Sunday, November 29, 2009

パキスタン軍拡大と、反大統領デモの可能性/ Pakistan's military stays a march ahead - By Syed Saleem Shahzad


タリバン勢力との一進一退の戦い、
その核兵器庫への高まる懸念…
ザルダリ氏への恩赦失効*でパキスタンに動揺が

パキスタン軍の戦線拡大と、反大統領デモの計画が呼応?… By Syed Saleem Shahzad (11/25, Asia Times)

 パキスタンでの、米国主導の“テロとの戦い(war on terror)”に対する人々の支持を集めるため、英・米政府は共謀し、パキスタンで世俗的でリベラルな政治勢力が権力の座で勝利すべく画策した──当時の大統領だったペルベス・ムシャラフ将軍と、前首相ベナジール・ブットの取引交渉による合意は、National Reconciliation Ordinance (NRO)(国民和解条例)の発布の形をとった。

 2年を経たいま、この取引に対する反動(blowback *)が、文民政府を大混乱(カオス)に陥らせる脅威と化しつつある… パキスタン政府は丁度、国の核兵器庫の新たな操作管理の機能を確立すべく苦闘しており、部族エリアでは武装勢力への大規模な軍事作戦を仕掛けているのだが。

 NRO条例は2007年10月5日に発布され…汚職、横領、不正なマネー・ロンダリングや殺人、また86年1月1日から99年10月12日の間にテロに加担した罪などで摘発された政治家・政治団体スタッフ・官僚らに対する「恩赦」を与えた。これによって利益をこうむったなかで最大の人物二人とは、ブットと彼女の夫…即ち、現首相のアシーフ・アリ・ザルダリだった。国外に亡命していたブットはその後、仮の首相候補として国に戻ったものの、彼女は2007年12月に暗殺されてしまった。

 最終的に、NRO法は11月28日に失効の期限を迎えたが、何百人もの政治家や官僚が法的な訴訟を退ける有利な利益をこうむったことが露呈した。法務大臣はこれにより影響を受けた人々のリストを発表したが、そこには大統領から上級閣僚・外交官までが名を連ねていた (*その数は約2000人にのぼる)

  この取引交渉を扇動した元々の発案者である西欧の資本は今や、黙せる相場師と化しているが、パキスタンの軍組織(mis)は今、アフガニスタンから外国の軍勢力は撤退しようとしているものとみている。そして代わりに、タリバンの主導する反乱勢力における全ての主要な人物(プレーヤー)を交渉の話し合いに招くというcontingency plan (非常事態計画)が考案されつつある。

 軍はすでに、アフガンの反乱勢力の“影の軍隊(Lashkar-e-Zil)セクション”の有力な司令官たちに対し接近している。そのメッセージとは、外国軍隊が撤退した場合、ムスリムの反乱勢力に反対する理由のないパキスタン軍は、(彼らの)友軍とみなされるべきだ、というものだ…。

 そうしたメッセージは、司令官イリヤス・カシミーリを通じてal-Qaedaにも送られ、またグルブディン・ヘクマティヤル(Gulbuddin Hekmatyar)の元にも──彼の司令官たち(…アブドル・ガフール、シラジュディン・ハカニ、ハキムラ・メスード)を通じて送られた。そのメッセージはまた、英国のゴードン・ブラウン首相による最近の声明にも触れている、“私は1月1日に会議をロンドンで開催することを提案した。私はその会議において、軍事戦略遂行のための包括的な政治上の枠組を計画したい。そして、そこでは各地域・地域のコントロールをアフガニスタン全土へと移譲するプロセスと、2010年以降にそれを開始するタイムテーブルを明確にする必要がある。”

 軍勢力の情報筋がAsia Timesに語ったことは、ブラウン首相のスピーチは”テロとの戦い”に対する国際的な支持が衰えをみせつつあるなかで、米国単独による作戦の遂行は不可能になることを示唆したものだ…、という解釈だった。

 この方針転換という見地は、パキスタン軍にも影響を及ぼした。軍のあるスポークスマンは、最近、軍が1ヶ月にわたる軍事作戦を遂行した結果、パキスタンのタリバン勢力の南ワジリスタンの本拠地に到達し、全ての主要な地点を支配したと主張した。米国の圧力の下での軍の次なるステップは、al-Qaedaや最大のタリバン主導グループ・ハカーニ族ネットワークの本拠地があるとされる、隣接の北ワジリスタンへと移動することだ。

 しかし軍は英国・イタリア・フランス・カナダや、米国のオバマ大統領からアフガンへの兵力増派へのためらいがちなシグナルが発されるなかで、現時点で作戦行動を拡大する準備をしていない。

“力の回廊地帯”における動揺

 パキスタン軍が最大のプレーヤーとなっている同国内では、NRO条例の失効に伴って影響を受ける人々のリストが発表されたことにより、政治状況が突然悪化した。報道によれば、いくつかのケースでは逮捕状がすでに発行されたといい…数名の閣僚が、近々辞任するだろうとの予測もある。

 最高裁判所の元・主任判事サイードゥザン・シディーキは、誰もが法の訴追を免れない中で、大統領さえも恩赦を見直される可能性があるという。 …“それ[大統領の訴追免除]は、英国の総督や知事たちを守るために作られた植民地法なのだ”とシディーキ はTV番組で語った。ザルダリの名前はリストの筆頭にあるが、もしも彼の訴追免除が取り消されたなら、政府全体が倒れる。

 情勢の悪化は軍を勢いづかせ、80基から100基の核弾頭があるとされる核兵器の兵器庫に軍の勢力がはいりこむ可能性がある。

 先にAsia Times Onlineは、ザルダリ氏がすでに、軍によるタリバン系・反乱勢力との交渉には強く敵対し、彼の政府が数週間のうちに(その生き残りの可否のテストとなる)大規模な街頭抗議デモに直面するだろう、との記事を書いた。(11月20日付 Nuclear fallout rocks Pakistan 参照 *市民抗議デモは計画俎上にあるという

 パキスタンは、情報調査記者セイモア・ハーシュがThe New Yorkerに掲載した11月16日付の記事"Defending the arsenal"に強く反応した。その記事でハーシュは、パキスタンが米国との間で、“理解すること(Understanding)”に関する討議を行っていたと書いた…そこでは、専門家たちがパキスタンの高性能な核の引金(核弾頭)を──誤った人間たちの手に渡ることを防ぐため──国外に持ち出すことさえありえるといっているのだ。
 オバマ政権は明らかに─ 特に先月、武装勢力がラワルピンディのパキスタン軍の本拠地に入り、22時間にわたる流血の包囲行動を起こして以降、パキスタンの兵器に関して深く憂慮している。

 Joint Chiefs of Staff Committee(陸軍参謀委員会)議長のタリク・マジード将軍は、その主張は“馬鹿げており、単純に間違いだ”といっている。それはそうかもしれない、しかしパキスタンの中では兵器庫の件は大きな政治的口論に発展している。明らかな国際社会の懸念を表明するように、National Assembly's standing committee on defenseの議長、アズラ・ファザル・ペチューホは11月11日の彼女の17名からなる委員会の会合で、委員会の報告書を急いで発表し、2007年に発されたNCA法令(核兵器管理権限法令)が、核兵器庫の多層的なコントロール構造に、法的認可を与えるよう求めた。

 この報告書によれば、その権限の責任者は大統領で、首相はそれを代行できる。他のメンバーとは外相、国防相、財務相、内務相、軍参謀委員会議長、3役議長と戦略計画本部の主任となる。核兵器の操作上の管理には現在、陸軍参謀委員会の議長マジード将軍が単独で当たっている。

 NCA法案は前大統領のムシャラフの時から、核兵器のコントロール強化のため立法化が求められていた。しかし、同法案は議会議長のフェフミダ・ミルザが議会運営大臣ババル・アワーニの要望のもとで(理由なく)延期してきた。Asia Times Online は、前首相のナワズ・シャリフ もまた、同法案の立法化を延期するための妨害工作をしてきたと書いた。シャリフは現在、野党の党首だが、明らかに大統領のザルダリを信用しておらず、権力を首相が握るように望んでいる。彼は野党の党首がNCAの一部であるべきだと求めている。

 シャリフの懸念だけが問題なのではない──軍もまたNCAに留保条件を持っており、それが立法化の遅れをもたらしている。

 同条例が公布されたとき、ムシャラフは大統領でかつ軍総司令官であったので、軍は政府権力において大きな存在感を持っていた。今やザルダリ大統領は、ワシントンに余りにも近すぎると思われている…引退した戦略計画部門の主任カリド・キドワイ中将と同様に…。軍は同条例に、外国の権益がその権限を妨害することのないよう修正が加えられるよう求めている。
*(註:ブローバック◆アメリカの CIA の用語で、外交政策が原因となって自国にもたらされる予期できない負の結末。支持していた政権が自国に敵対的になってテロを仕掛けることなどを指す)

*NYタイムスの29日の関連記事…ザルダリ氏は核兵器の管理権限(「核のボタン」)を突如首相に委譲することを発表!
Pakistan’s Leader, Under Pressure, Cedes Nuclear Office
http://www.nytimes.com/2009/11/29/world/asia/29pstan.html
…ザルダリ大統領は、パキスタンでの核兵器の管理司令構造(における権限)を、彼の政府の首相に委譲した──これは彼が、オバマ大統領が同国地域に関する戦略声明を述べる前日の騒乱のなかで、突然政治的な操作を行ったものとみられる。

 金曜夜遅く発表されたプレスリリースによると、ザルダリ氏は国内での圧力の下で、2年の大統領職の任期中最悪の低迷に陥っている。土曜日に政治的な恩赦のプログラムの期限が切れ、ザルダリ氏と協力者たちは汚職と犯罪の容疑に直面、反対勢力は彼が多くの権力を放棄するか、あるいは辞任することを要求している。

 政治アナリストたちはパキスタンの核の安全が脅かされる可能性を見てはいないが、今週アフガン新戦略を発表するオバマ政権にとり、同国の政治的安定は決定的に重要だ。米国はパキスタンにタリバンとアル・カイダとの戦いをステップアップするよう強く要求しており、2週間以内にはイスラマバードに2人の国防上のトップ担当者を派遣する。

 これまでザルダリ氏はパキスタンの核兵器庫の全てをコントロールするNational Command Authorityの文民としてのトップを務め…60基あるいは100基の核爆弾の移動・発射や、兵器の備蓄拡大、核兵器及び研究施設の安全管理などの決断の権限を持っていた。

 前大統領ムシャラフが軍人であったのに対し、このザルダリ氏のポジションは核のシビリアン・コントロールを示唆すると思われた。しかし現実には強力な国軍がパキスタンの核兵器庫を統制管理しており、ザルダリ氏によるサイード・ユーサフ・ラザ・ジラーニ首相への権限委譲は実質的に何の効果もないともいわれる…

 …軍部はザルダリ氏と彼のPPT党を歴史的に酷く嫌っている。ある上級国会議員は、この動きがザルダリ氏の民主的な信任を鼓舞し、ムシャラフ体制の下で弱まっていた議会制を強固なものとして復活させることを期待すると述べた。しかしパキスタンは62年にわたり常に軍部が強く、核保有国の中で例外的に軍が核の全側面を支配している。米国はそのことに多少安堵していた。

 軍部はその体制の維持を望んでいたといわれる。しかし軍部は、オバマ大統領がこの国の民主的制度組織へをサポートを表明し、両国間ではじめての大規模な市民援助パッケージをこの秋に提案した際は、これに騒然と抗議した。

 今回の動きはザルダリ氏が最も弱い状況に陥った今、核の管理より大統領としての延命を望んでいる証拠だという。しかし多くの政治アナリストたちは、彼への反対勢力の批判の中心─つまり彼がザルダリから奪った数多くの権力を継承したまま放棄していないこと─(例:選挙で選ばれた政府の解散権など─それはパキスタンのような議会政治国では珍しい)を放棄しなければ彼は生き残れないだろうという。

 金曜日の動きではこうした権力は何ら放棄しておらず、同国のニュースメディアに広く無視された。しかしある上級の議員は彼が来月以降にこうした権力の放棄をはじめるだろうという…(後略)

動かぬ証拠…ハサン少佐に関する7つの顕著な事実/ Hard Evidence‐Seven salient facts about Maj. Nidal Malik Hasan - By C. Hitchens


ムスリムの軍医ニダル・マリク・ハサンが、フォートフッド基地のクリニックで銃を乱射し、仲間を殺害したのは何故か。
西欧代表のコラムニストも怒りと戸惑いに混乱しているようだ…

動かぬ証拠…Nidal Malik Hasan少佐に関する7つの顕著な事実 
(11/16 By Christopher Hitchens)


性急な判決を下したり、結論を急いだりしないように諌めるのは、公平で分別のあるかのごとく聞こえるだろうが…大統領が政治家らしい分別でそれを叫んだなら、そのアドバイス自体がすでに結論も中ば…というより、殆ど判決を下しているのも同然だ。今回のケースでも最も平明にいえることは、Nidal Malik Hasan少佐の行為が、彼のイスラム教的信念に関わっていたと意味づけるようなどんな仮定もすべきではない、ということだ。

少佐の、たぶん混乱した意識における完璧に個人的な知識が何だったのか私には分からない、でもそれは危機管理部門のコメンテーターたちにも分からないし、これまで好き勝手なやり方で物事を理解してきたFBIの奴らにも、わからないだろう。しかし、背後のコネクションが存在しないと証明するために、次のような事実を比較的ランダムに、または補助的に観察することが必要だろう。

1)Hasanは有名な暴力の伝道者であるAnwar al-Awlaki師*(そのAl-Qaedaの教えと行動への熱心さが研究者や諜報機関によく知られた人物…)と直接的な連絡をとっていた。《*911のテロ犯たちと関係があったとされるイエメンのイスラム聖職者》

2)彼は(軍の)診療所で治療を待っていた非武装の兵士たち…彼自身が人間としての責務のみならず、(軍の)内科医という職務上の責任をも負っていたこうした人たちに対する残虐な攻撃を図るだいぶ以前から、彼自身のために武器を購入していた。

3)彼は一斉射撃を放つ前に、ジハード戦士の叫びとしては世界共通の… "Allahu akbar!"(または、神は偉大なり)の叫びを上げた。(その行動を目撃した者たちの言うことは、最初は疑いの目でみられていたが、特に彼らのうち何人かはその言葉の意味が分からないために、音を描写しただけの報告をしていた。)彼のビジネス上の名刺では、彼は彼自身を"SOA" 、または "slave"、 あるいはおそらく "soldier of Allah."(アラーの戦士)と称していた。それらの何れも、この文脈上では再確認されていない。

4)彼は繰り返し、彼の所属するメリーランド州ベテスタのUniformed Service Universityの修士課程のクラスを、イスラム教への改宗の勧誘活動目的にもちいていたが、そのようなヴァージョンのイスラム教というものは少なくとも、“平和の宗教”と誇張されるべきものではない。



5)彼は口頭で、または書いたもののなかで、死や、殉教して聖戦士となること(あるいはsuicide murder…殺人自殺というべきもの)に魅惑されると表明していたが、それはビン・ラディン主義の中心的概念だ。

6)彼は、多くの帰還兵士たちの痛ましい(悲惨な)ストーリーに憤りを感じていた…我々のうちのとても多くの者が経験していたのと同じように…そして、彼が繰り返し表明していたアフガニスタンのタリバンや、イラクのアルカイダ組織との戦争への圧倒的な反感は、それが“イスラムとの戦争”(a war on Islam)”だからだという。これは、タリバンがイスラムの代表者だといえ…そしてつまりイラクとアフガニスタンの現在の政府はそうではない、ということ…これが、takfirの教義を信奉する純粋なイスラム主義者(教徒)たちが、そのようなイスラム教徒を他の異教徒と同じ嘘つきとして破門し、彼らを聖なる殺戮に値するとみなす信念の中心だ。

7)彼は特に、信心深いイスラム教徒がキリスト教徒やユダヤ教徒と連帯することを禁ずるコーランの訓戒に、とりつかれていたように見える。


上のリストは徹底したものではないが、しかし私は7つの項目のうちの5項目(1項目目と最後の4項目)は、彼が軍の任務上で不断の監視下に置かれたり、解任される根拠となるのに十分だったと思う。たとえば、制服を着た状態で改宗を勧める活動は既に軍の規則で禁じられている。米軍はその人員を"inclusive"に扱う(包括的にまとめる)ために、それに反する者は除外するか、教練を施す必要がある─これは勿論、全ての(異宗教の)狂信的信者にも適用され、それが常に適用されるとは限らないとか指摘することには意味がない。Hasanの残虐行為はそうした適用のより緊急な必要性を増大させるのだが…。

Hasanの、ナイフの刃の縁のような精神状態を強調するのはどうか?…うぅむ、それは不安定だったかも知れないが、Anwar al-Awlaki師の怒れる教義に染まっても改善されるものではなかっただろう。私は全ての女性嫌悪や反ユダヤ主義、サドマゾヒスティックな自殺テロによる犠牲などの教義を教える説教師たちを、気狂いだとはいわないが…しかしそうしたこと自体を教えていることが気狂い沙汰だと思う。同様に私は、全てのイスラム教徒はテロリストだとはいわないが、テロリストたちのうちの驚くべき割合がイスラム教徒なのだ。偏執症で鬱病的な人物は…我々自身の中にも何百万もいるが…彼らがみな宗教的なスローガンを叫びつつ、仲間たちを殺戮しながら死に至る必要はない。しかしジハード主義の "精神的指導者(spiritual leader)"と恒常的に接している偏執病的、鬱病的な人物たちは、殺人と引きかえにパラダイスが与えられる、というレディーメイドのスクリプトを与えられているのだ。

…よろしい、それならば、大胆なるHasan少佐は悪い扱いや虐待に晒されていたのだろうか?現在までに、彼の両親がパレスチナの難民キャンプからこの国に来て、生活を打ち建てることに成功したことを考えれば、彼は意識的に全て志願兵のみからなる軍に志願し、昇進を得て(それは彼自身に保証された本当の能力より早かったようだが)そして、他の宗教を信じる仲間への極端に有害な考え方を吹聴しつつ、彼を受け容れ育んだ国に対しては何も語らなかった。
彼はたまに嘲られたりしたこともあったには違いない、でもあなたがそれを避けたければ、制服を着ているあいだは軍の仲間の兵士たちへの軽蔑を表明すべきではない。米国の黒人はかつて差別的扱いを受けていた。ユダヤ人の新兵も無慈悲に苛められていた…ゲイかも知れないとみなされた男や女が苛められたのと同様に。しかし彼らのうちにそれらへの返答として大量殺人を図った者がいるだろうか?彼らのうちの誰かが、黒人やユダヤ人、またはゲイのイデオロギーを自己正当化のために振り回したろうか?
彼らがもしそれをしていたなら、共感や理解を得られただろうか?安っぽい“プレ・ストレス性障害”派のストーリーが出来あがるまで、Hasan少佐は単なる悪いイスラム教徒、として無罪放免されていたわけでもない。彼は悪い行いをして居ながらさえも、何となく非難を免れていた。

これは単によくある、FBIや他の治安組織が…彼ら自身が探知していてさえ…早い時期の警告の受け入れを拒むばかげた事例なだけではない。これは軍の一体性や統合 ─それは我々の社会の基本的組織のひとつで、民族的・宗教的統合の原動力だ─ への直接的な挑戦なのだ。米兵が彼ら・彼女らのイスラム教徒の同僚の信頼性に疑問を感じた場合、彼らは“イスラム嫌い”なわけではない。(Phobia=“xx嫌い”というのは非理性的で、コントロール不能の恐怖だ…)
もしもHasan少佐が彼の、理解するにたる…下士官としての悩みをもっと広汎に広めていたら、彼は彼の狂信的な聖職者の友人に考えられる最大のサービスをしていただろう。しかし彼の行為とは彼の過ちであり、そして彼が公然と長い間そのリハーサルをしていたことも彼の上官の過ちであって、それを指摘する私に責任はない。

私は何年か前に、暗殺部隊タイプのイスラム教徒の3つのもっとも顕著な特徴は、自己正当化、自己憐ぴん、そして自己嫌悪であると書いた。彼の威嚇的な物腰にしばしばとても意気消沈させられていた彼の同僚のシュリンク(精神分析医)たちに囲まれ、Hasan少将はこの3つの特徴の全てを何とか自分のものにした…神学的なレトリックを公然ともちいつつ…そしてまるで彼の現実世界が”トラブルにみまわれていた”かのように、扱われながら。セラピーだけでこうしたことに対抗しようというオフィシャルな試みとともに、こうした3つの兆候に再度まみえる準備をしたほうがいい。聖なる戦士たちは少なくとも彼らは自殺しようとしているのだと知っている。
http://www.slate.com/id/2235760/pagenum/all

*hasan少佐はバージニア州アーリントン生まれだ
http://en.wikipedia.org/wiki/Malik_Nadal_Hasan

Thursday, November 19, 2009

“君は、なんて儀式的なんだ!”アメリカのお辞儀の歴史 … "How Ceremonious You Are!" A history of bowing in America - By Juliet Lapidos


オバマ大統領の丁寧なお辞儀
どうでもよいことのようだが、日本人もアメリカ人も、
少し気にかけていた?──

“君は、なんて儀式的なんだ”…
アメリカのお辞儀の歴史 By ジュリエット・ラピドス (11/17、Slate.com)

 オバマ大統領が先週の末、(かなり深々と)日本の天皇にお辞儀をしたことは…彼を中傷する保守派たちに、余るほどの"馬の餌"を与えてしまった。元副大統領のチェイニーもその一人で──彼は、“アメリカの大統領は、誰にもお辞儀する理由はない…我々の友人も同盟国もそれを予測してはいなかったし、我々の敵国は、それを弱さのサインだとみなしている”、といったという。

 日本では、お辞儀はフォーマルな挨拶にともなうスタンダード(標準的)なものだ。そして植民地時代のアメリカを描いた昔のドラマをみたことがある人なら誰でも、お辞儀がかつてこの国でも一度はスタンダードだったことがあるのを、よく知っている。アメリカ人は、いつからお辞儀をやめたのだろう?

 20世紀の初頭よりも後だったことは確かだ…それまでは珍しいものではなかったのだが。身ぶりの歴史をたどるのは困難だが、文字となった証拠を通じて、我々は植民地時代にはかなり多くお辞儀が行われていたことを知る。17世紀の清教徒の牧師たちは、お辞儀を、目下の身分の者が目上の者に会った際に目線を低くして屈むという意味で、熱心に推奨した──それを、“栄誉と尊敬と(そしてさらに)服従の誓いの徴し”、だと考えて。親や教師、家庭教師、そしてダンス教師などが、このような伝統を18世紀を通してばらまいた… 男性は女性に対してお辞儀をするように、目下の者は目上にお辞儀をするように、そして平等な者たちも一定の地位ある者に対しては、お互いにお辞儀をすべきと指導していた。

 独立革命の時代の人々には、その習慣がより民主的でなかった社会の痕跡だとみなされた。たとえばトーマス・ジェファーソンはお辞儀の代わりに、握手を好んだ。尊敬の意を表わす伝統的なサインは、アンドリュー・ジャクソン大統領の頃(1829-37)に、多くの米国人が自意識過剰気味に…階級意識や旧世界の罠を拒否した時期に、いっそう批判の的となった。歴史家のJack Larkinはその著書“The Reshaping of Everyday Life”で、英国人の Frederick Marryatが1835年に、“合衆国ではいつでもどこでも握手が行われているので、新たに知り合った人のステイタス(地位)が識別できない” とこぼしていた、と引用した。Larkinは、この時代にお辞儀とは、主に子供が年配者に帽子を脱いでお辞儀したり(あるいは、婦人がちょっと膝を屈めて会釈するもの<=curtsy>として)行われていたと書いた。

 また別の歴史家、 Amherstにあるマサチューセッツ大学のStephen Nissenbaumは、ニューイングランドの清教徒たちにとってお辞儀は義務であり、真のsubservience(従属の意)を表明するものだったと指摘している。ジャクソン主義者の時代とその延長の時期には、これとは対照的に、お辞儀は "礼儀正しい社会組織(polite society)"のメンバーを象徴するものだった。

 もちろん、お辞儀は20世紀に入っても、エリートの間で行われていた。たとえば、Edith Whartonの登場キャラクターは、互いにお辞儀をしあっている。(そこでは、浅く屈むことがスタイルだったようだ。“New Year's Day”という中編小説の語り手は、若きHubert Wessonが、Mrs. Hazledonに対して挨拶をする際に、彼女の前であまりに深く屈みすぎた、と記している。“まあ、あなた…”と彼女は言う、“あなたはなんて儀礼的なの!本当に。私はあなたがなさるお辞儀が示すほどに、齢をとってはいないわ?”) 

 礼儀の専門家Emily Post は、1922年の彼女の著書“Etiquette”のなかには、お辞儀に関する一章を含めるのがふさわしいと考えた。紳士というものは、ディナーの席で拍手喝采への返礼に立ち上がり、一言二言述べるときや、または上品でフォーマルなディナーの席で、レディやほかの年配の紳士達に対してお辞儀するときには、“立って一礼”(standing bow)すべきだ、と書いた。このフォーマルな身ぶりは、“両脚を揃え、踵をかちっと打ちつける動作”や、“素早く、腰から首に至るまで深く屈する”といった動作も伴ったりした。もしも彼が街の路上で誰か知人に出会ったら、彼は気軽な(インフォーマルな)会釈をすべきだ──彼は帽子をとって屈むべきだが、“簡単で、わざとらしくない(自然で、無理のない)”仕方ですべきだ、ともある。

 それなら、米国社会は厳密にはいつお辞儀を放棄したのだろう…その身振りをカーテンコールのときのみに委ねて?1920年代までに、それはすでに古くさくて陳腐な身ぶりとなっていた。そして第2次大戦の頃までにそれは街の風景から消え、社交界デビューの舞踏会のごとき場面だけに残されていた。
http://www.slate.com/id/2235915
*お付合いの席等の話題によさそうのでUpしたのだが…

http://en.wikipedia.org/wiki/Bowing#Bowing_in_European_cultures
*ヨーロッパでのお辞儀の歴史

冷泉彰彦氏は少し別のことをいっている:
http://newsweekjapan.jp/reizei/2009/11/post-79.php

’オバマはどうして「90度のお辞儀」ができたのか? 

Wednesday, November 18, 2009

アフガン選挙の腐敗には、国連が関与した?/ First, Silence the Whistle-Blower- The United Nations' shameful complicity in this year's corrupt Afghan eleciton- By C.Hitchens


まず、不正告発者を黙らせろ─今年のアフガン選挙の腐敗と、国連の恥ずべき共犯関係 (11/2、By クリストファー・ヒッチンズ)

 もしも我々が、アフガニスタンへの我々の介入は屈辱的な敗走となった…と思い返すような時がきたら、先週の末とはその災難が後戻りできないものになった瞬間のひとつ、と見なされるだろう。

 同国で、2004年の選挙の前奏曲の流れていた頃に、私は地方の人々が投票の原理やメカニズムに関して指導を受けている場所を見てまわった。それはまるで、とても硬いつぼみが徐々に膨らんで、花開いていくのを見るようだった。さまざまな国際組織の職員たちが…たとえば幾らかのアフガンの女性たちを惹きつけ、彼女らの以前の抑圧者たちに立ち向うべく、彼女らが投票人登録をするよう望んでいたが…その投票施設は、本当にたくさんの自発的に現れた女性たちによって、埋めつくされたのだ。

 タリバンに蔑まれ、虐殺されていたマイノリティの部族──たとえばハザラ族や、ペルシャ人と従兄弟関係にあるシーア派部族なども登録のために結集していた。新聞報道やテレビなどは多くのアフガニスタン人にとって全く新しいものだったが…それらは民主主義のビビッドな光景や、有益な討論などを見せていた。投票日の当日には、(投票済みであると証明する)指先のインクが消すことのできないインクだったことへの苦情もあったが、膨大な数の民衆はタリバンの配る「夜の手紙」(投票する者に危害を加えると脅迫する)をものともせず、票を投じる機会を求めて白日の下で列に並んでいた。どんなプロセス上の欠陥も、アフガン人たちが自由競争による選挙を受け容れているという印象を、壊すことはできなかった。

 8月20日のわびしくも嫌な茶番劇は、そんな思い出の大半を影で覆ってしまう。その最初のラウンドでばかげたバナナ共和国スタイルの誤魔化しが行われ、その開票結果(の公正さ)は最も粗略な検査すらも通らなかった。最初の投票所と票の検査は、その投票所が一度も開けられなかったのに、膨大な数の人が票を投じたと記録され、その票とは、印刷機からHamid Karzai大統領と彼の協力者たちのポケットに直行していたことが笑えるくらい簡単に発見された──Karzaiの協力者の一人Azizullah Lodinは、アフガニスタンのばかげた独立選挙委員会(Independent Election Commission)の長に指名され、愚かしさを倍加した。

 もしもそこにカブールの国連ミッションにも切望された共犯関係がなかったなら、彼らには十分まずかっただろう。おそらく2億ドルの国際社会の金が、アフガニスタンの人々の投票を可能にすべく用いられたのに、彼らの多くがそれをせず、または出来ず…そんな中で他の多くの人々は何とかやり遂げた──実際のところ、5,6回にわたり、責任あるカブールの国連の職員たちからは何の警告も発されなかったのだ。或いはたぶん、私はこう繰り返すべきだろう: ある職員は実際、こう苦情を言った: a)そこには広範な不正がある b)政府での共謀関係[馴れ合い]もみられる c)国連の無関心さが共犯関係へと積もっていった…。

 これは米国の上級外交官Peter Galbraith…その煌めく姿が歌や物語として知られるBan Kimoon〔潘基文〕事務総長の、当時の特別代表代理… が述べた苦情だ。Galbraithは、ノルウェーの国連ミッション代表、Kai Eideが、アフガン政府の地方役人たちが見せた眼に余る性向…実際、彼らは国連の金を彼らの政治的ボスのための票の買収に使っていたということに対して、無関心だったと苦情を言った。Eideは、それへの返礼にBanに苦情をいい、そしてBanは直ちにGalbraithを解雇したのだ。かくして、我々はこの大失態と腐敗の祭りに関わった者のうち、解雇された者はまだ誰もいないとは言いがたいだろう…しかし、メインの不正告発者は、その仕事の最初の段階で首になったということはほとんど確実だろう。

  いまや、決選投票があったかなかったか、あるいは“競争の行われた”選挙があったかどうか、は問題ではなくなった─知覚力のあるアフガン人で、このプロセスが皮肉な解決以上の何かだった、と信じる者はいないだろう。それは最近の近隣イランでの選挙で、人々の投票権が踏みつけにされたことほどには酷くはなく、我々はそれより微妙にましな基準にあるだろうが(もちろん、そうした単純な比較は、こうした事が如何に大きな賭けなのかを示している)

 タリバンはあなたも想像できる通り、彼らの運(luck)をかろうじて信じられるだろう。彼らは投票というものには原則において反対する…反イスラム的だといって。そして彼らは特に、女性による投票に猛烈に反対する、しかし今や彼らはそれを強調する必要もない…彼らは単純に、皮肉と軽蔑の大合唱を増幅していればいいい…。

 パニック事態への対策として、この恐ろしい結末を矯正しようというような提案は、時として、その元々の病と同様に性質が悪くなる。そのセカンドラウンドで不正行為が必要とされたことを、余りにも遅々と、余りにも嫌々ながら認めつつ──Kai Eideは我々が、同じ監視機関の詐欺師たちのもとで性急な2度目の投票を行うか、次の暴力的なアフガンの冬(もうひとつの破壊と狂信主義の力へのフリー・ギフトだ…)が過ぎ去る後までは投票を延期するか…のどちらかを選択すべく我々を置き去りにした。幾人かはまた今にも倒れそうな”暫定政府”を提案するか、あるいはKarzaiと彼のライバルのAbdullah Abdullah(彼を2度も名づけるとは、すばらしい)の面目を維持するべく、両者の関係を繕うことを提案した。こうしたことはすべて、今年何ヶ月の間も明白になっている事がら…我々の注いだ資金と共に、アフガンの人々が助けを必要としていた時にだまされ、裏切られたという事実に、面と向かうのを避ける試みに過ぎない。

 モラル的な過ちなどは冒すことのない国連の偉大な友人たちは、今、なんというのだろう?そして議会と大統領と、その他の寄付者や資金提供国のリーダーたちは、彼ら自身が承認し投資をした国に起こったことを、いったいどう説明するのだろう?私は何十回も、いわゆるベトナムとの対比などというのは、よい事ではないと書いてきた(Al-Qaedaとはアフガニスタンでは外来の輸入物であり、アメリカの都市での…ベトコンの脅威とは異なる;私がそれ以上何を言いたいかはお分かりだろう)、しかしそこには、南ベトナムでもその国の形を損ねたもの、そして、いかなるケースでも避けるべき肝心なことがある: つまり米軍がこうした政府にコミットすること…富をかき集めることと、破綻することを同時に考案したり、自国の人々を唾を吐きかけたいような気持ちにさせる政府に対して関与をすることだ。
http://www.slate.com/id/2234333

Sunday, November 15, 2009

ブルームバーグNY市長、僅差で勝利の後に周囲との仲直りをはかる?/Mayor Mends Fences After Slim Victory

(パート2:選挙後)
ブルームバーグ市長が僅差で勝利の後、周囲との関係の綻びを繕う─ By マイケル・バルバロ&デビッド・チェン (11/4, NYタイムス)
 
  Michael R. Bloomberg氏は、その任期制限法にまつわる堕落*や、選挙資金の法外な濫費への人々の怒りを暴き出した投票結果の痛みに晒されたが…水曜日には敏速に、対立候補を支持した民主党陣営にアプローチをはかる、懐柔的なトーンをうち出した。

(…*Bloomberg氏は選挙戦直前、市長の3選を禁じた任期制限法を自ら改正した)

 側近たちが…わずか5%以下の得票差での勝利は、脅かされていた敵議員らを勇気づけるのではと懸念していた一方で、市長は民主党リーダーたちとの会合や電話のなかで、彼のラフな(粗野な)選挙キャンペーンが人々の機嫌を損ねていたことは理解する、と表明していた。

 しかしBloomberg氏は、さらに目に見えるジェスチャーで、側近たちとともに新たなメッセージを発していた: 我々はまだ在任中なのだ、と。

 これまでは相手方への謙遜さを知らなかったBloomberg氏が、念入りに彼らへの尊敬の念を表わしたことで、忽ち情勢が変わったということの顕著な兆しが現れた。彼のスタッフは、彼とPublic Advocate(市長に次ぐNY市の役職)に選出された民主党員Bill de Blasio議員のミーティングを、非常にひとの眼にふれやすいマンハッタンのレストランで行うようアレンジした。数週間前に市長は、全市にまたがる市のオフィスが…“すべての人々にとっての金の浪費”だとしてその撤廃を要求していたのだが。

 特に意味ありげだったのは、Bloomberg氏が会計監察官に選出された民主党議員John C. Liuと会おうとしたとき、それは滅多にない軽視的な態度だが──Liu氏はスケジュールがあけられない、と彼に告げた。
 その後、Liu氏は報道記者たちにこういった: “もうずっと前に、ニューヨークの人々は、ニューヨーク市に王様や君主は要らない、と決めている…”

 市の評議会の議長で、いま一人の民主党員であるChristine C. Quinnは、水曜日に市長と交わした会話で彼はこういっていたのだという…、 “今が動き出すべきときだ(It's time to move on..)” と。

 Bloomberg氏は彼が立候補することに対して、人々の抱いたフラストレーションを知っている。その怒りが市の有権者の約半数をして彼のライバル候補たちに票を投じさせたと思うか、ときかれて、Bloombergは答えた:“まあ、そうだな…そうした人たちもいることは確かだろう─”

 しかし、ブルックリンの地下鉄の駅で彼は、ニューヨーカーたちが未だに彼を愛していると話し、そして彼がパレードで現れたときに受けた歓迎について語った。
 “多くの群衆が手を振り、そしていった、'グッドジョブ!市長’とね”… “私がNYマラソンのルートを車で走ると、マラソンが通過するすべてのコミュニティーで驚くべき歓迎を受けたよ。人々が声援し、笑顔を送り、手を振ってくれたんだ”

 しかし、選挙の結果は、彼と彼が治める市民との間の、より一層複雑な関係を暴き出したようだ。最終的に9千ドルにのぼるキャンペーン費用の支出にも関わらず、Bloomberg氏は市の大きなひと塊の地域からの支持を、William C. Thompson Jr氏に明け渡した: …最も人口の多いブルックリン地区と最も貧困層の多いブロンクスで、彼は敗北したのだ。

 インタビューの中で民主党議員たちは、市長が市の評議会員と州議会議員たちから…特に彼の支持の低迷した地域のメンバーからより多くの反対を受けるだろうと語った。

 “確かに沢山の評議会メンバーが、彼と対立しようとしている”、とThompson氏を支持した評議会議員のDavid I. Weprinはいう。 “多くの人の憤りがある”
 民主党コンサルタントだが市長を支持したDan Gersteinは、評議会の一握りのうるさい蝿をかつては毎年叩いてきた市当局が、今や、“あまり過激でない市民からの山積する反対に準備しなければならなくなるだろう”、という。

“ブロンクスなどの地域での支持票の数をみてみるがいい──市の評議会メンバーは彼らを見てこういうべきだ、'ワオ!投票者達は本当に何か物をいっている様だ、’と…。

 De Blasio氏と Liu氏はともに市評議会委員で、市長による3選禁止法の書きかえ法案に対抗する彼らのキャンペーンの事務所を全市域に拡げ、それらを民主主義の前線、と呼んでいた”

 彼らはともに、任期4年の市長候補と目されていたが…Bloomberg氏の立場が弱まるに従って、彼らの同僚たちは、De Blasio氏もLiu氏も市政権の3選に関するアジェンダの各要素に、力づくで反対するものと見ていた。De Blasio氏の前任者(前のPublic Advocate)Betsy Gotbaumは、公けに市長に挑戦したことは殆どなかったのだが。

 “以前に比べてそれは、より一層辛らつになるだろう”とBloomberg氏を支持したブロンクスの評議会委員、G. Oliver Koppellはいう。

 新しい政治的な雲行きに関する検証(テスト)は、市の予算が50億ドルの不足に直面しているなかで、市長が予算案作成に着手せねばならない…来たる数週間のあいだに行われるだろう。

 Bloomberg氏は、Thompson氏と会うための基礎準備もしている。市長は多くの人物からの祝福の電話を受けたが…そのなかには財務長官のTimothy F. Geithner、Abyssinian Baptist ChurchのRev. Calvin O. Butts牧師や、ニュージャージー州知事に選出されたChristopher J. Christie、モンタナ州上院議員のMax Baucus、ニューアーク市長のCory Bookerなどもいたのだ。

 市長は水曜の夜にキャンペーン・スタッフたちに会い、彼らの努力に対する感謝の意を示した。その裏では──至極ネガティブだった選挙戦の広告戦略に個人的な疑問を呈していた側近たちの間で──僅差の得票という事実が後づけの批判や、鋭い反省を招いていた。

 市の政治家たちすべてが、市長の自信過剰なキャンペーンの美辞麗句(レトリック)と、得票数に現れた実体とのギャップの理由を理解しようと、努力していた。 
  Bloomberg氏の側近たちは、市長が…彼ら自身は違う見方をしていたにも関わらず…選挙戦では負けるわけがない、と容赦なく訴求し続けたのだが、それは彼らにとって民主党の政治家たちが Thompson氏の旗の下に一同に集結することを阻止する唯一の方法だったからなのだ…といっている。

 Bloomberg氏のトップアドバイザーの一人は、内部的ディスカッションの機密保持の為、匿名を条件に語った: “もしも得票数の差が5ポイント以内になっていたら、Barack Obamaがこの街に飛んできて、そして「全米教師連盟」がThompson氏の支持にまわり、Mike Bloombergは今日、市長にはなってはいなかっただろう…”

 投票日の当日、このアドバイザーはこういった: “誰もがみな、朝起きて、我々が見たものと同じものを見たが…我々がそれを最初に見られたことは、ラッキーだった。”

*写真上:レストランで会合するブルームバーグ市長とビル・デ・ブラシオ氏(…市庁舎に程近いNassau Street沿いの店とか)
中:Concession speech をするウィリアム・トンプソン・ジュニア氏。僅差による敗北での記者会見は確信にみちた雰囲気だった 
下左:民主党候補者、左からジョン・ルー(John liu)氏、 トンプソン氏、デ・ブラシオ氏。  デ・ブラシオ氏はイタリア系だが奥さんが黒人とか(blog「ハーレム・ジャーナル」http://nybct.jugem.jp/?eid=554による…写真もここから拝借)…この3人はいかにも、多民族都市NYの代表のようだ? 
下右: ブルームバーグ市長と、左に立つ'Friendly foe(友好的な敵)'デ・ブラシオ氏。
*NYPostの記事によると、市の監査官に選ばれたジョン・ルー氏はデ・ブラシオ氏と共にブルームバーグ氏自らの任期制限撤廃に声を上げて反対していた…彼は市長からの会談要請を受けて、単なるプレス用の写真のネタ目的でなく、何かもっと実質的な中身のあるミーティング(substantive meeting)をしたいと、選挙後の早急の面会を断った。

http://www.nypost.com/p/news/local/brooklyn/john_liu_elected_to_city_comptroller_OLUrAFDBUkKCteW56mI6bN
*ジョン・ルー氏は唯一のアジア系のNY州議会議員、(台湾生まれでNY育ち、Flushing、Qeensの代議員。今回アジア系ではじめてNY市の会計監察官Comptrollerに選ばれた)

Thursday, November 12, 2009

ブルームバーグNY市長の3選と黒人教会/ Mayor Deprives Rival of Black Clergy’s Support

11/3の投票で、Thompson候補に対し現職ブルームバーグ市長が僅差で3選された…NY市長選挙の裏側で起きていたことは?
(パート1:選挙前)

ブルームバーグ市長、ライバル候補者の黒人聖職者層からの支持を奪う BY N.コンフェソーレ&M.バルバロ (10/29, NYタイムス)

 数週間前、NYハーレムのアビシニアン・バプティスト教会(Abyssinian Baptist Church)の有力な牧師、Rev. Calvin O. Butts 3世は、夏の間じゅう苦闘してきた難しい事がらに対する決断をくだした。

 彼は、NY市の監察官で彼の長年の友人、同盟者でもある市長選の候補、William C. Thompson Jr.への公式の支持表明を…彼との昨春の約束にも関わらず、おこなわないことにした…その代わり、彼は現市長Michael R. Bloombergへの支持を表明したのだ。

 Thompson氏はその裏切りに憤った。しかし彼が知らなかったことは、Bloomberg氏がその教会の開発会社に100万ドルの寄付(教会の年間予算のおよそ10%にのぼる)を、それ以上の更なる寄付の増額を暗に示唆しながら…行っていたということだ。
 
 “私が言えることは、これまで市長であった男が、私にとって重要な沢山のプログラム(事業計画)の支援をしてくれた、ということではないだろうか?”…とButts氏は、Bloomberg.氏への支持を公式に表明する前のインタビューで語った。

 Bloomberg氏は、市長としての3期目の当選をもくろんで、かつてはThompson氏のもつ生れながらの政治的権利だろう、と人々がみなしていた物を奪った:つまりThompson氏が毎週、教会に集まる何千何万人の会衆に対しともに説教をしている、NY市の最も有力な黒人聖職者たちから受ける祝福だ。そして、彼らの支持を得るために、Bloomberg氏はふつうでない組み合わせで、市の金と個人的な慈善行為、政治的な指名行為や、彼への人々の個人的な注目を駆使して…NY市での選挙で選ばれた白人行政官としてはこれまで耳にされなかったような、黒人聖職者メンバーによる結束網を作り上げたのだ。

 幾人かの有力教会の聖職者たちはBloomberg氏によって、影響力ある市の評議会や委員会メンバーに指名された。それ以外の人たちは、市の土地や資産を購入したり、(市長の)お手盛り事業での事業計画区域の線引き譲歩等を得るために、市側の助力を得た。最も大きな宗教機関のうち数少ないいくつか──アビシニアン教会と、クイーンズのジャマイカにあるGreater Allen A.M.E. Cathedral を含めて──がBloomberg氏の8年の任期中に、何百万ドルもの金を市のサービスを提供する契約と引き換えに受け取った。

 ここにぼんやりと立ち現れるのはBloomberg氏の目のくらむような財産だ──たとえそれが誰かに授与されていても(つまりButts氏の場合のように)…あるいは今後授与されると目されていても。

 “我々はこのようなしくみに、遅かれ早かれ到達する必要があった”と今年、現市長への支持を表明したブロンクスのChurch Alive Community Churchの牧師、Rev. Timothy Birkettはいう。“我々は彼が受容性の(感受性の高い、receptiveな)人物であることを望んでいる─”

 Bloomberg 氏を支持した人たちは、同市長が彼らの支持を得た理由とは、厳密に彼の任期中の功績によるもので、特にその教育政策や犯罪政策によるものだ、という。しかし彼への溢れるような支持のより多くは、フレンドリーな「聴く耳」をもつ市への黒人教会の依存によるものだろう、という批評家たちがいる。

 “こうした支持表明は、幾人かの我々の宗教的リーダーたちの信仰基準声明のなかでも示されている”、とButts氏の子分格でブルックリンのBrown Memorial Baptist Church の牧師、Rev. Clinton M. Millerはいう。“そうした声明というのは、私がどのようにして私のプロジェクトを実現できるかにおいて、どの人物を一層信頼すべきか、の問題なのだ”とMiller氏はいう。“Municipality(市当局/市政化)か神か…の選択の問題というわけだ”

 Bloomberg 氏の側近たちは、市長を聖職者たちと結びつけているものとは…金銭的な結びつきではなく、相互の信頼であるという…実際、そうした教会のいくつかはBloomberg 氏が市長の職につく以前からも、市との大きな契約を得ていたという。

 副市長の Dennis M. Walcott氏は、そうした関係とは“真に契約を超えたもの”で、そしてそれは“重要な選挙民(教区の)を抱えた重要な個人たちとの間の、現在進行中のコミュニケーションにもとづくもので…それをわれわれはとても誇りに思う”、と述べる。

 人種間の緊張の高まりが、他の白人市長の身にも押し寄せる可能性もある今、 Bloomberg 氏はそのような個人的な批判攻撃を、有力な黒人聖職者たちから受けたことは殆どない─Butts氏がかつて一度、公式にレイシストだときめつけたRudolph W. Giulianiなどの前任者たちは、そうした批判攻撃に傷つけられていたのだが。

 そのようなコントラストは先週、Bloomberg氏が、Giuliani氏と共に選挙キャンペーンのイベントに現れたときにも際立った──ブルックリンの殆ど白人ユダヤ人の多い聴衆たちに向かって、Giuliani氏は“間違った政治的リーダー”は、ニューヨーカーたちを“夜間に外に出て通りを歩くことを怖がる日々”に押し戻すことになるだろう、といったのだ。

 幾人かの黒人の市行政官たちは、即座にそのコメントが人種問題をあおっているといって非難した。しかしどの有力な黒人牧師たちも、市長がそのコメントを否定することを求めたりしなかった。

 “あなたは電話を取り上げ、彼と会話を交わすことができる”と…、ブルックリンで2001年にはBloomberg氏への支持を表明したが、今年は意志を決めかねているというRev. Conrad B. Tillardは語る── “なにも市庁舎への階段を上る途中に10,000人の聴衆の眼前で、彼と話す必要などない”

 Giuliani氏は時々、聖職者たちと反目していることを楽しんでいるかのように見えるが、Bloomberg氏は非常によく目に見える形で、彼らの心に到達している。私服警官が丸腰のSean Bellを殺したとき(*)、Bloomberg 氏はすぐに市のトップの(黒人)聖職者たちを市庁舎での会合にまねき、彼らに対しその銃撃は“説明のしがたい”ものであり、“受け容れがたい”と語った…。(*:2007年9月、クイーンズのジャマイカで結婚式当夜に黒人青年が職質しようとした警官の数十発の弾丸で射殺された)

 今年、30人以上の黒人聖職者たちがBloomberg氏への支持を公式に表明したが、彼らからの溢れるような賞賛とは、Thompson氏による、Bloomberg氏が労働者階級をほとんど省みない金権家だという攻撃へのくっきりとした回答だった。…それよりも多くの聖職者たちが立場を表明せず傍観していたが、彼らは市長にほとんど害を与えない立場にいた。

 Thompson 氏の選挙キャンペーン担当者たちは、Thompson氏がニューヨーク市中の教会の200人以上の聖職者たちからの非公式な支持を得ている、と主張する。しかし、印象的なことには、こうした聖職者達の多くが…公式に支持を表明をするリスクは冒せないと彼らに語ったという。

 聖職者たちの機嫌を害さないように匿名を条件に語りたいというあるキャンペーン担当者は、“幾人かの人たちは、もし公的に支持表明すると、彼らのプロジェクトへの資金援助、その他を失う可能性があるので用心しているのだ。彼らは彼らの同僚が、'ヘイ、俺はこれをもらった─お前も王様のテーブルに座らせてもらえるんぞ’、といっているのをみている…”

 …Bloomberg氏のテーブルに既に着いている一人とは、市内最大の会衆を擁するブルックリンのChristian Cultural CenterのRev. A. R. Bernardだ。就任以来、市長はBernard氏を市の経済開発公社(Economic Development Corporation)の委員会メンバーに指名した。2006年に市は、市の2本の道路の一部を地図上から消去し同センターに売却することに同意した。そのことはBernard氏が考えていた計画──教会の周囲の広大な敷地を一手に集め、市の援助のもとに住宅地・商業施設を混合的に開発するという野心的なプロジェクトを可能にした。

 “あなたがやりたいことをするには、市の出先機関の協力を得る必要がある”、とBernard氏はインタビューで言う。“私は通常的なプロセスでも実施されうる様なこと以外に、市に(特別な何かを)リクエストすることはないが─関係性をつくるというのはいいことだ…”

 市長は今年、Greater Allen A.M.E. CathedralのRev. Floyd H. Flakeからも支持を得た。住宅建設プロジェクトや路線バスの運行サービス、女性用のシェルター(簡易宿泊所)などの事業において、そのCathedralはクイーンズ南東部で職を提供する最大の雇用者のひとつだ。Bloomberg氏が市長になって以来、Allenは8百万ドル近くの市との契約を受注した。Bloomberg 氏はまた、Flake氏を貧困層援助をポリシーとする市の経済機会委員会のメンバーに指名した。Butts氏と同様、Flake氏は2001年にはBloomberg氏のライバルのMark Green氏を支持した。しかし、その年以来、彼は市長の最大の後援者で腹心の友となったのだ…“私がこれまでに要求したことはすべて、彼の支持者たちも私のすぐ後ろで支持してくれ、サポートしつづけてくれた”

 Flake氏はBloomberg 氏から教会に個人的な資金貢献をうけたことは一度もないといい、教会が市の行政官からの援助を必要とすることが、市長選への彼の支持表明を左右したのではないか?との指摘を否定した。

 就任以来、市長は少なくともFlake氏に16回面会し、Bernard氏とは14回会った。しかしButts氏以上に精力的に支持を求められたニューヨーカーは少ない─市長は彼に20回も会っていた。市長は2008年にButts氏のアビシニアン教会開発会社に100万ドル以上の資金援助をしたあと、今年更に数十万ドルを贈与した、と直接事情を知る人はいうが、その人はその贈与が匿名によるものと思われるため自分の氏名は明かしたくない、という。

 Bloomberg氏が市長職に就いて以来、教会とその非営利の連携グループは、少なくとも700万ドルを市との契約上で受託した。Butts氏は、そのなかのどれも彼がThompson氏に公的支持の意思変更を告げることを容易にはしなかったという。

 しかし彼は、市長の慈善事業が、彼にその決断を下させたのではない、と語る。“もしもGiuliani氏がBloomberg氏のように資金を持ち、それを周囲にばらまいていたとしても、彼は未だに支持は得られていなかっただろう”とButts氏はいう。“…これはBloomberg氏の金の話などではないんだ…”
http://www.nytimes.com/2009/10/29/nyregion/29ministers.html?hp=&pagewanted=all

*写真はBloomberg市長と、クイーンズのGreaterAllen A.M.E. CathedralのRev. Floyd H. Flake牧師

*NYタイムスはこの記事でGiulianiの時と同様、反Bloombergの政治的な大キャンペーンを繰り広げるかのようにみえたが、投票日のわずか4日前で、時すでに遅かったようだ?

*投票では予想外の「5%の僅差」で、Bloomberg氏が辛勝、NYの各地域の投票地図では富裕層地域と非富裕層地域とで露骨に両候補への支持が顕著に分かれていた(投票地図)http://www.nytimes.com/interactive/2009/11/04/nyregion/mayor-vote.html

ブルームバーグの札束は、ブルックリンでは「山羊のふん(bupkis*)」でしかない
*Yiddish語で山羊のふん、絶対的に意味の無いもの(“Bloomberg bucks mean bupkis in Brooklyn” 11/4, The New York Post/The Brooklyn Paper)

 …Bloomberg市長は火曜日の投票で3期目の任期に転がり込んだものの、ブルックリンでの多数票はとれなかった。挑戦者のBill Thompsonがブルックリンのボロー(区)住民の過半数票を獲得、49.8%対46%で… 再選のために9千万ドルの金をかけたBloomberg氏をやぶった。
 

…この得票数の接戦は──共和党から立候補して…Bay RidgeからBorough Park,、Park Slope、Windsor Terrace、Carroll Gardens、Cobbleといった地域の多数派白人住民層に強い…現職市長に対する、ブルックリンの選挙民の間の深い分裂を暴きだした…ちなみに黒人やラティーノ住民の多いブルックリン中央部やSunset Parkでは、Thompsonが勝利した。

 予備的開票結果では、Park SlopeとWindsor Terraceを擁するAssembly districtでは55–40%で Bloombergが優勢、Carroll Gardens、Cobble HillとBrooklyn Heightsを含む周辺地区でも、53–40%で現市長が優勢となった。
しかし、Fort Greeneの 57th Assembly Districtでは、73%の票がThompsonに投じられた。そして最終結果ではブルックリンの169,071票がThompsonに、157,296票がBloombergに投じられた。もちろん市全体では、市長がThompsonを50.6%対46%で下した。

 この接戦の結果は、ブルックリン区の政治エリートたちが予測した投票結果予測
を裏切った。 たとえば、区のPresident Markowitzは、The Brooklyn Paperに対して、Bloombergが「8%から10%の差で」勝つだろうと述べていたが、Patersonニューヨーク州知事の方は、Thompsonが勝つだろうと語っていた。
 

 …しかしその夜、ブルックリンでは市長選挙だけが接戦を呈し、市評議会の他のポストの選挙では民主党が圧勝した…
http://www.nypost.com/p/news/local/brooklyn/bloomberg_bucks_mean_bupkis_in_brooklyn_ss7yiOzgMmbQvjHxFCUrtI

Sunday, November 1, 2009

イラク軍、バグダッド爆破事件の容疑者を逮捕/Iraqis Arrest Bombing Suspects in Baghdad


イラクでバグダッドでの爆破の容疑者を逮捕(10/26, American Forces Press Service)

 イラク軍は今日、米軍のアドバイザーらとともに複数の作戦を展開し、バグダッドとモスルの間で車両爆弾による爆破のネットワークを築いていた11人の容疑者を逮捕した。

 イラク軍は、政府のビルで死者150人を出した爆破事件に使われたトラック爆弾に関わる容疑者を、バグダッド西部の数棟のビルで捜索した。その組織のセルのリーダーは同じく、8月19日に首都の省庁ビルをトラック爆弾で攻撃したグループの容疑者でもある。
 そのビルで見つかった証拠にもとづけば、イラク軍はバグダッドの爆弾ネットワークと繋がりがあると思われる8人を逮捕した。そのネットワークはチグリス川渓谷に沿った北方に散らばっている。

 米国のアドバイザーと共に働く 3rd Emergency Services Unit(第3非常部隊)はさらに今日、Kirkukの南西で爆弾ネットワークを摘発しようとしている。同チームは、Kirkukを拠点にチグリス川渓谷全域の爆破事件に関わるとみられるテロ・グループのメンバーのビルを捜索したが…その作戦で2人が逮捕された。

  米国のアドバイザーが付き、逮捕状を有するイラク警察は、これらの爆破テロに使われた車両を用意したとみられる人物を逮捕した。その治安部隊はMosulの南約50マイルの地点でその人物を、立件なしで逮捕した。
 
 今日またイラク軍兵士は諜報情報のもとでMosul拠点のアル・カイダ・イン・イラクの組織セルのリーダーと協力していた14人の容疑者を逮捕した。

 10月24日にはイラク軍兵士たちがIslamic State of Iraqのテロリスト・グループのメンバーを東部Mosulで逮捕、その人物はその地域での過去の恐喝事件の首謀者だった。信頼できる情報によれば、米軍アドバイザーのもと同軍兵士たちはIslamic State of IraqのメンバーをMosulの企業から金をゆすりとった容疑で逮捕した。
 
 建物の捜索中に治安チームは脅しとった金をイラク軍と市民への攻撃のために使ったと思われる男を逮捕した。男は北部イラクで活動する恐喝組織と密接な関わりをもつとされる。

 10月24日にはイラク治安警察は車爆弾のネットワークのメンバーだと疑われる男とその他2人の容疑者をKirkukの南の2つの建物の捜索で逮捕した。その容疑者はISIの援助する爆弾ネットワークの者と思われる。

 その他の作戦でKirkukの警察はal-Qaida in Iraqのメンバーと疑われる9人を10月20日に拘束、彼らは爆弾の製造できる材料を持っていた。その一人は2006年中に何千ポンドもの硝酸カリ・アンモニウムを購入したとみられ、バグダッドでの反乱行動を起こしたal-Qaida in Iraqのメンバーと繋がっていた。

 Kirkukのイラク警察は、米軍アドバイザーたちに道路上のチェックポイントで怪しい物資を発見できるよう依頼したが、警察は300ポンド以上の硝酸カリ・アンモニウムとガソリン缶、その他の爆弾の材料と思われる物質を車両から押収した。
http://www.defenselink.mil/news/newsarticle.aspx?id=56401
*上記報道の翌日、al-Qaida in Iraqが爆破事件の犯行声明を出した。
http://www.cbc.ca/world/story/2009/10/27/iraq-baghdad-bombing-al-qaeda391.html
*イラク内務省によれば10月31日、週末の2つの爆破事件の容疑者の男が警察で尋問を受けている最中に銃を掴んで捜査官を射殺、容疑者自身も負傷しその後病院で死亡した。
http://www.fox11az.com/news/world/68085592.html