Thursday, December 30, 2010

「グラウンド・ゼロ・モスク」はいま?- "GZ Mosque" Updates..


GZモスク問題は未だに紛糾…モスクを移転する、しない、でムスリムのグループの間でも意見が異なる?

グラウンド・ゼロ・モスクの支持者たちは、
─”モスクの計画地をSt. Vincent'sに移す、という提案の件で、彼らにコンタクトをとった者は誰もいない”、と語る… (New York Dailynews, 12/19)

 GZモスクの支持者たちは、サウジのアブドラ国王が、論議を読んでいるモスクの計画地をグリニッジ・ヴィレッジの閉鎖されたSt.Vincent's 病院に移そうとしている、と報じた日曜日の報道を否定した。

 モスク計画のアドバイザーを務めるDaisy Khanによれば、”そのことに関して、私や夫にコンタクトをとってきた人は誰もいない”という。彼女とその夫のImam Feisal Abdul RaufはParkPlaceのグラウンド・ゼロの2ブロック北側の、1億ドルをかけた祈祷所とコミュニティ・センターの建設に関与している。

 "私は、多宗教のためのコミュニティセンターのローワー・マンハッタンでの創設というアイディアにコミットし続ける”、とImamは述べた。

 同モスクの予定地は、計画されているParkPlaceのサイトから動いたりはしないと、モスクのデベロッパー、Sharif el-Gamalはいった。そしてSt. Vincent's病院の売却に関わる市の上級ヘルスケア担当者は、彼の周囲にも、倒産した病院の大半の施設を再オープンしモスクを建てるという、報道されていたサウジ王族の提案について、聞いたものはいないという。"それは嘘だ”と彼はいった。

 病院の施設買取りの交渉に当たっているデベロッパー・Rudinのマネージャーは、そこにアパートメントと健康施設を建てるつもりだという。

 "RudinのファミリーはSt. Vincent'sと交渉中で、グリニッジ・ビレッジの人々にヘルスケアを強化することを通じ債権者たちとコミュニティーの利益となる解決策としての再開発を模索している”、とRudin社の幹部John Gilbertはいった。

*写真はモスク予定地の左数件隣、G.ゼロ北東端斜向かいのアーミッシュマーケット
http://www.nydailynews.com/ny_local/2010/12/19/2010-12-19_ground_zero_mosque_backers_say_no_ones_contacted_them_about_moving_mosque_to_st_.html#ixzz19h0Uoixp

ムスリムのグループが、タイムズ・スクエア広告を公開 (NY Metro, 12/16)

 グラウンド・ゼロモスクの移転を支持する"Muslims for Peace"というグループが、イスラム教の寛容性に関するメッセージを発する、タイムズ・スクエアのビルボード(広告看板)を今日公開する。42丁目と7thアベニューの交差点に設置された520平方フィートのビデオ広告では、“Muslims for love, loyalty and peace; 1-800-WHY-ISLAM”という文字と、ハートのマーク、米国旗、鳩のイメージが表示される。そのビデオは1月17日まで、毎時間流される。

 "イスラムのメッセージは過激主義者たちによってハイジャックされてしまった”と、 "穏健派"イスラムを自称するグループ、Ahmadiyya Muslim Community USAのスポークスマンWaseem Sayedは述べる。"暴力を濫用する人々が、世界中のパブリシティを握ってしまった、それはイスラムのメッセージが平和的なものだと信じる我々の間の人間にとって、より困難なことだ”、と彼はいう。

 Sayedは彼のグループが、大きな論争を呼ぶグラウンド・ゼロ近くのモスクとイスラム・センターの場所を移転することを支持する、と述べた。
*写真は彼らが春に行ったバス広告
http://www.metro.us/newyork/local/article/722359--peace-lovers-unveil-times-square-ad


米国のグループが、イスラムの平和的イメージをプロモーション展開 (VOAニュース、12/21)
http://bcove.me/s7nyy5dw (ビデオ)

 (タイムズ・スクエアでの、15秒間のビデオ広告に加えて、アクティティビストたちは同スクエアと米国全土で、リーフレットを通行人に配る。そこでは、Muslim for Peaceは1世紀以上前に設立された平和的なムスリム組織Ahmadiyya Muslim Communityの一部だと説明している。その創立者であるインドのMirza Ghulam Ahmadは、信奉者たちに、剣ではなくペンで語るようにと求めた。同組織は15000以上のモスクと、何千万人もの信奉者を有している─)
http://www.voanews.com/english/news/usa/Group-Launches-Campaign-to-Promote-Peaceful-Image-of-Islam-112281309.html


ムスリム・グループたちがNYシティのモスクを支持、敵対的意識を非難
(AP + USAトゥデイ、9/2)


 グラウンド・ゼロ近くのモスク計画に反対することは、“非倫理的で、挑発的で非人間的なことだ─”と、50以上の主要なムスリム組織が、米国の宗教的な非寛容の兆候について集中討議を行うに際して、声明を発した。

 そんな今、プロジェクトの背後にいるイマームは、米国の納税者たちの資金で行った中東ツアーからの帰国を準備している。彼は、その旅先での討論は“単なる一つの敷地の問題”より以上のものだったと語る。

 ニューヨーク都市部の、多彩なイスラム教徒組織の評議会Majlis Ash-Shuraのリーダーらは、市庁舎に集まり、宗教的な非寛容を廃止し、グラウンド・ゼロから2ブロック北でのセンターの建設の権利を確保することを求める声明を発した…(中略)
…一方、Quinnipiac Universityの火曜日の世論調査では、71%のニューヨーク市民がモスクの移転を求めている事が明らかになった…(中略)

 …イマームRaufは米国国務省がスポンサードしたinterfaith tour(宗教間の交流を求めるツアー)で数週間、中東を訪れていたが、現在はUAEにいると国務省スポークスマンのP.J.Crowleyはいう。彼はワシントンでの記者会見で、Raufは木曜日に帰国の予定と語った。

 Imam Raufは火曜日にドバイで、大学教授や政策研究者たちを含むグループに対し、モスクに関する論議が今や、”単なる一つの建設用敷地の問題を超え、米国でのイスラム教のあり方や意味についての論議へと拡大している”と語った。

 Raufは、最近結成されたモスクのプロジェクトの資金集めのための非営利組織のディレクターに(モスク用地の不動産を所有するディベロッパーたちのコア・メンバーたちと共に)就任した。デベロッパーたちは市に対し、同不動産に関する22万5千ドル以上の減税と税金還付を求めている。

 グラウンド・ゼロのイスラム・センターの当初プランではスイミングプールと、一般公開の911のメモリアル(施設)、そして祈祷所スペースが計画されている。
http://www.usatoday.com/news/religion/2010-09-03-mosque02_ST_N.htm

NY市職員が、グラウンド・ゼロ・モスク計画に関する手紙の草案を代作していた!
(New York Post, 12/24)


 ブルームバーグ市長の側近たちと、グラウンド・ゼロ近くに計画中のモスクのデベロッパーたちとの間で交わされた数十通のEメールは、すっかり打ち解けた雰囲気にあるとはいわないまでも、誠心誠意の間柄を示しており、その計画を市のトップレベルの役人たちが援助しようとしている度合いを暴露している…。彼らは、コミュニティ・ボード(地元の評議会)からの支持を求める手紙の草案までも書いており、その送り先としての、彼らのFax番号まで明らかにしている。

 あるやりとりの中では─地元評議会が計画を支持する評決を行う準備をしていた時期に─(市の)コミュニティ・アフェアーのコミッショナーのNazli Parviziが、Daisy Khan(Park51又は、コルドバハウス・プロジェクトとして知られる同計画のキースポンサー)から、コミュニティの第1評議会議長のJulie Meninに宛てた手紙の草案を書いている。

 Parviziの書いた手紙の草案では、Meninに対し、その頃までには全米のフラッシュポイントともなっていたそのモスクとカルチャー・センターの計画に対して、寛い心を抱いてくれていることに感謝の意を述べている。

 Parviziはその草案をDaisy Khanと彼女の夫のImam Feisal Abdul Raufにメールで送り─その文の最後は、“Best, Daisy,"(デイジーへ、最善をつくしました、)との挨拶で結んでいるが─それは彼女が、Khanの手紙を市の機関に差し出すための準備をしていたことを示している。

 彼女はそこにファックス番号とCB1(第1評議会)の住所も記している─彼らは最終的に5月に計画支持の評決を下し、そして更なる計画への援助も申し出ている。

 その手紙─Meninがいうには彼女は一度も受け取っていない─は彼女に対して、“我々の、マンハッタンのコルドバ・ハウスのヴィジョンを共有していただける人々(audience)を提供してくれたこと”への、個人的な感謝を述べている。

 昨日市長のオフィスが公表した5月14日付のEメールによれば─ “私たちは、この計画とは何なのか、それは誰のためのものなのか、に関するメディアの歪曲に信じられないほど驚かされた”、…とParviziは書き続けている。

 このことに、計画の反対者たちは激怒した。

 “市長はしつこく勧誘をしており…皮肉なことに、政府がこの地域の事柄に関与していないために…市長の側近たちがモスクとイスラム・センターのPRキャンペーンに対し、ここに助力をしているというわけだ”、と…Debra Burlingame(彼女の兄は911でハイジャックされた旅客機の内の一機の機長だった)はいう。

 彼女は、"私はこれはとても不適切なことだと思う”、と語った。
http://www.nypost.com/p/news/local/manhattan/city_hall_ghostwrote_gz_mosque_letter_9TOPirWwwDLyQ4bKSvQThP#ixzz19fyHCKaL
*ムスリムの中には、タイムズ・スクエアの看板広告で" GZモスクの移転"を主張するグループまで出現…一方、ブルームバーグ市長が多民族都市政策に熱心なNY市は、密かにモスク計画を支持しているのだろうか?
これに対し、ブルームバーグ市長が12月24日、ラジオ番組で見解を述べた

Mike、市のモスクへの援助を擁護(12/25, NYpost)

 昨日のラジオ番組で、ブルームバーグは… コルドバ・ハウスまたはPark51…と呼ばれる論議を呼ばれるプロジェクトについての市の立場が、”最初から操作されていた”という指摘を拒否した。“彼らは我々に助けをを求めた。ローマ法王がこの街に来たときも、カトリックのNew York教皇区(Archdiocese)も助けを求めた。そして我々は同じ事をした”。と市長はラジオ番組のホストに語った。

 ..ブルームバーグはさらに、Bryant Parkに正統派ユダヤ教徒のグループがsukkah を建てたいと申し出たときも、市は援助をし、そしてそうした努力をビジネス・コミュニティに対する行政のサポートと同じものだと語る。

 ”それは市の仕事なのだ。我々は、特定のえり好みをしない、そして、誰かがビジネスを始めたいといったなら、我々はBeurocracy(官僚的な制限要素?)を極力減らすべく、懸命に努力しているのだ" と彼は言う。”我々はレストランをオープンさせるため、劇的に時間を短縮している”
http://www.nypost.com/p/news/local/manhattan/it_in_good_faith_X1pKuOXHmSeOApisfWHxrL#ixzz19yYLYnd6

*Imam Raufは1月15日から、モスク計画への理解を得るため、北米で最大のムスリム人口を有するDetroitでの遊説を手始めに全米ツアーに出るという…http://www.nypost.com/p/news/local/imam_behind_ny_islamic_center_will_pVKVISxOCciOxcp8FDvuSI#ixzz19yWksbrJ
Imam behind NY Islamic center will tour nation

 *写真は8/21付NYpost・ "Ground Zero Imam" RaufのMiddle Eastツアーの記事

記事url:'Ground Zero' imam on Mideast tour to make Islam 'Americanized'
http://www.nypost.com/p/news/international/zero_imam_mover_sheik_er_Saqw4jTP8glUr79BDxahqM#ixzz19ySs7wOG

Wednesday, December 29, 2010

暮れのマンハッタンで拾った、ユダヤ系新聞から/ Wikileaking Mideast Truth- Arab States' fear of Iran outweighs their hostility toward Israel - By Abraham Foxman


エスニックなタブロイド新聞 "MANHATTAN JEWISH SENTINEL"。ユダヤ系の人々に特有な見方、少々孤立した感じの分析記事も堂々と書かれていた…
トップには、A.フォックスマン氏による中東情勢の解説記事が。

 中東の真実をウィキリークする/アラブ諸国のイランへの恐怖は、イスラエルへの敵対心も超える(By Abraham Foxman, "MANHATTAN JEWISH SENTINEL," Vol.16 #46 Dec. 10-16, 2010) 

 ウィキリークスによる米国の何百万もの外交ケーブルのリークは、将来の外交を一層困難にし…特に米国に対する信頼を損ねる、不穏なものだ。しかしこうした文書の暴露は、イスラエルとその他中東地域の脅威に対して、アラブ諸国が何十年も行ってきたダブルゲームを終わらせる事ができるだろう。

 私は1981年に、イスラエルがオシラーク(Osyrak)のサダム・フセインの核反射炉を破壊したときのアラブ諸国の反応を昨日のことのように思い出す。彼らはいっせいに、イスラエルには攻撃的で領土拡大主義的な目的があるとの非難の声をあげた。そんな中で、現在は活動していないThe Washington Star紙のEditorialがほんとうの状況を書いた。同紙はこういった、「アラブ世界は昼間はイスラエルを非難し、夜は安心して寝ている」、イスラエルの行った行為のために…と。

 こうした言葉は中東地域の現実の歴史に立派に要約されているし、我々の現今の世界情勢よりも、これほど我々にとって重要な現実はない。

 アラブ世界は毎日、絶えず中東での大いなるシオニストの脅威のことを口にするが、彼らの行為は長らく、それとは全く違うより合理的な怖れによって裏切られてきた。アラブ諸国が、他の者たちと同様1960年代からイスラエルが核兵器をもつと信じていることを想起しよう(イスラエルはそれを肯定も否定もしていないが…。)「領土拡大主義者のイスラエル」というような全てのプロパガンダ、つまり核武装したシオニストがアラブにとっての最大の脅威で緊急の問題だという考え方が発展して、彼ら自身の核兵器開発を促してきた。しかし、こうした時期すべてを通じて、二人のアラブの「狂人」…サダム・フセインとモハメド・カダフィのみを例外とした他のいかなるアラブ諸国も核兵器開発に乗り出す必要性は感じなかった:彼らの潤沢なオイルマネーがあれば専門家や核兵器材料をいくらでも雇ったり、入手できたにも関わらず。

 そのことは、大声で語る言葉より、行動が全てを示す、という事のクラシックな例で…足で投票する(実際にそれに参加するか、否かで賛否を示す)ということでもあった。悪意をこめて語る彼らのレトリックにも関わらず、アラブ諸国はイスラエルの意図するものは理解していたし、核武装したイスラエルなどに深い怖れなど持っていなかったのだ。

 しかし今日では、イランのイスラム共和国が核兵器所有にむけて動くなかで、少なくともサウジアラビアとエジプトが核開発を開始したことが、くり返し報告されている。ワシントン・スター紙の同様の解説記事では、アラブ諸国によるイランの核開発への高まる懸念が浮上しているものの、それは相変わらずアラブ諸国による否定とパレスチナ問題への話題のすり替えで、ごまかされているともいっている。

 ここで、外交ケーブルのリークの話題に戻ろう。サウジアラビアのアブドラ国王は、米国に対してくり返し、イランの指導者に関して「蛇の頭を切り落とすように」と呼びかけている。UAEのMohammad bin Zayed皇子は2009年に、「アフマディネジャドはヒットラーだ」としてイランとの和解策の危険性を主張して、米国のイランへの対抗策を要請している。

 これらの仮定ともまけず劣らず イスラエルがアラブ諸国とパレスチナ問題の敵だという仮定もアラブ諸国の外交にとっては必要不可欠なものだ。これらのどれもアラブのユダヤ国家への敵対心を否定するものでも、パレスチナ問題解決の必要性を否定するものでもないが、ただ状況を見定めているものだといえる。

 こうした文書から明白にいえることは、我々のうちの何人かがずっと言い続けてきたものの、しばしばそれは単なるイスラエル流の見方だと批判されてきたこと、つまり核武装したイランは無論、文明の最大の敵だ、という主張だ。こうした文書に反映されたアラブ諸国の怖れは─もしも世界がイランの核開発を止めることができなかったら、アラブ世界をして二つの相矛盾する、しかし危険なステップを踏ませることだろう。

 シリアスな核開発プログラムの進展は、最終的な悪夢のシナリオを招くことを避けがたくする…中東での核兵器の拡散という、最終戦争へのフォーミュラだ。そして、同時にアラブ世界は、もしも米国がイランの抑止に真剣さをもたないなら、我々アラブは彼らと共存する方法を探す」との考えの下に、イランとの和解の途を模索する。そしてイランの脅威は拡大する。

 これらすべてが新たなウェイクアップ・コールなのだ。国際社会は過去1年、強くなった国連などによるイランへの制裁を通じて、バラク・オバマ大統領への信頼感のもとに、より効果的に反応してきた。これらの対応策は影響力をもちはじめたが、大方の専門家はイランの核開発プログラムを停止させるほどの素早い効果は発生させないだろうという。

 アラブ諸国自身が、国連のより強固なイラン制裁策を求めているなら、今は、イランの体制により強い圧力をかけるべき時期だろう。イスラエル・パレスチナ問題の進展はそれ自体が重要な問題であり、進展させられるべきだ。我々はしかしそのことを…この地域の全ての人々(イランのテロリストの同盟者たちだけでなく)が平和と安全への真の脅威と認めるものに、焦点を当てることを拒む口実、として使う余裕はない。

*英語版タブロイド紙”Jewish Sentinel"にはマンハッタン版とニュージャージー版があり、内容は殆ど同じ。WEB版はないらしい。

*A. Foxman氏は、昨今”GZモスク”の計画にも批判を唱えて物議をかもした、ホロコースト・サバイバーのユダヤ人団体(ADL)のご意見番だ…

*別ページでは5番街のライトアップされた"最大のHanukkah オーナメント" の前で、ジョン・リウ氏がNYのユダヤ人不動産業者やラビ達と写真に写っていてびっくり?(彼はNY市の会計監査役だったのでは)

Friday, December 10, 2010

ジュリアン・アサンジは、自首すべきだ Turn Yourself In, Julian Assange-The WikiLeaks founder is an unscrupulous megalomaniac with a political agenda


自首せよ、ジュリアン・アサンジ
ウィキリークスの創立者は政治的なアジェンダをもつ,
節操のない誇大妄想狂だ
By クリストファー・ヒッチンズ(12/6、Slate.com)
 

私は、私の最新刊の自伝のなかで、1976年にバグダッドの英国大使館から英国外務省に送られたケーブルのなかの言葉を幾つかとりあげている。それはイラクの新しいリーダー(*サダム・フセイン)に関するものだった。そこには、彼の行った静かなるクーデターを再確認するように「1958年以来、初めてのスムーズな権力の移行がなされた」、と描写されていた。公的文書のオフィシャルな文面らしく、スタイリッシュな控えめな表現が求められたとはいえ、そこには「軍事的な強化策というものが、船をより堅固にするために必要になるかもしれない、サダムがひるんだりすることはなかろうから」、とも付け加えられていた。…もちろん、こうした公電の言葉では、「スムーズな移行」なる言葉が、(当時)バース党メンバーの半数を処刑させていたようなサダムのパーソナリティーをも視野にいれて拡大されるよりも以前に、用いられていたに過ぎない。しかしサダムはその時にはすでに、暴力の行使や抑圧にふけっていたのだ。

  私は数年前にこのケーブルが公開された後にこれに出会い、それを再度公表した… なぜならそれが、私がその当時イラクを訪れた際に英国の外交官たちから聞いていた事実を非常に精確に反映していたからだ。…私は自分自身に問いかけてみた:もし、それらが最初に書かれたその時点で、それを手にする事ができていたなら、自分は一体どうしていたか?と。私自身の名前で特ダネにしたかも知れないだけでなく、私は英国外務省が…専制君主を陳腐な決まり文句や婉曲表現で覆って描写する、その政治的なメンタリティは歴史上初めてではない事を露呈している、などと論じたかもしれないのだ。

 しかし、そのような高潔なる野心(あるいは、野心的な高潔さ)はさておいて、私はそんな事をもくろむべきだったのだろうか?民主的に選出された英国議会は、Official Secrets Act(公的機密条例…私はそれを破ったとみなされたかも知れない)というものを制定していた。私は、私の信条のために、告訴を受けるべく、勇敢にも出頭すべきだったのだろうか?(私はその後、この抑圧的な条例に別件で抵触したために、収監される恐れにさらされたことがあった…それは私がファースト・アメンドメント[合衆国憲法修正第1条・言論の自由、信教の自由…] を有している国に移住しようと決意した理由の一つでもあった)「市民としての秩序の遵守」civil disobedienceというものの道徳的な「もう片方の半分」とは、そうした事柄での歴史的な英雄たちが示すとおり、その行動の結果として起こる事をストイックに受けいれる、ということでもある。すると、そこに外交政策というものが存在しうる。市民文明というものの最古で最良の考えの一つとは、全ての国々がお互いの首都のなかに主権をもつ小さな飛び領を設立して、平和的な決議に基づいた、それらの特別な外交特権を有する領土に投資をする、という事だ。そうしたものの必要性には、高度なプライバシーが含まれるべきなのは言うまでもない。こうした古典的な伝統へのたった一度の侵害すら、好ましからぬ、意図せぬ結果を生む可能性があるものだし、そして我々はその深刻な侵害というものを、適切な怖れを持って眺めているわけだ。我々は、アヤトラ・ホメイニと彼のイデオロギーについて我々が知るべき事柄を、彼が外交官達を人質にとったその時には、すべて発見していたわけだ。

 ジュリアン・アサンジの狡猾な戦略とは、彼が全ての者を米国の外交政策の破壊工作を試みるという彼自身の個人的な決断の共犯者に仕立てていることだ。あなたがあなた自身を─ 連邦政府で働く全ての者にウィキリークスの文書のダウンロードまたは閲覧を禁じた─ オバマ政権のヒステリックで愚かな決断に捉われていると思わない限り、あなたはごく最低でも、ある程度は罪悪感のある楽しみに耽ることができるだろう。二つほどの大きな暴露に関しては、この情報公開は我々のなかの筋金入りの「政権交代マニア」にとって、偉大な価値があるだろう。より多くのアラブ諸国政権が、ワシントンがイランのアフマディネジャド大統領を受けて立つことを、誰もが想像する以上に、緊急に望むだろう。私は20年後よりもむしろ、今、このことを知りたい。イランは北朝鮮から幾らかのミサイル軍備能力を獲得するということが可能だったし、それは我々がサダムをその地位(彼が「Boxの中に」と呼んでいた地位)に残した場合には、サダムにとっても同様だった。我々はすでに今や、サダムの代理人たちが…北朝鮮のミサイル商人とダマスカスで会っていた、という事も知っている。同盟国による(イラクへの)介入がそうした武器商人たちを、慌ててピョンヤンに帰国させる前のことだ─最近のリークの内容は、そうしたある重要なケースの重要なパートを完璧化した。

 一般大衆が知る権利と、我々の秘密諜報機関の信頼性に関していうなら、全米のリベラル派がこぞって、不細工で実りのない例の告発(アサンジも恥じ入るほどのモンスター並みの自惚れ性の人物と結婚した、比較的マイナーなCIA職員に関する、救いようのないほど大袈裟なドラマ仕立ての暴露事件…)をコンセンサスをもって賞賛してから、まだ間もないという状況だ。ロバート・ノバク及びリチャード・アーミテージによって、バレリー・プライム(CIA職員)の職務の内容が明らかにされたとき、彼らはまたアサンジと同様に米政権のイラク戦略に対して反対を唱えていた。それ以来、すべてが暴露されてきたのに伴い、左派と右派の分子がまるでその立場を入れ替えているかのようだ。

 アサンジへの訴追の試みは、私の予想では、軽すぎるかまたは遅すぎるか、その両方か、あるいはそれよりも悪くなるに違いなかろう。1917年のスパイ法がこれほど錆び付いて、使われていない響きがある事には十分な理由がある。それはウィルソン主義者が戦争に対してヒステリーになっていた時期のパニック対策として成立した法律だったし、その条文には、サイバーワールドで効力を発するものは一つもない。それにしても、法曹界ではインターポールという言葉は何十年にも亘って笑いの種だったし、そして私にはアサンジは信奉者たちに囲まれたカルト的リーダーである事もよくみてとれ、彼への性犯罪容疑も彼らにとってはレイプに該当せず、でっち上げと捉えられているように見える。彼らはアサンジが人々の共感を求めたり、自首するよりは姿を晦ますように勧めているのだ。

 そしてもちろん、訴追の有無が、彼のなすべき最も重要なところだ。もしも私が1976年に英国当局の恥をさらそうと決意していたら、私は裁判所で彼らに対面するという挑戦か、さもなくばその事がもたらす結果に直面する事を受け入れていたろう。私は私自身が秘密書類を幇助したり、外交政策の私的な調停役になったり、その進行の最中に姿を消したり、リタイアしていたとは想像しがたい。アサンジについて知るべき事は全て、John F. Burnsによる彼のプロフィールのなかに、そしてそれに対する彼のショッキングなほど悪漢めいた返答のなかにあるのだ。この男が、少しばかりの几帳面さ(があるとすれば)と隠しきれないアジェンダ(政治的信条)を抱いた小っぽけな誇大妄想狂であることは、一目瞭然だ。私は以前にも書いたが、彼が、彼の目的を、「二つの戦争を終わらせること」だというとき、彼の言う「終わらせる」とはどういう意味なのかを、一時に知る事になる。彼は彼のファンタジーのなかではある種のゲリラ戦士なのだろうが、現実の世界では彼は、彼を育てた市民社会を怒らせるミドルマン(仲買人、仲介業者)、行商人に過ぎない。この月曜日に、New York Timesは2つの別々のニュース記事のなかで、彼の小さな陰謀を、「反秘密(anti-secrecy)」 「内部告発whistle-blowing」の装いがあると呼んだ。そうした間抜けな是認をするのは…最低でも─たとえ我々が皆、彼が不正手段で得た品物の市場を我々自身で助けてしまうにせよ─ 愉快犯のジュリアンには控えられるべきだ…。

http://www.slate.com/id/2276857/

Thursday, October 21, 2010

「神の党」はどのようにして、レバノン最強の勢力になったのか?/ How the Party of God became Lebanon's most powerful faction- By Christopher Hitchens

「神の党」はどのようにして、レバノンで最強の勢力になったのか<ヒズボラの進化> By クリストファー・ヒッチンズ (10/18, Slate.com)

 1970年代のなかばから末にかけ、レバノンでイスラエルとPLOが消耗戦を続けるなかで、長らく脇に追いやられていたレバノンのシーア派がみずからを再組織化していたとき、私は南レバノンから記事を書きながら、その地にイランの軍事勢力が目立たず存在していることを知った。
 
 それらの軍は、つねに神の代理人・シーア派の聖なる保護者を自認していたイランのシャー(彼のことを、我々は忘れがちだが)によって派遣されていた。

 そのころ私の気づいていた以上の先見の明をもってコメントするなら、彼らは彼らの故郷に早く戻って、ピーコックの如き王位を護るべきだったのだ。

 その当時はイランのどんな国家元首も、イスラエルとの国境が叫べば届くような距離にある多文化的なレバノンを全権大使として訪れ、その行路中ずっと歓迎の宴で迎えられることは、まったく不可能だった。しかし先週、マフムード・アフマディネジャド大統領はそれを、ほとんど努力することなしに行なったのだ。

 その核軍備への違法な探求がもたらす深刻な不都合をなんとか逃れつつ、国民を無慈悲に抑圧し騙してきた彼は、「神の党(ヒズボラ)」のパトロン(後援者)として、中立的なその領土にあらわれることができた、なぜなら、彼のイランの政権とヒズボラがイスラエル国家に対する態度を共有しているからだ…イスラエルによるすべてのアラブ人に対する辛辣な軽蔑や、“穏健派”のモスリム(イスラエルと妥協さえも考える)に対するイスラエルの辛辣な軽蔑に対抗する、その慈悲のない態度を分かち合っているからだ。

 ある意味で、ヒズボラとその後援者たちのよりドラマチックな進化の度合いは、わずか数年前との状況変化のなかにみられる。2005年の2月、レバノンの前首相ラフィク・ハリリが白昼に粉々に吹き飛ばされ、彼の暗殺にひき続いて、同国でのシリアの存在に批判的な態度をとりつづけた政治家・ジャーナリストたちが幾人も暗殺された。この犯罪性に対する民主的な国民の反発は大きく、ダマスカスの政権はその占領軍の撤退を余儀なくされ、そしてハリリの暗殺へのシリアのバース党の関与や、彼らの聖なるヒズボラの代理人、及びそのテヘランの代理人などの関与も指摘されていた事について捜査を行う(国連の)国際法廷が開かれた。私が思うには─(この時期には)サダム・フセインの凋落にはずみを得て、またこの法廷関連の国連決議へのフランスの支持にも助けられ、この地域での米国の名声がとても高まっていた。

 そして今、話の続きをみてみよう。レバノンのその他のすべての政党や、キリスト教徒からドゥルーズ教徒に至るすべて勢力のリーダーたちは、ヒズボラのリーダー・ハッサン・ナスララの名を聞いて震え上がった。一度は誇示されながら、長い休止状態に陥った国際法廷は、彼らの発見した事実がシリア、またはヒズボラにとって厄介なものだと判明したなら暴力で対処されるという、かなり確実性の高い脅しの先制攻撃を受けた。暗殺されたハリリの息子は、前に暗殺されたドゥルーズ党のリーダーKamal Jumblattの息子と同様に、雄鶏野郎のバシャール・アサド(シリア大統領:その家族がほぼ間違いなく彼らの首長を殺したはずの)に対して、最も品位を落とすようなやり方で「いい顔をする」、ことを強要された。そして、神の党は2つの拒否権を獲得した─ひとつは彼らが勝利していないいかなるレバノンの選挙をも拒否する権利、そしてレバノン領からのイスラエルとの次なる戦争を始めるタイミングについての拒否権を。

 何が、このきわ立った逆転をもたらしたのか?最初の原因は、イスラエルが賢いヒズボラの挑発行為(そうした反応を引き起こす狙いで、イスラエル兵たちを急襲して誘拐した事がほぼ確実な)に呼応して行った、2006年の愚かな介入行為だ。2つ目の原因は、米国の側がレバノンで明白な権益を失ったことだ。3月14日連合─ハリリ暗殺後に彼らが相互に連絡しあって蜂起した対シリアの勝利の日にちなみ名づけられた─は分裂し、セクト主義と無力さに後退した。そしてレバノンの慎重なる(賢明な)市民たちが、…シリアにこれほど近いイランに前核保有状態の地域的大国のように振るまわせ、屈辱をうけたワシントンにイスラエル・パレスチナの「和平プロセス」での予測された惨めな失敗ですべての努力を無駄にさせつつ、この新たな荒涼とした現実に適応を始めようとしない、などということがあるだろうか?

 この新たなリアリティの輪郭をThanassis Cambanisの本は気のめいるほどみごとに描いている。 その本、「A Privilege To Die」は、ヒズボラが何とかして、虐げられた党であると同時にこの地域の最も退化した2人の専制君主たちの傀儡にもなっていると、目覚しい筆致で描いている。ヒズボラのシリアとの共犯性、また彼らが罪のない者へのイスラエルの絶望的な反撃を促したことが(国際法廷で)さらけ出されて間もなく、私はベイルートを訪れ、自分らしからずも、この町の南方で行われたナスララの政治集会のひとつの規律ある熱気に印象を受けた。Cambanisはこのトリックがどのようになされたかを示した。貴方はそれを彼らの「ソフト」パワーと呼ぶかもだが、神の党は破壊されたスラムを再建し、社会福祉と教育をもたらし、そして子供たちを彼らのバージョンのボーイ・スカウト運動(今回は、殉教と復讐に捧げられた)にリクルートしていた。その「ハード」パワーにおいては彼らの達成を疑うような者には誰にも起こりうる状況というものを、コンスタントに肝に銘じさせていた。彼らは、その精通しているメディアを利用して、ユダヤ人へのスリリングな人種的・宗教的憎悪のメニューを提供させていた。そしてイスラエル北境の前線に位置するステータスで、すべての他の「穏健な」政権を、アラブとモスリムの名誉回復のために犠牲を払う気のない、卑怯な骨抜きの政権のようにみせかけ、それらの政権の怒りをかっていた。多くのスンニ派のアラブはヒズボラを憎み、嫌悪しているが、誰もがそれを怖れないわけには行かず、それゆえ尊重しており、そのことをナスララも最も重要なことだと捉えている。

 ギリシャ伝説ではAntaeusという名前の戦士が、地面に投げ飛ばされたときにさえ地球から強い力を得ていた。それを知ったヘラキュレスはこれを、レスラーとしての弱点を克服するために利用した。ヒズボラは死を愛し、敗北と災厄のなかから再び繁栄し、そして国家の中の国家という地位から急速に、かつて一度は中東で最もコスモポリタンで民主的だった国家の支配者になろうとしている。そんななかで、前のスーパーパワー(超大国)─ヘラキュレスではなく─はそれ自身がイスラエルの右派のなかの、一部の狂信者グループがちっぽけな土地強奪をしている卑しい一派の人質、笑いの種にされるのを許している。わずか数年前までは、このこともまたとても信じがたく、恥辱的で、許しがたくおもわれたにも関わらず。
http://www.slate.com/id/2271511/pagenum/all/

Monday, September 6, 2010

モスクを脅すマウマウ団?/Mau-Mauing the Mosque- The dispute over the "Ground Zero mosque" is an object lesson in how not to resist intolerance.- By C.Hitchens


モスクを脅す、マウマウ団?
「グラウンド・ゼロ」のモスク論議…それは非寛容に対しては抵抗しない、という実例だ
By クリストファー・ヒッチンズ (8/9, Slate.com)


 

 ローワー・マンハッタンの「グラウンド・ゼロ」の地へのイスラム・センター建設に関する論議はいま、2001年9月のあの酷い日の記憶と、その犠牲者たちにとっては本当に恥さらしともいえるほどの、ばかばかしいレベルへと沈み込んでいる。そのモスク、あるいはマドラサとは、崩れたタワー群のあったその場所かあるいは、かつて一度は巨大な墓場であった場所の物質が粉砕されたその真上に提案されている、と誰もが気づくだろう。(実際、我々がこの十年来、その場所でできたことというのは、殆ど何の建築的な進展もない、巨大な、騒音に満ちた汚い穴を創ってきたというだけなのだ。たぶん、このコルドバ・ハウスの提案というものの相対的なスピードの素早さに対する反感は、このローカルかつ、全米的な不面目さに対する戸惑いというものが無意識にもたらしている副産物なのだろう)

  私には、コルドバ・イニシアチブやその運営者たちに、特に好感をもっている点などない。そこの噂のイマームであるFeisal Abdul Raufは、過去に、あの新奇な残虐事件について多くのいかがわしい、ぞっとする発言をしてきたそうなのだ。9月11日の少し後に、彼は"60Minutes" (CBSのinterview番組)に対して「私は、米国がこのような事件が起こることに相応しかったとは言わないが、しかし米国の政策はこのような犯罪のアクセサリーとなるものだった」、と語り、またこうも付け加えた、「もっとも直接的な意味で、オサマ・ビン・ラディンとはメイド・イン・USAなのだ」、などと。そしてもっと最近では、彼は人種差別主義と全体主義を奉ずるハマス党に対し、それよりも厳格ではないテロリストという罪名をきせることをも断った。我々には、そのような捻じ曲げや婉曲表現、言い抜けをする者たちというのはお馴染みだ…彼らの主張の多くが、生焼けの世俗的なキリスト教徒のスポークスマンによって繰り返されていることで。広く拡大している文化的な萎縮の感覚というものは、人々に、何が本当の事なのかへの挑戦を水で薄めるためには、Raufのような「穏健派」と付き合うのがよいだろうと、半信半疑で信ぜよと、駆り立てている…だが、平和と静けさを得たいのならば、コメディ・セントラルに自らの放送番組への検閲をさせるとか、米国中のプレス・メディアにデンマーク製のマンガを掲載しないように拒絶させたらどうなのだろうか? (*関連記事:サウスパークでも駄目? -
http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010_04_01_archive.html


 このようなことには、降伏をせず継続して戦い続けるべきなのだ。しかしここには、それに対してまさに、いかに抵抗しないか、という課題ばかりがある。例えば、広くメディアに流れた、名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League)の全米ディレクターAbraham Foxmanの見解をみるがいい。コルドバ・ハウスに反対するこうした9月11日の犠牲者の遺族たちを支持して、彼は「ファイナル・ソリューション(ナチのユダヤ人虐殺政策)」との愚かしい喩え話までして、こう言った、ホロコーストを生き延びた人々と同じように、「彼らの苦悩というものが彼ら自身に、他の人々からみたら非理性的だとか、頑迷だとかいうような立場に立つ資格も与えるのだ」と─ (*関連記事: http://hummingwordiniraq.blogspot.com/2010/08/debate-heats-up-about-mosque-near.html
グラウンド・ゼロ・モスクへの議論がヒートアップ)
 この割れたしわがれ声は、Newt GingrichとSarah Palinによっても引き継がれて…彼らはこれに加えて911の遺族でもない何百万もの米国人の抱く感情を彼らが腹話術によって代弁している、と主張した。このことは、通常は感傷に陥らないWeekly Standard紙の社説にさえ影響を与え、同紙は米国人の大多数が3対1の割合でコルドバ・ハウスを”侮辱的”だ、と考えているということを根拠に、オバマ大統領がそれを非難するべきだ、と求めた。

 このような半分感傷的で、半分悪意ある扇動のためのアピールに関しては、どう言ったらよいのだろう。それはモスリムが文化的な脅迫行為をしている、という芝居の脚本のストレートな引用なのだ: あるものが「侮辱的」だと呼び、そしてそのような仮定自体が、自動的に論議になったかのように見せかける。あなたはFoxmanの唱えたように、(単純に)怒りを発する事は「非理性的で頑迷」な立場だ、とも認める。しかし─ほら、彼らがそんなことを感じるというときにどうして物を考えられる?その、911の遺族たちが抱いているという「感情」というものを理由に、すでに我々の全てからテロ攻撃の際にリアルタイムで撮られた映像を見られる機会も、奪い去られた─それは、純粋な怒りの記憶の維持には、どんな落ち着き(覚醒的な態度)が必要かに対して大衆的な感覚が鈍くなることへの巨大な譲歩だ。そして今や、インスタント式世論調査の示した多数派に、余計な特権が付与されねばならなくなりそうだ。それだけでなく、大統領までそのオフィスを宗教的建築の建設の可否を決めるのに使わされそうになっている。

 First Amendment(憲法の修正第1条項:信教の自由と言論の自由)の精神や文面、または「Wall of separation(W.ジェファーソンの言葉、政治と教会を分離する壁)」の原則から、これほどかけ離れたものはない。Foxmanはその一貫性のない声明のなかで、もしもコルドバ・ハウスが「一マイル先」に建設される予定ならば問題はなかったなどと指摘した。彼はその敷地の古いビルには、すでに近隣のMasjid al-Farahモスクから溢れた人たちが住み着いていることを知らなかったようだ。

 私は、コルドバという名前を選んだことすら、このもくろみに反対するキリスト教徒たちの幾人かを立腹させたと知った。イスラム教徒が南スペインを征服して以降、このアンダルシアの素晴らしい都市はいうまでもなく、失われたイスラム宗主国カリファテの首都として、今日のジハード主義者たちが再興をその血に誓っている地だ。そしてカトリック教徒によるのレコンキスタの後、そこでは宗教裁判の創始者たちよってアラブ人とユダヤ人による全ての影響は拭い去られてきた。しかしこうした二つの帝国主義の合い間に、その都市はまた、Averroes ibn-Rushd とMoses Maimonidesの名前を最も想いださせる驚くべき文化的な統合都市になった(そのテーマで書かれた最良の本は、María Rosa Menocal'の“The Ornament of the World”だ) ここでは哲学と医学、そして建築が開花し、何よりもアリストテレスの仕事を復興した。我々は、この高貴な名をローワー・マンハッタンのプロジェクトのために借用する者たちには良き信念があると自動的に仮定することはできない。そこには、資金の調達元やその教育プログラムの内容の透明性に関する保証が求められる。しかし、そうした申し入れに応えるには、批判的な眼による精密な検査と関与が必要で、安っぽい郷党心(地方根性parochialism)や被害者学(vincimology)、不合理さ(無秩序さ、unreason)などに訴えるべきではない。
http://www.slate.com/id/2263334/pagenum/all/

*Mau-mauは英語で「脅す」の意味に使う…1960年までに鎮圧されたケニアのMau-Mau団が語源?その昔日本の子供向けTVアニメにもよく登場していたのでは…?
“Mau Mau Uprisingは、英国の植民地だったケニア(英国領東アフリカ)で1952年から1960年に起こった民族主義的独立運動。ケニア最大民族であるキクユ族を中心とする人々がケニア土地自由軍(KLFA)を結成し、1952年から各地の白人農場、警察署、政府軍用地、親植民地派のケニア人を襲撃した。軍事的にはこの襲撃は失敗に終わったが、結果としてケニア独立を早めることとなった。「マウマウ団」はこの結社に対する英国側の呼称<Wikipedia>


 

Wednesday, August 11, 2010

How the ground zero mosque site neighborhood looks like..









「グラウンド・ゼロ・モスク」への論議がヒートアップ…Debate Heats Up About Mosque Near Ground Zero


 グラウンド・ゼロ・モスクのデベロッパーとは:そのムスリム同朋団のルーツと、急進的な夢─ 


by Alyssa A. Lappen (5/14, PajamasMedia)

 グラウンド・ゼロから600フィートの地点での、1億ドルをかけた13階建てモスクの未来のデベロッパーは、彼自身を穏健派のムスリムだと称する。…しかし、クウェート生まれのFaisal Abdul Raufは、彼が「エジプトで宗教的な学問研究に没頭していた家族」の出身だ、といって誇らしげだ。確かに、Faisal Raufの出所であるムスリム同朋団とは、”急進的”と定義されているとおりの、正統的なものだ。(*写真:モスクの計画立案者、Faisal Abdul Rauf)

 Raufの父・Dr. Muhammad Abdul Rauf (1917-2004)は、ムスリム同朋団の設立者Hassan al-Bannaのエジプトでの現代版、といえる人物だった─ 彼はFeisalに対して、イスラムにおけるバチカンでもあるAl-Azhar Universityで彼が獲得した、一族の長いラディカリズムの伝統を伝えた。父Dr.Raufは、1948年にエジプトから逃れるまでそこで学び、教えていた。その年に、Feisal Abdul Raufはクウェートで生まれた。

 Feisal Raufは彼の父の唱えたイスラムの米国への拡張主義を、いつの日か実践しようと考えていた。1990年にRaufはローワー・マンハッタンの245 West Broadwayで、小さな al-Farah モスクを開業した。 (*註:グラウンド・ゼロから12ブロックの地点)地域の住民たちは、2006年にNY州の酒類局が同じブロックでの新しいバーの開業ライセンス認可を拒否し、他の店の認可も取り下げようとしたときまで、そのモスクに気づきもしなかった。

 Raufの経歴では英国とマレーシアでグラマー・スクールと高校に通った、とある。彼はおそらく1965年、17歳の時に、彼の父がマレーシアから米国に…NYでのイスラム文化センターの建設を考えて移住した際、初めて米国に住んだにすぎない(その建設は1980年代半ばまでは実現しなかった)。Raufはその後、コロンビア大学において科学の学士号を取得、1971年に家族はワシントンDCに移り、その地でRaufの父はMassachusetts Aveにイスラム・センターを設立した。彼の父はメリーランド州のSuitlandのfor-profit Washington 国立墓地に埋葬されたが…彼はマレーシアでも、3つのイスラム研究プログラム(マレーシア国際イスラム大学を含む)を設立している。

 Raufの英国で受けた初等教育と、米国のポップカルチャーへの親しみによるその価値観は、彼をイスラムのtaqiyya(イスラムへの興味とその優位性を進めるための、欺瞞的スピーチや行為…)に、強烈に熟練した伝道師となした─そうしたイスラム的な一層の邁進のためにRaufは1997年にAmerican Society for Muslim Advancement (ASMA)を設立したが、カシミール生まれの彼の妻でインテリアデザイナーを職業とするDaisy Kahnが、その組織を2005年以来経営している。

 Raufはその後、新たな影響力拡大を試み始めた。2002年の夏前後に、Raufはニューヨーク南西部のシャータクワ郡の、創立136年になる非営利の夏期講習会の宗教学ディレクター、Joan Brown Campbell女史の傘下へと入り、750エーカーのそのNYキャンパスでイスラムを講義し始めた。「アブラハムの」信仰に関する、という朱色のただし書きはRaufのイスラムの布教活動を都合よく隠蔽したが、Campbellはその後彼を未来のムスリム・ハウスのリーダーに任命した…その計画は今やそのキャンパスで、Raufのもうひとつの創作物である501(3)c organization Muslim Friends of Chautauquaによって進められている。Raufは元英国出身の尼僧で、熱心なイスラム教徒に改宗したKaren Armstrongとも親交を持った。

 2002年に「大学のレジデント神学研究員」としてArmstrongは(次のように)ムスリム同朋団を擁護した─まるで、すべてのイスラム教徒テロリストの父である組織が、進歩的なチャリティ組織か何かであるように…。

 [The MB](ムスリム同朋団)は弾圧を受ける以前は、素晴らしい福祉プログラムを実施していた…ムスリムが働ける工場では、祈りの時間やバカンスの時間がもうけられ、保険や労働法の知識を学び、診療所を設け、彼らは人々にどうやって汚水や排水を処理するかについて教えた…また、庶民たちがイスラム教社会のなかで近代化の恩恵を受けるべく、試みるのも常に宗教の役目であることが人々にとっても理に叶い、物事をよりバランスのとれたものにしていた。

 2003年にRaufはデンバーのAspen Instituteのリーダーたちと知り合った…その中には前エグゼクティブ・ディレクターと、アスペン市長を4期務めたJohn S. Bennetがいた。2004年にASMAのサポートのもとで、Raufは125人の若いムスリムからなる会議を開催しMuslim Leaders of Tomorrowを結成した。Bennetの助力のもとに、彼はアスペンで…ムスリムと西欧の関係の“改善“を意図したCordoba Initiativeをも設立した。Raufは多くの他のリベラル組織から資金援助を得たが、その中には例えばGloria Steinem(*米国の女性解放運動家)のMs. Foundationもあった。

 しかし、RaufはSydney Morning Heraldインタービューで、彼の和解的な態度に全く反した発言をしている。テロリズムとは、と彼は言った…西欧がムスリム世界に与えてきた害を認識しない限り終わらない、と。 (http://www.smh.com.au/articles/2004/03/21/1079789939987.html

 第2次大戦での西欧の役割は、厳密にみて自衛的なもので、まったく宗教的なものではなかった(はずだ)。しかしさらに、Raufの議論は─これは2009年12月〈Raufの妻の〉Daisy KahnがFoxNewsのLaura Ingrahamとのインタビューで一層うまく言い逃れ(潤色、美化)していたことだが、7世紀から16世紀まで中東やヨーロッパ、中央アジアやインドで続いた、イスラムによる非イスラム教徒への攻撃を無視していた。Raufは2006年にコペンハーゲンで彼が開いたMuslim Leaders of Tomorrowの会合で、さらに彼の敵対的な感情を表明した。彼の穏健な口実を強化すべく、Irshad ManjiやMona Eltahawyのようなリベラル派のムスリムを招いたりした。しかしMuslim Leaders of TomorrowはまたYasir Qadhiのようなムスリム同胞団の北米イスラム協会(Islamic Society of North America)のお気に入りの論者、またハマスの米国支部で、それ自体が未起訴のテロリスト資金援助団体 the Council on American-Islamic Relations (CAIR)と強い関係をもつDhaba “Debbie” Almontasserなども招いた…
 (以下続く…)
http://pajamasmedia.com/blog/the-ground-zero-mosque-developer-muslim-brotherhood-roots-radical-dreams/


↑*これはモスク反対派の人々が槍玉に挙げている、計画の資金源への疑惑や首謀者ラウフのルーツに関して詳しく暴露する記事だ…


*「ムスリム同胞団」: 1928年イスマイリアで「イスラームのために奉仕するムスリムの同胞たち」として、ハサン・アル=バンナーが結成。イスラーム主義組織としては20世紀最古、最大の影響力を有する。1940年代に隆盛したが、ナーセル政権の下で弾圧された(…現在のエジプトの事実上の最大野党。中東全域に広がるスンナ派の社会運動・宗教運動ともなっている)
ハマースはアフマド・ヤースィーンが同胞団パレスチナ支部の武装闘争部門として結成した…。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A0%E5%90%8C%E8%83%9E%E5%9B%A3
*ハマスのルーツはイスラエルが建国当初パレスチナ人のために作った互助会組織ともいわれるが…

グラウンド・ゼロ近くのモスクについての議論がヒートアップしている -
By マイケル・バルバロ (7/31、NYタイムス)
 
 

 影響力のあるユダヤ人団体がこの金曜日(7月29日)に、ローワー・マンハッタンのグラウンド・ゼロの北2ブロックの地にイスラム・センターとモスクを建設するという提案への反感を表明した。この提案は、信教の自由と9月11日のテロリスト攻撃の意味をめぐる全国的な激しい議論を惹きおこしている。

 その団体、名誉毀損防止同盟(ADL)の主張は─ イスラム過激派が約2,750人を殺害した場所近くでのセンター建設を歓迎し、この国の寛容性と価値観を表わすべきだ、と論じている幅広い宗教的グループ層からの、怒りのReactionを触発した。

 しかし主流派グループのADLが(反論と同時に)、モスリム・センターの計画を攻撃する行為に対しては頑迷さをみとめ、それを非難した、という予期せぬ動きは、このプロジェクトに関する論争における十分な転換点にもなりうる。

 グラウンド・ゼロがゆっくりと、その街を織り成す繊維のなかに戻りつつあるニューヨークでは、政府関係者たちが、礼拝のスペースやパーフォーミング・アーツ・センター、プールやレストランをも含む15階建てコンプレックス(複合施設)のスプロール化(街の不規則な増殖、拡大…)のプランに対して認可を下す準備があるように見える。

 しかし共和党リーダーたちや’08年の選挙戦の副大統領候補・Sarah Palinなど保守派評論家によって喚起された反対の声は、全米で高まっている─ 彼らは「平和を求めるイスラム教徒」たちが、このセンターの建設を「必要のない挑発」として拒絶してほしい、と求めている。政治的行動を促すある共和党の委員会は、この計画を非難するTVCMを流している。前・上院議長、Newt Gingrichも、スピーチのなかでそれを非難し続けている。

 この複合施設の計画が、ローカルなゾーニング・プランの議論から全国的な住民投票の域に急速に進化したことは、WTCの敷地が事件後9年たった今でも、未だに未解決の集中的な感情に取り巻かれていることを示している。

 多くのニューヨーカーにとって、特にマンハッタンでは、ここは毎日の通勤の際に通り過ぎ、オフィスの窓からちらりと眺める建設用のサイトだ。シティの外の人々にとってはそれはシールドされ、記憶されるべき神聖な戦場のようなものだ。

 このプロジェクトに反論する者たちは、グラウンド・ゼロのこれほど近くでのムスリムの礼拝施設の建設が、少なくともここで死んだ人たちの遺族を傷つけ(侮辱し)、悪くすれば、イスラム過激派が米国に打撃を与えたとの達成を記念する、攻撃的な行為となると論じている。

 「WTCでは南北戦争以来、最大数の米国人の生命が失われた」とGingrich氏は唱える。「そして我々が未だにそれを再建していないことが人々を怒らせる。そんな中で我々はこう聞かされる、ここに13階建てのモスクとコミュニティ・センターを立てませんか?などと…。」

 彼は言う:「平均的なアメリカ人は、この計画は即ち政治的声明だと考えている。これは宗教に関するものではなく、それは明白に、攻撃的で気分を害する計画なのだ」

 WTCの犠牲者の数人の遺族たちは計画への反対表明に力を入れ、これが埋葬地でもあるこの地の神聖を汚すものになる、という。「もし私がこの地を眺めてそこにモスクをみたら、私の心は傷つくだろう」と、911で息子Peterを失ったC. Lee Hansonが最近の公聴会で述べた、「それは、どこか別の場所に建ててほしい」、と。

 この計画を擁護する者たちは、過熱する反対論に戸惑い、狼狽している。彼らは、推定1億ドルのコストを要すると思われるそのプロジェクトがムスリムと非ムスリムの間の亀裂の橋渡しを意図によるもので、亀裂を広げるものではないと論じる。

 センターのプログラミング・ディレクター、Oz Sultanは、この複合施設がマンハッタンに点在するユダヤ人コミュニティセンターやY.M.C.Aを真似たものだという。それはムスリムと、キリスト教徒、そしてユダヤ教リーダーたちからなる評議員会を持ち、そして穏健派イスラムの国民的モデルを意図するものだという。

 NY市の幹部、特にマイケル・ブルームバーグ市長はこの計画を、信教の自由の面から強く擁護し、政府は祈祷のための場所をどこに置くかを規制してはいけないと述べる。地域のコミュニティ評議会は、この計画に圧倒的な支持を与え、そして市の景観委員会(landmarks commission)は火曜日に同様な決定を下すと思われる。 (*実際に委員会は8月3日に建設の公式な許可を決定した)

 「米国の偉大なところとは…特にニューヨークに関しては、すべての人を歓迎することだ─そして我々がもしもこのような事に対して恐れたなら、それは我々について何を語ることになるのだろう?」と最近、市長は問いかけた。「民主主義はこれよりも強い」と彼は付け加えた。「そしてこのことに対してもしもノーと言うなら、それは…私が思うに、不適切な発言だというのが最適な言い方だろう」

 …それでもムスリム・センターに対する議論は反響し続けている。世論調査は過半数の米国人がこの計画に反対だと示している。

 ニューヨーク市の2人の有力な共和党知事候補、Rick A. LazioとCarl Paladinoは、これを彼らの選挙キャンペーンの主要イッシューと捉え、州の司法長官Andrew M. Cuomo(彼もまた民主党の知事候補者と目される)がこのプロジェクトの資金源を余り積極的に捜査していないことを非難している。

 ノースカロライナではやはり、元・海兵隊員の共和党議員候補Ilario Pantanoがこの件を選挙キャンペーンで取り上げ、この件がグラウンド・ゼロから600マイル離れた彼の選挙区の選挙民たちを触発している、と語る。 (*写真はPantano氏とモスク計画への反対者たち)

 数日前にSalemburgという小さな町のピザ・ショップで、彼はこの提案に対し養豚農業者たちと退役軍人たちを前に熱烈な攻撃を行った。「この提案に対しては一様に、部屋中に嫌悪感と軽蔑が漂っていた」とPantano氏は述べる。

 この件はかつて反イスラムの(差別的)感情に対して反対の声を上げていたADL〈名誉毀損防止同盟〉にとっては苦痛を伴うイッシューだった。しかしその全米ディレクターのAbraham H. Foxmanは金曜日のインタビューで、彼らの組織はそのモスク計画の場所が9月11日のテロの犠牲者の家族の感情を逆なでするとの結論に達したと述べて、そしてその計画の支持者たちは「1マイル先」に場所を探すべきだ、と指摘した。

 「それは間違った場所だ」Foxman氏は言う、「別の場所を探すべきだ」

 何故そのように犠牲者の家族たちによる反対がその決定にとって重要なのか、と聞かれて、ホロコーストを生き延びたサバイバーのFoxman氏は、彼らには彼らの感情を抱く権利がある、と述べた。

 「ホロコーストの生存者たちはそれが非理性的だと言われるような感覚も、持つ権利がある」と彼は言った。911のテロに命を奪われた愛する人々について彼は、「彼らの苦悩は彼らに、他の人たちから見れば非理性的だとか、頑迷だなどと呼ばれる立場に立つ権利を与える」

 ADLの声明はほとんど、即座に批判を呼んだ。

 「ADLは自らを恥ずべきだ」、と異なる民族間・異なる宗教間の対話を進めているNational Jewish Center for Learning and LeadershipのリーダーのRabbi Irwin Kulaは言った。イスラムセンターの計画を提案するFeisal Abdul Raufについて彼は、「(Raufなどの)ムスリム・コミュニティーの穏健派リーダーたちに対して、ここで我々が、一歩前に進むことを勧めていたのだ、しかし彼らのうちの一人がそれを行ったとき、彼は疑惑の眼で迎えられた…」

 金曜日には提案中のムスリム・センターのプログラム・ディレクターのSultan氏が、そのニュースに驚きと悲しみを表明した。911のテロの犠牲者家族に関するFoxman氏の言葉を聞かされて彼は「そのような反応は我々も予想していた」、と言う。彼は、9月11日にはツイン・タワーで働いていたり、またその事件に対処したりしていたムスリムたちもまた犠牲になったのだ、と語った。 http://www.nytimes.com/2010/07/31/nyregion/31mosque.html

*Cordoba House予定地はグラウンド・ゼロから徒歩3分~5分







http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-16640420100804
9・11跡地近くでのモスク建設、NY市が認可の判断
Mosque Plan Clears Hurdle in New York
http://www.nytimes.com/2010/08/04/nyregion/04mosque.html?ref=us


全米各地で、地元の新らしいモスク建設に対する反対運動が過熱?
http://www.nytimes.com/2010/08/08/us/08mosque.html?scp=1&sq=Across%20Nation,%20Mosque%20Projects%20Meet%20Opposition&st=cse
Across Nation, Mosque Projects Meet Opposition

グラウンド・ゼロ近くの建設予定地、モスクではなくコミュニティセンターと主張
http://ameblo.jp/scalar/entry-10611593635.html

8月10日「NY州のパターソン知事がモスク計画用地として、グラウンド・ゼロからより遠い場所の、州所有地をオファーする可能性を表明」
…翌11日にはブルームバーグ市長が、そのパターソン知事の代替地提案の件を払いのけた?
http://cityroom.blogs.nytimes.com/2010/08/11/bloomberg-brushes-aside-paterson-proposal-for-mosque/?scp=6&sq=What%20a%20Mosque%20Says%20About%20New%20York%20&st=cse







Sunday, August 8, 2010

「グラウンド・ゼロ・モスク」のイマーム、ユダヤ系米国人からの支持に感謝/ 'Ground Zero mosque' Imam thanks U.S. Jews for support- By Natasha Mozgovaya


「グラウンド・ゼロ・モスク」のイマーム、ファイサル・アブドル・ラウフ、ユダヤ系米国人からの支持に感謝を表明─

─ADL(名誉毀損防止同盟)は、グラウンド・ゼロ近くのモスクの建設は「逆効果」と非難。
一方"J Street"は1万名以上のモスク支持者から署名を集めた─

(By Natasha Mozgovaya 、8/4,  Ha'aretz)
(*写真は45 Park Placeでモスク計画の支持を訴えるユダヤ教ラビ、Arthur Waskow氏)

 グラウンド・ゼロから2ブロックの地点におけるモスク建設計画の主導者、イマームFeisal Abdul Raufは、この火曜日、広範にひろがる反対の声の中でイスラムセンターの計画を支持してくれたユダヤ系米国人たちへの感謝を表明した。

 「私は、ユダヤ人の友人、同僚たちによる、この厚意に満ちたジェスチャー(身ぶり)と支援に心からの感謝を表明する」、と彼は述べた。「貴方がたによる支持はユダヤとムスリムの文明が過去に分かち合ってきた相互協力の偉大な歴史と、相互理解を反映し、全ての米国人の間で今後も継続する我々相互の対話の永続的な成功と、宗教の自由や寛容性・協力関係への献身のあかしでありつづける…」 

 ニューヨーク市のエリアでは、米国ムスリム前進協会(American Society for Muslim Advancement)と、コルドバ・イニシアティブ(Cordoba Initiative)と呼ばれるイスラム系グループがグラウンド・ゼロから2ブロック地点に計画中の、この13階建てイスラム・センターとモスクの1億ドルをかけた建設プランへの感情がヒートアップしている。

 このほかの挑発的な面としては、911のテロ攻撃の10周年を期した新たなイスラムセンター開設の計画であること、またその資金の大半がサウジアラビアとフォード財団に負っていることがある。

 土曜日に、(ユダヤ人団体)「ADL(名誉毀損防止同盟)」はこの計画は「逆効果だ…」としつつも、大目にみる声明を発した。

 「グラウンド・ゼロ・モスク」計画として知られるようになった…このコルドバ・イニシアティブのNYCプロジェクトは、国中での論議を過熱させてきたが…先週の水曜日以来、議論はユダヤ人団体を中心としたものにシフトしてきている。

 ADLは…我々は宗教の自由を支持し、頑迷さを拒絶する、と強調した─(しかし、ADLは)新たなイスラム教センターに選ばれたこの場所が、センシティブなサイトであることを鑑みて、コルドバ・イニシアティブがモスクを含む13階建てのイスラム・コミュニティー・センターを911現場から2ブロック先に建てたいとの主張は「逆効果、counterproductiveだ」、と評した…それでも、その声明文のなかでは「イスラム・センターの提案者はここにそれを建設するあらゆる法的権利を有するかも知れず、彼らはイスラム教についてのポジティブなメッセージすらも発するためにこの場所を選んだかも知れない」、とつけ加えた。

 それでもリベラルなユダヤ人たちは即座にADLの声明を「偽善的」と非難し、それは彼らによる最近の決断と、彼らの宣言するミッションを害するものだとした。親イスラエルのロビー・グループ、JStreetは、1万人以上のモスク支持者の署名を集め、コルドバ・ハウス建設に関する議決がなされるよりも前に、それをNY市の歴史的建造物保存委員会に提出したのだ(同委員会は、全会一致でこの地の〔*911の遺構として建物に手をつけないとの〕景観保存規制には反対票を投じた)

 「米国のムスリムたちが、米国中のユダヤ人コミュニティ・センターをモデルに、ローワー・マンハッタンにコミュニティ・センターを建設しようとの計画に対する反対意見に驚愕し、J Streetは信教の自由への支持と、反ムスリムの頑迷な考えに反対する署名を集めている」とJ Streetはそのウェブサイト上で表明した。

 リベラル誌「Tikkun」〈イスラエルの著名な宗教系雑誌〉の編集者、ラビMichael Lernerは、ADLの決定は「恥ずべき」ものだとし、「ADLのリーダーAbe Foxmanは、彼らの組織が差別と戦う立場をとると表明しつつも、その公式声明は相手を攻撃しつつ嘆いてみせているという、完璧な例にすぎない」と言って批判した。

 Shalom Center の設立者のラビ、Arthur Waskowは、他の30人ほどのラビやユダヤ人リーダーたちと共にセンターの建設を支持し、支持者たちにFoxmanのオフィスにコンタクトをとって彼の組織が立場を変えるように働きかけて欲しい、と頼んだ。

 AJCもまた火曜日にコルドバ・イスラミック・センターは「建設される権利を有する」、と述べた─しかしその創立者たちに対しては、「彼らの資金源や、テロリストへの支援への懸念を表明してほしい」、と要請した。

 コネチカット州上院議員のジョー・リーバーマンは、センター建設にいくつかの条件をつけてほしいと要望し─基本的に、このセンターの建設が911の犠牲者の遺族や友人らにどのようなインパクトを与えるかの評価、またセンターのスポンサーたちの意図や、その資金源に関する更なる評価がなされるまでは、「このプロジェクトをストップして欲しい」と求めた。

 Park51プロジェクトのリーディング・デベロッパーであり、アッパー・マンハッタンのユダヤ人コミュニティ・センターのメンバーでもあるSharif el-Gamalはハーレツ紙に対して、彼が5年間にわたり、センターの建設を意図してそのビルを購入しようと試みてきたことが、このような注目を浴びるとは予想もしなかった、と語った。「私は10年近くにわたり、この近辺で物件を探していた。ニューヨークで不動産を見つけるのは容易ではないからだ」、と彼はいう。

 ユダヤ系の義理の姉妹をもつEl-Gamalはこう付け加えた─「このモスクは、より大きな施設の構成要素の一部となるが、他の施設とは切り離して非営利で運営される。そこにはジムやプール、レストランも作られる。スパや多目的施設、そしてまた911の犠牲者への顕彰するメモリアル・スペースも設けられる」と。 (*写真はEl-Gamal氏)

 モスクの計画を批判する者たちは、イマームのFeisel Abdul Rauf(モスクの計画提案者)が911のテロ発生の直後にCNNに対し「米国のポリシーとは、ここで起きた犯罪のアクセサリーのような物だった。我々(米国)は、世界で死んでいく多くの罪のない人々の命にとってのアクセサリーだった。オサマ・ビン・ラディンは米国によって作られた」などと語った、という事実を挙げている。

 こうした批判者たちの声に呼応してAbraham Foxmanはハーレツ紙に対し、彼の声明が「政治的な意図(アジェンダ)を持つ、全てのグループや人々によってねじ曲げられた」、と語った。
 「ADLの立場は非常に明白で、単純だ─ それはこの建設計画のロケーションと、感情的な過敏さ(センシティビティ)の問題であり、宗教の自由や、偏見に関する問題ではないのだ。カソリック協会がアウシュヴィッツの近くに祈祷のためのセンターを建設したいと言った時にも、我々はノーと言い、世界に呼びかけてこれに反対するように求めたのだ」、とFoxmanは言った。

 「(前法王の)ヨハネ・パウロ2世が彼らのセンターを(アウシュヴィッツから)1マイル離れた地に建設すことが可能だ、と言明したときまで、我々はアンチ・キリスト教だというレッテルを貼られていたが…実際、過去15年間、それはいかなる争い事もなくその場所に在ったのだ」、と彼はつけ加えた。
http://www.haaretz.com/jewish-world/ground-zero-mosque-imam-thanks-u-s-jews-for-support-1.305883
*NY市では許可が出されつつも、全米で反対の声があがるモスク計画に、↑イスラエルの中道リベラル紙ハーレツではこのような冷静な記事を掲載?

*世論調査(6/21-28)では過半数のNY市民がモスク計画に反対(クウイニピアク大学研究所調査、NY市の有権者 1,183 人回答)
http://www.nbcnewyork.com/news/local-beat/New-Yorkers-Oppose-Ground-Zero-Mosque-Poll-97602569.html
(*52%が反対、31%が賛成、17%が未決定。地域的にはリベラルなマンハッタン区では賛成者が多く反対者は僅か36%のみ、逆にスタッテン島では76%が反対)

*ADL(名誉毀損防止同盟)のモスク計画に対する声明文(7/28)
http://www.adl.org/PresRele/CvlRt_32/5820_32.htm
(計画に反対したとの解釈と、大目にみたとの両方の解釈がある…この地での建設案を非難しつつ、計画者にはすべての法的権利がありうると微妙に譲歩する?)

*多民族都市擁護派・ブルームバーグNY市長の「激烈な」モスク計画支持声明も話題に
http://www.youtube.com/watch?v=tQsHc1EHgQY

*6月6日のNY市でのモスク反対集会
http://www.youtube.com/watch#!v=VK1W4HDGa08&feature=related

*NYの辺鄙な島、スタッテン島コミュニティセンターでの反対者集会
http://www.youtube.com/watch#!v=j1ux4G7wMNc&feature=related

*グラウンド・ゼロ・モスクの設立者、RaufのFOXでのインタビュー
http://www.youtube.com/watch#!v=YTX_licVz88&feature=related
…Cordoba Instituteのチェアマン、Faisal Abdul Raufと911に現場で活躍したNYCの消防士Tim Brownが討論
Raufは以前からトライベッカにもモスクを持ち、911の後にはFBI当局の捜査にも協力、ムスリム社会と周囲の社会の関係改善に努力してきたと語る。最後にモスク計画の資金源を問われるが、NYの金融街で成功したムスリムなど彼らの組織の「多くの支持者」からのものだと語る?(討論が丁度時間切れとなる)

*昨年12月、Abdol Raufの妻Daisy KahnへのFOXのインタビュー
http://www.youtube.com/watch?v=q7WbTv_gsx4&feature=related

*コルドバ・イニシアティブのsite:Park51プロジェクト声明
http://www.cordobainitiative.org/

Saturday, July 31, 2010

今、話せる?…[CNN、オクタビア・ナスールを解雇] Can We Talk? - By THOMAS L. FRIEDMAN


今、話せる? By トーマス・L.フリードマン(7/16, NYタイムス)

 7月7日にCNNは、その中東問題関連のシニア・エディターOctavia Nasrを… 彼女が「自分はSayyed Mohammed Hussein Fadlallahの逝去をきいて悲しく思う」とTwitterのメッセージに書き込んで公表した後に、解雇した。
─Fadlallahとは、ヒズボラ武装組織の創立にも関与したレバノンで最も著名なシーア派の精神的リーダーの一人だが、Nasrは彼を「私が尊敬してやまない、ヒズボラの巨人の一人」と描写していた。

 私は、彼女の解雇には問題があると思う。…そう、彼女は過ちを犯した。スクープ記事のレポーターたちは、記事で扱ういかなる登場人物についても、個人的感情もまじえてはならない。それはメディアの信用性を損ねる。でも我々は、アラビア語を話すレバノン人キリスト教徒の女性ジャーナリストがCNNのために中東情勢をレポートしてくれることによって多大な恩恵を受けていたし、そして彼女が20年間に犯した唯一の罪がFadlallah のような複雑な人物に関して書いた140字のメッセージであるなら、彼女への制裁はより緩やかであるべきだ。彼女は1ヶ月ほどは謹慎すべきだったかも知れないが、でも解雇されるべきではなかった。そこにはいくつかの理由がある。

 まず始めに、それが我々にどう影響したのか?たった一言の動詞の誤用で、1時間以内にデジタル世界のリンチ・モブ(リンチ集団)があなたを追いかける─そしてあなたの上司たちが、状況を取り繕うべくスクランブル発進する。でもジャーナリストというものは、レポート上のミスや間違った言説の引用、記事の捏造や盗用、システム的な偏見などで、彼・彼女の職を失うべきもので─ このようなメッセージのために失うべきものではない。

 我々は、若い世代にどんなシグナルを送っているのだろうか?風向きに向かって帆を調整せよ、政治的公正さを持て、どこか特定の政治的支持層に非難を浴びるようなことを決して言うな。そしてあなたがもしも、政府関連の仕事や、全国的なジャーナリズムの仕事、あるいはハーバード大の学長の様な仕事をしたい望みがあるなら、安全に振る舞い、誰かを立腹させる可能性のある知的な挑戦などを決して行うな。あなたが言ったすべての言葉が永遠に検索可能になるグーグル時代には、未来とは、何も足跡を残さぬ者だけの手にあるのだ。

 また、そこには中東問題から見たアングルが存在する。もしも我々米国がレバノンやアフガニスタン、イラクにおいて行った介入から学ぶべきことがあるとすれば─それはこうした地域を知る米国人というものがいかに少ないか、ということだ。我々には彼らのニュアンスで情勢を生き生きと通訳してくれる通訳が必要なのだ。

 私は米国の侵攻後にバグダッドに居た、そしてブッシュが任命したこうした若い人間たちに会った─彼らは(Rajiv Chandrasekaranが“Imperial Life in the Emerald City”でも書いたように)しばしばブッシュに対して、100%忠実だったがゆえに選ばれた─たとえ、イラクについては100%無知だったとしても。彼らの無知さは、その地での我々の失敗というものを助けた。「米国の占領当局の仕事を探していた2人の人物がいうことには、彼らは彼ら自身のRoe v. Wadeに関する意見さえも問われていた」、とChandrasekaranは書いている。 (*'73年のRoe対Wadeの米最高裁判決以来、今に続くabortion right 堕胎の自由論争の代名詞¨ブッシュ政権は強いanti-abortionだった)

 私はOctavia Nasrにも、Fadlallaにも会ったことはない。Fadlallahは明らかにイスラエルを憎んでいて、イスラエル人に対する攻撃を支持し、米軍のレバノン及びイラクへの侵攻に対して反対していた。しかし彼はまた、ヒズボラの窒息的なドグマチズム(教条主義、独断主義)や、イランに対する従順さにも反対していた;彼はレバノンのシーア派が独立的でモダンであるよう望み、そして彼は彼の書く社会的な論評(commentary)を通じて、この地域で影響力を打ちたてていた。

 “Democracy: A Journal of Ideas”のエディター、Michael Tomaskyが指摘するのは、リベラルな世俗的シーア派のレバノン人(女性)ジャーナリストのHanin Ghaddarの(Now Lebanonのサイト上での)回想だ…それは、彼女がベイルートで一人暮らしをすることについて、Fadlallahがいかに彼女の保守的な父親に介入をしてくれたか、だった━Fadlallahは父親に「彼女が独立した、精神的に健全な大人の女性である以上、父親は彼女のやりたいことに口を出す権利はない」という内容の手紙を書いて、それを許可させたのだという。

 Ghaddar は「Fadlallahのような人物だけが、status quo(現状、体制)を変える事ができる」と理解するに至った、と語っている。アンチ・ヒズボラ派を自認するような人は、批評家であれ反対勢力であれ、あるいは無神論者であれ、シーア派のコミュニティーにはまれにしか存在しない─何故なら、人々が彼らのような者の言うことに耳を貸さないからだ。…一方Fadlallahは、人々の心に達する事ができた─なぜなら、彼は人々のうちの一人だったからだ。…彼のような人々こそ、強力になれば真の変革をもたらすことができるのだ。彼はヒズボラやイランの指導者たちが恐れを抱く、まれな人々の一人なのだ…なぜなら人々が彼を好み、彼への尊敬を抱いているからだ。

 もちろん、Fadlallahはソーシャル・ワーカーなどではない。彼にはダークな面がある。CNNの人々は私に、Nasrが彼の両方の面について知っていたと語った。しかし、私が知っていることはこれだ:中東は、繁栄のためには変わらねばならない、そしてその変革とは、内側からもたらされる変革である必要がある。その変革推進者(change agents)とは彼らの目から見て正当性を有する、彼ら自身の文化に根ざした誰かである必要がある。彼らとは、米国製のカップ一杯の紅茶ではないだろう、しかし我々は彼らについて知る必要がある、そして我々の興味関心が収束する点を知る必要がある─彼らの、その全てを悪者扱いするのではなく。

それゆえ私は、自分の情報源として…何千人もの男性や女性がなぜ、一人の年老いたシーア派の聖職者<我々がそれを、テロリストとしてしか捉えない人物>の死を悼んでいたのかを実際に説明できる様なCNNレポーターによるニュース報道の方を好みたい━そのことを何も知らないか、もっと悪ければ…敢えて言おうとしないレポーターによるニュース報道よりも。
http://www.nytimes.com/2010/07/18/opinion/18friedman.html?ref=thomaslfriedman

 











Sayyed Mohammed Hussein Fadlallahのウェブサイト(英語ページ)
http://english.bayynat.org.lb/
同師の語る、Woman、Familyについてのページ…
http://english.bayynat.org.lb/WomenFamily/index.htm

Sayyed Mohammed Hussein Fadlallahの葬儀
http://english.bayynat.org.lb/news/Tashi3.htm

CNN's firing of Octavia Nasr protested
http://www.arabamericannews.com/news/index.php?mod=article&cat=USA&article=3180
(*註:Octavia Nasrは解雇の後も、Hussein Fadlallahについて全面的に支持するとはいっていない¨)
イラク戦争の経験後は米国メディアの異文化への態度も、少しは軟化したようにもみえるのだが?

Friday, July 16, 2010

ペトラエウス司令官の初仕事とは?/U.S. May Label Pakistan Militants as Terrorists By MARK LANDLER and THOM SHANKER


ハカニ族ネットワークをブラックリストに、資産も凍結?
パキスタンの反対を押し切リ、支配的な強硬策を実施するつもりなのか

 U.S. May Label Pakistan Militants as Terrorists By MARK LANDLER and THOM SHANKER 米国、タリバン武装勢力リーダーをテロリストに認定する可能性(7/14、NYタイムス) 

 アフガンの新司令官となったペトラエスは、反乱勢力でも特に恐れられているリーダーたちをテロリストとして認定すべきだと推している。これはアフガニスタンとタリバンとの間の最終的な政治的解決を複雑化させ、この地域の政治的緊張を高める可能性もある。

 ペトラエウスはオバマのアフガン・パキスタン戦略アドバイザーたちとの議論で、Haqqani networkをブラックリストに載せることを提案。この動きはHaqqani族と親密な関わりをもつパキスタンとの関係を悪化させる危険がある。そして反乱勢力全体との和解を推進する、カルザイ大統領の独自の戦略を挫折させることもあり得る。

 戦争領主が率いるHaqqaniネットワークのケースは、─タリバンと組する何れの反乱グループが何らかの恩赦を受け、未来のアフガニスタンの政治で役割を果たすべきかどうかも考慮した上で決めるべき─こうした困難な決断を浮き彫りにする。カルザイはすでに国連に対しタリバンの数十名のメンバーに対する制裁措置の解除を申し立ているが─アル・カイダと袂を分かち、暴力の放棄とアフガニスタン憲法の受け容れを誓った人々の開放に関しては─オバマ政権からも条件つきながら支持を約束されている。

「彼らが(軍事的解決の)一線を越えて冷たい荒野から歩み寄ってきたなら、彼らを受け容れる余地がある」とオバマ政権のAf-Pakの特別代表のRichard C. Holbrookeはいう。

 パキスタンとアフガンの国境地帯をベースに、Sirajuddin Haqqaniのネットワークは首都カブール近辺やアフガン東部全域での多くの反乱攻撃…爆破攻撃や誘拐、米軍基地への大規模な攻撃を指揮していると疑われる。彼らはアル・カイダとも連携し、パキスタンQuetta近郊を本拠にしたオマール師率いるタリバンの一派のリーダーたちとも連携している。

しかし彼らの真のパワーとは、彼らをアフガンへのそれ自身の影響力維持のための支え(レバレッジ、てこ)とみるパキスタンの諜報機関ISIのなかにあるといわれる。パキスタンのリーダーたちは最近、カルザイと彼らの間の対話を仲介したという。

 米国の高官たちは、Haqqani networkの上層部がアフガン政府と和解する可能性に、極めて強い疑念を抱く─彼らの中間層の司令官や下層レベルの兵士たちは別として。こうした上層部に対して制裁を加えることが、すでに武装の解除を受け容れた兵士らによる、再度の造反を誘うのではとの危惧もある。

 Haqqani 族をブラックリストに載せるとの案は当初、火曜日の会議で、パキスタンとアフガニスタンの視察から帰ったばかりの民主党ミシガン州上院議員Carl Levin(議会の軍事委員会の議長で強い発言力を持つ)が提案したものだ…(中略)

 …この政治的解決案は、来週カブールでカルザイ大統領とクリントン国務長官出席の下で開かれる会議の場で、強く焦点が当てられるだろう。カルザイ氏は最近、タリバン下層兵士たちを(政府側に)再統合するプログラムの法令に署名したが、ペンタゴンによる1億ドルの出資に加えて日本・英国その他が1億8000万ドルを出資するこのプログラムは、同会議の場を通じ実施に移されるとみられる。

 カルザイ氏は上層部にもオリーブの枝を差し延べる意志を持ち、同政権は国連安全保障委員会のブラックリストにある137名のタリバンの名前のうち50名の削除を求めている。Holbrooke氏は米国はその努力を支持はするが、あくまでリストの選択はケース・バイ・ケースで、オマール師などはもちろん範囲外だとしている。

 この件で米政権は下層レベルの兵士たちへの働きかけを強調するが、これは上層部リーダーたちを和解になびかせるかも知れないと専門家は語る。Holbrooke氏はカルザイ氏とパキスタンのリーダーとの最近のミーティングが、疑念を抱くこうした近隣諸国の人々とのあいだにゆっくりと信頼関係を築いている様であり励まされる、と述べた…
http://www.nytimes.com/2010/07/14/world/asia/14diplo.html?scp=1&sq=U.S.%20May%20Label%20Pakistan%20Militants%20as%20Terrorists&st=cse

*上写真はJalaluddin Haqqani(1998)

http://www.youtube.com/watch?v=v1W6zQi2cV8&feature=related
Afghanistan - Pashtoon Taliban leader Mullah Haqqani

http://www.longwarjournal.org/archives/2010/02/the_talibans_top_lea.php

The Afghan Taliban's top leaders

http://www.outlookafghanistan.net/news_Pages/main_news.html#01
Karzai, Petraeus in Talks on Afghan Militias: Spokesman

カルザイは、西欧によるタリバン打倒を疑問視?/ Karzai Is Said to Doubt West Can Defeat Taliban- By DEXTER FILKINS


マクリスタル前司令官の解任の少し前、
カルザイ政権の長年の諜報長官サレハ氏と、内務大臣アトマール氏が突如辞任…その理由とは?


カルザイは、西欧によるタリバンの打倒を疑問視する By デクスター・フィルキンズ (6/11, NYタイムズ) 

 その二人のアフガン政府高官がハミド・カルザイ氏大統領に、今月(6月)の初めにアフガン全土で開催された平和会議に対して起きた大規模なロケット弾攻撃に関する証拠を見せた際、カルザイ氏は、それはタリバンの仕業ではないと信じている、と語ったという。

 「大統領は、その証拠に何の興味も示さなかった…何にもだ…彼はそれを価値の無い塵や埃のように扱ったのだ」と、当時アフガン諜報長官だったAmrullah Saleh(サレハ)氏は言う。Saleh氏は、カルザイ氏がその様な態度をとった詳しい理由について語ることを拒否した。しかし、その会合を知るある匿名のアフガン高官によれば、カルザイはそのときそれは米国の仕業かもしれないと指摘していたという。

 このSaleh氏とのやり取りの何分か後、Saleh氏と内務大臣Hanif Atmar氏は職を辞任した─それはカルザイ政府が9年前に権力を掌握して以来の、最も劇的な背信ともいえた。Saleh氏とAtma氏は、カルザイ氏が彼らをもはや忠実とはみていないと明らかにしたことが、彼らが職を辞した理由だと述べた。

 しかしSaleh氏と、アフガンおよび欧米政府の関係者たちによれば、現状の底に横たわる緊張状態はより一層根源的なものになっているという: つまりカルザイ氏は、米国人とNATOがアフガニスタン情勢で優勢を握り続けられる、ということを信じられなくなっているのだと。

 そのような理由によりカルザイ氏はタリバンと、そして同国の宿敵で長年のタリバン支援者のパキスタンとの交渉を、彼独自に進めようと試みてきた…と、Saleh氏と他の官僚たちは言う。あるアフガンの元上級官僚によればカルザイ氏のやり方とは、米国とNATOの視界の外で、タリバンとの秘密交渉を行うことを含んでいた。

 「大統領は、同盟国やまた彼自身の政府それ自体にこの国を守りうる能力がある、との信頼感を失っていた」とSaleh氏は自宅でのインタビューで語った。「カルザイ大統領は、NATO軍は敗ける、と宣言したことはないが、彼がこの作戦にプライドを抱いて対処していないことでも、彼がその実効性を信じていないことは明らかだ」

 大統領に近い人々は、昨年夏の国政選挙において、独立した選挙監視機関のモニターたちが…カルザイ氏の名の下で100万票近くの票が不正に盗まれた、との結論を出して以降、彼が米国人への信頼を失い始めたのだという。12月にオバマ大統領が、2011年までに米軍兵力を削減するという意志の宣言を発して以来、その亀裂はより深まった。

 「カルザイ氏は私に、この国の状況の解決のためには米国人はもはや信頼できないと言った」と、カブールのある欧米の外交官は匿名を条件に語った。

 「彼は、昨年の選挙の期間中に、欧米人が彼の法的な正当性を奪った、と信じている。そしてその後彼らは、この国を去ることをも公式に宣言した、と。」

 ─金曜日に、カルザイ氏にこの件でコメントを取るためのコンタクトはとれなかった。

 もしもカルザイ氏が、米国との密接な協働関係と、彼自身の軍とによってタリバンと戦うという決意が弱まっているのなら、それはオバマ大統領にとって問題となる。米国の戦争の戦略とは、タリバンの掌握した地域を奪回し、その地でカルザイ氏の軍と政府が取って代わり、このますます米国民にとって不人気な、費用の嵩む戦争への米国の関与のスケールを縮小していく… ということに大きく依存しているからだ。

 これまで、カルザイ氏との関係は時に不安定で、国際社会の関係者たちは過去にも彼が誤った判断を下す可能性がある、との懸念を表明していた。

 昨冬、カルザイ氏は、NATO軍が北部アフガニスタン全域でタリバン兵士たちをヘリコプター輸送していた折に、その作戦を批判した。今年の初めには、オバマ政権から批判を受けた後に、カルザイはその支持者グループに対し、彼自身がいっそタリバンに合流する可能性さえある、などと語った。

 米国政府関係者たちは先月、カルザイがホワイトハウスを訪問した折に、カルザイとの関係修復を試みた。無論多くの課題においては─例えばタリバンの指導者たちの一部と接触し、彼らの武装戦士たちの立場を翻させて(政府の側につくように)説得するというようなことで、カルザイ氏と米国の関係者たちは同じ立場の側にあるのだ。
 
 しかし、彼らの間で動機が異なることははっきり見て取れた。米国人とNATOのパートナーたちは、何千何万もの追加勢力を同国に追加派遣し筋金入りのタリバンを弱体化して、彼らグループを交渉のテーブルに着かせよう、としている。しかしカルザイ氏は、米国主導の攻撃的戦略には実効性はない、と信じているように見える。

 大統領宮殿における記者会見で今週、カルザイ氏は、6月2日のロヤ・ジルガ(国民平和会議)への攻撃におけるタリバンの役割についての見解と、NATO軍への信頼感についての質問を受けた。彼はどちらの質問への答えも拒絶した。

 「誰がやったのか?」と彼は攻撃についてたずねた。「その問いへの答えは、我々の治安組織が用意すべきことだ」と彼は言った。

 「我々はすべての状況の改善のため、引き続き努力している」とカルザイは(英国のデビッド・キャメロン首相に続いて現れて)英語で言った。あるNATOの上級官僚は、NATO同盟国の強力な支持を得ていたAtmar氏と Saleh氏の辞任とは「極度に破滅的な」ことだ、と述べた。


 その官僚はカルザイ氏について─「私が懸念するのは、彼に戦時のリーダーとしての能力があるか、ということだ」と言った。

 そのNATOの官僚は、米軍司令官たちがカルザイ氏に、平和会議への攻撃が、タリバン傘下で戦う有力指導者の一人Jalalhuddin Haqqanに忠実な武装兵士たちによる行為だとする、圧倒的な証拠を提示した調査書類を渡したと述べた。

 「これには疑いがない」とその官僚は言った。

 Saleh氏とAtmar氏の辞任は、アフガン指導部の中でタリバンと彼らのパキスタンのパトロンたちとの交渉の最適の手段であった部分の深い亀裂を暴露した。

 Saleh氏はタリバンと、またソ連軍と戦った伝説的司令官・故Ahmed Shah Massoudの元側近だった。Massoudの元副官たちは主にタジク人であり、彼らは現在、北部アフガニスタンで重要なリーダーを務めていて、国民平和会議ロヤ・ジルガには参加していない。Saleh氏のごとく、彼らはタリバンやパキスタンに対する強硬派(ハードライン)的なアプローチによる交渉を望んでいる。

 カルザイ氏は圧倒的多数のタリバンと同様に、パシュトゥーン人である。彼は今や、より和解的なアプローチを望んでいるようだ。

 ロヤ・ジルガの最後にカルザイ氏は、拘束中のすべてのタリバン兵士の逮捕のケースを再調査して、極端に危険度の高いと思われる人物以外を釈放するための委員会発足を宣言した。同委員会は、カルザイ政府の数名の上級メンバーが率いているものの、Saleh氏の束ねる諜報機関National Directorate of Securityは除外されている。

 Saleh氏はインタビューで、この委員会からの排除は彼の感情を害したと語った。彼にとって主要な職務とは、タリバンを理解することなのだと彼は言う…そして彼の諜報機関をこの委員会から排除することで、カルザイ氏が札付きのタリバン兵士たちを解放してしまう可能性があることを、彼は懸念している、という。

 「彼の結論というのは…多くのタリバン兵士が誤って拘束されており、彼らを釈放すべきだということだ」、「タリバン(政権)の崩壊以来、すでに10年が経過している─それは我々が敵とは誰なのかを知らない、ということだ。我々は人々を誤って拘束している」 と、(カルザイは考えている)。


 Saleh氏はさらにロヤ・ジルガを批判して言う、「ここにジルガの意味がある─」、「"私はあなたと戦いたくはない。私はドアを開けてあなたを待っている。私があなたを山岳地帯に追いやったのは間違いだった。” ジルガはアフガニスタンにとっての勝利ではない、それはタリバンにとっての勝利、というわけだ」─

 カルザイ氏はここ何ヶ月か、タリバンとの間の橋渡しを試みてきた。今年の初め、彼の弟Ahmed Wali Karzaiはタリバンの副司令官Mullah Abdul Ghani Baradarと秘密会合をもっていた、とアフガンの元上級官僚は言う。

  カルザイ政府の初期の内務副大臣だったHilaluddin Hilal氏によれば、Ahmed Wali KarzaiとBaradarは1月に2度ほどパキスタン国境近くのSpin Boldakで会合した。その会合は、カンダハル県の影の知事(shahow governor)であるMullah Essa Khakrezwaと、タリバンの諜報官僚Hafez Majidの仲介によるものだった、という。

 カブールのある欧米のアナリストはHilal氏の情報は正しい、と保証した。前述のNATOの上級官僚は、彼もSaleh氏もその会合のことを知らなかったという。Ahmed Wali Karzai氏はその件に関するメールでの質問状に回答していない。

 その会合における決議の内容は判らない、とHilal氏はいう。Baradarは1月に、パキスタンと米国のカラチでの合同襲撃作戦において逮捕された。しかしカルザイ氏による、タリバンとの交渉の試みは継続された。

 「彼は、米国は留まり続けるための余力を持たない、と考えている」とHilal氏はいう。Saleh氏は、カルザイの戦略はパキスタンへの、より和解的なラインも含んでいるという。それが本当なら、それは就任以来9年間、パキスタンによるタリバン反乱勢力への支援を常に非難してきたカルザイ氏にとって状況の大転換に達する可能性がある。

 Saleh氏はアフガニスタンが、パキスタンとの間で、国の弱体化に繋がる(彼の呼ぶところの…)「不名誉な取引」の受け容れを強いられることを恐れているという。

 彼はカルザイ氏は愛国者だ、とみているという。しかし大統領は、もしもパキスタンによる支援に依存するならば、それは過ちを犯していたのだという(パキスタンの指導者たちは長年カルザイ氏に、彼らが強硬派とみるSaleh氏の罷免を求めていた。)

 「彼らは彼を尊敬しているように装いつつ、彼の弱体化を図っている。彼らは弱いアフガンの指導者は支持するが、彼のことを決して尊敬はしない」、…とSaleh氏は言った。
http://www.nytimes.com/2010/06/12/world/asia/12karzai.html?pagewanted=all


*上写真:1月のカブールでの勲章授与式で、当時アフガン内務大臣のHanif Atmar氏、。

*下写真:前アフガン諜報部長官のAmrullah Saleh氏、水曜日にカブールで。

* [ 田中宇:アフガン撤退に向かうNATO ]

http://tanakanews.com/100712afghan.htm
↑田中宇氏の解説では、アフガン政権はすっかりタリバンとの和平に傾いているとする…が、ペトラエウス着任後は180度情勢が急転。新司令官は反乱勢力タリバンのリーダーらのテロリスト指定を要求した…

*ペトラエウスはまた、着任早々カルザイ大統領との最初の会談で、彼の強固な反対を押し切って、アフガンの内務省が直接統括するとの条件で、反タリバンの全国的民兵組織の設立にも同意させた(イラクのスンニ派覚醒部隊をコピーした戦略)



Wednesday, July 14, 2010

ペトラエウスと「増派」の神話/ Petraeus and the 'Surge' Myth- By Robert Parry


マクリスタル氏の突然の解任。
後任司令官となったペトラエウス氏の過去の業績を取りざたする記事も氾濫!…

ペトラエウスと「増派」の神話 By ロバート・パリー (6/30、Middle East Online)

 もしも今、ワシントンのオピニオン・リーダーたちの間で、何事にも優先するコンセンサスがあるならば、それはイラクで同様な功績を挙げたデビッド・ペトラエウス大将が、アフガニスタンでの失敗続きの戦争を建て直すための完璧なチョイスだ、という見方だろう。しかしそのような世間の一般通念が、もしも誤っていたなら?

 もしも2007年にペトラエウスがイラクを継承したことと、ブッシュ大統領が大いに称えた米軍の“surge” (増派作戦)が、イラクでの最終的な暴力の減少とはあまり関係なく、これらの原因がもたらした結果というよりも、単なる偶然だったとしたら?

 それならば…バラク・オバマ大統領が昨秋、イラクと同様な兵力“増派"を承認したアフガニスタンでの戦争…では、より一層の人命と金銭的な犠牲をもたらすことすら予想される。ペトラエウスは来年、個人的な失敗を認めるよりも、むしろさらなる兵力増派を求めるだろう、との予測もある。

 我々はConsortiumnews.comにおいて、事実や客観的な分析が違った見方の方向性に向かうことを示して、ワシントンの“group think 集団的発想” への挑戦を行った。なぜなら、いい加減な世間一般の通念というものがワシントンの権力の中枢を支配するとき、多くの人命が失われるかもしれないからだ。

 イラク戦争は、誤った仮説がいかに破滅的な政策に繋がるかの古典的な例だった。それは確かに、侵攻以前にほとんど全ての重要な人物たちが、大量破壊兵器や、サダム・フセインとアル・カイダのテロリストとの関係についての偽の諜報情報を信じて、それに加担したケースだった。

 その後には未成熟な勝利宣言と祝賀が続いていた…MSNBC のアンカーマンChris Matthewsによる、「我々はいまや皆ネオコンだ」という宣言から、ブッシュ大統領による"Mission Accomplished” のスピーチまで。

 こうした全ての仮定が間違っていると判ったとき─そしてイラク戦争がとても醜悪なものになっていったとき─イラク侵攻の扇動に便乗していたジャーナリストや政治家たちに対する信頼は殆ど失われてしまっていた。
 そして2006年には、シーア派とスンニ派の宗派戦争が残忍さを増してイラクを引き裂き、米国人の犠牲者数は増加し続け、留まるところが見えなかった。

 しかし、他でもなく幾人かの要職の人物たちが彼らの落ちた名声を回復したいとの欲求を抱いても、ワシントンは依然としてイラクの雷雲のなかに希望の兆しの光を見ることはできなかった。…そうした機会は2006年の大虐殺のさなかに、自ら出現した。

 暴力の悪化にも関わらず、George CaseyやJohn Abizaidといった司令官たちは、米国の「足跡」をできる限り小さくして、イラクのナショナリズムを鎮圧しようという主張に固執した。彼等はそれ以外にも幾つかの仕事のイニシアチブをとった。

 そのひとつは、Casey とAbizaidがアル・カイダの主要なリーダーたちを討伐する秘密作戦を行ったこと─ …最も成功したものとしては2006年にAbu Musab al-Zarqawiを殺害したことだ。彼等はさらに、スンニ派の間で高まるアル・カイダの過激派に対する敵対意識を利用して彼らを買収し、Anbar 県での“Awakening”(覚醒部隊)とよばれる運動に参加させた。

The ‘Surge’ Cometh 「増派」の開始

 それはブッシュ大統領が、Casey とAbizaidの解任と、ペトラエウスの後任司令官への指名とに相伴って、 2007年1月に約3000名の米軍兵力の‘Surge’増派宣言を発するより前に起きていた。そして“small footprint”(小さな足跡)戦略は、廃案になった。

 疑いもなくペトラエウスは、シーア派の原理主義的リーダー、Moktada al-Sadr が全面的停戦宣言を発したこともあって、ラッキーだった(伝えられるところでは、al-Sadr は彼のイランのパトロンからの、地域的な緊張をクールダウンするようにとの要請に応じたのだともいう)

 米軍の追加勢力の到着により、‘Surge’(増派)は米軍とイラク人の戦死者数の史上空前レベルへの激増ももたらしていた。

 ペトラエウスはまた、イラク人の“military-aged males(軍事的適齢期の男子)”またはMAMSの無差別な殺害や一斉検挙も容認していた。そうした残虐行為がよく記録された例は、2007年12月に米軍がヘリコプターから、ロイター通信のジャーナリストたちを含むイラク人の男たちを爆撃し殺害した様子の、リークされたビデオがある。

 2台ほどのカメラを武器と誤認して、米軍の減りは司令部から承認を受けて、バグダッドの通りを何ら、攻撃的様子もなく歩いていた彼らを無差別に殺害した。その殺戮のシーンにはヘリのクルーによるマッチョなジョークとくすくす笑いも伴っていた。

 米軍の攻撃者はそこにバンで到着して負傷した通信社の人間たちを救助し病院に連れて行こうとした数人のイラク人をも爆撃した。バンに乗っていた2人の子供は重い怪我を負った。

 Wikileaksに “Collateral Murder” として投稿されたこのビデオに、ある米国人は「戦闘に子供を連れてきたことは彼らの手落ちだ」、とコメントした。

 イラクのMAMSに対する他の攻撃として、ペトラエウスの司令の下で米軍は同様な無実の一般市民を誤って殺害していたと思われるが、こうした行為はまた実際に、街の武装勢力も確実に一掃していた。

 4年間にわたる米軍のハイテク戦争の後、イラク人たちは確実にトラウマと疲弊に襲われていた。何万人もの人々が殺され、不具にされた後、イラクの人々が彼ら自身のサバイバルに目を向けはじめたことは理解に難くない。

 ブッシュの“surge” はまた、さらに1000名に上る米兵の命を奪い、戦争全体を通じた米軍の犠牲の4分の1を占めている。

‘Successful Surge’ 「成功した増派作戦」

 2008年に暴力のレベルが徐々に減少してきたとき、ワシントンの影響力あるネオコンたちはすかさず、増派の成功、という名の功績を訴えた。ワシントンの報道機関では、CNNの有名キャスターのWolf Blitzerなどが、このテーマを繰り返し唱えていた。

 しかし、この新たな世間の一般通念が固定化したとき、実際に戦闘に参加した者たちをあえてインタビューした数人のアナリストたちは、異なる現実を発見していた。ブッシュの戦争初期の判断を誉めそやしたベストセラーを書いた作家のBob Woodwardですら、“surge” は唯の要素にすぎなかったこと…それはおそらく暴力の減少の大きな要因のひとつですらなかったとの結論を導いた。

 彼の著書”The War Within”でWoodwardは書いた、「ワシントンでは、世間一般の通念というものがこうした事件を、増派が功を奏したという単純化された見方に翻訳してしまう─しかし、全体のストーリーはもっと複雑だった。最低でもその他の3つのファクターが、増派と同様に重要か、あるいは増派よりも重要だった」

 Woodwardの本の内容はペンタゴンのインサイダーから多くの情報を得ているが、アンバール県においてスンニ派がアル・カイダの過激派を拒絶したこと、そしてal-Sadrによる驚くべき停戦の決断、という二つの重要なファクターをリストに挙げている。

 そして、Woodwardが最も重要かもしれないと論じている三つ目のファクターとは、米国が新たに採用し始めた高度に機密的な諜報戦略が、反乱勢力のリーダーの迅速な標的化と殺害を可能にしたことではないか、という。Woodwardはその機密戦略の今後の成功を妨害しないため、著書ではその詳細を明らかにしないことに同意している。

 しかしこの、より複雑なリアリティ… そして「成功した増派」作戦の暗い面(ダークサイド)というものは…米国での政治的な/メディアでの論議からは、大幅に排除された。侵攻開始以前にはワシントンの報道関係者たちは、疑念を抱くジャーナリストというよりも、はるかにブッシュのプロパガンダ扇動者として振るまっていたのだ。
 
 「成功した増派作戦」の神話に関する、その他の二つの危険な事項は、ペトラエウスがその華々しいリーダーシップのお陰で聖人のように祀り上げられたり、また若さをとり戻したネオコンたちも、再びアフガニスタンでの「増派作戦」を実施すべきだ、と主張するかもしれないことだ。どちらの危険性もオバマが大統領に選ばれてから発生したものだ。

 ペトラエウスと、オバマにより国防長官として留任したもう一人の「増派のヒーロー」Robert Gatesは、新大統領に対して特殊作戦の司令官Stanley McChrystalを推し、中央司令部からペトラエウスが肩越しに監督する下で、McChrystalがアフガンでの米軍の指揮を執るようにプッシュした。

 出番を迎えたMcChrystalはアフガンへの兵力増派を要求し、そして(Joe Biden副大統領が主唱した)代替戦略には反対を唱えた─その戦略とは、米軍の攻撃的な反テロ戦略による「足跡“footprint”」をより小さくするもので、イラクで「増派作戦」より以前にCaseyと Abizaidが行っていたものに類似していた。

 しかし、「増派の成功」に関するメディアの通念や、オバマお抱えのタカ派のアドバイザーGatesやHillary Clinton国務長官などのお陰で、PetraeusとMcChrystalは… 大統領をたやすく後に引けない状況に追い込んだ。彼はさらなる3万の兵力をアフガンに増派し、総兵力を10万に拡大することを容認した。

 新たなる派遣兵力にも関わらず、アフガンの「増派」は─ Marja地区の田舎での戦略の行き詰まりやKandahar侵攻作戦の延期により、たいした牽引力を発揮できなかった。それはRolling Stone誌のフリーランス・ライターが、McChrystal や彼の内輪の者たちが、大統領とホワイトハウスのアドバイザーたちに対しいかに軽蔑的かを暴露する以前の話だった。

 Rolling Stoneの記事以降、大手メディアの記者たちは当初、オバマがどうすべきかについてはアンビバレントな(相反する)思いを抱いていた。それでもとにかく、辛らつなMcChrystalは、ペトラエウスと同じ位に彼のお気に入りだった。(多くのジャーナリストは彼の反抗的な(非服従の)態度を知っていたが、McChrystalチームに対して取材する継続的な「アクセス」を維持するため、そうした情報を出すことを抑えていた。

 しかし、オバマがMcChrystalを解任させぺトラエウスを後任にすえたとき、ワシントンのニュースメディアは賞賛で応えた。それはアフガニスタンの戦場で、ペトラエウスのような魔法を使える人間は他に誰もいないとの考えであり、その証拠とはイラクでの作戦を再現することのなかにあった。

 一流のコメンテーターたちが再度考察することを厭うのは、「成功した増派」というような通念や、ペトラエウスがそれを成し得たのは天才だからだといった考えが… 以前にイラクの大量破壊兵器について皆が誤認していたのと同様の"group think" なのではないか、ということだ。

 そこにはワシントンの誰もが受け容れたがらない、もうひとつのイラクからの教訓があるようだ: 米軍兵力とイラクの一般市民の犠牲が最も劇的な減少を示したのは、米国が2008年の暮れに米軍のイラクからの撤退を求める'status-of-forces agreement'(軍のステータス合意)を受け容れた後のことだ、という事実だ。

 イラクの民衆もアフガニスタンの民衆も、世界中からきた外国人が彼らの国を占領しているということを余り好んでいないようだ。しかしそれはデビッド・ペトラエウスも、そしてワシントンのメディア関係者も…心に留めようとするような現実ではないようだ。

注:Robert Parry は1980年代にAP通信とNewsweek.に対しIran-Contra事件の多くのストーリーを暴露した。彼の最新の著書には、"Neck Deep: The Disastrous Presidency of George W. Bush ”、その他の著書では、”Secrecy & Privilege: The Rise of the Bush Dynasty from Watergate to Iraq"、そして ”Lost History: Contras, Cocaine, the Press & 'Project Truth' がある。

http://www.middle-east-online.com/english/?id=39842

*…筆者のロバート・パリーはイラン・コントラ事件を暴くなど、共和党政権を批判してきた人物…レバノン系のメディアが、中東寄りでやや反米的な英米の論者の記事を載せている
 

Tuesday, July 13, 2010

アフガン─ひとつの脱出方法 /One Way Out -By ROSS DOUTHAT


元の記事タイトル
"The Only Way Out of Afghanistan”だったらしい?
筆者が「唯一の」…から「ひとつの」脱出方法に変更している…


ひとつの脱出方法 By ロス・ドウザット (6/27、NYタイムス) 

 ここに、米国のアフガニスタン介入の残酷なパラドックスがある:状勢がより暗くなって、我々にとって後退(セットバック)を蒙らされればされるほど、我々が半永久的にそこに留まることになる、という可能性も増大する。

 この国の舞台にいま9万の米軍部隊が駐留し、NATO諸国の軍を寄せ集めた部隊がその脇を固め戦っている現在の状況では、まだそうとはいえまい。しかしもしも、現今の対・反乱勢力の軍事作戦が失敗したなら、米国が何らかの軍事的な駐留を2020年まで、あるいはそれ以降も継続し、アフガニスタン国家を支え続けるだろうことがほぼ確実に保証される。失敗は確実に我々にとっての罠となる: 成功だけが我々の唯一の脱出へのチケットなのだ。

 なぜか?そこには3つの考察がある。一つ目は、9月11日の記憶というものが、どんな米国大統領にも、タリバンのカブールでの権力の回復というものを嫌悪させるからだ。二つ目は、パキスタンの北西国境の地域にアル・カイダのリーダーたちが居座り続けているということが、どんな米国大統領にも、アフガニスタンに設けうる対テロのための基地の放棄を、困難にさせるからだ。三つ目は、より広汎にみたこの地域の情勢の不安定さだ: そこは世界のなかで、核兵器で武装したテロリストという悪夢が現実になる可能性が最も高い地域なのだ、そのためどんな米国大統領も安全保障上の真空状態を残してここから退却し、地域情勢のバランスを不安定にすることなどできない。

 このことは、オバマ政権が、そのすべての内部的な議論と戦略のレビューを尽くしても、この国に残るか、この地での戦いから撤退するか未だに選択していないことを説明する。同政権は、二つの策によるアフガンへの継続駐留のどちらかを、選んできただけだ。

 その一つめの策とは、我々が現在進めている作戦だ:つまりペトラエウス大将がその作戦を支持していた(そして今や、彼が引きつづき見とどけるよう任命された)作戦で、他国の支えなしに生き延びられるアフガニスタン国家の土台の建設の途を探ろうとするものだ。 

 二番目の策とは、「対テロ・プラス(counterterrorism-plus)」の戦略、つまり政府高官たちの中でも特にジョー・バイデン副大統領が昨秋、最もロー・コストな代替戦略として提案したものだ。(http://www.newsweek.com/2009/10/09/an-inconvenient-truth-teller.html#)
 即時撤退を主張する者たちはバイデン大統領を彼らの同盟者のように見がちなのだが、ある意味でそれは本当だ。彼のプランではアフガンにおける米国の足跡を減らし、そしておそらく、米国人の犠牲者の数も減らすことになるだろう。

 しかし米国のアフガン関与の延々と長引いている状況、そして我々の排除してきた敵対勢力との武力衝突の多大さからいって、そうした戦略は現実にはより流血の多い、より一層長引くこう着状態を導く可能性がある。

 ひとつには、それは現実的に米軍の駐留を削減させることはないだろう、ということだ。その代わり、そのようなプランでは我々の兵力をアフガンの首都の周辺に集中させ、反乱勢力の各派との取引交渉の途を探りながら、現存の政府を守ろうとさせることになるだろう。歴史的には、そうした交渉は米軍がこの国に居残っている限り可能なことに過ぎない…つまり我々の兵士たちは首尾よく罠に捕らわれることになる─それは、実質的にはカブールの市長程度の力しかないその国のリーダー(Hamid Karzaiだろうが、それよりも少しは腐敗をしていない後継者だろうが)が、アフガニスタンの大統領であるかのように振るまう、ポチョムキン村のような国(見掛けだけの、こけおどしの国)を防護するべく、我々がそこにずっと足止めされ続けるということだ。

 …それと同時に、もしもアフガンの人々の安全を保障するための努力を放棄し、その代わりに無人偵察機による空爆と特殊部隊による敵勢力の急襲だけに頼る、といったアプローチをとるのなら、おそらく、この地での米国の声価をすでに翳らせている一般市民の犠牲者数のようなものをも一層、飛躍的に高めることになるだろう。

 このぞっとする様な可能性は先週、Stanley McChrystal将軍の解任をもたらしたRolling Stone誌上の(彼の)プロフィール記事のなかでも、暗に示されていた。表面上は左翼的で、対・反乱勢力作戦を反戦論者として批判するMichael Hastingsによるこの記事は、現状における戦略が… 罪のないアフガン市民の命の価値に「奇妙な仕方で」過剰な重きをおきすぎている、との不平不満に大きく論拠をおいている。Center for a New American Security(米国新安全保障センター)のAndrew Exumが指摘するように、Hastingsは終いには対反乱勢力戦略というものを「それがわが兵力に、充分な数の人間を殺すことを許さないから」、との理由で批判している。

 そのようなアイロニーは、もしも現状の戦略が効果的に立ち行かない場合に、オバマ政権が立ち戻る代替戦略というものが、反戦的なものはにほど遠いだろうことを指し示す。その代わりに、その戦略は依然として一層のアフガニスタン人の犠牲と、半永久的な米軍駐留へと向かうレシピとなるだろう。そして長期的には、それはタイムズ・スクエアでのテロ未遂犯、Faisal Shahzad(彼はアフガニスタンの一般人の犠牲が、テロへと向かった動機なのだと供述した)のような敵が、より一層増えることを意味するだろう。

 そして、このプランBのそのような侘しさとは、それが我々の兵力に、反乱勢力に成功を収めさせるよう試みるのに必要な時間を与えるのでは、といった論議を喚起する。我々は現状の方向性を無期限に守り続けることはできない、そして我々はそうはしない: オバマ大統領が、米軍の駐留にパブリックな期限を設定しよう、とした決断は間違いだった… しかし誰もが、軍が兵力増派を続けるにはリミットがあることを知っている。しかしこの、ホワイト・ハウスが考えたいとしているらしいオプションとは、アフガニスタンからの真の撤退を可能にしたいという希望を抱き続けるオプションであるようだ。

 そしてそれはペトラエウス将軍が今年から来年にかけて、さらにその後にかけてもそのために戦うもの─ つまり我々は永久的には滞在しないこと、脱出のための最後のチャンスなのかも知れぬものを掴みたい、ということであるようなのだ。
http://www.nytimes.com/2010/06/28/opinion/28douthat.html?_r=1&sq=ROssDouthat&st=cse&scp=3&pagewanted=print

*昨年4月新たに登場したNYT史上最年少、29歳のレギュラーコラムニスト、ロス・ドウザット。

一応、ビル・クリストルの後任で、「保守派」だが、本人は憧れのNYTに移ってからリベラル色を強めて書いているとか。
彼がNYTの前に属していた組織は、1857年創刊のボストンの有名紙"The Atlantic"だとか。 



*ロス・ドウザットの紹介記事:
Douthat enters new Times zone http://www.politico.com/news/stories/0309/20679_Page2.html
Times Hires New Conservative Columnist
http://www.nytimes.com/2009/03/12/business/media/12douthat.html

Monday, July 5, 2010

“アル・クッズ・インデックス”と、真のパレスチナの革命/The Real Palestinian Revolution - By Thomas L. Friedman

 パレスチナ自治政府寄りで、ハマスの嫌いなフリードマンが…
イスラエルと共存するパレスチナの自立を訴える…

真のパレスチナの革命- By トーマス・L・フリードマン(6/29、NYタイムス)  

 ちょっと君、ここに株式投資のための耳寄り情報がある。用意はいいかな?─ それはAl-Qudsインデックス(アル・クッズ株式指標)だ。

 Al-Qudsインデックスとは何なのか?つまりそれはP.S.E.、またの名をPalestine Securities Exchange(パレスチナ証券取引所)の株価による指標のことだ。西岸のナブルスを本拠地にして、この1年間の間は堅実な状況を維持している。ここに、そのストーリーがある。

 「それは、ほとんどのアラブ諸国の市場の指数をも上回っているのだ」と、その取引所のオーナー・Palestine Development and InvestmentのCEO、Samir Hulilehはいう。P.S.E.は1996年に19社の企業と共に開設され、今や41社の企業が上場している。今年はさらに、8社が上場する予定だ─ ここに上場する企業は、パレスチナの商業銀行や、ナブスルの外科医療センター、パレスチナの電力会社、そして、アラブ・パレスチナ人のショッピングセンターといった企業だ。「これらの企業の株の多くは、政治的不安要因から割安な状況にある」とHulileh氏はいう。それゆえ、あなたがさほど株価の不安定さを気にさえしなければ、ここには多くの上向きのチャンスがあるのだ… もちろん、ここでは間もなく、E.F.F.(an exchange-traded fund:P.S.E.売り出しの投資ファンド)も導入されるので、Al-Qudsインデックスを追跡すれば、あなたは米国に居ながらにして、パレスチナの長期物や短期物の債券を買うことだって可能になる。

 Al-Qudsインデックスの普及とは、西岸地域で過去数年の間に…元・世界銀行のエコノミストであり真のパレスチナの"革命"をリリースしてきたSalam Fayyad首相のリーダーシップのもとに始められた、一連の広汎な改革の一部分なのだ。それは、パレスチナの地位(法的有効性、capacity)や、社会的制度(institutions)を打ち建てる革命だ… それも、単にイスラエルの占領への反抗として打ち建てるようなものではなく─ もしもパレスチナ人が、真の経済やプロフェッショナルな治安部隊、効果的で透明性のある官僚組織を設立できるなら、西岸および東エルサレム近隣でのパレスチナ国家の樹立というものが、イスラエルにとって否定し難いものになるだろう、とのセオリーのもとに打ち建てる革命だ。

 Hulileh氏は言う、「私は、民間企業部門(private sector)が変わったと認めざるを得ない」、「以前まではつねに、我々には出来ることは何一つないと、文句ばかりを言っている雰囲気があった。そして政治家たちは、そのようなレジスタンスの雰囲気を創りだそうとしていた…レジスタンスというのは、占領下では何ら発展をしない、という意味だった」

 Fayyad首相と、彼のボスであるMahmoud Abbas大統領が、今やこの雰囲気を変えたのだ。Hulileh氏はこう言う─ 今や雰囲気は改善されて、パレスチナ経済が「我々に抵抗力と、しっかり振るまう力とを与えた。Fayyad首相は我々にこういったのだ…“君らビジネス・コミュニティには、占領を終わらせることに責任があるわけではない。君らは人々の雇用をはかり、国家の設立に向けて準備を整えておくことに責任があるのだ。それは、君らがグローバルな世界の一部となり、輸出や輸入を行う、ということだ、つまり国家ができた暁に、君らがゴミ捨て場を持つような必要がないように、ということだ。君らは準備しておくことが必要なのだ”…と」

 私は、Fayyad首相が彼のRamallahのオフィスで、上々の機嫌でいるのを見た。エコノミストから政治家に転身した彼は、彼の西岸の選挙区民たちと交ざりあって、より居心地がいいようだった… そこで彼は給水用の井戸や学校などを新設し(…それゆえ、もうそこには二交代制の工場や、使用済汚水の再処理施設はないのだ)静かにその人気を確立していた。イスラエル軍の最長老の人々は私に言った、Fayyadがこの真の取引契約によって新たに設立した治安維持勢力は、イスラエルが西岸の殆どのチェックポイント(検問所)を閉鎖したとしても、治安を維持するに充分なのだ。それゆえ、地域内部の商業活動や投資活動が動き始めたし、そしてガザの中にすら、こちらに移住し始めている人々がいる。「我々は変化のポイント(変曲点)というものから、さほど遠くはないのかもしれない。」とFayyadは私に言った。

 AbbasとFayyadによる国家建設の努力とは、未だにか弱いものだ…それはテクノクラート(技術官僚)の小規模なグループ・チームと、パレスチナのビジネス・エリート、そして新設された職業的治安部隊が担当しているものだ。このチームがより一層強くなれば、彼らはより一層の挑戦をおこない、また西岸にいるFatahの古参の幹部たちからの挑戦も受けるだろう…ガザにいるハマス勢力からの挑戦も勿論のこととして。しかしこれは、二国家併立主義における解決策として唯一残る希望であり、それゆえこれは、静かに支持を受ける必要がある。

 Obama大統領が7月6日にイスラエルのBibi Netanyahu首相に会見する際にできる最も重要なことは、彼を小突いて…西岸地域の主要なパレスチナの都市において徐々にパレスチナ自治政府へと権力の移譲を行わせること─そして、それによりFayyadが彼の人々に対しても…その言葉どおりに彼が独立国家を作りつつあり、それは"占領の永久性を受け容れるためにやっているわけではない" のだと示せるようにすること…、それによってイスラエルも、パレスチナの新治安維持勢力というものが本当に、イスラエル軍による夜間の家宅捜索(急襲)などに頼らずに平和を維持できるかどうかも検証できるようにすることだ。Fayyadism(ファイヤドの思想)を強化するために、これ以上の方策はない。

 しかし私は、Fayyadism がアラブ人とイスラエル人にとってどの程度、居心地の悪いものかをみても驚愕を覚える。パレスチナ人は永遠の犠牲者だ、という考えに魅せられている(その思想に恋愛感情を持つ)、こうしたアラブ人たち…パレスチナとアラブの尊厳を回復する為の英雄的な「武装闘争」に永久に関与する彼らにとって…Fayyadの方法論的な国家設立というのは、オーセンティック(正統的)な考えではない。アラブ人たちのなかには…恥さらしなことに、この考えを中傷する者たちもいる、そして唯一、アラブ首長国連邦(UAE)だけがこれに財政的な援助を申し出ているのだ。

 そして右派のイスラエル人たち…特に、現状を変えるために話をするに足る相手としての責任あるパレスチナ人の組織は存在しない、というような考えを愛している、西岸の入植者たち…にとっては、Fayyadの思想というものは真の脅威なのだ。イスラエルの日刊紙、Haaretz のコラムニストAkiva Eldarは先日、こうしたグループを完璧に描写していた─ 彼らがいかに、アラブ人たちに"No” を言わせることを断念しないか、あるいは、詩人のConstantine Cavafyが書いた‘Waiting for the Barbarians’のなかから引用した、「そしていま野蛮人たちの存在なしに、何が我々に起きようとしているというのか?/彼ら…彼らという人々の存在、それ自体が解決の一つなのに」…などという言葉のように。
http://www.nytimes.com/2010/06/30/opinion/30friedman.html
*写真上:Salem Fayyad首相 写真右:P.S.E.(パレスチナ証券取引所)の狭い一室に集うトレーダーたち
*Al Quds:エルサレムのアラビア語名
 al-Quds Sharif : "The Holy Sanctuary"、Yiddish語でYərusholáyəm:イスラエルの首都。東エルサレム地域とその住民を含む

Sunday, July 4, 2010

アフガニスタンに、"掘削の同盟国”を呼べ /Bring on the Coalition of the Digging-Why are we so focused on the problems Afghanistan's vast mineral deposits could bring?


"掘削の同盟国”を呼ぶがいい!

アフガニスタンの巨大な埋蔵資源のもたらす問題に、なぜそんなにこだわるのか?
By クリストファー・ヒッチンズ (6/21, Slate.com)


 アフガニスタンのもつ潜在的な鉱物資源についてのあっと息を呑むようなニュースは、これまで2006年と07年のシステマチックな航空調査によって把握され、そして確認された─しかしそれは、同国の悲惨さをより増幅させる力にもなりうるため、いまや、控えめに語られ始めている。鉄・銅・コバルト・金・リチウム(ラップトップPC電池の主要材料)の鉱石の膨大な埋蔵量は、タリバンとその同盟者たちにこの国を再び掌握させ、そればかりか、彼らをさらにリッチにしてしまう可能性も強めるのだ。またそれは、同国のそれ以外の敵、つまり戦争領主たちや、寄生的なオリガルキー独裁者など…周辺諸国に散らばり、その国がどんな政府を持とうが比較的関心の薄い者たち…にも、勢力拡大へのインセンティブをも与えかねない。もちろん、アフガニスタンの鉱業大臣がすでに3千万ドルの賄賂を受け取って、莫大な銅鉱石の採取権を中国(その資源帝国主義的傾向は、北朝鮮からダルフールに至る恥辱だ)に渡そうとしていたとして、米国の圧力により解任されたのはつい最近のことだ。

 資源が豊富であるがゆえに、国が貧しくなった、というのは、古いストーリーだ。コンゴという国は、19世紀にベルギーの王族の個人資産として掌握されて以来の、そのスキャンダラスな実例だ。そして、資源の搾取による略奪行為に晒された国のリストに加えられるべき国々とは、ハイチ、アンゴラ、インド、そして(公平にいって)中国がある。アフガニスタンには、社会資本(インフラ)やプロフェッショナルな市民サービスがなく、採取産業の伝統もなく、そしてその広く分散した行政県や地方の間で、資源を分かち合うというメカニズムもない。カイバル峠の向こうのKlondike(*)こそが、この国が必要としているものだ。 (*Klondike Gold Rush: 19世紀カナダのKlondike川沿岸のゴールド・ラッシュと、それによりもたらされた移民のラッシュ)

 それでもなお、最低でも兆ドル単位の規模の国の天然資源の宝が、ほとんどGDPの脈動すらもないようなこの国に存在している。NATOの各国政府…ドイツからカナダ、英国から米国に至るまで、鉱物資源の掘削に豊富な経験をもつ国々…はこの国の経済に資金援助をする以外には、殆どやるべき仕事すらもたないが─ それらの各国はしばしば怒り(反発)を招く行為、つまりアフガニスタンのその他の唯一の既存の資源であるアヘンという資源の開発を「禁止する」ために、時間を浪費することもある。─そのような、地球をも動かす掘削の大国たちの同盟ですら、最終的には…その再建事業が既に国連の管轄化にあるこの国では…真に建設的な意義ある事業を見つけることもできないのだろうか?アフガンの議会や政府には資源管理の経験がないことは事実だが、しかしその議会と報道メディア、そして同盟諸国のNGOたちをプッシュして、それが中国がよく好んでやるような暴利行為ではないこと、そしてアフガンの人々がその主な利益の享受者であるということを、保証させることが可能なはずだ。これは余りにも、見逃すべからざる機会だ。それはまた、タリバンが入札する手に収めさせるには、余りにも重要すぎる機会のようにもみえる。

 イラクの膨大な石油資源の新たな発見とも同様、こうした埋蔵資源が、その地域とその民族にどのように分配されるのか、について知ることは重要なことだ。この地域には多くの、成功した、そしてよく組織化されたアフガニスタン人のグループ…たとえばタジク人や、ハザラ人などがいるのだが、彼らはタリバンを真に憎んでおり、そして彼らは彼らの発展する機会、彼らの地域を豊かにしその人々の力を強化する機会にはすぐに飛びつく姿勢にある。そこにはまた、多くのパシュトゥン人がいるが、彼らはタリバンをパキスタンによる植民地化の影のエージェントだとみなしており、それは実際に、真実だ。威厳のある、そして経済的に強固なアフガニスタンというものはまた、優れた能力を持ちながらも失業しているアフガニスタンの膨大な数のプロフェッショナルな人材たちに対しても、巨大なアピール要素を持っている─彼らの多くは、何十年にもわたった戦争と野蛮な時代の後に、故郷に帰国してきたのだ。

 また、この新たな調査結果が発表された数日後に、アフガニスタンの新しい鉱業大臣、Wahidullah Shahraniが、彼の対抗相手であるインドのB.K. Handiqueに招待状を出した、ということは勇気づけられる事実だ。インドはすでに、Hyderabadでアフガンの地理学者たちを訓練し、アフガンの広範なインフラ建設のプロジェクトに対して、資金を援助している; この両国の地理的調査における密接な連携は、よい結果のみをもたらすだろう。私がこれまで常に指摘してきたように、インドは我々の到着する以前からタリバンやアル・カイダと戦ってきたし、我々がアフガンから撤退するというような臆病な決定をした場合にも、その後も戦い続けることだろう。インドはまた、巨大で、繁栄した、世俗的で、多民族的な、そして近代的軍備を持つ民主主義国家であり…この地域における米国の天然の同盟国(natural ally)─つねに変幻自在な存在であるパキスタン人たちに対抗する勢力としての─であり、そして中国の野望に対抗するための天然の重し(natural counterweight)でもある。同国はさらに、名声ある鉱山業セクターをもっている。アフガニスタンの鉱山資源の計画的な開発は、こうした同盟関係を深化させ、発展させるための殆ど理想的な機会を与えることだろう。

 もちろん、この発見がもたらすいかなる利益も、明白にそれが経験されるまでには時間を要するだろう。しかしそれは、そうした間にもめったにない希望の種を与え続け、またしばしば失敗に終わっているように見える事業への取り組みにむかう方向性の感覚も与えるだろう。西欧に対して疑念を抱いているような、シリアスなアフガニスタン人たちは…一人でも、彼の国の先祖の遺産(歴史的遺産)が、中世的な<腕を切断したり女性を盲目にしたりする>ギャングたちのもとに預けられることを望んでいるだろうか?また、シリアスな非・アフガン人というものはひとりでも…この国が、単にローカルな神権主義者や外国からきたジハード主義者たちからだけでなく、その国を苦しめ悩ませ、発展を阻害してきた何世紀もの貧困や停滞から解放されないことを望むだろうか?オバマ大統領はこれに関して米国議会と国連とにアピールする、素晴らしい、道理に適った地政学的なスピーチを行えるに違いない。私には、彼がこれを決意するかどうかは分からない。しかし平和主義者たちも、彼らの新たなスローガンを掲げることができる、"No Blood for Lithium."(リチウムのために血を流すなかれ”、といったスローガンを。
http://www.slate.com/id/2257659/
*写真:アフガニスタンのPanjshir Valleyのエメラルド鉱山に立つ鉱夫

*6月に来日したカルザイ大統領は、米国に次ぐアフガンへの第2の援助国、日本の企業に鉱物資源開発を任せたいと表明。
 日本問題研究所のフォーラムに出席し、三菱グループなどと会談して帰国したという。商談は成立しなかったとも言われる?…
…3兆ドルと見積もられる資源開発のうち既に多額の契約を、鉄道建設を条件に中国政府系企業が獲得しているとも。

http://www.english.rfi.fr/asia-pacific/20100618-afghan-president-offers-mineral-resources-japan
Afghan President offers mineral resources to Japan


*欧米きっての人気コラムニスト、クリストファー・ヒッチンズは6月末、食道ガンの治療を宣言、新刊の自伝"Hitch-22"の全米販促ツアーを中止する旨を発表し、ファンにショックを与えました。ヒッチンズの病状の回復が待たれます。




let us pray for Mr. Hitchens' healing, overcoming his serious illness and regaining the health

Thursday, June 17, 2010

イスタンブールからの手紙 / Letter From Istanbul- By THOMAS L. FRIEDMAN


ガザの支援船への襲撃事件で、トルコの対イスラエル感情が最悪に?! NYTの、ユダヤ系リベラルのご意見番がイスタンブールに出張…状況を憂慮している(※写真はエルドガン大統領)
 
イスタンブールからの手紙 By トーマス・L・フリードマン(6/15, NYタイムス)

イスタンブールにて:
トルコという国は「ハロー!」という挨拶を交わすや否や私の心を奪ってしまった国だ。私はトルコの人々や文化、食べ物、何よりもモダンなトルコ、という考え方が好きだ─ヨーロッパと中東の繫ぎ目にあって、モダンで世俗的な国、イスラム教の国、民主主義の国であり、かつて一度はアラブ/イスラエル/西欧の三者とも良好な関係を維持していた国だ。9/11の後に私は、〔トルコ・モデルTurkish model〕というものが〔ビン・ラティン主義Bin Ladenism〕への解毒剤になる…と考えて賞賛したうちの一人だった。もちろん、私が前回トルコを訪れた2005年に同国の官僚たちと論議したのは、主にトルコのEU加盟への努力に関する話題だった。だからこそ今日トルコに戻り、この国でイスラム原理主義の現政権が… 一見すると、EUへの加盟に照準を定めるのをやめ、アラブ連盟への加盟の方にフォーカスしはじめた ─いや、訂正しよう─ 対イスラエルのハマス-ヒズボラ-イラン抵抗勢力の前線への加盟にフォーカスしはじめた、ということを見るのは実にショッキングなことなのだ。

そしていまや、それはどのように起こったのか?

ちょっと待て、フリードマン!それはずい分とひどい誇張だ…、とトルコの高官たちは言う。

 そのとおりだ。私は誇張している、でもそれほど酷い誇張でもない。過去2,3年の間にトルコの国内外に生じたバキューム(真空状態)は、トルコにRecep Tayyip Erdogan首相の「正義と発展党」(Justiceand Development Party)が率いる、イスラム原理主義系の政府をもたらした─ 同国が、東洋と西洋の中間のバランス地点にあるという、その立場を忘れて。このことは、何か大きなもの示唆している。トルコのバランス地点としての役割は、国際政治にとっての最も重要な、静かなるスタビライザーのひとつだった。それが失われたときにだけ、あなたはそのことに気づく。イスタンブールにいることで、私はこれらの真空状態が間違ったものでふさがれた時に、我々はそのようなトルコを失う道の途上にあると気づかされるのだ。

 最初の真空状態というものは、EU(欧州連合)のお陰によって生じた。10年間にわたってトルコ人たちに、君らがもしもEUに入りたいのなら法律を改正し、経済や、少数民族の権利、市民と軍の関係などにも改革が必要だ、などといい続けた─それはErdogan政権が実際にシステマチックに行ってきたのだが─ しかし、今やEUのリーダーたちはトルコに対して告げた、「あれ、誰も君たちに言わなかったろうか?我々はクリスチャンのクラブだよ。イスラム教徒は加盟できないのだよ」、と。EUのトルコに対する拒絶、それは大きな悪い動きだが…それはトルコが、イランやアラブ諸国に接近するように促しているキー・ファクターなのだ。

 しかしトルコは、より南の方角を志向し始めたときに、そこには別の真空があることにも気づいた─アラブ-イスラム世界には、誰も指導者が存在しない、ということに…エジプトは漂流していて、サウジ・アラビアは眠っている。
 シリアは余りにも小さく、そしてイラクは、余りにもか弱い。Erdoganは、イスラエルによるガザ〔ハマス主導の〕地域の封鎖に対して超強硬派の政策をとること、またガザの閉鎖を破ろうとするトルコ人の率いる支援船flotilla号を静かに支援すること(そこでは8名のトルコ人が殺されたが)などによって…アラブの民衆やアラブの市場でのトルコの影響力を大いに拡大させられるかも知れないことを発見した。 もちろん、今日のアラブ世界ではErdoganは最も人気の高いリーダーだ。不運にもそれは、彼が民主主義や近代性とイスラムの統合を推進しているからではなく、彼がイスラエルによる占領を声高に非難して、西岸に責任をもつパレスチナ自治政府<彼らの方が現実にパレスチナ国家の基礎を形づくっているのにも拘わらず>よりも、ハマスを賞賛しているがためだ。

 こうした領土内において、イスラエルによる人権侵害への批判をするということは、何ら誤りではない。イスラエルがパレスチナ人の問題の解決のためにその創造力を揮うことに失敗したのは、もうひとつの危険な真空状態だ。しかしErdoganがイスラエルを殺人者として非難しながら、同時にアンカラ(首都)でスーダンの大統領Omar Hassan al-Bashir(ダルフールの流血における戦争犯罪と人道に対する罪でICCから訴追中の)を温かく迎えたり、またイランで投票の公正なカウントを要求した何千人もの人々を殺害したアフマディネジャド大統領を丁重に迎えたりしていることには、問題がある。Erdoganは彼がBashir大統領の訪問を受け入れたことについて、こういっている:「イスラム教徒がジェノサイド(民族虐殺)を行うことはありえない」、と。

 あるトルコの外交政策アナリストは私にこういった、「我々は東洋と西洋の間をこれ以上、仲介することはできない。我々は、東洋の最も後退した要素のスポークスマンとなったのだ」─

 最後に…トルコのなかにも、真空状態がある。世俗的な野党勢力はこれまで何十年も、ほとんど足並みが揃わなかったし、軍部は盗聴活動による脅しに屈し、報道メディアは政府の圧力でますます自己検閲へと追い込まれつつある。9月には、Erdogan政府は同国最大の、高い影響力をもち批判的な(評論を書く)メディア・コングロマリット(複合企業)であるDogan Holdingsに25億ドルの追徴課税をして、政府の意に従わせようとしている。同時に、Erdoganは昨今、国内での支持を高めるべく、そのパブリック・スピーチのなかでイスラエルをますます辛らつに批判している─イスラエル人たちを殺人者と呼んで。彼はいつも、彼の批判者たちを「イスラエルの契約業者」「テル・アビブの弁護士たち」と呼ぶ。

 これは、悲しいことだ。Erdoganは賢明でカリスマ的で、とてもプラグマチックにもなれる。彼は独裁者ではない。私は彼がアラブの民衆の間で最も人気のあるリーダーになってほしいが、ハマスに迎合して、アラブの原理主義者たちよりもラディカルになってほしくはない。そして彼には、アラブの非民主主義的なリーダーたちよりも民主主義をいっそう弁護し、パレスチナとイスラエルの間のバランスある途をとりもってほしい。それはしかし、Erdoganの今いる場所ではないし、そのことが問題なのだ。おそらくオバマ大統領は、彼を週末にキャンプ・デービッドに招き、米国-トルコの関係の前の空気をクリアにして…その向かう先が絶壁であることをみせてほしい。
http://www.nytimes.com/2010/06/16/opinion/16friedman.html?hp=&pagewanted=print

*下左はパレスチナのアーチストNour al-MasriがFlotillaの事件直後に描いたガザでのErdogan大統領の絵だとか。
 

          











*今回のガザ援助船Flotillaのイスラエル軍による襲撃事件ではトルコ人8名が殺害されトルコとイスラエルとの関係は過去最悪に… Erdoganは国連のイラン制裁継続にも不支持を表明、対米関係も悪化している…
*写真はガザのハーンユニスの難民キャンプで、Flotillaの事件の1週間後に生まれたRajab Erdogan…。母親のDalia(22歳)は赤ん坊をトルコの首相にちなんで名づけ、メディア向けにトルコの国旗に包んでみせた… 

Tuesday, June 15, 2010

ヘレン・トーマスはなぜ、辞めねばならなかったのか?/Helen Thomas, veteran reporter: why she had to resign - By Chris McGreal


彼女の引退に、米国メディアでは彼女の長年の業績をたたえつつも譴責口調の記事や、少し冷淡な記事が多い …そんな中で英国のガーディアンのWH特派員の書いたコラムはやや客観的?

ベテラン記者・ヘレン・トーマスが引退:彼女はなぜ、辞めねばならなかったのか?
By クリス・マクグリール (6/9、The Guardian)


 彼女の熾烈な質問はホワイトハウスのスタッフにショックを与えた; カストロは、彼女の質問への答えを拒否した。そして今、ベテラン・レポーターは引退を余儀なくされた…

 フィデル・カストロはかつて、キューバの民主主義と米国の民主主義の違いは何かと問われた…そのとき、老いた革命家は「自分はHelen Thomasからの質問には、答える必要はない」、と答えたという。

 ホワイト・ハウス詰めの記者団のグランド・デイム(女性第一人者)として、9代にわたる大統領の任期を取材し─ カストロ政権をも取材した彼女は、遂に今週その決然とした、頑固な質問を終わらせ、引退することを強いられた─ 彼女のハートに最も近い、中東地域に関するそのコメントをめぐって。
 女性ジャーナリストの草分けとして想起されながら、気難しい、老いた反骨家でもある89歳の彼女の引退には、好意的なお名残りの儀式さえもなかった。ホワイトハウスの記者会見室の最前列にある彼女の定席(昨今、そこには彼女の名だけが記され、所属する組織の名は書かれていない)は〔今日現在〕空席として残されている。
 トーマスのことを偏屈(怒りっぽい)とか、頑固で強情、人の意見に聞く耳をもたない…などと様々に評する記者たちには、彼女が最後に一人のラビに対して、「ユダヤ人はパレスチナから追い出されるべきだ」、「ポーランドやドイツの故郷に帰るべきだ」などと発言して、一線を越えたことも不思議なことではない。
 しかし怒涛のような怒りや批判はトーマスの、その高尚なステータスによって和らげられていたのだ。
 
 彼女は引退にいたるまでの間、多くの拳を世に示してきた:ナショナル・プレス・クラブの最初の女性幹部として、そしてホワイトハウス特派員協会の初代女性総裁として。彼女はホワイトハウス詰め記者として、他の誰よりも長く勤務してきた─半世紀にわたって。彼女はまた、おそらくカップケーキをひっさげて到着したバラク・オバマ大統領に、誕生日のケーキを配達してもらった最初の特派員(彼ら二人の誕生日は、同じ日なのだ)でもあった。

 トーマスは1943年に、UPI(United Press International)が未だに米国のジャーナリズムにおける有力な勢力だった頃に、同社に入社した。彼女は23歳で、レバノン系移民の両親に育てられたデトロイトを出てから、まだ間もなかった。彼女のUPIでの最初の仕事とは、女性問題の取材だった。彼女は司法省やFBI、その他の連邦政府機関の担当に変わった後には、セレブリティに関するコラムを書いた。彼女は1960年代末に、次期大統領に選出されたJ.F.ケネディの取材に回されて以降、米国のリーダーたちを憤慨させる容赦ない質問の連発によって、名声を打ち立てた。ケネディは彼女についてこう言った、「ヘレンはきっと良い娘だろう、もしも彼女からあのメモ帳とエンピツを奪えたなら。」

 それは何十年もの間、こだまの如く響き続けた人々の彼女への感情だった。「我々は、どこかに彼女を送り込める戦場はないだろうか?」と、前国務長官のコリン・パウエルは問うたことがあった。
 トーマスの決然とした質問と、率直な記事は、長い間白人男性の専用クラブ同然だった報道記者たちが、その取材対象の政府高官たちにとって余りにも居心地が良すぎるとみなされ、今もなお変わらないその状況を、少しずつ切り崩してきた。長年にわたり彼女はしばしば、プレスルームで唯一の女性だった。
 ホワイトハウスの特派員たちがリンドン・ジョンソン大統領に質問を行っている古い写真でも、トーマスはただ一人の女性だ。彼女はまたリチャード・ニクソン大統領が1972年に中国に歴史的訪問をした際にも、同行した唯一の女性新聞記者だった。バーバラ・ウォルターズはNBCのTVニュースチームの一員として加わってはいたが。

 彼女は、大統領の記者会見のTV中継では、すぐに見分けられる顔のひとりとなった。彼女はまた、Dave と The American Presidentという2本の映画でも、彼女自身を演じた事で有名だった。トーマスは2000年に、統一教会のリーダー文鮮明師がUPIを買収した後に、UPIを辞めた。彼女はその買収を“遠すぎた橋(a bridge too far)”のようだ、と述べた。彼女は同社に57年間勤めたが、その半分近くの期間はUPIのホワイトハウス支局のチーフとして勤めた。そしてそれが、彼女の最後のキャリアとなるはずだった。彼女はその時、「自分が流していた毎日のニュース報道への拍車に終止符を打つ」…つもりだったという。しかし彼女はHearst紙から、コラムニストにならないか、という誘いを受けた。

 「私は喜んでこう答えた、勿論やりますとも…と。この様に人に話して何年も経った今では、自分がどんなにその仕事をやりたかったかも話せるのよ。別のポイントを言うなら、私は毎日朝起きると、“今日こんなに自分が怒っている相手とは、一体誰なのか?”と自問していたところだったのよ…」、と彼女はその自伝、“Thanks For The Memories, Mr President”で述べている。多くの自分の同僚たちは彼女がそれまで、彼女が世間にその仕事に就かせてもらえなかった、と考えていたことを知って驚いた。

 しかしまず第一に、ホワイトハウスの会見室の最前列の彼女の席に関する問題がある。規則の上では、その席は大手のメディアのいずれかに所属する誰かに譲られるべきだった。しかしABCニュースのお喋りな前特派員、Sam Donaldsonによれば、誰にも彼女に後列の席に移ってほしいなどということは想像できなかったので、彼女はその席を維持し続けていた、という。
 そのことはトーマスに… ホワイトハウスの会見室の最前列に座ったオピニオン・コラムニストとしての第一人者、という名をも与える。そして彼女の同僚たちは、彼女がよりいっそう大胆で、自説を曲げない質問を放っていた事を思い起こす。
 ジョージ・ブッシュ大統領は、論議をかもした選挙の末に大統領になった。その後、トーマスはイラク戦争に反対する彼女自身の意見を隠さず、他の同僚たちが9月11日以降の米国の雰囲気のなかでは言うのを避けていたような質問も、決然と発していた。

 2002年に彼女は、ホワイトハウスではほとんど誰もあえて質問しなかった質問をした:「大統領は、パレスチナ人たちには35年間にわたる暴力的な軍事的占領と抑圧に対して、反抗する権利があると思うか?」と。
 彼女の質問は時々、あまりにも敵対心に満ちていたために、ブッシュ大統領の報道補佐官の一人Ari Fleischerはこう言ったこともある、「皆さんに何分間かの弁護(見解の擁護)の時間を与えるために、我々は今日の質疑応答の時間を一時、中断します」─、と。しかし彼女はリベラルな大統領たちに対しても、困難な時を与える事を厭わなかった。ワシントン・ポストのホワイトハウス記者であるScott Wilsonは、トーマスはオバマ大統領に対しても容赦をしなかった、という。「彼女には、現政権を信頼できるものだと捉えようとする、こつ(要領のよさ)がある、特にその中東政策に関して。彼女は中東のどの国が核兵器を所有しているのか、についても質問をした。」と彼はいう。「彼らは彼女が、真面目に言っているとは信じられなかった。(しかし)彼女の質問は答えを要求した。」

 それらの質問に対する答えを、彼らはほとんど得られなかったが、そのことは質問された側にも、それに劣らないフラストレーションを与えたのだ。「あなたの外交政策と、ブッシュの外交政策の違いは?」と彼女は大統領補佐官のRobert Gibbsに尋ねた。

 彼女は最近のガザへの援助船flotilla号の事件についても、その率直な意見を放ち、その事件を“計画された(意図的な)国際的犯罪”だ、と呼んだ。ニューヨークタイムズは、彼女の引退に関する記事で、大統領について取材する記者たちには、2つの異なるルールが適用されていた、と書いた。「ホワイトハウスに詰める常勤の記者たちへのルールと、そしてヘレン・トーマスへのルールだった」、と。しかし、それに代わる見解とはまた、トーマスがホワイトハウスのしばしば臆病な報道陣のなかの、勇気ある声だった、というものに違いないだろう。

 ホワイトハウスの記者たちでさえ時に彼女にいらいらさせられたが、彼女の血統を尊敬し、その欠点とは彼女の年齢によるものだ、と思って妥協していた。彼女は身体的な衰えが進み、デスクから会見室の彼女の席まで歩くにも他の記者の助けを借りる必要があり、また会見中には時々居眠りもした。彼女が毎日の定例記者会見に現れる回数は、徐々に減っていった。おそらくトーマスが現実と遊離してしまったことの最大の証拠は、ホワイトハウスのJewish heritage month(ユダヤ人の遺産月間)のイベントの場で、ビデオカメラの前でラビに対して言った言葉─イスラエルのユダヤ人たちはポーランドとドイツに帰るべきだ─という発言のもたらす結果を、考えられなかったことだ。彼女のレバノン系としてのバックグラウンドを考えれば、それは彼女がずっと考えてきたことであるに違いない。しかし彼女は、そのことに対する抗議に驚くべきではない。
 
 トーマスのことを友人であると称するDonaldsonは、彼は彼女のコメントへの擁護はしないものの、それはおそらく多くのアラブ系の人々の抱く見解を反映するものだろう、という。そして彼は、彼女が女性にとっての“パイオニア”だ、とも呼ぶ。「誰もヘレンから、それを奪うことはできない」、と彼は言う。
http://www.guardian.co.uk/world/2010/jun/08/helen-thomas-reporter-why-resign

Helen Thomas Dropped by Her Speakers’ Agency (6/7、NY Times)

 長年にわたるホワイトハウス担当の記者で、コラムニストのヘレン・トーマスは、イスラエルが「パレスチナから退散すべきだ」とビデオのなかで発言した後、日曜日に彼女のエージェンシーから解雇された。トーマス女史のこのコメントはすばやく、ホワイトハウスの元高官のグループと、「名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League、反ユダヤ言論の監視団体)」によって非難された。ホワイトハウスの記者団たちは、彼女の会見室での最前列の席は月曜日には空席のままであると述べた。

 月曜日朝、ホワイトハウスの報道官ロバート・ギブスは、トーマスの発言が「攻撃的(侮辱的)で、非難に値する」と述べた。そのビデオでは、5月27日のホワイトハウスでのJewish Heritage Celebrationの場で、彼女にRabbiLive.comというウェブサイトのRabbi David F. Nesenoffが「イスラエルに対する何かコメントは?」と尋ねており、(この日彼はすべての人に、同じ質問をしていた)これに対して、彼女はすぐさま、「彼らには、パレスチナから退散せよと命ずるべきだ」(“Tell them to get the hell out of Palestine.”)と答えていた…(以下略)
http://mediadecoder.blogs.nytimes.com/2010/06/07/helen-thomas-dropped-by-her-speakers-agency/


*NYTimesのReaders' Comments
1.Steve Bolger New York City ドイツと、ポーランドに住んでいたほとんどのユダヤ人はいまだにここ(米国、あるいはNY)に住んでいる、彼らの骨と灰は、ここの土と混ざり合っている。

2.Tony New York
ヘレン・トーマス…メインストリーム・メディアの長老は、彼女の本性を示した。誰が、こんな頑固者に尊敬を示すものか。彼女は、荷物をまとめて去るときだ。たぶん彼女はその出身地の頑迷な岩の下にまた、はい戻るべきだろう。

3.seattlesh Seattle
ヘレン、恥を知れ。アメリカは毎日、その醜さを増しているようだ。

4.john john PA
自分は未だに、ヘレン・トーマスがブッシュ(Dubya)になぜイラク戦争を仕掛けたかの理由を問うた質問に、ブッシュが答えるのを待っている。

5.Planet Earth
みんな、彼女の謝罪の言葉を本当に信じるのだろうか?ユダヤ人の遺産月間の祝賀イベントの最中に、彼女があんな言葉をラビに発したというのに─ いかに、彼女の憎しみが深いかを示しているのに。もしもリベラルな大統領がいるときは、権力のある地位の人々は、彼らのようなフリークの旗をはためかせるのか?こういうコメントが「ホワイトハウス記者団のトップ」から発せられたときにどうして、誰ひとりとして、他の情報ソースから自分の為の情報を集めもせず…、テロリストとは何なのかに誰も気がつかないのか?明らかに、彼女は引退すべきだ、…直ちに。

6.Ed Hoboken
トーマス女史の発言は軽率かもしれないが、ホワイトハウスは今や記者の発言を矯正する仕事を始めたというのか?

7.Steve Ridgewood, NJ
たぶんいまや、ヘレン・トーマスにとっては、彼女自身が言ったように、ホワイトハウスを、"退散get the hell out"すべきときだ。

8.<このコメントはモデレーターにより削除された>

9.Dan G NH
NYタイムスの、この事件への注目が余りに少ないことに驚いた。ヘレン・トーマス(レバノン系の)の声明では、まるで何かのグループ、または宗教団体が彼女を追い出したように書いていた、そしてその代わりにNYタイムスは、この出来事をさらけ出すのではなく、この事件に共謀した形で取材していた。これはフロントページに書かれるべきストーリーだ。恥を知れNYタイムス。この報道メディアのメンバーによる酷い態度についての社説は、一体どこに書かれているのか?

10.David NYC (*最も推薦されるコメント)
ヘレン・トーマスにとって、引退すべきときだ。ホワイトハウスの会見席の最前列に「コラムニスト」が座る理由はない。こうした席は、現職のジャーナリストのためにあるべきで(私はこの語を、現在プレスルームにいる人間たちの面子を見て、とてもあいまいに、使っているが)、そしてヘレンのような党派心に固まった記者のものであるべきでない。彼女は彼女のポジションを何十年も濫用し、そしてこの最新の彼女の口から出た猥褻な言葉は、破滅への最後の決定的な一撃になった。我々は、彼女が米国にいるアフリカ系アメリカ人がアフリカに帰るべきだ、などといったとしても、そんなことを論議すべきでない、と思うのではないか?彼女は先週あんな発言をしたとき、すぐに追い出されるべきだった。なぜユダヤ人に対する頑迷なコメントが異なる扱いを受けねばならないのだろう?

11.AIT Miami, FL
ヘレン・トーマスの発言は、彼女がずっとそうであったように非常に党派的で、多くの人の怒りを喚起するが、しかし彼女を反ユダヤ的と糾弾することには、何の目的があるのだろうか?彼女は年をとり、そしておそらく引退も寸前だった。人々が、彼女が非難されるべきだというのは正しいが、しかし彼女の首を取る形でいうのは、正しくないのではないか?彼女の成し遂げたすべての業績の記録を見てみよ、そしてわれわれが皆で、老いて衰えつつある89歳の女性にタックルをして地に倒したりして喜ぶのを止めるべきだ。

12.Mary Los Angeles
これは、political correctness(政治的公正さ、差別語禁止)がワイルドにはしりすぎてしまった例だ。トーマスは、ジャーナリズムの偶像だった…彼女には、そうするすべての権利があった。ユダヤ人がパレスチナから出て行くべき、と示唆するのはよいことだ。ユダヤ人にヨーロッパに帰れ、というのは少しばかり、度が過ぎて(上限を超ええて)いるだろう、でも、それのどこがレイシストなのだろうか?私の義理の姉妹はユダヤ人で…ルーマニアから来た人たちだ。私の兄弟はイタリアと、そして英国で育ったローマンカトリックだ。彼はバプチスト系の聖職者と結婚した。彼らは彼らの娘を、ユダヤ修正主義に沿って育て、そして彼らの息子をローマンカトリックに沿って育てた。この私の家族の全てが、パレスチナ人が受けているユダヤ人による処遇に反対している。それは私達がレイシストだということを意味するのか?私はそうは思わない。STOP THIS OVER THE TOP POLITICAL CORRECTNESS!(このゆき過ぎた政治的公正主義をやめて欲しい!)私はリベラルだし、そして私はこういうナンセンスにはもううんざりした。

13.Pharrell Brooklyn, NY
いつも投稿セクションに、こっけいな五行詩を書き込む男はどこにいるのかな?私は彼に“Fomemt(煽る、先導する)”という言葉と“Senior moment(老齢のとき)”という言葉とで韻を踏んだ五行詩を書くよう勧めたい…

14.CjmEsq Bronx, NY
彼女の発言は彼女の老齢のなせる業だ、と結論づける人たちがいるが、私は彼女の検閲されない(non-filtered)発言は、彼女の本当の信念だと思う─ なぜなら、彼女はこの仕事を1950年代に始めているからだ。そしてトルコ、イラン、ハマス、ヒズボラ、サウジアラビアなどなどの国々…は、この発言でこれ以上幸福に感ずることはないだろう。

15.tc nyc
ワオ、自分が推測するに、アメリカの言論の自由は死んだ。

16.Larry Eisenberg NYC
私はかつて一度、ヘレンTの言っていることは真実だと思った、健全な(有益な)、前衛的なものの見方、反ユダヤの世界観だ。ショッキングなニュースで、私を驚かせてほしい。私のリアクションは、「ヘレン、お前もか?」だ。

17.Ed Virginia
「イスラエル」は1947-48年に、歴史上最も迫害を受けた民族に、彼ら自身の国を与えるもの、として建国された。それ以来、同国はアグレッシブに自身を防衛した─ときに、攻撃的軍事キャンペーンによって、そしてその他の決断に満ちた攻撃によって。このことで、彼らは多くの平和主義者からの、非難を受けた。しかしこの国が「なぜ」存在し、何に直面しているか、のより大きな構図(─彼らの敵からのある種の絶滅作戦だ─)を描くことなしに、またはそれを受け容れることなしには、我々は同じ過ちをトーマス女史のように、犯してしまう可能性があり、前の世紀に虐殺された何百万ものユダヤ人たちの記憶をも、侮辱してしまう可能性がある。

私はこれらの投稿のなかの誇大的なことばが、ここに軽々しく掲載されていることを、特に嫌悪している…しかしこの件では、そのような狭量な(我慢できない)反イスラエル的な感情には、完全に弁解の余地がない─ユダヤ人たちの歴史上の苦難について鈍感すぎる、そして私はヒトラーが始めたことを、国際的な方法で終わらせるために、向こう見ずな誓いをのべる者たちの方に味方したい。

我々の国は自由の国だし、トーマス女史の権利は尊重されるべきだろうが、しかしモダンな社会において彼女の態度が許される場所はない。もしもトーマス女史がこのように感じているなら、Hearst誌(彼女の所属メディア)はITSの利益を追求すべきだし、そして彼女の信頼性を取り下げる(ビジネス的に)ことを義務と考えるに違いない。彼らはこれ以上彼女に、彼女のこんな攻撃的(侮辱的)な発言を許す場を、与えられないかもしれない。彼女がこのように舞台を去るのをみるのは悲しい。彼女はホワイトハウスの記者団の何世代にもわたる偶像だったのだ。

18.Henry Porter Seattle(*最も推薦されるコメント)
私はパレスチナ人たちに懸念を抱くイスラエル政府の人たちから、はるかに酷いことを聞いたものだ…それは通常、ハマスがロケット攻撃を行ったすぐ後のことだった。なぜなら、考えてみてくれ、人々は騒ぎのさなかになると物を言いたがるものだからだ…それは彼らの魂の中を覗く窓ではない代わりに、それは怒りやフラストレーション、動転し、戸惑う心の言葉の噴出に過ぎないのだ。一番ショッキングなのは、誰もが─ロバート・ギブスや、WHCA、Hearsts誌などが皆…─彼ら自身、89歳の老女から自分自身の距離を置こうとして、互いに倒れあっって、折り重なりあっていることだ─ 彼女はその人生を通じて数多の賞賛すべき行いをした挙句に、一つの間違いを冒し、それについて謝罪しただけなのに。ワオ、彼女は悪魔の生まれ変わりだろう、確かに!

19.Larry Buchas New Britain, CT
これらのコメントにはびっくりする…お呼びでない(おこがましい)ものばかりだ。

21.Bob of Newton MA
ワオ、イスラエル・ロビーのことは好きではないが、レッスンはさせて貰ったよ。

22.YRL NY, NY
言論の自由が報道メディアからすらなくなってしまった!内容の正しい、正しくないは忘れるべきだ。

23.Glen New York City 
彼女は大声で、他の多くの人々も考えていることを、言っただけだ。

24.Patrick NYC 
こんな長いキャリアを終わらせるには、これは悲しすぎるやり方だ。

25.(*最も推薦されるコメント)
トーマスの発言を決して擁護はしたくないが… 頑迷でニュースを伝えるジャーナリストにはふさわしくないから─ しかしこれは老齢と、脳機能の退化によって噴出した可能性があると思わないのか? 多くの老人たちは歳をとるにしたがってより狭量になるし、より意地悪になる。(私の、頑健なリベラル派の祖母は、歳をとってとんでもないことを言い出したので、我々は「なぜおばあちゃんは、ナチなのか」という記事を配信したものだ…)
ヘレン・トーマスは卓越したジャーナリストだったし、現実の世界に影響を及ぼすとんでもない政策を左右する多くの政治家の足を、火の上にくべた…たとえばティーンエージャーたちをイラクに死にに行かせたり、または企業の利潤追求に汲々として社会のシステムを犠牲にしたり、環境を汚染したり、そして普通の人々にそうした混乱の代償を…何十億ドルもの代償を…払わせる、彼らの楽しみのために(─彼女はそうした政治家たちを追及した)。そうだ、いまやトーマスは去るべきときだ…しかしその世界が終わりつつあるこの年老いた女性には、もっと全体的展望と共感をも、抱くべきだろう…
http://thecaucus.blogs.nytimes.com/2010/06/07/white-house-blasts-reporters-remarks/

フォトギャラリー:Helen Thomas’s Career
http://www.nytimes.com/slideshow/2010/06/07/us/20100608-THOMAS.html

*6月8日付NYタイムスでは国内ニュース別刷りセクションのトップで、大きくこのジャーナリストの引退を報じていた(http://opinion.infoseek.co.jp/article/895 金平氏のBlogに写真がある)
*同紙では一応敬意を表した扱いであったというが、これらのThe caucusなどのNytの Blog の記事を見ると雰囲気は微妙。ややその冷淡さに驚く(特に上のThe Caucus blogの写真はかなり酷い)