Thursday, November 12, 2009

ブルームバーグNY市長の3選と黒人教会/ Mayor Deprives Rival of Black Clergy’s Support

11/3の投票で、Thompson候補に対し現職ブルームバーグ市長が僅差で3選された…NY市長選挙の裏側で起きていたことは?
(パート1:選挙前)

ブルームバーグ市長、ライバル候補者の黒人聖職者層からの支持を奪う BY N.コンフェソーレ&M.バルバロ (10/29, NYタイムス)

 数週間前、NYハーレムのアビシニアン・バプティスト教会(Abyssinian Baptist Church)の有力な牧師、Rev. Calvin O. Butts 3世は、夏の間じゅう苦闘してきた難しい事がらに対する決断をくだした。

 彼は、NY市の監察官で彼の長年の友人、同盟者でもある市長選の候補、William C. Thompson Jr.への公式の支持表明を…彼との昨春の約束にも関わらず、おこなわないことにした…その代わり、彼は現市長Michael R. Bloombergへの支持を表明したのだ。

 Thompson氏はその裏切りに憤った。しかし彼が知らなかったことは、Bloomberg氏がその教会の開発会社に100万ドルの寄付(教会の年間予算のおよそ10%にのぼる)を、それ以上の更なる寄付の増額を暗に示唆しながら…行っていたということだ。
 
 “私が言えることは、これまで市長であった男が、私にとって重要な沢山のプログラム(事業計画)の支援をしてくれた、ということではないだろうか?”…とButts氏は、Bloomberg.氏への支持を公式に表明する前のインタビューで語った。

 Bloomberg氏は、市長としての3期目の当選をもくろんで、かつてはThompson氏のもつ生れながらの政治的権利だろう、と人々がみなしていた物を奪った:つまりThompson氏が毎週、教会に集まる何千何万人の会衆に対しともに説教をしている、NY市の最も有力な黒人聖職者たちから受ける祝福だ。そして、彼らの支持を得るために、Bloomberg氏はふつうでない組み合わせで、市の金と個人的な慈善行為、政治的な指名行為や、彼への人々の個人的な注目を駆使して…NY市での選挙で選ばれた白人行政官としてはこれまで耳にされなかったような、黒人聖職者メンバーによる結束網を作り上げたのだ。

 幾人かの有力教会の聖職者たちはBloomberg氏によって、影響力ある市の評議会や委員会メンバーに指名された。それ以外の人たちは、市の土地や資産を購入したり、(市長の)お手盛り事業での事業計画区域の線引き譲歩等を得るために、市側の助力を得た。最も大きな宗教機関のうち数少ないいくつか──アビシニアン教会と、クイーンズのジャマイカにあるGreater Allen A.M.E. Cathedral を含めて──がBloomberg氏の8年の任期中に、何百万ドルもの金を市のサービスを提供する契約と引き換えに受け取った。

 ここにぼんやりと立ち現れるのはBloomberg氏の目のくらむような財産だ──たとえそれが誰かに授与されていても(つまりButts氏の場合のように)…あるいは今後授与されると目されていても。

 “我々はこのようなしくみに、遅かれ早かれ到達する必要があった”と今年、現市長への支持を表明したブロンクスのChurch Alive Community Churchの牧師、Rev. Timothy Birkettはいう。“我々は彼が受容性の(感受性の高い、receptiveな)人物であることを望んでいる─”

 Bloomberg 氏を支持した人たちは、同市長が彼らの支持を得た理由とは、厳密に彼の任期中の功績によるもので、特にその教育政策や犯罪政策によるものだ、という。しかし彼への溢れるような支持のより多くは、フレンドリーな「聴く耳」をもつ市への黒人教会の依存によるものだろう、という批評家たちがいる。

 “こうした支持表明は、幾人かの我々の宗教的リーダーたちの信仰基準声明のなかでも示されている”、とButts氏の子分格でブルックリンのBrown Memorial Baptist Church の牧師、Rev. Clinton M. Millerはいう。“そうした声明というのは、私がどのようにして私のプロジェクトを実現できるかにおいて、どの人物を一層信頼すべきか、の問題なのだ”とMiller氏はいう。“Municipality(市当局/市政化)か神か…の選択の問題というわけだ”

 Bloomberg 氏の側近たちは、市長を聖職者たちと結びつけているものとは…金銭的な結びつきではなく、相互の信頼であるという…実際、そうした教会のいくつかはBloomberg 氏が市長の職につく以前からも、市との大きな契約を得ていたという。

 副市長の Dennis M. Walcott氏は、そうした関係とは“真に契約を超えたもの”で、そしてそれは“重要な選挙民(教区の)を抱えた重要な個人たちとの間の、現在進行中のコミュニケーションにもとづくもので…それをわれわれはとても誇りに思う”、と述べる。

 人種間の緊張の高まりが、他の白人市長の身にも押し寄せる可能性もある今、 Bloomberg 氏はそのような個人的な批判攻撃を、有力な黒人聖職者たちから受けたことは殆どない─Butts氏がかつて一度、公式にレイシストだときめつけたRudolph W. Giulianiなどの前任者たちは、そうした批判攻撃に傷つけられていたのだが。

 そのようなコントラストは先週、Bloomberg氏が、Giuliani氏と共に選挙キャンペーンのイベントに現れたときにも際立った──ブルックリンの殆ど白人ユダヤ人の多い聴衆たちに向かって、Giuliani氏は“間違った政治的リーダー”は、ニューヨーカーたちを“夜間に外に出て通りを歩くことを怖がる日々”に押し戻すことになるだろう、といったのだ。

 幾人かの黒人の市行政官たちは、即座にそのコメントが人種問題をあおっているといって非難した。しかしどの有力な黒人牧師たちも、市長がそのコメントを否定することを求めたりしなかった。

 “あなたは電話を取り上げ、彼と会話を交わすことができる”と…、ブルックリンで2001年にはBloomberg氏への支持を表明したが、今年は意志を決めかねているというRev. Conrad B. Tillardは語る── “なにも市庁舎への階段を上る途中に10,000人の聴衆の眼前で、彼と話す必要などない”

 Giuliani氏は時々、聖職者たちと反目していることを楽しんでいるかのように見えるが、Bloomberg氏は非常によく目に見える形で、彼らの心に到達している。私服警官が丸腰のSean Bellを殺したとき(*)、Bloomberg 氏はすぐに市のトップの(黒人)聖職者たちを市庁舎での会合にまねき、彼らに対しその銃撃は“説明のしがたい”ものであり、“受け容れがたい”と語った…。(*:2007年9月、クイーンズのジャマイカで結婚式当夜に黒人青年が職質しようとした警官の数十発の弾丸で射殺された)

 今年、30人以上の黒人聖職者たちがBloomberg氏への支持を公式に表明したが、彼らからの溢れるような賞賛とは、Thompson氏による、Bloomberg氏が労働者階級をほとんど省みない金権家だという攻撃へのくっきりとした回答だった。…それよりも多くの聖職者たちが立場を表明せず傍観していたが、彼らは市長にほとんど害を与えない立場にいた。

 Thompson 氏の選挙キャンペーン担当者たちは、Thompson氏がニューヨーク市中の教会の200人以上の聖職者たちからの非公式な支持を得ている、と主張する。しかし、印象的なことには、こうした聖職者達の多くが…公式に支持を表明をするリスクは冒せないと彼らに語ったという。

 聖職者たちの機嫌を害さないように匿名を条件に語りたいというあるキャンペーン担当者は、“幾人かの人たちは、もし公的に支持表明すると、彼らのプロジェクトへの資金援助、その他を失う可能性があるので用心しているのだ。彼らは彼らの同僚が、'ヘイ、俺はこれをもらった─お前も王様のテーブルに座らせてもらえるんぞ’、といっているのをみている…”

 …Bloomberg氏のテーブルに既に着いている一人とは、市内最大の会衆を擁するブルックリンのChristian Cultural CenterのRev. A. R. Bernardだ。就任以来、市長はBernard氏を市の経済開発公社(Economic Development Corporation)の委員会メンバーに指名した。2006年に市は、市の2本の道路の一部を地図上から消去し同センターに売却することに同意した。そのことはBernard氏が考えていた計画──教会の周囲の広大な敷地を一手に集め、市の援助のもとに住宅地・商業施設を混合的に開発するという野心的なプロジェクトを可能にした。

 “あなたがやりたいことをするには、市の出先機関の協力を得る必要がある”、とBernard氏はインタビューで言う。“私は通常的なプロセスでも実施されうる様なこと以外に、市に(特別な何かを)リクエストすることはないが─関係性をつくるというのはいいことだ…”

 市長は今年、Greater Allen A.M.E. CathedralのRev. Floyd H. Flakeからも支持を得た。住宅建設プロジェクトや路線バスの運行サービス、女性用のシェルター(簡易宿泊所)などの事業において、そのCathedralはクイーンズ南東部で職を提供する最大の雇用者のひとつだ。Bloomberg氏が市長になって以来、Allenは8百万ドル近くの市との契約を受注した。Bloomberg 氏はまた、Flake氏を貧困層援助をポリシーとする市の経済機会委員会のメンバーに指名した。Butts氏と同様、Flake氏は2001年にはBloomberg氏のライバルのMark Green氏を支持した。しかし、その年以来、彼は市長の最大の後援者で腹心の友となったのだ…“私がこれまでに要求したことはすべて、彼の支持者たちも私のすぐ後ろで支持してくれ、サポートしつづけてくれた”

 Flake氏はBloomberg 氏から教会に個人的な資金貢献をうけたことは一度もないといい、教会が市の行政官からの援助を必要とすることが、市長選への彼の支持表明を左右したのではないか?との指摘を否定した。

 就任以来、市長は少なくともFlake氏に16回面会し、Bernard氏とは14回会った。しかしButts氏以上に精力的に支持を求められたニューヨーカーは少ない─市長は彼に20回も会っていた。市長は2008年にButts氏のアビシニアン教会開発会社に100万ドル以上の資金援助をしたあと、今年更に数十万ドルを贈与した、と直接事情を知る人はいうが、その人はその贈与が匿名によるものと思われるため自分の氏名は明かしたくない、という。

 Bloomberg氏が市長職に就いて以来、教会とその非営利の連携グループは、少なくとも700万ドルを市との契約上で受託した。Butts氏は、そのなかのどれも彼がThompson氏に公的支持の意思変更を告げることを容易にはしなかったという。

 しかし彼は、市長の慈善事業が、彼にその決断を下させたのではない、と語る。“もしもGiuliani氏がBloomberg氏のように資金を持ち、それを周囲にばらまいていたとしても、彼は未だに支持は得られていなかっただろう”とButts氏はいう。“…これはBloomberg氏の金の話などではないんだ…”
http://www.nytimes.com/2009/10/29/nyregion/29ministers.html?hp=&pagewanted=all

*写真はBloomberg市長と、クイーンズのGreaterAllen A.M.E. CathedralのRev. Floyd H. Flake牧師

*NYタイムスはこの記事でGiulianiの時と同様、反Bloombergの政治的な大キャンペーンを繰り広げるかのようにみえたが、投票日のわずか4日前で、時すでに遅かったようだ?

*投票では予想外の「5%の僅差」で、Bloomberg氏が辛勝、NYの各地域の投票地図では富裕層地域と非富裕層地域とで露骨に両候補への支持が顕著に分かれていた(投票地図)http://www.nytimes.com/interactive/2009/11/04/nyregion/mayor-vote.html

ブルームバーグの札束は、ブルックリンでは「山羊のふん(bupkis*)」でしかない
*Yiddish語で山羊のふん、絶対的に意味の無いもの(“Bloomberg bucks mean bupkis in Brooklyn” 11/4, The New York Post/The Brooklyn Paper)

 …Bloomberg市長は火曜日の投票で3期目の任期に転がり込んだものの、ブルックリンでの多数票はとれなかった。挑戦者のBill Thompsonがブルックリンのボロー(区)住民の過半数票を獲得、49.8%対46%で… 再選のために9千万ドルの金をかけたBloomberg氏をやぶった。
 

…この得票数の接戦は──共和党から立候補して…Bay RidgeからBorough Park,、Park Slope、Windsor Terrace、Carroll Gardens、Cobbleといった地域の多数派白人住民層に強い…現職市長に対する、ブルックリンの選挙民の間の深い分裂を暴きだした…ちなみに黒人やラティーノ住民の多いブルックリン中央部やSunset Parkでは、Thompsonが勝利した。

 予備的開票結果では、Park SlopeとWindsor Terraceを擁するAssembly districtでは55–40%で Bloombergが優勢、Carroll Gardens、Cobble HillとBrooklyn Heightsを含む周辺地区でも、53–40%で現市長が優勢となった。
しかし、Fort Greeneの 57th Assembly Districtでは、73%の票がThompsonに投じられた。そして最終結果ではブルックリンの169,071票がThompsonに、157,296票がBloombergに投じられた。もちろん市全体では、市長がThompsonを50.6%対46%で下した。

 この接戦の結果は、ブルックリン区の政治エリートたちが予測した投票結果予測
を裏切った。 たとえば、区のPresident Markowitzは、The Brooklyn Paperに対して、Bloombergが「8%から10%の差で」勝つだろうと述べていたが、Patersonニューヨーク州知事の方は、Thompsonが勝つだろうと語っていた。
 

 …しかしその夜、ブルックリンでは市長選挙だけが接戦を呈し、市評議会の他のポストの選挙では民主党が圧勝した…
http://www.nypost.com/p/news/local/brooklyn/bloomberg_bucks_mean_bupkis_in_brooklyn_ss7yiOzgMmbQvjHxFCUrtI

Sunday, November 1, 2009

イラク軍、バグダッド爆破事件の容疑者を逮捕/Iraqis Arrest Bombing Suspects in Baghdad


イラクでバグダッドでの爆破の容疑者を逮捕(10/26, American Forces Press Service)

 イラク軍は今日、米軍のアドバイザーらとともに複数の作戦を展開し、バグダッドとモスルの間で車両爆弾による爆破のネットワークを築いていた11人の容疑者を逮捕した。

 イラク軍は、政府のビルで死者150人を出した爆破事件に使われたトラック爆弾に関わる容疑者を、バグダッド西部の数棟のビルで捜索した。その組織のセルのリーダーは同じく、8月19日に首都の省庁ビルをトラック爆弾で攻撃したグループの容疑者でもある。
 そのビルで見つかった証拠にもとづけば、イラク軍はバグダッドの爆弾ネットワークと繋がりがあると思われる8人を逮捕した。そのネットワークはチグリス川渓谷に沿った北方に散らばっている。

 米国のアドバイザーと共に働く 3rd Emergency Services Unit(第3非常部隊)はさらに今日、Kirkukの南西で爆弾ネットワークを摘発しようとしている。同チームは、Kirkukを拠点にチグリス川渓谷全域の爆破事件に関わるとみられるテロ・グループのメンバーのビルを捜索したが…その作戦で2人が逮捕された。

  米国のアドバイザーが付き、逮捕状を有するイラク警察は、これらの爆破テロに使われた車両を用意したとみられる人物を逮捕した。その治安部隊はMosulの南約50マイルの地点でその人物を、立件なしで逮捕した。
 
 今日またイラク軍兵士は諜報情報のもとでMosul拠点のアル・カイダ・イン・イラクの組織セルのリーダーと協力していた14人の容疑者を逮捕した。

 10月24日にはイラク軍兵士たちがIslamic State of Iraqのテロリスト・グループのメンバーを東部Mosulで逮捕、その人物はその地域での過去の恐喝事件の首謀者だった。信頼できる情報によれば、米軍アドバイザーのもと同軍兵士たちはIslamic State of IraqのメンバーをMosulの企業から金をゆすりとった容疑で逮捕した。
 
 建物の捜索中に治安チームは脅しとった金をイラク軍と市民への攻撃のために使ったと思われる男を逮捕した。男は北部イラクで活動する恐喝組織と密接な関わりをもつとされる。

 10月24日にはイラク治安警察は車爆弾のネットワークのメンバーだと疑われる男とその他2人の容疑者をKirkukの南の2つの建物の捜索で逮捕した。その容疑者はISIの援助する爆弾ネットワークの者と思われる。

 その他の作戦でKirkukの警察はal-Qaida in Iraqのメンバーと疑われる9人を10月20日に拘束、彼らは爆弾の製造できる材料を持っていた。その一人は2006年中に何千ポンドもの硝酸カリ・アンモニウムを購入したとみられ、バグダッドでの反乱行動を起こしたal-Qaida in Iraqのメンバーと繋がっていた。

 Kirkukのイラク警察は、米軍アドバイザーたちに道路上のチェックポイントで怪しい物資を発見できるよう依頼したが、警察は300ポンド以上の硝酸カリ・アンモニウムとガソリン缶、その他の爆弾の材料と思われる物質を車両から押収した。
http://www.defenselink.mil/news/newsarticle.aspx?id=56401
*上記報道の翌日、al-Qaida in Iraqが爆破事件の犯行声明を出した。
http://www.cbc.ca/world/story/2009/10/27/iraq-baghdad-bombing-al-qaeda391.html
*イラク内務省によれば10月31日、週末の2つの爆破事件の容疑者の男が警察で尋問を受けている最中に銃を掴んで捜査官を射殺、容疑者自身も負傷しその後病院で死亡した。
http://www.fox11az.com/news/world/68085592.html

Sunday, October 25, 2009

8月のバグダッドの爆破事件は誰の仕業か?/Whodunnit in Baghdad - By Juan Cole

10月25日、バグダッドの中心で再び、
大きな爆破テロ事件が起こった──
8月19日の省庁爆破の犯人すらも
判明して居ないのに。

Whodunnit in Baghdad バグダッドでそれを行ったのは誰だ?- By Juan Cole (8/20、Informed Comment、〔抜粋〕)

 水曜日のバグダッドでの無残な爆破テロの背後には誰がいたのか…に関して、ニュースメディアや、インターネットの全域では、推測が飛び交っていた─
 イラク議会の治安委員会の議長代行、Ammar Tu'mahは、政府がこれらの攻撃を阻止できなかったのは、各治安勢力やユニットが協力関係を欠き、情報をシェアできなかったためだと非難した。彼のいうように、防衛省と内務省は違った政治的な色合いが強く…誰が数多くの諜報機関の誰に報告するかも明確でなかった。しかし本当の疑問とは、誰が何のためにこのようなテロを実行したのか、の問題だ…

バグダッドのスンニ派アラブ人アナリストの推測(Aljazseeraアラビア語版のInterview):

 このアナリストは、この爆破テロはMaliki首相の行為に反発する者の仕業だとする…Malikiのダワ党〔Islamic Mission (Da'wa)Party〕が、シーア派連合の統一イラク連合〔United Iraqi Alliance〕から脱退するとみられたなかで、彼に切り捨てられるのでは、と感じた不満分子が起こしたのだろう、と推測する。〔すなわち、統一イラク連合の主要構成メンバーの一つのSadr派か、ハキム派ISCI(Islamic Supreme Council of Iraq…)などの関与を暗に示唆していた…〕 最近の首都バグダッドでの銀行強盗事件に、ISCI武装兵士が関与していたことや、Sadr派の分裂グループAsa'ib Ahl al-Haqqの起こしたバスラでの反連合軍のテロなどは、そうした推測にやや現実味をもたらすのだが…

アラビア語紙Al-Hayatの推測:
 …上記と対照的な推測は、Iraqi List(前首相Ayad Allawiの率いるナショナリスト党派)が、イランが爆弾を供給したと糾弾しているものだ、とal-Hayat紙はいう。Allawiは議会の275議席中の25議席を占める彼の党に脱退者が多く、分裂の一歩手前にあり、絶望的になっていたという。同党のメンバーは、彼が高圧的すぎて他人の意見を全く聞かず、イラン政府との会談を勝手に決めたという。Allawiは、来る1月の選挙で勝利するためにテヘランと近づこうとして、同国のayatollahにすげなく断られた…これにヒステリックに立腹した彼が党内での支持を得るためにイランを糾弾した、という…

al-Zaman紙の推測:
スンニ派アラブ人のナショナリスト・メディア、al-Zamanは、イランの革命防衛隊のJerusalem brigade(エルサレム旅団)の仕業だというが、これはジャーナリズムとしての裏づけの証拠が何もない、ショッキングな推察記事にすぎないといえる。

 …だが私はこう反論したい。イラクの閣僚や政治家たちはこのように長い間、各党派が力を集中するための道具として、利用されてきたのだ。イラクの財務省は、長らくISCI の活動家のBayan Jabr Sulaghが率いていて、同省職員たちはISCIからの引抜きが多かった。一方、クルド民主党のHoshyar Zebari率いる外務省は、誰の目でみても、クルド人に特別な仕事の機会を与えていた。そして教育省は、ダワ党〔the Islamic Mission Party (Da'wa)- Iraq Organization〕 (al-Maliki の所属するシーア派原理主義党と同じ党の支流)の議員、Khudayr al-Khuzaiに率いられていた。 そのため爆破ゲリラたちは、中央政府のみならず、こうした各省を操る党派に制裁を加えるという目的があったのにちがいない。

  でもISCI がそれ自身の操る財務省を爆破するのはありえない。イランはISCI に近い関係があり、クルド人にも近い。そして我々は実のところ、誰が ISCI、Islamic Mission Party(ダワ党)、そしてクルド民主党の3者すべてを憎んでいるかを知っている…それはスンニ派アラブ人ゲリラたちだ…─それがバース党であろうと過激な原理主義者だろうと。だから、スンニ派アラブのアナリストの陰謀説は説得性がないし、Allawiのグループやal-Zamanの推測にもまた真実性がない。

  Al-Hayat紙によると、イラク政府は「バース党とアル・カイダの連合組織」を犯人として訴えているようだ。しかしテロリストのセルはそのようには動かないものだ。6つのコーディネートされた爆破テロには、セル同士の細密で硬い結束と、親密な指令系統、コントロール系統が必要だ。つまりこれは2つの組織のどれか一方によるものだろう。軍事的な熟練度と作戦遂行の精密さをもってしても、私は旧バース党のオフィサーたちが関与しているとは思えない…彼らの現在でのイデオロギーはどうあろうと、また彼らが世俗的だろうとなかろうと。

 また、財務省と外務省の爆破は、爆破の規模や死傷者の数でも最大のものだった点でみても、これは先週の北部イラクのスンニ派アラブ人都市Mosulの郊外の2つのクルド人の村、ShabakとYazidi で起きた爆破事件の継続なのだろう。Mosulはアラブ・ナショナリズムや、バース党主義、スンニ派原理主義などの中心地だ。

Ilaf紙は私と同様に推測する:
 Ilaf紙は─これらの爆破テロは、スンニ派アラブ人のコミュニティが、シーア派とクルド人が支配する現イラク政府と和解していないことの証明だろう、という。 この問題は、分州制や民主主義で解決できることではない、と同紙はいう。スンニ派のアラブ人はいかなる国土分割(たとえ緩い分割であろうと)からも利益しない、なぜなら彼らの地域に開発済みの天然資源がないから、そして議会はシーア派多数派の支配するたったひとつの議会場のある議会しか作らない。 それゆえ私が示唆したようにこの爆破事件が旧バース党や新バース党員、あるいはスンニ派アラブのナショナリスト全般の手によるものだというのは賛成できない。現在あまりに多くのバース党オフィサーやリーダーたちがダマスカスに亡命し、そこに隠遁している.
 
 Al-Watan [The Nation]紙も伝えているが、イラクのal-Maliki首相は今週初めに、シリアを訪問していた。彼はその訪問中、シリアのバシル・アサド大統領にシリアに潜伏している筈のイラクの指名手配犯のリストを手渡していた(その多くはバース党の役人か、旧サダム政権の役人たちだ)それと引き換えに彼は、シリアに対し経済振興策の提案を行った─たとえば、イラクの原油を譲歩価格で売るといったことだ。またイラクの治安担当者も、ダマスカスでシリア人と米国側の担当者と会い、彼らと国境の治安改善について話し合っていた─ (後略) http://www.juancole.com/2009/08/whodunnit-in-baghdad.html

★イラクのイランとの内情について、D. Ignatiusが 興味ぶかいコラムを書いた。
…彼には、イラク諜報部と個人的なコネがあるのだろうか?

Iraq's Iran Connection -Behind the Carnage in Baghdad -
バグダッドの大虐殺の陰に… By David Ignatius (8/25, WashingtonPost)  

 バグダッドの治安が悪化するにつれて、そこにまた新たな心配の種が生じている: 米国が訓練してきたイラクの国家諜報機関・INIS 〔Iraqi National Intelligence Service 〕の長官が、Nouri al-Maliki首相との間の長い口論をつづけた末に、辞職してしまった──これによって同国から宗派間テロと対決してきたそのリーダーが奪われた。

 2004年以来、イラクの諜報部門の長官を務めていたGen. Mohammed Shahwaniは、今月辞職した…その理由は、Maliki首相が彼の組織の努力をないがしろにし、イランのスパイたちに活動の自由を与えた、と彼が考えたからだ。Shahwaniが1990年代に国外亡命していた際に何百万ドルもの金をINISメンバーのトレーニングに費やすために密接に協力していたCIAは、彼の辞職に明らかに驚いているという。

 Shahwaniの辞職をうながしたイラクの混乱の状況は、最近の数件の出来事に彩られている──米国によるサポートの増強なくしては、イラクの権力者たちは圧力に対して絶望的なほど弱く、特に隣国イランの圧力には弱い、ということをそれらの事件は示唆した。

 先般、それに関する警告となったのは、7月28日にバグダッド中心部で起きた、国営銀行Rafidain Bankへの明らかにイラクの治安部隊メンバーによる厚かましい強盗事件だ。ガンマンたちは銀行に押し入り、約5,600万イラク・ディナール(約5 百万米ドル)を盗んだ。戦闘の末に8人が死亡、強盗たちは副大統領の一人、Adel Abdul Mahdiの経営する新聞社に逃げ込んだ。  一時期は米国のお気に入りだったこともあるAdel Abdul Mahdiは、泥棒の一人が彼の護衛隊の一人だと認めたが、個人的な関与は否定した、とイラク紙はいっている。盗金の一部はとり戻されたが、残りは何人かの強盗メンバーと一緒にイランに運ばれたと考えられている。

 Shahwaniの2つ目の懸念は、彼の組織での6,000名を数える職員に対する脅迫だ。Malikiの政府は180人のイラク人諜報職員に逮捕状を出したのだ──その罪状への訴えとは、Shahwaniによれば、彼が彼の仕事を遂行していることに対する政治的な反撃だという。INISは2004年に正式に設立されたが、その職員の多くはイランの諜報組織のターゲットにされ290名が殺害された。

 Shahwaniの辞職により、同諜報機関の長官は前のSaddam Husseinの空軍のパイロットだったGen.Zuheir Fadelに引き継がれた。しかし、Fadelの主要な部下たちは安全のため、ヨルダンやエジプト、シリアに逃亡したといわれる─イラクに残った場合に、イランの暗殺部隊のターゲットとされる事を怖れて。

 イラクの秩序の破壊は、100人の死者と500人の負傷者を出した8月19日のトラック爆弾による財務省、その他の省庁機関の爆破で最も劇的なものに達した。ここで再び、政府の治安部隊がテロリストを援助していた可能性がみえる。

 “私は、治安部隊が協力していた可能性を排除しない”、と外務大臣Hoshyar Zebariは事件の後に述べた。“我々は真実に直面する必要がある。過去2ヶ月間、明らかに治安情勢は悪化をみせていた。”

 この大虐殺の犯人とは誰なのか?今日のイラクでは、宗派間の争いにまつわる陰謀説が全開で語られている。Malikiのシーア派主導政府は先週の末、スンニ派のバース党員Wisam Ali Khazim Ibrahimの告白を放送したが、彼が言うにはトラック爆弾による爆破計画はシリアで育まれ、彼はチェックポイントの護衛ガードに1万ドルを払って、そこを通過したのだという。

 しかしShahwaniに近い諜報ソースによると、科学的犯罪捜査による証拠はイランの関与を示唆している、という。彼は爆破の現場で見つかったC-4火薬の残余物にあったサインは、KutやNasiriyah, Basraその他の都市で2006年以降に発見されていた、イラン製爆薬にあったものと同一だったという。

 イランのMalikiとの関係性は密接なものだとイラクの諜報ソースはいい、同首相はイラン人クルーの乗ったイラン製ジェット機を公務の旅行の際にも用いるという。イラン人たちはMalikiが彼の政府で彼らの望む政策上の変更を行えば、彼のダワ党が1月の選挙で少なくとも49議席をとることを約束した、という。  
 イラクで治安状況が分解する中で、米軍はほとんど傍観者の立場にいる。al-Qaedaの分子が有力に残るMosulなどのエリアでさえ、米国人はほとんどコントロール能力をもたない。逮捕されたスンニ派テロリストは、イラク人が最高10万ドルの賄賂と引き換えにすぐさま保釈する、とイラクの情報筋はいう。

  米国人は秩序の回復を試みるべきだろうか?イラクのトップの諜報ソースは、それに関してたぶん“関わらないことが安全のためによいだろう”、と悲しげに答える。米国の助力なしに、5年以内にこの国がどう変わっているだろうか、とさらに詰問すると彼はぶっきらぼうにこう答える、「イラクはイランの植民地になるだろう」。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/24/AR2009082402491.html

イランの濃縮核燃料の“不純物”について/A Hitch in Iran's Nuclear Plans?- By David Ignatius


Ignatiusの書いた、イランの核開発に関する情報が話題を呼んでいる…

それは、イランの核問題への“引っかかり”となるのか?
By David Ignatius (10/16, Washington Post)


 あなたはたぶん“Nucleonics Week”という業界誌の定期的読者ではないだろうから、私は、その10/8号に出ていた記事を要約してみたい。その報告では、イランが低濃縮ウラン──つまり核兵器製造を可能にする原材料…を供給する際に、彼らがそれを核兵器づくりにグレードアップすると遠心分離機を故障させかねないような一種の“不純物”が発生したといっている。

 今や“それ”は興味深いことだ──10月1日のジュネーヴでの交渉でのブレークスルーとなった合意──そこでイランは彼らの推定1,500キログラムの低濃縮ウランの大半を、さらなる濃縮工程のため海外に送ることについて同意したのだが──それは、みかけ通りの出来事ではなく、イランの遠心分離機が機能しないため、濃縮工程には外国の協力を得る以外に途がなかった、ということなのかもしれない。

 “不純物とは、ある種のフッ素結合した金属物質だが、それは遠心分離機での濃縮を阻むかもしれない”と、イランのNatanzの核施設において同ニュースレターのボン市の特派員のMark Hibbsが報告している。

 このニュースには、私は爆撃を受けそうに思えた。もしもNucleonics Weekの報告が精確ならば(専門家たちが、その汚染の問題がどの程度深刻か、への不確実さを感じていたとはいえ)イランの核開発は大半のアナリストたちが考えるよりずっと悪い状態にあるわけだ。彼らの製造した汚染された核燃料は、核兵器には全く使いようがない。爆弾を作るのに十分な燃料を製造するには、イランは初めから再度やり直さねばならない──今回は不純物を出さぬようにして。

 でも、あなたはそれをイラン人たちの手に委ねなければならない…悪しき状況のなかでベストを得るために: ジュネーブでなされた提案で彼らは西欧諸国にその燃料の汚染を除去させる約束を得たのだが──それをしなければその燃料は、彼らが常にその目的として主張する平和的な核利用にのみ使用可能な低濃縮の燃料にすぎなくなるのだ。
 
 “イラン人がそのように核燃料の供給で国際的な協力を喜んで受ける譲歩を装った態度を、レバレッジに使ったのはずうずうしいことだ”、とカーネギー平和財団の核不拡散プログラムのディレクター、George Perkovichはいう。

 10月1日になされたその仮合意は、イランが3.5パーセントの低濃縮ウランをロシアに送ると誓約したことで賞賛を浴びた──ロシアではそれをさらに、イランが医療用のアイソトープに使用する研究用原子炉の運転に必要な、19.75パーセントのレベルまで濃縮するという。ジュネーヴでの仮合意ではまた、フランスが核燃料合成のためより高濃度なウランへの濃縮を申し出た。

 “このことで得られる可能性のあるアドバンテージとは、もしそれが実行されたら、イランはLEU(低濃縮ウラン)の備蓄量を一気に削減できることだ───それは中東その他の地域での心配の種になっているものだが”…と、ジュネーヴの会議の後で、米国の政府高官は記者たちに熱狂して答えた。イランとの再度の会談は月曜日にウイーンで、詳細事項の決定のため開かれる。

 しかし交渉者たちよ、喜びに沸くのは少し待って、技術的スタッフのいうことに立ち戻ろう。“もしもイランのウラン燃料に濃縮前の汚染除去が必要なら…それはイランが近い将来には脅威とはなりえない、というブレークアウト(突破口)のシナリオを意味するのではないか”とHibbsはレポートする。“なぜならば、イランがNatanzで汚染除去をせずに濃縮した場合、LEUの再濃縮は遠心分離機を壊しかねないからだ”…Nucleonics Week のストーリーによると、フランスのAreva社がウラニウムの転化の技術とその装置を持っており、それがイランのLEUの汚染除去のために使えるという。

 そのような不純物がなぜ最初にウラン原材料に混入したのだろうか?それは興味深い疑問だ。その問題は、伝えられるところではイランで原料ウランを遠心分離機で濃縮可能な気体に変換しているIsfahanのプラントで発生したという。Isfahanのプラントはモリブデンその他の不純物を適切に除去できなかったと、Nucleonics Weekは2005年に報告している。

 そして、そのIsfahanの転換プラントでの故障が発生した装置とは、どこから来たのか?イラン人たちがそのことを心配していた可能性は大きいだろう。もちろんイラン人たちはおそらく、彼らの誇る核開発施設が他のどこに故障がありうるかを心配したに違いない。

 そしてそれはイラン人たちをパラノイアに陥らせるには十分ではなかったろう───彼らにはまだ、Qomの近くの革命防衛隊基地周辺の山岳の地下に隠された秘密の核濃縮工場が存在する、という情報もリークされているのだから。もしも米国がそれを発見したなら、それ以外に偉大なサタンの知るどんな事柄があるだろう?

 そして結論はこうだ: イランの核開発の時計にはアナリストたちが怖れていたよりまだもっと時間がある。イラン人たちが懸命に製造を試みる核燃料のストックは、核爆弾を製造しようとすると、彼らの遠心分離機にダメージを与えてしまう可能性がある。イランと彼らの国外における核燃料の濃縮に関して契約をすることには意味がある──国際社会が、それらがどこでどのように使用されるかをモニターすることができるし…またそこに秘密の備蓄があるかどうかも知り得るからだ。

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/15/AR2009101502761_pf.html

Saturday, October 24, 2009

イラクのマリキが彼の勢力を結集…/Iraq's Maliki gathers his forces- By Sami Moubayed


イラクのマリキが彼の勢力を結集する… By サミ・ムバイヤド (10/6, Asia Times)

 イラクの国防大臣はこの週末をはさんで、紛争の多発する北部イラクのNineveh県で、元バース党員やアル・カイダのメンバーをはじめ、150人以上を逮捕したと発表した。イラクのメディアはそのニュースを、政治的なプロセスへの敵に対する“大規模な弾圧”だと声高に報道した。しかし、ふつうのイラク人たちの見方は違った─人々は8月に起きた首都での大きな爆弾テロ事件のあと、Nuri al-Maliki首相がイラクの治安上の混乱に終止符を打てるものと信じるのを拒否した…。

 ともかく、政権就任後4年目を迎えようとする首相は、失業の削減や投資の呼び込み、公的機関での給与水準の引き上げにも失敗した。彼はまたスンニ派、シーア派、クルド人の間の真のパートナー関係づくりにも失敗し、その代わり、宗教的信条に導かれた少数のシーア派政治家たちからなる狭い連立政権によって政権を運営している。

 それでも彼はイラクの街角に、厳しい治安政策をつうじて比較的平和な状態を回復させ、2003年以来途絶えていた、ある程度正常な日常を何とかとり戻した。しかし、8月19日にバグダッドの政府の建物を粉々にした6つの自爆テロ以降、“security failure(治安上の失敗)”は、同首相の不足点の長大なリストに追加されてしまった。

 どんな現実的な目的のためにも、Malikiは100人以上のイラク人犠牲者を出したバグダッドの爆弾テロ──ブラック・ウェンズデーと呼ばれる── の後に政治的には終わってしまった…。それらの攻撃は、18ヶ月間の比較的平穏な時期の後に起こり、首都の人々の特に感じやすい(痛んだ)神経を逆なでし、そして人々はこう問い始めた、“もしもMalikiの治安計画がそんなに上手くいってるのなら、どうしてこれらの事件が起きたのか?”と─。

 これは治安向上のためのどんな試みも──たとえばこの週末に実施されていたものも── それが真面目な試みだろうと、普通のイラクの民衆からのあざけりしか生まないだろう理由だ。もしもイラクがノーマルな国で、宗派や部族、政治的立場ごとに分裂していないならば─どんな政治家でも…たとえスーパーマンだろうと8月19日の爆弾事件の余波の中では生き延びられないだろう。

 しかし不思議なことに、先週の木曜日にMalikiは破滅させられるどころか、新政党(法の連合による国家State of Law Coalition.)の結成の発表を行いながら、未だに闘争精神に溢れた様子をみせた。バグダッドの名声あるal-Rasheedホテルに集まった500人ほどの聴衆に対し、首相は彼の連合の55人のメンバー、著名なシーア派リーダーSaid Fawzi Abu Rishehやスンニ派の重鎮リーダーSaid Yawer al-Shummari.たちなどを紹介した。

 新たな党派連合は40の政党の連合で、そのなかには党の議長代理Sheikh Khaled al-Atiyya、Hussein al-Shahristani石油大臣、 そしてDulaim部族の長Sheikh Ali al-Hatem Suleimanもいる。この新連合のその他のMalikiの協力者としては、彼のアドバイザーのSadeq al-Rikabiや、彼のスポークスマン Ali al-Dabbagh、有名な女性活動家Safia al-Suheilがおり、そしてまた教育大臣・健康大臣・旅行産業大臣・労働大臣・移民問題大臣・若者問題大臣・スポーツ大臣、そして議会運営大臣がいる。

 すでに30の党派が新連合への参加を申請したと首相に近い情報筋はいい、彼らの申請は現在、メンバー委員会がレビューしているという。新連合はナショナリズムをかかげ、各派の信条主義を超えた世俗的なものとして、Malikiはそのどのリーダーもターバンを巻いた聖職者ではないこと(2005年に政権をめざした統一イラク連合はそれが存在したが)を指摘した。

 多くの敗北の後でMalikiが反撃力を示したことは、注目に価する。この男は2006年4月に政権の座について以降幾度も、その多くの失敗のために終わったと目されなかったか?それと同様に驚くべきことは、Malikiの連合が、イラク全土のライバル政治家たちの間に巻き起こしている否定しがたい怖れの感覚だ。同首相が、George W Bushがホワイトハウスを去った瞬間その恩恵から墜落する、弱くて顕著な色彩のない政治家だ、と皆が思っていたのは、さほど昔ではない。

  簡単にいえば、人々は彼を真面目に捉えたことがなかった。
今日、人々は彼を彼自身の力による政治的な重鎮だとみるだけでなく、彼の行うファウル・プレイ(反則行為)を糾弾し、彼がゆっくりと新たなSaddam Husseinのような存在に変貌しつつある、と非難する。Malikiのチームが生まれる1週間前に彼の前のボスだった前首相・Ibrahim al-Jaafariが、もうひとつの党派連合として、有力なシーア派党派(サドル派やHakimのSIICなど)の傘連合である、the Iraqi National Alliance(INA)を創設していた。

INAもまた宗派横断的・世俗的なポリシーをかかげて、イラク人に対し、2003年の占領によって行われた全ての悪しき行いと、Malikiの失策を正す、と約束した。彼らはMalikiに対してINAの議席を与えると提案したが、首相は丁重にこれを断った─彼は彼自身が2010年の選挙で再び首相になることを絶対的に保証するといった、不可能な4番目の条件を要求したのだ。

憮然としたINAのメンバーたちはMalikiの政治生命はあとわずかだと警告したが、議会のサドル派のメンバーのAhmad Masoudiは“早期の分裂”はthe State of Law Coalitionの連合の出現を促すだろうといった。

INAのメンバーの構成とは、それがイランとの強い関係のもとに投資を行い、テヘランを政治ゲームの中に引き入れてMalikiに対抗させるという色彩をもっていた。首相は、イラクに対するイランの影響力というものに反対したことはなかったが、彼自身としてイラン人とそれほど強い繋がりを持ったことは一度もなかった。

何ヶ月にもわたり彼は彼の宗派的(党派的)イメージを脱却する(振り落とす)よう試み、そしてシーア派・スンニ派・クルド人からみて、すべてのイラク人のスポークスマンとして映るよう試みている─そして単なるシーア派系の狭い政党として、長年Saddam政権の下で実験をふるってきたスンニ派コミュニティに復讐を試みるような党派ではないことを印象づけようとしている。

彼はINAとはとても異なる政策をとるだろう─イランとは距離を置き、そしてアラブ諸国、たとえばサウジ・アラビアやヨルダンや、さらにおそらくシリアとも寄り添った関係樹立を試みて─彼自身をスンニ派からも愛されるべく画策し、そして次の1月の大統領選で勝てるように努力するだろう。

もしもINAに参加していたた場合、有力な宗教政治家のMuqtada al-SadrやAbdul Aziz al-Hakim(彼は新連合結成直後に亡くなったが)に対抗してMalikiが成功を収めることはとても困難だったろう。おそらく彼は、バグダッドのスラム地域でのMuqtadaの人気や、シーア派の影響力のあるビジネスマンの大きな家族層コミュニティでのHakimの影響力に比べれば、政治的な小人のような存在にみられていた可能性が強い。

しかしながら、the State of Law連合で彼と協力する無力な政治家たちに比べたら、Malikiは政治的な巨人にみなされる。新連合の弱小メンバーのグループが失策つづきの実績しかない首相のリーダーシップのもとに、Sadr派やHakim派、その他の、来年1月の選挙にむけて活動する強力なシーア派の政治家たちと対抗できるのだろうか?(筆者:Sami Moubayed は、シリアのForward Magazineのチーフエディター)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KJ06Ak01.html

*10/20、al-Malikiは米国での会議出席の折ワシントンに立寄った。オバマは彼に、1月16日の議会選挙の実施にむけた、「選挙法」の早急な制定を要求した。

 その制定の遅れは米国にとっても、選挙のできる安定した治安状況を残して撤退する、という米軍の最後の大きなひと仕事─を果たすために問題となる。

 イラク軍の質は徐々に向上しているが、未だにスンニ派主流の地域、またシーア派地域でも治安の悪いMaysanなどの県をコントロールできていないのだ。

 特に問題なのは、石油資源の豊富なクルド地方の都市Kirkukの問題…アラブ人住民とクルド人住民の間のパワーシェアリングの問題に解決策がみえていない…

 また議会選挙では候補者の個人名で投票するか、党の名で投票するかにも妥協策がみえず…イラクの立法議員たちによる草案作成は「give up」状態にあるとか─

Saturday, October 17, 2009

再建のために、タリバンと時をあらそうパキスタンの今…/ Racing Time and Taliban to Rebuild in Pakistan - By SABRINA TAVERNISE and IRFAN ASHRAF


Swat渓谷から Sabrina Taverniseが細やかな最新状況報告をしている

再建のために、タリバンと時をあらそうパキスタンの今…

By サブリナ・タヴェルニシ及びイルファン・アシュラフ (10/10, NYタイムス)

〔パキスタン、ナザラザード〕

 戦闘は終わり村人たちは戻ってきたが、ここでの暮らしは未だに保留のままだ。村人たちのバッファローは居なくなり、畑の収穫は駄目になった。多くの地域が未だに停電している。タリバンによって爆破された学校は、山となって残っている。レンガさえもが売りに出されている。

 “我々はみなし子のようだ”と、学校の校長、Akbar Khanはいう。“誰も我々のことを尋ねにここを訪れたりしない”

 ここはUpper Swat Valley(スワット渓谷上流地域)、北部パキスタンでのタリバン運動の震源地だ。ここより南方の都会のエリアは賑わいをとり戻し日常に帰っているが、パキスタンによるSwat地方でのタリバンとの戦いの真のテストはこの、武装闘争の始まった土地、貧困に蝕まれた地方の村々で起こるだろう。

 しかしアクティブな戦闘が終了して2ヵ月以上が経ち冬が急速に近づきつつあるなかで、再建はいまだ始まらず、この土地で人々の信用を取り戻するため達成されたことはほんの僅かしかない、と村人や役人たちはいう。

 彼らは、こうした停滞は危険だ、という:つまり政府によるほとんど完全な国民の放棄の状態が、人々をタリバンと手を結ばせたのだ… 人々が自力で生活していくよう放棄されている限り、悪い状態へと逆行するチャンスが大きくなる。

“私は本当に心配しているのだ”と、Swatが位置する北西辺境州の長官Javed Iqbalはいう。”我々に時間的な贅沢をする余裕などはない”

“もしもあなたがより一層、実体的なものを示せないのなら…この国がまた、無政府状態に戻っても驚くべきではない…”と彼はいう。

 パキスタン政府は今、Swat渓谷の人々のニーズに応えているとし、その先月の援助金額は推定12億ドルだという。同国への最大の援助国の米国は何10億ドルもの資金をパキスタンに投入しようとしており、援助資金をつのる国際会議も開催された。

 しかしこの打ちひしがれた地域の再建資金はほどんど存在しないに等しい、と政府関係者はいう、そして援助団体は治安上の規則に阻まれて現実への対応が遅れている。

 “政府は人々が、平常の生活にゆっくり戻りつつあるのだ、と信じている”と、ラホールのForman Christian College経済学部の理事、Pervez Tahirはいう。“現実には、以前から貧しい人々は無視されており、その後もまた、貧しい人々は無視される…”

 そうしたパターンは、パキスタンのトラブルにみちた62年の歴史を通じて裏づけられ、とくにこの地域での状況はシビアだった。
 
 戦争の前にはNazarabadの物は皆、壊れていた。村人たちは、街の変電設備のコイルを交換するため寄付をした。水道水は流れないか、屋内に配管設備はなく、教師たちは学校の水道ポンプのために寄付をした。そのためにロビー活動をする有力者は誰もおらず、村は自分たちでそれらを賄うべく取り残された。

 そのため、タリバンが最初にFMラジオの放送によって現れて、イスラム教聖職者が人々のニーズが無視されている、と語ったとき、人々はそこに救済をみた。

 “欠乏は耐え難いレベルにあったのだ”、とNazarabadの教師、Muhammad Shah Husseinはいう。“タリバンが来た時、そこには希望があった”

 しかし、時が過ぎてタリバンの戦略は一層強制的になってゆき、そして彼らが学校を爆破したときに彼らへの共感は消えうせた。

 “我々は彼らに、‘人々はとても貧しくて弱い、どうかこの学校を破壊しないでくれ’といったのだ”─と校長のAkbar Khanはいう。

 しかしそれは、用をなさなかった。今では生徒たちは、不思議な新しいアウトドアの教室にとまる小鳥のように、小さなレンガの山の上に座っている。ここでは少女たちは未だにまったく学校に行けない─彼女らの学校は破壊された後、一度も再建されていない。そしてローカルな習慣によって、彼女がおおっぴらに外にでることすら眉を顰められる。

 Swat渓谷の学校の約20%は破壊されたか、使用不能になっていると国連児童基金(Unicef)はいう。

 これまでこの地での主だった対応はテントの配布だった。その事業努力を主導していたユニセフは、寄付者たちからの反応は鈍かったといい、依頼した資金の60%しか集まらなかったという。そしてタリバンの攻撃が7人の国連の職員達を殺害した後…その中には教育担当のディレクターもいた…、戦争に蝕まれた地域での再建事業は休止状態のままだという。

 国連は2千万ドルをこの地域の学校再建のための予算に割り当て、先月には何億ドルもの資金を社会開発事業のために投じると約束した。しかし再建事業の責任者であるこの県の役人、Shakeel Qadr Khanは、実際にどのくらいの資金がSwatの再建のために使われることになるか不明だという

 何年にもわたるタリバン支配と、軍事作戦の頻発した時期は農業にも犠牲を強いた。Guelarai村の農民Khazwarは、彼の小麦が駄目になり、果物も収穫されることがなかったので、手元には種や肥料を購入するための何の資金も残らなかった。県の農業担当の長官は、彼らの事業を再び軌道に戻すために、およそ8億ドルを農民支援のために投じることが必要だという。

“Swat地域は全てこのことによる苦難を強いられている”とKhazwarはいう…多くの田舎のパキスタン人がこの同じ名前を好んで名乗っている。

 ここでの軍事作戦は、過去の軍事作戦のような大規模な破壊や、多くの市民の犠牲者は出さなかった、そして軍はいまやこの渓谷全体のあちこちに基地を建設した。軍の存在はMingoraのマジョリティ住民から歓迎された─それ以前の時期に武装勢力から放棄されたと感じていた人たちによって。

 しかし2003年頃に武装勢力が強勢をはっていた村々では、人々はいまや軍にも恐れを抱いている…それは平常な暮らしに戻ることをさらに困難にする。

 Hussein氏は、彼の男子生徒の半数以上が学校に来なくなったと見積もる──彼らは軍が、彼らをタリバンに関与したとして逮捕するのではと恐れていたのだという。彼はまた目立つことに神経質になっている…今や彼は軍の拘束下にある親類たちのことを問い合わせている家族たち(その多くが字が読めない)のスポークスマンの役も務めている。

 また、急速な速さで進みつつある仕事といえば、地方のMilitia(民兵団)の設立だ。この近隣の政治的リーダー、Jamal Nasir Khanは渓谷の上流地域の村々で何百人もの男をリクルートして、タリバンからの防衛の仕事に就かせようとしている。Khanは2007年に首都のIslamabadに逃れ、この夏に帰ってきたというが、治安の維持が最大の課題だという。  

“人々は1ヶ月以内に平常な状態に戻ることを望んでいる─それは無理だ”と、家を出るときは常に米国風のアーミーブーツに空軍ジャケット、M-16ライフルを身に着けているKhanはいう。“それはgenie(魔法のランプの精)が来て状況をよくしてくれる…などというものではない”

 Khan氏は完全に軍隊に頼っている。彼は軍の車両に便乗して移動し、彼の食べ物は軍で調理される。そして彼はこの地域で、現実的に独りだ。このあたりの7つのdistrictの役人たちでここから逃れた者のうち、一人として帰ってきた者はなかった。…戻ってきたのはごく少数の高校の教師たちと、医師たちだけだ。

 識字率の低さは村人たちを容易に無視されがちにする。Taja Bibiは字の読めない村人だが─彼女の聡明な12歳の娘のRabihatは学校に帰りたいと切望している─彼女はとにかく学校が再開してほしい、いつになるのかとは訊かないから、という。 

“私たちには討論もできないし、返事をすることもできない”と、20人以上の人が住む小さな家の汚い床に座って、彼女はいう。

“あの人たちは私たちを、話をする相手にする価値もないと思っている”

 Hussein氏にとっては、人々の権利のことを理解できる、教育のある階層を生み出すことがパキスタンの変革への唯一の希望だ。

 しかしそれには学校がいる、そして彼の村にあった学校はなくなってしまった。

“我々はルーザーなのだ”、と彼はいった。
http://www.nytimes.com/2009/10/11/world/asia/11swat.html?tntemail1=y&emc=tnt&pagewanted=all

Friday, October 16, 2009

カルザイ政権の腐敗を許すな!/ Not Good Enough - By THOMAS L. FRIEDMAN

米国流の民主主義を信じるオプティミストのフリードマン
Karzai政権に最後通牒を…と提案?


「十分に好く」はない! ─ By トーマス・フリードマン (10/14、NYタイムス)
 

 もしもオバマ大統領が…米国をベトナム化への途に陥らせないために、アフガニスタンとパキスタンを安定化するのに必要な兵力バランスの厳密な数を導きだせたならば、むろん彼はノーベル賞に値する──物理学分野で。

 私は、大統領がその計算のために時間をとることには、何ら問題はない。我々と彼とはその決定と長い間、共に過ごさねばならないのだから。だが私の財布の具合からみると…私には、あとどの位の追加兵力を派遣するか、を今日語り合うよりも、どのようなアフガン政府をパートナーとして持つかに焦点をあてて語ってほしいのだ。

 なぜなら、対反乱勢力の作戦を進める場合、ローカルな政府というものは、我々の兵力増派と我々の目標とするゴールの間の、決定的な橋渡しをする存在だからだ。もしも、その政府が腐敗していたら、あなたの事業のお先は暗くなる。

 独立した選挙監視機関のモニターたちによれば、8月20日の投票では3分の1程度の票が腐敗に汚れた票で、Hamid Karzai大統領は明らかに大規模な不正に最も手を染めていた、という。それでも彼は、米軍の兵力増派と我々にとっては、アフガニスタンの安定というゴールへの橋となると思われている──それはありえない。

 私は、アフガニスタンとパキスタンの安定化は大きな賭けだ、と理解している。その地での我々の最高司令官で、何千もの兵力の追加をリクエストしているStanley McChrystal中将が、もしもアフガニスタンをタリバンに明け渡した場合には沢山の悪いことが起こる、という時、彼はまちがってはいない。しかし、私は自分自身に問い続けたい:我々はどうやってそのような汚れた政府をパートナーにできるのか、と?

 私はJefferson(建国の父)は投票で選ばれたのではなかった、と知っている。しかしそこで “good enough (十分に好い)”といった状態と、機能不全に陥って腐敗している、ということの間には大きな相違がある。われわれがどう考えようと、我々のパートナーのKarzaiと彼のチームは率直なところ最悪だ(awful)、と多くのアフガン人がいっている。

 そのことは我々が単に追加兵力を送るだけでは十分でない、ということの理由だ。もしも我々がアフガンへのコミットメント(介入)を更新するのなら、我々はアフガンの人々に対して、我々はKarzaiとは違うタイプの政権を望んでいる、と目に見える形で示すか、または誰が治めようともそのような政権と共にあることは拒絶する、と示さねばならない。それはスイスである必要はない、しかしそれならば十分に好ましいだろう──それは、アフガニスタン人たちが喜んでその元で生活するような政府だろう。それなくしては、より一層の兵力派遣による戦略は、ただ敗北を引き伸ばすだけだろう。

 私にはワシントンが──タリバンによる反乱運動が加速的にKarzai政権の態度に反抗するものになりつつある(同政権が国際的パートナーとして手を組む諸国の宗教や文明に対抗するのではなく…)ことを、十分理解しているのかは疑問だ。そして、あまりにも多くのアフガン人がいま、我々がその政府を創り維持し続けていることに苦情を唱えている。

 Karzaiはすでに、この不正な選挙への国際的な投票検査の公正さを傷つけようとし、いかなる決選投票の実施も拒んだ。月曜日に彼のElectoral Complaints Commission(選挙苦情委員会)の協力者である Mustafa Barakzaiは“外国による妨害があった”として辞職した。そのことはKarzaiが、彼の汚した選挙をクリーンアップしようとする我々に対して、アフガンの国民を反目させようとする試みだ。

 アフガニスタンの専門家たちと…カブールで、ワシントンで、そしてベルリンで話すとき、その構図は見えてくる: Karzai政府にはマフィアの政府との共通性がたくさんあると── “正常な”政府は国民から税金のかたちで収入を得て…ローカルなまたは地域的機関に予算配分や支援金の形で資金を分散するが、このアフガン政府は、逆の形で運営されている。その金は、地方の田舎から上に上がってくる─公共のオフィスがcrony(親友、旧友、仲間)に対して行った購買への支払いや、cronyからの“gifts(贈り物)”に対する支払いの形で。

 専門家たちがいうには──カブールから流れるものは、足かせのない(拘束を受けない)抜き取りと、役人達がシステムに反抗したり、一線を超えたりした場合の、告発や処罰からの保護だ。“Karzai World”のなかでは、組織の中のslot(位置や仕事)は、利潤のためにそれを買う人たちによって売買され、またはcronyたちにタダで与えられ、ライバル勢力を追い払うための贈与金とされる。

 我々は、そうしたシステムの実行者だと思われないように、とても注意を払わねばならない。

 去る7月にアフガニスタンを訪れたときに私は、すべての米国の役人が、彼はアフガニスタンでベストで、誠実な人物だ、と教えてくれた重要な県知事にも面会したが──彼らはこう付け加えた、“我々はKarzaiが罷免されないように、Karzaiと戦わねばならない”と──それはKarzaiのシステムに抵抗する人間たちに起こっていることなのだ。

 これはクレージーだ。我々はKarzaiと対処するとき、あまりにも礼儀正しく、植民地勢力のようにみられまいと心配しすぎている。私はもしこの男が大統領職に選ばれたなら、彼が彼の政府をアフガンの人々の尊敬を得られるように目にみえる形でクリーンアップするまで、一人の追加の兵力たりとも送りたくない。

 もしもKarzaiがノーといったなら、そこにある答えはたった一つだ: “友人よ、君一人でやってくれ。どうぞ、タリバンとよい人生を。我々は、マフィア・ファミリーのように振るまう政府のもとに、これ以上の米国人の血や、財産を費やすことはできない。もしも我々がこの国を去らないと思うなら…これを見よ” (ヘリコプター部隊にキュー)

 だから、お願いだから、今日アフガニスタンとパキスタンがどんなに重要かを私にレクチャーするのを少し控えてほしい。私はすでに賭け金を払っている。しかし我々は、この国自身の大統領以上の、誠実なアフガニスタンを望むことはできない。もし我々がそれを期待するなら、我々は、国民からの国家への忠誠心を維持できる真のローカル・パートナーを得ることはできず、そして我々にとっての成功はありえない─たとえ兵力増派によっても、より一層の無人偵察機や、資金の投資によっても。
http://www.nytimes.com/2009/10/14/opinion/14friedman.html

*10/20に、結局Karzaiは決選投票受け入れを表明し、翌日ライバルのAbdullah候補もこれを受け容れた。このフリードマンのコラムが毎度ながら、効果あったのだろうか?──

*とはいえフリードマンは、去る9月30日のコラムで、オバマ大統領をめぐるたった今の空気は、「イスラエルの故ラビン大統領暗殺前夜の空気にそっくり…」などと書いて、一部の批評家から顰蹙を浴びていた。 

*「機能する政府」というのはオバマの大きな政府論の公約のキータームとか…これもパロディとしていっているのか?