Thursday, August 16, 2012
彼らは神を信ずる:保守主義者のアメリカ例外主義と、信仰心の問題 In God They Trust: How the conservative belief in American exceptionalism has become a matter of faith. - By C. Hitchens
彼らは神を信ずる:
保守主義者のアメリカ例外主義への信条は、いかに信仰心の問題となったのか
By クリストファー・ヒッチンズ (11/21/2011, Slate.com)
18世紀が終りを迎えた時期、いくつかの植民地(コロニー)からなる小さなグループが、苦難の末に巨大な帝国の足下からの離脱を果たした。その結果として生まれた国家というものは、おそらく、北西のチリとでも呼ばれる以上に大きなものではなかった─それは山々と海の間に挟まれた、単なるリボン状に連なる長い沿岸地域にすぎなかった…もしもそこに、急激に成長しつつある新・共和国(new republic)の影響力というものの余地を認める、植民地帝国同士の競合意識がなかったならば。そしてライバル帝国のうちの一つは、同国が深刻な財政危機に陥ったときに、新共和国に対してその領土を倍以上の規模へと拡大するに十分な領土を、叩き売りの底値で売却した(*)この新たな領土というものはあらゆる面で豊かな土地であり、航行の可能な河川による広大な内陸盆地へのアクセスをも許した。こうした探索というものを通じてこのシステムは、最終的に別の大洋に面した海岸線の土地や、金のような望ましい鉱物の広大な埋蔵資源を有する土地を発見させるにいたった。そして、この地域のいま一つの巨大な土地─ 今日、アラスカとして知られる地域─ は、新共和国の代理人らに対して殆ど気まぐれ同然に売却されたのだ…今日、「石油」として知られるその莫大な埋蔵資源とともに…(*1803年10月20日にルイジアナがフランスから15百万ドルで割譲された際、1エーカーあたりの売却価格は4セントだった。)
そして、そうだ…思うに米国というものの側には何らかの、良き「運(luck)」、あるいはフォース(力、force)、宿命(destiny)とでもいうものが備わっていた、と言えるのかも知れない。そしてそうした運というものが確かに…平凡なリアル・ポリティック(現実主義的政治)よりも以上の何かがそこにある、と感じていた最も世俗的な建国の父たちのなかにもあったのだろう。たとえば、トーマス・ペインは、新たなエデンの園と、フレッシュな再出発の考えに取り付かれて(新大陸へとわたった)─そして、後の日にロナルド・レーガンに引用させた言葉─つまり、ヒューマニティは世界を再び最初から始めなおす力を発見したのだと私は思った…と彼が語った際に引用した言葉とは、トーマス・ペインのものだったのだ。
もちろん、それがどんなエデンの園であっても、そこには蛇と原罪が存在したことだろう。少なくともアメリカの場合、トーマスペインはそれが何を意味するかのを、とても明瞭に理解していた。奴隷制という卑しき汚点(vile stain of slavery )はどこにでも存在していた、ちょうど綿花農場が生み出すとんでもなく高い利益率や、アフリカとの交易によっていとも簡単にもたらされる無給の労働力といったものが、新・共和国の理想をその端緒から堕落へと陥れたように。このような歴史的犯罪への報いは、不正な手段によって獲得された富の大半を、無駄に消尽させるような戦争へと導いた。一方では、その市民戦争は資本主義と、拡大主義的な国家の勝利を招いたのだが、やがて新・共和国というものはフィリピンやキューバ、ハイチ、プエルト・リコといった国々の名以外のもとにのみ残る帝国となった。
そうした道筋において、Albert Beveridgeのような政治家が、「マニフェスト・デスティニーmanifesto destiny」の思想や、アメリカ人が世界を支配するための生得権をもつ、という思想(the natural right of Americans to a dominant role )を唱えたことは、避けがたかった。こうした思想のなかに含まれる自負心や、あるいはそうしたものの喪失といったことが、現今の大統領選のキャンペーンのテーマ(主題)であるべきだ、という人々がいる。候補者が待ち伏せインタビューに遭遇して、アメリカという国はより不運な者たちを導くべく丘の上で「輝く」かがり火のごとき、特別な模範的国家であると信じるか…それとも否定するか…などと質問されるとも予想できる。これよりもやや低位のスケールにおいて世論調査に回答する人々は、最近、彼らがこうした言葉に同意するか、しないかと問われた─「我々という国民は完璧な国民ではない、しかし我々の文化というものは、他の文化よりも優越なのだ」…といった言葉に。この、後半のポイントに関する最近の世論調査の結果では、アメリカ国民の半分をやや下回る人々がこうした、気の抜けた提案への賛同を示していた…(アメリカ人が)完璧だとか、優越だという声明に、最も多くの人々が票を投じるのかどうかは明らかではないのだが…。
特にこれが忠誠の誓い(loyalty oath)のようにも見え始めたという意味では、私はこの根底に横たわる問いが、軽率だとか、愚かだとか…あるいはその両方だとして退けられるに違いないことだろうと思う。アメリカとは果たして、「神によって選ばれ、世界の模範(モデル)とされるべく、歴史によって信任された…」(chosen by God and commissioned by history to be a model to the world)ものなのだろうか?こうした問いに対して答えを持つように見える者は誰でも…たとえば、かつてGeorge W. Bushがそう見えた時があったように…ばか者のようにもみえる。そもそも第一、彼にとっての情報源とは何だったのだろう?そして、彼は歴史家としては、どの程度の人物だったのだろうか?長い目で見るなら、ローマ帝国を生き延びた者たち(サバイバーたち)のなかで、凍りついた、後進的な英国の島々がグローバル・システムを建設する次なる者の一員となるなどと予測したものは、ごく僅かしかいなかった…しかし、彼らはそれを証明した。そしてブリテン人、もしくはイングランド人たち…特にプロテスタントの原理主義的な者たちは、神が彼らの側にあるものと信じて疑わなかった。実際に、私はそれと同じ様な趣旨をもつ何らかの国家的神話をもたないヨーロッパの国々、というものを知らない。問題なのは…誰もが知っていることなのだが、こうした神話の数々がすべて正しいなどということが、同時的には成立しないとことなのだ。
長期的な視野による「宿命(デスティニー)」というものの思想は、アメリカの国力や威光の衰退、というものに対して抱かれる短期的な憂鬱感というものに、簡単には同化することはできない。これは不思議な事実だが、現今の政治的季節に、アメリカの力というものに対する疑念を最も抱いているのはアメリカの右翼なのだ。私は個人的に、これはおかしなことだと思う… それでもアメリカは再び、大いなる歴史的なシフトに対してそれ自身を正しい立場へと、どうやら据えなおしたのだ─つまり、アラブの春(the Arab Spring )に対して…しかし、その第一ラウンドにおいては、アメリカはそれを余りうまく、「読み解いて(解釈して)」はいない。そして未だに、共和党の(大統領選の)指名を求める候補者たちの大半の言動は気難しくて、不平に溢れたものがある。
私はBernard-Henri Levyが、彼が反対したイラク戦争の初期にこのようにいっていたのを思い出す─アメリカは本質的にファシズムと、ナチズムに対して反対を唱えるという点においては正しい、そしてまた、さまざまな形態の共産主義に対して反対することにおいても、本質的に正しい、と。…それ以外の全ての彼の言い方はご大層な解説かあるいは、牛の糞のようなものだった。このようなことは、現今の状況においても当てはまるようにみえる…最近の、ビルマやヴェトナムの情勢に関しても、またそれと同様に、リビアとシリアの状況に関しても…だ。群衆というものは、そこにアメリカのスーパー・パワーがあることを喜んでいる…ただ単に、それがモスクワと北京の勢力との均衡を保つ、という面だけにおいて。おそらく、もしもホワイトハウスに居るのがオバマ大統領でなかったならば、我々の右翼たちはこの点をもっと素早く見出して、そして賞賛するのに違いない。
古代の賢人は我々に、「驕り(hubris)」を怖れよと教え、そして聖書は自負心(pride)というものが生じさせる罪について教えた。私はいつも、アメリカの保守主義者たちが彼らの主張する歴史的な特殊性とするものについて、なぜもっと懐疑的にならないのかとの驚きを感じてきた。しかし、それを宣言することによって彼らは、とても悪い季節のように見えるものからの爆風に対して彼ら自身を再度、元気で奮い立たせようと試みているかのようにみえる。
http://www.slate.com/articles/news_and_politics/fighting_words/2011/11/how_the_conservative_belief_in_american_exceptionalism_has_become_a_matter_of_faith_.html
*ヒッチンズが昨年暮に亡くなる直前の、Slate誌の最後から2本目の コラム
Sunday, July 1, 2012
メキシコ人らによるサウジ大使の暗殺未遂と、イランの企みについてWhy the crazy Iranian plot to pay Mexicans to kill the Saudi ambassador isn’t so implausible.By C.Hitchens
昨年秋にメキシコ人ドラッグマフィア・メンバーによる
サウジ・アラビアの駐米大使暗殺未遂のおきた際に
故Hitchensが書いていたコラム─
なぜメキシコ人たちを使ってサウジ大使を殺害しようとのクレイジーなイランの企みは、
さほどあり得なくはないのか?
─彼らは次に何を考えるのか?
By クリストファー・ヒッチンズ (10/24, 2011 Slate.com)
─彼らは次に何を考えるのか?
By クリストファー・ヒッチンズ (10/24, 2011 Slate.com)
イラン・イスラム共和国の「クッズ・フォース(Qudz Force)」が、サウジ・アラビア大使の暗殺者を金で雇いつつそれを偽証するために、殺人のフリーマーケットに突入した…という、オバマ政権の主張の真実味を疑うことには、妥当な理由があるのかもしれない。しかし、この事件が明らかに、超現実的な風味や芳香を湛えているということは、その理由を形づくることにはなり得ない。我々は以前にも、ここに来たことがある…最近のすばらしい本がそれを思い出させてくれるように…そして我々は、テヘランのならず者たちの部隊に何の告発もなされていないことも知るのだが、それは一見、信じがたいことにも思われる。
この、紛いようのない本の題名とは「ターコイズ宮の暗殺者たちAsassins of the Turquoise Palace 」というもので…その著者は亡命イラン人のロヤ・ハカキアン(Roya Hakakian…私は彼が友人であることを誇りにしたいが)である。その書は、1992年9月17日のベルリンでの殺人事件の落穂を拾って、そのディテールを述べている。その日その都市には、イラン系クルド人亡命者たちのグループが、社会主義インターナショナル 社会主義インターナショナル(それは社会民主主義の政党を結びつける傘組織だ)の会議に出席するべく滞在していた。代表団のチーフであったのはサデグ・シャレフカンディSadegh Sharefkandi…つまり、クルド人のディアスポラに高い敬意を抱いている人物だった。彼が、亡命者らや移住者ら(émigrés)の愛用していたレストラン、ザ・ミコノス(The Myconos)の席に着くやいなや、彼とその同僚たちは、マシンガンによる冷血な銃撃をあびた。そして、その殺害者は素早く姿を消した。
動機や方法…そして、その機会に関する論議が間もなく始まったものの…それらはことごとく、政治的な派閥主義に関するパラノイア(偏執狂)的な内輪揉めの論争の泥沼へと嵌りこんだ。当初、明らかに名指しされていたのは、テヘラン(イラン政府)だったのだが、しかし、イランの政権とドイツの関係は良好であったがために、イランのムラー〔宗教指導者〕がトラブルに関与した、などと考えるのは非合理的だ、と論じられた。そして代わりに、クルド系の支流のグループ─トルコを拠点とするPKKや、あるいはクルディスタンの労働者党などに責任がある、という可能性が論じられた(あなたは、テヘランが今や、サウジ大使の事件に関する同様なおとりの情報についても、論議しているのだと気づくかも知れない…ハメネイ政権に反対するムジャヒディーン・ハルクや、その他のサークルの間を軽やかに出入りする陰の人物などについても言及しながら。
しかしながら、ミコノスにおける事件の、より一層シリアスな法医学的証拠が現れ始めるまでに、時間はかからなかった。アヤトラ・ホメイニの生命が衰えつつあった晩年の日々には、彼の体制への批判者や反対者らを、物理的に排除する為の特別な部門が設けられていた。それらの者たちは標的にされ、チェスボードから排除されるべき者たちだったのだ─彼らが、イランに住んでいようと、海外に住んでいようと。金は武器と同様に有用だった。汚れ仕事を喜んで請負う者たちにより、安全な住み処と偽のアイデンティティが供給されていた。ドイツ当局は徐々に、彼らの領土が…彼らが儲けのいいビジネスの相手としている悪夢の政権の手によって、何十名もの人間たちを移住させるために用いられている、ということに気づき始めた。
ハカキアンの本には、何人ものヒーローが登場するが…その多くは、レジスタンスを生き永らえさせようとの考えのために、全てを危険に晒してきたクルド人や、イラン人の世俗主義者たちである。しかし、なかでもブルーノ・ジョスト(BrunoJost)には、特別な敬意を払わねばならない─彼はドイツ人の判事で、暗殺部隊の策謀を露見させるべく、全てを賭けた人物だった。Costa-Gavrasの ”Z ”という映画を観たことのある者なら、誰でも、完全にこのストーリーの虜になることだろう─それは、ドイツ・イランの間の交易関係や商業関係が、殆ど破廉恥なほどに温まっていた時に、公けになった事件である。イランの前・諜報大臣のAli Fallahianは、この親密な関係が、いかなる不都合な尋問というものも阻止するだろう、と考えた。しかしこの裁判は、どうにか最後には176人の証人を喚問し、喜んで証言しようとする者たちを脅しから守ることにも成功して、非常に精密な訴追を言い渡すことにも成功した。イラン・イスラム共和国はもちろん〔当然ながら〕その国内でも国境の外側でも、国家が後ろ盾となって殺人ビジネスを行っていることが露呈された。ドイツのみならずEU諸国も、彼らの大使をイランから呼び戻した。そして法廷の外には、真の正義が行われたことを、今や一度だけ目にした、喜びにあふれた何千名ものイラン人の民主主義者たちが集まっていた。私がそうであったように、読者たちにとっても、その時には涙を拭えなかったろう。私は、あなた方に是非、この本を手にするようにと求めなければならない。
政府が犯罪的行為のために特別部門を維持している、という現象─は、イランに限ったことではない。ファイナンシャル・タイムズ(への寄稿)では昨今、マンスール・イジャズMansoor Ijaz が、パキスタンの諜報部Inter-Services Intelligenceのなかの「Section S」の存在を暴露した。時に「S-Wing」として知られる…そのオフィスの目的とは(パキスタン・ISIと)、タリバンおよびハカニ・ネットワークとの関係を維持するためのものだ…と、イジャズ(パキスタン系アメリカ人で、かつて一度クリントン政権のためにスーダンと交渉したことのある)は書いていた。5月にオサマ・ビン・ラディンが殺害されたすぐ後に、彼はホワイトハウスでの(オバマとの)会見を求める、パキスタンの大統領Asif Ali Zardariからの接触を受けた。この会合でパキスタンは、それまでSectionSの存在を否定していたにも関わらず…譲歩と引き換えにその閉鎖を申し出ようとしていた!それは、何よりもその方法によって、マイク・マレン総督(Adm. Mike Mullen)(オバマの前参謀チーフ)が─「ISIはアフガンの民衆のあいだの両勢力の側についていた」と断定することも可能にさせたのだ。
そして再び、ここには…純粋に息を呑むほど困惑させられるようなものは不在だといえる。我々はあなたを裏切ってきた…そして今、さらなる賄賂を貰ってでもそれを止めたいと思っている(フローベールFlaubertは、彼自身を売る喜びのために報酬を貰おうとする、酷く腐敗した銀行家を雇っていなかったか?)
私はパキスタンの二重取引とは、ザルダリがこうして白状したことで改善したと思う。我々は白昼堂々と、国境を跨いでパキスタンが米軍とアフガニスタン軍へのダイレクトな爆撃を発したことの第一次証言をも読むことができる。我々はまた、考えられないほど傲慢なアシュファク・ペルベス・カイハニ(Ashfaq Parvez Kayhani将軍)〔パキスタンの軍服を着た総督〕が─Haqqani network は武装させておく必要があると述べたことも、そして…同盟諸国の勢力が秩序ある引継ぎと撤退を行おうととしている間でさえも(Haqqaniたちには)オフィシャルに報酬を支払い続けたい、といっていることも知っている。
最後に、バーナード・ヘンリー・レヴィ(Bernard-Henri Levy)の著した、パキスタンの2005年5月以来の背信行為についての名高きタイムラインに言及して以降、私はそれをもっと容易にみつけられるようにして欲しいとのリクエストを数件受け取った─それはここで.読める。それは気落ちするほどの長い年月にわたって、米国議会を騙すことにとてつもない成功を収めてきた企みと…またアメリカからの援助金や、その戦略というものを操っていたことの記録だ。もう一度言うが、その主なるメソッドとは、パキスタンの政権が敵視して、戦っているとだけ言っていたタリバンとアル・カイダの人物らとの間で、彼らが抜け目のない取引きをしていた、ということだ。
ここにこれらの事例から共通して学べる教訓がある。全体主義の、あるいはテロリストである敵が彼らの痕跡を隠せるほどに賢いものだ、とは考えないほうがよい。もちろん彼がそうすることに関心を持っているとさえ、仮定しないほうがいい。そのことの(…それを、あえて隠さないという)徹底した図々しさとは…当初の段階ではその戦略の一部であることも多いのだ。
://www.slate.com/articles/news_and_politics/fighting_words/2011/10/why_the_crazy_iranian_plot_to_pay_mexicans_to_kill_the_saudi_amb.single.html
Wednesday, June 13, 2012
ザ・フェイスブック・イリュージョン The Facebook Illusion - By ROSS DOUTHAT

ザ・フェイスブック・イリュージョン The Facebook Illusion
By ロス・ドウザット (5/26. NYタイムス)
21世紀のはじめの10年間、アメリカ経済に関しては2つの巨大な錯覚が存在した。その1つ目とは、住宅の価格とはもはやノーマルな経済トレンドとは繋がっておらず、それはどんどん上昇し続けるものだ、との信条だった。2つ目の考えとは、WEB2.0 の時代において我々は、インターネットで果てしなく金を稼げる方法を見出している途上にある、といった考えだった。その最初の考えは、2007年と2008年における住宅価格と株式市場の崩壊と共に崩れ去った。しかし、WEB2.0に対する錯覚の方ははるかに長く生き延び、先週のFacebookの初めての株式公開に伴う災難では、騙されやすい投資家らに、少しばかりその財産を投じさせてしまった。
私はブルームバーグ・ビジネスウィークが新たな株式公開後の5日間の取引の後にそれを「10年に1度の大失敗だ」、と宣言したFacebookの困難な着陸には、気難し屋のそこはかの楽しみを感じてしまったことを告白する。私は、インターネット時代の興奮の集中する主要なハブとしてのMark Zuckerbergのソーシャル・ネットワーキング・サイトには、常に─オンライン・ライフのよりダークな一面に成功を依存する、最も不健全(有害)なものとして強く印象づけられていたのだ─その、絶え間なく続くセルフ・ファッション(自分を装う)行為や、セルフ・プロモーション(自己宣伝行為)、真正な本物にはほんの上っ面だけしか似ていない、ヴァーチャルな形の「コミュニティ」や「フレンドシップ」の探求、プライベートな事柄の範囲を広告料利益の追及のために容赦なく減退させる、といったことに。
しかしFacebookを愛する読者や、それなしの生活が想像できないという人々でさえも、その株式市場での失敗については、インターネットのコマーシャルな限界の兆候としてみるべきなのだ。New Yorker誌上でJohn Cassidy が、同社の株式公開前の最も洞察に満ちた記事のなかで指摘していたように、問題なのはFacebookが金にならない、ということではない。それは─それが、余り金にならないこと─、そしてそれがより多くの利益を得るための明快な方法を、何ら持っていないということなのだ。なぜなら、(オンラインについての色々な懸念と同じ様に)それは、どうやってその何百万…何百万、と増えつつあるユーザーたちを効果的に金銭化して行くかという方法を、いまだに発見していないのだ。その結果とは─確かに同社は、企業としては成功したのだろうが、その財務表(バランスシート)というものは、facebookがオンライン上のどこにでもある偏在性が示唆するものに比べると、余りにも印象の薄いものでしかない。
この「巨大なリーチ性と、限界ある収益性」という問題は、デジタル・エコノミーの全体を特徴づけるものなのだ。George Mason大学の経済学者Tyler Cowenは2001年に書いた彼のe-Book、『大いなる沈滞(The Great Stagnation)』のなかで、 インターネットはそれが登場して「チープな楽しさ」を発生させた際には驚きだったと述べた。しかし「その製品の余りに多くのものが無料であったために」そしてまた、典型的なウェブ企業の仕事のかなり多くの部分が「ソフトウェアやサーバーによって多かれ少なかれオートマチックに遂行されてしまう」ために、オンラインの世界は、それが雇用を増加させ始めた頃とに比較すると却って印象の薄い世界となってしまった。
こうした意味では─デジタル時代に成功した企業としてしばしば話題に上るアップル社やアマゾンなどが、どちらもノン・ヴァーチャルな商品の製造とその配送にしっかりと根付いたビジネス・モデルを持っていることは示唆に富んでいる。アップル社の競争力のコアとは、より良い、より美しい電気製品を製造することだ; またアマゾンのそれは、電気製品からDVD、おむつに至るまでの商品の何もかもをより素早く、より安くあなたのドア口まで配達することだ。
これとは対照的に、企業の製品というものがより純粋にデジタルになればなるほど、そこに生じる雇用は減少し、1ユーザーごとに発生する利益は減少する傾向にある─それは、ジャーナリストたちにとっては過去10年間に余りにもおなじみだったリアリティで、facebookへの投資家たちも先週ぶつかってしまった問題だ。このルールには例外もあるが、それらの数はあまり多くはない─長らくインターネットで最大の金になる分野の1つだったポルノグラフィでさえ、アマチュアのサイトやビデオの蔓延によって、「プロフェッショナルたち」がわいせつ物のモノポリーを失っていくなかで不断に利益率を下げつつある。
ドイツの哲学者のジョセフ・パイパーJosef Pieperは、1952年に「レジャー─文化の基礎(Leisure: The Basis of Culture)」 というタイトルの本を書いた。パイパーは、オンライン上に繁栄している文化には疑いなく失望しただろうが、レジャーとは明らかにインターネットの基礎でもある。ロウ・ブロウな文化からハイ・ブロウな文化まで、LOL cats からWikipediaに至るまで、インターネットにある広大なコンテンツというものは報酬を全く期待しない人々によって作られている。「ニュー・エコノミー」とはこうした意味で、常にそれがコマーシャル(商業的)なエコノミーであるわけでは決してない。その代わりに、それはslate.comのマシュー・イグレシアスMatthew Yglesiasが指摘したように、一種の「趣味に熱中する人の楽園(hobbyist’s paradise)」のようなもの、つまりそれが徐々に取って代わると思っていたオールド・エコノミーからの余剰利益(surplus)からの補助金によって成り立っているようなものだ。
労働省の統計による最新の失業率をひと目見れば、そこにはこの件のリアリティが現れている。ここ20年近く続いていたドット・コム産業への熱狂にもかかわらず、情報産業部門(information sector)の経済規模というものは、他の産業分野に比べてかなり小さい。それは現在わが国で最高の失業率を示す分野でもあり、そしてそれは昨年1年間に失業率が実際に増加した数少ない産業分野の一つでもある。
このことは、インターネットの革命性を減じたりすることは何一つない。しかし、インターネットとは、経済的革命というよりも文化的な革命をもたらしたのだ。TwitterはFord Motor Companyではない; GoogleはGeneral Electricではない。そして彼が、我々の目玉を二束三文で広告主たちに売り渡したりすることのない限り、我々全てがMark Zuckerberg のために働く、などということは起こらないだろう。
Monday, June 11, 2012
信じがたいほど縮んでいる国- Incredible Shrinking Country - By Ross Douthat
Douthatの軽いコラムでは
日本のことをめちゃめちゃにけなしている
信じがたいほど縮んでいる国
Incredible Shrinking Country- By ロス・ドウザッド (4/28, NYタイムス)
P.D.ジェームズが1992年の小説、「ザ・チルドレン・オブ・メン (The Children of Men)」で描いていた世界とは、世界中の男性が不妊症になり、人口の老齢化した英国が徐々に人類が絶滅していくことを受け入れていく、という未来だった。女性たちは、赤ん坊の代わりに人形を乗せた乳母車を押している。家族は、子猫たちに洗礼を施す。衰えつつある男性の性的欲望を刺激するために、政府は「国営ナショナル・ポルノ・ショップ」を運営する。自殺は蔓延している。移民たちはゲストワーカーとして歓迎されるが、一たび働けないほど齢を取りはじめた途端に、国から追放される。地球上に最後に生まれた子供たち─「オメガたち」と呼ばれる─ は成長すると、退屈した、傲慢な、反社会的で、破壊的な人間となっていく。

しかし、ある先進国が小説「Children of Men」を、特に予言的なものに見せる。日本では今や出生率は非常に低く、平均寿命の高さは偉大なもので、国の人口統計のプロフィールはもうすぐパーム・スプリングスの、アメリカ人のリタイヤ層コミュニティーのそれと同じになる。「徐々に…しかし、容赦なく…日本は、SFの世界でのみ想像されていたような輪郭と機能を持つタイプの社会に進化しつつある」と、人口統計学者のNick Eberstadtは「The Wilson Quarterly」の最新号に書いている。
Eberstadt は何年にもわたり、地球上のあらゆる場所で減退する生殖率が引きおこす挑戦について書いてきた。しかし、日本はユニークなケースだと彼は言う。「日本人の出生率は女性1人当たり、ちょうど1.3人あたりをさまよい、安定的な人口を維持できるレベルよりもはるかに低い。平均寿命の上昇のおかげで、2040年までには100歳以上の人が、赤ん坊が一人生まれるごとにその場で彼らを歓迎できるような状況にも近づく」。その同じ時期までには、日本の総人口は20%減少すると考えられるが、そこにはすでに停滞した経済と、すでに張りつめたセイフティーネット、という陰鬱な成り行きが伴うのだ。
日本は、かくも急速にデモグラフィックな崩壊に面しているのだ、とEberstadtのエッセイは指摘する、なぜならその文化は、特に破滅的なやり方でリベラリズムと伝統主義を結合してきた。一方では、お見合い結婚と家族の責務を重視させるような古めかしい性的文化は、かなり崩壊している。日本は世界の最も宗教的ではない国のひとつであり、結婚率は低落し、離婚率は北ヨーロッパ諸国よりも高い。
日本は、かくも急速にデモグラフィックな崩壊に面しているのだ、とEberstadtのエッセイは指摘する、なぜならその文化は、特に破滅的なやり方でリベラリズムと伝統主義を結合してきた。一方では、お見合い結婚と家族の責務を重視させるような古めかしい性的文化は、かなり崩壊している。日本は世界の最も宗教的ではない国のひとつであり、結婚率は低落し、離婚率は北ヨーロッパ諸国よりも高い。
それでも、婚外子である子供を育てることに対する伝統的な不名誉(スティグマ)が継続し…それは結婚していない日本人が結婚せずに子供を育てるよりも、「自発的に子供を持たないこと」を選ぶということを意味する(婚外子を育てることは、アメリカではノーム[社会的規範]となっているが)。そして日本人の移民に対する伝統的な疑念もまた、21世紀において持続している(それは、人口のバイタリティが低下する原因のひとつかもしれない)。Eberstadtは、「2009年において日本に帰化した移民の数は、スイス(その人口は日本の人口のわずか6%で、その冷淡なよそよそしさでも有名な国だ…)における、新たな市民の数のようやく3分の1ほどだった。
こうしたトレンドが、Jamesのディストピア小説における不妊の英国、というものを想起させる社会を形成している。日本は先進国社会のなかで最も自殺率の高い国のひとつで、過去10年の間には、インターネットに導かれた集団自殺も発生した。出席者の乏しい結婚式には「レンタルの親戚」が存在し、孤独な老人層のために「ベビーロイド」と呼ばれる…赤ちゃんを模したふわふわした人形が開発され、日本人リサーチャーたちは人間の赤ん坊に似せたロボットを製造する努力の最前線にいる。若い世代には、「パラサイト・シングル」と呼ばれる、いまだに(間断的に)両親と住む何百万人もの単身者たちがおり、そしておそらくは、何千万人もの「ひきこもり」がいる─Eberstadtは書く、「ヤングアダルトたちは、両親の家でビデオゲームやインターネットやマンガなどだけで、友達のいない世界に引きこもっている」。
もしもこのような未来図のなかに、なにか本当に楽観的になれる理由があるなら、それは日本人にとってではなくアメリカ人にとってであろう。20年前に悲観論者たちが、アメリカは間もなくグローバルなリーダーシップを日本に明け渡すだろうと予言したとき、彼らもまた今日の悲観論者たち(…このコラムも含めて)がよく引用するのと同様な国内のトレンドを引用していたのだ。我々の持続不可能なほどの負債額と、ほころびかけた社会のfabric(社会を織りなす繊維)、そして退廃的な文化と、競争性を欠いた経済…といったものを。
こうした問題はいまだに存続し、そのいくつかはこれまでになく悪化している。しかし、それらは我々を、今日本人が直面しているような事柄には未だに直面させなかった。我々の家族関係は弱体化しているが、婚外子の高い出生率があることは子供が生まれないことよりも余程ましだろう。我々は移民たちを、望ましいやり方よりは遅々として同化させるが、少なくとも我々は同化(assimilation)というものを容認する。アメリカの宗教は浅薄でナルシスティックで分裂的かもしれないが、われわれの宗教的制度はいまだに団結と、向上心をも持っている。我々の経済は弱弱しく、負債額は巨額だが、しかし少なくとも我々は次の世代に向かって、今日の30歳以下の日本人がいつか背負わねばならぬような重荷を背負ってほしいと頼んではいない。
近代的な世界はひとつだが、すべての文明はそれぞれ異なるルートをたどっている。我々の持つすべての問題を考えても、我々が、日本と同じ様な日没には向かってはいないことを、21世紀のアメリカ人は感謝しなくてはならない。
近代的な世界はひとつだが、すべての文明はそれぞれ異なるルートをたどっている。我々の持つすべての問題を考えても、我々が、日本と同じ様な日没には向かってはいないことを、21世紀のアメリカ人は感謝しなくてはならない。
*I think douthat's analysis is partly true, but partly an exaggeration..
Friday, June 8, 2012
エジプトの大統領選は、法と秩序 v.s. フーリガンの争い?Law & Order v.s. Hooliganism in Egypt?
ムバラク政権の前首相シャフィーク氏がエジプト大統領選で
上位の得票を得た理由は「法と秩序」?
エジプトの2010年代は、アメリカの1960年代の再演なのか(5/26, By Juan Cole)(抜粋)
エジプト大統領選の決選投票は今や自由公正党・ムスリム同胞団のMuhammad Morsiと、先の政権の航空相で、独裁者ムバラクの最後の首相でもあったAhmed Shafikの間に争われることが明白となった。この結末は二極化しているといえるが、エジプトの民主制への移行の試みが岩だらけの道だ、と約束しているようでもある。Shafikは金曜日の開票結果では3位だったが、同日のその後カイロとその他の地方票が開票され、さらに上位の得票数を得た…
この結果とは、エジプトの選挙民の間に強い「Law and order 法と秩序」への願望があることの表れだ。先日、私が論じた世論調査の回答者たちは、治安の問題を経済の問題よりもはるかに優先事項に挙げていた… Shafiqとは、まさに「法と秩序」的な候補者なのだ…そして、同胞団のMuhammad Mursiは彼よりもずっと、イスラム法の施行を約束する人間である。そのことをエジプト人たちはHooliganism…フーリガン主義で国を支配しようということだ、と解釈しているのだ…
2011年の革命の崩壊と、それに引き続いて警察が露呈した低いモラル、銃火器を使う機会の増加、そして、ムバラク政権が最後の日々に何千人もの犯罪者たちを刑務所から釈放したこと…これらはエジプトで犯罪が緩やかに増加している事に貢献している。エジプトは未だに、多くの西欧諸国の首都よりは安全なのだが、人々は長年、警察国家の下に住んでいたのだ…そこでは犯罪は少なく、公的な秩序が紊乱されることも少なかった、それなのに今、犯罪の波がおきているように見える。Detroit地域に住んでいたことのある私には、彼らのいう「犯罪の波」は笑いごとのようだが、しかし彼らにとってそれは問題なのだ。
皮肉にもエジプトにおける…社会的な混乱の後の「法と秩序型」の候補者への嗜好とは、1960年代にアメリカに起きたことの鏡像のようだ。カウンター・カルチャーの反戦運動の群衆と、公民権運動が南部の民主党員に与えたダメージが、Lyndon Johnson大統領の退陣の決意にも寄与した(ちょうどMubarakと同様に─)しかしこの主に若者による蜂起の後には、Richard Nixon と Ronald Reaganの勝利が引き続いて、そしてそれ以降の、国内政治における宗教右派の台頭をもたらしたのだ。David Horowitzのようなアメリカのラディカルな左翼が徐々に共和党の右翼や福音主義の宗教保守派と連携して行ったように、2011年の革命を支持した小説家のAlaa al-Aswanyのような人物も、この決選投票のために現れてムスリム同胞団への支持を表明している。多くの革命左派たちは疎外されているが、そのなかにはムバラクのクローンのような後継者でなければ誰でもいい、と投票する人々が居るかもしれない。
選挙の票の約5分の1は労働者寄りの左翼候補のHamdeen Sabahiに投じられた。彼の選挙田の一部はリベラルなムスリム候補者のAbdel Moneim Abou’l-Futouhにも投票し、アメリカ流の二大政党制による予備選では不可能なことだが、Sabahiは決選に臨む2人のフロントランナーの一人となった可能性もある。しかしエジプトのシステムはよりフランスのものに近く、複数の候補者が政治的なスペクトラムをめぐって争うのだ。エジプトでは、フランスの大統領選で起こったこととは丁度逆のことが起きた。フランスでは、最初に極右勢力が右翼のNicholas Sarkozyから票を奪い、そのため彼の決選投票における支持の大幅な低下を招いた。エジプトでは、中道派のAbou’l-Futouhがおそらく左派のSabahiの票を奪って、世俗派右翼の候補者と宗教保守派候補者を決選投票へと送り出すに至った…
(後略)
http://www.juancole.com/2012/05/is-the-egyptian-2010s-a-replay-of-the-american-1960s.html
*このコラムでふれている、エジプトのフーリガン主義とは?
これはこの2月にエジプト警察との大きな衝突事件のあったフーリガン(ウルトラ)について検証している記事─
エジプトの怒れるサッカーファンたちが深く政治に入り込む ‐ By ハムザ・ヘンダウィ (2/10, AP)
エジプトを支配する軍司令官たちは、新たな敵を獲得した─最近、軍部に政権からのステップダウンを要求する民衆運動に熱気を注ぎ、カイロの街で何日もの間警察と戦った怒れるサッカー・ファンたちの部隊だ。 Ultraとして知られ、長らくフーリガンだとみなされてきた彼らが、ますます政治的になってきている─昨年の革命の蜂起に始まり、先週のサッカーの試合において彼らは死者のでる暴動という一線を越えた。
それは軍部による権力の移行への道のりの険しさが、いかにますます多くのエジプト人たちをアクティビズム(政治運動)へと駆り立てているかのサインだ…多くの人々が1年前にムバラクを引き継いだ軍人たちと、経済や治安の不安にフラストレーションを覚えている時期に。
Ultraのメンバーたちは、長年の独裁者ムバラクの政権を転覆させた18日間の民衆蜂起にも、また最近の警察との街頭での衝突にも大きな役割を果たしたことで信頼を得ている。彼らは最悪の衝突の起きた2011年2月2日、ムバラク支持者たちがラクダや馬の背に乗って現れ反対派を挑発した折にも民衆の蜂起の震源地タハリール広場の主な擁護者だった。
先週のサッカー暴動で74人が死亡した際には…その多くはカイロを拠点とするサッカーチームAl-Ahly clubを応援するUltraのメンバーだったのだが…この運動の一団の間にも大きな怒りを喚起し、そして多くの人々はUltraが今後街頭の反対運動により多くの人数をもって現れるだろうと感じた─軍部の支配に対して反対するにせよ、あるいはより革新的な政策の要求をするにせよ。
「彼らの反対デモへの参加は目だって増えることだろう」と、Ultraに関してアラビア語の本を書いたMohammed Gamal Bashirはいう。 「当局は彼らを敵視しているが、それは大きな間違いだ。彼らは情熱的だが、何も期待してはいない。彼らに政治的にレッテルを貼るべきでない。端的にいえば、彼らは抗争には参加しているが、彼ら自身が何らかの地位を得ようなどとは思っていない」
ムバラク失墜の4年前にUltraはほとんど毎週のようにエジプトのスタジアムで治安勢力と衝突し、しばしばむやみに逮捕、拘留され脅迫を受けていた。彼らの組織は何千人もの…失望した、失業中の、教育のない若者たちで膨れ上がって、彼らは彼らに未来の希望をもたらさない警察と政権を軽蔑していた…
死者を出した暴動以来Ultraは、独立系メディアや人権運動家たちからもムバラク追放の背後の革命家たちと理想を分けあう、真に勇敢な愛国者たちとして英雄視された。 「我々は正しいものを擁護する、我々は威張らない。我々は我々の行動によって名誉を得ようと思わない」とUltraのリーダーの一人はいう…彼は彼のファーストネームのSalahという名だけを出して欲しいという。
しかし彼らへの溢れる賞賛は、その運動の源が元々ライバルチームのサポーターたちや治安部隊ともすすんで衝突する獰猛なサッカーファンたちだったことを隠蔽する。2月1日のエジプトの歴史上最悪のサッカーに関わる暴動はエジプトで最も人気のあるサッカー・チームAl-Ahlyのホームの地中海岸の町ポート・サイードで発生した。その際はAl-Masryが3対1で勝利していた。
余りにも多くのAl-Ahlyのサポーターの死…死者は主に10代から20代の若い男性たちだが…そのことは先週ずっとエジプトの政治的アジェンダを支配し、新聞の一面ヘッドラインを飾り、数知れない陰謀説が渦巻いた。 人々の中には、治安勢力がAl-Ahly Ultraに彼らが昨年タハリール広場での反対運動と、それに続く反政府デモで目だった存在感があったが故に懲罰を加えようとしたという者もいる。
多くの運動家やコメンテーターらは、長い間の敵対関係とファンの暴力の歴史をもつ2つのサイドを対戦させるこの試合には試合前から多くのトラブルの兆候があったにもかかわらず、警察の怠慢や軍部の無策ゆえにこの事件が生じたのだと非難する。それは、何日もにわたり警察とカイロや国内各地の抵抗運動者たちの間で衝突の火花を散らせた。そして主にカイロで合計15名の死者が出た。
Ultraの憤激を煽ったのは、軍部のリーダーHussein Tantawiがこの悲劇についてメディアに語ったコメントで、「このような事件は世界のどこにでも起こる」といって軽視したことだ。多くの国民がさらに怒ったのは、彼が、人々がこのような事件を制止できなかったことについて苛立っている、と語った時だった─そのコメントは、エジプト人が法秩序を自分たちの手で守れといっていると解釈された。
Ultraは、エジプトの国民の中でも最も新しく、支配者の軍司令官たちに反対する最大の人口のセグメントだ。昨年10月には、ナイル河岸の国営テレビ本部の外で抵抗運動を行った27名の主にキリスト教徒たちが軍によって殺害された。ソーシャル・ネットワークに投稿されたビデオ・クリップでは、軍の車両が人々を轢いていた。12月にはカメラにとらえられた軍の部隊が抵抗運動の群集のなかの女性を殴り蹴りする映像が報道され、女性の内の一人は半裸にされていた。これらの2つの事件は大騒動を招き、軍人たちはムバラクと何ら変わらないとの批判を呼んだ。そうした怒りはムバラクの追放以降に、拘束した市民を拷問したり、軍事裁判にかけようと最低でも1万2千人の反対派等の市民を連行した軍司令官たちに対しても高まった…
http://newsinfo.inquirer.net/143309/egypts-angry-soccer-fans-are-deep-into-politics
Thursday, June 7, 2012
エジプト大統領選はシャフィーク氏とムルシー氏の決選投票へ Egyptian Election, final run-off
─何千人もの人々がカイロの広場で、4晩続けてAhmed Shafikの大統領選からの排除を要求 (6/6, Al-Jazeera)
何千人もの反対者がカイロのタハリール広場に集結、失権したムバラクの前政権の代表と目される大統領候補Ahmad Shafikへの反対を叫んだ…彼らは軍人でムバラクの最後の首相のShafikが、6月16日に投票開始が予定される決選投票から身を引くよう求めている。多くの人々は、もうひとりの候補、ムスリム同胞団のMuhammadMorsiにも怒りをぶつけている。
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Monday, May 28, 2012
エジプト当局、3大有力候補を大統領選から排除 - 3 Leading Candidates Barred in Egypt Race
大統領選から、合計10人もの候補が排除された理由は?
エジプトの選挙管理当局が、3大有力候補を大統領選から排除
Authorities Bar 3 Leading Candidates in Egypt Race By David Karkpatrick(4/14, NYタイムス)
エジプトの選管当局が土曜の夜に、予想だにせぬ決定で3人の有力候補たちを大きな一撃で吹き払い…Mubarak追放後のエジプトの未来を形作るコンテストは再び混乱に陥った。 最高選挙委員会は合計10人の立候補を却下したが、その中には二極化したこの国でにおいて最も熱烈な支持を集める3人━ムスリム同胞団の主導的戦略家Khairat el Shater、超保守派イスラム原理主義者のSalah Abu Ismail、そしてムバラク政権の前・副大統領で元諜報部チーフOmar Suleiman━も含まれた。
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立候補を却下されたel Shater, Omar Sleiman, Salah Abu Ismail |
…同時に、ムバラクが選任した5人の上級判事たちからなるこの委員会は、ムバラク政府と最も繋がりの深い候補者を却下し、また扉の外の怒れるイスラム原理主義者の群れをも無視して独立性を証明したようにも見える。Abu Ismail氏の立候補却下は予想されたことだった━彼のパスポートと有権者登録証が彼の母親が米国市民であることを証明したが、これは現在のエジプトの法律により大統領への立候補を無効にした。また、Shater氏の立候補却下は彼の過去の犯罪歴によるものだ━その罪状とはムバラク政府による反、政府的なイスラム原理主義のリーダーに対するでっちあげだった、と広くみなされるにもかかわらず。
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Mubarakの息子、Gamal (左)と Alaa がカイロでの法廷審問へ |
エジプト人たちは決定の範囲の広さに驚いた。汎アラブ的ネットワークのAlJazeeraのアンカーマンは微笑むことすら不可能な様子で、カイロの特派員からのレポートに信じられないという素振りで頭を振った。 「私の頭はグルグル回っている」、とニューヨークのセンチュリー財団のエジプト人リサーチャー、Michal W.Hannaは言った。「これは一掃されたということだ。何が起こっているのかますますわからないし、誰が支配しているのかもわからない」
この件の選挙委員会への異議申し立てには2日間しかなく、またこれより上級の申し立て機関もない。土曜の夜までにすでにこの決定の裏に秘められているやもしれぬアジェンダについての陰謀論も囁かれ始めている。 この選挙戦はイスラム原理主義者とムバラク政権の元官僚たちの争いに絞られてきている。この決定が立ち行くならばそれはこの2つの勢力の候補者たちに、もっとも効果的に二極化する。
Abu Ismail氏はもっとも強硬派のイスラム原理主義者だが、ムスリム同胞団の穏健派としてはShater氏が最も有力な人物だった。一方で、Suleiman氏は最もムバラク氏に近く、最も前政権の秩序に近いものの再建を試みる候補者だとみられていた。
こうした候補者らが消えると、争いの勢力ラインは同じではあってもその激しさは和らぐようでもある。残るイスラム原理主義者候補はムスリム同胞団の政党のリーダーで同組織の支持する候補者である Mohamed el-Mursiと、同胞団の元リーダーでよりリベラルな候補者であるAbdel Moneim Aboul Fotouhである(Futouh氏は昨年、同胞団の執行委員会の政治決定に反対して追放された)。
土曜の夜までにAbuIsmail氏の支持者たち街頭で抗議運動をするかもしれないと述べた。彼の支持者たちは、彼の母親の米国市民権の件が否認されたことに一層の怒りを表明し、米国の書類がエジプトの裁判所の決定には影響すべきでないと主張した…。
エジプト国営のAl Ahram政治戦略研究センターのリサーチャーDiaa Rashwanは、選挙委員会がイスラム原理主義者と彼らの宿敵のSuleiman氏の両方を撃ったこの決定は公平なものにみえると述べた。「これは彼らが、どちらか一方のサイドと結託していることはない、ということを示している」とRashwan氏はいう。「これは多くのエジプト人の目から見て、妥協のように見える。」 彼は、唯一の問題はAbu Ismail氏の支持者、すなわちSalafistとして知られる超保守派から反対運動が起きそうなことだという。「Salafistたちはとても憤激している、そして彼らは彼らに対する陰謀があるように感じて、我々は彼らから暴力的なリアクションがあるかもしれないと思う」と彼は言う。
ムスリム同胞団の弁護士らは土曜日夜に、選挙委員会を説得して決定を取り下げて貰うよう試みると述べた。同胞団幹部らは、Shater氏の立候補却下について、それは彼の犯罪歴といった法的な理由ではなく、もっと政治的な理由でなされたのだろうと言う。
…Suleiman氏が立候補に必要な3万名の署名を、国中から48時間以内の期限ぎりぎりに集めたことは政界を驚かせた。多くの論者は、こうしたことは諜報機関や軍による表面下の助力なくしては不可能だったに違いないという…
選挙委員会はさらに7人のより有力でない候補者の立候補を却下したが、そのなかには他の元諜報機関の役人と元野党の候補Ayman Nourがいる。Shater氏と同様に、Nour氏は政治的な告発を受けている。その他の人々は、必要な3万名の署名を集められずに却下された。
http://www.nytimes.com/2012/04/15/world/middleeast/ten-candidates-barred-from-egyptian-election.html?_r=1&pagewanted=all
http://www.nytimes.com/2012/04/15/world/middleeast/ten-candidates-barred-from-egyptian-election.html?_r=1&pagewanted=all
Interactive: Egypt election countdown13人の大統領選立候補者(~アル・ジャジーラ)http://www.aljazeera.com/indepth/interactive/2012/05/201251785750522366.html
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