Sunday, December 27, 2009
イランがアラブ世界への介入を拡大!…エジプトのメディアが警告? /Egypt Warns about Iran's Growing Interference in Arab World
イランとイスラエルの利害の微妙な一致はほんとにあるのか…
“アラブ世界ヘのイランの介入拡大を、エジプトのメディアが警告!” (12月18日、MEMRI)
エジプトの政府高官の声明や政府系メディアの記事は最近、イランのアラブ世界への影響力の拡大や介入の強化に対する批判を強めている。ホスニ・ムバラク大統領は冬の議会の開会スピーチで、「アラブ諸国間の問題に対するイランの介入について警告する。我々はエジプトを不安定化しようとする企みには反対する。それは、ペルシャ湾岸と紅海沿岸地域、そして中東全域の安全に関わるものだ…」と述べた。
エジプトの外相 Al-Gheitは、イランに対してアラブの支配地域のドメインで行動しないように要求した。なぜならそれが地域の不安定化のひとつの原因となっているからだ。明らかに、イランの拡大する影響力はイラクやレバノン、イエメンのみならず、北アフリカやアフリカの角地域のアラブ系諸国にまで及びつつある、と彼は述べた…
以下はこの問題について、エジプトのメディアが報じた記事の抜粋である…
「イランは紅海地域での戦略にフォーカスしている…」とRoz Al-Yousef紙─
Roz Al-Yousef紙の'Abdallah Kamal は書いた: 「今や、イエメンでのフーティ派の反乱へのイランの支援や、エリトリアのAssab港の反対側に位置する公海でイラン船舶からフーティ派への武器荷揚げの支援が進行中であることに、全ての注目が集まっている。イランはこの地域での恒常的な緊張状態の継続を望み、交易や石油の輸送を妨害し、アラブ諸国を一種の包囲下に置こうと狙っている。その目的にむけてイランは不穏な状態を喚起し、それに反対するアラブ諸国に爆発を起こさせることすら狙っている。」
「イランは数個の代理戦争を同時に手がけ、その全てがアラブ国家の安全を攻撃目標としている…長年のあいだ同国はヒズボラを通じて地中海地域に〔その影響範囲を拡大し〕、メディアや専門家が「シーア派の三日月地帯」と呼ぶものを作り上げようとしてきた。同国はそれをガザ地域のハマスとの連携みならず、その地で最も不安定な海上ルート・紅海地域にフォーカスした努力をも通じて拡大している。」
Kamalはそして、イランの資金で活動する数個の武装グループを挙げる──それらはフーティ(Houthis)、ヒズボラ、ハマスのみならずイラクのJaysh Al-Mahdi(マハディ軍)、Al-Qaeda in Yemen(イエメンのアルカイダ)も含んでいる。彼はイランがまた──アラブ諸国(特にイランとはポリシーが異なり、イランの影響力拡大の障害となる国々)の背中を後ろから刺すために──バーレーンのシーア派運動やエジプトのMuslim Brotherhood(ムスリム同胞団)、メッカの巡礼団体等の非武装組織にも資金を援助している、と述べる。
イランのもう一つの目標とは、アラブ諸国を弱体化し、それらの国々がペルシャの拡大と対峙するよりも、国内的な緊張状態に直面するよう仕向け…そして同地域でのシーア派の包括プランを推進することであり──特に政治的な次元において─そしてペルシャ湾岸からレバノンに至るシーア派の三日月地帯によりアラビア半島を包囲することである…そしてイラン革命をその地へと拡大し、それらの国々の安定性を阻害し、イランの繁栄を強化する運動を支援することだという…
「イランはイラクの選挙に対し破壊工作をしている…」とアル・アフラム紙──
エジプト国営アル・アフラム紙のエディターOsama Sarayaは書いている──「イランは、スンニ派とシーア派が交わした約束…すなわちお互いの(国々)を改宗させるよう試みたり、宗派間の隠れた敵がい心を利用したりしない…と取り決めた合意を破った。イランはこの地域の不安定な状況を煽り戦争を喚起してこの地域の国々を疲弊させ、アラブのさまざまな宗派やグループ間の緊張に付けこみ、住民たちを傷つけている。
もしもこれに同意しかねる人がいるなら、今やあちこちで立ち現れつつある状況に目をやらなければならない──イエメンで展開されはじめた(対イスラム過激派の)作戦行動や、いま丁度戦われているイラクの消耗戦での状況、またイランの都市での民兵組織による作戦などの現状を。
イランは米国による占領が始まって以来、イラク人を取り囲んでいるトラブルにおいて最大の役割を演じているのだ…」
「イランは、イスラエルに反対してはいない。イランはその地域(イスラエル)を、限定的な、または全面的な戦争の瀬戸際に押しやることに何の心の咎めもない、なぜなら彼らの国はその危険から遠く離れているからだ。そしてイランはまた、イスラエルを、アラブ諸国に対する攻撃の場に押し出そうとしている…
イランはこの地域での外交的、または平和的な解決策には関心をもっていない。事実イランは、オバマの和平提案やパレスチナ国家樹立への提案をイスラエルが妨害することを助けてさえいる…なぜならイランはそうした和平提案が、その国益やその地域における彼らの未来への脅威だとみなしているからだ─
イランはそれは、アラブ人たちの死と彼らの国の崩壊によってのみ達成することが可能だと思っている…イランの影響は今やすべてのアラブ諸国…ペルシャ湾岸諸国や紅海沿岸諸国のみならず、アラブ系マグレブの諸国にまでも達している…」
「我々は今、イエメンとサウジアラビアの一部で、フーティ(Houthis)に対して起きつつある戦争がイランの資金と武器によって遂行されている、ということを忘れてはならない、そしてレバノンの政府というものは、イランがヒズボラを通じて常に拒否権の行使の脅迫を仕掛け続けるなかで、シリアとイランの合意によってのみ設立された、ということを…」
「我々はイランとアラブ諸国との関係を、そして〔アラブ+シーア派イラン〕と、〔アラブ+スンニ派イラン〕との間の関係を…それらの間に誠実な対話が求められる今、再び見直す必要があるだろう。我々は米国や欧州諸国によって推進されるイランとの対話に、我々の期待を懸けることは出来ない…今や協調的関係にあるアラブ諸国は、彼らの国におけるイランの影響力〔介入〕を阻止し問題の解決のためのプランを共に組むべき時なのだ…」
これ以外の記事でSarayaは、最近のバグダッドの爆破事件の背後にはイランがいると示唆した──それは、イラクで起きている政治的プロセスを押し止める目的でなされたものだ、と彼は言う。
「それは特にイランが…イラクからの米国の撤退計画を妨害して、イラクでの政治的プロセス進展を阻止しつつ、イランの核関連の危機に対して米国がより過激なオプションを取ることのないよう維持し続けることに利益があるからだ。
イランは、イラクの議会選挙を遅れさせることが米国のイラク撤退の引延ばしを保証する手段だと信じており、それが米軍の駐留延長へとつながり、結局米国のイランに向けたいかなる軍事行動も遅らせるものだ、と信じている…
(*MEMRIの英語訳による/MEMRIはイスラエル諜報機関の元出身者が設立した中東報道モニタリング機関だが、I/P問題では比較的客観的な記事を載せる…ワシントンに本部が存在し全世界に支部を持つとか)
http://www.memri.org/report/en/0/0/0/0/0/0/3853.htm
オバマ、「米国がこれ以上、イスラエルのイラン核施設への軍事攻撃を牽制し続けるのは不可能」と胡錦濤主席に語る (12/17、ハーレツ *要旨)
オバマ大統領は、中国の胡錦濤主席に対し、米国はイスラエルがイランの核関連施設を攻撃しないよう、これ以上牽制し続けることはできない、と語った。
オバマ大統領は先頃の北京訪問中に、イランがその核開発に関して西欧の提案を受け容れない場合、経済制裁を課すことを中国が支持するよう警告した。これを胡主席はオバマからの個人的なリクエストと受け止めたゆえ、中国はオバマの訪問の1週間後に早くもIAEAによるイランへの警告を支持することに同意した。しかし中国は制裁に関する政策は変えず硬い態度を維持している。
中国はまた、サウジアラビアが主導して中国に対して提唱している─イランへの石油依存を終わらせよとの要求さえも拒絶した─(それは中国にとって、イランへの制裁支持を可能にする条件ともなるが)
サウジアラビアもまたイランの核開発を懸念し、同国への国際的な制裁に対して前向きだが…同国は中国に対して、イランが現在供給しているのと同量の石油をより低価格で供給すると提案した。しかし中国はその取引を拒絶した。
オバマの訪中以降も、中国はイランへの制裁実施を拒否し続けている。イスラエル政府担当者は、「中国は西欧諸国の求めに対し制裁を行うのはまだ尚早だとし、はっきりしない回答をし続けているのだ」、という。
1月に国連安全保障理事会の持ち回り議長国が中国に交代することからも、中国の態度は問題だ。西欧の外交官は、もしもロシアがイランへの制裁を支持する場合、中国も支持する以外選択の余地はない、という。しかし、中国はフランスが同理事会の議長国になる2月までその討議を延期することができるという。
イスラエルの政府高官はロシアのメドジェエフ大統領について、彼は同国のラブロフ外相とは異なり、イランへの制裁に積極的態度を見せているのだ、と語った。
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1135730.html
*昨今のイラク・イラン国境の油田占拠事件についてTanaka Sakaiもこんな憶測をしていた──
(「イランとイラクの油田占拠劇」~) 「…私から見ると、イスラエルに侵攻してもらいたがっているのは、むしろイラン上層部の方である。イスラエルがイランを空爆したら、世界的に、悪いのはイスラエルだという話になる。ヒズボラやハマスがイスラエルを攻撃する口実ができる。
中東大戦争になれば、イスラエルがテヘランに核ミサイルが撃ち込むかもしれないが、最終的にはイスラエルは敗北し、レバノン、シリア、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン、エジプトまでの中東の地中海岸地域のすべてが、イラン寄りの地域になる。間にあるイラクとトルコは、すでに親イラン的である。
オスマン帝国以来100年ぶりに、中東は欧米系勢力の支配下を出て、イラン・アラブ・トルコという3頭立てのイスラム勢力の地域に転換していくことになる。イランは、中東の英雄的存在になれる。イランのアハマディネジャド政権は、イスラエルからの攻撃を待っている観がある。戦争になれば、石油も大高騰する。米オバマ政権は、イランに対して強硬姿勢と譲歩を繰り返すことで、イランの立場を強化している。」
http://tanakanews.com/091219iraq.htm
*アラブ過激派へのイランによる資金援助の話は、保守リベラルな人やユダヤ系米国人が訴えるトピックの定番でもある。
イラン人の描くイラクのグランドデザイン/Iran's Grand Design for Iraq - By Amir Taheri
イラン人にイラクについて尋ねると、彼らは大抵こういう…
イラクは歴史的にも、イランの延長なのだ…
あるいはイラクとイランの間に境はない、という風に。
‥西欧で知られるアミール・タヘリでさえも遠慮なく述べている
「イラン人が描くイラクのグランドデザイン」 By アミール・タヘリ(11/13、Asharq Alawsat)
カルバラにあるシーア派第3のイマームHussein Ibn Aliの霊廟には、まもなく新しい門が完成する。その門とは、数十人のイランの職人たちが数年がかりで作り上げたもので、専門家がいうにはペルシャの手工芸品の傑作なのだという。
先週、イランのメディアが報道したそのニュースには一見、何ら目立ったものはなかった。ともかくその霊廟は、他のイラクのシーア派の巡礼の聖地同様、イラン人によって建てられ、彼らの寄付で何世紀もにわたり維持されてきたものなのだ。
しかし目立ったのは、イランの国営メディアがそれを報道するときに「国内ニュース」として報道したことだ。公営放送のIRNAは、そのニュースアイテムを「地方県のニュース」の部で放映した。
カルバラとは、しかしイラクの国内にある─イラクはイランの隣国とはいえ、90年近くにわたる独立国家だ。
多くのイランの支配層エリートにとって、その事実は明らかに認めるのは困難だ。彼らにとっては、国家の独立主権といったことには余り意味がない。
公的なイスラム聖職者(mullah)たち、例えばテヘラン大学の金曜礼拝の導師のアフマッド・ハタミ(Ahmad Khatami)などは「イラク」という言葉を一度も聴いたことがないかの如くよそおう。彼らにとっては、イラクとは"Bayn al-Nahrayn" (メソポタミア) または、 "Atabat al-Aliyat"(聖廟群)といったものだ。8年も続いて何百万人もの戦死者を出した戦争すらも、明らかに、彼らにイラクが独立国だと納得させはしなかった。
イラクを支配することは、1797年のKarim Khan Zandの逝去後にオスマントルコがペルシャの地から撤退して以来、イランのエリート層にとっての野望だった。
第1次大戦の終焉とスマントルコ解体の後、シーア派聖職者はテヘランのカジャル・シャー(Qajar Shah)に対して、イラクの「聖なる」いくつかの都市を併合するようにと説得を試みた。しかし、Qajar一族は…彼らが墓場へと至った歴史上の過程のなかで、そうした征服を夢見る立場にはなかった。
イラクが英国の援助のもとで独立国となることが一旦明白になると、聖職者はそのプロセスをボイコットし、イラクのシーア派を傍観的立場に留まらせようと決意した。
1940年代までには、イランのエリート層は独立国イラクという既成事実をどうにか受けいれた。1950年代には、二つの国は王族同士の結婚で姻戚関係を結ぼうとしたが…周囲が企んでいたシャーの娘Princess ShahnazとイラクのFaisal王との間の恋愛関係が十分に進展しなかった時、その試みは失敗した。
1960年代から1970年代の半ばにいたるまでイラクの政権は、彼らイラク人が (uruba) Arab人である…ことを強調してイランの影響を振り払おうとした。1968年から75年までに、100万人ほどのイラク人がイランとの関係を理由に追放された。代わりにバース党は、エジプトやパレスチナから移民した"純粋アラブ人”と彼らとを置き換えることを画策した。
長年にわたる敵対関係の後に(両国が)関係を修復した1975年の合意以降、 Shahはイランの存在感を貿易や巡礼、文化交流によって復活させようとした。
彼のアイディアはイラクの街々に、イランからの巡礼者や旅行者を溢れさせ、イラク経済をになう主要な要素としようというものだった。その計画は1979年にテヘランで聖職者達が政権を掌握したことで終わった。イランの新たな支配者アヤトラ・ルハラ・ホメイニは、イラクにおける単なる影響力を欲しなかった;彼は支配を欲した。ホメイニの野望は1980年から始まった戦争の引き金となった…サダム・フセインによって開戦された戦争ではあったが…アヤトラはその戦争を1988年まで引きのばした。
サダム・フセインの凋落はイスラム革命共和国に脅威と、そして機会を与えた。脅威とは、イラン以外に唯一、シーア派が多数派の国であるイラクが近代的な民主主義国家となって、ホメイニの国家モデルのライバルとなるという可能性だった。機会とは、旧イラクの消滅による真空状態をイランが埋めることで、イラクを支配する夢を実現できるという可能性だった。
イランによる現状分析では、イラクの状況からもたらされる脅威の部分は消えたという。イラクは米国その他の西欧諸国の長期的なサポートのもとでのみ民主主義を確立し、ホメイニ主義者のモデルを脅かすことができるだろうからだ。2008年にはイラク情勢が、西ドイツの1948年の状況に酷似していた。もしもその時に、欧米諸国が新興の西ドイツに対する援助を引き揚げていたなら、ソ連がその真空を埋めていたかもしれないのだ。
テヘランの政権の見解とは、現在のオバマ政権はトルーマン政権が1948年に西ドイツに積極的に関与していたほどには、イラクにコミットしていないだろう、というものだ。
かくしてイランは真空に入り込み、空隙を埋めようと準備している。そして、テヘランは異なる前線において前進を続けている。
過去5年の間にイラクにおいて何百ものフロント企業やビジネス事業がイランの資金によって設立された。イランによる"投資”はナジャフやカルバラで不動産バブルすらもひきおこした。バスラでは、2008年以降に新たに発された70%以上のビジネス免許は、イラン人に益するものだった、と報告された。
イランが出資し、コントロールを握る武装グループ──いわゆるMahdi軍を含め─は都市戦のための新たな武器と訓練とを受けた。何千人ものイランの諜報部員が2003年来、6百万人の巡礼者にまぎれてイラクに入りそこに居住している。
これまでイラン政府は、多くの聖職者たちがナジャフの重要な"howza"(神学校)を支配することに失敗してきたが─そこでは大アヤトラのアリ・ムハマド・シスタニ師のもとでイラクの主権の保証者(guarantors)としてふるまっている。
しかし、イランはイラクのために、新世代の聖職者たちを訓練してプロモートした…モクタダ・サドル(Muqtada Sadr)はその中の一人で、彼は何年かのうちにアヤトラに指名されるという希望のもとに、聖都Qomでの速成コースに通った。
政治の面では、イランはイラクのNuri al-Maliki 首相を追い出し、シーア派の宗派ブロックを2010年1月の総選挙で躍進させたいと願っているのだ。もしもそれに失敗するならば、その代案とは選挙自体を行わせないようにすることだ。
それは州制度と称して、8つのシーア派の主要県がイランの影響の傘下でグループ化されるという新たな状況を生み出すだろう。イラクの政治エリートたちは、すでに"イランの党”と、イラクの独立を支持する党とに分裂してしまっている。
聖職者たちのイラクへの冒険主義的ポリシーはイラン国内でも公の外交アナリストたちによる批判を呼んでいる。その議論とは、イラクを支配しようとすることは、イランが噛める以上のものに噛り付こうとしているというものだ。
イラン独自の利益のために必要とされるのは平和なイラクであり、そこでは多様な民族・宗派のコミュニティーが権力を分けあい、安定を生み出すべきである。現今の攻撃的な聖職者たちのスキームはイランとイラクの双方に、苦悩の嘆きだけをもたらすだろう。
http://www.aawsat.com/english/news.asp?section=2&id=18793
*アミール・タヘリはイラン生まれの保守派論客、イランの各紙で執筆後、ヨーロッパに在住する…。London Sunday Times、 Pakistan Daily Times、The Daily Telegraph、The Guardian、The Daily Mail、Asharq Al-awsatなどにイスラム過激派等に関しても書いており、CNN、BBCのコメンテーターもつとめ、西欧でよく知られているようだ。(「イスラム過激派」という本も書いている…)
*Asharq Al-awsatはLondonにあり、サウジアラビアの国営紙Arab Newsの姉妹紙だという
Wednesday, December 16, 2009
オバマの「アフガン戦争計画」への 高まる疑念?…Obama, Peace and War?
─しかしさすがに、このご都合のよい”Just War"議論は、米国人の間でも批判を呼びおこしている
[例] R.Mackeyは "Just War、Unjust War"の議論はイラク戦争開戦の前夜に、同じノーベル平和賞受賞者だったジミー・カーターがNYTに寄稿していたテーマだ、とも論じている… ↓
http://thelede.blogs.nytimes.com/2009/12/10/just-war-theory-and-afghanistan/
‘Just War’ Theory and Afghanistan By ROBERT MACKEY
── “Global Research”のウェブサイトでは、戦争を拡大させるオバマは、”Economic elite” …で軍産複合体のdecoyなのだといっている…
(http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=16410 )
Af-Pak War Racket: The Obama Illusion Comes Crashing Down by David DeGraw
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──昨今の米政権は、いわゆるテロリストのアルカイダと、穏健派も含むタリバンとは別の存在、のように認めつつもあったのではなかったのか?… 米政権が新たに発表した「Af-Pak戦略」の軍事的基本方針というのが、なぜまた強硬なタリバン掃討の継続に立ち戻ってしまったのか疑念を述べる人も少なくない… ↓例えば Juan Coleのブログも我々の心に浮かぶ一抹の疑念を代弁するかも
オバマ、平和と戦争 Obama, Peace and War (12/11、By Juan Cole)
ノーベル賞委員会がオバマに平和賞を授与した理由は…オバマがGeorge W. Bushではないからだ…というのが本当ならば、彼らはオバマの授賞スピーチのなかにブッシュの対テロ戦争の枠組が残っているということを知って、狼狽するに違いない。
…それは、偉大なスピーチだった… ガンジーやキング牧師、人権思想や経済的な正義にも触れて語られたスピーチとして。ブッシュができるスピーチではなかった。
しかしオバマは、最終的には、GWOT(Global War On Terror)の引力には逆らえなかったようだ。その責任のありかは他者にある、とされ、米国に責任は課せられなかった…イラクで犯した戦争犯罪によって、告訴される米国高官なども居りはしない…。
(極端で、周縁的な)テロリスト・グループであるアルカイダは、米国国防省(ペンタゴン)への挑戦であるとされたが、インターポール(国際警察)への挑戦とはみなされなかった。そして、アフガニスタンの反乱勢力は、アルカイダと同等だと見なされた。イラン、それは核兵器開発プログラムを持っていないにも関わらず、北朝鮮と同一視された。
オバマは、平和的な紛争解決は望ましいと示唆していたが、しかし、そこには軍事的な解決を求めるとの挑戦が提起された。しかし彼は無意識に、うっかり軍産複合体に好意的に、その机上に物事を積み上げた──ブッシュ主義者のレトリック…敵を'evil'(悪)と呼ぶいい方…をキーフレーズの継ぎ目に用いたり、テロリズムへの返答は軍事行動であると論じていた… そして誤った同一化を断定的に用いることによって、戦争は不可避だとみせかけた。
オバマは彼自身が空想家なのか、テクノクラートなのか、未だに決めてはいない。ノーベル賞委員会は、彼が前者であることを望んでいた。しかしこのスピーチでは、彼らに対して、オバマは後者の姿をみせた…
http://www.juancole.com/2009/12/obama-peace-and-war.html
また、Asia timesのG.Porterの記事では、米政府はタリバンからの<平和的提案>があったものも、拒否しているという↓
US silent on Taliban's al-Qaeda offer By Gareth Porter (12/17、Inter Press/Atimes)
…タリバン指導部は12月初めに、オバマ政権に対し、彼らがアフガニスタンを「他の国への攻撃のための拠点にしないとの法的な保証 (Legal guarantees)を与える」、との提案をおこなったという…。しかし、これに対して米政権は沈黙を守っている。
タリバンからのオファーに関しての米政権の沈黙は… ヒラリー・クリントン国務長官が公式声明のなかで述べたこと…「タリバンが自分たちをアルカイダから切り離して、いかなる提案を行うことにも疑念がある…」との見方にも関わらず、そのような提案をベースにした交渉のドアは開かれていることを示している。
…しかし、タリバンはオバマ政権の立場としては提案を拒否したとみている。
タリバンは報道各社に12/5に、4日付の声明メールを送った。そのなかで彼らは「我々には、他国の内政に干渉するいかなるアジェンダもない。もしも外国軍がアフガンから撤退するならば、そのことへの法的保証(Legal guarantee)を与える」としていた。
…その声明文にはアルカイダへの言及はまったくなく、またそうした「干渉」に対する「法的保証」の意味とは何か、についての詳しい説明もなかった。しかし明らかにそれは、米国が過去に行った主張──アフガニスタンでの戦争は、アルカイダが同国を安全な避難地(safe haven)とすべく再び戻って来ることを阻止するために必要だ という議論への回答だといえる。
このことから、タリバン自身がアルカイダとの連携を否定することでの米国との間の合意に関心があり、また米軍の撤退とそれとを交換条件とすることに関心がある、と推測された…。
これに関して、この2、3週間インタープレス・サービスは、国務省スポークスマンのP J Crowley氏や National SecurityCounsilの報道担当 に、オバマ大統領がこの件を知っているのか繰り返し確認を試みていたが何の回答もなかった。12/5付のWSJの記事はこの件に関して唯一、政府高官へのインタビュー内容を伝えた。その高官はビンラディンとの繋がりを断たなかったグループが、アルカイダとの連携を断つとは信じがたい、との立場をとった。
翌日、ABCのジョージ・ステファノポロスのインタビューでクリントン長官はタリバン上層部との交渉の可能性について訊かれ「我々はまだ知らない」と答えた。またその件は、アフガン戦争開戦前に米国はオマール師に確認しており彼らが意思を変える筈はないと長官は付け加えた─
ゲイツ長官は同じインタビューでタリバンの上層部はタリバンが弱体化するまで、米国との交渉に臨むことはない、そして「それはたった今、我々が彼らの勢いを削ぐかどうかにかかっているだろう」と推測を述べた…しかしその2日後"Mujahideen"と名乗るタリバン指導者が、米国は彼らの提案を拒否したとネット上に投稿し…彼は同時に、彼らの次なる政府は外国政府が撤退するなら他国に干渉することはないと繰り返した─
(この後国務省とNSC担当者はクリントン、ゲイツ長官らの懐疑論をあえて繰り返さずに沈黙を守っている)
しかしPhiladelphia Inquirerのコラムニストによると、11月にKabulで匿名の米高官が「もしもタリバンがアルカイダと縁を切り彼らの目的が非暴力で非政治的だと宣言するなら──米国はここで6万8千の兵力に加えた追加兵力を維持する必要などない」と語ったという…。
オバマ政権の多くの人間がそれをタリバンの大きな詐欺工作だと考えた。ブルッキングス研究所のBruce Riedelもそれは目眩ましだろうという。しかしRiedelでさえも、昨今のパキスタンのタリバンによるパキスタン軍とISIへの攻撃は…ISIとアフガンのタリバンの間の密接な繋がりに脅威を与えているという──そしてパキスタンのタリバンはアルカイダとの密接な繋がりも維持している。
タリバンは2007年以来米国とNATOとの交渉にオープンな関心を示してきたが、彼らが米軍撤退との引き換えにアルカイダと手を切るとの提案は、3ヶ月前に発されたに過ぎない。
9月中旬のEid al-Fitrの祭日の際、オマール師は声明で「我々には他国を危機に晒す意図はなく、他国が我々を危機に晒すことも許さない。我々の目的はイスラム体制としての独立だ」と述べた。しかし反乱勢力のリーダーたちは交渉は米国の出方次第だとも表明し続けた。
オバマが新戦略を発表した直後の11/25に、オマール師は3000語の声明を発し「アフガンの民衆は軍事的な駐留延長を法的に正当化し続ける侵略者との交渉はありえない。米国の侵略者は交渉の名を借りてムジャヒディーンを降伏させようとしている」、と述べた。それはタリバンが米軍撤退を条件に交渉する余地があることも示している。
タリバンの提案の翌日カルザイ大統領はCNNのインタビューで、米国とタリバン指導者との交渉が緊急に必要だが、オバマ政権はそれを拒否したとした。彼は交渉への米国への参加を明らさまには求めなかったが、米国が参加しない限りアフガン政府だけでは無理であると述べた…
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KL17Df02.html
Tuesday, December 15, 2009
米軍の増派計画は、タリバンの手の中に…!?/US surge plays into Taliban hands By Walid Phares
オバマ政権の、アフガンからの撤退をみすえた増派計画には…
リアリティがあるのだろうか─
Af-Pak新戦略に対してはこのような手放しの反対論もある
米軍の増派計画は、タリバンの計略に叶うものとなる… By ワヒド・ファーレス (12/11、Asia Times)
我々は今や、オバマ政権の新アフガン戦略とは何かを知った。米軍に抗して戦うタリバンの戦略はどうなるのか?タリバンとアルカイダの作戦司令室は、オバマの戦闘プランにもとづき3万人の兵力を増派するNATOとアフガン政府軍に、いかに対抗するのだろう?
両者の戦略がどう衝突するのかを予想し、米国の現在のこの地域でのポリシーの正確さを評価するためにも、我々はそうした問いを発する権利がある。
戦略的な認識 Strategic perceptions
ジハードの作戦司令室は、米政権が今や「いわゆるアル・カイダ組織」の打倒に視野を絞ったことを察知する…タリバンに関しては、彼らが全面的勝利を達成することを阻止すること…彼らが勢いを得ることのみの阻害にゴールを絞ったのだ。戦略的な言い方をすれば米政権は、タリバンの全面的打倒のために必要な長期的な関与をやめるだけでなく、時間や手間をかけることも、やめたのだ。
ジハードの戦略家たちは今や、ワシントンのアドバイザーたちが未だにタリバンとの…タリバン全体との対話を推奨してはいるが、それはタリバンが自らの弱さを自覚して、対話の必要性に押し戻された時にだけ、可能だと考えている、と理解する。このような認識のもとで、原理主義的なイスラム主義勢力についてのアナリストたちは、いま米国がアル・カイダとタリバンを二つの異なるものと考え、まず初めに前者を打倒すれば、やがて後者の打倒も可能だ、と結論づけていると実感する。
そのような米国の欠陥だらけの認識をジハーディストたちが理解することは、まず、タリバンとアルカイダに有利なアドバンテージを与える :貴方の敵である米国は、貴方が何者なのかを本当によく見てはいないのだ…とわかるから。
戦略的な関与 Strategic engagement
米国は、アフガニスタンでのミッションのゴールとは、アルカイダの打倒やアフガニスタン軍の訓練ではあっても、アフガンの国の建国作業に取り組むことではないことを、再確認した。前回までの米国のコミットメントのし方(アフガンとの関わり方)とは異なり─それはとにかくあまり成功していないが─現在の戦略ではオフィシャルに、(そのような)思想的な面での論争は無視している。
かくして、タリバンは彼らの生命線であるマドラサ(イスラム神学校)の卒業生を基盤としたさらなるリクルート活動が、広くオープンな状態だと知る。ワシントンの努力も、資金援助も、ジハード主義の思想工場にタッチすらできないのだが、それがタリバンとアルカイダの戦略的な深層部分なのだ。
そうしてアフガニスタンのジハーディストのネットワークは継続し、その教化活動の組織をさらに発展強化させていくだろう…米国の軍事力拡大からも影響を受けず、妨害をされることもなく。米国の海兵隊と他のNATO同盟軍が今日のタリバンと戦っているとき、明日のジハード主義者たちは彼らの指導者からの教えを、完全な静寂のもとで受けているだろう。
米国が2011年か、2012年、あるいはそれ以降の撤退の期限に到達するころまでに、未来の敵の勢力は配備を敷くばかりに陣容をととのえているだろう。ひとつのテロリスト勢力の波が米軍とNATO軍によって弱体化されても、その後にそれに代わる次なる波が待ち構えているだろう。
致命的デッドライン Deadly deadline
米政権のプランは、アフガニスタンからの撤退のタイムライン(スケジュール)を含んでいる(それは"撤退の始まり"と再解釈されてはいるが)。 …それが"期限を設けない取組みではない(no open-ended engagement)"、との査定評価にもとづけば、新しいアフガン戦略のいかさま師たちは、敵の作戦司令室にある中継カメラを通じて、米国のアフガン関与が最大でも2013年までで、その後は再びタリバンの時代が戻ってくる、と彼らに告げてしまったのだ。
多くのアナリストが結論するように、すべてのジハード主義者の戦争プランナーたちがするべきことは、ハリケーンの拡大が止むまで、時をしのぎ待つことだ。その米国の戦略において提案された致命的なデッドライン(撤退の期限の設定)は、全体主義的勢力との対決においては先例がないことだ。タリバンはすでに、8年間待っていた; だから彼らは、更にあと2年、3年、または8年待ってはどうなのか…米国主導の同盟軍の軍事行動は質的にも(量的にではないにしろ)、これと違わないのではないか?
出口戦略のための兵力増派 A surge to the exit
アフガニスタンの人々に対して示されたように、米国政府の戦場に関する新たなプランは、アフガンからの総体的な退去を前にした最後の増派だと思われている。タリバンの作戦司令室はそのような、見積もりを理解している。3万3千人の重武装の米軍追加兵力が、5千から1万人の同盟軍兵力のバックアップを受けて派兵される。南ヘルマンド県や、その他のエリアには攻撃が行われるだろう。特殊部隊は多くの地点に移動展開し、砲撃がイスラム過激派の武装勢力を2年間以上にわたって悩ますだろう。
タリバンは損害をこうむり、アルカイダの活動家たちはより重い圧力のもとに置かれるだろう:それらすべてはタリバンの指導者、オマール師の本に書いてあり、アルカイダの副代表アイマン・アル・ザワヒリのラップトップにも保存されていることだ…そして何が起こるのか?
そこに出国のときが訪れて、米軍とNATO軍は撤退を開始する。それが起きるとき、生き延びていたタリバン兵士と、新たにマドラサを卒業したニューウェーブたち、または、ボランティアのジハーディストたち…バーチャルなカリファテ<1400年前のイスラム・カリフ公国を想像上で復興した国際的な領土>の4つのコーナーから送られてきた者たち…が次の選択を迫られる: 米国の交渉者たちが推奨するアフガン政府への参加の提案を受けいれるか、またはその提案を蹴って、撤退中の"異教徒の勢力”を砲撃でみまうのか?
簡単に要約すれば、新戦略はタリバンの作戦司令部にとって都合がよいことなのだ: 彼らにとっては、そのことはマヤ暦の2012年までに…そしてその後においてもずっと、ことごとく実感されるにちがいない。
全体主義者に勝利を提供することが民主主義の役割だ、と取りちがえることは、後者の長期的なゴールが何なのか、を理解しないことだ──そしてそれをちょうど今、米国は行ってしまった。
(*Dr Walid Phares is director of the Future Terrorism Project at the Foundation for Defense of Democracies and author of The Confrontation: Winning the War against Future Jihad.)
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/KL11Df03.html
Sunday, December 13, 2009
ギラニ首相が、オラクザイへの攻撃開始を示唆/Gilani Threatens Orakzai Campaign
オバマ大統領の新たなアフガン戦略、
さらなる兵力増派の発表のなされる直前…
パキスタン政府が極度に動揺していたという、その事情とは?
Pakistan eyes Taliban front after S. Waziristan By Nahal Toosi (12/12、AP)
パキスタン軍は近隣・南ワジリスタンでのタリバン掃討作戦を逃れた反乱勢力のリーダーたちが逃亡している、と思われるアフガン国境付近の地域で、新たな軍事攻撃を行うかもしれない、と土曜日に同国の首相は語った。
ギラニ首相は次なる前線はオラクザイだという…南ワジリスタンの北の、無法な部族エリアのその地域で、政府はすでに幾度も空爆作戦を実施しており、国連はすでに4万人の住民が避難したという。
「南ワジリスタンでの作戦は終わった。今はオラクザイについて討議している」とギラニ首相はラホールで記者たちに対して語った。
http://news.yahoo.com/s/ap/20091212/ap_on_re_as/as_pakistan_12
ギラニ首相が、オラクザイへの軍事作戦を示唆 By Juan Cole (12/13, Informed Comment)
パキスタンのYousuf Raza Gilani 首相は、パキスタン軍の南ワジリスタンでの軍事作戦の終結を宣言したが、しかし、その継続の可能性も未だに残そうとしているようだ。
その曖昧さの理由は、南ワジリスタンが広大な地域で、パキスタンのタリバン運動の多くの武装兵たちがパキスタン軍が侵攻する以前に地域住民に紛れ込んで隠れてしまったかも知れないからに違いない。
…つまり、南ワジリスタンは最近の短い軍事作戦で決定的に平定されてはいないようだ。逃亡した反乱勢力は、いまや国境のアフガニスタン側のサイドにいると目され、米国とNATOの頭痛の種となっている。もちろんギラニ首相は、オバマの兵力増派計画が、何千人もの怒れるPashtun族を、国境を超えてパキスタン側に送り返すかもしれないということに、茫然たる戸惑いを感じている。
ギラニ首相はさらに、パキスタンのタリバンに対する次なる大きな軍事作戦は、Orakzai Tribal Agency(部族エリアのオラクザイ地区*)を焦点とすると表明している。それはカイバル峠へのルートを筋違いに横切り、パキスタンのタリバンがペシャワルを攻撃したり、NATOのコンボイや、米軍・NATO軍が物資を蓄えるペシャワル地域の倉庫を攻撃する際に拠点とするのに好都合な地域だ。Orakzaiはタリバンのベイトラ・メスードの後継者ハキムラ・メスードによって支配され、彼らの典型的な、厳格な宗教的支配のもとにある。しかし、パキスタン軍がこの2つの地域に介入することは、イスラマバードにとって脅威をよりいっそう凝縮する。
多くのオブザーバーたちは、Haqqani族ネットワークとアル・カイダの同盟者たちの一大拠点・北ワジリスタンへの攻撃が(…これらグループによる奥地からのアフガンへの攻撃がなされる限り)オバマ大統領の戦争努力の一層の必然的成り行きだ、と感じている。オラクザイが次の攻撃目標となるかも知れないことは、イスラマバードで感じられるパキスタン本土への攻撃の脅威が未だに続いている(カブールでカルザイ政権にとって最も危険なグループに直面するよりも、重大な事項として)ことを示している。
ギラニ首相は反政府的なBaluch族との和平交渉について語ったが、その反乱勢力とはイスラム過激派としてではなく、準ナショナリズムと部族主義を特徴としている。Baluch族の活動家たちは、国家政府が(徴税して)首都イスラマバードで公共サービスとして還元している分よりも、州政府が天然ガスや他のコモディティ(常用品)として、より多くのとり分を奪取しているのだと指摘する。…再びいいたいが、ギラニ首相はパキスタンの国内問題に取り組んでいるのだ──
米政府担当者たちは、Baluchisutanの州都のQuettaは依然、オマール師と古いタリバン勢力の本拠地であり続けていると考え、もちろんそれがアフガニスタン国内に攻撃を仕掛けるQuetta Shura(パキスタンのタリバン部族会議)の中心地だとみなしている。
…ギラニ首相が、オマール師とQuetta Shuraとの交渉よりも、イスラマバードでのBugti 族の分離主義者(連邦脱退論者)との紛争解決の件に捉われているのは、アフガンでの戦争においてはオバマ政権が未だに、パキスタン政府の完全な協力を得るためにハードルに直面していることのあらわれなのだ…(地図はBBC)
http://www.juancole.com/2009/12/pakistani-prime-minister-yousuf-raza.html
*註:オラクザイ地区はパキスタン政府公認の部族エリアの一つ
★英政府、ビンラディン容疑者追跡などで資金援助 73億円 (12/3、CNN)
英国のブラウン首相は12月3日、訪英したパキスタンのギラニ首相と会談、同国のテロ対策と対アフガン国境の山岳部に潜伏しているとされる国際テロ組織アルカイダの最高指導者、オサマ・ビンラディン容疑者の追跡作業を拡大・強化させるため総額5000万ポンド(約73億円)の資金援助を表明した。
ギラニ首相は共同記者会見で、ビンラディン容疑者の潜伏先などを質問され、同国は米国と共同し優れた諜報(ちょうほう)活動を推進していると指摘、「パキスタン内にいるとは思わない」と語った…
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200912030027.html
★Yousaf Raza Gilani, Pakistan PM, Says Bin Laden Not In Pakistan パキスタン首相、「ビンラディンはパキスタンにいない」 (12/3、AP)
…パキスタンのギラニ首相は木曜日(3日)、ロンドンで会見したG.ブラウン首相からのリクエストに答えて、自国のテロ勢力との戦いの努力を擁護…ビンラディンはパキスタンにいるとは思えず、パキスタン軍はテロ勢力に対する戦いに成果をあげていると主張した。首相は同時に、米国のオバマ大統領の新Af-Pak戦略として発表された米軍主導の兵力増派案への賛同を拒否する、との慎重な回答へのシグナルを発した。ギラニ首相は、彼の政府はアフガンでの米軍のプレゼンスの拡大計画と、パキスタンへの援助拡大に関するより一層の情報が必要としている、とした。
ギラニ首相と同国は火曜日にオバマ大統領が発表したポリシーを…CIAが秘密人員をパキスタン(その中央政府はイスラム過激派からの強い脅威に晒されている)に派遣するとの示唆を含め…検討しているという。「オバマ大統領の新戦略に関し我々は検討中だが、より一層の明確な情報が必要だ。それが得られれば我々が何をそこで実行できるかも判明するだろう」と彼はいう。…オバマの戦略を強く支持し、自身も500人の兵力をアフガンに増派中のブラウン首相とは違い、パキスタンは今回の首相の用心深く言葉を選んだコメントの発表までは沈黙していた。
2001年以来、米国はパキスタン軍のアフガン国境でのイスラム武装勢力との戦闘に数十億ドルの援助を行ってきた。また昨年以降、米国は国境付近の目標への隠密なミサイル空爆作戦を開始した。そこには良し悪しの結果が生じ、軍はパキスタンのタリバンと対戦しているが、一方で国境地域の部族エリアを根拠とするアフガンのタリバン指導者たちの追跡に失敗している。同時に国内では、これらの軍事作戦に触発された反西欧の気運が爆発している。
西欧の政府関係者やアナリストたちは、パキスタンが国境の両側で決戦をしていると信じている…パキスタン側の武装勢力粉砕への米国の資金援助を受け、一方でアフガンのタリバンについては、もしも米国がアフガンから撤退すればイスラム過激派勢力が支配権をとり戻すと予期しつつ、今は彼らを見のがしている。
英国ブラッドフォード大学のパキスタンの治安専門家Shaun Gregoryは、パキスタンはオバマ大統領が発した2011年7月以降の米軍撤退の誓いを銘記するだろうという。「パキスタン人たちはワシントンからのシグナルを賢く読みとるだろう。アフガニスタンのタリバン勢力を広汎に支持するかのような、より長期的な軍の戦略は清算されつつあるようにみえる。そうした勢力は今元気旺盛になっている」
ギラニ首相は米国のアフガン司令官Gen.Stanley McChrystalと、Adm. Mike Mullenがパキスタンを訪れる際に、米国の戦略をより詳しく知りたいという。首相は米軍の兵力増派には煮えきらぬ態度を示し…それが単にアフガン側の武装兵力を、国境の山岳を越えてパキスタン側に押し込むのではと怖れていると述べる──また米国と英国はパキスタンに圧力をかけ、国境のパキスタン側の武装勢力根絶を求めている。Hillary Clinton国務長官を含めた米軍高官たちはビンラディンが部族エリアにいると信じ、パキスタンがビンラディンを見つけられないことを酷評している。ギラニ首相は、パキスタンはテロリスト制圧にとても成功していると強調、主なタリバンのテロリストはアフガン側にいる、と主張する。
http://www.huffingtonpost.com/2009/12/03/yousaf-raza-gilani-pakist_n_378887.html?show_comment_id=35630771
(*写真下はオラクザイ地区で撮られたHakimullah MesuhdのPhoto)
Wednesday, December 9, 2009
ハマスは穏健派ではないかもしれないが、過激派を弾圧している?/Hamas may not be moderate, but it's cracking down on extremism - By Avi Issacharoff
ハマスは穏健派ではないかもしれないが、過激派を弾圧している - By アヴィ・イサチャロフ(12/4、Ha'aretz)
イスラエルの批評家たちがいうには、ハマスは最近、ガザ地区の人々に示せるその達成の実績が少ないために、Gilad Shalit[ハマスが人質に捉えているイスラエル兵]の解放に関するイスラエルとの交渉を完遂したいと願っているという。
しかし、多くのパレスチナ人批評家たちはこう指摘する──ハマスは最近、その慈善事業ネットワークでガザの失意の人々を援助できる能力のお陰で、イスラム主義運動としては平静になっているようだと。そして、今日ハマスにとっての本当の脅威はイスラム過激派の方向から来る、と指摘する人々がいる…それが今後の数年間に、ハマスの支配体制にとっての最も顕著で、深刻な挑戦となるのだ、と。
イスラエル軍は先週の金曜日、ガザ地区の北部でカッサムロケットを発射していた男たちへの攻撃を行った。ひとりのパレスチナ人が殺され、他の3人が負傷した。多くの筋の推測によれば、その男たちはJaljalat運動と呼ばれるイスラム過激派の活動家のセルに属しているという。
この何ヶ月か、彼らやその他の小さな組織グループが運動の勢いを増していた。ハマスの側では、彼ら過激派を内に抱え込み、法に従って行動するように説得すべく試みていた(…これらの3つの派閥を包含することが、人々のハマスへの支持に害を与えるとしても…そして特に彼ら過激派はハマスを、ジハードの本質を忘れたイスラエルの協力者だと捉えていたとしても)──例えば、多くのJaljalatのメンバーたちは元ハマスの活動家たちだったが、ハマスが余りに穏健になりすぎたと感じて組織を出た者たちだった。彼らは今や、イスラエルに関するより過激なポリシーの先鋒となろうとしている。
こうした過激なグループのなかには、the Army of the Nation、the Armyof Islam, Jund Ansar Allah, そして Hizb ut Tahrirなどがいる。
過激派の小グループとハマス政府の間の緊張は、数週間ほど前にJund Ansar Allahの活動が活発化しているRafah地区で発生したモスク乗っ取り事件などで特に明瞭に示された。しかしガザをコントロールするのはいまだにハマスで、その支配は2007年7月の彼らによるクーデター以来さらに、より堅固になっただけだった。ファタハの方は最近、ガザでの公有の組織(Public domain)としては殆ど存在を止めているに近い。そして同時にハマスは──たとえばイスラム銀行や、ハラル製品(イスラムの戒律に即した製品)を監督する企業、といった有益性の高い機関を設立することで、過激派に対する人気の高まりを押しとどめようと絶大な努力をしている。
慎み深さと、マネキン人形
ハマスは、官公庁でおこなう午後の宗教レッスンを提供しており、また民事の訴訟費用でシャリア法にもとづいた法廷裁判を行うことを奨励している。学校や大学では宗教的カリキュラムが拡大されている。ガザの全土でイスラム和解委員会が業務を行い、家族間や個人間の争いごとの仲裁をしている。金曜日には今や多くの市場や商店が仕事を休み、海岸では男性と女性が別々に離れたエリアで座っている。ハマスの政府は学校での不謹慎な衣服の着用を禁じ、生徒たちが制服を着用することを好んでいる。
そしてさらに、ハマスのメンバーのみで構成されるガザの議会は最近、シャリア法式の刑罰(たとえば盗人の手を切り落とすといった)の実施について議論しているが、未だにその決断は下していない。結婚していないカップルが一緒に車に乗ったり、孤絶した場所にいることも禁じられ、若い女性たちは“非モラル的な会話”から遠ざかるようにと求められる。ハマスはまた、インターネット・カフェのオーナーたちに、問題のあるウェブサイト(例えばポルノグラフィックの様な)への人々のアクセスを許さないようにせよと警告している。女性はオートバイに乗ることを禁じられている。ハマスの宗教大臣はガザ地域全土にポスターを掲示し、女性は慎ましい服装をし…ヒジャブ(ヘッドスカーフ)だけでなくロングドレスを着用するようにと奨励している。
商人たちは、商店のウィンドウの女性のマネキン人形に慎ましさを欠く衣類を着せないよう、また人形の頭部は取外すように要求されている。そのようなリクエストは公式命令ではないようにみえるが、推奨的事項とされている。このようにしてハマスは、政府が市民に対して、厳格にイスラム的であれと命じているわけではない、との言い訳が可能になる。
先週のId al-Adha(犠牲祭)の前夜にハマスの代表たちは3万軒以上の家々(約250万人の人々が居住する)を訪問し、貧困の度合いを査定する調査をおこなった。貧困の発生率はガザ地区で新記録を更新し、最近では北部へと拡大しつつある。
ガザでの社会福祉活動をおこなっているのは慈善事業を行う組織であり、それがハマス政府である必要はない。昨今、そうしたグループとして一層目立つのは、2001年に活動を始めたAl Falahというグループだが、それはハマスの有名な人物Ramadan Tanburaに率いられている。こうした慈善事業は政府の補完部門であり、その足元を堅固にすべく助けている。ハマスはたとえば多くの資金を、相互扶助のためのAl Takaful program──失業中の労働者たちに数多くの仕事口を与えているプログラム──に投じている。
ハマスはRafah地区でのトンネルの運営により、イスラエルによるガザ地区の封鎖を改善(緩和)することに成功した。イスラエルの攻撃や、トンネルの崩壊事故で発生した100人以上の死者も密輸活動には影響していない。そして無論、地下のネットワークは中央のシステムと、第2のトンネルへと拡張されている。
いずれにしても(ガザの)封鎖は外部から完全に密封されたものではない。イスラエルは、Id al-Adha(犠牲祭)を前に何千匹もの羊を地区に入れてもよいと許可し、また花を外に輸出することも許可した。今年は、1万5千人の外国人がガザを訪れている。外国の組織により持ち込まれた物資は、昨年の何百%にも増加した。同時に、ハマスの幹部たちは、Gilat Shalitの解放への合意が、結果としてガザの封鎖の解除を容易にし、そしてガザの経済に計り知れないほどの改善をもたらすことを期待している。http://www.haaretz.com/hasen/spages/1132553.html
*下右:Gilad Shalitは3年以上前からハマスの人質。イスラエルのパレスチナ人人質100人余とマルワン・バルグーティの身柄との引換え交渉が実りそうだとか…
*関連記事
Sunday, November 29, 2009
パキスタン軍拡大と、反大統領デモの可能性/ Pakistan's military stays a march ahead - By Syed Saleem Shahzad
ザルダリ氏への恩赦失効*でパキスタンに動揺が
パキスタンでの、米国主導の“テロとの戦い(war on terror)”に対する人々の支持を集めるため、英・米政府は共謀し、パキスタンで世俗的でリベラルな政治勢力が権力の座で勝利すべく画策した──当時の大統領だったペルベス・ムシャラフ将軍と、前首相ベナジール・ブットの取引交渉による合意は、National Reconciliation Ordinance (NRO)(国民和解条例)の発布の形をとった。
2年を経たいま、この取引に対する反動(blowback *)が、文民政府を大混乱(カオス)に陥らせる脅威と化しつつある… パキスタン政府は丁度、国の核兵器庫の新たな操作管理の機能を確立すべく苦闘しており、部族エリアでは武装勢力への大規模な軍事作戦を仕掛けているのだが。
NRO条例は2007年10月5日に発布され…汚職、横領、不正なマネー・ロンダリングや殺人、また86年1月1日から99年10月12日の間にテロに加担した罪などで摘発された政治家・政治団体スタッフ・官僚らに対する「恩赦」を与えた。これによって利益をこうむったなかで最大の人物二人とは、ブットと彼女の夫…即ち、現首相のアシーフ・アリ・ザルダリだった。国外に亡命していたブットはその後、仮の首相候補として国に戻ったものの、彼女は2007年12月に暗殺されてしまった。
最終的に、NRO法は11月28日に失効の期限を迎えたが、何百人もの政治家や官僚が法的な訴訟を退ける有利な利益をこうむったことが露呈した。法務大臣はこれにより影響を受けた人々のリストを発表したが、そこには大統領から上級閣僚・外交官までが名を連ねていた (*その数は約2000人にのぼる)
この取引交渉を扇動した元々の発案者である西欧の資本は今や、黙せる相場師と化しているが、パキスタンの軍組織(mis)は今、アフガニスタンから外国の軍勢力は撤退しようとしているものとみている。そして代わりに、タリバンの主導する反乱勢力における全ての主要な人物(プレーヤー)を交渉の話し合いに招くというcontingency plan (非常事態計画)が考案されつつある。
軍はすでに、アフガンの反乱勢力の“影の軍隊(Lashkar-e-Zil)セクション”の有力な司令官たちに対し接近している。そのメッセージとは、外国軍隊が撤退した場合、ムスリムの反乱勢力に反対する理由のないパキスタン軍は、(彼らの)友軍とみなされるべきだ、というものだ…。
そうしたメッセージは、司令官イリヤス・カシミーリを通じてal-Qaedaにも送られ、またグルブディン・ヘクマティヤル(Gulbuddin Hekmatyar)の元にも──彼の司令官たち(…アブドル・ガフール、シラジュディン・ハカニ、ハキムラ・メスード)を通じて送られた。そのメッセージはまた、英国のゴードン・ブラウン首相による最近の声明にも触れている、“私は1月1日に会議をロンドンで開催することを提案した。私はその会議において、軍事戦略遂行のための包括的な政治上の枠組を計画したい。そして、そこでは各地域・地域のコントロールをアフガニスタン全土へと移譲するプロセスと、2010年以降にそれを開始するタイムテーブルを明確にする必要がある。”
軍勢力の情報筋がAsia Timesに語ったことは、ブラウン首相のスピーチは”テロとの戦い”に対する国際的な支持が衰えをみせつつあるなかで、米国単独による作戦の遂行は不可能になることを示唆したものだ…、という解釈だった。
この方針転換という見地は、パキスタン軍にも影響を及ぼした。軍のあるスポークスマンは、最近、軍が1ヶ月にわたる軍事作戦を遂行した結果、パキスタンのタリバン勢力の南ワジリスタンの本拠地に到達し、全ての主要な地点を支配したと主張した。米国の圧力の下での軍の次なるステップは、al-Qaedaや最大のタリバン主導グループ・ハカーニ族ネットワークの本拠地があるとされる、隣接の北ワジリスタンへと移動することだ。
しかし軍は英国・イタリア・フランス・カナダや、米国のオバマ大統領からアフガンへの兵力増派へのためらいがちなシグナルが発されるなかで、現時点で作戦行動を拡大する準備をしていない。
“力の回廊地帯”における動揺
パキスタン軍が最大のプレーヤーとなっている同国内では、NRO条例の失効に伴って影響を受ける人々のリストが発表されたことにより、政治状況が突然悪化した。報道によれば、いくつかのケースでは逮捕状がすでに発行されたといい…数名の閣僚が、近々辞任するだろうとの予測もある。
最高裁判所の元・主任判事サイードゥザン・シディーキは、誰もが法の訴追を免れない中で、大統領さえも恩赦を見直される可能性があるという。 …“それ[大統領の訴追免除]は、英国の総督や知事たちを守るために作られた植民地法なのだ”とシディーキ はTV番組で語った。ザルダリの名前はリストの筆頭にあるが、もしも彼の訴追免除が取り消されたなら、政府全体が倒れる。
情勢の悪化は軍を勢いづかせ、80基から100基の核弾頭があるとされる核兵器の兵器庫に軍の勢力がはいりこむ可能性がある。
先にAsia Times Onlineは、ザルダリ氏がすでに、軍によるタリバン系・反乱勢力との交渉には強く敵対し、彼の政府が数週間のうちに(その生き残りの可否のテストとなる)大規模な街頭抗議デモに直面するだろう、との記事を書いた。(11月20日付 Nuclear fallout rocks Pakistan 参照 *市民抗議デモは計画俎上にあるという)
パキスタンは、情報調査記者セイモア・ハーシュがThe New Yorkerに掲載した11月16日付の記事"Defending the arsenal"に強く反応した。その記事でハーシュは、パキスタンが米国との間で、“理解すること(Understanding)”に関する討議を行っていたと書いた…そこでは、専門家たちがパキスタンの高性能な核の引金(核弾頭)を──誤った人間たちの手に渡ることを防ぐため──国外に持ち出すことさえありえるといっているのだ。
オバマ政権は明らかに─ 特に先月、武装勢力がラワルピンディのパキスタン軍の本拠地に入り、22時間にわたる流血の包囲行動を起こして以降、パキスタンの兵器に関して深く憂慮している。
Joint Chiefs of Staff Committee(陸軍参謀委員会)議長のタリク・マジード将軍は、その主張は“馬鹿げており、単純に間違いだ”といっている。それはそうかもしれない、しかしパキスタンの中では兵器庫の件は大きな政治的口論に発展している。明らかな国際社会の懸念を表明するように、National Assembly's standing committee on defenseの議長、アズラ・ファザル・ペチューホは11月11日の彼女の17名からなる委員会の会合で、委員会の報告書を急いで発表し、2007年に発されたNCA法令(核兵器管理権限法令)が、核兵器庫の多層的なコントロール構造に、法的認可を与えるよう求めた。
この報告書によれば、その権限の責任者は大統領で、首相はそれを代行できる。他のメンバーとは外相、国防相、財務相、内務相、軍参謀委員会議長、3役議長と戦略計画本部の主任となる。核兵器の操作上の管理には現在、陸軍参謀委員会の議長マジード将軍が単独で当たっている。
NCA法案は前大統領のムシャラフの時から、核兵器のコントロール強化のため立法化が求められていた。しかし、同法案は議会議長のフェフミダ・ミルザが議会運営大臣ババル・アワーニの要望のもとで(理由なく)延期してきた。Asia Times Online は、前首相のナワズ・シャリフ もまた、同法案の立法化を延期するための妨害工作をしてきたと書いた。シャリフは現在、野党の党首だが、明らかに大統領のザルダリを信用しておらず、権力を首相が握るように望んでいる。彼は野党の党首がNCAの一部であるべきだと求めている。
シャリフの懸念だけが問題なのではない──軍もまたNCAに留保条件を持っており、それが立法化の遅れをもたらしている。
同条例が公布されたとき、ムシャラフは大統領でかつ軍総司令官であったので、軍は政府権力において大きな存在感を持っていた。今やザルダリ大統領は、ワシントンに余りにも近すぎると思われている…引退した戦略計画部門の主任カリド・キドワイ中将と同様に…。軍は同条例に、外国の権益がその権限を妨害することのないよう修正が加えられるよう求めている。
*(註:ブローバック◆アメリカの CIA の用語で、外交政策が原因となって自国にもたらされる予期できない負の結末。支持していた政権が自国に敵対的になってテロを仕掛けることなどを指す)
*NYタイムスの29日の関連記事…ザルダリ氏は核兵器の管理権限(「核のボタン」)を突如首相に委譲することを発表!
Pakistan’s Leader, Under Pressure, Cedes Nuclear Office
http://www.nytimes.com/2009/11/29/world/asia/29pstan.html
金曜夜遅く発表されたプレスリリースによると、ザルダリ氏は国内での圧力の下で、2年の大統領職の任期中最悪の低迷に陥っている。土曜日に政治的な恩赦のプログラムの期限が切れ、ザルダリ氏と協力者たちは汚職と犯罪の容疑に直面、反対勢力は彼が多くの権力を放棄するか、あるいは辞任することを要求している。
政治アナリストたちはパキスタンの核の安全が脅かされる可能性を見てはいないが、今週アフガン新戦略を発表するオバマ政権にとり、同国の政治的安定は決定的に重要だ。米国はパキスタンにタリバンとアル・カイダとの戦いをステップアップするよう強く要求しており、2週間以内にはイスラマバードに2人の国防上のトップ担当者を派遣する。
これまでザルダリ氏はパキスタンの核兵器庫の全てをコントロールするNational Command Authorityの文民としてのトップを務め…60基あるいは100基の核爆弾の移動・発射や、兵器の備蓄拡大、核兵器及び研究施設の安全管理などの決断の権限を持っていた。
前大統領ムシャラフが軍人であったのに対し、このザルダリ氏のポジションは核のシビリアン・コントロールを示唆すると思われた。しかし現実には強力な国軍がパキスタンの核兵器庫を統制管理しており、ザルダリ氏によるサイード・ユーサフ・ラザ・ジラーニ首相への権限委譲は実質的に何の効果もないともいわれる…
…軍部はザルダリ氏と彼のPPT党を歴史的に酷く嫌っている。ある上級国会議員は、この動きがザルダリ氏の民主的な信任を鼓舞し、ムシャラフ体制の下で弱まっていた議会制を強固なものとして復活させることを期待すると述べた。しかしパキスタンは62年にわたり常に軍部が強く、核保有国の中で例外的に軍が核の全側面を支配している。米国はそのことに多少安堵していた。
軍部はその体制の維持を望んでいたといわれる。しかし軍部は、オバマ大統領がこの国の民主的制度組織へをサポートを表明し、両国間ではじめての大規模な市民援助パッケージをこの秋に提案した際は、これに騒然と抗議した。
今回の動きはザルダリ氏が最も弱い状況に陥った今、核の管理より大統領としての延命を望んでいる証拠だという。しかし多くの政治アナリストたちは、彼への反対勢力の批判の中心─つまり彼がザルダリから奪った数多くの権力を継承したまま放棄していないこと─(例:選挙で選ばれた政府の解散権など─それはパキスタンのような議会政治国では珍しい)を放棄しなければ彼は生き残れないだろうという。
金曜日の動きではこうした権力は何ら放棄しておらず、同国のニュースメディアに広く無視された。しかしある上級の議員は彼が来月以降にこうした権力の放棄をはじめるだろうという…(後略)
動かぬ証拠…ハサン少佐に関する7つの顕著な事実/ Hard Evidence‐Seven salient facts about Maj. Nidal Malik Hasan - By C. Hitchens
ムスリムの軍医ニダル・マリク・ハサンが、フォートフッド基地のクリニックで銃を乱射し、仲間を殺害したのは何故か。
…西欧代表のコラムニストも怒りと戸惑いに混乱しているようだ…
動かぬ証拠…Nidal Malik Hasan少佐に関する7つの顕著な事実
(11/16 By Christopher Hitchens)
性急な判決を下したり、結論を急いだりしないように諌めるのは、公平で分別のあるかのごとく聞こえるだろうが…大統領が政治家らしい分別でそれを叫んだなら、そのアドバイス自体がすでに結論も中ば…というより、殆ど判決を下しているのも同然だ。今回のケースでも最も平明にいえることは、Nidal Malik Hasan少佐の行為が、彼のイスラム教的信念に関わっていたと意味づけるようなどんな仮定もすべきではない、ということだ。
少佐の、たぶん混乱した意識における完璧に個人的な知識が何だったのか私には分からない、でもそれは危機管理部門のコメンテーターたちにも分からないし、これまで好き勝手なやり方で物事を理解してきたFBIの奴らにも、わからないだろう。しかし、背後のコネクションが存在しないと証明するために、次のような事実を比較的ランダムに、または補助的に観察することが必要だろう。
1)Hasanは有名な暴力の伝道者であるAnwar al-Awlaki師*(そのAl-Qaedaの教えと行動への熱心さが研究者や諜報機関によく知られた人物…)と直接的な連絡をとっていた。《*911のテロ犯たちと関係があったとされるイエメンのイスラム聖職者》
2)彼は(軍の)診療所で治療を待っていた非武装の兵士たち…彼自身が人間としての責務のみならず、(軍の)内科医という職務上の責任をも負っていたこうした人たちに対する残虐な攻撃を図るだいぶ以前から、彼自身のために武器を購入していた。
3)彼は一斉射撃を放つ前に、ジハード戦士の叫びとしては世界共通の… "Allahu akbar!"(または、神は偉大なり)の叫びを上げた。(その行動を目撃した者たちの言うことは、最初は疑いの目でみられていたが、特に彼らのうち何人かはその言葉の意味が分からないために、音を描写しただけの報告をしていた。)彼のビジネス上の名刺では、彼は彼自身を"SOA" 、または "slave"、 あるいはおそらく "soldier of Allah."(アラーの戦士)と称していた。それらの何れも、この文脈上では再確認されていない。
4)彼は繰り返し、彼の所属するメリーランド州ベテスタのUniformed Service Universityの修士課程のクラスを、イスラム教への改宗の勧誘活動目的にもちいていたが、そのようなヴァージョンのイスラム教というものは少なくとも、“平和の宗教”と誇張されるべきものではない。
5)彼は口頭で、または書いたもののなかで、死や、殉教して聖戦士となること(あるいはsuicide murder…殺人自殺というべきもの)に魅惑されると表明していたが、それはビン・ラディン主義の中心的概念だ。
6)彼は、多くの帰還兵士たちの痛ましい(悲惨な)ストーリーに憤りを感じていた…我々のうちのとても多くの者が経験していたのと同じように…そして、彼が繰り返し表明していたアフガニスタンのタリバンや、イラクのアルカイダ組織との戦争への圧倒的な反感は、それが“イスラムとの戦争”(a war on Islam)”だからだという。これは、タリバンがイスラムの代表者だといえ…そしてつまりイラクとアフガニスタンの現在の政府はそうではない、ということ…これが、takfirの教義を信奉する純粋なイスラム主義者(教徒)たちが、そのようなイスラム教徒を他の異教徒と同じ嘘つきとして破門し、彼らを聖なる殺戮に値するとみなす信念の中心だ。
7)彼は特に、信心深いイスラム教徒がキリスト教徒やユダヤ教徒と連帯することを禁ずるコーランの訓戒に、とりつかれていたように見える。
上のリストは徹底したものではないが、しかし私は7つの項目のうちの5項目(1項目目と最後の4項目)は、彼が軍の任務上で不断の監視下に置かれたり、解任される根拠となるのに十分だったと思う。たとえば、制服を着た状態で改宗を勧める活動は既に軍の規則で禁じられている。米軍はその人員を"inclusive"に扱う(包括的にまとめる)ために、それに反する者は除外するか、教練を施す必要がある─これは勿論、全ての(異宗教の)狂信的信者にも適用され、それが常に適用されるとは限らないとか指摘することには意味がない。Hasanの残虐行為はそうした適用のより緊急な必要性を増大させるのだが…。
Hasanの、ナイフの刃の縁のような精神状態を強調するのはどうか?…うぅむ、それは不安定だったかも知れないが、Anwar al-Awlaki師の怒れる教義に染まっても改善されるものではなかっただろう。私は全ての女性嫌悪や反ユダヤ主義、サドマゾヒスティックな自殺テロによる犠牲などの教義を教える説教師たちを、気狂いだとはいわないが…しかしそうしたこと自体を教えていることが気狂い沙汰だと思う。同様に私は、全てのイスラム教徒はテロリストだとはいわないが、テロリストたちのうちの驚くべき割合がイスラム教徒なのだ。偏執症で鬱病的な人物は…我々自身の中にも何百万もいるが…彼らがみな宗教的なスローガンを叫びつつ、仲間たちを殺戮しながら死に至る必要はない。しかしジハード主義の "精神的指導者(spiritual leader)"と恒常的に接している偏執病的、鬱病的な人物たちは、殺人と引きかえにパラダイスが与えられる、というレディーメイドのスクリプトを与えられているのだ。
…よろしい、それならば、大胆なるHasan少佐は悪い扱いや虐待に晒されていたのだろうか?現在までに、彼の両親がパレスチナの難民キャンプからこの国に来て、生活を打ち建てることに成功したことを考えれば、彼は意識的に全て志願兵のみからなる軍に志願し、昇進を得て(それは彼自身に保証された本当の能力より早かったようだが)そして、他の宗教を信じる仲間への極端に有害な考え方を吹聴しつつ、彼を受け容れ育んだ国に対しては何も語らなかった。
彼はたまに嘲られたりしたこともあったには違いない、でもあなたがそれを避けたければ、制服を着ているあいだは軍の仲間の兵士たちへの軽蔑を表明すべきではない。米国の黒人はかつて差別的扱いを受けていた。ユダヤ人の新兵も無慈悲に苛められていた…ゲイかも知れないとみなされた男や女が苛められたのと同様に。しかし彼らのうちにそれらへの返答として大量殺人を図った者がいるだろうか?彼らのうちの誰かが、黒人やユダヤ人、またはゲイのイデオロギーを自己正当化のために振り回したろうか?
彼らがもしそれをしていたなら、共感や理解を得られただろうか?安っぽい“プレ・ストレス性障害”派のストーリーが出来あがるまで、Hasan少佐は単なる悪いイスラム教徒、として無罪放免されていたわけでもない。彼は悪い行いをして居ながらさえも、何となく非難を免れていた。
これは単によくある、FBIや他の治安組織が…彼ら自身が探知していてさえ…早い時期の警告の受け入れを拒むばかげた事例なだけではない。これは軍の一体性や統合 ─それは我々の社会の基本的組織のひとつで、民族的・宗教的統合の原動力だ─ への直接的な挑戦なのだ。米兵が彼ら・彼女らのイスラム教徒の同僚の信頼性に疑問を感じた場合、彼らは“イスラム嫌い”なわけではない。(Phobia=“xx嫌い”というのは非理性的で、コントロール不能の恐怖だ…)
もしもHasan少佐が彼の、理解するにたる…下士官としての悩みをもっと広汎に広めていたら、彼は彼の狂信的な聖職者の友人に考えられる最大のサービスをしていただろう。しかし彼の行為とは彼の過ちであり、そして彼が公然と長い間そのリハーサルをしていたことも彼の上官の過ちであって、それを指摘する私に責任はない。
私は何年か前に、暗殺部隊タイプのイスラム教徒の3つのもっとも顕著な特徴は、自己正当化、自己憐ぴん、そして自己嫌悪であると書いた。彼の威嚇的な物腰にしばしばとても意気消沈させられていた彼の同僚のシュリンク(精神分析医)たちに囲まれ、Hasan少将はこの3つの特徴の全てを何とか自分のものにした…神学的なレトリックを公然ともちいつつ…そしてまるで彼の現実世界が”トラブルにみまわれていた”かのように、扱われながら。セラピーだけでこうしたことに対抗しようというオフィシャルな試みとともに、こうした3つの兆候に再度まみえる準備をしたほうがいい。聖なる戦士たちは少なくとも彼らは自殺しようとしているのだと知っている。
http://www.slate.com/id/2235760/pagenum/all
*hasan少佐はバージニア州アーリントン生まれだ
http://en.wikipedia.org/wiki/Malik_Nadal_Hasan
Thursday, November 19, 2009
“君は、なんて儀式的なんだ!”アメリカのお辞儀の歴史 … "How Ceremonious You Are!" A history of bowing in America - By Juliet Lapidos
オバマ大統領の丁寧なお辞儀…
どうでもよいことのようだが、日本人もアメリカ人も、
少し気にかけていた?──
“君は、なんて儀式的なんだ!”…
アメリカのお辞儀の歴史 By ジュリエット・ラピドス (11/17、Slate.com)
オバマ大統領が先週の末、(かなり深々と)日本の天皇にお辞儀をしたことは…彼を中傷する保守派たちに、余るほどの"馬の餌"を与えてしまった。元副大統領のチェイニーもその一人で──彼は、“アメリカの大統領は、誰にもお辞儀する理由はない…我々の友人も同盟国もそれを予測してはいなかったし、我々の敵国は、それを弱さのサインだとみなしている”、といったという。
日本では、お辞儀はフォーマルな挨拶にともなうスタンダード(標準的)なものだ。そして植民地時代のアメリカを描いた昔のドラマをみたことがある人なら誰でも、お辞儀がかつてこの国でも一度はスタンダードだったことがあるのを、よく知っている。アメリカ人は、いつからお辞儀をやめたのだろう?
20世紀の初頭よりも後だったことは確かだ…それまでは珍しいものではなかったのだが。身ぶりの歴史をたどるのは困難だが、文字となった証拠を通じて、我々は植民地時代にはかなり多くお辞儀が行われていたことを知る。17世紀の清教徒の牧師たちは、お辞儀を、目下の身分の者が目上の者に会った際に目線を低くして屈むという意味で、熱心に推奨した──それを、“栄誉と尊敬と(そしてさらに)服従の誓いの徴し”、だと考えて。親や教師、家庭教師、そしてダンス教師などが、このような伝統を18世紀を通してばらまいた… 男性は女性に対してお辞儀をするように、目下の者は目上にお辞儀をするように、そして平等な者たちも一定の地位ある者に対しては、お互いにお辞儀をすべきと指導していた。
独立革命の時代の人々には、その習慣がより民主的でなかった社会の痕跡だとみなされた。たとえばトーマス・ジェファーソンはお辞儀の代わりに、握手を好んだ。尊敬の意を表わす伝統的なサインは、アンドリュー・ジャクソン大統領の頃(1829-37)に、多くの米国人が自意識過剰気味に…階級意識や旧世界の罠を拒否した時期に、いっそう批判の的となった。歴史家のJack Larkinはその著書“The Reshaping of Everyday Life”で、英国人の Frederick Marryatが1835年に、“合衆国ではいつでもどこでも握手が行われているので、新たに知り合った人のステイタス(地位)が識別できない” とこぼしていた、と引用した。Larkinは、この時代にお辞儀とは、主に子供が年配者に帽子を脱いでお辞儀したり(あるいは、婦人がちょっと膝を屈めて会釈するもの<=curtsy>として)行われていたと書いた。
また別の歴史家、 Amherstにあるマサチューセッツ大学のStephen Nissenbaumは、ニューイングランドの清教徒たちにとってお辞儀は義務であり、真のsubservience(従属の意)を表明するものだったと指摘している。ジャクソン主義者の時代とその延長の時期には、これとは対照的に、お辞儀は "礼儀正しい社会組織(polite society)"のメンバーを象徴するものだった。
もちろん、お辞儀は20世紀に入っても、エリートの間で行われていた。たとえば、Edith Whartonの登場キャラクターは、互いにお辞儀をしあっている。(そこでは、浅く屈むことがスタイルだったようだ。“New Year's Day”という中編小説の語り手は、若きHubert Wessonが、Mrs. Hazledonに対して挨拶をする際に、彼女の前であまりに深く屈みすぎた、と記している。“まあ、あなた…”と彼女は言う、“あなたはなんて儀礼的なの!本当に。私はあなたがなさるお辞儀が示すほどに、齢をとってはいないわ?”)
礼儀の専門家Emily Post は、1922年の彼女の著書“Etiquette”のなかには、お辞儀に関する一章を含めるのがふさわしいと考えた。紳士というものは、ディナーの席で拍手喝采への返礼に立ち上がり、一言二言述べるときや、または上品でフォーマルなディナーの席で、レディやほかの年配の紳士達に対してお辞儀するときには、“立って一礼”(standing bow)すべきだ、と書いた。このフォーマルな身ぶりは、“両脚を揃え、踵をかちっと打ちつける動作”や、“素早く、腰から首に至るまで深く屈する”といった動作も伴ったりした。もしも彼が街の路上で誰か知人に出会ったら、彼は気軽な(インフォーマルな)会釈をすべきだ──彼は帽子をとって屈むべきだが、“簡単で、わざとらしくない(自然で、無理のない)”仕方ですべきだ、ともある。
それなら、米国社会は厳密にはいつお辞儀を放棄したのだろう…その身振りをカーテンコールのときのみに委ねて?1920年代までに、それはすでに古くさくて陳腐な身ぶりとなっていた。そして第2次大戦の頃までにそれは街の風景から消え、社交界デビューの舞踏会のごとき場面だけに残されていた。
http://www.slate.com/id/2235915
*お付合いの席等の話題によさそうのでUpしたのだが…
http://en.wikipedia.org/wiki/Bowing#Bowing_in_European_cultures
*ヨーロッパでのお辞儀の歴史
*冷泉彰彦氏は少し別のことをいっている:
http://newsweekjapan.jp/reizei/2009/11/post-79.php
’オバマはどうして「90度のお辞儀」ができたのか?’
Wednesday, November 18, 2009
アフガン選挙の腐敗には、国連が関与した?/ First, Silence the Whistle-Blower- The United Nations' shameful complicity in this year's corrupt Afghan eleciton- By C.Hitchens
タリバンに蔑まれ、虐殺されていたマイノリティの部族──たとえばハザラ族や、ペルシャ人と従兄弟関係にあるシーア派部族なども登録のために結集していた。新聞報道やテレビなどは多くのアフガニスタン人にとって全く新しいものだったが…それらは民主主義のビビッドな光景や、有益な討論などを見せていた。投票日の当日には、(投票済みであると証明する)指先のインクが消すことのできないインクだったことへの苦情もあったが、膨大な数の民衆はタリバンの配る「夜の手紙」(投票する者に危害を加えると脅迫する)をものともせず、票を投じる機会を求めて白日の下で列に並んでいた。どんなプロセス上の欠陥も、アフガン人たちが自由競争による選挙を受け容れているという印象を、壊すことはできなかった。
もしもそこにカブールの国連ミッションにも切望された共犯関係がなかったなら、彼らには十分まずかっただろう。おそらく2億ドルの国際社会の金が、アフガニスタンの人々の投票を可能にすべく用いられたのに、彼らの多くがそれをせず、または出来ず…そんな中で他の多くの人々は何とかやり遂げた──実際のところ、5,6回にわたり、責任あるカブールの国連の職員たちからは何の警告も発されなかったのだ。或いはたぶん、私はこう繰り返すべきだろう: ある職員は実際、こう苦情を言った: a)そこには広範な不正がある b)政府での共謀関係[馴れ合い]もみられる c)国連の無関心さが共犯関係へと積もっていった…。
これは米国の上級外交官Peter Galbraith…その煌めく姿が歌や物語として知られるBan Kimoon〔潘基文〕事務総長の、当時の特別代表代理… が述べた苦情だ。Galbraithは、ノルウェーの国連ミッション代表、Kai Eideが、アフガン政府の地方役人たちが見せた眼に余る性向…実際、彼らは国連の金を彼らの政治的ボスのための票の買収に使っていたということに対して、無関心だったと苦情を言った。Eideは、それへの返礼にBanに苦情をいい、そしてBanは直ちにGalbraithを解雇したのだ。かくして、我々はこの大失態と腐敗の祭りに関わった者のうち、解雇された者はまだ誰もいないとは言いがたいだろう…しかし、メインの不正告発者は、その仕事の最初の段階で首になったということはほとんど確実だろう。
いまや、決選投票があったかなかったか、あるいは“競争の行われた”選挙があったかどうか、は問題ではなくなった─知覚力のあるアフガン人で、このプロセスが皮肉な解決以上の何かだった、と信じる者はいないだろう。それは最近の近隣イランでの選挙で、人々の投票権が踏みつけにされたことほどには酷くはなく、我々はそれより微妙にましな基準にあるだろうが(もちろん、そうした単純な比較は、こうした事が如何に大きな賭けなのかを示している)
パニック事態への対策として、この恐ろしい結末を矯正しようというような提案は、時として、その元々の病と同様に性質が悪くなる。そのセカンドラウンドで不正行為が必要とされたことを、余りにも遅々と、余りにも嫌々ながら認めつつ──Kai Eideは我々が、同じ監視機関の詐欺師たちのもとで性急な2度目の投票を行うか、次の暴力的なアフガンの冬(もうひとつの破壊と狂信主義の力へのフリー・ギフトだ…)が過ぎ去る後までは投票を延期するか…のどちらかを選択すべく我々を置き去りにした。幾人かはまた今にも倒れそうな”暫定政府”を提案するか、あるいはKarzaiと彼のライバルのAbdullah Abdullah(彼を2度も名づけるとは、すばらしい)の面目を維持するべく、両者の関係を繕うことを提案した。こうしたことはすべて、今年何ヶ月の間も明白になっている事がら…我々の注いだ資金と共に、アフガンの人々が助けを必要としていた時にだまされ、裏切られたという事実に、面と向かうのを避ける試みに過ぎない。
http://www.slate.com/id/2234333
Sunday, November 15, 2009
ブルームバーグNY市長、僅差で勝利の後に周囲との仲直りをはかる?/Mayor Mends Fences After Slim Victory
Michael R. Bloomberg氏は、その任期制限法にまつわる堕落*や、選挙資金の法外な濫費への人々の怒りを暴き出した投票結果の痛みに晒されたが…水曜日には敏速に、対立候補を支持した民主党陣営にアプローチをはかる、懐柔的なトーンをうち出した。
側近たちが…わずか5%以下の得票差での勝利は、脅かされていた敵議員らを勇気づけるのではと懸念していた一方で、市長は民主党リーダーたちとの会合や電話のなかで、彼のラフな(粗野な)選挙キャンペーンが人々の機嫌を損ねていたことは理解する、と表明していた。
しかしBloomberg氏は、さらに目に見えるジェスチャーで、側近たちとともに新たなメッセージを発していた: 我々はまだ在任中なのだ、と。
これまでは相手方への謙遜さを知らなかったBloomberg氏が、念入りに彼らへの尊敬の念を表わしたことで、忽ち情勢が変わったということの顕著な兆しが現れた。彼のスタッフは、彼とPublic Advocate(市長に次ぐNY市の役職)に選出された民主党員Bill de Blasio議員のミーティングを、非常にひとの眼にふれやすいマンハッタンのレストランで行うようアレンジした。数週間前に市長は、全市にまたがる市のオフィスが…“すべての人々にとっての金の浪費”だとしてその撤廃を要求していたのだが。
特に意味ありげだったのは、Bloomberg氏が会計監察官に選出された民主党議員John C. Liuと会おうとしたとき、それは滅多にない軽視的な態度だが──Liu氏はスケジュールがあけられない、と彼に告げた。
その後、Liu氏は報道記者たちにこういった: “もうずっと前に、ニューヨークの人々は、ニューヨーク市に王様や君主は要らない、と決めている…”
市の評議会の議長で、いま一人の民主党員であるChristine C. Quinnは、水曜日に市長と交わした会話で彼はこういっていたのだという…、 “今が動き出すべきときだ(It's time to move on..)” と。
Bloomberg氏は彼が立候補することに対して、人々の抱いたフラストレーションを知っている。その怒りが市の有権者の約半数をして彼のライバル候補たちに票を投じさせたと思うか、ときかれて、Bloombergは答えた:“まあ、そうだな…そうした人たちもいることは確かだろう─”
しかし、ブルックリンの地下鉄の駅で彼は、ニューヨーカーたちが未だに彼を愛していると話し、そして彼がパレードで現れたときに受けた歓迎について語った。
“多くの群衆が手を振り、そしていった、'グッドジョブ!市長’とね”… “私がNYマラソンのルートを車で走ると、マラソンが通過するすべてのコミュニティーで驚くべき歓迎を受けたよ。人々が声援し、笑顔を送り、手を振ってくれたんだ”
しかし、選挙の結果は、彼と彼が治める市民との間の、より一層複雑な関係を暴き出したようだ。最終的に9千ドルにのぼるキャンペーン費用の支出にも関わらず、Bloomberg氏は市の大きなひと塊の地域からの支持を、William C. Thompson Jr氏に明け渡した: …最も人口の多いブルックリン地区と最も貧困層の多いブロンクスで、彼は敗北したのだ。
インタビューの中で民主党議員たちは、市長が市の評議会員と州議会議員たちから…特に彼の支持の低迷した地域のメンバーからより多くの反対を受けるだろうと語った。
“確かに沢山の評議会メンバーが、彼と対立しようとしている”、とThompson氏を支持した評議会議員のDavid I. Weprinはいう。 “多くの人の憤りがある”
民主党コンサルタントだが市長を支持したDan Gersteinは、評議会の一握りのうるさい蝿をかつては毎年叩いてきた市当局が、今や、“あまり過激でない市民からの山積する反対に準備しなければならなくなるだろう”、という。
“ブロンクスなどの地域での支持票の数をみてみるがいい──市の評議会メンバーは彼らを見てこういうべきだ、'ワオ!投票者達は本当に何か物をいっている様だ、’と…。
彼らはともに、任期4年の市長候補と目されていたが…Bloomberg氏の立場が弱まるに従って、彼らの同僚たちは、De Blasio氏もLiu氏も市政権の3選に関するアジェンダの各要素に、力づくで反対するものと見ていた。De Blasio氏の前任者(前のPublic Advocate)Betsy Gotbaumは、公けに市長に挑戦したことは殆どなかったのだが。
“以前に比べてそれは、より一層辛らつになるだろう”とBloomberg氏を支持したブロンクスの評議会委員、G. Oliver Koppellはいう。
新しい政治的な雲行きに関する検証(テスト)は、市の予算が50億ドルの不足に直面しているなかで、市長が予算案作成に着手せねばならない…来たる数週間のあいだに行われるだろう。
Bloomberg氏は、Thompson氏と会うための基礎準備もしている。市長は多くの人物からの祝福の電話を受けたが…そのなかには財務長官のTimothy F. Geithner、Abyssinian Baptist ChurchのRev. Calvin O. Butts牧師や、ニュージャージー州知事に選出されたChristopher J. Christie、モンタナ州上院議員のMax Baucus、ニューアーク市長のCory Bookerなどもいたのだ。
市長は水曜の夜にキャンペーン・スタッフたちに会い、彼らの努力に対する感謝の意を示した。その裏では──至極ネガティブだった選挙戦の広告戦略に個人的な疑問を呈していた側近たちの間で──僅差の得票という事実が後づけの批判や、鋭い反省を招いていた。
市の政治家たちすべてが、市長の自信過剰なキャンペーンの美辞麗句(レトリック)と、得票数に現れた実体とのギャップの理由を理解しようと、努力していた。
Bloomberg氏のトップアドバイザーの一人は、内部的ディスカッションの機密保持の為、匿名を条件に語った: “もしも得票数の差が5ポイント以内になっていたら、Barack Obamaがこの街に飛んできて、そして「全米教師連盟」がThompson氏の支持にまわり、Mike Bloombergは今日、市長にはなってはいなかっただろう…”
投票日の当日、このアドバイザーはこういった: “誰もがみな、朝起きて、我々が見たものと同じものを見たが…我々がそれを最初に見られたことは、ラッキーだった。”
http://www.nypost.com/p/news/local/brooklyn/john_liu_elected_to_city_comptroller_OLUrAFDBUkKCteW56mI6bN
Thursday, November 12, 2009
ブルームバーグNY市長の3選と黒人教会/ Mayor Deprives Rival of Black Clergy’s Support
(パート1:選挙前)
ブルームバーグ市長、ライバル候補者の黒人聖職者層からの支持を奪う BY N.コンフェソーレ&M.バルバロ (10/29, NYタイムス)
数週間前、NYハーレムのアビシニアン・バプティスト教会(Abyssinian Baptist Church)の有力な牧師、Rev. Calvin O. Butts 3世は、夏の間じゅう苦闘してきた難しい事がらに対する決断をくだした。
彼は、NY市の監察官で彼の長年の友人、同盟者でもある市長選の候補、William C. Thompson Jr.への公式の支持表明を…彼との昨春の約束にも関わらず、おこなわないことにした…その代わり、彼は現市長Michael R. Bloombergへの支持を表明したのだ。
Thompson氏はその裏切りに憤った。しかし彼が知らなかったことは、Bloomberg氏がその教会の開発会社に100万ドルの寄付(教会の年間予算のおよそ10%にのぼる)を、それ以上の更なる寄付の増額を暗に示唆しながら…行っていたということだ。
“私が言えることは、これまで市長であった男が、私にとって重要な沢山のプログラム(事業計画)の支援をしてくれた、ということではないだろうか?”…とButts氏は、Bloomberg.氏への支持を公式に表明する前のインタビューで語った。
Bloomberg氏は、市長としての3期目の当選をもくろんで、かつてはThompson氏のもつ生れながらの政治的権利だろう、と人々がみなしていた物を奪った:つまりThompson氏が毎週、教会に集まる何千何万人の会衆に対しともに説教をしている、NY市の最も有力な黒人聖職者たちから受ける祝福だ。そして、彼らの支持を得るために、Bloomberg氏はふつうでない組み合わせで、市の金と個人的な慈善行為、政治的な指名行為や、彼への人々の個人的な注目を駆使して…NY市での選挙で選ばれた白人行政官としてはこれまで耳にされなかったような、黒人聖職者メンバーによる結束網を作り上げたのだ。
幾人かの有力教会の聖職者たちはBloomberg氏によって、影響力ある市の評議会や委員会メンバーに指名された。それ以外の人たちは、市の土地や資産を購入したり、(市長の)お手盛り事業での事業計画区域の線引き譲歩等を得るために、市側の助力を得た。最も大きな宗教機関のうち数少ないいくつか──アビシニアン教会と、クイーンズのジャマイカにあるGreater Allen A.M.E. Cathedral を含めて──がBloomberg氏の8年の任期中に、何百万ドルもの金を市のサービスを提供する契約と引き換えに受け取った。
ここにぼんやりと立ち現れるのはBloomberg氏の目のくらむような財産だ──たとえそれが誰かに授与されていても(つまりButts氏の場合のように)…あるいは今後授与されると目されていても。
“我々はこのようなしくみに、遅かれ早かれ到達する必要があった”と今年、現市長への支持を表明したブロンクスのChurch Alive Community Churchの牧師、Rev. Timothy Birkettはいう。“我々は彼が受容性の(感受性の高い、receptiveな)人物であることを望んでいる─”
Bloomberg 氏を支持した人たちは、同市長が彼らの支持を得た理由とは、厳密に彼の任期中の功績によるもので、特にその教育政策や犯罪政策によるものだ、という。しかし彼への溢れるような支持のより多くは、フレンドリーな「聴く耳」をもつ市への黒人教会の依存によるものだろう、という批評家たちがいる。
“こうした支持表明は、幾人かの我々の宗教的リーダーたちの信仰基準声明のなかでも示されている”、とButts氏の子分格でブルックリンのBrown Memorial Baptist Church の牧師、Rev. Clinton M. Millerはいう。“そうした声明というのは、私がどのようにして私のプロジェクトを実現できるかにおいて、どの人物を一層信頼すべきか、の問題なのだ”とMiller氏はいう。“Municipality(市当局/市政化)か神か…の選択の問題というわけだ”
Bloomberg 氏の側近たちは、市長を聖職者たちと結びつけているものとは…金銭的な結びつきではなく、相互の信頼であるという…実際、そうした教会のいくつかはBloomberg 氏が市長の職につく以前からも、市との大きな契約を得ていたという。
副市長の Dennis M. Walcott氏は、そうした関係とは“真に契約を超えたもの”で、そしてそれは“重要な選挙民(教区の)を抱えた重要な個人たちとの間の、現在進行中のコミュニケーションにもとづくもので…それをわれわれはとても誇りに思う”、と述べる。
人種間の緊張の高まりが、他の白人市長の身にも押し寄せる可能性もある今、 Bloomberg 氏はそのような個人的な批判攻撃を、有力な黒人聖職者たちから受けたことは殆どない─Butts氏がかつて一度、公式にレイシストだときめつけたRudolph W. Giulianiなどの前任者たちは、そうした批判攻撃に傷つけられていたのだが。
そのようなコントラストは先週、Bloomberg氏が、Giuliani氏と共に選挙キャンペーンのイベントに現れたときにも際立った──ブルックリンの殆ど白人ユダヤ人の多い聴衆たちに向かって、Giuliani氏は“間違った政治的リーダー”は、ニューヨーカーたちを“夜間に外に出て通りを歩くことを怖がる日々”に押し戻すことになるだろう、といったのだ。
幾人かの黒人の市行政官たちは、即座にそのコメントが人種問題をあおっているといって非難した。しかしどの有力な黒人牧師たちも、市長がそのコメントを否定することを求めたりしなかった。
“あなたは電話を取り上げ、彼と会話を交わすことができる”と…、ブルックリンで2001年にはBloomberg氏への支持を表明したが、今年は意志を決めかねているというRev. Conrad B. Tillardは語る── “なにも市庁舎への階段を上る途中に10,000人の聴衆の眼前で、彼と話す必要などない”
Giuliani氏は時々、聖職者たちと反目していることを楽しんでいるかのように見えるが、Bloomberg氏は非常によく目に見える形で、彼らの心に到達している。私服警官が丸腰のSean Bellを殺したとき(*)、Bloomberg 氏はすぐに市のトップの(黒人)聖職者たちを市庁舎での会合にまねき、彼らに対しその銃撃は“説明のしがたい”ものであり、“受け容れがたい”と語った…。(*:2007年9月、クイーンズのジャマイカで結婚式当夜に黒人青年が職質しようとした警官の数十発の弾丸で射殺された)
今年、30人以上の黒人聖職者たちがBloomberg氏への支持を公式に表明したが、彼らからの溢れるような賞賛とは、Thompson氏による、Bloomberg氏が労働者階級をほとんど省みない金権家だという攻撃へのくっきりとした回答だった。…それよりも多くの聖職者たちが立場を表明せず傍観していたが、彼らは市長にほとんど害を与えない立場にいた。
Thompson 氏の選挙キャンペーン担当者たちは、Thompson氏がニューヨーク市中の教会の200人以上の聖職者たちからの非公式な支持を得ている、と主張する。しかし、印象的なことには、こうした聖職者達の多くが…公式に支持を表明をするリスクは冒せないと彼らに語ったという。
聖職者たちの機嫌を害さないように匿名を条件に語りたいというあるキャンペーン担当者は、“幾人かの人たちは、もし公的に支持表明すると、彼らのプロジェクトへの資金援助、その他を失う可能性があるので用心しているのだ。彼らは彼らの同僚が、'ヘイ、俺はこれをもらった─お前も王様のテーブルに座らせてもらえるんぞ’、といっているのをみている…”
…Bloomberg氏のテーブルに既に着いている一人とは、市内最大の会衆を擁するブルックリンのChristian Cultural CenterのRev. A. R. Bernardだ。就任以来、市長はBernard氏を市の経済開発公社(Economic Development Corporation)の委員会メンバーに指名した。2006年に市は、市の2本の道路の一部を地図上から消去し同センターに売却することに同意した。そのことはBernard氏が考えていた計画──教会の周囲の広大な敷地を一手に集め、市の援助のもとに住宅地・商業施設を混合的に開発するという野心的なプロジェクトを可能にした。
“あなたがやりたいことをするには、市の出先機関の協力を得る必要がある”、とBernard氏はインタビューで言う。“私は通常的なプロセスでも実施されうる様なこと以外に、市に(特別な何かを)リクエストすることはないが─関係性をつくるというのはいいことだ…”
市長は今年、Greater Allen A.M.E. CathedralのRev. Floyd H. Flakeからも支持を得た。住宅建設プロジェクトや路線バスの運行サービス、女性用のシェルター(簡易宿泊所)などの事業において、そのCathedralはクイーンズ南東部で職を提供する最大の雇用者のひとつだ。Bloomberg氏が市長になって以来、Allenは8百万ドル近くの市との契約を受注した。Bloomberg 氏はまた、Flake氏を貧困層援助をポリシーとする市の経済機会委員会のメンバーに指名した。Butts氏と同様、Flake氏は2001年にはBloomberg氏のライバルのMark Green氏を支持した。しかし、その年以来、彼は市長の最大の後援者で腹心の友となったのだ…“私がこれまでに要求したことはすべて、彼の支持者たちも私のすぐ後ろで支持してくれ、サポートしつづけてくれた”
Flake氏はBloomberg 氏から教会に個人的な資金貢献をうけたことは一度もないといい、教会が市の行政官からの援助を必要とすることが、市長選への彼の支持表明を左右したのではないか?との指摘を否定した。
就任以来、市長は少なくともFlake氏に16回面会し、Bernard氏とは14回会った。しかしButts氏以上に精力的に支持を求められたニューヨーカーは少ない─市長は彼に20回も会っていた。市長は2008年にButts氏のアビシニアン教会開発会社に100万ドル以上の資金援助をしたあと、今年更に数十万ドルを贈与した、と直接事情を知る人はいうが、その人はその贈与が匿名によるものと思われるため自分の氏名は明かしたくない、という。
Bloomberg氏が市長職に就いて以来、教会とその非営利の連携グループは、少なくとも700万ドルを市との契約上で受託した。Butts氏は、そのなかのどれも彼がThompson氏に公的支持の意思変更を告げることを容易にはしなかったという。
しかし彼は、市長の慈善事業が、彼にその決断を下させたのではない、と語る。“もしもGiuliani氏がBloomberg氏のように資金を持ち、それを周囲にばらまいていたとしても、彼は未だに支持は得られていなかっただろう”とButts氏はいう。“…これはBloomberg氏の金の話などではないんだ…”
http://www.nytimes.com/2009/10/29/nyregion/29ministers.html?hp=&pagewanted=all
*写真はBloomberg市長と、クイーンズのGreaterAllen A.M.E. CathedralのRev. Floyd H. Flake牧師
*NYタイムスはこの記事でGiulianiの時と同様、反Bloombergの政治的な大キャンペーンを繰り広げるかのようにみえたが、投票日のわずか4日前で、時すでに遅かったようだ?
*投票では予想外の「5%の僅差」で、Bloomberg氏が辛勝、NYの各地域の投票地図では富裕層地域と非富裕層地域とで露骨に両候補への支持が顕著に分かれていた(投票地図)http://www.nytimes.com/interactive/2009/11/04/nyregion/mayor-vote.html
ブルームバーグの札束は、ブルックリンでは「山羊のふん(bupkis*)」でしかない
*Yiddish語で山羊のふん、絶対的に意味の無いもの(“Bloomberg bucks mean bupkis in Brooklyn” 11/4, The New York Post/The Brooklyn Paper)
…Bloomberg市長は火曜日の投票で3期目の任期に転がり込んだものの、ブルックリンでの多数票はとれなかった。挑戦者のBill Thompsonがブルックリンのボロー(区)住民の過半数票を獲得、49.8%対46%で… 再選のために9千万ドルの金をかけたBloomberg氏をやぶった。
…この得票数の接戦は──共和党から立候補して…Bay RidgeからBorough Park,、Park Slope、Windsor Terrace、Carroll Gardens、Cobbleといった地域の多数派白人住民層に強い…現職市長に対する、ブルックリンの選挙民の間の深い分裂を暴きだした…ちなみに黒人やラティーノ住民の多いブルックリン中央部やSunset Parkでは、Thompsonが勝利した。
予備的開票結果では、Park SlopeとWindsor Terraceを擁するAssembly districtでは55–40%で Bloombergが優勢、Carroll Gardens、Cobble HillとBrooklyn Heightsを含む周辺地区でも、53–40%で現市長が優勢となった。 しかし、Fort Greeneの 57th Assembly Districtでは、73%の票がThompsonに投じられた。そして最終結果ではブルックリンの169,071票がThompsonに、157,296票がBloombergに投じられた。もちろん市全体では、市長がThompsonを50.6%対46%で下した。
この接戦の結果は、ブルックリン区の政治エリートたちが予測した投票結果予測を裏切った。 たとえば、区のPresident Markowitzは、The Brooklyn Paperに対して、Bloombergが「8%から10%の差で」勝つだろうと述べていたが、Patersonニューヨーク州知事の方は、Thompsonが勝つだろうと語っていた。
…しかしその夜、ブルックリンでは市長選挙だけが接戦を呈し、市評議会の他のポストの選挙では民主党が圧勝した…
http://www.nypost.com/p/news/local/brooklyn/bloomberg_bucks_mean_bupkis_in_brooklyn_ss7yiOzgMmbQvjHxFCUrtI
Sunday, November 1, 2009
イラク軍、バグダッド爆破事件の容疑者を逮捕/Iraqis Arrest Bombing Suspects in Baghdad
イラク軍は今日、米軍のアドバイザーらとともに複数の作戦を展開し、バグダッドとモスルの間で車両爆弾による爆破のネットワークを築いていた11人の容疑者を逮捕した。
イラク軍は、政府のビルで死者150人を出した爆破事件に使われたトラック爆弾に関わる容疑者を、バグダッド西部の数棟のビルで捜索した。その組織のセルのリーダーは同じく、8月19日に首都の省庁ビルをトラック爆弾で攻撃したグループの容疑者でもある。
そのビルで見つかった証拠にもとづけば、イラク軍はバグダッドの爆弾ネットワークと繋がりがあると思われる8人を逮捕した。そのネットワークはチグリス川渓谷に沿った北方に散らばっている。
米国のアドバイザーと共に働く 3rd Emergency Services Unit(第3非常部隊)はさらに今日、Kirkukの南西で爆弾ネットワークを摘発しようとしている。同チームは、Kirkukを拠点にチグリス川渓谷全域の爆破事件に関わるとみられるテロ・グループのメンバーのビルを捜索したが…その作戦で2人が逮捕された。
米国のアドバイザーが付き、逮捕状を有するイラク警察は、これらの爆破テロに使われた車両を用意したとみられる人物を逮捕した。その治安部隊はMosulの南約50マイルの地点でその人物を、立件なしで逮捕した。
今日またイラク軍兵士は諜報情報のもとでMosul拠点のアル・カイダ・イン・イラクの組織セルのリーダーと協力していた14人の容疑者を逮捕した。
10月24日にはイラク軍兵士たちがIslamic State of Iraqのテロリスト・グループのメンバーを東部Mosulで逮捕、その人物はその地域での過去の恐喝事件の首謀者だった。信頼できる情報によれば、米軍アドバイザーのもと同軍兵士たちはIslamic State of IraqのメンバーをMosulの企業から金をゆすりとった容疑で逮捕した。
建物の捜索中に治安チームは脅しとった金をイラク軍と市民への攻撃のために使ったと思われる男を逮捕した。男は北部イラクで活動する恐喝組織と密接な関わりをもつとされる。
10月24日にはイラク治安警察は車爆弾のネットワークのメンバーだと疑われる男とその他2人の容疑者をKirkukの南の2つの建物の捜索で逮捕した。その容疑者はISIの援助する爆弾ネットワークの者と思われる。
その他の作戦でKirkukの警察はal-Qaida in Iraqのメンバーと疑われる9人を10月20日に拘束、彼らは爆弾の製造できる材料を持っていた。その一人は2006年中に何千ポンドもの硝酸カリ・アンモニウムを購入したとみられ、バグダッドでの反乱行動を起こしたal-Qaida in Iraqのメンバーと繋がっていた。
Kirkukのイラク警察は、米軍アドバイザーたちに道路上のチェックポイントで怪しい物資を発見できるよう依頼したが、警察は300ポンド以上の硝酸カリ・アンモニウムとガソリン缶、その他の爆弾の材料と思われる物質を車両から押収した。
http://www.defenselink.mil/news/newsarticle.aspx?id=56401
*上記報道の翌日、al-Qaida in Iraqが爆破事件の犯行声明を出した。
http://www.cbc.ca/world/story/2009/10/27/iraq-baghdad-bombing-al-qaeda391.html
*イラク内務省によれば10月31日、週末の2つの爆破事件の容疑者の男が警察で尋問を受けている最中に銃を掴んで捜査官を射殺、容疑者自身も負傷しその後病院で死亡した。
http://www.fox11az.com/news/world/68085592.html
Sunday, October 25, 2009
8月のバグダッドの爆破事件は誰の仕業か?/Whodunnit in Baghdad - By Juan Cole
8月19日の省庁爆破の犯人すらも
Whodunnit in Baghdad バグダッドでそれを行ったのは誰だ?- By Juan Cole (8/20、Informed Comment、〔抜粋〕)
水曜日のバグダッドでの無残な爆破テロの背後には誰がいたのか…に関して、ニュースメディアや、インターネットの全域では、推測が飛び交っていた─
バグダッドのスンニ派アラブ人アナリストの推測(Aljazseeraアラビア語版のInterview):
このアナリストは、この爆破テロはMaliki首相の行為に反発する者の仕業だとする…Malikiのダワ党〔Islamic Mission (Da'wa)Party〕が、シーア派連合の統一イラク連合〔United Iraqi Alliance〕から脱退するとみられたなかで、彼に切り捨てられるのでは、と感じた不満分子が起こしたのだろう、と推測する。〔すなわち、統一イラク連合の主要構成メンバーの一つのSadr派か、ハキム派ISCI(Islamic Supreme Council of Iraq…)などの関与を暗に示唆していた…〕 最近の首都バグダッドでの銀行強盗事件に、ISCI武装兵士が関与していたことや、Sadr派の分裂グループAsa'ib Ahl al-Haqqの起こしたバスラでの反連合軍のテロなどは、そうした推測にやや現実味をもたらすのだが…
アラビア語紙Al-Hayatの推測:
al-Zaman紙の推測:
スンニ派アラブ人のナショナリスト・メディア、al-Zamanは、イランの革命防衛隊のJerusalem brigade(エルサレム旅団)の仕業だというが、これはジャーナリズムとしての裏づけの証拠が何もない、ショッキングな推察記事にすぎないといえる。
…だが私はこう反論したい。イラクの閣僚や政治家たちはこのように長い間、各党派が力を集中するための道具として、利用されてきたのだ。イラクの財務省は、長らくISCI の活動家のBayan Jabr Sulaghが率いていて、同省職員たちはISCIからの引抜きが多かった。一方、クルド民主党のHoshyar Zebari率いる外務省は、誰の目でみても、クルド人に特別な仕事の機会を与えていた。そして教育省は、ダワ党〔the Islamic Mission Party (Da'wa)- Iraq Organization〕 (al-Maliki の所属するシーア派原理主義党と同じ党の支流)の議員、Khudayr al-Khuzaiに率いられていた。 そのため爆破ゲリラたちは、中央政府のみならず、こうした各省を操る党派に制裁を加えるという目的があったのにちがいない。
でもISCI がそれ自身の操る財務省を爆破するのはありえない。イランはISCI に近い関係があり、クルド人にも近い。そして我々は実のところ、誰が ISCI、Islamic Mission Party(ダワ党)、そしてクルド民主党の3者すべてを憎んでいるかを知っている…それはスンニ派アラブ人ゲリラたちだ…─それがバース党であろうと過激な原理主義者だろうと。だから、スンニ派アラブのアナリストの陰謀説は説得性がないし、Allawiのグループやal-Zamanの推測にもまた真実性がない。
Al-Hayat紙によると、イラク政府は「バース党とアル・カイダの連合組織」を犯人として訴えているようだ。しかしテロリストのセルはそのようには動かないものだ。6つのコーディネートされた爆破テロには、セル同士の細密で硬い結束と、親密な指令系統、コントロール系統が必要だ。つまりこれは2つの組織のどれか一方によるものだろう。軍事的な熟練度と作戦遂行の精密さをもってしても、私は旧バース党のオフィサーたちが関与しているとは思えない…彼らの現在でのイデオロギーはどうあろうと、また彼らが世俗的だろうとなかろうと。
また、財務省と外務省の爆破は、爆破の規模や死傷者の数でも最大のものだった点でみても、これは先週の北部イラクのスンニ派アラブ人都市Mosulの郊外の2つのクルド人の村、ShabakとYazidi で起きた爆破事件の継続なのだろう。Mosulはアラブ・ナショナリズムや、バース党主義、スンニ派原理主義などの中心地だ。
Ilaf紙は私と同様に推測する:
★イラクのイランとの内情について、D. Ignatiusが 興味ぶかいコラムを書いた。
Iraq's Iran Connection -Behind the Carnage in Baghdad -
バグダッドの大虐殺の陰に… By David Ignatius (8/25, WashingtonPost)
バグダッドの治安が悪化するにつれて、そこにまた新たな心配の種が生じている: 米国が訓練してきたイラクの国家諜報機関・INIS 〔Iraqi National Intelligence Service 〕の長官が、Nouri al-Maliki首相との間の長い口論をつづけた末に、辞職してしまった──これによって同国から宗派間テロと対決してきたそのリーダーが奪われた。
2004年以来、イラクの諜報部門の長官を務めていたGen. Mohammed Shahwaniは、今月辞職した…その理由は、Maliki首相が彼の組織の努力をないがしろにし、イランのスパイたちに活動の自由を与えた、と彼が考えたからだ。Shahwaniが1990年代に国外亡命していた際に何百万ドルもの金をINISメンバーのトレーニングに費やすために密接に協力していたCIAは、彼の辞職に明らかに驚いているという。
Shahwaniの辞職をうながしたイラクの混乱の状況は、最近の数件の出来事に彩られている──米国によるサポートの増強なくしては、イラクの権力者たちは圧力に対して絶望的なほど弱く、特に隣国イランの圧力には弱い、ということをそれらの事件は示唆した。
先般、それに関する警告となったのは、7月28日にバグダッド中心部で起きた、国営銀行Rafidain Bankへの明らかにイラクの治安部隊メンバーによる厚かましい強盗事件だ。ガンマンたちは銀行に押し入り、約5,600万イラク・ディナール(約5 百万米ドル)を盗んだ。戦闘の末に8人が死亡、強盗たちは副大統領の一人、Adel Abdul Mahdiの経営する新聞社に逃げ込んだ。 一時期は米国のお気に入りだったこともあるAdel Abdul Mahdiは、泥棒の一人が彼の護衛隊の一人だと認めたが、個人的な関与は否定した、とイラク紙はいっている。盗金の一部はとり戻されたが、残りは何人かの強盗メンバーと一緒にイランに運ばれたと考えられている。
Shahwaniの2つ目の懸念は、彼の組織での6,000名を数える職員に対する脅迫だ。Malikiの政府は180人のイラク人諜報職員に逮捕状を出したのだ──その罪状への訴えとは、Shahwaniによれば、彼が彼の仕事を遂行していることに対する政治的な反撃だという。INISは2004年に正式に設立されたが、その職員の多くはイランの諜報組織のターゲットにされ290名が殺害された。
Shahwaniの辞職により、同諜報機関の長官は前のSaddam Husseinの空軍のパイロットだったGen.Zuheir Fadelに引き継がれた。しかし、Fadelの主要な部下たちは安全のため、ヨルダンやエジプト、シリアに逃亡したといわれる─イラクに残った場合に、イランの暗殺部隊のターゲットとされる事を怖れて。
イラクの秩序の破壊は、100人の死者と500人の負傷者を出した8月19日のトラック爆弾による財務省、その他の省庁機関の爆破で最も劇的なものに達した。ここで再び、政府の治安部隊がテロリストを援助していた可能性がみえる。
“私は、治安部隊が協力していた可能性を排除しない”、と外務大臣Hoshyar Zebariは事件の後に述べた。“我々は真実に直面する必要がある。過去2ヶ月間、明らかに治安情勢は悪化をみせていた。”
この大虐殺の犯人とは誰なのか?今日のイラクでは、宗派間の争いにまつわる陰謀説が全開で語られている。Malikiのシーア派主導政府は先週の末、スンニ派のバース党員Wisam Ali Khazim Ibrahimの告白を放送したが、彼が言うにはトラック爆弾による爆破計画はシリアで育まれ、彼はチェックポイントの護衛ガードに1万ドルを払って、そこを通過したのだという。
しかしShahwaniに近い諜報ソースによると、科学的犯罪捜査による証拠はイランの関与を示唆している、という。彼は爆破の現場で見つかったC-4火薬の残余物にあったサインは、KutやNasiriyah, Basraその他の都市で2006年以降に発見されていた、イラン製爆薬にあったものと同一だったという。
イランのMalikiとの関係性は密接なものだとイラクの諜報ソースはいい、同首相はイラン人クルーの乗ったイラン製ジェット機を公務の旅行の際にも用いるという。イラン人たちはMalikiが彼の政府で彼らの望む政策上の変更を行えば、彼のダワ党が1月の選挙で少なくとも49議席をとることを約束した、という。
米国人は秩序の回復を試みるべきだろうか?イラクのトップの諜報ソースは、それに関してたぶん“関わらないことが安全のためによいだろう”、と悲しげに答える。米国の助力なしに、5年以内にこの国がどう変わっているだろうか、とさらに詰問すると彼はぶっきらぼうにこう答える、「イラクはイランの植民地になるだろう」。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/08/24/AR2009082402491.html
イランの濃縮核燃料の“不純物”について/A Hitch in Iran's Nuclear Plans?- By David Ignatius
Ignatiusの書いた、イランの核開発に関する情報が話題を呼んでいる…
それは、イランの核問題への“引っかかり”となるのか?
By David Ignatius (10/16, Washington Post)
あなたはたぶん“Nucleonics Week”という業界誌の定期的読者ではないだろうから、私は、その10/8号に出ていた記事を要約してみたい。その報告では、イランが低濃縮ウラン──つまり核兵器製造を可能にする原材料…を供給する際に、彼らがそれを核兵器づくりにグレードアップすると遠心分離機を故障させかねないような一種の“不純物”が発生したといっている。
今や“それ”は興味深いことだ──10月1日のジュネーヴでの交渉でのブレークスルーとなった合意──そこでイランは彼らの推定1,500キログラムの低濃縮ウランの大半を、さらなる濃縮工程のため海外に送ることについて同意したのだが──それは、みかけ通りの出来事ではなく、イランの遠心分離機が機能しないため、濃縮工程には外国の協力を得る以外に途がなかった、ということなのかもしれない。
“不純物とは、ある種のフッ素結合した金属物質だが、それは遠心分離機での濃縮を阻むかもしれない”と、イランのNatanzの核施設において同ニュースレターのボン市の特派員のMark Hibbsが報告している。
このニュースには、私は爆撃を受けそうに思えた。もしもNucleonics Weekの報告が精確ならば(専門家たちが、その汚染の問題がどの程度深刻か、への不確実さを感じていたとはいえ)イランの核開発は大半のアナリストたちが考えるよりずっと悪い状態にあるわけだ。彼らの製造した汚染された核燃料は、核兵器には全く使いようがない。爆弾を作るのに十分な燃料を製造するには、イランは初めから再度やり直さねばならない──今回は不純物を出さぬようにして。
でも、あなたはそれをイラン人たちの手に委ねなければならない…悪しき状況のなかでベストを得るために: ジュネーブでなされた提案で彼らは西欧諸国にその燃料の汚染を除去させる約束を得たのだが──それをしなければその燃料は、彼らが常にその目的として主張する平和的な核利用にのみ使用可能な低濃縮の燃料にすぎなくなるのだ。
“イラン人がそのように核燃料の供給で国際的な協力を喜んで受ける譲歩を装った態度を、レバレッジに使ったのはずうずうしいことだ”、とカーネギー平和財団の核不拡散プログラムのディレクター、George Perkovichはいう。
10月1日になされたその仮合意は、イランが3.5パーセントの低濃縮ウランをロシアに送ると誓約したことで賞賛を浴びた──ロシアではそれをさらに、イランが医療用のアイソトープに使用する研究用原子炉の運転に必要な、19.75パーセントのレベルまで濃縮するという。ジュネーヴでの仮合意ではまた、フランスが核燃料合成のためより高濃度なウランへの濃縮を申し出た。
“このことで得られる可能性のあるアドバンテージとは、もしそれが実行されたら、イランはLEU(低濃縮ウラン)の備蓄量を一気に削減できることだ───それは中東その他の地域での心配の種になっているものだが”…と、ジュネーヴの会議の後で、米国の政府高官は記者たちに熱狂して答えた。イランとの再度の会談は月曜日にウイーンで、詳細事項の決定のため開かれる。
しかし交渉者たちよ、喜びに沸くのは少し待って、技術的スタッフのいうことに立ち戻ろう。“もしもイランのウラン燃料に濃縮前の汚染除去が必要なら…それはイランが近い将来には脅威とはなりえない、というブレークアウト(突破口)のシナリオを意味するのではないか”とHibbsはレポートする。“なぜならば、イランがNatanzで汚染除去をせずに濃縮した場合、LEUの再濃縮は遠心分離機を壊しかねないからだ”…Nucleonics Week のストーリーによると、フランスのAreva社がウラニウムの転化の技術とその装置を持っており、それがイランのLEUの汚染除去のために使えるという。
そのような不純物がなぜ最初にウラン原材料に混入したのだろうか?それは興味深い疑問だ。その問題は、伝えられるところではイランで原料ウランを遠心分離機で濃縮可能な気体に変換しているIsfahanのプラントで発生したという。Isfahanのプラントはモリブデンその他の不純物を適切に除去できなかったと、Nucleonics Weekは2005年に報告している。
そして、そのIsfahanの転換プラントでの故障が発生した装置とは、どこから来たのか?イラン人たちがそのことを心配していた可能性は大きいだろう。もちろんイラン人たちはおそらく、彼らの誇る核開発施設が他のどこに故障がありうるかを心配したに違いない。
そしてそれはイラン人たちをパラノイアに陥らせるには十分ではなかったろう───彼らにはまだ、Qomの近くの革命防衛隊基地周辺の山岳の地下に隠された秘密の核濃縮工場が存在する、という情報もリークされているのだから。もしも米国がそれを発見したなら、それ以外に偉大なサタンの知るどんな事柄があるだろう?
そして結論はこうだ: イランの核開発の時計にはアナリストたちが怖れていたよりまだもっと時間がある。イラン人たちが懸命に製造を試みる核燃料のストックは、核爆弾を製造しようとすると、彼らの遠心分離機にダメージを与えてしまう可能性がある。イランと彼らの国外における核燃料の濃縮に関して契約をすることには意味がある──国際社会が、それらがどこでどのように使用されるかをモニターすることができるし…またそこに秘密の備蓄があるかどうかも知り得るからだ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/15/AR2009101502761_pf.html
Saturday, October 24, 2009
イラクのマリキが彼の勢力を結集…/Iraq's Maliki gathers his forces- By Sami Moubayed
イラクのマリキが彼の勢力を結集する… By サミ・ムバイヤド (10/6, Asia Times)
イラクの国防大臣はこの週末をはさんで、紛争の多発する北部イラクのNineveh県で、元バース党員やアル・カイダのメンバーをはじめ、150人以上を逮捕したと発表した。イラクのメディアはそのニュースを、政治的なプロセスへの敵に対する“大規模な弾圧”だと声高に報道した。しかし、ふつうのイラク人たちの見方は違った─人々は8月に起きた首都での大きな爆弾テロ事件のあと、Nuri al-Maliki首相がイラクの治安上の混乱に終止符を打てるものと信じるのを拒否した…。
ともかく、政権就任後4年目を迎えようとする首相は、失業の削減や投資の呼び込み、公的機関での給与水準の引き上げにも失敗した。彼はまたスンニ派、シーア派、クルド人の間の真のパートナー関係づくりにも失敗し、その代わり、宗教的信条に導かれた少数のシーア派政治家たちからなる狭い連立政権によって政権を運営している。
それでも彼はイラクの街角に、厳しい治安政策をつうじて比較的平和な状態を回復させ、2003年以来途絶えていた、ある程度正常な日常を何とかとり戻した。しかし、8月19日にバグダッドの政府の建物を粉々にした6つの自爆テロ以降、“security failure(治安上の失敗)”は、同首相の不足点の長大なリストに追加されてしまった。
どんな現実的な目的のためにも、Malikiは100人以上のイラク人犠牲者を出したバグダッドの爆弾テロ──ブラック・ウェンズデーと呼ばれる── の後に政治的には終わってしまった…。それらの攻撃は、18ヶ月間の比較的平穏な時期の後に起こり、首都の人々の特に感じやすい(痛んだ)神経を逆なでし、そして人々はこう問い始めた、“もしもMalikiの治安計画がそんなに上手くいってるのなら、どうしてこれらの事件が起きたのか?”と─。
これは治安向上のためのどんな試みも──たとえばこの週末に実施されていたものも── それが真面目な試みだろうと、普通のイラクの民衆からのあざけりしか生まないだろう理由だ。もしもイラクがノーマルな国で、宗派や部族、政治的立場ごとに分裂していないならば─どんな政治家でも…たとえスーパーマンだろうと8月19日の爆弾事件の余波の中では生き延びられないだろう。
しかし不思議なことに、先週の木曜日にMalikiは破滅させられるどころか、新政党(法の連合による国家State of Law Coalition.)の結成の発表を行いながら、未だに闘争精神に溢れた様子をみせた。バグダッドの名声あるal-Rasheedホテルに集まった500人ほどの聴衆に対し、首相は彼の連合の55人のメンバー、著名なシーア派リーダーSaid Fawzi Abu Rishehやスンニ派の重鎮リーダーSaid Yawer al-Shummari.たちなどを紹介した。
新たな党派連合は40の政党の連合で、そのなかには党の議長代理Sheikh Khaled al-Atiyya、Hussein al-Shahristani石油大臣、 そしてDulaim部族の長Sheikh Ali al-Hatem Suleimanもいる。この新連合のその他のMalikiの協力者としては、彼のアドバイザーのSadeq al-Rikabiや、彼のスポークスマン Ali al-Dabbagh、有名な女性活動家Safia al-Suheilがおり、そしてまた教育大臣・健康大臣・旅行産業大臣・労働大臣・移民問題大臣・若者問題大臣・スポーツ大臣、そして議会運営大臣がいる。
すでに30の党派が新連合への参加を申請したと首相に近い情報筋はいい、彼らの申請は現在、メンバー委員会がレビューしているという。新連合はナショナリズムをかかげ、各派の信条主義を超えた世俗的なものとして、Malikiはそのどのリーダーもターバンを巻いた聖職者ではないこと(2005年に政権をめざした統一イラク連合はそれが存在したが)を指摘した。
多くの敗北の後でMalikiが反撃力を示したことは、注目に価する。この男は2006年4月に政権の座について以降幾度も、その多くの失敗のために終わったと目されなかったか?それと同様に驚くべきことは、Malikiの連合が、イラク全土のライバル政治家たちの間に巻き起こしている否定しがたい怖れの感覚だ。同首相が、George W Bushがホワイトハウスを去った瞬間その恩恵から墜落する、弱くて顕著な色彩のない政治家だ、と皆が思っていたのは、さほど昔ではない。
簡単にいえば、人々は彼を真面目に捉えたことがなかった。
今日、人々は彼を彼自身の力による政治的な重鎮だとみるだけでなく、彼の行うファウル・プレイ(反則行為)を糾弾し、彼がゆっくりと新たなSaddam Husseinのような存在に変貌しつつある、と非難する。Malikiのチームが生まれる1週間前に彼の前のボスだった前首相・Ibrahim al-Jaafariが、もうひとつの党派連合として、有力なシーア派党派(サドル派やHakimのSIICなど)の傘連合である、the Iraqi National Alliance(INA)を創設していた。
INAもまた宗派横断的・世俗的なポリシーをかかげて、イラク人に対し、2003年の占領によって行われた全ての悪しき行いと、Malikiの失策を正す、と約束した。彼らはMalikiに対してINAの議席を与えると提案したが、首相は丁重にこれを断った─彼は彼自身が2010年の選挙で再び首相になることを絶対的に保証するといった、不可能な4番目の条件を要求したのだ。
憮然としたINAのメンバーたちはMalikiの政治生命はあとわずかだと警告したが、議会のサドル派のメンバーのAhmad Masoudiは“早期の分裂”はthe State of Law Coalitionの連合の出現を促すだろうといった。
INAのメンバーの構成とは、それがイランとの強い関係のもとに投資を行い、テヘランを政治ゲームの中に引き入れてMalikiに対抗させるという色彩をもっていた。首相は、イラクに対するイランの影響力というものに反対したことはなかったが、彼自身としてイラン人とそれほど強い繋がりを持ったことは一度もなかった。
何ヶ月にもわたり彼は彼の宗派的(党派的)イメージを脱却する(振り落とす)よう試み、そしてシーア派・スンニ派・クルド人からみて、すべてのイラク人のスポークスマンとして映るよう試みている─そして単なるシーア派系の狭い政党として、長年Saddam政権の下で実験をふるってきたスンニ派コミュニティに復讐を試みるような党派ではないことを印象づけようとしている。
彼はINAとはとても異なる政策をとるだろう─イランとは距離を置き、そしてアラブ諸国、たとえばサウジ・アラビアやヨルダンや、さらにおそらくシリアとも寄り添った関係樹立を試みて─彼自身をスンニ派からも愛されるべく画策し、そして次の1月の大統領選で勝てるように努力するだろう。
もしもINAに参加していたた場合、有力な宗教政治家のMuqtada al-SadrやAbdul Aziz al-Hakim(彼は新連合結成直後に亡くなったが)に対抗してMalikiが成功を収めることはとても困難だったろう。おそらく彼は、バグダッドのスラム地域でのMuqtadaの人気や、シーア派の影響力のあるビジネスマンの大きな家族層コミュニティでのHakimの影響力に比べれば、政治的な小人のような存在にみられていた可能性が強い。
しかしながら、the State of Law連合で彼と協力する無力な政治家たちに比べたら、Malikiは政治的な巨人にみなされる。新連合の弱小メンバーのグループが失策つづきの実績しかない首相のリーダーシップのもとに、Sadr派やHakim派、その他の、来年1月の選挙にむけて活動する強力なシーア派の政治家たちと対抗できるのだろうか?(筆者:Sami Moubayed は、シリアのForward Magazineのチーフエディター)
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/KJ06Ak01.html
*10/20、al-Malikiは米国での会議出席の折ワシントンに立寄った。オバマは彼に、1月16日の議会選挙の実施にむけた、「選挙法」の早急な制定を要求した。
その制定の遅れは米国にとっても、選挙のできる安定した治安状況を残して撤退する、という米軍の最後の大きなひと仕事─を果たすために問題となる。
イラク軍の質は徐々に向上しているが、未だにスンニ派主流の地域、またシーア派地域でも治安の悪いMaysanなどの県をコントロールできていないのだ。
特に問題なのは、石油資源の豊富なクルド地方の都市Kirkukの問題…アラブ人住民とクルド人住民の間のパワーシェアリングの問題に解決策がみえていない…
また議会選挙では候補者の個人名で投票するか、党の名で投票するかにも妥協策がみえず…イラクの立法議員たちによる草案作成は「give up」状態にあるとか─
Saturday, October 17, 2009
再建のために、タリバンと時をあらそうパキスタンの今…/ Racing Time and Taliban to Rebuild in Pakistan - By SABRINA TAVERNISE and IRFAN ASHRAF
Swat渓谷から Sabrina Taverniseが細やかな最新状況報告をしている
再建のために、タリバンと時をあらそうパキスタンの今…
By サブリナ・タヴェルニシ及びイルファン・アシュラフ (10/10, NYタイムス)
〔パキスタン、ナザラザード〕
戦闘は終わり村人たちは戻ってきたが、ここでの暮らしは未だに保留のままだ。村人たちのバッファローは居なくなり、畑の収穫は駄目になった。多くの地域が未だに停電している。タリバンによって爆破された学校は、山となって残っている。レンガさえもが売りに出されている。
“我々はみなし子のようだ”と、学校の校長、Akbar Khanはいう。“誰も我々のことを尋ねにここを訪れたりしない”
ここはUpper Swat Valley(スワット渓谷上流地域)、北部パキスタンでのタリバン運動の震源地だ。ここより南方の都会のエリアは賑わいをとり戻し日常に帰っているが、パキスタンによるSwat地方でのタリバンとの戦いの真のテストはこの、武装闘争の始まった土地、貧困に蝕まれた地方の村々で起こるだろう。
しかしアクティブな戦闘が終了して2ヵ月以上が経ち冬が急速に近づきつつあるなかで、再建はいまだ始まらず、この土地で人々の信用を取り戻するため達成されたことはほんの僅かしかない、と村人や役人たちはいう。
彼らは、こうした停滞は危険だ、という:つまり政府によるほとんど完全な国民の放棄の状態が、人々をタリバンと手を結ばせたのだ… 人々が自力で生活していくよう放棄されている限り、悪い状態へと逆行するチャンスが大きくなる。
“私は本当に心配しているのだ”と、Swatが位置する北西辺境州の長官Javed Iqbalはいう。”我々に時間的な贅沢をする余裕などはない”
“もしもあなたがより一層、実体的なものを示せないのなら…この国がまた、無政府状態に戻っても驚くべきではない…”と彼はいう。
パキスタン政府は今、Swat渓谷の人々のニーズに応えているとし、その先月の援助金額は推定12億ドルだという。同国への最大の援助国の米国は何10億ドルもの資金をパキスタンに投入しようとしており、援助資金をつのる国際会議も開催された。
しかしこの打ちひしがれた地域の再建資金はほどんど存在しないに等しい、と政府関係者はいう、そして援助団体は治安上の規則に阻まれて現実への対応が遅れている。
“政府は人々が、平常の生活にゆっくり戻りつつあるのだ、と信じている”と、ラホールのForman Christian College経済学部の理事、Pervez Tahirはいう。“現実には、以前から貧しい人々は無視されており、その後もまた、貧しい人々は無視される…”
そうしたパターンは、パキスタンのトラブルにみちた62年の歴史を通じて裏づけられ、とくにこの地域での状況はシビアだった。
戦争の前にはNazarabadの物は皆、壊れていた。村人たちは、街の変電設備のコイルを交換するため寄付をした。水道水は流れないか、屋内に配管設備はなく、教師たちは学校の水道ポンプのために寄付をした。そのためにロビー活動をする有力者は誰もおらず、村は自分たちでそれらを賄うべく取り残された。
そのため、タリバンが最初にFMラジオの放送によって現れて、イスラム教聖職者が人々のニーズが無視されている、と語ったとき、人々はそこに救済をみた。
“欠乏は耐え難いレベルにあったのだ”、とNazarabadの教師、Muhammad Shah Husseinはいう。“タリバンが来た時、そこには希望があった”
しかし、時が過ぎてタリバンの戦略は一層強制的になってゆき、そして彼らが学校を爆破したときに彼らへの共感は消えうせた。
“我々は彼らに、‘人々はとても貧しくて弱い、どうかこの学校を破壊しないでくれ’といったのだ”─と校長のAkbar Khanはいう。
しかしそれは、用をなさなかった。今では生徒たちは、不思議な新しいアウトドアの教室にとまる小鳥のように、小さなレンガの山の上に座っている。ここでは少女たちは未だにまったく学校に行けない─彼女らの学校は破壊された後、一度も再建されていない。そしてローカルな習慣によって、彼女がおおっぴらに外にでることすら眉を顰められる。
Swat渓谷の学校の約20%は破壊されたか、使用不能になっていると国連児童基金(Unicef)はいう。
これまでこの地での主だった対応はテントの配布だった。その事業努力を主導していたユニセフは、寄付者たちからの反応は鈍かったといい、依頼した資金の60%しか集まらなかったという。そしてタリバンの攻撃が7人の国連の職員達を殺害した後…その中には教育担当のディレクターもいた…、戦争に蝕まれた地域での再建事業は休止状態のままだという。
国連は2千万ドルをこの地域の学校再建のための予算に割り当て、先月には何億ドルもの資金を社会開発事業のために投じると約束した。しかし再建事業の責任者であるこの県の役人、Shakeel Qadr Khanは、実際にどのくらいの資金がSwatの再建のために使われることになるか不明だという
何年にもわたるタリバン支配と、軍事作戦の頻発した時期は農業にも犠牲を強いた。Guelarai村の農民Khazwarは、彼の小麦が駄目になり、果物も収穫されることがなかったので、手元には種や肥料を購入するための何の資金も残らなかった。県の農業担当の長官は、彼らの事業を再び軌道に戻すために、およそ8億ドルを農民支援のために投じることが必要だという。
“Swat地域は全てこのことによる苦難を強いられている”とKhazwarはいう…多くの田舎のパキスタン人がこの同じ名前を好んで名乗っている。
ここでの軍事作戦は、過去の軍事作戦のような大規模な破壊や、多くの市民の犠牲者は出さなかった、そして軍はいまやこの渓谷全体のあちこちに基地を建設した。軍の存在はMingoraのマジョリティ住民から歓迎された─それ以前の時期に武装勢力から放棄されたと感じていた人たちによって。
しかし2003年頃に武装勢力が強勢をはっていた村々では、人々はいまや軍にも恐れを抱いている…それは平常な暮らしに戻ることをさらに困難にする。
Hussein氏は、彼の男子生徒の半数以上が学校に来なくなったと見積もる──彼らは軍が、彼らをタリバンに関与したとして逮捕するのではと恐れていたのだという。彼はまた目立つことに神経質になっている…今や彼は軍の拘束下にある親類たちのことを問い合わせている家族たち(その多くが字が読めない)のスポークスマンの役も務めている。
また、急速な速さで進みつつある仕事といえば、地方のMilitia(民兵団)の設立だ。この近隣の政治的リーダー、Jamal Nasir Khanは渓谷の上流地域の村々で何百人もの男をリクルートして、タリバンからの防衛の仕事に就かせようとしている。Khanは2007年に首都のIslamabadに逃れ、この夏に帰ってきたというが、治安の維持が最大の課題だという。
“人々は1ヶ月以内に平常な状態に戻ることを望んでいる─それは無理だ”と、家を出るときは常に米国風のアーミーブーツに空軍ジャケット、M-16ライフルを身に着けているKhanはいう。“それはgenie(魔法のランプの精)が来て状況をよくしてくれる…などというものではない”
Khan氏は完全に軍隊に頼っている。彼は軍の車両に便乗して移動し、彼の食べ物は軍で調理される。そして彼はこの地域で、現実的に独りだ。このあたりの7つのdistrictの役人たちでここから逃れた者のうち、一人として帰ってきた者はなかった。…戻ってきたのはごく少数の高校の教師たちと、医師たちだけだ。
識字率の低さは村人たちを容易に無視されがちにする。Taja Bibiは字の読めない村人だが─彼女の聡明な12歳の娘のRabihatは学校に帰りたいと切望している─彼女はとにかく学校が再開してほしい、いつになるのかとは訊かないから、という。
“私たちには討論もできないし、返事をすることもできない”と、20人以上の人が住む小さな家の汚い床に座って、彼女はいう。
“あの人たちは私たちを、話をする相手にする価値もないと思っている”
Hussein氏にとっては、人々の権利のことを理解できる、教育のある階層を生み出すことがパキスタンの変革への唯一の希望だ。
しかしそれには学校がいる、そして彼の村にあった学校はなくなってしまった。
“我々はルーザーなのだ”、と彼はいった。
http://www.nytimes.com/2009/10/11/world/asia/11swat.html?tntemail1=y&emc=tnt&pagewanted=all
Friday, October 16, 2009
カルザイ政権の腐敗を許すな!/ Not Good Enough - By THOMAS L. FRIEDMAN
Karzai政権に最後通牒を…と提案?
「十分に好く」はない! ─ By トーマス・フリードマン (10/14、NYタイムス)
もしもオバマ大統領が…米国をベトナム化への途に陥らせないために、アフガニスタンとパキスタンを安定化するのに必要な兵力バランスの厳密な数を導きだせたならば、むろん彼はノーベル賞に値する──物理学分野で。
私は、大統領がその計算のために時間をとることには、何ら問題はない。我々と彼とはその決定と長い間、共に過ごさねばならないのだから。だが私の財布の具合からみると…私には、あとどの位の追加兵力を派遣するか、を今日語り合うよりも、どのようなアフガン政府をパートナーとして持つかに焦点をあてて語ってほしいのだ。
なぜなら、対反乱勢力の作戦を進める場合、ローカルな政府というものは、我々の兵力増派と我々の目標とするゴールの間の、決定的な橋渡しをする存在だからだ。もしも、その政府が腐敗していたら、あなたの事業のお先は暗くなる。
独立した選挙監視機関のモニターたちによれば、8月20日の投票では3分の1程度の票が腐敗に汚れた票で、Hamid Karzai大統領は明らかに大規模な不正に最も手を染めていた、という。それでも彼は、米軍の兵力増派と我々にとっては、アフガニスタンの安定というゴールへの橋となると思われている──それはありえない。
私は、アフガニスタンとパキスタンの安定化は大きな賭けだ、と理解している。その地での我々の最高司令官で、何千もの兵力の追加をリクエストしているStanley McChrystal中将が、もしもアフガニスタンをタリバンに明け渡した場合には沢山の悪いことが起こる、という時、彼はまちがってはいない。しかし、私は自分自身に問い続けたい:我々はどうやってそのような汚れた政府をパートナーにできるのか、と?
私はJefferson(建国の父)は投票で選ばれたのではなかった、と知っている。しかしそこで “good enough (十分に好い)”といった状態と、機能不全に陥って腐敗している、ということの間には大きな相違がある。われわれがどう考えようと、我々のパートナーのKarzaiと彼のチームは率直なところ最悪だ(awful)、と多くのアフガン人がいっている。
そのことは我々が単に追加兵力を送るだけでは十分でない、ということの理由だ。もしも我々がアフガンへのコミットメント(介入)を更新するのなら、我々はアフガンの人々に対して、我々はKarzaiとは違うタイプの政権を望んでいる、と目に見える形で示すか、または誰が治めようともそのような政権と共にあることは拒絶する、と示さねばならない。それはスイスである必要はない、しかしそれならば十分に好ましいだろう──それは、アフガニスタン人たちが喜んでその元で生活するような政府だろう。それなくしては、より一層の兵力派遣による戦略は、ただ敗北を引き伸ばすだけだろう。
私にはワシントンが──タリバンによる反乱運動が加速的にKarzai政権の態度に反抗するものになりつつある(同政権が国際的パートナーとして手を組む諸国の宗教や文明に対抗するのではなく…)ことを、十分理解しているのかは疑問だ。そして、あまりにも多くのアフガン人がいま、我々がその政府を創り維持し続けていることに苦情を唱えている。
Karzaiはすでに、この不正な選挙への国際的な投票検査の公正さを傷つけようとし、いかなる決選投票の実施も拒んだ。月曜日に彼のElectoral Complaints Commission(選挙苦情委員会)の協力者である Mustafa Barakzaiは“外国による妨害があった”として辞職した。そのことはKarzaiが、彼の汚した選挙をクリーンアップしようとする我々に対して、アフガンの国民を反目させようとする試みだ。
アフガニスタンの専門家たちと…カブールで、ワシントンで、そしてベルリンで話すとき、その構図は見えてくる: Karzai政府にはマフィアの政府との共通性がたくさんあると── “正常な”政府は国民から税金のかたちで収入を得て…ローカルなまたは地域的機関に予算配分や支援金の形で資金を分散するが、このアフガン政府は、逆の形で運営されている。その金は、地方の田舎から上に上がってくる─公共のオフィスがcrony(親友、旧友、仲間)に対して行った購買への支払いや、cronyからの“gifts(贈り物)”に対する支払いの形で。
専門家たちがいうには──カブールから流れるものは、足かせのない(拘束を受けない)抜き取りと、役人達がシステムに反抗したり、一線を超えたりした場合の、告発や処罰からの保護だ。“Karzai World”のなかでは、組織の中のslot(位置や仕事)は、利潤のためにそれを買う人たちによって売買され、またはcronyたちにタダで与えられ、ライバル勢力を追い払うための贈与金とされる。
我々は、そうしたシステムの実行者だと思われないように、とても注意を払わねばならない。
去る7月にアフガニスタンを訪れたときに私は、すべての米国の役人が、彼はアフガニスタンでベストで、誠実な人物だ、と教えてくれた重要な県知事にも面会したが──彼らはこう付け加えた、“我々はKarzaiが罷免されないように、Karzaiと戦わねばならない”と──それはKarzaiのシステムに抵抗する人間たちに起こっていることなのだ。
これはクレージーだ。我々はKarzaiと対処するとき、あまりにも礼儀正しく、植民地勢力のようにみられまいと心配しすぎている。私はもしこの男が大統領職に選ばれたなら、彼が彼の政府をアフガンの人々の尊敬を得られるように目にみえる形でクリーンアップするまで、一人の追加の兵力たりとも送りたくない。
もしもKarzaiがノーといったなら、そこにある答えはたった一つだ: “友人よ、君一人でやってくれ。どうぞ、タリバンとよい人生を。我々は、マフィア・ファミリーのように振るまう政府のもとに、これ以上の米国人の血や、財産を費やすことはできない。もしも我々がこの国を去らないと思うなら…これを見よ” (ヘリコプター部隊にキュー)
だから、お願いだから、今日アフガニスタンとパキスタンがどんなに重要かを私にレクチャーするのを少し控えてほしい。私はすでに賭け金を払っている。しかし我々は、この国自身の大統領以上の、誠実なアフガニスタンを望むことはできない。もし我々がそれを期待するなら、我々は、国民からの国家への忠誠心を維持できる真のローカル・パートナーを得ることはできず、そして我々にとっての成功はありえない─たとえ兵力増派によっても、より一層の無人偵察機や、資金の投資によっても。
http://www.nytimes.com/2009/10/14/opinion/14friedman.html
*10/20に、結局Karzaiは決選投票受け入れを表明し、翌日ライバルのAbdullah候補もこれを受け容れた。このフリードマンのコラムが毎度ながら、効果あったのだろうか?──
*とはいえフリードマンは、去る9月30日のコラムで、オバマ大統領をめぐるたった今の空気は、「イスラエルの故ラビン大統領暗殺前夜の空気にそっくり…」などと書いて、一部の批評家から顰蹙を浴びていた。
*「機能する政府」というのはオバマの大きな政府論の公約のキータームとか…これもパロディとしていっているのか?