Saturday, October 3, 2009

《8年目の911…50の問い》/Fifty questions on 9/11 By Pepe Escobar


9/11の未だに解決されない疑問点─
8年目の今、ペペ・エスコバルが新たにピックアップした!


9/11についての50の問い By ペペ・エスコバル (9月11日、AsiaTimes)
  
8年の月日を経たいま、9月11日が完全に再来している… ジョージ・W・ブッシュ政権は舞台から去った。そして“テロとのグローバルな戦い(global war on terror)”は続いている…バラク・オバマの政権によって、それは"海外での有事についての作戦 overseas contingency operations"と改名されたものの。

 オバマの“新戦略”─つまり戦争のエスカレーション(戦争を徐々に拡大する政策)─はAfPak(アフガン・パキスタン戦略)において展開中だ。Osama bin Ladenは死んだかもしれず生きているかもしれない。"Al-Qaeda"は全ての心を捉える幽霊のような存在だ。9月11日─ネオコンたちの"新しいPearl Harbor"─は、若い21世紀の最も暗いジグソーのままだ。

  米国の支配層メディアやエリート政治家たちが真実を明かすように要求したり、2001年9月11日の米国への攻撃について徹底調査を求めるよう、期待するのは無意味だ。ホワイトウォッシュ(誤魔化し、取り繕い)こそが標準のnormなのだ。しかし、いくら既存の権力が、Dr.ズビグニュー・ブレジンスキーの"大いなるチェスボード(Grand Chessboard")の議論《*註:米国のユーラシア大陸での国際戦略を描くブレジンスキーの著書の題》等に光を当てても、前の国家安全保障アドバイザーのブレジンスキーは、ポスト9・11の“対テロ戦争”に関し、米国議会が“歴史をまるで神話のように語っている…”と認めている。

 次に掲げた多くのパートからなる質問は──9/11調査委員会によってもほとんど完全に無視された点ばかりだが…9・11の巨大な氷山の一角に過ぎない。これは、911 truth.orgや、whatreallyhappened.comが根気よく行ってきた問題提起…9/11 truth運動を構成したアーキテクトやエンジニアたちによるもの、イタリアのドキュメンタリー“Zero”による9/11の調査、Asia Times Onlineの読者からのEメール、などによるものだ。

 これらの質問にはどれにも納得できる答えが出されたことがない…オフィシャルな語り口においては。それは米国の市民社会が、圧力を維持できるかどうかにかかっている。この事件から8年がたち、緊急に導かれる根源的な結論とは: 9/11のオフィシャルな証拠は受け容れがたい、という結論だ。

Fifty questions (50の問い…抜粋)

1) 生死不明のままのOsama bin Laden は、なぜ連邦捜査局(FBI)によって、9/11事件の責任ある犯人として未だに公式に訴追されないのか?それは米国政府が…FBI自身も認めるように…結論を導くことのできるひとつの証拠すらも得ていないからなのだろうか?

2) なぜ当局は、19人のかみそり刃のボックス・カッターを持つモスレムといわれた実行者たちの全員を、72時間以内に──犯罪の現場検証もされない内に犯人だと特定できたのか?

3) なぜその19人のうちの一人の名前すら、事件当日ユナイテッド航空とアメリカン航空によって公表された乗客リストのなかに載っていなかったのか?

4) なぜ、FBIの最初の“オリジナル”リストに載っていた人名のうち8人は、別の国で生存していることが偶然にも判明したのか?

5) なぜ、信心深いジハード戦士だったMohammed Attaは、飛行機操縦のビデオ・マニュアルとユニホームと、彼の最後のメモを(自爆ミッションに向かっていると知りつつ)、彼のバッグの中に残したのか?

6) なぜMohammed Attaは、6つもの米国海軍の訓練基地のハブ(中枢地点)にあるOpa Lockaでフライト・シュミレーションを学んだのか?

7) なぜMohammed Attaのパスポートが、フライト・レコーダーの1つも発見できなかったWord Trade Centerの瓦礫のなかから、魔法のように見つかったのか?

8) 誰が、これらの4つの航空便から姿を消したこの─破壊不可能な──8つのブラックボックスを持っているのか?

9) 米国内で出ていた、テロの可能性を示す複数の非常警報(レッド・アラート)のことを想起すれば─前国務長官コンドリーサ・ライスの悪名高き2001年6月のメモを含めて─ コンピュータ制御の空路をはずれてレーダーの追跡から逃れていた4機のハイジャック機がなぜ、米国の上空を1時間半以上も自由に飛びまわれたのか?─そのときペンタゴンの防衛システムを作動不能状態にしたことは言うまでもなく?

10) なぜ米国空軍長官だったJames Roche はWTCに衝突した2機の旅客機(ニュージャージーのMcGuire空軍基地から7分しか離れていない地点にいた)の阻止すらも試みず、またペンタゴン(McGuire基地からたった10分の距離の)への衝突も阻止しようとしなかったか?Rocheにはペンタゴンに旅客機が衝突するまで75分間以上も時間があったのに?

11) なぜGeorge W.Bushはフロリダの学校で "My Pet Goat"(私の山羊さん)の話を繰り返し、シークレットサービスによって即座に“逃亡”させられなかったのか?

12) ブッシュは、どうやって最初の飛行機がWTCにぶつかったのをライブで見ることができたのか─彼があとで、そうと認めたように?彼はそれについての事前知識があったのか…それとも彼は超能力者だったのか?

13) ブッシュは彼とAndrew Card が、当初、最初のWTCへの衝突は小型機の事故だろうと思ったと言った。FAAもNORADも、そのとき既にそれはハイジャックされた飛行機だと知っていたのに、それは何故なのか?

14) 4機の異なる飛行機の自動発信応答装置(トランスポンダー)のスイッチが殆ど同時に、同じ地理的エリア(国の権力の中枢ワシントンからの至近距離)にありながらオフだった奇妙な状況がなぜおきたのか、そしてなぜ誰もペンタゴンまたは報道メディアに我先にコンタクトをとらなかったのか?

15) 国防長官のDonald Rumsfeldは、アンドリュー空軍基地には出動可能な戦闘機がなかったと当初、メディアで報道され、その後の訂正で─空軍機はあったものの高度警戒態勢にはなかった、とされた理由を説明できるか?

16) なぜ、ワシントンのDC Air National Guard が9/11にはAWOL(無断欠勤状態)だったのか?

17 ) なぜ、ニュージャージーのMcGuire空軍基地のジェット機が、7分以内にそれが遂行可能だったにも関わらず、2機目のハイジャック機がWTCに衝突することを阻もうとしなかったのか?

18 ) なぜAndrews 空軍基地の空軍機はたった16キロしか離れていなかったペンタゴンに衝突する航空機を妨げなかったのか?そしてその件で、なぜペンタゴンはその衝突の全貌のビデオを公表しないのか?

19 ) 多くの熟練航空機パイロットたち─米国の同盟国、エジプトの大統領・元戦闘機パイロットのホスニ・ムバラクを含めて─が暴露しているように…、よほど優秀なパイロットしかあのハイジャック機の行ったような複雑な飛行はできないといい、また他の人々は、リモートコントロール以外では不可能だという。つまりそれは、ハイジャッカーたちがそうした熟練技術に達していたことを意味するのか?

20) なぜ多くの目撃者たちが、WTCの2つのタワーのなかで何回もの爆発があったのを目撃し、その音も聴いたと誓って証言するのか?

21) なぜ、多くの名声ある建築家や技術者たちが頑固に主張するごとく─「ツインタワー」の史上まれな崩壊、そしてWTCの7号棟の崩壊(航空機が衝突したわけでもないのに)が、オフィシャルになされている説明ではまったく説明できないのか?

22 ) WTCの建築監督だったFrank de Martiniによれば、「我々はこのビルをもう一機の航空機の衝突に耐える強さに設計した」という。2機目の航空機は、タワー1をほとんどかすめただけで、大半の燃料は同タワーの外で燃えた。しかしタワー1は最初に倒壊した─1機目によって「大穴をうがたれた」タワー2が崩壊する大分前に。ジェット燃料はすばやく燃焼し、タワーの主柱の6本の鋼鉄製チューブを傷めるほどの2000度の高温には達しない(その柱はボーイング707の衝突によっても倒壊しないように設計されていた。)707はかつてボーイング757や767(実際に衝突した機種)より多くの燃料を積んでいたのだが。

23 ) なぜ、市長のルドルフ・ジュリアーニはWTCの瓦礫をリサイクルせず、即座に中国とインドに送ることを許可したのか?

24 ) なぜ、ペンシルバニアで墜落した航空機の残骸は墜落地点から13キロ以内で発見されたのか?同機は実際に撃墜されたのか─チェイニー副大統領の命令によって?

25) アフガニスタンのパイプラインへの疑問──なぜ、米国大使 Wendy Chamberlainは2001年10月10日にパキスタンの石油大臣と電話で喋っていたのか?それは彼に、1990年代にタリバンによる道路通行料の要求に阻まれて放棄されていたUcnocal社のガス開発事業TAP(Turkmenistan/Afghanistan/ Pakistanでの)のビジネスが再始動したと話していたのか?(2ヵ月後に両国の間でそのパイプライン建設の合意が締結されたが)。

26) なぜ、前ロビイストでかつてブッシュのペットだったアフガン人のZalmay Khalilzadがアフガンに(米国のアフガニスタン大使として)赴任したのか?

27 )なぜ、パキスタンの前外相であるNiaz Niakは2001年の7月中旬に、米国はすでに10月までにOsamaBin Ladenとタリバンを攻撃すると語ったのか?その話題は、パキスタンの外交筋によれば、7月のジェノヴァでのG8サミットの場で秘密に語られたというが?

28) なぜ、当時駐イエメンの米国大使Barbara Bodineが、2001年7月にFBI捜査官のJohn O'Neill にAl Qaedaの資金供給に関する捜査を打ち切るようにと要請し──、その直後にO'Neill はWTCのセキュリティーに関する仕事に異動させられ、そこで彼が911に死んだのか?

28 )タリバンとパキスタンの諜報部(ISI)の関係を考えるに、そしてISIとCIAの関係を考慮した場合、いったいBin Ladenは生きているのか死んでいるのか?もしくは彼は、依然としてISIにとって、またはCIAにとっての価値ある存在なのか…あるいはその両方にとってなのか?

30) Bin Ladenは実際に2001年の7月4日に、パキスタンのクエッタからの空の旅の後、UAEのドバイのアメリカン・ホスピタルに入院して7月11日まで治療を受けていたのか?

31) Bin Ladenグループ は1980年代の対ソビエトのジハード戦の時代に、トラボラの洞窟(caves)をCIAとの緊密な協力のもとに作ったのか?

32) なぜトミー・フランクス将軍は、Bin Ladenが2001年の11月末にTora Boraに隠れていると確信できたのか?

34) なぜ、ジョージ・ブッシュはBin Laden Task Force(ビン・ラディン捜査タスク・フォース)を9/11以前に解散したのか?

35) なぜ、Bin Laden の偽造のホーム・ビデオ──彼がそのなかで9・11の実行犯だと“告白”する物──はそれが11月9日に制作されたたった2週間後の2001年12月13日に公開されたのか?それは本当にJalalabadで発見されたのか?(北部同盟も、米軍もまだそこに到達していなかったのにも関わらず?)誰が発見したのか?ペンタゴンはその最初の下手くそな翻訳版のあと、なぜ新しい翻訳版を出さねばならなくなったのか?

36) なぜISIのMahmud Ahmad主任中将は2001年10月8日、米軍がアフガニスタン空爆を開始した日に突然”退職”したのか?

37) Ahmadは9月11日の週にワシントンで正確には何の用事があったのか?(彼は9月4日にそこに到着しているが?)9月11日の朝、Ahmadはキャピトル・ヒルでBob GrahamとPorter Gossと朝食を共にした── 彼らは共に後に9/11 Commissionのメンバーとなったが、同委員会はこの2人のメンバーに関する調査をすっかり拒否している。Ahmadはまた、9月12、13日に国務省のRichhard Armitageと朝食をとり(パキスタンが”対テロ戦争”への協力について交渉していたとき)そして彼はCIAとペンタゴンの、全ての高級幹部たちに会っている。9月13日にはMusharraf首相が、Ahmadをアフガニスタンに送りタリバンに対しBin Ladenの引渡しを求めさせるつもりだと語っている。

38) ISIの内部の誰が、2001年夏にMohammed Attaに──インドの諜報部の主張によると…Ahmad自身の指示のもとで──10万米ドルを送金したのか? その人物とは本当に、ISIの工作員のOmar Sheikh…(BinLadenのITスペシャリストで、後に米国のジャーナリストDaniel Pearlをカラチで暗殺する作戦を遂行した人物…)だったのか?つまりISIは9・11に直接つながっていたのか?

39) FBIは、2001年の9月8日にニューヨーク市のヘルムズレイ・ホテルのHarry's Barで、Mohammed Atta とMarwan al-Shehhiに逢っていたという2人の影の人物について捜査したのか?

 ……以下略
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KI11Ak02.html

*911の陰謀論を説く911Truth.Orgに熱心な人や未だにその疑問を論じ合う人は欧米のネット上でTruthersとかTroofersとか呼ばれている…この運動は2005,6年頃に盛り上がりを形成し米政府に再調査を要求したりした──このTrutherのサイトが、Escobarの上記リストの主なソースにもなっている。(疑問点がカテゴリー分けされていて、分かり易い─Van Jonesもこのサイトの声明に署名していたとのことで、解雇の理由にされた…)
  ↓
THE TOP 40(Tuesday, May 16 2006) - 

REASONS TO DOUBT THE OFFICIAL STORY OF SEPTEMBER 11th, 2001
http://911truth.org/article.php?story=20041221155307646

*Escobarは、翌週に幾問かの追加の問いをAtimesでさらに掲載している:
More questions on 9/11 By Pepe Escobar
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KI18Ak02.html



Tuesday, September 29, 2009

ヴァン・ジョーンズと、“エコ・アパルトヘイト”とは?/Van Jones, "Eco-Apartheid"...and ACORN?


解任されたオバマの「グリーン・ツァール」 Van Jonesとはどういう人物?…
彼が保守派に攻撃された理由とは?

*FOXのグレン・ベックの番組が制作した、Van Jonesを批判する半生記ビデオ Glenn Beck Exposes Obama's Czars- Day 1- Green Czar Van Jones …スクリプトの翻訳

《前記事の続きです…》
http://www.youtube.com/watch?v=KTXOzAAqnho

Jones(演説シーン) 「もしも私が2日ほど前に行ったスピーチをお聴きいただけたなら… 私がそこにいたことはラッキーでした、私はそこで働いていたのです… でもその(スピーチは)本当に、溢れ出てきたのです(FU--!!)…グリーン・ジョ~ブ!(聴衆の歓声…)」

Jones(TVインタビュー)「私がやっているのは、いわば単純なことです。私は基本的にコミュニティ・オーガナイザーなのです…連邦政府のなかでの」
ナレーター 「まずイエール大学のロースクールの時代から始めよう…Van Jonesはコンバット・ブーツを履いて、ブラックパンサー党のブックバッグを抱えてこの大学に現れた。彼はその頃こう語った:“もし別の国に住んでいたら、多分自分はアンダーグラウンドのゲリラのセクトか何かに入ってただろう。だが私は、このようにアイビーリーグのロースクールに入った” … 彼はドロップアウトしたいとも思ったがここに留まった…代わりに大学で学位を得ることで公民権運動について発言する為の法的正当性を得ようと決心したのだ” …そして、それは後に、彼の十字軍的活動にとって重要なパートとなった…」

Jones 「これはもはや、リッチな人々や…裕福な人々の消費者としての選択といった次元の、ビジネス機会などではありません… それは人々の仕事へのサポートそのもの、人々の健康へのサポート、そうした機会を通じた低所得者層へのサポートなのです。そして私はナンシー・ペロシ議長が、彼女のクリーン・エネルギーに関するJOB法案への立場にも適用してくれることを望みます」
ナレーター 「彼にとっての大きな転換点が訪れたのは、1993年に彼がロドニー・キング事件(LAでの警官による黒人の殴打事件)において、キングの権利の擁護を主張して刑務所に収監された時だった。この刑務所で彼は、実に色々な肌の色の、若いラディカルな人々に出会った。それは本当に過激な人々…つまり、共産主義者やアナキストなどの人々だっだ …”私は彼らこそが自分が本当に参加すべき人々だと思った”、と彼は言う。

 …ロドニー・キングを殴打した警官への(無罪)評決がその年の4月下旬に下され、 Jonesは…8月までに自分は共産主義者になっていた、と言う。彼はその次の10年間をりっぱな共産主義者としてすごした。何よりもまず、彼はSTORM(Standing Together to Organize a Revolutionary Movement…) という名のグループを設立し、マルクス・レーニン主義の教えの勉強会を催した。そのグループの来歴を記し、革命をとなえるパンフレットによれば、”グループのメンバー全員が、マルクス主義革命運動への基本的理解と、コミットメントを有する。そして特に第三世界での歴史的な共産主義運動を重視する。そのグループは特に毛沢東を尊敬する”…〔歴史上、7千7百万の自国民を抹殺したといわれる毛沢東を。ヒットラーやスターリンが自国民を虐殺した数よりもはるかに多い数字だ〕 

 …STORMの初期の活動は、”若い有色人種たちを動かして、直接的な武装組織行動へと巻き込み…これを自分たちのコミュニティーの深い部分に根づいた組織と結合させること…を含んでいた。その大きな活動の一つは、警官殺しの罪で有罪宣告されていたムミヤ・アブ・ジマールの為に人々を動員することだった─

 …彼らの勉強会や組織での活動以外に、メンバーにはそれぞれサイド・プロジェクトがあった。たとえばJonesは1985年、STORMを、ベイエリアのポリスウォッチ(警察の行動の監視)のための活動にも連帯させ…この運動の延長は後にエラ・ベイカー・センターの人権運動(the Ella Baker Center for Human Rights, in Oakland CA )となった。この公民権運動のヒーロー…ベイカーは、共産主義者と密接に協力しており、その中には秘密の党員のスタンリー・ロビンソンもいた〔彼は長年、CPUSA(米国共産党)のトップの資金提供者(マネーマン)だった人物だ〕 …Jonesは警察の暴力監視運動の一部としてもその運動に大きなインパクトを与えた…Jonesは、誰も口にしないような事を言った、”ウィーリー・ブラウンの警察委員会(コミッション)が、黒人たちを殺している”、と。そして彼は99年に、WTO国際会議への抗議運動中に再び逮捕された…彼のSTORMは3年後に解散した。
 …彼はそれ以降、現在まで、彼のブラック・ナショナリズムの方向を変え、環境主義者としてのテーマに焦点を置いている」 

Jones 「私に向かって “お前はブラックなのに、どうして環境主義者になれる?"という人が居る。そうじゃない、私はアフリカンだ。どうして、その私が地球を愛さないで居られるだろうか?」
ナレーター 「彼はハリケーンカタリーナが襲来した際に起きたことに関して、政府への怒りを表明した。そして新しいグリーン・ジョブのブランドを叫んだ─ Eco-Apartheidの阻止に焦点をおいて。
そして社会正義の要素をグリーン・ジョブに追加していった…、”Prison EconomyからGreen Economyの間をつなぐパイプラインを建設しよう、” と。

彼は刑務所を出所した人間にリハビリのトレーニングを行い、ソーラーパワーによるエネルギー効率のいい未来を目指した建設作業につかせた」

Jones(ラップ調に) 「もし、あなたがこれを理解しなければ、地球温暖化をとどめることはできない:40%の温暖化ガスが石炭やビルディングからではなく、都市から来ていることを… 。そして75%のガス・エミッションも都市から来ていることを。あなたが、都市をグリーン化しなければ温暖化ガスをとどめられない。グリーンにしなければすべては実現しない。そして2009年に私はあなたにグリーンなジョブを与えたい」

ナレーター 「なぜこんな、深く革命思想にコミットした人物がオバマ政権で高い地位を占めたのだろう。そしてオバマのアドバイザーのひとりとなるとは?

彼のイーストベイ・エクスプレス2005に現れた大きなプロフィールでは、彼はいまだに革命家のつもりだ…それも更に熱心な。あるヒップホップの本(彼の共著した本)によれば、ヒップホップ研究のリーダーとしてJonesはこう言っている: ”我々はそろそろWHUPA(驚かせる物)にならねばならない。別の場所でF-Ingを十分やってきたものたち…彼らは名前と、仕事の明細をもっている。あなたはそうしたあなたの敵と対決する為に、クリエイティブにならねばならない。何故ならあなたが彼らの用語のままにやっていたら、結末はすでに見えているから」

Jones 「真の天才、それはバラク・オバマだ。何故なら彼は生まれながらの黒人大統領で、生まれながらのグリーン大統領だから。…君はこんなことを言う奴らに、勝つわけではない、”Fool White World"と!」

ナレーター 「Van Jones, そうだ。彼はいまだに革命家だ、そして今さらに情動的な…(そして私はこう言おう)よりパワフルな人間なのだ」

Glenn Beck 「我々は今日、White Houseにこのような質問を送りました…VanJones氏がこのように政治的にラディカルなバック・グラウンドを持つことを、White Houseは認知していたのか、と。そしてもし知っていたなら、White Houseに躊躇を与えなかったのかと?それに対して得た答えはこうです:“Jones氏のフォーカスは完全にひとつの政策的なゴールというものに向けられている。つまり、クリーンエネルギーのためインセンティブを設定し、再生可能な資源を利用しながら、エネルギー効率を高めることのできる21世紀の仕事を創造する、ということなのです”、と。
…おやまあ、これはこの質問に対する答えとは思えないのですが。あなたにはどうですか!?」

http://www.youtube.com/watch?v=KTXOzAAqnho&feature=player_embedded
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*Van Jonesによるエッセイの抜粋:

エコノミー思考で考える:すべての人々にグリーンエコノミーの分け前を…エコ・アパルトヘイトを超えて(- By Van Jones) 

 2005年にハリケーン・カタリーナが襲来して、米国人たちはTVの前に座ったまま米国の街が水没する恐ろしい光景を目撃した。2006年にはAl Goreがあちこちの映画館で、温暖化防止の緊急の行動を訴えていた。やがて2007年に米国人たちは、温暖化防止に声をあげはじめた… 記者や編集者、学生たち、企業は環境問題をフロントページへと掲載しはじめ─民主党員も共和党員もこぞってグリーンの旗を振りはじめた…オタクの科学だった環境問題も、いまや政治・文化・経済の中心事項へと躍り出た… しかし新しく出現したこうした環境主義者たちは、誰をその道連れにして、誰を置きざりにしようとしているのだろうか?
 環境保護の活動家たちが、議会を「市場原理」にみあった理論によって説得することを我々は知っている(たとえばCO2の排出権取引…Caps&Tradeのように)。だがこうした活動家たちは、その影響力を拡大しても、ハリケーン・カタリーナの災禍を生き延びた人々を助けようという気があるのか?黒人や貧困層の人々は未だに住むところもなく…それを再建する手段すらもたないのに?
 温暖化防止の活動家たちは、政府からの補助金の確保や、クリーンエネルギー/省エネルギー市場へのサポートのために戦っている。だが彼らは、こうした新しい市場が、「エコ・エリート(エコ主義のエリート層)」以外の人びとにとってもアクセスが可能になると信じているのだろうか?…低所得層や有色人種層がそれによって仕事を創出したり、富を得たりする機会があると信じているのか?
 新しい環境主義者は、誕生しつつあるこのグリーン・エコノミーのなかで今、「eco-equity(エコロジー的な公正さ)」に向かって戦っているのか…それとも彼らはより安易な途を選んで─「eco-apartheid(エコロジー的アパルトヘイト)」の方向へいくのだろうか?

(環境主義の第1の波:Conservation=自然保護)
 これまでの環境保護思想で、人種差別やエリート主義と切り離されていた物はない。実際に、多くの環境保護運動は、人種的不平等を無視したり悪化させたりした。たとえば環境保護運動の最初にあった、 “Conservation"の波をみるがよい。 最初のConservationistは、ネイティブ・アメリカンだった。原初のアメリカ人は、大自然と調和を保って住むことの天才だった。ヨーロッパ人の到来以前には、この大陸全体が巨大な自然保護区だった。栗鼠たちは大西洋岸で樹に登っては、枝から枝へ…また枝へと、ミシシッピー河に到達するまで渡っていった。沢山の鳥たちは冬には雷鳴のように羽ばたきながら南方に渡り、その数は太陽をしみのように覆い隠していた…(中略)

…「ヨーロッパ人の到来以前に、アメリカは一つの巨大な自然保護区だった」
…「インディアン殺しのテディ・ルーズベルトは”レイシズム的な政策”を唱える、大方のConservationistの典型だった…だから彼は言った“さあ、我々が盗んだ土地を保護しよう”、と」


(環境保護の第2の波:Regulation=法制化)…「60年代にレイチェル・カーソンの書『沈黙の春』が話題となり、 過剰な工業化による環境汚染への問いに発した環境保護運動の成果として、70年代にClean Air Act、the Clean Water Actなどの規則が制定され、EPA が設立され、Earth Day も初めて実施された」
 しかしこれらの法制化 Regulationの波もまた、富裕層のためのLily Whiteなものだった。結果的にそれは、巨大な有毒物質汚染のブラインド・スポットを、褐色の肌の人たちの、貧困なコミュニティの中に集中的に残した。実際に有色人種の人々のあいだには、白人の環境汚染者たちと、白人の環境保護主義者たちが無意識に協力し合っているのでは?と疑う人々がいた。彼らは最悪の汚染物質や廃棄物を、ブラック、ラティーノ、アジアン、貧困者層の地区にさし向けていた…
…「80年代までの環境保護運動は、人種的に分断(隔離)されていた」 《中略》

(グリーン・ラッシュ=グリーンカラー・ジョブ?)
 カラード・ピープルの視線でみれば、グリーンな運動のより大きなテントを張ることは努力に値する。グリーンは、急激な勢いで新たなゴールド(金鉱)になりつつある。LOHAS(lifestyles of health and sustainability) の市場分野は、クレージーな速さで成長している:2006年には米国経済で2,290億ドルの市場を占め、垂直の成長を続けている。
 しかし不運なことに、LOHASの分野は米国経済の中でも、もっとも人種的に分断された市場だ─ その顧客の面から見ても、オーナーと被雇用者という面から見ても。…それを変えていくことがさらなる健康と、より多くの仕事を創造し、それらを欲するコミュニティの富を増加させる。
 たとえば、都会の若者がソーラーパネルの設置の仕事の訓練を受けられたなら、電気技師になれる。二重ガラスを設置して省エネルギーに貢献できるヤング・アダルトは、ガラス職人になれる。エコ・シックな竹を扱ったり、ハイブリッド・エンジンを調節できる者は、よい仕事をみつけられるだろう。 我々はグリーン・テクノロジーの訓練センターを、すべてのパブリック・スクールや職業訓練学校、コミュニティ・カレッジに設立することが必要だ。そして米国には、AmericorpsやPeace Corpsのような、Energy Corpsが必要だ…それによって何百万もの若者を訓練し、国の巻き返しを図るための力としていかなければならないのだ…
(後略)
http://www.greens.org/s-r/45/45-15.html


*このグレン・ベックの辛気臭いビデオをみた誰もが、Van Jonesを批判的にみることもないだろう。彼の左翼的な過激さは、米国の主流派ではタブーときまっているけれど?
*オバマやミシェルもシカゴのサウス・サイドの黒人地区でコミュニティ・オーガナイザーとして貧困層の自立の支援にあたっていた… JonesやACORNの趣旨と彼らの信念とが重なりあう面があったのだろう。
*ヴァン・ジョーンズは日本でも環境保護分野の訳書が出ている。知らないのは米国の保守派だけなのか?─ http://barbare.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-f9a5.html

 9月 7日 (月) NHK『グリーン・ニューディール──環境投資は世界経済を救えるか』でもJonesに触れていた…
*VanJonesと並び、このところ貧困層のための組織団体ACORNへの保守派の非難が激化:
「ACORNの売春業への擁護を、売春婦とポン引きに化けた保守派活動家が暴露?」CBSの英文記事 
http://www.cbsnews.com/blogs/2009/09/16/politics/politicalhotsheet/entry5315657.shtml
*保守派の日本人のBLOGがACORNに関する疑惑を解説
左翼メディアも無視できなくなった左翼市民団体ACORNスキャンダル(苺畑より)
http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2009/09/acorn_2.html

ACORN:未成年売春斡旋者にローンと税金の手ほどき(9月12日)
http://mikerosstky.spaces.live.com/blog/cns!65DFD4754018BC2A!4472.entry

Tuesday, September 22, 2009

オバマのツァール “Obama's Czar” って何?


最近、米国のメディアをにぎわす、
オバマのツァールという言葉…
─Czarとは皇帝という意味だが、それは何? 誰のことなのか

…このことばを検索してみると、「オバマのCzar」を話題にしているのは、先日ワシントンの反オバマ・デモを大々的に扇動したような右翼メディア…、FOXテレビのGlenn Beckのような右翼コメンテーターたちだけではない。実際、ここ数週間、共和党議員たちが「オバマのCzar」と呼ばれる高官たちの役割や責任を明確にせよと議会でガンガン迫っているらしく、ネット上でも流行語となっている…
 
 Czarとはウィキペディアによると、米国・英国ではある種のハイレベルな政府担当者をあらわす非公式な肩書 とある。Political Czarとは、政府の各部門を運営し、特定のエリアの仕事に彼らの専門知識を生かす人々。米国では行政執行部の官吏で、一般には大統領が指名し、議会が承認するときもあるが、承認を得ないときも多い… ともある。

 このところ気になったのは、オバマの「環境問題担当顧問 Green Advisor(…Green Czarと呼ばれた)」として任命されたVan Jonesなる人が、数年前に反政府的な 911陰謀論サイト「911 Truthers」の声明に署名していたとのよしで、解任された事だ。Van Jonesという人には、YouTubeなどでも保守派の反撃が高まっていたが、それこそ「サンフランシスコの、左翼リベラルの黒人活動家」そのものではないか?「グリーンな仕事」を創造する会社をも設立し、貧困者の自立活動支援などを計画したオバマまがいの経歴も…。オバマの個人的信頼を得た西海岸の黒人リベラルなのだろうが、マルキシストだったことも解雇の理由…911Truthersの件はさておき、政府が雇うには、左翼的で過激な人にみえる(?)

 オバマ政権の医療保険制度改革など、連邦政府による統制拡大の傾向に国民の違和感がじわじわ増しているなかで、これまで全国的には無名だった人々が指名され、議会権限の枠の外の権限をもちかねない、「ツァール?」として恐れらているのだろうか。

 …あるいはオバマの政策を警戒する保守派が、オバマの尊敬すべきブレーンたちを悉く、前もってCzarと名づけ、彼らの名前がでるごとに非難の対象にしようというのか?(右翼コメンテーターたちが新たなオバマのブレーンを見つけては「あれもCzar、これもCzar…」とやっているらしい)

…本当はどういう人たちなのだろうか? 右翼メディアやブログに「Obama's Czars」のリストがある
http://dailythoughtpad.blogspot.com/2009/08/list-of-obama-czars_14.html

List of Obama's Czars
“…これは24人のツァールの写真だ。最新のカウントでは34人に近い。誰も彼らが誰なのかを知らない:彼らが何をするのか、それが何故なのかも!彼らは建国の父が定めたチェック・アンド・バランスの掟もう回していて、誰の信用もない…オバマ以外は。(怖い?もちろん絶対に。彼らはあなたを監視し、議会にも相談なく物事を決定する…)”

1. アフガニスタンCzar - Richard Holbrooke
2. エイズ問題Czar- Jeffrey Crowley
3. 自動車産業の労働者問題Czar - Ed Montgomery
4. 国境警備問題Czar - Alan Bersin
5. カリフォルニアの水資源問題Czar - David J. Hayes
6. 自動車産業(ベイルアウト関連)Czar - Ron Bloom
7. 中央地域(中東、ペルシャ湾岸地域、アフガニスタン、パキスタンおよび南アジア関連)Czar - Dennis Ross
8. 気候(温暖化)問題Czar - Todd Stern
9. 家庭内暴力Czar - Lynn Rosenthal
10.ドラッグ問題Czar - Gil Kerlikowske
11.経済Czar - Paul Volcker
12.エネルギーおよび環境問題Czar - Carol Browner
13.信念についての(宗教問題の?)Czar - Joshua DuBois
14.政府の行政パフォーマンスCzar - Jeffrey Zients
15.五大湖問題 Czar - Cameron Davis
16.環境保護に関わる仕事創造(Green Jobs)Czar - Van Jones
17.グアンタナモ収容所閉鎖 Czar - Daniel Fried....
(以下略…)

*しかし共和党の追及に民主党はこうも反論している:

“…民主党は、Czarという語を最初に使った大統領はオバマではないと明記する。ジョージ・ブッシュは47人のCzarを用いていた…そして、共和党の議員たちは彼らに関しては、文句を何一つ言わなかった。ホワイトハウスの広報官Robert Gibbsは、前政権でCzarたちをプッシュしていた筈なのに今オバマを批判している共和党議員たちは偽善的だとし、「今は、トーク・ショーのホストなどが大きな得をするから取りたてて言っているだけで、ニクソン大統領や前政権が8年間同じ事をしていた時にそれを言っても、彼らは何の得もなかったわけだ…」という。
 また民主党のB・ドーガン議員などは、「他の政権では、Czarを用いていても彼らの権限には制限が設けられていた。もしも一連の責任ある地位に人々をつけたいなら、議会の承認を付けるべきだ」としているという”
http://www.politico.com/news/stories/0909/27265.html
Democrats join GOP czar wars

*このCzarという言葉はオバマ政権自身が準備段階から、自動車業界ビッグ3の「構造調整」のために使った言葉らしいと、次の12月頃の記事からも伺える:

“ビックスリーCEO辞任の見通し ─オバマ氏らが経営責任追及/ 米政府と議会の民主党は米自動車大手3社(ビッグスリー)に対して、150億ドルの支援に踏み切る代償として、支援の執行や構造調整などを監督する「自動車ツァール(car tsar、tsarは皇帝の称号を意味する)」を新設する。またオバマ次期米大統領は勿論、米議会指導者らから、ビックスリー首脳陣の辞任や追加のリストラを求める声が高まっているため、一部のCEOの辞任は不可避であるとみられる。 米ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙によると、ビックスリーを監督する政府機構は財務・商務長官などの閣僚5人と環境庁長で構成され、同機構の委員長が「自動車ツァール」のような役割を果たすことになるという…”(2008/12/9、財経新聞)http://www.zaikei.co.jp/article/biznews/081209/29323.html

*ユーチューブの投稿: これがオバマが次に任命するCzarだ! これがオバマのアメリカだ…とのコメントあり。
─サウス・カロライナの小さな街Wellfordの黒人女性市長、Sallie Peakeが勝手なきまりを作った─
もし、その街の警官が路上で犯罪者や怪しい人間を見つけた場合も、その容疑者が逃走したら「走って」追跡することを一切禁止する(…後に「車両で追跡」することも禁止とした)最近、警官たちが追跡中に事故に遭って怪我をすることが多く、何よりも多額の保険金の支払いが生じることが多く、小さな街の財政ではやっていけないからだ、とSallie Peakeはいう。警察署長やインタビュアーは、それでは治安上危険で、理不尽ではないか?と抵抗している! http://www.youtube.com/watch?v=OT8vBlfczYM

Who Is Van Jones?
http://www.youtube.com/results?search_query=Van+Jones&search_type=&aq=f

http://en.wikipedia.org/wiki/Van_Jones


Monday, September 21, 2009

ワシントンの反オバマ・デモ(2)/GOP Sees Protest As an Opportunity-'Taxpayer March' in D.C. Attracts Party Leaders, but Some Are Wary


9月12日の大掛かりな反オバマ・デモの意味とは?(FOXテレビが扇動したのか?…)とまどいを見せるメディア

共和党はこの抗議デモに機会を見る
党のリーダーたちを惹きつけるが、用心深い人たちもいる (9/12、WashingtonPost~)

…共和党議員のキーパーソンたちの幾人か(共和党上院議長のMike Penceを含めて)はこのデモ行進への支持を表明し、群衆を鼓舞しようとスピーチも行った。
 しかし、共和党のトップ戦略家たちや党のオブザーバーたちの多くは、この過激なデモが党のイメージに与える影響を心配している──デモの中にはナチスの鍵十字のサインを掲げたり、オバマのハワイでの出生の信憑性に過剰にこだわるような人々がいるからだ。

 John McCainの前・アドバイザーMark McKinnonや他の共和党員たちは、そこに、連邦政府のやりすぎに対しての正当な危惧感にふみ込める、「共和党にとっての機会」があるという。しかし「気のふれた右翼どもが彼ら自身をこれらの運動に連動させようとしていて」、彼らがメディアの露出を牛耳っている、ともいっている。

 土曜日のデモは、この夏「反・ヘルスケア法案」のデモを行い、春にも「反・増税」の集会を行ったのと同一の小グループの緩い連合体がスポンサーとなっていた。その中には、Tea Party Patriots や ResistNet、そしてFreedomworks(ワシントン本拠で、テキサス上院議員・共和党前院内総務のRichard Armeyが代表を務める)が含まれる。デモ行進はまた、FOXニュースのホスト、Glenn Beckによって、彼の"9-12プロジェクト" の一部として盛んに宣伝された。

 抗議運動の背後には、ワシントンの共和党のリーダーたちから独立して台頭しつつある、自称「リバタリアン」の広範な陣営、独立系その他のファクションの人々がいた。そうした保守主義グループのリーダーの活動家たちは、オバマ政権による財政負担増大の放置や、ウォールストリートへのベイルアウト救済策、その他ブッシュ時代の受け容れがたい政策などに反発を覚えていると語っている…
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/11/AR2009091103997_pf.html

 この抗議デモに関し、Foxが次のような挑発的な新聞の全面広告を出し、それに対する論議が過熱した:

“How Did ABC, CBS, NBC, MSNBC and CNN Miss This Story?" (なぜABC, CBS, NBC, MSNBC 、そして CNNはこの記事を掲載しなかったのか?) *背景に抗議デモの参加者の写真

…問題なのは、むろんFox以外の他のメディアでも、このデモを数多く報道していたからだ。Foxのトークショーのホスト、Glenn Beckによってこのデモは強力にプロモートされていたのだが。 この広告は金曜日に、Wall Street Journal と New York Post(共にFoxの親会社がオーナー)、そしてThe Washington Postに掲載された。

 ABC、NBC、CNNのスポークスマンはこの広告を「常識はずれで不正」、「真実が、これを真実ではないと語っている」、「甚だしく不正」とした─   Foxニュースは、Beckの「9/12」抗議行動の情報を他のメディアよりも多く載せていたが、他のメディアもとてもこれを無視できなかった。ABCのスポークスマンはWashintonPostがこれを掲載したことは事実確認の義務を怠っており業界に早急に謝罪せよと求めた… http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/18/AR2009091801102.html

WaPostのディスカッション欄より
(アリゾナ州Paysonの読者)’…Washington Postの現役の記者で、Dick Armeyに率いられたワシントンDCでの行進に、デジャヴを覚えるほど齢をとった記者はいるのだろうか?Joe Wilsonの議会での暴発(スピーチ中のオバマに「嘘つき」と叫んだ)や、タウンホールでの叫びが思い出させはしないか?
 私は60代の初めの年齢だが、この出来事はすべて理解できる気がする。公民権運動のあった時代に、こうした人々はやはり、人々に選挙権を与えることや、人種別の隔離をしない学校や、平等の実現に対して反対した─ 
 そして、その頃の抗議運動とは、連邦政府の権利や、独立主権に対するものだった。怒れる民衆というのは、いつも同じ、辛らつな叫びというのは、いつも同じだ。政治的な野望を抱く日和見主義者というのは、いつも同じだ。「"疑いを感じるときは、いつもそれを社会主義と呼べ"戦術」すらも、何世代もの間使われていなかったものが、埃を払って再度使用されている。私には、この国初のアフリカ系アメリカ人による政権の初めの何ヶ月かの間に、過去の時代の恥によって再訪されているのが、偶然だとは全く思えない。これはレイシズムだ。こうしたことは、別の名前や言いわけの背後に隠されるべきだ…’

(ディスカッションのHost Perry Bacon Jr): 'それについては多くの質問がよせられている、このデモが人種差別で構成されているというものだ。私は、この点には不賛成を覚える点がたくさんある、でも私はとにかくこの投書を載せてみたいと思った…’
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/discussion/2009/09/11/DI2009091103208.html

912DC集会を呼びかけた右派・共和党系諸団体のサイト http://912dc.org/
Glenn Beck のThe 912 projectのサイトhttp://www.the912project.com/the-912-2/

VIDEO:9/12 Taxpayer Tea Party March on Washington, DC http://www.youtube.com/watch?v=-VMXz6xGeqc
田中宇の関連記事
目立たず起きていた「反乱の夏」
http://tanakanews.com/090916rage.htm

ワシントンの反オバマ・デモ(1)/No, It’s Not About Race- By David Brooks


ワシントンD.Cに住むBrooksは、土曜日に反政府抗議“Tea party Patriots” のデモにであって驚いたとか… 彼はオバマ擁護を続ける──

いや、それは人種の問題ではない─ By デビッド・ブルックス  (9/18, NY times)

 私を見てもあなたは気づかないかもだが、私は週に数回はジョギングをする。私のお気に入りのルートは、リンカーン記念堂からキャピトル・ヒルに行き、また戻ってくるコースだ…とてもフラットなコースだからだが。
 それは先週の土曜日のこと、私はそこで何千人もの“tea party” の抗議デモに出くわし、私は人々の中を歩いていった。彼らは“Don’t Tread on Me(私を踏みつけにするな”)” と書いた旗や、“End the Fed(連邦政府の拡大を止めろ)などというプラカードやサインを掲げ、「大きな政府」のポリシーやバラク・オバマや、社会主義的なヘルスケア法案、いろいろなエリート機関、などのポリシーに対する非難を叫んでいた。

 そして次に、スミソニアン博物館の敷地の端にいたると、別の集団…“the Black Family Reunion Celebration”の人々に遭遇した。数千の人たちがアフリカン・アメリカンの文化を祝うために集っていた。私は、殆どが白人の“tea party” の人々がこの黒人たちの再結集のなかに混じりこんでいるのをみた。“tea party” の人々はFamily Reunionのフード・スタンドで昼食を買っており、ラップのコンサートの聴衆たちに合流していた。

 ──社会学のほうがフィットネスよりも大事だと思ったので、私は立ち止まってその交流を眺めていた。これらの2つのグループはそれぞれ政治的、文化的なスペクトラムの正反対の端に属する。彼らにはどちらも雄弁なスピーカーがおり、グループに活気をもたらしていた。しかし私には、これらの両グループの間に何の緊張も感じられなかった。それはまるで公園やスポーツアリーナでうろうろしている、異なるグループの人々のようだった。

 でも、いまだに我々はすべての争いごとを、人種のプリズムを通してみるような人々が居る国に住んでいる。それだから、過去数日間の間に多くの人々、ジミー・カーターに至るまで、オバマ大統領に対する人々の敵愾心は人種差別に起因する、と語っていた。ある人々は、“tea party” が掲げる“I Want My Country Back(私の国を返して欲しい)” のようなスローガンは、白人至上主義者(White Supremacist)のcode words (符丁・合言葉)なのだとも論じていた。また別の人々はキャピトル・ヒルでの無作法な行動は、オバマのダークな肌の色によって増幅されているのだと言っていた。

 …いや、私はオバマを批判する人の魂の中を覗き込む装置をもっていないので、そこにどれほどの人種差別があるのかの推測はできない。でも私の印象では、Race(人種)というのは殆ど主要なポイントからはずれている。そこにはもっと別の、アメリカの歴史上にある同じ様に重要な緊張した関係──現在の衝突状態(争いごと)により密接な関係のある緊張関係が存在するのだ。

 たとえば、何世代にもわたって我々は、学校の生徒としてハミルトン主義者(*註)とジェファーソン主義者(*註)の間の論争について学んできた。ハミルトン主義者は、urbanism(都会化主義)やindustrialism(産業主義)、federal power(連邦政府の強化)の立場にたち、いっぽうジェファーソン主義者たちは都市エリートや富の一極集中には懐疑を唱え、「小さな町の価値観」を信奉し、限界のある政府を主張していた。ジェファーソンは「賢く、かつ倹約的な政府」(人々が互いに傷つけあう機会のより少ない状態を導くものとして)を擁護し─それができない場合、政府は無作為の放任状態にすべきで、「労働や、それによって得る生活の糧から(税金を)奪いとって設立すべきでない」、と考えた。

 ジェファーソンの哲学はアンドリュー・ジャクソン(第7代大統領)にもひらめきを与え、彼はコスモポリタンなエリート層(cosmopolitan elites)に対する普通の人々(plain people )の運動を推進した。ジャクソンは、合衆国第2銀行(Second Bank of the United States )を解体した。彼が連邦政府と金融のパワーのミックスを恐れたからだった。

 このポピュリスト的な運動は、何世紀ものあいだ続いた。それは、時として右翼的な形で、時として左翼の形で現れた。時にそれは農地改革論者として、時には組合運動の方にむかった。それはしばしば過激で、陰謀的で無作法だった。
 ポピュリスト的な運動はつねに同じようなレトリックを使った:普通の人々と、それに対抗する太った輩(fat cats )や教育を受けた階層(educated class)、また小さな町(small towns)とそれが対抗する金融の中心地(financial centers)、などだ。

 そして、それはいつも同じようなモラル観──歴史家のMichael Kazinが生産者主義と呼んだモラルを掲げた。その考えとは自由な労働(free labor)はアメリカ人主義(Americanism)の真髄だというものだ。重労働によって、物質的な形の富を得る普通の人々が、国のモラル的な屋台骨をなすという考えだ。 この自由な資本主義の国では、人々は彼ら自身の生産品(Output)にも責任を持たねばならない。金銭は働かざるものに再配布されるべきものではない、そしてそれは、優越感にみちて恩着せがましい、操作巧みなエリート層によって吸い上げられるべきではないというのだ。

 バラック・オバマは、高度な教育を受けた人々の政府を組織している。彼の運動は都市の政治家や学者層、ハリウッドの献金家や、情報化時代のプロフェッショナルたちも巻き込んでいる。彼の政権のはじめの数ヶ月のあいだ、彼は連邦の力をウォールストリートや自動車産業、ヘルスケア産業や、エネルギー業界へと溶け込ませてきた。
 それらのすべてを受けて、彼の肌の色に関係なく、ポピュリストたちからの彼への反撃が爆発することは保証されたことなのだ。そうした反撃は無作法で、陰謀的で、限界を超えているだろう──なぜならそれが、こうした運動(その運動がHuey LongやFather Coughlin、あるいは誰に率いられようが)の常だからだ。

 たった今我々がみているものは、こうしたポピュリスト運動の繰り返しと、それに対する、闘争的でプログレッシブなリアクションだ。我々はいま、ポピュリストのニューメディアが、Van Jones(*註)やAcorn(*註)などのストーリーの重要度を(こうしたエリートたちとは退廃した反アメリカ的な人々だと証明するために)誇張して伝えて、そして我々もまたプログレッシブなニューメディアを持ち、 Joe Wilson議員がオバマの教育現場へのスピーチに反対するヤジを叫んで「小さな町(small towns)」の人々というのがのろまな変人なのだ、と晒したことを伝えているのだ。

 「この国は、法的正当性の危機の縁にあるといえる」と経済ブロガーのArnold Kling は書いた。「プログレッシブなエリートは、“田舎の白人たちのアメリカ”を 法的に違法だと切り捨て始めていて、またその逆も行われ始めた」
…それは人種の問題ではない。それは別のタイプの争いごとで、(人種の件と)同じように深くて古いものなのだ。http://www.nytimes.com/2009/09/18/opinion/18brooks.html

*註・アレキサンダー・ハミルトン:米国の建国の父の一人で$10札の顔。初代財務長官。ジョージ・ワシントン大統領時代に「ハミルトン経済プログラム」を唱えた。
*註・トーマス・ジェファーソン:米国独立宣言の作者でワシントン政権の国務長官。のち副大統領。ジェファソニアン・リパブリカン党 (現在の民主党)の創立者。
*註・Van Jones:オバマ大統領が環境問題顧問に任命した左翼的な黒人運動家。911Truth.orgの「911は政府の陰謀とする反政府的な運動と政府への調査要求」に2,3年前に署名していたとわかり、先日解雇された。
*註・ACORN=Association of Community Organizations for Reform Now、ワーキングクラス、低・中所得層のコミュニティ運動の全米団体。オバマ政権から多額の補助金を不正に得ていると共和党が追及?

Saturday, September 19, 2009

パンナム機爆破事件(2)/Lockerbie: More evidence of cynical machinations behind Megrahi’s release By Julie Hyland


21年前のパンナム機爆破犯メグラヒの、突然の釈放─
彼のリビアへの帰還が、大西洋をまたいで大騒ぎになったその背景は?

*温情により釈放されたメグラヒが、故郷で英雄並みの歓迎を受けたシーンに、米英の国民が激怒した。しかし米英が彼を犯人に仕立てたという説も未だに根強い。真実への証拠は早い段階で消され、隠蔽がなされたともいう…彼を訴えた当時の証人はCIAから金銭をもらったと暴露していた…(右写真:LybiaへのMeghrahiの帰国を歓迎したQaddafiの息子Saiif Al-Islam)
                                       ロッカービー事件:メグラヒの釈放に隠された、さらなるシニカルな策謀の証拠 (9/2、By ジュリー・ハイランド、World Socialist Web Site)

 この週末をはさんで、1988年のパンナム航空機103便爆破の犯人として「唯一」告訴されていた人物、Abdul Baset Ali al-Megrahiの釈放に際して英国およびリビアの政府が行った取引について、ま新しい非難が集中している。(末期ガンを病みつつ終身刑にあった)Megrahiがスコットランドの刑務所から8月20日に釈放されたのは、表向きは「人道的」な処置とされるが…航空機爆破による犠牲者やその遺族たちへの配慮はまったくない、と非難されている。そればかりか、英国の資本主義者が地政学的、経済的な利益を確保しようとする努力の汚れたエピソードには、シニカルな批判が強まっている。

Sunday Timesは、政府が2007年にリビアと締結した、受刑者たち全般の引渡し条約への合意(PTA)の対象から、Megrahiは除外されていたとの証拠も得たという。(*それにも関わらず今回、急にMeghrahiは釈放された)同紙は、法相Jack Strawがスコットランドの司法長官Kenny MacAskillに宛てた手紙で、Megrahiをその引渡しの対象から除外することについて、リビアを黙らせるよう説得はできなかったと書き送ったが、「英国の圧倒的な国家利益の見地にたった場合」にリビアとのより広範な取引が困難となる局面へと至り、同国へのその要求を取りやめた、と報じている。

 その6週間後、さらにTheTimesは、英国のBP(旧BritishPetroleum)社が石油とガスの掘削に関して、15百万ポンドに上るリビアとの契約締結を確実なものとしたと報じた。Strawは、PTAに関する討議では、Megrahiが受刑者引渡し合意の名目では本国に送還できなくても、末期ガンを病むという彼への「温情」のベースでは釈放送還できるという、「学術的な」ディベートに終始したのだと語った─ これはMacAskillが「一人で」おこなった決断の根拠だといい、スコットランドの人道に関する法律にもかなっているのだという。

 たとえロンドンとエジンバラの政府の両者がこのMegrahiの運命をめぐる売り言葉に買い言葉な論戦を続けたとしたとしても、彼らはなおも上記のような言いわけを維持するだろう。この彼らの言い分はほとんど信用に値しない。 もともと、Megrahiの罪状については大きな疑念が存在するが、英国とスコットランド政府が、彼を有罪だと主張し、また彼が8年間服役した時点で釈放しようとしていることが、いっそうの疑念を呼ぶ。

 Timesは、リビア政府のアドバイザーを務める国際弁護士で、収監中のMegrahiを訪問したSaad Djebbarのコメントを引用している:「もしも、Megrahiがスコットランドで刑死した場合、それは何年にもわたる大きな影響を巻き起こし、英国の産業に不利をもたらすものとなるだろう」

 MacAskillとスコットランド国民党は、スコットランドと英国の政府が、異なる権益と倫理観に導かれた二つの顕著に独立した存在で──そのために(両国のリビアとの)貿易に関するベーシックな配慮などがMegrahiをめぐる考察のなかに持ち込まれることはありえない、としている。

 そして、Megrahiが、彼の近々の釈放が報道でリークされた当日に、それまで続けていた無実の異議申立てを取り下げたことには「何か、胡散くさいもの」があった、とMilesはTimesに語っている。「自分は、何があったのかはっきりとは判らないが、しかし英国とスコットランドの政府はその異議申立ての取り下げを望んでおり、そのためにそれが取り下げられたことは、確かだろうと思う」と。 

 これとは別に、TheDaily Mail紙は、「スコットランド法務省の不正告発者(whistleblower)」と名乗る人物からの「リークのeメール」を掲載したが、そこではMegrahiが申立てを取り下げることが、故郷リビアへの帰還を打ち固める必須の条件だったと訴えている。 「このアピールの成功は、米国、英国そしてスコットランド政府にとっての屈辱だ──つまり、誰もが英国史上最悪のテロリストの非道行為に、責任の所在を見出せなかった、ということだ」と同紙は訴える。

 どのような特殊な推測がなされようと、そこにはMegrahiの故郷への帰還をサポートすることで権益の一致があったように見える。さらに、その決定はLockerbieでの爆破事件の周囲の、それに先立つ20年間にわたる超大国の二枚舌、そして特にそのリビアとの関係という状況と、隔絶した(無関係の)ものとして考慮するのは不可能である。

 そして特に、パンナム航空103便がNYシティに向かう途中のスコットランド上空で爆破されたとき、真実と、生命を奪われた人々の正義への探求は、常に大国の政治的、商業的な利益に従属するものとして扱われてきたのだ。

 爆破を行った責任は当初、その6ヶ月前に米軍によって旅客機を撃墜され、290人の乗客の命が奪われたイランに対して課せられた。しかし当時ワシントンは、第1次湾岸戦争の開戦を計画しており、イラク攻撃に対するイランの黙認を得る必要があった。そのイラク攻撃に反対していたリビアは、米国によって特に選び出され、米国はリビアがパンナム機爆破の責任を認めて(その容疑者であった)二人の男、MegrahiとLamin Khalifah Fhimahの引き渡しにも同意することを要求して──米国は1992年、リビアに経済制裁を加えた。

 それに続く時期、このいかにも不可能な要求が可能になる幾つかの事件が起こった。ソビエト連邦の崩壊は、Muammar Gaddafi大佐に彼の反帝国主義的な物言いを放棄させ、西欧との妥協を促した。そしてヨーロッパの石油企業──特にフランスとイタリアは──彼ら自身の、世界6位の石油埋蔵量を有するリビアでの権益確保に熱心だった。

 1997年に英国の労働党が政権を握り、行き詰まりが打開された。懸念を高める英国の石油業界はヨーロッパの競合会社との戦いに負けるわけにはいかず、ブレア政権は2人のリビア人容疑者引渡しの交渉を仲介し、そして1000年に米国、英国そしてリビアがネーデルランドでの彼らの裁判実施に合意した。

 その法廷ヒヤリングは、米英のリビアの資源へのアクセス確保のための努力の背景(バックドロップ)となった。数々の未解決の質問にもかかわらず、多くの人はリビア人や、Fhimahの無罪放免については懐疑的と考え、Megrahiは2000年に無陪審の法廷において有罪の判決を受けた。リビアはそのエージェントに対する「責任を認め」、そして経済制裁の解除と引き換えに(パンナム機爆破事件の)賠償金支払いに合意した。

 それに引き続いて、リビアは中東での戦争をしたがっている米国と英国に、911のテロ攻撃の余波の中で諜報的な情報を提供した。2003年、国際的に大きな反対の高まる中での米国のイラクへの先制攻撃にひき続き、リビアはその初期的な核開発プログラムの放棄を宣言し──ワシントンとロンドンが彼らの「テロとの戦い」が成果を挙げている、とする主張を支持する裏づけを与えた。

 リビアへの国際社会の制裁は解除され、イラク侵攻開始のわずか1年後の2004年3月に、トリポリにハイレベルな外交上の訪問を行ったブレア首相は、競合他社のなかでAnglo-Dutch Shell 石油会社との5億5千万ポンド相当のガス掘削権の契約を得たリビアのカダフィ大佐からの、温かい歓迎をうけた。

 先週までのMegrahiの釈放に対する米国の政治家たちの弾劾にもかかわらず、ブッシュ前政権はこうした策略に深くかかわっていたのだ。 ブレア首相に続いて、トリポリを米国の国務長官補で中東特使のWilliam Burnsが訪問したが、彼は1969年のクーデター以来、はじめてリビアを訪問した米国高官だった。彼がブッシュから手渡した手紙には、「二国間の相互関係 bilateral relations」という言葉が含まれたが、米国企業からの石油資源と、天然ガスなどのその他の戦略資源へのアクセスへの要求を暗に示唆した暗号的な言葉だったのは確かだった。 2007年のブレアによる訪問は数多くのエネルギーと防衛上の合意を達成したが、そこにはBPとの2百万ドルの天然ガス掘削計画の合意も含まれていた。2008年には米国政府は国務省でリビアの外相、Abdelrahman Shalgamを招聘した。その年の9月、Condoleezza Riceは55年間でリビアを訪問した最初の国務長官となった。11月には英国とリビアがPTAを締結した。

 レポートによれば、2009年の最初の5ヶ月間、英国のリビアへの輸出は前年比48%増の165.4百万ポンドに達し、そしてリビアからの輸入─特に石油─は同48.5%増の966百万ポンドに達したという。
英国だけではなかった。リビアで確認済みの埋蔵石油資源は世界の埋蔵量の3%と見積られるが、その多くが手をつけられていない。これは大国間での─少なくとも、ロシアへのエネルギー依存からの脱却を図りたいヨーロッパ諸国の間だけでも、熾烈な競合の対象となっている。
 過去数年間にイタリアはトリポリへの50億ドルの賠償支払いに合意した。おそらくその長年の植民地支配への賠償だろうが、それは「インフラ整備プロジェクト」にターゲットをすえており、イタリア企業に顕著な権益をもたらすものとなっている。2007年12月にはフランス大統領ニコラス・サルコジがカダフィに会い、1470億ドルの武器輸出と原子炉開発の契約に合意したという。

 ロシアは過激にアクティブである。昨年、ウラジミール・プーチン大統領がリビアへの460億ドルの借款について、Gazprom社のガス掘削事業などを含む大きな二国間取引と引き換えに、債務免除するとした。先月、トリポリとモスクワは原子力の平和利用の条約を締結、ロシアの石油会社Tatneft は「リビアのトリポリの南345キロメートルのGhadames盆地の石油資源ブロックを成功裏に掘削した」、と発表した。
 Guardian紙の9月2日の記事で、前リビア大使のMilesは、「英国政府が、英国の交易への支持をやめるべきだと(…イワン雷帝に大使を送ったヘンリー8世以来初めての交易であるかの如く)考えているような誰かにだけ意味をなすような、英国とリビア間のこれ以上の情報公開への要求というものを非難したい。そしてイタリア人や、フランス人、米国人、ロシア人などにもその場を譲りたい」、としている。「誰がいったい、それをよいアイディアだと思うだろうか?」と。
http://www.wsws.org/articles/2009/sep2009/lock-s02.shtml


*米国人Jim Swire氏(右)は娘 Floraを Lockerbieでの航空機爆破で亡くしたが、Al-Megrahiは無実であると主張、疑惑の追及を訴えていた…これら米国の遺族たちの反発も英国政府によって無視されたのか?

*スコットランド司法長官のMacAskillは、当初、Megrahiの人道的釈放を独断で行ったとされ非難の嵐に遭った。 しかし英国のブラウン首相は9月5日、リビアとBP社の間の9億ドルの石油取引契約が、受刑者引渡し合意とMegrahi釈放に大きなウェイトを占めていたことを認めた。MacAskillは「米国からの非難を避けるために」、Megrahiを受刑者引渡しとしてではなく、温情に基づく釈放としたという。

オバマ大統領はこの釈放を強く非難、米議会も調査を求めた。カダフィ大佐の息子はこれらの批判を痛烈に一蹴したとか。英国は開き直ってもう動きそうにない。時を経た疑惑を曖昧に葬り去ろうとしているのか?
→註:この後暫くしてQaddafiはMeghrahiを通じたリビアのこの事件への関与を公式に認めて、CIAの陰謀説の方は否定された。つまりBP社との石油取引と引き換えにMeghrahiを露骨に釈放したことは公認の事実となった。
→Meghrahiの末期癌を疑う報道もあったが、2011年8月末Meghrahiがリビアで「本当に」死に瀕していると報じられた。
Lockerbie bomber found dying in Libya
http://www.guardian.co.uk/world/2011/aug/29/lockerbie-bomber-found-dying-libya

パンナム機爆破事件(1)/Colonel Gaddafi: with friends like these...  By Damien McElroy


世界の退け者から、新たな存在感を回復したリビア?
カダフィ大佐は、クーデター40周年の祝賀行事を派手に打ち上げた

カダフィ大佐…こんな奴らが友達?
西欧とのデタント新時代のリビア、その40年来の専制的リーダーは変わらない  (8/31、The Telegraph, UK)


 1969年9月1日の明け方、Muammar Gaddafi大佐はリビアの君主政に対し、クーデターを起こした。そのカーリー・ヘアと男性的風貌で、27歳のGaddafiは自分自身をアフリカのチェ・ゲバラになぞらえていたが、ゲバラと異なり、彼は自分が失敗する可能性にも備えていた。彼はラジオでその最初の声明を読み上げたとき、彼のターコイズ・ブルーの…ナンバープレート23398 LBのフォルクスワーゲン・ビートル…を素早く逃走できるよう、傍に準備していた。

 しかし、予測されたクーデターへの反撃はなかった。ボスポラスで遅い夏を楽しんでいたIdris王はイスタンブールに留まり、彼の王室のCyrenaicanの護衛たちは、兵舎の内部にひき籠り続けた。ボリビア軍により拘束されて処刑されたアルゼンチン・ゲリラたちと同じ運命を辿るかわりに、Gaddafiは国際的にも有名になった─あるいは、より正確にいえば、ロナルド・レーガンを挑発した砂漠の狂犬 "Mad Dog" として悪名高い存在となった。
 
 その若き革命家は、過去40年の間も数多くの象徴的な化身を演じてきたが、彼はその熱意や、華麗なけばけばしさを少しも失っていない。彼が今日もその典型的な過剰なスタイルでイスラム社会主義共和国の建国を記念するとき、Gaddafi はまるで、その多額の財産のお陰でエキセントリックな奇行が容赦されている叔父さんのようでもあるし、または批評家たちが言うように、北アフリカの最富裕国でその国民を未だに絶望的な貧困にさらし続けている、気のふれた専制君主のようでもある。
 
 Gaddafiの同僚であるアフリカ諸国のリーダーたちとは異なり、世界の、他の国々のリーダーたちは首都トリポリでの気前のよい祝賀行事に出席しなかった。先週、エリゼー宮を訪れていたクレムリンのスポークスマンも、彼らの主人らは行事に出席する予定を立ててはいないと丁重に断っていた。しかし、リビア人たちが、世界が彼らのリーダーの虜だ、と信じているのを阻むことは難しそうだ。建国記念行事の直前になされた、Lockerbie事件の爆破犯Abdelbaset Ali Mohmed al Megrahiの、スコットランドの刑務所からの釈放というのは、Gaddafi大佐の重要性と彼のマニピュレーターとしての衰えなき能力の証明を、この上なく吹聴した。彼らが国際社会の圧力のもとで彼の裁判権を譲渡したとき、人々の"brother leader"であるGaddafiは人々に対して、Megrahi とその仲間の容疑者al Amin Khalifa Fhimah(*有罪宣告された人物) が国へ帰ることを保証した。いまや、その悔いなき大量殺人者は死を迎えるために故郷に帰り、リビアの政権は勝利に沸いている。

 しかし病気で衰弱した男の釈放は、世界的なリーダーとして認知されることを望む専制君主にとって奇妙な栄冠ともいえる。彼の最初の冒険(賭け)とは、毛主席をまねて、彼のグリーン・ブック(「毛沢東語録」風の小さな手帳)を発行し、議会への国民の参政権なしに打ちたてた民主主義(人々が組織する議会内の委員会が国政を管理する)という、複雑な政治理念の概要を記載したことだった。サダム・フセイン同様 Gaddafi もまたフィクションに手を染め、15編の小説を書いた──そのうちのいくつかは、ピエール・サリンジャー(元ケネディ大統領のスピーチライター)も巻き込んだ。しかし、彼とイラクの専制君主との主な類似点とは、Gaddafi が常に、彼の国が備蓄する石油が生み出す富を投入して虚栄心にあふれた政治的手腕を揮い、無感覚で残虐な行動によって自身の策謀に資金を提供したことだ。そのために提供された現金は1兆ポンドを超えると推定され─未着手の資金もあるが─パレスチナからフィリピンのならず者分子の革命運動に対する資金を提供してきた。そして、トロール漁船にアーマライト式ライフルとセムテックス爆弾をのせてIRAにも送り届けた。リビアの高官たちは国内でも海外でも、凶悪な(殺人者の)免責権をもちいて行動した:1984年のリビア大使館員によるロンドンの女性巡査 Yvonne Fletcher に対する狙撃事件で、だけでなく。

 テロ国家としてのその名がもっとも高まっていたとき、リビアはシリアやイランとともに"Axis of Evil" (悪の枢軸)の原型の一部でもあった。西欧の諜報機関によれば、「イランがその攻撃を考案し、シリアがそれを計画し、そしてリビアが実行に移した」、ということだった。そうしたミッションのうちのひとつは1986年の、米兵たちがよく通っていたベルリンのナイトクラブの爆破事件だ。レーガン大統領はそれに対し、英国にいる米国の工作員たちにトリポリをターゲットに爆破を行うようにと指令を発した。Gaddafi大佐の基地に対する攻撃で、彼の養子縁組による養女だったHannaがなくなった。専制君主はこれに激怒し、1988年の12月のじめじめした寒い朝にLockerbie上空を飛行していたパンナム航空の103便を破壊し──これにより270人の人々が死んだ──これは彼の復讐的行為だという人々がいた。また、ベルリンでの事件と同じくこれはイランとシリアが行った可能性がより強い、という人々もいた…なぜなら米国がその数ヶ月前に湾岸地域でイランの旅客機を撃墜していたからだ。

 Lockerbie事件は、大佐の指紋のついた最後の恐ろしい事件ではなかったが、彼はサダム・フセインが権力の座から放逐されたのをみて酔いを覚ました。この2人の男のあいだに絶対的な相似性はないものの、Gaddafiにとっては米国の十字砲火がじきに彼の北アフリカの本拠に向けられる事を心配するには十分だった。2003年にあるM16の幹部は、リビアのデタント(軍備削減)への興味が増していること、そしてWhitehallがリビアとの間の冷え切った関係を打破する交渉仲介のため、秘密の訪問を続けていることを報告している。Gaddafiは、英軍の最高幹部がトリポリを訪れることを命じ、そして彼は12月までにリビアの核兵器開発の秘密プログラムの詳細を手渡した。

 それはすべての人々に、何かを与える取引だった。リビアはCondoleezza Rice が、米国がリビアの政権交代を画策するなかでの6つの前哨点だとして唱えていたリストにはなかったことを実践した。トニー・ブレアが2007年に2度目にリビアを訪問した際の、"Deal in the Desert"(砂漠で取引をしろ)といった言葉は、英国に金の儲かる契約をもたらし、そしてリビアのリハビリテーションを確実にした。

 しかし、彼のテロリズムへのサポートが減退して政府の改革が議題にあがったとき、Gaddafiは彼のドンキホーテ的な炎を失ってはいなかった。今年はじめのローマへの訪問の折、彼は護衛たちにコミック・オペラの扮装をさせ、アマゾニアン(美女ボディガード)たちで脇を固めさせた。ローマのコメンテーターたちはその取り合わせを、ムッソリーニとマイケル・ジャクソンの完璧なミックスだと嘲笑した。

 そしてリビアが西欧世界とのちがいの問題を解決し、外国の投資家を惹きつけるマグネットとなったことで、その国がそれ以上一人の誇大妄想狂の掌中に留まり続ける、と信じた人々は少なかった。しかし今日の建国記念の祝賀行事への準備はリビアが普通の国になりつつあるというような指摘を拒む。何百何千万もの人々が騒ぎ、長らく忘れられていたトリポリの景色を再びかたちづくった。何千本もの椰子の木が海岸沿いに植えられ、道路は再舗装され、乾いた砂の路縁は芝生で埋めなおされ、目障りな建物は隠された。トリポリの古代の壁の脇の貴重な湖は世界中から来たパフォーマーがステージとするために水を抜かれた。

 巨大なバナーが物惜しみないリーダーの放埓を賞賛した。「あなたがいなければ不可能なことは起こらない」というのはやや理解しがたいメッセージだ。しかしその政権の従者たちも、事がどのように進むかについてはかなり不安を抱いているようだ。「私はそこに姿を現す必要があるが、そこはカオス(混乱した場)だろう」とある政権の支持者はいった。「役人たちは物事を組織的に管理できない。そうだ、そこにはヨットや車があるだろうが、すべての代表団たちに無礼講のように提供されるだろう。

 10年前、クーデター30周年記念の際は、トリポリにはカラフルな照明やバナー、大佐の肖像写真が並べられ、人々は彼の「意味深長な放射光(pregnant radiation)」だと評した。しかしほんの数時間の告知をしたのみで、その祝賀は9月9日の新しい日付に移行し、Gaddafi大佐による郷里の街Sirteでの一方的な「United States of Africa(アフリカ合州国)」の建国宣言の周年行事にすり変わっていた。それ以来、Gaddafi一族のAfriqiyah航空は9.9.99というロゴを、その機体に表示している。

 そしてGaddafiは健康状態はよいと推測されてはいるが、齢をとるにつれて慎重な権力争いが起こるだろう。政権に忠実な者たちは、彼の四男でリビアの諜報機関の長を務めるMoatessem-Billahの周囲に集まっている。古参の護衛たちは彼が、異議を唱える者たちに対し強硬手段をとることを快しとしているという。

 彼の2番目の息子で、国際的な「うるさい虻gadfly」から交渉者へと化したSaif al-Islamは、ワイルドカードだ。GaddafiにLockerbieの容疑者引渡しの途をひらき、Megrahiの帰国に関して英国政府を説得したのは彼である。「家族のメンバーは互いを、離れたところから尊敬しあっている」と彼らの協力者はいう。「もしも彼らが共にロンドンにいた場合、彼らは互いに訪問しあったりはしない、(彼らの兄弟がアルコールを飲んだり女の子と楽しんだりしているところを互いに見たくないからだ)」、という。

 Saif──彼の名前は「イスラムの剣Sword of Islam」を意味する──は、リビアが民主主義へと移行するmと宣言した。昨年、彼の改革主義的な声明に父親が憤激した後、彼は公的生活から退いた。しかしMegrahi を故郷に連れ帰りながら、彼はカムバックしたというシグナルを送った。それはSaifのおこなった何ヶ月もの仕事の報酬であり、彼がLord Mandelsonに近づき、何百万ドルもの金をロシアのタイクーンでBusiness Secretaryの友人でもあるOleg Deripaskaに投資する計画が噂されていることへの報酬でもある。」
 彼の友人たちは、もしもSaif が彼の弟との権力争いに勝ったなら民主主義を奉じるだろう、と思っている。「彼がそれを意図していることは確実だ」、とその一人はいう。「Saif は英国を尊敬し、Westminster式の議会政治を好んでいる。私は彼が…十年くらい後に彼が資金をすっかり確保した暁に…自分の国を民主主義に移行するだろうことは確実に思われる

 しかしどちらの息子が勝とうと、「王の中の王、イマームの中のイマーム(King of Kings, Imam of Imams)」と自称していた彼の父親の経歴に互するのは難しいだろう──あるいは、よりGaddafiを適切にあらわす言葉、「サバイバーのなかのサバイバー(Survivor of Survivors)」である父親に対しては。
(右写真:Saif Gaddafi)http://www.telegraph.co.uk/comment/6118691/Colonel-Gaddafi-with-friends-like-these....html

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影の取引が、カダフィの富と体制の維持を助けた Shady Dealings Helped Qaddafi Build Fortune and Regime
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