Wednesday, May 4, 2011

ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク New spy links to Mumbai carnage - By Gautaman Bhaskaran


ムンバイのテロへと繋がる、新たなスパイのリンク By ガウタマン・バスカラン (4/22、Asia Times

 1947年にインド亜大陸がパキスタンとインドに分割されて以来、一度も平和的な関係になかったこの両国は数回にわたる戦争をし、何年か前には致死的な核戦争と破滅の一歩手前にも至った。今再び、その緊張が高まる可能性がある。裁判関係の書類が来月シカゴで行われる裁判を前に浮上しているのだが、そこでは2人の男がムンバイでの殺戮事件の頭脳として告発されており、彼らはパキスタンのスパイとして働いていた、と認める可能性がある。

 2008年11月26日、イスラム武装兵士らがインドの金融の首都に海から上陸して、5ツ星ホテルと繁忙な鉄道駅、人々に人気のあるカフェと、ユダヤ人のコミュニティ施設をターゲットとして虐殺を実行した。

 その攻撃によって200人近くの人が死亡、その2倍の人が負傷して心理的な傷を負った。Ajmal Kasabは暗殺者のなかで唯一人生きて捉えられたが、彼は彼と他の者たちがパキスタンを拠点とするテロ組織Lashkar-e-Taibaに属していることを認めた。
 Kasabは法廷で裁かれ、そして今はインドの刑務所で絞首刑を待っている。

  (←*Ajmal Kasab)
 5月16日に、シカゴで開かれる法廷裁判に出頭するはずのパキスタン系カナダ人Tahawwur Hussain Ranaは、ムンバイのテロ…11月の黒い夜に頂点を迎えたその作戦を目的に、武装兵士をスカウトをするための書類を偽造した、との罪を問われている。Ranaと彼の古い友人David Coleman Headleyは、彼らがムンバイでテロの恰好のターゲット探しをしていた際にテロリスト仲間を幇助したとの容疑で、イリノイ州で米国FBIに捉えられた。

 Kasabは法廷で彼がLashkarのために働いていたことを認めたが、インドの捜査当局はそのことには懐疑的だ。彼らはパキスタンの諜報機関ISIもまた、ムンバイの大虐殺に手を染めていたことを確信していた。ニューデリーの政府は、何年にもわたって有名な男たちがISIの為に、あるいはISIの中で働いていた事を知っており─それはパキスタンの、例えばLashkarのような反政府グループとも強い繋がりを持っていた。端的に言って、ISIは死のダブル・ゲームに従事するダブルエージェントを持つ、スパイ組織だった。ISIはまたパキスタン軍とも関係しているが、イスラマバードの政府はこのコネクションを一度も断ち切ることはできなかった。

 今やRanaの裁判は、こうした事の全てを立証するのかもしれない。オブザーバーたちがこの裁判で最も顕著な成果として出るかも知れないと信じるのは、ISIの共謀の事実に関する反論の余地なのない証拠だ。法廷の書類によれば判事たちは、RanaとHeadleyがLashkar と ISI双方のために働いていた事を告白させたと言う。 (*David Coleman Headley→)

 Hadleyは既に彼がISIのために働いていたと認めたが、しかしそれは、大陪審に対する秘密証言として行われた。「私もまた彼(Rana)に告げた…私がISIのためにスパイ活動をして欲しい、と頼まれていたことを」。Hadleyは何もかも白状したと伝えられる。何年か前に、彼は第一に電気椅子を逃れるためにFBIの情報屋となったのだが、シカゴでのヒヤリングにおいて彼は彼のムンバイの流血への関与をすべて白状することが期待される。彼のムンバイ攻撃への視察プランに関して予測される供述は、Ranaの容疑を裏付ける決定的な証拠となるかもしれない。Headleyの証言は恐らく彼がいかにして彼のパキスタン名を変え、Lashkarとの繋がりを培ったのか、ムンバイの予定地をどうやってビデオ撮影したのか、巨大な人口を抱えるメガシティへの出発前にどのように暗殺実行者たちに計画を説明したのか、などを含むだろう。

 Ranaは長年のカナダ市民であり、北米への移民を望む南アジア系男女にコンサルティングを提供していた。彼の会社First World Immigration Servicesはシカゴを拠点としている。Ranaはなぜ、Headleyが移民コンサルタントとしてインドに入国するための書類を得られるべく助けたのかを、最善を尽くして説明しようとした。しかし最近では、Ranaは愛国的なパキスタン人で、ISIには彼の援助が必要だという考えを、強制的に抱かされたのだと述べた。彼はそのため、外交特権による免責を得られるだろうと感じている。

 しかし全く運の悪いことに、RanaとHeadleyがムンバイの殺戮事件の直後、預言者ムハマッドを風刺したデンマークの漫画家を殺害するための計画を話し合っているテープがアメリカの検察官らの手に渡ってしまった。

 RanaおよびHeadleyの告白は、インドとパキスタンの既にぐらついている関係をさらに緊張させる可能性がある。両国は最近、Mohaliで開かれたワールドカップのセミ・ファイナルにおける両国間のクリケット試合によって新鮮な空気を注入されたところなのだが。その際はホームチームが勝利し、そして最後にムンバイにおいて、スリランカチームを相手に優勝カップを奪うこととなった。Mohaliでは両国の首相、Manmohan SinghとYusuf Raza Gilaniが両チームの戦いの観戦に耽った─それが「クリケット外交」と呼び慣わされるに至ったにも関わらず。二人のリーダーは夕食を共にして、平和のために努力を続けることを誓った。

 だが試合から間もなくその努力は、パキスタンのクリケットチームのキャプテン、Shahid Afridiが行った攻撃的な発言のために無駄にされたようにも見える。彼は帰宅した瞬間にインド人が浅はかで心根が狭いと言い、そしてインドのメディアは無意味なことを誇張してドラマ仕立てに扱った、と厳しく非難した。

 興味深いことに、クリケット外交によるその前回の密会すらも失望を招いた。前のパキスタンのリーダーたちもインドに行き、彼らのチームがインドのチームと対戦するのを見た。1987年にはZia-ul-Haqが、2005年にはPervez Musharraf が。こうしたバットとボールのサミットからは、何も生み出されなかった。

 そうだ、勿論AfridiはニューデリーとイスラマバードがMohaliで培ったかもしれない小さな希望を無駄にした。しかし、RanaとHeadleyの裁判において吐き出されようとしている新たな証拠は、平和を見出そうと試みる二つの核保有国をさらに難しい状態に置くことになるかもしれない。

Gautaman Bhaskaran is an author, writer, columnist and film critic based in Chennai.
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/MD22Df01.html

「パキスタン・ISI」関連記事…

パキスタンはなぜ、アメリカを憎むのか?──それは我々が頼りだからだ By Christopher Hitchens
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/01/why-does-pakistan-hate-united.html

タリバン指導者の逮捕と、パキスタンが求める「ストラテジック・デプス」By Shibil Siddiqi
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/strategic-depth-at-heart-of-taliban.html

この2月、パキスタンでは〔タリバン指導者たちの逮捕〕/ In Pakistan, last February..
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/04/in-pakistan-last-february.html

Tuesday, May 3, 2011

オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語 Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By Tim Lister

オサマ・ビン・ラディン殺害の約1週間前…WikileaksによるGuantanamo Bay尋問ファイルの公表で
急に不思議な詳細が明らかにされた

Osama bin Laden's escape: A tale of subterfuge and hard cash - By By ティム・リスター (4/28, CNN)
オサマ・ビン・ラディンの逃亡:言い訳と現金の物語

 ─オサマ・ビン・ラディンは2001年12月に、彼のアフガニスタンの隠れ処の周辺に迫った底引き網をいかに逃れたのか?

 それは諜報関係者の間でも、また、私自身も含めTora Boraでの米軍の2週間近い集中的砲撃を目撃した者の間でも、長らく論争の的となってきた。多くのアナリストたちはビン・ラディンが山岳の合間の峠道を通って、ほんの数マイル先のパキスタンに抜けたと指摘してきた。しかしグアンタナモ・ベイ収容所抑留者の供述によるassessmentでは彼が別の方角に向かい、北部同盟のムジャヒディーンたちや、12月8日前後に我々がそのエリアで最初に目にした米軍特殊部隊の少数の派遣部隊の手から逃れたと示唆されている。

 抑留者らにおける評価推定は今週ウィキリークスによって公表され、Washington Post紙やthe Guardian紙その他のメディアにも掲載された。

 それらの内のひとつ、2007年に収集された情報はHarun Shirzad al-Afghaniという抑留者にまつわるものだ。Al-Afghaniは当時、アル・カイダと近い関係を持つHezb-e-Islami Gulbuddinなる武装グループの司令官だった。Al-Afghaniによればアル・カイダのリーダーは、パキスタンの武装兵士で宗教家のMaulawi Nur Muhammadという人物の助けで、そのエリアを逃れたという。そして彼が言うには、ビン・ラディンはJalalabadを目指して、後には遠く離れた北東部アフガニスタンのKunar県を目指して北に向かったという。

ウィキリークス:ビン・ラディンは、現金にがんじ絡めだった

 彼のプロフィールの末尾にある短い幾つかのパラグラフには、al-Afghaniがアフガニスタンの戦争領主Gulbuddin Hekmatyarから「Tora Boraのアル・カイダの勢力と手を結び、オサマ・ビン・ラディンをその地域から隠密に脱出させよ」との命を受けたとの彼の言が引用されている。そのグループは、「Tora Boraにいるアラブ人たちとの無線によるコンタクトを失った」のだという(Hekmatyarは偶然にもいまだにこの地域の重要なプレーヤーの一人だが、タリバンと緩い連携関係を持ち、多くのアナリストが彼をアフガニスタンでのいかなる平和交渉でも重要なパートを担う者とみている)。

 そしてここに、Plan B が浮上する。Al-Afghaniによれば、Maulawi Nur Muhammadが40人から50人の武装兵士たちを、ビン・ラディンと彼の代理人のAyman al-Zawahiriを遠くTora Boraからエスコートするべく送ったという。彼の助力の後には、Abu Turab al-Urdaniと呼ばれるアル・カイダの司令官(偶々、Zawahiriの義理の息子でもある)との会見がこれに続いた。al-Afghaniの供述のアセスメントでは、「Maulawi Nur Muhammadが彼に、彼らのTora Boraから以降の約10ヶ月にわたる逃亡について語った」という。抑留者たちの協力者だったHaji Abdul Abadは─2005年の8月から9月の間にJalalabadで米国の関係者を狙い自爆テロを指揮した者だが─そのUBLの逃亡の詳細が真実である旨を証明したという(UBLは、収監者に関する書類の中でのアルカイダのリーダー名の統一的略称)。

 CNNが確認したその他のグアンタナモ抑留者のアセスメントでは、ビン・ラディンが12月11日に突然Tora Boraを発ったとされている。「UBLは、彼の選んだ少人数の者らと共に、突如Tora Boraを出発した」と、あるパートには書かれている。彼のボディガードらはその1、2日後に出発し、ホワイト山脈の地域の峠道を登ったが、そこで彼らは12月15日にパキスタンの民兵部隊によって拘束された。他の抑留者たちは(ビン・ラディンの護衛の)武装兵士らが、地元のアフガン人司令官らとの交渉に失敗した後の、12月16日前後のエクソダスについて語る。その当時にTora Bora近くに居たCNNのチームは、それら両グループの間の無線でのコンタクトに気づき、それについての報道をしているが─アル・カイダの武装兵士らを追い出すべく派遣されていた貧弱な装備の地元民兵は、明らかにその仕事には余り熱意がなかった。かくしてアル・カイダの上層幹部たちの逃亡は、そのエリアの多くの峡谷や、渓谷を通ってなされた。

 おそらくビン・ラディンは、パキスタンとの国境地帯を渡ることは危険過ぎると考えたのだろう。いずれにせよ、al Afghaniは彼が、馬の背に揺られたKunar 県への旅路を前に、Jalalabad市の近くの安全な家まで旅し、そこで休息を取ったという─Kunarは岩だらけで険しい、暴力的な場所であり、多くの観察者は治めがたい土地であるという─そこでは今でもタリバンとアル・カイダが実質的に存在し、同盟国軍は恒常的に攻撃を受けている。Al-Afghaniは、ビン・ラディンがパキスタンとの国境を渡る前に、Kunarの地に2002年遅くまで滞在したという。

 Al-Afghaniの供述の信憑性を確認することはできないが、彼は2007年2月にJalalabad近郊で拘束されるまで、アル・カイダのcourier(案内人)として、また援助者として真摯な信頼を得ていた。その書類では「この抑留者がアル・カイダの組織構造や作戦について、ユニークな情報をもたらした」とする。そしてそれは、CNNが他のソースから得た情報とも一致する。

 その頃、アル・カイダのリーダーたちと繋がりの深かった男の一人にNoman Benotmanがいる─ 当時、アル・カイダと関係をもつリビアのイスラム武装グループの幹部だった男だ。彼は911の後、ビン・ラディンに近しい別のリビア人Abu Leith al Libbiと電話連絡をとっていた。Benotman はCNN のテロリズム・アナリストの Paul Cruickshankに対し、LibbiがKabul周辺での戦闘への援助を要請した際に、ビン・ラディンの返答は「アメリカ人と戦うものは誰でも、Tora Boraにおいて我々の後に続かねばならない」と語ったのだという(Benotmanは現在、英国の反テロリズム・シンクタンク、Quilliam Foundationのシニア・アナリスト)

 彼がCNNに語った内容では、ビン・ラディンは彼自身の脱出について考えていた時、パキスタン国境の地元の人々を信用してはならないことを知っていたという─その無法地帯では犯罪者や麻薬運搬者が、アル・カイダのリーダーを米国が提示していた2千500万ドルの報奨金のために引き渡そうと考えることを躊躇するわけがなかったと。

 Benotmanは、al-Afghani の示唆したのと同様に─Jalalabad付近の部族がビン・ラディンの逃亡後の隠れ処を提供し、恐らく彼はパキスタンの部族地帯を渡る前に1年近くの間アフガニスタンに留まっていたのではないか、と語る。

 ビン・ラディンのTora Boraからの逃亡は、9月11日の攻撃と、Tora Boraの空爆の間の3ヶ月間のオデッセイ(放浪の旅)における最終ステージだった。抑留者たちのプロフィールから示唆されるのは、9月11日の直後に彼が彼の支持者らと活発に会い、Kandahar とKabulの間を旅し、そして彼の妻たちや家族のメンバーらをKandaharでの米軍の空爆から逃れるよう図っていた事だ。そして彼は莫大な現金を持っていた。ある書類が示唆するのは、彼はTora Bora の要塞地帯に向かう前に10万ドルをJalalabad周辺の地元の部族リーダーに寄贈したという。しかし彼は、熱心な支持者たちが散り散りに逃げ、あるいは拘束された中で─彼をTora Bora から逃亡させた男、Maulawi Mur Mohammedから7000ドルを借りる必要が生じた、とal Afghaniはいう。Mohammedに何が起こったのかは明らかでない。

 個人的なことだが、私が2001年のクリスマスの直前にその地域を最後に発った時、私はCNNの為に働いていたパキスタン人の「フィクサー」と共に旅をした─その地域や、地域の多くの勢力間の同盟関係、競合関係に関して百科事典のような知識を持つ男だった。我々がJalalabadからパキスタン国境へと車で旅したとき、山々が両側から茫っと立ち現れた─Tora Boraを南に、また遠いKunarの原野を北にして。我々のフィクサーは北の方角を指し示して、「そこには、人間が誰一人として足を踏み込んだことのない地域がある」といった。「私は、ビン・ラディンはそこに行ったのだと信じている」。彼が正しかった可能性は大いにある。
http://edition.cnn.com/2011/WORLD/asiapcf/04/27/osama.escape/index.html

参考記事
http://www.washingtonpost.com/opinions/the-biggest-terrorist-catch-of-the-obama-era/2011/04/04/AFBkVPcC_story.html
The biggest terrorist catch of the Obama era

"Guantanamo Files"
http://www.nytimes.com/2011/04/25/world/guantanamo-files-lives-in-an-american-limbo.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=3&pagewanted=all

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/secret-case-against-detainee-crumbles.html?sq=guantanamo file&st=cse&scp=1&pagewanted=all

サウジ・アラビアによる反革命が「アラブの春」の熱気を奪う Saudi counter-revolution cools Arab Spring - By Jim Lobe


サウジ・アラビアによる反革命が、「アラブの春」の熱気を奪う
─石油価格の高騰を怖れる米国の恭順さが、湾岸でのサウジのアジェンダ実現を助ける─By ジム・ローブ (4/24, アル・ジャジーラ英語版)


「リヤドの政府とその同盟者らが描写する、中東のスンニ派・シーア派間に一層深まっているという紛争のなかで…サウジは地域のイランの最大のライバルとして台頭しつつある」

  いわゆる「アラブの春(Arab Spring)」がその6ヶ月目に入る今、それは深刻な冬の逆風に直面しているかのようだ。ウォッチャーたちのなかには、サウジとその近隣のスンニ派首長の国々を、湾岸諸国に吹きつける凍てつく風を巻き起こしている主な源として非難する人たちもいるが、米国や西欧の「価値観」と彼らの利益との間の食い違いが拡大していることが、この季節外れの悪天候を加速させているのだ。

 かくして米国政府が…バーレーン(米国第五艦隊の母港の国)の多数派シーア派住民へのますます暴力的で無差別な弾圧とは賢明なものかどうかについて、強い疑念をプライベートに表明しつつも、サウジが後ろ盾となるその抑圧に対し明白な非難を述べることに失敗した…ということが、こうしたトレンドの最も露骨な実例となっている。

 より知られていないが─非難さえもされていないことは、木曜日にUAE(アラブ首長国連邦)の政府が同国の法学者協会(Jurist Association)の幹部の会議を解散させたということだ─その会議とは同国での最も顕著な市民社会組織だったのだが…彼らは今月、先に政治的改革を求める嘆願書に(向こう見ずにも)署名していたのだ。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その動きが政府による「平和的な反政府運動への拡大的弾圧」の一部であると述べたが、同国の事実上の国防大臣Mohammed bin Zayed Al Nahyan皇太子は来週、バラク・オバマ大統領に会う予定であると、金曜日にホワイトハウスが発表した。

 もちろん、オバマによるリビアの「政権交代」への拡大する軍事的投資(たとえ不承不承といえども)にも関わらず、彼が手がける─ワシントンをアラブ世界における「歴史の正しい側に置く」ための素直な努力─ というものは、ますます不首尾で偽善的なものに見えつつある。

 米国のみならず─他の西欧諸国もまた─サウジの政策、特に湾岸での政策を効果的に尊重して扱いながら、その地域で最も民主的な変革とは逆の方向へと賭けている(例えばエジプト軍への支持を強化しつつ、同時に実質的な経済援助を廃止するなど)─それによりエジプト軍が同国の防衛や外交政策、特に対イスラエル政策での支配権を維持するよう、明らかに望んでいるのが実態だ。

 そんななかで、より一層理想主義的な…チュニジアのZine Al Abidine Ben Ali大統領やエジプトのHosni Mubarakの放逐に成功したような…初期の「民主主義志向のデモンストレーション」のイニシアチブをとった若者主導の運動は、イエメンやリビアでと同様に、より狭い宗派や部族・親族の利益のために行動するより利己的な勢力に取って代わられて、周縁に追いやられつつある。

 サウジ主導の湾岸協力会議(GCC)が現状においてイエメンのサレハ大統領辞任を仲介しようとしている努力は─ワシントンはその件も何となく、不承不承に認めているのだが─ひとつのエリートのグループが…民主主義的な自由や自治拡大といったことに何らの展望も持たない、別のエリートのグループに取って代わられるだけの結末を生む可能性もある。

 「米国は、現在の状況に関して主に語られる説明(ナレーティブ)、…つまり民主主義者と、抑圧者が今後もこの舞台を演じていくだろう、ということ…そしてそれが、部族vs.部族の争いや、持てる者vs.持たざる者の争い、あるいはより悪くすれば、イスラムvs.十字軍のキリスト教徒の争い…などに取って代わられていく恐れはないだろう…との確信をもっているのか?」と前・米国土安全保障省長官のMichael Chertoffと前CIA長官Michael Haydenは、金曜日のワシントンポスト紙で問いかけている。

石油、武器、そしてイラン問題 

 地域の明らかな反革命勢力であるサウジアラビア王国に対して表された尊重の念は、多くの要素によって説明される─それは少なくとも同国が、米国で石油価格がガロン当たり4ドルの高値に達したなかでの、日和見主義的な世界的産油国という役割だけからなされる説明ではない。米国の政治アナリストたちは、オバマの再選へのチャンスは─現状ではその可能性もとても高いが─来年のこの時期までに石油価格が下がることなしには、政治的に顕著な方策を失うだろう、と警告する。

 「私の支持率は最近の危機のなかで上下しており、現状ではガソリン価格高騰が人々のうえに大きく影響している」とオバマ自身、今週初めにカリフォルニアでの資金集めイベントで述べている。
 石油危機に加えてその大きな影響が及ぶものとして、サウジアラビアとUAEは米国の最新鋭の武器システム(その製造者たちは国内での顕著な国防予算削減の兆候を懸念しているが)を購入しているので、ワシントンと彼ら大口海外顧客との間の関係が緊張するリスク、という結果ももたらされる。

「大方のアメリカ人は、彼らの想像の及ぶ範囲では、米国がサウジにどの程度のレバレッジをもつのかを理解していない」と、前Defence Intelligence Agency (DIA)の中東アナリストで、退任したパット・ラング提督が、先週彼自身のブログSic Semper Tyrannisで語っている。

 「彼ら(サウジ)は米国とのベーシックな関係性のあり方を変えることを決意し、今後はより独立的なコースを取り、これからは地域全体の革命的勢力に対してのレジスタンス(反動的な弾圧)をより奨励していく方向をとる」と彼は言う。

 そして最後に、サウジアラビアは、UAEやバーレーン、クウェイト、ヨルダンの熱烈な支持を受けながらも、地域におけるイランとの第一の敵として台頭している─ リヤドの政権とその同盟者たちはより一層、それを中東のスンニ派とシーア派コミュニティに実存する紛争なのだと描写している。

 彼らがテヘラン政府を、アラブ世界の内政に干渉していると非難することは、パワフルな「イスラエル・ロビー」(*米国の)の耳には心地のよい(音楽のような)ものだ─彼らが辛抱強く培ってきた、スンニ派主導の諸国政府を反イランのもとで統一するという「戦略的コンセンサス」のアイディアが遂に…彼らの分かち合う懸念…この地域での民主化がもたらすかもしれない重大な結果への懸念…という果実となって実ったかのようにもみえる。

 かくして米国議会が、傷つき、沈みつつあるエジプト経済に対し、同国が政治的進化を遂げるこの決定的瞬間において実質的な援助をすることに躊躇するその理由とは、ワシントンが予算カットマニアに牛耳られているという故だけでなく、エジプトの未来の政府がキャンプ・デービッド合意に誠実であり続け、ガザ政策でもイスラエルに協力し続けることを確実化したい、という願望にも、同じく大きく依存している。

 先週、エジプト政府がテヘランとの関係の正常化を開始すると決断したことは、民主的なエジプトというものが余りよい投資先ではないかもしれない、との信念を拡大させた。しかし、アラブの春を冷却させている風は、灼熱の暑い夏に向かう可能性もある、とアナリストたちは警告する(アナリストたちは、サウジによる反革命によって同国内や中東全域で益々深まる二極化が、米国と現状でのその地域の同盟国により大きな加速的リスクをもたらすと信じているが)

 「現状は、特にイランとそのアラブの近隣諸国との間のとげとげしさが拡大していることによって、益々緊急さを増している」と、米国平和研究所が今週発表したルトガース大学のToby Jonesの論文は指摘する。その論文は、もしもワシントンの米政権が、より確実な役割を果たさない場合に、それは「いまひとつの軍事闘争に引き込まれるかもしれない」と警告している。

 彼は、ワシントンとその同盟国が、サウジに対し自制と改革を促してきた静かなアピールは無視されるか、拒否され続けてきたとしつつもこう付け加える… 怖れられているイランの影響力の拡大というものが(サウジによる)自らの予言の成就をももたらすであろうと─それは確かに、バーレーンによって実現した─。Elliott Abramsのごとき著名なネオコン強硬論者が今週、自らのブログにおける「破滅に向かうバーレーン(Bahrain Heads for Disaster)」と題する投稿できっぱりと同意していた点だ─それがサウジアラビア自体を含みつつ、より広範な地域におけるものではないにせよ。

 「リヤドの政府がその現在行く道を守り続けるべきなら、米国は、軍事的な関与についての再考が必要であることを明かにせねばならない」と─ ワシントンは1979年のイラン革命以前と同様、その地域での利益を「水平線の彼方から」保護できるだろう、と指摘するJonesは述べている。
Jim Lobeは Inter Press Serviceのワシントン支局チーフ)
http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/2011424133930880573.html

関連記事
「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂いBy ペペ・エスコバル
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2011/04/sweet-smell-of-counter-revolutionby.html 




Tuesday, April 12, 2011

NATO侵攻後のリビア Libya, after the NATO invasion By Mahmood Mamdani


NATO侵攻後のリビア By マフムード・マムダーニ (4/9, English Al-Jazeela)
 

 *写真:リビアのMuammar QaddafiとスーダンのOmar Al-Bashir. The Despot Index


 2010年の国連の人間開発指数(HDI)─それは健康や教育、所得額といった複合的な基準により評価されるものだ─では、リビアは世界で第53位に、アフリカでは第1位にランクされている。

 42年前に王が退位させられたときには田舎の後進国だったこの国は、今日ではモダンな経済と高い識字率を有する。この一つの事実は、カダフィが彼の支配の歴史的な正当性を主張するときの主な論点となっている。

 リビアに関して今日しばしばなされる議論は二分される: 一方の側は抑圧された(リビアの)人々との団結を強調し、もう一方の側はさらなる西欧世界との戦争への反感を含めて語られる。

 西欧の同盟国がリビアに飛行禁止区域を設定した直後にニューヨークタイムズは、米国東海岸にあるカレッジのリビア人の政治学教授の意見を掲載した。Ali Ahmida はカダフィの支配を、上述の今日の二つの議論を代表する二つの時期に分けて論じた─

若いカダフィの印象 Impressions of a young Gaddafi


 その最初の20年間…と彼は書く…革命は普通のリビア人に多くの便益を与えた; 広汎な識字率、無料の医療サービスや、教育、そして住環境の改善。特に女性たちは便益を享受し、彼女らは閣僚や大使、パイロット、判事や医師となった。政府は下流・中流階級からの広い支持を受けた。

[Ali Ahmidaの記事引用:しかし80年代以降に始まったものとして、過度な中央集権や、治安勢力がより抑圧的となり法の秩序が低下したことが、本来のポピュリズムの実験を損ねた。法廷や大学、労働組合や病院は弱まった。70年代には多くのペルシャ湾岸諸国などよりもリビア社会をより民主的にみせていたはずの、リビアの社会を形づくる市民組織は衰退し、または排除された。敵対的な国際情勢、そして石油収入の変動が体制への圧力を強めた。

 英雄崇拝の儀礼は汎アフリカ主義のイデオロギーへと変貌していった。それは暴力をも孕んで行った。度重なるクーデター未遂に伴い反体制分子は打ち据えられ、投獄された。治安勢力は中央・南リビアからの信頼できる親族や同盟者で固められていった。1990年代には経済制裁による犠牲で、ヘルスケアと教育が衰退し、失業率が増加、経済はより石油依存となり体制はより腐敗していった…](http://tinyurl.com/3r39ohv)
 

─(このAhmidaの論ずる)悪い傾向を代表する側とは、デマゴーグ的(扇動的)な政権が英雄崇拝の酒宴を催して、暴力をシニカルに擁護するといったものだ。度重なるクーデターの試みに遭遇した政権は、治安勢力を信頼のおける親族の人間、中央・南リビアからの同盟者たちで固め、このことが政府を同族的な管理体制へと変貌させた。

 私のカダフィに対する最初の印象は、数十年前に読んだMuhammad Haykal(ナセルの有名な報道官だった人物)の回想録に書かれていたことだ。

 Haykalは中国から訪問していた周恩来首相と(エジプト大統領の)ナセルが、国が催したレセプションの最中にかわした会話を回想している。

 軍服を着た若い男を指差して周恩来は訪ねた、あれは誰だ?と。…ナセルは答えた、何故だ?あれは丁度、リビアの王権を転覆(権力を掌握)したばかりのカダフィ大佐だ、なぜそれを尋ねる?と彼はいった。

 周恩来の、それに対する回答は忘れがたい:ああ、彼は今さっき私のところに来て私にこう尋ねた、原爆を購入するにはいくらかかるか、と!…この逸話はカダフィの、よく知られた常軌を逸した性質を集約している。

革命家に休息はない No rest for the revolutionary

 カダフィは彼自身を、反・帝国主義の戦士とみなしており、そのようにして彼はカダフィ・ブランドをアフリカ大陸でマーケティングしてきた。しかし実際にはカダフィの体制は、彼のリーダーシップに崇敬の念を捧げる者ならば、誰彼構わず取り立てた。

 彼の祝儀が与えられた者たちのリストは、雑多なものだ: カダフィがその初期の資金提供者だったウガンダのNational Resistance Armyから、反対者であろうと支持者であろうと鼻や指、手首を切り落とすその残忍さで知られた…シェラ・レオネのRevolutionary United Front 、彼がしばしば唯一の資金提供者であった民兵タイプのグループ…たとえばArab Legion(チャドとダルフールの遊牧性の武装民兵グループの傘組織)などがある。

 カダフィは彼自身を、アフリカの「解放」勢力のCEOとみなしていた。数年前、ウガンダ人たちが憲法を改正して大統領の2年の任期制限を廃止するか否かで論議していた時、カダフィは躊躇なくその国民的な議論に介入した。彼は、「革命運動家たちよ、リタイヤするな!」と宣言した。

 カダフィの西欧に対する関係回復は2003年に始まった。核開発施設を解体して、米国・英国やイタリアの企業 – Occidental Petroleum、BP や ENI といった–の開発付石油契約を招致するために、カダフィは西欧の集団に舞い戻って歓迎された。

 独裁者の外部向けの顔が反・帝国主義者から親・西欧にシフトしたとき、カダフィは米国主導の「テロとの戦争」に加わった。

 しかし、危機が到来して彼のパトロンたちが背を向けたとき、カダフィの元には軍事的反乱を振り切る核兵器もなく、国連安保理で彼とともに立って支持してくれる有力な友もいなかった…  (以下略:…Mahmood Mamdani is professor and director of Makerere Institute of Social Research at Makerere University, Kampala, Uganda)

http://english.aljazeera.net/indepth/opinion/2011/04/201148174154213745.html

アフリカ連合の停戦提案;NATOはミスラータとアジュダビヤを防衛 (4/11, ホアン・コール)

 4月11日、@feb17voicesのTwitterにはこうある:「カダフィ軍の集中的な攻撃ではスティール工場とガス貯蔵タンクの地帯に大きな被害が出たという… 多くの人はミスラータにスティール工場がある事を知らないかもしれない…この街でカダフィに対抗する「反乱勢力」の大半は労働者であることも。今や体制側は特に彼らの生活手段を破壊し、彼らの家族を爆撃している」(*@feb17voicesはJohn Scott-Railton に率いられ、リビア人にTwitterへの電話でのアクセスを供給している革新的なテクノロジー。同様に、エジプトでネット接続が遮断されたときにも人々にアクセスを提供した)

 これと同時に、アフリカ連合の3人のリーダーがトリポリにおける討議のために到着し、カダフィは少なくとも彼らの提案を受け容れると語った。AUのチームは、これまでカダフィと息子たちを温存するいかなるプランも拒否してきた暫定政府評議会との話し合いにベンガジに向かう。

 AUによる仲介の問題とは、彼らが反体制勢力にとって誠実なブローカーとは見られていないことだ。世界が注意を払わなかった内にカダフィは、石油から得た彼の財産(「彼自身の」と私は言いたい)を用いて、アフリカ諸国のリーダーたちから忠誠心を勝ち取って軍事介入するべく、彼の影響力を売り歩いた。国連のリビア介入を批判する者たちは、ダルフールやスーダンにおいては何故そのような人道的ミッションが行われなかったのかと問う─そこではブラックアフリカンのフール族のなかの分離主義者たちが、ハルツーム政府に忠実なアラビア語を話すブラックアフリカンたちに虐殺されていた。その流血沙汰は、そもそも、カダフィのチャドとスーダンへの破滅的な介入によって始められたものだ。現在のダルフール問題は1987年に、カダフィによって武装されたチャドから来たアラビア語を話す雇われ民兵たちが、ダルフールとの国境を越えて軍事ベースを作ったことに始まる。彼らがJanjawid ジャンジャウィードの先駆なのだ。常に地域の帝国主義者であり、破壊者であったカダフィは、その莫大な富を駆使してこの大陸に、彼の支配力を拡大させる武装民兵とゲリラたちを溢れされた。彼は南の隣国チャドの支配権を奪うべく、同国の北部地域で彼の部隊による暴力的な占領を続けつつも、成果のない年月を送った。

 彼自身の領土からは遠く離れてカダフィは、彼のテロリスト訓練キャンプthe World Revolutionary Center(ゲリラ訓練所)を通じて恐怖を拡大した。そこから輩出されたのは、ブラッド・ダイヤモンドに飢えたクーデター屋や戦争屋たち─(リベリアの内戦を起こした)チャールズ・テイラーや、シエラ・レオネのフォデイ・サンコーなどである。カダフィとテイラーはシエラ・レオネの戦争へと介入した。 (*チャールズ・テーラー:http://tinyurl.com/3twrmkd *アハメド・フォディ・サンコー:http://tinyurl.com/3egb3nc )

 何百万もの人々が、その一部はカダフィが自らの野望のために喚起したものでもある戦争で殺された─カダフィは自らの鋳型から、幾世代もの専制主義的で反抗的な革命運動家たちを生み出したが、彼らは彼のクライアントにもなった。莫大なオイルマネーがカダフィに西アフリカの政治体制における安定性を損ない、好き勝手にさせる自由を与えた。

 カダフィはアフリカ連合の経費の15%を負担し、実質的に多くのアフリカのリーダーたちを召使のように使っている。

 カダフィは、チュニジアのZine El Abedine Ben Aliに対する人々の革命には強く反対の立場を取った。もしも彼が力を取り戻し、彼の富を再び掌握したならば、カダフィは隣国チュニジアで目覚めつつある歓迎しがたい民主主義と法のルールを妨害し、そしてエジプトにも食指を伸ばすだろう。市民にむけて無差別に発砲するこの億万長者の連続殺人者と、億万長者のプレイボーイの息子達の末期的にナイーブな支持者たちは、「いや、カダフィはそんなことはしない」、などという。彼らはカダフィがこの30年間アフリカで何をしていたと思っているのか。彼が権力から放逐され、ベンガジの政府が議会システムを樹立できれば、リビアだけでなく全アフリカが大きな一歩を踏み出せる。

 報道メディアのヘッドラインは、カダフィがAUによる停戦と平和維持軍駐留の提案を受け入れた、と書いた。もしも彼がその戦車や重火器を撤収し、市民や街を無差別に攻撃することを止めるのならばそれもよい。実際的な戦争よりも、停戦から平和を確立する方がたやすいだろう。カダフィの血にまみれた過去と多くの殺人は、NATOにおける国連諸国による同盟とアラブ連盟が最大の監視を行うことで、彼が自らの領土をより拡大し、より多くの人々を殺すことの隠蔽する外交を行わないように求めるだろう。

http://www.juancole.com/2011/04/au-proposes-ceasefire-nato-protects-misrata-ajdabiya.html

*リビアの反政府派暫定評議会は、4/11に5人のアフリカ諸国大統領が提案した停戦への「ロードマップ」を完全に拒否…当初の概案も政府勢力が生じさせた死と破壊の後には既に受け容れられない、我々はカダフィと息子たちが政権から去ることを当初から求めていると声明。AUの提案は西欧にも警戒をもって迎えられ、英国のヘイグ外相は「停戦合意は国連決議の要請もフルに満たさねばならない」と語った。

Friday, April 8, 2011

「US -サウジ」のリビアに関する取引が露呈…反革命の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By Pepe Escobar


US─サウジのリビアに関する取引が露呈された Exposed: The US-Saudi Libya deal By ペペ・エスコバル (4/2, Asia Times Online)

 お前はバーレーンに侵攻しろ。そうすれば我々は、リビアのムアマール・カダフィの政権を成敗しよう。これが、簡単にいえば、バラク・オバマ政権とサウード家の間に交わされた取引のエッセンスなのだ。国連外交筋の2つの情報ソースがそれぞれ証言したことなのだが、国連決議1973号の趣旨、リビア上空での飛行禁止区域の案にアラブ連盟が「イエス」を発することと引き換えに…ワシントンがヒラリー・クリントン国務長官を通じてサウジ・アラビアに、隣国であるバーレーンを侵攻して民主的な抗議運動を弾圧するようゴーサインを出したというのだ。

 この件の暴露は異なる2人の、独立した外交官のソースからもたらされた─あるEUの外交官と、そしてBRICS諸国の外交官だ─それらは別々にあるアメリカの学者に対して、および当Asia Timesに対しても伝えられた。外交的な慣例によれば彼らの名前を明かすことはできない。片方の外交官がいうには、「これが我々が1973決議案を支持できないことの理由だ。我々はリビアとバーレーン、イエメンの状況は類似した状況とみなしている、そしてこの件に関し国連事実調査団のミッションの派遣を要請している。我々は、我々のオフィシャルな立場、つまりこの決議案の内容が不透明であり、おそらく好戦的な態度belligerent mannerによるものだったとの見方を続けている」

 Asia Times Onlineが報じたように、飛行禁止区域に関してアラブ連盟が全面的に支持したのは不可解な謎だった。その22カ国のメンバー国のうち、11カ国だけが決議案の投票に参加した。そのうち6カ国は湾岸協力会議(GCC)のメンバー国─つまり米国に支援されたペルシャ湾岸の王国・首長国─サウジ・アラビアがそのトップの国である。シリアとアルジェリアは決議案に反対した。サウジアラビアは他の3カ国だけを決議に賛成票を投じるよう「誘惑」すればよかった。

 翻訳すれば:アラブ連盟の22か国中、わずか9カ国だけが飛行禁止区域の決議案に賛成したのだ。採決は主にサウード家が、アミル・ムーサ議長(彼は次期エジプト大統領になるため、ワシントンにアピールする履歴書を磨くのに熱心だ)とともに率いた作戦であった。

 かくして、当初は偉大な2011年のアラブの革命(叛乱)が存在した。そして、その後は否応なく、アメリカ─サウジによる反革命がやってきた。

利益享受者たちは喜ぶ Profiteers Rejoice

 人道主義的な帝国主義者たち(Humanitarian imperialists*欧米勢力を指す)は大挙して、これは「陰謀である」という都合の良い解釈をとばすだろう─彼らはリビアで、ベンガジでの仮説に基づく虐殺を阻止したとして、きりもみ旋回しながら空爆をしてきたのだが。彼らはサウード家を弁護することだろう ─同家がペルシャ湾岸地域でのイランによる破壊工作(*バーレーンの反政府動乱)を押しつぶすことができたとして─ 明かにR2P("responsibility to protect"(*記事末尾参照)というものは、バーレーンの民衆には適用されなかった。彼らはポスト・カダフィのリビアを新たな…石油もたっぷりとある…人権のメッカ、として重々しくプロモートするだろう─アメリカの諜報機関の資産と、ブラックな軍事作戦と、特殊部隊と、危なっかしいコントラクター(民間警備会社)とによって、より一層完璧化されながら。

 地上における事実は変えられない、と彼らが何を言おうと─アメリカとサウジのダーティー・ダンシングの結果は目の当たりにみることができる。Asia Times Onlineは、既にリビアでの外国勢力による介入で誰が利益を得るかを報じている(参考: http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MC30Ak01.html)そのプレーヤーに含まれるのはペンタゴン…Africomを通じて…、そして北大西洋条約機構(NATO)、サウジ・アラビア、アラブ連盟のアミル・ムーサ、そして、カタールだ。このリストにバーレーンのアル・カリファ王家、また選任された武器契約業者、そしていつもどおりのネオ・リベラルの容疑者たち(彼らは新たなリビアでの資源ビジネス…水資源までも寡占化したいと熱心に狙っている)が加わる。そして我々は、リビアの石油・ガス産業の上を飛びまわる西欧のハゲタカたちに関してすら語っていない。 ここに露呈されたのは、オバマ政権の驚くべき偽善だ─人道的な作戦といいつつ北アフリカとペルシャ湾岸を巻き込む、粗野な、地政学的なクーデターを売りつける彼らの。ムスリム諸国でのもうひとつのアメリカの戦争の例として、それはまさに「動力的(kinetic)な軍事作戦」だ。 …(後略)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html

反革命(カウンター・レボリューション)の甘い匂い The sweet smell of counter-revolution By ペペ・エスコバル (4/8, Asia Times Online)  

 アメリカ国防省のロバート・ゲイツ長官は(今日)サウジのアブドラ国王と話すためにリヤドにいる。AP通信は世界のメディアに対し、彼らは「アラブの叛乱」について討議することだろうと報じた。そこにはその他の陳腐な言葉も浮かび上がってくる─「政治的改革」、石油生産、「イランの脅威」など…。しかし、ペンタゴンがこのタイミングでサウード家に会うことが示す言葉は、唯一つ、これしかない:「私は、朝の反革命(counter-revolution)の匂いが大好きだ…」とでも。

 そう、それはナパーム弾よりも偉大なる匂いだ。まるで勝利のような匂いがする。US─サウジによる反革命は、2011の偉大なるアラブの叛乱に対抗して楽々と勝利しつつあるのだ─ 。サウード家はエジプトのホスニ・ムバラクに対しても、最後まで権力の座に踏みとどまるよう望んでいた─それは、ワシントンにとっても同様だった…彼らは動乱勃発の当初、ムバラクの政権は「安泰」だという声明を出し、その後はオマール・スレイマン(拷問名人のシーク)に「秩序ある権力移譲」をさせることに賭けたが、その後、政権の崩壊が明白になって漸く、タハリール広場の民衆に唱和したのだ。

ワシントンが歴史の正しい側に踏み出すことを再び阻むかのように、サウード王家はそれ自身のプランで、King Fahd causeway(ファハド国王舗装道路)を通じて隣国に侵攻し、バーレーンの平和的な抗議の民衆の弾圧をおこなった。これはワシントンとの決定的なやりとりによる釘がしっかりと打たれたからこそ可能だったのだ;「我々(サウジ)は、リビアでの飛行禁止区域実施の決議にアラブ連盟の一票を入れさせよう;これと引き換えに、我々にバーレーンの始末をつけさせてほしい」(4/2の記事参照 http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD02Ak01.html)

 ゲイツとアブドラが今、複雑なる「US outreach(アメリカの手の及ぶ範囲)」(つまりこうしたアラブの独裁者が、市民を虐殺しつつ平気で立場を維持できること)や「政権交代」(つまり彼ら独裁者が、犬にくれてやりたいような他の国の為政者を陥れること)に関して討議をしているとを知るにつれ─ 時局の連結点というものが、ワシントン/サウード家が今や全ての前線(フロントライン)にあって─歴史の誤った展開面と、そして全てを操作する位置にあるのだということを、説き明かしてくれる。

 サウード家とカタールは今や、リビアの「transition(政情の推移)」を微妙に支配している。こうしたカタール─サウジの同盟は今や、イスラエル─サウジの同盟の鏡像(ミラー)でもある。サウード家はまた、イエメンの政情の推移も支配している─今や、バラク・オバマ政権は、アリ・アブドラ・サレハ大統領を犬の餌のように捨て去る決断をした(なぜなら彼が、彼の民衆を十分に殺害し、その平和的な革命運動を弾圧できなかったからだ)。かくしてサレハは今や、アメリカの「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」との戦争においては、価値のない「ろくでなしの男」になってしまった。イエメンの抗議運動(彼らは、サウジ人を信頼をしていない)が、腐敗した・親アル・カイダのAli Mohsen大佐(*)からの支持を受けていようと。アメリカCIAは、サレハの後継者を嬉々として受けいれようとしている。 (* Ali Mohsen大佐:Yemen軍の幹部で、政権の軍事アドバイザー。サレハ大統領の異母兄弟。3/21に他の将校らとともに反政府勢力を支持すると発言、大統領に叱責された。80年代のソビエト・アフガン戦争でイスラム過激派のリクルーティングに協力した)

 今や、北大西洋条約機構(NATO)よりもタカ派の強硬論者となったカタールは、それに応じた報償をも得ている。あるカタールの外交官は、アラブ連盟の楽観主義者の議長アミル・ムーサ(ムーサはエジプトの次期大統領などにグレードアップしたいと欲している)の後を継ぐはずだ。それなら次は何だ?カタール人がNATOの議長になるべきなのか?ううむ、彼らは2022年のワールドカップを買収するに十分な金ぐらいは持っていた。

 ゲイツとアブドラはまた、ペンタゴンのAfricom(*)の目を見張るような成功についても討議するかもしれない─それは2008年末に任務を始めたに過ぎないが、しかしすでにアフリカにおける、最初の大きな戦争に巻き込まれている。Africomの司令官Gen. Carter Hamが今やその戦争に関して、アフリカ連合(AU)の数十カ国のメンバー国に対し(彼らは当初、Hamが彼らの領土で指揮権をとることを決して望まなかったが)説明する必要があるなどと、誰が構ったりするだろう?ゲイツでさえも、リビアにおける戦争など、アメリカの外交戦略にとって優先事項とはいえないと認めていたのだ。(*United States Africa Command:米軍の、エジプト以外のアフリカ53カ国における軍事戦略の総司令部。本部はドイツ・シュツットガルドにある)

 サウジの新聞「Arab News」によるとサウード家の閣僚会議は、バーレーンのal-Khalifa王家によるサウジ人への謝意の表明 ─ サウジ人が賢明さとリーダーシップをもってバーレーンの内政に干渉し…バーレーンに侵攻し「バーレーンに平和と安定を取り戻してくれた」と彼らに謝意を表した感傷的な声明─ そのことに対する「返礼としての謝意を」表したのだという。そしてその後に、誰もがイランに対して非難を叫んだという。(*イランのシーア派がバーレーンのシーア派住民の抗議運動を誘導したとされる)

包括的になるべき時だTime to be inclusive

 バーレーンのカリファ王家は、彼ら自身の民衆を覆すことに絶対的に成功する。彼らがもしその国民の70%をペルシャ湾に投げ捨てて、そうして支配者の安泰を維持するならばの話だ。彼らは同国唯一の反体制的新聞- al-Wasat -を閉鎖して、王家支持派の新しいエディターのもとにそれを再開させた。

 人権運動家やジャーナリスト、ブロガーたちは姿を消した─あるいは、姿を消された。ビジネスマンと政権幹部たちは、ストライキを実施した労働者たちを銃撃しなかったとして脅迫された。もはや誰も、ツイッターやFacebookをやっている者はいない。混合的な居住地域に住んでいたシーア派の家族らは、検問所でとめられるたびに脅迫を受けるので、引越しをし始めた。人々は、暗号を使って電話口で話している。オバマ政権に関する限りバーレーンは、もはや存在すらしていない。

 バーレーンの7世紀の先祖にさかのぼれば、それはドバイの獲得物だった。ドバイは今年、4%の経済成長をした─アラブ世界の「動乱」に利益を得て。そしてアラブ首長国連邦(UAE)の人口は826万人に達しつつある─外国人労働者が流入しているが、その多くはバーレーンからだ。

 カタールとUAEは、リビアでのNATOの飛行禁止区域という信用詐欺における「有志同盟」の小さな、代表的でない国々だ。いまや英国人らはこうしたアラブの二つの模範的民主国家に、東部リビアの「反乱勢力」─有象無象の群集─を訓練するようにと「要請して」いる…そのため彼らは、何らかの停戦が交渉で達成されるまでの間は、この砂漠地帯に隣接する場所で、砂漠の砂粒にしがみついていられるだろう。

 翻訳すれば:「民間警備会社」は英国にとっての、いいビジネスだ─傭兵という形で…その中には特殊部隊の経験者もいる。彼らのサラリーはまもなく、カタールとUAE、ヨルダンによって支払われる…プレイステーションの王様 King Playstationに支配された国の、「治安軍のオフィサー」たちで溢れかえった国土で。このことは再度証明する─そこにはたった一つの…非国連決議1973…が承認した市街地でのゲーム:つまり政権交代 だけがあるのだと。

 2011年の偉大なアラブの反乱の行く末が、石油生産や、移民の流出、イスラエルとの関係性、政治的モデルとしてのトルコの引力、そして未来のアル・カイダのフランチャイズ、といったことに繋がるとは誰も予測できないだろう。しかしワシントンの国家防衛ポリシーがいまだに、オリエンタリストが抱く阿片への夢のごとく見えたり感じられる中では、我々はアラブ世界に対して、ローカルな買弁的な独裁者・専制君主を通じて関わることしかできないだろう。そんな阿片よりもずっとす早く、我々はもうそれに夢中になっているのだ。
 
 それなら何故、すべてを我々に併合しないのだろう?アメリカは、石油の豊富な51番目の州にも上手く対処できるだろう。経済刺激策の話をすればいい。米国市民たちは、彼らの税金の徴収のごとく、石油を入手できるだろう。いまや、仲介業者をカットすべき時だ。アラブ世界では、あの哀れっぽいアブドラやカリファ王家といった者たちよりも、オバマに対して答えることを誰が愛さないだろう?
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/MD08Ak01.html


*R2P:responsibility to protect
 「独立国家の主権は必ずしも特権ではないが責任であり、国家はその国民を、民族虐殺、戦争犯罪、人道に対する犯罪、エスニック・クレンジング(これらをMass Atrocity Crimes─大規模残虐犯罪と総称する─)から守る責任がある」との見地の元に…独立国家がこれを守れない場合、国際社会がその遂行を援助しなければならないとする考え。そのRtoPとは、国際社会にとってのノーム(規範)であって法ではない。国際社会は経済的、政治的、社会的手段によって現状の危機に対処し、外交的または強硬な手段、あるいは軍事介入をその最後の手段とし、犠牲となった人々の安全と正義の再建、大規模犯罪の起因の解明をはからねばならない…とする。
…ルワンダ虐殺が阻止できななかった際、当時のコフィ・アナン国連事務総長が嫌疑を唱えたのが端緒。2000年には、カナダ政府がInternational Commission on Intervention and State Sovereignty(介入と国家主権に関する国際委員会、ICISS)を設立、翌年に報告書「The Responsibility to Protect」をリリース。アフリカ連合(AU)は、これを組織理念にもりこんでいる。2006年には国連安保理が国連決議1674の一部として採択。2009年に国連事務総長藩基文が新たな報告書を発表し、これを更に推進させている。(出典:http://en.wikipedia.org/wiki/Responsibility_to_protect

ウェブサイト:http://www.responsibilitytoprotect.org/

*3/7The IndependentのRobert Fiskによる記事
 …「アメリカはリビアへの武力介入長期化を必死に避ける代わりに、サウジにリビア反政府勢力への武器供給を求めてきた。もしもサウジが行えば、その武器がたとえ米国製であっても、ワシントンは武器供給の責任を問われない、唯一のアメリカのアラブ同盟国である。サウジもバーレーン同様に東部に反体制派のシーア派住民を抱えるが…バーレーンでの動乱とも呼応してQatif県には治安勢力が派遣され、全土で民衆のデモが禁止された。それでもシーア派は2万人のデモを計画、軍の発砲を防ぐため最前列に女性を並ばせるという… もしもサウジが、リビアに銃やミサイルを送れとのアメリカの要請に従ったなら、オバマ大統領はサウジ政権によるサウジ北東部シーア派住民の弾圧への暴力行使に、とても口を出せなくなるという…」 http://www.independent.co.uk/news/world/middle-east/americas-secret-plan-to-arm-libyas-rebels-2234227.html



バーレーンに侵攻したSaudi軍の戦車

Monday, April 4, 2011

ザ・イラク・エフェクト The Iraq Effect - By Christopher Hitchens


The Iraq Effect ザ・イラク・エフェクト By クリストファー・ヒッチンズ (3/28, Slate.com)

If Saddam Hussein were still in power, this year's Arab uprisings could never have happened. ─もしもサダム・フセインが未だに権力の座にあれば、今年のアラブの反乱は、決して起こらなかった─
 先月もっとも心を鼓舞したひとつのイメージ…〔シリアとリビアの独裁政治にたちむかって戦う市民たちの勇敢さと尊厳すらも凌駕した…そのイメージ〕とは、ホシュヤル・ゼバリHoshyar Zebariが、ムアマール・カダフィMuammar Qaddafi大佐の堕落した政権に対する強硬策の行使を呼びかけようと、パリを訪問したことだった。ここに、イラクの外務大臣だった人物で、アラブ連盟の新しい首長でもある彼が、ローカル外交の軸をワンマンな独裁者による政治に立ち向かわせよう、との尽力を行ったのだ。5月にはイラクがアラブ連盟サミット会議をホストするが、どのアラブ諸国のリーダーが自らの国の首都を離れてこの会議に参加する勇気があるのかを、見届けるのはとても面白く、大変示唆に富むだろう。こうしたすべての光景は、ゼバリが10年前に…彼の寄る辺のない民衆をサダムフセインの化学兵器の影響から保護すべく…一途に奮闘する亡命軍人だったことを記憶している我々にとっては特に、喜ばしいものだ。

 この─ 豊富な石油資源をもち、厳重に武装し、近隣諸国の内政へのトラック一杯分もの介入歴をもち、自国民に対する全面的な大規模抑圧の歴史をもつアラブの要石の国家〔リビア〕が、今だにサディスティックな犯罪者ファミリーの私的な所有財産であったなら…アラブの春がいかに最後まで行動を貫徹するどうかを誰が想像できるだろう?しかし、それが今現在の状況であるなかで、イラクという国をもうひとつの物差として初めから持っていることがどんなメリットを持つのかは…伺い知れず認知もしがたいことで、その影響の及ぶ範囲の計算すらも、不可能なことだ。そしてリビアをイラクと重ね合わせることによる影響も…同様に、しばしば見過ごされがちではあるが、一様にポジティブな影響を有しているだろう。

 最初のポイントとして、私はエジプト人とチュニジア人、そして他の抗議デモの参加者たちは、イラクの旗を振りながらそれを模倣すべく街頭に出たわけではない…と認める。(しかし、エジプト民主化運動の知的なゴッドファーザー、サアド・エディン・イブラヒムSaad-Eddin Ibrahim(*)は公けに、サダム・フセインの失墜というものを霊感の源として賞賛し、そして…レバノンの「春」の多くの初期のリーダーたちもまた、同様な言葉を用いてオープンに語っていたものだ)こうした寡黙さとは、とても理解しやすい…なぜなら、ゼバリ外相が賞賛したイラクの北部クルディスタン地方のことはおいても、そうした国の解放はその国の民衆たちだけでは完全になし遂げられはしなかったものだからだ。(*Saad-Eddin Ibrahim http://tinyurl.com/3o5um59 ) しかしこの点は、アラブ連盟自身が(彼らの内に)外部からの支援を得ることなく、国の内部から政権転覆されることに対して鈍感な政権が、いくつか存在する…と認めて以来…より一層の論議の的になっている。カダフィの政権はそうした政権の、特に際立った例であり、そしてサダムの政権もまた、シーア派住民とクルド系住民を繰り返し爆撃して毒ガス兵器で攻撃したことでも十分に証明されるように、そのような政権として悪名高いものだった。しかしながら、イラクには既に…初歩的で僅かばかりのものとはいえ、フリー・プレス(自由な報道機関)と、明文化された国家憲法があり、アラブの市民社会として最低限度求められる議会選挙のシステムも備えている。イラクは既に、ビン・ラディン主義者がその揺籃期の民主主義に対して投げつけた…火の試練をもくぐり抜けて、それを広汎に打ち破り、それらに対する信頼を奪った。こうした試練や経験というものは、メソポタミアだけにとって有用なものではない。

 リビアにおけるイラク・エフェクト(イラクの効果)とは:ここに英国の外交官で、カダフィの備蓄していた大量破壊兵器の〔欧米への〕引き渡しの交渉を助けた人物から私が聞いた話がある。彼はどんな意味でもネオコンなどではあり得ない(女王陛下の外交及び英連邦の事務所にはそのような人物はまずまれにしか居ないが)…そして彼は3つのファクターを強調した。

 第1に、そして現況では最低限、欧米は特に優れた諜報能力を持っているため、カダフィを彼の秘密のプログラムについて認知している内容をもとに悪魔化することができた。これに時を経るとともに更に累積的に加わっていったのは スコットランドの裁判所のロッカビー事件(*パンナム航空機爆破事件)への頑固なこだわりだった。(これを、自らに「王の中の王」(king of kings)というようなスタイルを当てはめるような人々からは不完全に理解される金言のごときスコットランドの法律と混同しないでほしい) (*参考記事:http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2009/09/lockerbie-more-evidence-of-cynical.html パンナム航空機事件・2)

 第3番目に、そしてこのタイミングでとても重要なことは、カダフィがサダム・フセインの運命を打ち眺めて絶望的な恐怖に陥った…ということだ。このことはビン・ラディンの多くの将官らに対して、私の多くの友人らが行った聴取尋問でも広く再確認されている。彼〔カダフィ〕は、結局のところ─国連ではなく─ ジョージ・W・ブッシュとトニー・ブレアとにアプローチした。かくして今、カダフィの備蓄していた兵器は、テネシー州Oak Ridgeの、鍵と錠に閉ざされた内にあるのだ (*http://www.msnbc.msn.com/id/4078175/ns/world_news/ )─その痕跡の要素によって、パキスタンのA.Q. Khan(A.Q.カーン博士…核兵器学者の「死の商人」http://www.globalsecurity.org/wmd/world/libya/khan-libya.htmを犯罪者と定義することに成功しながら─。しかし想定のし得る限り…彼(カダフィ)がそうなることを望んでいなかったと誰が言えるだろうか?

 しかし…彼の毒牙は抜かれても、カダフィは、薄汚れた迷惑者であり続けた。New York Timesが先週、brilliant dispatch(* http://www.nytimes.com/2011/03/24/world/africa/24qaddafi.html?pagewanted=all )でレポートしていたように、彼は西欧の石油企業に、彼自身がロッカビー事件に関して課せられていた150億ドルの弁償金の支払いを強いた、というわけだ。彼は彼の国民を搾取し続けた ─TVに写る民衆が皆、いかに貧しくみすぼらしいかを見てみるがいい─リビアの巨大な富を、個人的な名声を打ち立てるプロジェクトのために浪費しながら。彼のリベリア、ダルフール、チャドへの流血の介入では、もう1機の商用旅客機が爆破されて…今回のそれとは、フランス航空機だった(*http://en.wikipedia.org/wiki/UTA_Flight_772 )─もっと、ずっと以前に彼を戦争犯罪と人道に対する罪で告訴できていたならどんなによかったことか。サダム・フセインと同様に彼は、彼自身を言語道断で、かつヒステリックに「問題」として定義し、リビアの悲惨と地域の苦しみのfons et origo(本源)であると主張し続けた。それならなぜ我々は、恥ずかしそうに、我々は「彼の勢力を」標的にしてはいるが、彼自身を標的にしていないなどと装った主張をし続けているのか?

 英国では、例えば、この論議はこっけいで笑劇じみたプロポーションへと達した。先日、カダフィのバブ・アル・アジズヤの「コンパウンド(複合本部基地)」Bab-al-Azizya "compound" に到達して大損害を与えたのものが英国の巡航ミサイルであることは、誰も疑ってはいないが、しかしDavid Cameron首相は、いくつかの攻撃段階において、おそらく標的とされていたのは独裁者である可能性がある、と述べているのにも関わらず、彼の防衛参謀長Gen. Sir David Richardは「絶対にそれはない」と述べている、なぜなら国連決議がそのような非常時作戦を認めていないからだ。

 ワシントンでは、バラク・オバマ大統領が正当にもカダフィは「去るべきだ」と述べたが、しかしそのミッション自体は、市民を虐殺から守る…という目標の1つだと描写されている。ストレートな語り方、あるいは殆どテクニカルな軍事的説明においてさえもそうなのだ。もしも、指揮統制command and controlという言葉に意味があるのなら、彼らはリビア人たちを余りに長きにわたって指揮し統制してきた、泣き言を言う君主を確かに特定する。

 ホシュヤル・ゼバリは、長期にわたり北部および南部イラクをサダム・フセインの攻撃用ヘリコプターから守った「飛行禁止区域」の先例に関して嬉しそうに語った。しかし彼は、このことにおけるロジックが無情なものであることも完全に知っている。日々、サダムの地上勢力は、それらの航空機を銃撃した。日々、クウェイトとの停戦後合意はより一層すり切れ侵害されていった。日々、イラクは1人の専制君主の気まぐれの惨めな人質となっていることがより明白になっていった。

 現在直ぐにもなすべき仕事は、こうしたレッスンに習うこと、得られた知識を適用できるまでの時間を短縮すること、悪をその正しい名前で呼ぶこと、そしてカダフィに対し、彼自身の死か、あるいは彼の(亡命への)桟橋にたち現れるかの厳しい選択肢を示しつつ面と向かうことだ。彼がこのようなエピソード(状況)から、彼自身の権威の切れはしを維持して立ち現れることは、道義的にも考えられない、そして、そのことを大声で言わないことは、道義的にみても意志薄弱すぎる。ミッション・クリープ Mission creep(*)という、醜悪で不恰好な言葉が突然、それ自身の酷い意味を帯びてくる。アラブ連盟が5月に会合を持つ際には、彼らは自由なイラクの地において、リビアの新しい暫定政府を歓迎しなければならないのだ。そして我々は円を閉じる─そしてこうしたすべての勇敢な人々、旧体制ancien regimeの最も悪しき要塞を打ち崩そうとして倒れた人々の汚名を注ぎ、正しさを立証せねばならない。

*ミッション・クリープ、終わりの見えない展開◆本来は米軍事用語で任務を遂行する上で目標設定が明確でなく当初対象としていた範囲を拡大したり、いつ終わるか見通しが立たないまま人や物の投入を続けていかなくてはならなくなった政策を意味し批判的に使われる言葉.
http://www.slate.com/id/2289587/pagenum/all/#p2

Hitchens poses with Kurdish Peshmerga fighters

Sunday, April 3, 2011

バラク・オバマは「隠れスイス人」なのか?Is Barack Obama Secretly Swiss?- By Christopher Hitchens


国連諸国による、対リビアの「飛行禁止区域」作戦への決議においてオバマ政権の態度は曖昧で後ろ手に回っていたと批判されたが


バラク・オバマは、「隠れスイス人」なのか?Is Barack Obama Secretly Swiss? By クリストファー・ヒッチンズ(2/25, Slate.com)
 
 それがどんなに意地悪な恨みがましい言い方であっても─共和党の新たな下院議長さえ今や、大統領はハワイ生まれで、一種のキリスト教徒だということに対して譲歩した。だからもう、この議論に関してはすべて終わるよう望もうではないか。もっと切迫した質問が今や、出しゃばりながらその姿を現しているのだ:バラク・オバマは、隠れスイス人なのか?という…

 私が、何を言いたいのかを説明させてほしい。中東の専制君主(*ムバラク)は今や、彼の権力の時がすっかり、本当に終わったということを知った。彼はそのことについて─ 彼のチューリッヒやジュネーブの銀行業者が、彼からの送金の受容れや秘密連絡への返答も止める代わりに、彼の資産を「凍結」し始め、その資産の規模や所在を彼が長年食い物にしてきた国の捜査官たちに暴露し始めた─そのときに知った。そして、まさにその瞬間に米国政府もまた、くだんの預金者のことを、正しく選ばれた国家元首であるとこれ以上認めないと宣言した。しかし時としてこの協調行動には、幾分かの「みすぼらしさ」がある。CIA長官のレオン・パネッタは、ホスニ・ムバラクが退陣することを、実際にそれが起きる1日前に米国議会で証言した。しかしCIAのすべてのご愛嬌とは、この機密情報収集が常に、すでに一般大衆に広まっている認識よりも何ビートか後れを取るという事実だ。一般的にはしかし、ホワイトハウスと国務省は彼らのストップウォッチをもっていて、スイスの座標に合わせたリアクションを見せる。

  それは単に公表された声明とシンクロして行われるだけではない。オバマ政権もまた、世界情勢における米国の重みが、スイスのそれと大体同じであるかのように振舞う。我々は事の進展を待つ。我々は用心深さを要求し、また抑制すらも求める。我々は国際的なコンセンサス形成を期待する。そして、スイスの銀行家たちがその乗り馬を替える方法には何か軽蔑すべきものがあるゆえに、ワシントンの政権がその影響を蒙るという状況のなかにも─そしておそらく、それがアメリカの無能さの体現に寄与するなかにも─何か軽蔑にあたいするものがみえてしまう。そのことを除けば、スイスには少なくとも冷笑的態度に徹するという言いわけがあるのだが、アメリカのポリシーはどうやらやっと、冷笑的でもあるがナイーブでもある、という状況に至る。

  このことは特にまた、リビアのケースでも明白となっている。何週間にもわたって政権はエジプトに関してためらいを続け、そしてその行動を─腐臭を放つ古い友人・自らの有効期限を越えて長生きをしすぎた同盟者と関わりつづけるのは困難だとの根拠に基づき─ 最も値の低く、動きの鈍い公分母のもとに修正し続けた。しかしその後に、Muammar Qaddafiの出番がきた…オールラウンドな悪臭を放つ厄介者というだけでなく、さらに長期的な敵として─かくして政権のためらいが、全面的に再開した。2月23日の水曜までには大統領が気持ちを和らげる(鎮静剤的な)発言をしたが、一般的にある「暴力」を非難しつつも、特にカダフィの名前を挙げなかった─世界中のすべての政治家や女性政治家たちがそれを口にしていたが、オバマだけは口にしなかった。そして彼の沈黙は打ち破る価値すらもなかった。彼女自身による数語の言葉をようやく口にしたヒラリー・クリントン国務長官の言葉を木霊のように繰り返しつつ、彼はただ、必要なものは国際社会の一致した意見であると、強調した─まるで、完全な統一見解がなければ何ひとつできないか、あるいはその試みすらできないかのように。そのことは残る全てのカダフィの同盟国たちに、自動的に拒否権行使(決議否認)をもたらした。それはまたアメリカの意見は、たとえばスイスなどの意見と比べてさえ最早、聞くに値しない、といった印象も強調した。クリントン長官はその後、他でもないジュネーブに派遣され、そこで国連人権委員会と会合を持った─すでにカダフィがメンバー国であることで絶望的に汚され、馬鹿げた実体と化していた委員会に。

 オバマの空虚なスピーチがなされたその時までに、寛大さで知られるアラブ連盟はリビアの加盟を保留にし、またカダフィ政権の数人の上級外交官らは、勇敢にもカダフィから離反した。彼らのうちの1人でニューヨークをベースにする人物は、(カダフィによる)市民に対する戦闘機の使用について警告し「飛行禁止区域」の設定を求めた。他の者たちは、航空機がカダフィの側にフレッシュな傭兵を運んでくることも指摘した。地中海では、米国は第6艦隊を展開させており、それはカダフィの空軍を難なく飛行禁止にする(地上に押しとどめる)ことも可能だった。しかし、待て!我々は今だにスイスの海軍本部から連絡を受けていない、彼らからのインプットなしにそれを遂行すれば、必ずや無分別だとみられるのだ。

 明らかにオバマ政権は、自らに関する次のような非難に対して少しは敏感になった: … a)再び、完全に不意打ちを食らった、b)明かに自分身のポリシーを持たない、 c)モラル的に中性的である… そして、その全ての弱々しさの形を最大化したような議論を持ち出した。もしも我々がより堅固な、またはもっと識別可能な立場をとっていたならば、我々のリビアでの外交スタッフは危険に晒されていたかもしれない、とも論じられた。言い換えれば我々は彼らが、もうすでに人質にとられているかのように振るまおうと決意したのだ。もっと力の弱い諸国の政府の多く─リビアにある外国大使館の数と同じぐらいに膨大な在留外国人の人口も擁する国々の─ は既にカダフィの犯罪的行動について非難し、そしてEUは制裁をも検討していたが、しかしアメリカ(火曜日までにそのスタッフを国外退避させるための船すらチャーターしていなかった)はまるで、カダフィ大佐に不本意ながらも拘束された囚人のように振舞うのを余儀ないと感じていた。私はこれまでの先例として、このような感傷的などんな「ドクトリン」があったかも直ぐに思いだせないが、しかしこのことがいかに将来、時間を稼ごうとするならず者国家にとって有用な先例を作ったかはたやすく見て取れる。我々を一人にして欲しい─ あなたの声すら上げないで欲しい─ そうしなければ、我々はあなたの国の大使館の安全性すらも、保証できない─(NATOの同盟国がカダフィに、明白にこう告げることは、今、 行なっても早すぎることではないのだ:「彼がもしそれを試みたならば彼は彼の王位を、また今にも倒れそうな彼の軍隊と、おそらく彼の価値のない生命をすべて1日の午後のうちに失うだろう」、と)

 政府が、カダフィとその酷い息子たちに個人支配されたリビアとその民衆というものの継続を含む未来図をシリアスに思い描いたりしないのなら、それは純然たる、慎重さとリアルポリティークの問題だ─ それと逆の状況を想定させるような政策をとるためにも、原理原則などについて何も言うことはない、ということだ。リビアとは ─人口と地理の面からみれば─ 主に海岸国だ。アメリカには同盟国があろうとなかろうと、空軍力と、隣接海域での軍事力では誰にも引けを取らない。アメリカには人道援助物資と医療援助物資の大規模な航空機輸送と海上での輸送が可能で、それはじきにエジプトとチュニジアの国境沿いで必要になるだろうが、そしてそれは夢に見られたことすらない善意(グッドウィル)を買うことができるだろう。この国は、カイロとチュニスで起きた出来事における、ポイントの定まらない遅滞ぶりによる信用の失墜を埋め合わせるチャンスを得るだろう。この国はまた少なくとも、素晴らしいテーマにおいて偉大なスピーチのできる能力を示した大統領を持っている。しかしその代わりに、革命が決定された日々、重要なその形成期の日々のなかにおいては、我々は無駄なわめき声をあげるカッコー時計に耐え忍ばねばならなかった。
http://www.slate.com/id/2286522/