしも政権をとった場合に彼らのいかなる反西欧的態度をも変えない可能性がある。それはこれまでどこでも起きたことがない:スーダンでも、イランでもアフガニスタンでも(その、イスラム原理主義勢力においては。)」

究極的には、親西欧の独裁政治か反西欧の独裁政治かという問題だ、とShaked はいう。「ムバラクの周囲の親しい人間(インナーサークル)の中の誰かが彼の遺産を引き継いでくれること(いかなるコストを支払っても)が我々の利益になる」。その過程においては、短期的に大きな流血の起こる可能性も否定できない、と彼は言う。「エジプトの暴動が残酷に制圧されることは、これが初めてではない」
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,742186,00.html


イスラエルにとっての悪いニュース Yalla Peace: Bad news for Israel By RAY HANANIA (2/1, Jerusalem Post)

─民主主義はエジプトの人々に声を与え、彼らの声は和平合意の破棄を要求する可能性がある─

エジプトの全面的な民主的抗議運動は…中東の他の多くの国々よりも民主的な国だが、完全に民主的ではない国イスラエル…にとっての悪いニュースを意味する。
何千何万の反対者がエジプトの主要都市を埋め、終身大統領ホスニ・ムバラクの辞任を要求し─その余波はヨルダンやシリアの専制政治にも及んでいる。
ムバラクは中東で最悪のアラブの専制君主ではないものの、彼はアメリカの傀儡とみなされ─そしてアメリカは今、自身が奇妙なポジションにあることを発見している。アメリカはエジプトの民主主義を他の国々でも行ったようにバックアップするのだろうか、それともエジプトが独裁制からよりオープンな(開放的な)独裁制へと移行することを助けようとするのだろうか?

なぜアメリカ人は、エジプトの専制支配を終わらせることを阻止しようとまでするのか?何故ならエジプトは、アメリカとイスラエルの中東での外交戦略のコーナーストーン(礎石)だからだ。
エジプトの現状維持なしには、イスラエルは多くのものを失ってしまう。

平均的なエジプト人は、ムバラクの前任者アンワル・サダトが1978年9月17日にサインした(イスラエルとの)和平合意を支持してはいない。サダトは、エジプトとイスラエルの間の平和は、パレスチナ人、ヨルダン人、シリア人、レバノン人との間の平和を先導する、と論じようと試みた。…しかしヨルダンを除いては、それらの平和は未だに捉えどころのない状態にある。

サダトの暗殺の後、彼の軍事参謀の一人だったムバラクが大統領になった。外交的才能は未知数ではあったが、彼はイスラエルとの間の不人気な和平条約のケアテーカー(暫定的世話人)となった。
彼は独裁者だが、エジプト人は他のほとんどのアラブ諸国の民衆よりも多くの自由を享受してきた。

イスラエルがエジプトとの和平合意から得られる主なベネフィットとは、国交関係正常化だけでなく、それまでエジプトにより与えられていたエジプトとの戦争の脅威を取り除くことだった。 (*注:イスラエルの年間軍事費は和平合意後、締結前の約3分の1に激減した)

イスラエルにとって一旦、エジプトの合意にサインがなされるや否や地域戦争の脅威は消滅し、原理主義的なイスラムの前衛ハマスやヒズボラ(イランの代理人)や、専制的・独裁的国家との代理戦争にそれは取って代わられた。

表面的には、エジプトが民主主義に変わるのは結構なこと─それがアメリカやイスラエルをぎこちない立場に陥らせはしても、良いことであるように聞こえる:確かに彼らは民主主義を欲している…しかしイスラエルとの和平合意が損なわれなければ、の話だ。

現状におけるイスラエルとの平和とはムバラクのような独裁者によってのみ実現可能なものなのだ。民主主義は人々に声を与えるが、彼らの声とは明らかに和平合意の破棄を求めている。

もしもエジプトの政権が堕ちるならば、反イスラエル感情の唱和がアラブ世界全体に広がり、おそらく(各地で)新たな地域戦争を起こす可能性がある。ヨルダンではすでに反体制デモがおき、シリアの専制君主バシール・アル・アサドも同じような反対デモの阻止策を即時に講じた。

そうなれば、イスラエルはこの地域で自らが1960年代の状態に立ち戻ったことを発見し、アラブ世界の国々の間で孤立し、より一層の戦争の危険性に恒常的に脅かされることになろう。

アラブ世界は、西欧とイスラエルの友であり敵である独裁者の足下に置かれるかも知れないが、しかしアラブの民衆は、イスラエルに関しては長年にわたるニセの約束と悪い取引交渉を通じて、そのことを見通す賢さを持っているだろう。

もしも民主主義がエジプトを席巻し人々が実権を握ったなら、イスラエルは重要な転換の軸に直面する:平和を拒絶する従来の方向性をとるか、中東のコミュニティの真のメンバーとなるために、パレスチナ人たちとより真剣に交渉を行うか、の。

民主主義は良いものだ、しかしそれによって現状維持の都合の良さを破壊するという代価を購わねばならないのだ」。

最大のルーザーとは独裁者たちと、西欧の外交政策と、おそらく、イスラエルだ。

(*筆者のRAY HANANIA氏は、パレスチナの大統領に立候補しているというパレスチナの知識人http://www.yallapeace.com/
http://www.jpost.com/Opinion/Columnists/Article.aspx?id=206277

Tuesday, February 1, 2011

アメリカ人にとってのエジプト?* 我々のよく知る悪魔 The Devil We Know - By ROSS DOUTHAT

ダウザットのコラムは、エジプトの現状に対するアメリカ人の心情をよく表している様だ

我々のよく知る悪魔 By ロス・ダウザット (1/30, NYタイムス)

世界がホスニ・ムバラク後のエジプトの運命について思案をはじめた今、アメリカ人はこのことを考えるべきだ:もしも、ムバラクが独裁者として30年間エジプトを支配していなかったなら、世界貿易センタービルは今でも建っていただろう。このことはムバラクの政権がずっとアメリカの不動の同盟国であって、我々にとっての反テロ戦略におけるパートナーであり、イスラム過激派の仇であっても、なおさら真実だ。あるいはより適切にいうなら、彼の政権がこれらすべてのものであるから真実だ。 

ローレンス・ライトは、そのアル・カイダの歴史を描いた著書、″The Looming Tower” のなかで「アメリカの9月11日の悲劇は、エジプトの刑務所のなかで生まれた」と書いていた。ムバラクは、エジプトのムスリム同胞団の収監を訪ね、彼らに拷問や国外追放を課して、彼の国でイスラム革命が起きるいかなる可能性をも排除してきた。しかし彼は同時に、彼の国のイスラム原理主義者たちが過激化し国際化することをも助けてきた。オサマ・ビン・ラディンの第一の副官で、おそらくはアル・カイダの影の本当の頭脳、アイマン・アル・ザワヒリのような男たちをエジプトの政治の外に押し出し、グローバルなジハードのなかに追いやることで。 

同時に、ムバラクのワシントンとの関係は、ジハーディストの抱く世界観にも常に正当性を与えてきた。彼の支配下のエジプトは、イスラエル以外のいかなる国よりも多額のアメリカドルをアメリカから受け取って来た。多くの若いエジプト人たち…政治的・経済的停滞の最中でも気ぜわしい彼らにとっては、彼らの独裁者を憎むことから、その独裁者のアメリカのパトロンを憎むことに転換するのはほんのひと飛びの跳躍でしかない。こうした跳躍をした一人の男とは、建築科の学生でMohamed Attaという男、つまり世界貿易センタービルにアメリカン航空の11便が激突したときコックピットにいた男だ。

これらの事実はムバラクの身に起きそうな失墜を、そしてアメリカにとって、彼の何十年もにわたるくすんだ抑圧的政権とのもつれ合いを終わらせることを歓迎する、よい理由のようにも聞こえる。だが不運にも、中東の政治がそんなに簡単だったことは一度もない。アメリカはムバラクを長らく支持してきた、なぜなら二つの相互に関連した怖れがあったからだ:それは新たなホメイニの出現と、新たなナセルの出現だ。この二つの懸念は今日でも完全に正当化されるものだ。

最初の怖れについては誰もが理解する、なぜなら我々は… 現在カイロとアレキサンドリアを席捲している革命ともよく似た自発的に起きた革命の余波のなかで、アヤトラ・ホメイニが1979年にイランに打ち建てた宗教的独裁政権と、今もなお共に居るからだ。

二つ目の怖れはそこまで共鳴しやすいものではない─何故ならガマル・アブデル・ナセルは今や40年間その墓のなかにいるからだ。しかし、ファラオの国が腐敗した政権を最後に倒したのは1952年であり、ナセルはその便益の享受者だった─そしてワシントンは彼が権力の座についた日のことを後悔している。

ナセルは、イスラム原理主義者ではなかった:彼は世俗的な汎アラブ主義の社会主義者であり、そのことが彼を歴史の最前線に押し出したようにみえる。しかし彼の影響下において、エジプトは中東政治を不安定化させるアグレッシブな勢力になった。彼のアラブ世界統一の夢は、レバノンからイラクにいたる大動乱とクーデターをもたらした。彼はイスラエルと二度の戦争を戦い、そしてイエメンへの破滅的な介入をした。彼の軍隊はその紛争で毒ガスを使用したと訴えられたが、これはサダム・フセインの行った国内戦略の陰鬱な予兆だった。そして彼による大陸間弾道弾の開発は、今日のイランの核開発をめぐる瀬戸際政策の衣装リハーサルのようで、その兵器開発計画の弱体化のためイスラエルが密かなキャンペーンを行うことでその類比も完璧だ。

ナセルについての記憶は… もしもムバラク後のエジプトが宗教独裁政治に陥らなかったとしても、それが未だにいっそう反米的な方向へと急激に傾く可能性が高い…と想起させる。アメリカにとっては、ムバラク時代のような静止的均衡状態(それがテロリズムの誘発を助けていたような状態)よりもいっそう、ポピュリズムとナショナリズムに支配されるエジプトがもたらす長期的結果の方が好ましいかもしれない。しかし再び言うが、その結果はこれまでよりも悪くなるかもしれない。どのドアの背後にも悪魔が潜んでいる。

アメリカ人は、このことを認めたくない。我々は外交戦略のシステムのなかに避難壕(refuge)を設ける:リベラル主義的なインターナショナリズムや、リアルポリティーク、ネオコンサーバティズム、あるいは不干渉主義、などだ。我々にはセオリーがある、そして現実がそれらのセオリーの後ろに一列に並ぶことを期待する。民主主義を支持せよ、そうすれば、安定状態はそれ自体の安定化に対して心を配る。干渉するな、そうすれば誰もあなたに干渉しない。国際的な制度組織が平和を維持するだろう。いや、バランス・オブ・パワーの政治がそれを行うだろう。

しかし、歴史は我々すべてを笑い物にする。我々は専制君主たちと取引したが、それはテロリズムの旋風という収穫をもたらした。我々は民主主義を推進したが、その結果、イラクからパレスチナに至る地域でイスラム原理主義者たちが力を得るのを見た。我々は人道的な介入に飛び込んで、そしてソマリアで流血の事態に遭った。我々は手を引き、そしてルワンダをジェノサイドが包囲するのを見た。我々はアフガニスタンに介入し、そこを後にした、そしてタリバンが権力を奪うのを見た。我々はアフガニスタンに介入してそこに留まり、罠に捉われ終わりの見えない状態となった。

遅かれ早かれ、セオリーというものは常に失敗する。世界はそこでは余りにも複雑すぎ、そして悲劇的すぎる。歴史は上昇する弧を描くが、多くの危機は未知というものに対して未知を秤にかけるよう要求し、相い競いあう悪魔のどちらかを選ぶよう要求する。

エジプト人が彼らの国の未来のための闘争を見ながら、我々の抱ける唯一の心の癒しとは、その選択がアメリカ人の行う選択ではないということだ。
http://www.nytimes.com/2011/01/31/opinion/31douthat.html?_r=1&scp=1&sq=Davils%20we%20know&st=cse

*エジプトの英雄ナセルのことをここまで悪くいうのは少し驚かされるが、西欧人の意見としてはよく聞かされる

Sunday, January 30, 2011

エジプトの怒りの日々 Days of rage in Egypt

エジプトの大都市では、警察は完全に姿を消し、治安維持の面では、軍が完全に取って代わった。ムバラク大統領自身が警察に帰宅を命じたという噂もある─
 軍がどちらの味方なのか、当初は色々な憶測が飛んでいた─カメラの前で、群衆と握手を交わす兵士も映し出された。しかし週末以来軍はやや統制を強めてもいるようだ。

  今後エジプトにおける軍勢力は'Turkish model'のように…丁度トルコで建国以来世俗派政権と人々を守る役目を果たしてきたトルコ軍のような位置を保つだろう、と述べる欧米の某アナリストもいた。ABCのマーサ・ラダッツ記者はエジプトにおいて軍は伝統的に民衆に最も尊敬を受ける組織で、また軍は彼ら自身の組織の維持を第一と考えるに違いない、それ故民衆の尊敬を損ねる行為は行わないだろうと予測した…

 また今回抗議の群衆に対し、ポリスが放っていた催涙弾は「メイド・イン・US」と書いてあり、今のエジプトと米国の関係を象徴していたのだという。
 
 …「米国が昔、イスラエルとの関係正常化して以来、エジプトはイスラエルとの関係を保持するための重要な要だ。 スエズ運河を管理し、中東からの膨大な欧米への石油輸送を可能にし、アラブ諸国の安定化の要となってきた。パレスチナの現状の安定化(ガザの包囲維持、物資の禁輸の部分的維持)にも重要な役目を果たしている」 と、アル・ジャジーラのワシントンDC特派員もサマライズしていた。
 オバマ大統領にしてもムバラクにステップダウンしろ、とはいえず ここ数日ももっと改革を進めよ、人々の意思を尊重しろ等と求めるのみだった…

 イスラエルは以前中東戦争の最中に、一時シナイ半島を支配していたこともある。欧米の「陰謀論者」はこのまま、エジプトで政権が揺るがされたらどうでるのか、という憶測をする人もある。現状ではまだそこまではいかないだろうが。イスラエル寄りの人々の間では、実際に反体制の群衆はイスラエルを志向して、外務省の周りに集まった人々はイスラエルに行きたいんだ、などの可笑しなジョークをいう人さえいる。否、イスラエルにとってエジプトの現政権が倒れることによる危機の大きさは計り知れない。ネットを見れば、何だかんだ言っても 英米人にはムバラク政権が倒れて ムスリム同胞団などのイスラム原理主義政権に取って代わられては困る、という本音がみえる…

 しかし米国にはムバラクをもはや無条件で支持するわけには行かない、ムバラクは米国にとって負債になった─と米国の主要紙も警告している

大規模な反乱へのムバラクの返答は、エジプトの軍による支配の終焉を命じるのか(1/29 By Juan Cole)

彼はエジプトの前諜報長官、Omar Suleimaを彼の副大統領に指名した
彼は空軍参謀長の(Ahmad Shafiqを首相に指名した
あなたは、TONE DEAF耳つんぼという単語を綴れるか?

カイロ、スエズ、マンスーラ、アレクサンドリアでは抗議のため、夜になると群衆が戒厳令に逆らい街路にでている。警察はアレキサンドリアとカイロの内務省ビルの周囲で発砲したという。過去数日間に100人ほどが死亡したという。軍は広汎に、デモ隊に対しても、治安勢力の減小がもたらした略奪にも余り手をださずにいる。警察は不在となっている。近隣地域の急ごしらえの自警団が、泥棒や押し込み強盗、強姦者の侵入に対する警備に当たっている。エジプトの博物館でおきた比較的軽度の略奪事件は愛国的な群集が協力しあって阻止し、その後軍隊が警備に到着した。人々の中にはムバラクが中流階級の市民に、法や秩序のない生活がどのようなものかを味わわせるため、警察に自宅待機を命じたのだ、と噂するものがいる。それが真実かどうかは分からない。もしそうなら、階級的な心配事に付け込んで、群集の抗議行動が、強欲なスラム街の住民によるものだという印象を演出しようとの意図があると思われる。
http://www.juancole.com/2011/01/mubaraks-response-to-demand-for-end-of-military-rule.html

エジプトの怒りの日々 
Days of rage in Egypt-By Victor Kotsev (1/29, AsiaTimes)


テル・アビブにて─
「エジプトを水面下で焚きつけているものが何なのかは、よくわからない」、と米国の有力シンクタンクStratforは、3週間前にキリスト教会の爆破テロがこの国を揺るがしていた時、エジプトの国内情勢を分析して書いた。それは3日間にわたる反ムバラク政権の抗議行動が巻き起こった今日、さらにますます本当になっている。木曜日には、いくつかの異なる報道が、衝突による死者は4人から7人、怪我人は多数に上り、860名以上が検挙されたと伝えたが、情勢は動いており、政府官僚は硬く口を閉ざし、ジャーナリストは報道制限にあっているとのことで、信用できるデータをみつけるのは困難である。
TwitterやFacebookのようなソーシャル・ネットワーキングのサイトも度々、部分的に接続できなくなっている。木曜夜までに2000人以上が逮捕されたと人権団体は伝えている。

抗議デモは火曜日─エジプトでは警察への敬意を表すための祝日だった─に始まった。彼らは専制的な大統領Zine el-Abidine Ben Aliが追放されたチュニジアの状況によって鼓舞されていた。NYタイムスによれば、抗議行動は伝統的な抗議行動とは異なり「エジプトの若者たち」に先導されていたというが、これもチュニジアの状況とパラレルだ。

「我々は変化を求めている、チュニジアと同じように」と、一人のデモ参加者、24歳のLamia RayanはいったとAPは報じた。Ben Aliへの反乱を引き起こしたMohamed Bouaziziの焼身自殺の例にならって、エジプトでもこのところ、多くの人々が自身に火をつけようとした。

火曜日のはやい時間には抗議行動は平和的で、警察も非常にその行動を抑制していた。しかし午後以降、何千もの人々がタフリール(開放)広場に流れ込んでムバラク退陣を要求すると、数箇所の都市で衝突が起きた。それに続く何日か、抗議行動の人数は多少小規模だったが、木曜日にスエズ・シティで大きな衝突が起きたといわれる。エジプトの有力な民主的改革派であり、ノーベル平和賞受賞者のMohamed ElBaradeiが抗議行動を主導するため、自ら亡命していたオーストリアから帰国した。

金曜日は決定的な日となると予想された。ムスリム社会では、金曜日には大半の男性が昼の礼拝でモスクに集まるため、聖職者が呼びかければ街頭での抗議行動へと誘引しやすく、デモの実施には都合のいい日だった。しかし、最有力の反政府勢力といわれるムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)は、抗議行動の影で、その最大限の影響力の行使を控えていた。

しかし木曜夜にこの情勢は変わり、同胞団は「金曜日はエジプトの国のための、総体的な怒りの日となる」という声明を発した。これは反政府勢力の世俗的リーダーであるEl Baradeiの存在によってさらに煽られる、不吉なサインだった。
何が起こるかの確かな予測はできない。多くの観察者はムバラクが、よく組織化された彼の治安部隊の助けのもとで嵐を乗り切ろうとするだろうと考えている。火曜日にはアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が、彼の政府に行動の抑制と改革を求めたにもかかわらず、その政府は「安定している」と描写した。

エジプト大統領がトップとして現れるだろうということは、隣国イスラエルの、大方のアナリストの結論でもある─そこでは現状が大いなる注目をひきつけているが、その政府はエジプトの状況との距離を保とうとしている(過剰なほどのコメントが、イスラエルがエジプト国内の情勢に干渉しているとの陰謀論を支持している)。

それでも、木曜日にあるイスラエルの閣僚はHa'aretz紙で匿名でコメントを語った、「ムバラク政権は軍と治安維持策の確かな基盤の上にたっている…彼らは街頭で勢力と力を行使せねばならず、それを実行せねばならない。私の査定では、彼らにはその力がある」

そしてイスラエルからの旅行者たちは、依然として、カイロに到着し続けている─それはイスラエル政府が情勢には余り心配を抱いていないとのポジティブなサインだ。木曜にDov Nahariという旅行者が地上からYnetに投稿したのは、国際メディアは完全に騒ぎ立て過ぎているということだった。「我々はイスラエルのTVを見てやや怖れを抱いたが、我々はもうこの怖れを克服した」「我々は今も、ピラミッドとスフィンクスの前に世界中からの旅行者と共にいるので、この怖れは和らげられている。警察官もあちらこちらに居るけれど、全てはグレートだ」

しかしもっと確信のないアナリストたちもいる。例えば、木曜日にはStratforが今の状況を1979年のイランに喩える~(中略)
~無論、ムバラクはこれまでにない国民の不満に直面している。昨年11月の議会選挙の際にも、主要野党(ムスリム同胞団を含め)がその第2ラウンドで撤退し、結果として一人も代表を送らずにいる。キリスト教会への攻撃はこの国の緊張状態と過激化を強調した。

貧困レベルは驚くべきものがある。過去2年、世界的な経済危機がエジプト経済にも逆風となったが、現政府の対応は後ろ手に回っていると思われている。Ha’aretzによれば「エジプトの8千万の人口は年々2%ずつ増えている。3分の2は30歳以下で、その90%は失業している。40%の国民が1日2ドル以下で暮らし、3分の1の国民は読み書きができない~(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MA29Ak03.html

ムバラクは権力に固執、米国は米国人の国外脱出用にフライトを用意U.S. Offers Evacuation Flights as Mubarak Clings to Power (1/30,NYTimes)

~抗議行動の震源地となっているタフリール広場の中心ではデモ参加者が再度結集したが、人々の中には軍の兵士に対して彼らが守護者であるかのように敬意を表している。ある地点では群衆が軍人の身体を担ぎ上げ、人混みの頭上を「人々と軍は一つだ」と唱和しつつ渡していった。
しかし朝の時間が経つにつれ歓喜のトーンは悪い予兆の感覚によって抑えられている。軍のジェット戦闘機とヘリが力の誇示のために広場の上空を飛来し、群衆をコントロールしようと兵士が空にむけて銃を放った。
カイロの別の場所では、目撃者によると武装兵士たちと100台の戦車が、1979年にイスラエルとCamp Davidの和平合意を結んだサダト前大統領が1981年に暗殺された時と同じパレードの会場地点に終結したという。そのときムバラクは副大統領だったが、サダトの暗殺により、彼がそれ以後決して後継者に譲ろうとしない現在の地位に押し上げた~
http://www.nytimes.com/2011/01/31/world/middleeast/31-egypt.html?_r=1&hp

エジプトの若者たちが、ムバラクへの叛乱を先導する By DAVID D. KIRKPATRICK and MICHAEL SLACKMAN(1/26, NYタイムス

何十年もの間、エジプトの専制的大統領ホスニ・ムバラクは彼の政敵に対して賢明なゲームをしてきた。彼はリベラルな知識人たちの小さな、牙のない反対運動による無駄な選挙キャンペーンが民主的プロセスのうわべの外観を創造することを赦してきた。そして彼は彼自身がかつて正当化していた警察国家のやり方と同じ脅迫を行う、非合法化されたムスリム同胞団を、暴力的な過激主義者たちとして悪魔扱いした。
しかしこの永らえた…多くの人が余りにも安逸だという関係性は今週、予期できない第3の勢力、つまりリーダー不在の何千何万の若いエジプト人たちが現れ、ムバラクの30年の支配を終わらせるよう求めたことで、ひっくり返された。

今や、古参の反対野党たちは彼らに追いつこうと必死だ。

「イニシアチブをとって日取りを決め、決行したのは若い人々だった」と国際原子力機関の前理事長、Mohamed ElBaradeiは水曜日にカイロに急遽帰国するすぐ前の電話インタビューで、彼のウィーンのオフィスから少し驚きをこめて述べた。
Mohamed ElBaradeiはノーベル平和賞受賞者だが、1年ほど前に祖国の政界に飛び込んで以来、エジプトの気難しい(手におえない)、非効率的な反政府運動を再活性化するためのパブリック・フェースの役割を務めてきた。そして彼は若者の運動は彼ら自身が達成した、という。「若者たちには忍耐心がなない」、と彼はいう。「正直言って、人々にはまだ用意ができているとは思えない」

しかし彼らの準備ができていたこと─何万もの民衆が催涙弾やゴム弾、拷問で悪名高い治安勢力のオフィサーたちに勇敢に立ち向かったこと─は伝統的な反政府勢力を出し抜き、その座を奪ってしまった。

多くの小さな、合法的政党─20以上もの…彼ら自身の間でやっとひと部屋を満たす程度の数の草の根的支持者を擁する─は新しい変革のための運動に飛びついたが、街頭の若い抗議者たちの間には余り信頼されてはいないのだ。

ムスリム同胞団ですら、それ自身の組織制度と立場の保持のために余りにも防御的になっており、今や新たな若者の運動に乗じて利用することを模索している、とアナリストらやその前メンバーたちは言っている。同胞団はエジプトで政府以外の最大の支持基盤を持つ組織であり続けてはいるが、もはや大衆を街頭に繰り出させることのできる唯一の存在である、と自称することはできなくなっている。

ElBaradei博士は、1年近くにわたり彼の傘グループであるNational Association for Changeに反政府運動を統合しようとしてきた。しかし彼のことを、バリケードの上にいるよりも、大半の人生を海外で過ごす、世界各国を旅するディレッタント(好事家、素人芸術家)としてからかう人もいる。

彼はインタビューで、彼は彼自身を政治的な救済者だと思ったことはなく、エジプト人は彼ら自身の革命を起こさねばならないと述べた。今や彼は、若者の運動が「彼らに必要な自信を与え、変革はあなた字真によって起こることを─あなたが担い手となることを」と知らせたと語る~(中略)

~「いかなる政党も、昨日の"ミニ・インティファーダ(*)の主唱者であるなどと、名乗ることは犯罪的なことだ」、とブロガーで政治運動家のHossam el-Hamalawyは語る。 (*パレスチナの民衆蜂起への例え)

とはいえムバラク氏の政府は、馴染みのあるシナリオに固執している。全ての証拠にも反して、彼の内務大臣は水曜日の動乱に際し、即座にそれが、政府の古き宿敵であるムスリム同胞団の仕業だと非難した。

しかし今回は同胞団は関与を否定し、それはElBaradei博士の傘組織のグループの一部によるものだと述べた。「人々は抗議行動に自発的に参加し、そこでは誰がどの組織に所属するかも分からない」と同胞団のメディアアドバイザーのGamal Nassarは、抗議行動にいかなるグループのサインもスローガンもないことと共に指摘する。

同胞団は、政府の公共サービスの多くの不備を埋めるための、学校や慈善事業の広汎なネットワークを運営している。幾人かのアナリストは、同砲団の制度的な惰性というものが、エジプト人の船を揺り動かすにはスローすぎる動きをもたらしているのではないかと指摘する。

「同胞団は非常な沈黙を維持している」と、カーネギー財団中東センターのリサーチディレクターAmr Hamzawyはベイルートで述べた。「彼らは街頭で起きていることや、そこにいる人々を取り込むことで利益を得る組織ではない」

ElBaradei氏もまた、ムスリム同胞団が西欧でその名が脅威を感じさせるものになった場合、メリットを得るものだろうか、と論じている。その会員にはその慈善事業でメリットを得るフォロワーたちの他に、数多くの大学教授や弁護士その他の専門職の人々を擁している。彼らは60年前に、英国が後ろ盾になっていたエジプトの専制君主に対して叛乱が起き、同君主が多元的な民主主義社会の実現を要求したことに対して、これに支持表明をしたとき以来、暴力的行為に関与をしたり、それを許したりしたことは一度もない。

「彼らは(単に)宗教的に保守的なグループなのだ、そのことには疑いがない。そして同時に彼らはエジプト人の20%を代表してもいる」と彼はいう。「あなたはエジプト人の20%を、どうやって除外することができるのか?」

ElBaradei博士は彼の多くの先任者たち同様に、その国際的名声により、ムバラク政権にとっては刑務所に収監したり、嫌がらせをしたり貶めることのできない難しい批判分子だ。そしてElBaradei博士は、イスラム過激派についての懸念に対して、反体制勢力というものに世俗的でリベラルな、見慣れた相貌を与えることでこれを和らげる。 (写真はElBaradei氏)

しかし彼は、西欧での彼への批判には、ますます声を高めて反論している。彼はエジプトの抗議運動に対するヒラリー・クリントン国務長官の反応には驚愕した、と言う。火曜日の衝突の後の声明で彼女は、エジプト政府に行動の抑制を求めたが、エジプト政府が「安定して(stable)」おり、「エジプトの民衆の正当な要求と利益に応えられる方法を探すように」、と求めた。

「"安定している"とはとても致命的な(悪質な)言葉だ」と彼は言う。「30年にわたる戒厳令、選挙操作に対して安定している、というのか?」
彼は付け加える、「もしも後に彼らが再び現れて、チュニスでそうしたように、”我々はチュニジアの人々の意志を尊敬している”などというならば、すでにそれは遅きに失することになる」
http://www.nytimes.com/2011/01/27/world/middleeast/27opposition.html
*「若者たちが、先走って」抗議デモを誘導したと賞賛する部分はNYタイムスによくありがちな書き方だと他の国のメディアでは批判も…。
*ElBaradei氏はABCのインタビューでもムスリム同胞団について、彼らが過激派ではなく保守派であることを強調し、また国民の20%(のみの)支持層をもつ政党であると延べ、明らかにムバラク政権が他にとって代わられる場合の西側の懸念を和らげようと努力している。警察が姿を消したことについてElBaradei氏は、それを誰が命じたのかはわからないと述べている。
(Muslim Brotherhoodは1928年にエジプトでスーフィ派のHassan al-Bannaによって創始されたアラブ世界最古の由緒ある反体制グループで、Hamasなどアラブ世界全域にその流れを汲む反体制組織がある)
歓喜する抗議の群衆、エル・バラダイへの声援を送る Jubilant Protesters Hail ElBaradei (1/31,NYタイムス)
 要旨:抗議運動の群衆は、ムスリム同胞団に対し、少なくとも一時的にでも、反体制運動のリーダーとする、Mohamed ElBaradeiを支持して欲しいと求めた。これに対し、低姿勢を守ってきた同胞団のメンバーは週末に姿を現し抗議集会に参加─日曜にはElBaradeiが政府と政権交代のため交渉することを支持する、と述べた。
同胞団のリーダーで前国会議員のMohammed el-Beltaguiは、「同胞団は状況のセンシティブさを理解している、特にイスラム過激派に対する西欧諸国の懸念を理解する。そのため、今回は前面に出ることには熱心にならずにいた」 と述べた。 エジプト政府はこれに対し、終日沈黙を守り何のコメントもしていない。

日曜日には抗議勢力は、ムバラクによって副大統領に指名されたSuleiman氏は古い護衛部隊の残骸であると非難、より徹底的な刷新を求める、との要求を発した。2人の元・軍幹部、Suleiman氏と Ahmed Shafik氏の指名は、今後の情勢においても、軍部が中核的な役割を担うであろうこと、恐らく動乱の後の情勢も左右し、次の政権の決定にも、影響を与えるだろうことを示唆している(写真は元情報相長官で、訪問先のワシントンD.Cから急遽帰国したOmar Suleiman氏)
この数日間に看守たちが仕事を放棄した刑務所からの収監者の脱獄なども相次いでおり、Wadi Natrounの刑務所からはムスリム同胞団の34人の囚人が脱出した。しかし金曜日までに彼らは再度拘束された…
http://www.nytimes.com/2011/01/31/world/middleeast/31-egypt.html?_r=1&hp=&pagewanted=all

*(参考記事)「オマール・スレイマン、エジプトの謎のスパイ組織チーフが副大統領に」Omar Suleiman, Egypt's enigmatic spy chief turned vice president: Profile
http://www.middle-east-online.com/english/?id=43958